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2007年08月29日

『天地有情の農学』-消費者に問う農学?

8月7日の日記で、宇根豊さんの新著に触れ、
「うまく整理できれば改めて」 なんて書いてしまった手前、
どうも棚にしまえなくて、今日まで脇に置いたままである。
私なりに書けるだけ書いて、いったん収めておきたいと思う。

『天地有情の農学』
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天地とは ‘自然’ のこと。
有情とは ‘生きものたち’ のこと。
この世は生命のいとなみで満ちている、というような意味。

それを支える 農‘学’ の道を切り開こうというメッセージなのだが、
私には、迫られているような圧力を感じたのである。
こんなふうに-

消費者にこそ ‘農学’ が必要なのではないのか?

1960年代より進められた「農業の近代化」というやつは、
農薬や化学肥料に依存し過ぎた生産方法によって、
環境(生態系)を壊し、人々の健康も脅かす要素を、高めてきた。

その反省や批判をベースに有機農業や減農薬運動は興り、
ようやく 『環境や生物多様性を育む』 仕事 としてまっとうに評価されるまでになった。

たとえば、農薬を使わない水田は生物多様性が増し、水系(地下水)も保全する。
カエルは、カエルの餌となる生き物や、カエルを餌とする生き物とつながっていて、
それやこれやの生き物の多様な循環が、環境の豊かさを構成する。
そのつながりを目に見える形で示すひとつの試みが、「田んぼの生き物調査」である。

この価値や、農業と自然の関係を、
きっちりと学問(科学)的にも明らかにする「農学」の確立を、
アプローチの手法、道筋を含めて提示しようとしているわけだが、
ことはそれだけではすまないから厄介だ。

無農薬のお米が環境を守ることにつながっているとしても、
その「環境保全」部分は、米の価格には含まれていない、という問題である。

価格には含まれていないが、それがあることによってもたらされるメリットを
「外部経済」と呼ぶが、
百姓(宇根さんは胸を張ってそう言う)が、
当たり前に百姓仕事をしてくれることによって得られている、
米代に含まれない大切な外部経済の部分を、誰がどうやって保障するのか。

そこで宇根さんは「環境デカップリング」の導入を提言する。
EUなどですでに実施されている仕組みで、
環境を維持するための指標を作って、それを実施する生産者に一定の所得保障をする、
という考え方である。

この考え方はたしかに、
「有機農業推進法」の「推進に関する基本方針」の中でも、
検討の必要性が盛り込まれている。

しかし・・・・・ここで私は靄(モヤ)に包まれたような気分に陥る。

私の知る農民の本音は、
田んぼでたくさんの赤とんぼを育てたところで、補助金を貰おうなんて思っちゃいない。
フツーに米や農産物を売って、フツーに食っていければいい、という感じである。

とはいえ、安い輸入農産物に押されて価格が低迷する今のご時勢、
このままでは外部経済の価値が守れない。

そこは税金で補償するしかない……のか。

宇根さんの「天地有情農学」論に賛辞を送りながらも、
私はこの最後の経済の部分で、わだかまりを捨てきれない。

税金を使うには国民の合意が必要である。
たとえ消費者が納得したとしても、生産者は喜ぶのだろうか。
安い米を買って、別な形で税金をつぎ込んで補償するという格好は、
けっして生産と消費のまっとうな関係とはいえないのではないか。

私としては、例えば
1kg=600円でお米を買った後に、環境支払いという名目でもう100円徴収されるよりは、
1kg=700円を “佐藤さんの米代” として出したい。
それで佐藤さんが当たり前に有機農業が持続できる価格として。
(これが今の「大地」の基本姿勢でもある)
その方が消費者の‘支持の選択’権も多様になる。

しかし、そんな悠長なことは言ってられない、ようなのだ。
水や空気はすべての人に同等に与えられているわけだから、
国民には等しく負担してもらわなければならない、と。

安さを求める人には別途税金を-
生々しい話であるが、こういう議論もしなければならないほど、
「農の危機はイコール環境の危機」 という構造になってしまった。
天地有情の農学は、こんなふうに我々消費者に‘農学’を迫っている。

私はまだ結論が出せない。
とりあえずは、農業の価値に国民的合意を得る上での論として支持しつつ、
一方で、大地の提唱する「THAT’S国産」運動の方が好きだ、
とは言っておきたい。


※「THAT’S国産」運動……‘国産のものを、まっとうな価格で食べよう’ という運動。
                  畜産物の餌も国産にこだわることで自給率を上げ、
                  輸送コストを下げることでCO2削減にも貢献できる。

2007年08月27日

平沢さんのスタークリムソン

長野県松川町の平沢充人さんから、
「スタークリムソン」という名の、珍しい洋ナシが届く。

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まだわずかしか収穫がないので販売には回らないが、
これから増えてくれば、数年後には注文書にもお目見えするかもしれない。
少しずつ穫れるようになってきたよ、という便りである。

特徴は何と言ってもこのワインをさらに濃くしたような皮の赤か。
この色を「クリムソン・レッド」というのだそうだ。
でも果肉は白く、ジューシーで、甘さの中にさわやかな酸味が混じる。

