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2007年09月29日

映画監督 佐藤真さんの思い出

こんなタイトル自体、おこがましいのかもしれない。
会ったのは2度だけだから。

ドキュメンタリー映画監督、佐藤真(まこと)さん。
9月4日、49歳の若さで逝ってしまった。

訃報はすでに報道で知っていたが、
今日(9/28)の朝日新聞夕刊の 「惜別」 欄を見て、書きたくなった。

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佐藤さんの監督第1作は 『阿賀に生きる』 (完成1992年)。
89年から3年がかりで、新潟水俣病の老人の日常を淡々と追ったドキュメンタリー。
佐藤さんはスタッフとともに現地で共同生活をしながら、カメラを回し続けた。
芸術選奨文部大臣賞新人賞など、いくつもの賞をとった、彼の記念碑的作品である。

でも僕の思い出は、その前の助監督時代の作品
『無辜なる海-1982年水俣-』 (1983年)になる。

水俣病に関するドキュメンタリー映画では、
70年代からの土本典昭さんの一連の作品 (たとえば 『不知火海』 ) があるが、
この 『無辜(むこ)なる海』 は、
水俣病の原因が明らかになり、たたかいから補償へと移る時代にあっても、
なお苦しみ続ける住民の暮らしを綴ったものだ。

苦しみを埋めて暮らすしかない日常を写し取りながら、私たちに問いかける「何で?」。

83年に映画が完成したあと、佐藤さんは映画の上映活動に奔走する。
社会派のドキュメンタリー映画というのは、制作費用を工面しながら作り上げ、
そのあとはスタッフ自らフィルムを持って行脚するような世界である。

佐藤さんが、水俣病支援などで関係があった大地を訪ねてきたのは、
大地の配送センターが杉並区から調布市深大寺に移転して間もない84年だったが、
季節の頃は -思い出せない。

僕も若かった。
新しいセンターで、まだ敷地にも余裕があった。
この広い倉庫を活用して、地域の人たち向けに何か文化的な催しを開くのはどうか、
なんて同僚と飲みながら話し合ったりしてたのだ。

僕は佐藤さんと会い、話を聞き、すぐさま企画書を書いた。

   -第1回 深大寺文化フォーラム-
       『無辜なる海』 上映会
     &佐藤真助監督と語る夕べ!

社長の決済は簡単だった。 「いいよ。やればいい。でも金はない」

フィルム・機材持ち込みで佐藤さんに払った謝礼は、足代も込みで、
……たしか2~3万円程度だったと思う。
それでもおそるおそる会社に稟議を上げたのを憶えている。

手描きのチラシを作って、敷地内に併設したお店に置き、近隣にまいたりした。

来場者は -10数人だった。
(お茶とお茶菓子までつけたのに…)

それでも佐藤さんは映画を回してくれ、上映後も撮影秘話などを語ってくれた。
「水俣病は終わってないんです」……参加者と親密な懇親会となった。

それ以来、佐藤さんと何度か電話で話すことはあったが、
会うことはついになかった。

風の噂で、ふたたび阿賀に入ってカメラを回していると聞いてはいたが、
2004年に完成した 『阿賀の記憶』 は、まだ観ていない。

惜別の記事によれば、
「仕事場には、本や映画の批評や著書の構想などを記した膨大なメモが残されていた」
という。
「戦後日本を問いたい」 とも話していたそうだ。

切ない…

彼はずっとあれからも、食えないドキュメンタリーの世界で、
原点にこだわり、たたかい続けていたのだ。

僕の企画書-「深大寺文化フォーラム」は、たったの2回で終わっている。

ほんの一時(いっとき)とはいえ、心を通わせた同世代の者として、
このままでは終われない。

ご冥福を祈りつつ-

2007年09月27日

食物アレルギーの仕組みを学ぶ

昨日、大地の社内研修・勉強会を実施した。
テーマは、食物アレルギー。

研修の対象は、会員からの質問や意見・クレームなどに日々対応している会員相談グループ
だったのだが、入会のサポートをする部署や商品開発の担当者も手を挙げて、
16名の社員が参加してくれた。

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講師は、NPO法人アトピッ子地球の子ネットワークの赤城智美さん。
ご自身も子どもの頃からアレルギーに悩みつつ、大人になった方。