りんごにも同じ名で呼ばれる品種があるようだが、
りんごの場合は「スタークリムソン・デリシャス(Starkrimson delicious)」が正式名。

こちらの英名は「Star crimson pear」。微妙にスペルも違う。
専門家の間では「スタークリムソン」と言えば、洋ナシの方を指すとのこと。

食べ頃になるまで、どれくらいだろうか。
しばらくの間机の上において、眺めていよう。
気難しそうに見えて優しい、ちょっとインテリッぽくも見える平沢さんの顔など
思い出しながら。

これはちょっと珍しい、無理して笑顔を作ってくれた平沢さん。
4年前のワンショット。
2003.03赤石果樹出荷組合・平澤充人さん.png

平沢さんとは大地創設期時代からの長~い付き合いだ。
当初はお一人だったが、今は仲間4人で「赤石果樹出荷組合」を運営する。

でもここ3年、平沢さんからの出荷はない。
4年前に道路建設にかかって園地を切り替えることになってしまったのだ。

ちょうど今週配布の会員向けカタログ『PROCESS』で、
「梨作りのベテラン、赤石果樹出荷組合の4人衆」 が紹介されているのだけど、
キャプションには「平沢さんからの出荷はありません」と書かれている。
ちょっと寂しい……
でも目の前の色鮮やかな洋ナシが、そんな気分も帳消しにしてくれる。

平沢さんは元気で、新しい品種の栽培に取り組んでいるのだ。
体に気をつけて、暑い夏を乗り切ってほしい。

そういえば今年いただいた年賀状には、
息子さんに家督を譲ることにしたと書いてあった。

「さみしいけれど、バトンタッチができてよかったなぁ、と思っています」

いやいや、家督は譲っても、けっして果樹栽培への情熱は衰えていない。

今年の年賀状の写真。
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好きなカメラをいつも離さず、伊那の風景を撮り続ける平沢さん。
深紅の実の成った樹は、どんなアングルで撮ったんだろう。

2007年08月23日

猛暑の影響は続く

数日前より、ここ千葉でも夜にはコオロギの声が聞かれ始め、
少しは過ごしやすさも感じられるようになってきたけれど、
農産物は、引き続き猛暑の影響下にある。

毎週火曜日に産地担当(生産グループ農産チームの面々)がまとめる
畑の状況報告がある。

文書名は-『産地担当報告』。
何の工夫もない、いや失礼、誰も気に留めず、まったく飽きのこない、
空気のような名前がいい。
有機農業推進室が出している『今月のお知らせ』といい、大地は飾らない人が多い。

ま、そんなことはどうでもいいとして、各地の様子が短いコメントで並んでいる。
今週は、こんな感じである-

●長有研(長崎)・アスパラ……高温により発芽悪く、生育が落ちてきている。
●かごしま有機・里芋……干ばつ続き、収量少ない。
●北軽井沢有機(群馬)・トウモロコシ……先週の猛暑でしなびが発生。続くかも。
●千葉畑の会・カラーピーマン……猛暑でヤケ(焼け)、品質悪化。来週は出荷を休む。
●大西(長野)・きゅうり……朝3時から収穫しているが、それでもしなびが発生する。日曜に雨が降ったので、状況改善につながればいいが-。
●山梨・巨峰……高温で酸抜けが遅い。
●原(長野)・りんご……「さんさ」が猛暑高温で予想より早く熟したものがある。ヤケも一部で発生。
●有坂(長野)・大根、キャベツ……雨は降ったが、まだ太らない。もうひと雨ほしい。
●青野(長野)・大根、キャベツ、レタス……先週と日曜に降雨。息を吹き返して一気に出荷希望増。
●高野(北海道)・トウモロコシ、かぼちゃ……先日までの雨で水はたっぷり。先週末の暑さも問題なし。
●畑人村(沖縄)・ハンダマ……雨続きで状態悪く、一ヶ月ほど休む。
●今(北海道)・ホウレンソウ……暑さで枯れてしまうもの多数。
●堀田義明(茨城)・人参、里芋……人参発芽悪し。潅水しているが、まったく追いつかない。
●瀬山(埼玉)・人参、ブロッコリィ……播種したものの、降雨不足で発芽悪し。

この報告後、恵みの雨もあったりして、
多少は持ち直してきたところもあるようだが、厳しい状況はまだ暫くは続くだろう。

順調そうなのも拾っておこうか。こんなのしかないけど。

●わかば会(福島)・梨……「もうなんぼでもあっから!」
いやこれは順調というより、もっと注文よこせ、というプレッシャーと読むべきであろう。

こんなのもある。
●山崎(長野)・トウモロコシ……猿が迫ってきている。早めに取ってくれ。
新手の出荷圧力か・・・。 いや、山ちゃん、本当に猿に囲まれているらしい。

●阪本(東京)・葉物……予冷庫が壊れた。川里さん宅に持ち込み冷蔵保管。
ああ、この暑い中で。 啓一さんの頭から湯気が立っている姿を想像する。


米では、
九州の早場米産地の不作がかなり深刻なようだ。
こちらは猛暑ではなく、7月の長雨・日照不足と台風の影響である。
一方、これから収穫に向かうところでは、米の高温障害の注意報が各地で出されている。
こういう年は、収穫量としては ‘豊作’ と報道されるが、品質的には厳しい。
量と質の両方から ‘価格下げ要求’ が起きる可能性がある。
米の市況も、波乱含みの様相である。

今週発売のある週刊誌は、温暖化でコシヒカリが全滅する日が来る、と煽っている。

猛暑のさ中に発表された食糧自給率は、とうとう40%を割って、39%となった。

危機感もゆだりそうである。

2007年08月22日

追録(Ⅱ)-台風がくれた財産

昨日は中途半端に閉じてしまった。
ガス欠というより、休暇明けの残業に土日の青森出張もあり、ちょっと息切れした感じ。
失礼しました。

昨日の日記で書きとどめておきたかったこと。
新農研が30年を経て、周りも羨むほどに後継者が育ってきた土台には、
一戸さんたち創設メンバーの悲喜こもごもの苦労や失敗の歴史があるわけだが、
それを支えた根性や意地みたいなものは、
かなり地域の風土や文化によって育くまれてきた個性を有していて、
同時にその風土への誇りのようなものが、いつも背中から滲み出ていたのだろう。
これはきっと大事な “精神” なのだ。
そんなことを、世界一の扇ねぷたに重ねて思ったのである。

生き方や技術に嘘があっては後継者はついてこない。
『後継者を育てた津軽魂 -新農研の伝統とスピリッツは、受け継がれている。』
私の個人的な監査報告として追記しておきたいと思う。
農作業日誌に記されることはない、作物より前に生産者を育てる土台技術として。

そしてもうひとつ、書き残しておきたいこと。
台風がくれた財産があった、のである。

思い起こせば3年前(04年)、青森は5つもの台風の影響を受けた。
特に9月8日に襲った18号は、県内全域でりんごを落として行った。

この台風は全国的に被害をもたらし、
大地では見舞金のカンパを募って、各地の生産者に届けた。

新農研は、その見舞金を使って、
りんご農家用に独自の工夫をこらした作業日誌を作成して、メンバーに配ったのである。

今回の監査で、それが自分たちの営農を証明するものとして認められた。
消費者からの3年前の見舞金が、
生産者の日常的な道具となって今も生きていることが確認されたのだ。

「金額がどうのではなくて、消費者からの気持ちが嬉しかった。
 とにかく何かに生かさないといけないと思って、みんなで考えたんよ」 と語る一戸さん。

生産者と消費者の気持ちが、農作業日誌でつながっている。
監査されるのはそこに書かれた内容だが、
私にはこの日誌の存在自体が、この組織を語るものであった。

日誌の秘話は、自然と1991年(平成3年)の台風19号の話題へとつながる。

16年にもなるか。
収穫直前の青森を直撃した大型の台風は、りんごの樹をなぎ倒した。
使えるりんごはすぐにフルーツバスケットに運ばれ、ジュースやジャムになった。

それに、『台風に負けないぞ!セット』ってのがあったね。

あの時は、もうカンパでしのげるような話ではなかった。
被害の大きかった産地に上記のセットを作ってもらって、
消費者に1口5千円で買ってもらおう。
中身は、お任せである。

‘何も売るものがない’という産地には、
「手づくりの農産加工品でも民芸品でも、何でもいい。何もなければ手紙だけでもいい。
 とにかく消費者に‘負けない’気持ちを伝えて欲しい」

「何でもいい、と言われたら、逆になんでもよいとはいかなくなるじゃない。
 みんなで気持ち込めてジュースやら落ちたりんごやら詰めたな…」

「有り難かったな。ほんとに。
 農業やめる人や、何年分もの借金を抱える羽目になった人がいる中で、
 何とかその年をしのげたんだから」 

りんご栽培はすべて先行投資である。
お金と労力をかけて育て上げ、秋の収穫で一年分を獲る。
それが収穫を目の前にして……

監査がいっとき、思わぬ思い出話となる。
これも日誌が与えてくれた時間である。

忘れてはいけないことだ。
記録のトレーサビリティの奥にある、土台の思想を作り上げるものを。

2007年08月21日

新農研の監査報告-追録

新農研の監査同行の出張で、僕は二つのことを教えられた。
監査の趣旨には関係ない話だけど、忘れないでおきたいと思う。

認証機関から後日提出される監査報告に付けるとすれば、
これはただの感傷的な「余禄」でしかないが、
僕の重要な価値基準に、つまり琴線に触れたこととして、
ここではあえて「監査-追録」とさせてほしい。

ひとつは、
監査を終え、青森空港まで送ってくれるという車に乗ってすぐ、
新農研代表・一戸寿昭さんが、「ちょっと見てってよ」と車を止めて見せてくれたもの。

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これがウチ(旧平賀町)の「世界一の扇ねぷた」なんよ。

たしかに世界一巨大な「扇ねぷた」らしい
 (個人的には図柄の素晴らしさに惚れたが・・)。

しかし、「ねぷた」はこの地方のものでしかないわけだから、
「世界一ってなんよ」ってなもんだろうが、一戸代表の自慢がふるっている。

青森の‘ねぶた(NEBUTA)’は、‘ねぷた(NEPUTA)’が訛(なま)ったもんよ。
発祥はこっちなんよ。
しかもですよ。弘前の‘ねぷた(NEPUTA)’とも違うんよ。
弘前はなんか、決められたマニュアル通りにやってる祭りだけど、
ウチは年々若いもんが、リズムを変えたりしながら楽しんで発展してるのよ。
祭りって、そういうもんでない?

一生懸命標準語(に近い言葉)で喋ってくれるときの一戸さんの抑揚は独特である。

この人は、暑苦しいくらいに、地域に誇りを持ってる。
であるゆえに、改革派でありたいと強く意識している。
新農研のメンバーは30人弱。そこに20代の若者が12人、後継者として育っている。
彼にとって後継者とは、地域の文化をつなぐ者たちである。

「新農研」30年の苦労と誇りが、世界一の扇NEPUTAに重なっている。

津軽モンの偏屈さを自嘲気味に語る一戸さんである。
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農業の生き生きとした発展は、理論だけでは創造できない。
その地域の、土の匂いのようなものを伝える先人とのつながりが必要なのだ。

オレは太宰より葛西善蔵だな、と語る津軽モンの一戸さんに、
僕は、腹の中で団扇を扇ぎながら、秘かに14日の日記を恥じた。


もうひとつは、もっと大切なことだ。
………………
すみません。ガス欠です。明日に続く。

2007年08月20日

大地農産物の現地監査-青森編

8月19-20日
青森・新農業研究会(平川市/以下、新農研)にて、農産物の現地監査が実施された。

これは大地に出荷される農産物がすべて大地の生産基準に合致していることを、
第三者認証機関の監査によって確認する作業で、
5年前から毎年いくつかの産地が認証機関から指定され、監査を受ける仕組みである。

今回その指名を受けたのが新農研。
29名の生産者の中から、りんご、米、野菜それぞれで生産者がサンプリングされ、
有機JASの検査員によって監査される。

りんごの生産者・外川春雄さんの圃場(畑)での監査風景。
手前のお二人が、認証機関の方と検査員である。
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向こうにいるのが、就農して3年目の後継者・順春(よしはる)さん。
次に来た時は、君が説明して回るように。


さて、写真の順番が逆になったが、
監査は、まずは事務所(事務局)の管理状況の確認から始められる。
組織概要から大地との契約書類関係の保管状況、そしてメンバーの管理記録が
順次チェックされていく。

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(オーガニック検査員の針生展彰さん。手前は認証機関・アファス認証センター代表の渡邊義明さん)

生産者個々の栽培記録や、農薬・肥料の管理について、
大地との各種やり取りの記録、会内部での運営記録、入出荷の伝票類チェック、
そして倉庫の確認、などなど。

次にサンプリングされた生産者を巡回する。

生産者の自宅でも、同様の確認作業が繰り返される。

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「大地の生産基準はお持ちですか?」
「あなたの栽培記録はどんなふうに管理されてますか?」
 -栽培の計画書から実績まで。その裏づけとなる作業日誌まで確認される。
  農薬の使用がある場合は、その購入伝票から使用量、在庫までがトレースされる。

生産者は「監査」と聞いただけで、緊張の面持ちである。
でもしっかりと保管された記録が出てきた時に、ホ~と胸をなでおろすのは、
実は立会う事務局の方である。

現場では、初歩的なことも聞いたりしながら、
検査官が見ているのは生産者の姿勢とか考え方だったりする。

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(右が小枝均さん。青森県の農林水産部の職員-技術指導員でもある)

また最近では、周辺圃場からの農薬の影響が必ず聞かれる。
お隣が慣行圃場(一般栽培)の場合は特に。
しかしこればっかりは、現状では100%防ぐことはできない。
これは有機や減農薬がまだ少数派である限り、どうしようもない現実であり、
有機農業の考え方や技術が広がっていかないと、根本的には解決できない課題である。

そのためにこそ「有機農業推進法」があるのだが、
高齢化が進む中では手間をかけた農業は敬遠され、
また経営リスクも考えたりして、生産現場はそう簡単には変われない。

水田では、取水と排水の区別など水まわりもチェックの対象である。

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(右が生産者・今井正一さん。新農研の事務局担当も兼ねる。)

とりあえず周辺環境からの影響は、今後の課題として認識するとして、
  (この‘課題として認識している’ことが大事
   -これは大地の基準における「基本姿勢」であるからして)
今回の監査目的である生産(栽培)行為については特に問題点は認められず、
若干の記録の改善が指摘されたレベルで終了した。

無事監査終了で、生産者も安堵し、僕もホッと一息。

この作業の積み重ねが、大地への信頼を担保するものにつながる。
生産者は意外と(失礼!)よく承知していて、
しっかり管理されていることに感謝しつつ、
夕方には少し涼しい風も吹いてくれた青森をあとにする。

2007年08月19日

林檎が火傷する夏

志朗くんが
「りんごが焼け始めている」
と電話をくれた翌日(18日)。

朝5時に起き、一番の飛行機で青森に向かう。
用務は、りんごや米・野菜を作ってくれている新農業研究会(以下、新農研)の監査である。
大地の生産基準通りに栽培されているか、認証機関の確認に立ち会うの仕事。

でも監査の報告より、こっちを先に伝えたいと思う。
“焼けるりんご”は、青森でも進んでいた。

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これが、りんごの高温障害。火傷(やけど)が進行した跡の姿である。

気温が34℃を超えた日が三日以上続いて、発生し始めたそうだ。

素人目には、まだぽつぽつとしか出てないようなのだが、
新農研の事務局を担当する今井正一さんが、冷静に数えている。
彼はりんごと米の生産者でもある。

一本の樹に成らせた実の一割が火傷している。

最初はこのように、焼けて色が落ちる。

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ここから腐ってゆく。

気温だけで一割の減収。
サラリーマンの僕はセコい計算をする。

生産者にとっては、毎年何がしかの影響を受けるのは当たり前のことなのか、
あるいは経験則による希望なのか、
「これから普通の気温に戻ってくれて、台風の直撃さえなければ」
とか、色々なプラスマイナスを頭に入れて話してくれる。
我々(検査官と大地職員)を前にして、
生産者は豪気に笑い、流通者(私)は溜息で付き合う。

しかし・・
年々読めなくなる気候変動が生産現場に底知れぬ不安を落としていることは間違いない。
青森の林檎が焼けた・・・・・2007年夏の記憶として残しておこうと思う。

お互い、本当の勝負はこれから、ではあるが。

2007年08月17日

仕事再開-いきなり100件!

一週間お盆休みを頂戴して、仏さんと一緒に過ごしてきました。
四国は今も弘法大師さんとともに在るような国です。

さて本日(17日)、一週間ぶりに仕事に戻れば、
机の上には100件ほどの新商品の審査物件書類がド~ンと詰まれていて、
パソコンを開けば、溜まったメールが300件強。
とても今日一日では処理し切れないなぁ、とため息ひとつ吐いて、開き始める。

審査物件100といっても、初見のものは半分弱くらいで、
多くは一度はチェック済みのもの。
不足書類を要請したり、内容の再確認・不備の指摘に対して返ってきたものである。
なかには何回も往復してきたものもある。

安全審査グループをつくって5年。
すべての取り扱い基準を整備し直し、
それに基づいての商品情報のトレース体制を築いてきたが、
必然的にメーカーからの提出書類は膨大になった。

古くから付き合いのあるメーカーの方から皮肉られたことがある。

「大地は‘顔の見える関係’と言ってきたけど、
 これじゃまるで‘紙の見える関係’だ!」

うまいことを言う。 座布団2枚!
-なんて切り返しながら、しかし、だからといって引き下がるわけにはいかない。

ひとつの製品に含まれるすべての原材料の内容確認から始まり、
製造工程・工場内のアレルゲン物質の有無・包装容器・一括表示やラベルでの記載内容
などなど、可能な限りトレース(追跡)して、当方の基準との適合性を判断していく。
例えば、遺伝子組み換え食品に反対しながら、遺伝子組み換え大豆が使われていた、
なんてことになれば、目も当てられなくなるわけで、
大豆ひとつにも証明を求めることになる。

ひっきょう原料が多岐にわたるものほど書類が増える。
例えば、先週新製品として登場したフルーツバスケットの「野菜を飲もう!(ジュース)」の場合。
人参、大根、小松菜、水菜、ほうれん草、キャベツ、りんご、カボス、
それぞれの栽培内容を有機農業推進室で確認する。
たとえ大地の契約生産者のものでも、必要な情報は求める。
フルーツバスケット⇔大地・商品グループ⇔安全審査グループ(品質保証チーム、有機農業推進室)
の間で書類が行き来し、最終的な提出書類は55枚にのぼった。

こういった審査の途中経過や最終結果を確認するのが私の係で、
商品開発担当者(その後ろにはメーカーさん)が審査にしびれを切らして
イラ立っているのが書類から透けて見えてくるときがある。

こんな作業が繰り返され、毎週10品目前後の新商品が日の目を見る。

大地に皮肉も言いたくなるだろう。
‘顔’を見るだけでなく、身体検査をされているような気持ちにもなるかも知れない。
でもこれが我々の生命線であり、こういった作業の積み重ねが、
「大地につながるすべての生産者・メーカー」(結果として「大地」)を
守ることにつながっている、というのが私の自負である。

トレーサビリティの徹底は、自分たちの限界と‘課題’をも照射する。
それが安全性の向上意識につながって、‘食の安全を担う生産者’の輪となるはずだ。
このやり取りが互いのモラルを鍛えている。
そんな思いでハンコを押している。

休みのツケとの格闘となった一日。
そんな中で、ブログへの感想を5件、発見する。
どれも過分なるお褒めの言葉。嬉しい!
身が引き締まり、時差ボケ気分も一気に抜けて、ギアを加速する。

それにしても暑い。最高気温も記録更新。
夜、一人居残りのところに、長野の原志朗さんから電話が入る。

「りんごが焼け始めている」

りんごも心配だけど、体に気をつけてよ -という言葉しか出てこない自分が歯がゆい。

2007年08月14日

田舎から

夏休みをいただいて、帰郷しています。
つまらない絵で恐縮ですが、私の田舎の風景です。

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高校卒業と同時に上京して●●年。帰るたびに町が小さくなっていく気がする。
町のサイズ自体は変わってないのだけれど、
どうも活気というものが次第に薄れて、
寂れてゆくさまが町全体を縮ませているように思えるのだ。
それでも、懐かしさと愛おしさのようなものは年々強くなってくるから不思議である。

港に立つと思い出す、中原中也の詩の一節。

  これが私の故里(ふるさと)だ
  さやかに風も吹いてゐる
       心置きなく泣かれよと
       年増婦(としま)の低い声もする
              (「帰郷」-『山羊の歌』所収)


玄関を出ればすぐにも海が見渡せ、
夕暮れ時は漁師たちが土手に座って、海を眺めながらたむろする。

家の裏に回れば、屋根の縁まで崖が迫っている。
裏庭(崖の下)はいつも水が滴っていて、そこはガマガエルやカニやトカゲらの世界だったが、
10年くらい前に防災上の理由からコンクリート壁になってしまって、姿を消した。
子どもの頃は屋根の上からびょんと裏山に跳び移って遊んだものだが、それもできなくなった。

またその屋根にはなかなか立派な青大将が棲んでいて、
「家を守っとる」とか言って大事にしていたが、とうにいなくなったようだ。

毎年いくつもの台風がやってきて、
漁師の息子がロープを咥え、荒海の中を泳ぎながら自家の船を避難場所まで曳航するのを
じっと見ていたことがある。
風の強い日には、海鳴りがゴウゴウと、山の上から聞こえてくる。

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手前の浜は、昔は造船所があったところ。
常時新しい漁船が建造されていて、大漁旗をなびかせてはこの浜から下ろされたものだ。
今は見る影もなく、朽ち果てた漁船が一艘、わずかに往時を偲ばせている。

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港の突端の赤い灯台から外海に出ると、
ひょっこりひょうたん島みたいな無人島が鎮座していて、
その島まで泳いでわたるのが少年の密かな目標だった。

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この島はかつて夏のキャンプ場として子どもたちを楽しませたのだが、
いつの頃からか、キャンプする風景は見られなくなった。
浜で泳ぐ人の姿もなく、
子どもたちは、笹川財団が建ててくれた近くのプールに行くのだそうだ。
その方が安全で助かると大人も言っている。

この島や浜が、年寄りを除いてみんなの視界から消え去られたのなら、
俺が買い取って、サバイバル体験基地にしてやろうか。
-なんてことを夢想したりする。

30年以上も前、
この地方に原発建設の話が持ち込まれた時、町を挙げて反対運動をした。
我が家も玄関に「原発反対の家」というステッカーを貼った。
原発の危険性を学んで反対したわけではない。
「そんな面倒なもん、ここにはいらん」というシンプルな理由で、町はひとつになっていた。
あの頃は、町全体に自信があった。
「海さえこのままであれば」、漁業で充分暮らしてゆけたから。

粗野だけど強くてカッコよかった漁民たちは、どこかへ消えてしまった。
子どもたちを海や山に連れ出しては色んな遊びを教えてくれた大人もいない。
人はいなくなり、なぜか漁獲も減る一方で、山は鬱蒼と暗さを増していく。

でも、帰るたびに愛おしさは募る。
年のせい? それだけなのかなあ・・・


冒頭の中也の詩の最後-

  あゝ おまえはなにをして来たのだと……
  吹き来る風が私に云ふ

2007年08月07日

「農と自然の研究所」東京総会(続き)

昨日は宇根豊という人物についての紹介で終わっちゃったけど、
総会の内容にも、ちょっと触れておきたい。

ひとつは、この総会に農水省の役人が来たことだ。
少し頼りない感じの若い方だが、報告した内容は無視できない。

7月6日、農水省が出した「農林水産省生物多様性戦略」について。

「安全で良質な農林水産物を供給する農林水産業及び農山漁村の維持・発展のためにも
 生物多様性保全は不可欠である」

どうも役人の文章は好きになれない。あえて分かりにくくさせているようにすら思える。
という感想はともかく、
第一次産業という人の営みが生物多様性を育んできたことを農水省も認め、
それを高く評価して、
安全な食べものを供給する上で、生物多様性の保全は欠かせない「戦略」である、
と言ってくれているのだ。

農水省が、農業生産と生きものの豊かさの間に重要なつながりがあることを認めた、
という意味では、画期的なことと言える。

しかし・・・・と思う。

君らが推進してきた‘農業の近代化’こそが、生物多様性(生態系)を壊してきたんじゃないか。
反省はあるのか、こら!

それが、あるんだ。いちおうは。

「しかしながら、不適切な農薬・肥料の使用、経済性や効率性を優先した農地や水路の整備、
 生活排水などによる水質の悪化や埋め立てなどによる藻場・干潟の減少、
 過剰な漁獲、外来種の導入による生態系破壊など
 生物多様性保全に配慮しない人間の活動が生物の生息生育環境を劣化させ、
 生物多様性に大きな影響を与えてきた。」

そう進めてきた張本人のわりには、何だか客観的な言い方が気に入らないが、
生物多様性の保全のための具体的な取り組みとして挙げてきた内容は、
ほとんど我々の陣営から育ってきた主張が並んでいる。
有機農業の推進も盛り込まれている。

それもそのはず、宇根さんはこの「戦略」作りの委員だったのだ。

里地・里山・里海の保全、森林の保全、地球環境への貢献……と
総花的内容にどこまで期待できるかはともかく
(いずれにしても具体化や予算化はこれからだし)、
よくぞここまで書かせたものだと、脱帽するほかない。

説明する農水の若手役人も、「やります。本気です」と言う。
省内では色々な突き上げもあったようだが、
昨年の「有機農業推進法」といい、
農水省内部も変わりつつあることは確かなようだ。

有機農業運動にとって、宇根豊という思想と個性を得たことは、
これで運動に血が通ったような幸運すら感じさせる。
時代を変えるパワーの発信源のひとつであることは間違いない。

生産者の方は、この「戦略」をどう読み、活かすか、ぜひともご一読を。
            (↑この2文字をクリックすると見えます)

総会の後半では、
これまで宇根さんと関わりの深い出版社の編集者が呼ばれ、
『農の表現を考える』と題してのセッションとなる。

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ここまで獲得してきた世界を、その価値を、どういう全体像に現わしていくか。
ただの観念論に陥ることなく、「科学」(的視点)もしっかり取り込み、
新しい‘表現’をつくりあげたい。

宇根さんは、もう次に行こうとしている。

そして、このタイミングで、宇根ワールドの現在の地点を示す書が出された。

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尊敬する出版社のひとつ、コモンズから。
渾身の1冊!である。
この書の意味は、実に深い。うまく整理できれば、改めて。

「農と自然の研究所」の活動は、あと3年。
きっちりと、ついていってみたい。

2007年08月06日

「農と自然の研究所」東京総会。農の情念を語る人、宇根豊。

昨日(8月5日)、
NPO法人「農と自然の研究所」の東京総会というのが青山で開かれた。

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この研究所の本部は福岡にあり、宇根豊さんという方が代表をしている。
会員は全国に885人。私もその一人である。

この宇根豊という人物。
農学博士の肩書きを持つが、
もとは福岡県の農業改良普及員(農業の技術指導をする人。県の職員)である。
その、まだ若かりし普及員時代の1978年、今から約30年も前、
当時の農業指導理論の常識を逆さまにひっくり返して、
初めて‘農薬を使わない米づくり’を農家に指導した公務員として知られている。

それは「減農薬運動」と言われた。
ただ‘農薬をふるな’というのではない。
マニュアル通りに機械的に農薬を撒くのではなく、
一枚一枚微妙に違う田んぼの様子をしっかり観察し、害虫の発生状態を自分の目で確かめて、
本当に必要な時に撒くことが農業技術だ、と伝えていったところ、
農薬散布が劇的に減っていった、という話である。

当たり前に持っていたホンモノの百姓仕事をしよう、と言ったのだ。
これは農民の主体性を取り戻す運動となった。

僕と宇根さんとの出会いは1986年、
東京・八王子で開催した「食糧自立を考える国際シンポジウム」だった。
米の輸入自由化が社会的に大きな議論を呼んでいた時代。
アメリカやタイ、韓国など、たしか10カ国くらいから農民や研究者が集まって、
食料の自由化がどんな問題を孕み、どんな影響を与えるかを討論した、
かなり画期的な国際会議だったと思う。

大地はこのシンポジウムの事務局団体のひとつとして参加していて、
宇根さんには、日本側パネラーの一人としてお願いし、招聘していた。
彼は海外からやってきた農民や研究者の前で、
「赤とんぼは、田んぼから生まれるのです」 とやったのだ。

「田んぼはたくさんのいのちと文化を育んでいる」

農民団体が「一粒たりとも・・」とか叫んでいる中で、
僕は宇根さんによって、
「もっと視界を広く持て」 と教えられたような気がしたのである。

さて、思い出話はともかく、
彼は、周りは敵だらけの減農薬運動から始まって、
その後も思想を深め、理論を発展させ、2000年、とうとう県職員を辞し、
活動を10年と限定して「農と自然の研究所」を設立した。

研究所を設立してからは、田んぼの生き物調査の手法をガイドブックにまとめて
全国に広げる一方で、自らの思想を「百姓学」として構築しつつある。
福岡県は、この生き物調査を「県民と育む農のめぐみ事業」と称して、助成金をつけた。
環境に貢献する農業仕事として、価値を認めたのだ。

そして昨年、研究所は朝日新聞社の『明日への環境賞』を受賞した。
見事なたたかいっぷり、と言うほかない。

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宇根さんは、いま僕が最も尊敬し、注目もしている‘思想家かつ実践家’の一人である。
しかし、宇根さんの思想は、僕の力ではなかなか解説できない。
たとえば、こんなことを言う人なのである。

お金に換算できない百姓仕事が、実は自然や環境といわれるものを一緒に育ててきた。
近代化や科学には、この価値がとらえられない。経済合理性の目では‘見えない’のだ。
私たちはその広大な世界を見つめ直さなければならない。

あるいはこうだ。

田の畦草刈をしていて、カエルが足元の草刈り機の前を跳んだとき、私は立ち止まる。
何回も立ち止まってしまう。
それを経済学者は生産効率を低下させる無駄な時間だととらえる。
また生態学者は、この田んぼにいるカエルの数から見て、数匹殺したところで影響ないと答える。
しかし、2~3匹斬っちゃっても問題ない、と立ち止まることをしなくなった時、
私の生き物を見る‘まなざし’は、間違いなく衰えるのだ。

彼が目指すのは、‘農と百姓仕事の全体性’の復活と再構築、とでも言えようか。
それを土台に据えて、虫たちとともにたたかいを挑んでいる。
まるで『風の谷のナウシカ』のオウムのようだ(ナウシカでなくてすみません)。

そして圧巻だと思うのは、こんな表現である。

私たちが美しいと感じる風景は、生き物たちの情念によってつくられている。
それを見る百姓の情念と交錯しながら、
「環境」や「自然」はたくさんの生き物たちと一緒に育てられてきた…

たとえば、ここにある大地の稲作体験の風景。

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この風景は、すべて生き物によって構成されている。
生き物たちの「情念」で満ちている。
私たちヒトは、その「情念」と交感できているだろうか。

「情念」というコトバを、そのコトバのもつ情感も含めて使いこなせる人を、
私はこの宇根豊という男以外に知らない。


話が長くなってしまった。でもここまできて、途中で終わるわけにはいかない。
この項続く、とさせていただきます。

2007年08月03日

台風情報でも少しは役に立ちたいと・・

台風4号から半月ちょっとで5号の来襲。
おとといの日記は、ただの能天気なコメントになってしまった。

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今日も農産チームのスタッフがあちこち電話しては、
「台風、どう?」とやっているのが聞こえる。

とりあえず、そんなに大きな被害はないようだ。 よかった。
ただ早場米の宮崎が、やっぱりヤバイ感じ。
生産者・宮本恒一郎さん -「今年はキツイ年になりそうよ」
これは、実際には4号からの影響のようだ。
会員の皆さんには、『PROCESS』での新米情報にご注意を。

さて、大地もただ生産者から聞き取っているだけではない。
せっせと情報を集めては生産者に発信している者が、一人いる。
安全審査グループ有機農業推進室・古谷隆司。

別に気象予報士のような仕事をしているわけではない。
仕事のちょっとした合間に台風情報をネットで収集しては、
メーリングリストに登録してある生産者に流している。

情報を先に先にとキャッチして、少しでも有効な手を打つことができれば、
生産者の手助けになることもあるかもしれない。
そんな感じで彼の判断に任せているのだが、
実際にどこまで役に立っているのかは、まだよく分からない。

ただ感心するのは、ヤツは気象庁情報や予報会社のサイトだけでなく、
米軍のレーダーからの情報をチェックしているのだ。
青年海外協力隊上がりで、コミュニケーション力はともかく、英語はできる。

今回はタイムリー・ヒットとはいかなかったようだけど、
前の4号情報は、なかなかだった。
上陸する4日前に、彼は台風の進路をかなりいい線で生産者に伝えていた。

「今日の朝見たときは沖縄を通って北上するコースでしたが、夕方には
 東に流れていくコースになっています。
 米軍予報で北から東に進路変更が出た場合は、もっと東へずれていくことが多い。
 四国上陸予報が銚子をかすめる、なんてことも」 -ほぼピッタリ?

「どちらにしても大雨が心配。まだ接近まで2,3日あります。
 水はけの悪いところは今のうちに溝を掘るとか、
 冠水して根が腐らないような対策をしてはどうでしょうか」

その上で、各地方で出される台風対策情報を逐次知らせている。
「○○県では○○栽培に○○の対策を、というお触れが出てます」

当たろうが当たるまいが、こちらには責任はない(信用はともかく)。
それが予報というものである(正確には「予報」でもないし)。
と強調しつつ、
いつかこの作業が日の目をみることもあるかもしれない、とか思ってたりして。
ま、こんなことをやらしている責任は自覚している。


さて、そしてやはり、今日の進路を見ながら心配したのは新潟、
中越沖地震で避難生活を続けている人たち。

何もお役に立てないでいたが、
現地で復興ボランティアに入っているピースボートの連中に頼んで、
大地自慢の「短角牛の牛丼」250食分を送る手はずがついた、との報告が入る。

岩手県山形村-短角牛の生産者も心配しているようだ。
TVで紹介されたりしている小千谷や山古志村の闘牛も同じ短角牛だったか
と改めて気づかされる。
生産者と連名で送ることに。
少しでも喜んでくれれば、と思う。

あと気になるのは、今日から現地に向かった「青森りんごツアー」かな。
いや本音は?-りんごは気になっても、ツアー自体はたいして気にしてない。
「くそぉ、ねぷたか、いいなあ」というやっかみもあるか…。

(注) 冒頭の図は気象庁HPからのものです。米軍ではありません。

2007年08月01日

8月の祈り

8月に入りました。
時候の挨拶としては、『残暑お見舞い申し上げます』 なのですが、
気象庁は今日ようやく、
関東甲信越地方が「梅雨明けしたとみられる」との発表。
-何かさえない夏の到来ですね。

四季の変化が美しいと言われる日本で、
ここ数年、というか年々、季節がその季節らしくなくなり、
農家も「過去の経験でやれなくなっている」と嘆くことが多くなっています。
どうか、夏らしい夏であってほしいものです。

梅雨明けから約1ヶ月は、太陽の光輝く、言わば日本の乾期。
稲(米)も一気に成熟期へと進みます。

稲ではこの時期、晴天だと、一日で1haあたり約100kgの体をつくるそうです。
約170kgの二酸化炭素が、大気から作物に吸収される計算になるとか。

CO2削減にもっとも貢献するのは、健全な自然のバランス、ということでしょうか。

関東以北の水稲も、今のところすこぶる順調の様子。
でもこういう時はかえって不安になったりもします。

切ない‘収穫の秋’にならないことを祈りたい。

2007年8月1日、梅雨明けの日の感想でした。