大地は特別に食物アレルギー対策を目的としてきた団体ではない。
‘食の安全性’にこだわり、農薬や食品添加物などの化学物質に頼らない食べものを
生産者やメーカーと提携して、消費者に届けることを、ただひたすらに目指してきた。

しかし、であるがゆえにというべきか、
食物アレルギーは、すでに私たちにとって対岸の問題ではなくなっていて、
現実に食材選びに苦労される方々が多く入会されている。

農薬や添加物を極力排除した安全へのこだわりと、
原材料のトレースの精度が、それなりに信頼されてのことかと自負するところだが、
であるがゆえに、情報の確かさと質問等への対応はおろそかであってはならない。

正確で落ち着いた対応ができるためには、ただしい知識を持つ必要がある。
ということで、今回の研修会を企画したわけだが、
学ぶ上での基本認識を、次のように整理してみた。

食物アレルギーは、今日の食べ物の生産のありようや、
食をめぐる環境(自然環境だけでなく、グローバリズムによる流通環境なども含めて)
から鑑みても、いまや特殊な人に発生する特別な現象なのではなく、
だれにでも・どこででも起きうる、フツーのこととして捉える視点が必要である。

とはいえアレルギーの原因物質や症状の度合いなどは、その人固有のものであり、
対応は一律のマニュアルで片づけられるものではない。
だからこそ、その因果関係や仕組みを知っておかなければならない。
アレルギーを持ちながら、安心して暮らせる、そのためのサポート力を持たないか。
‘病い’ ではなく ‘その人の個性’ として受け止め、付き合える力を。

この呼びかけに、会員からの質問や意見への対応に追われている職員だけでなく、
入会問い合わせに対応する職員や、商品開発を担当する職員も
積極的に参加してくれたことが嬉しかった。

3時間にわたる研修は、
食物アレルギーについての基礎講座から始まり、
実際のリスク情報の正確な伝達ややり取りのポイント等のレクチャー、質疑応答。
これで目一杯となった。

講師の赤城さんは、初歩的な質問にも丁寧に答えてくれる。
時折ご自身の体験も交えられ、アレルギーをもつ方の心情なども伝わってくる。

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今回は、あくまでも入門編である。
これからもう少しレベルアップさせてゆくつもり。

大地の職員も、
相当に知識を持っている者から、とんでもない勘違いをしている者までいる。
まあ健康な若い男性には、アレルギーの本を読めといっても、実はなかなか……
しかし、全体のレベルを上げないと、組織としてはうまくいかない。

そして、もうひとつの眼目は、
大地に関わっている食品メーカーの方々にも同様な認識を持ってもらい、
管理能力の向上にこちらも貢献できるノウハウを身につけたいと思っているのである。

「特別な人のデリケートな質問やクレームに対応する能力を持つ」
ではなく、いやそこから始めてもよいが、
「アレルギーを持つ人が、安心して、落ち着いて暮らせる社会を育てる」
ために、できることをする、につなげていきたい。

これもまた大地の役割のような気がしている。

とりあえず一発目は、まずまずだったか。

2007年09月25日

『この地球(ほし)と生きる 大地百選』 てどう?

エコ系の新しい雑誌が、また創刊された。
『自然力マガジン WATER』 。
「新しいエコロジーライフの時代へ-」 と謳い文句が付されている。

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発行元は(株)地球丸。
釣り関係の書籍や、雑誌 『夢の丸太小屋に暮らす』 『天然生活』 など
アウトドアやエコ的ライフスタイル系(とでも括らせていただく)の出版物を
多く出している版元である。

ここでは雑誌の宣伝をしたいわけではなく(しちゃってるけど)、
実は、我らが敬愛する米の生産者・千葉孝志さん(宮城県大崎市/旧田尻町)が、
その創刊号の冒頭のコラムに登場したので、紹介したくなったわけ。

いや実は、単なる紹介では終わらなくて、
ここで新たな試みを始めてみたい、と思うのである。

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「国内初! ラムサール条約に登録された田んぼ」

宮城県蕪栗沼(かぶくりぬま)。
世界で初めて、沼周辺の田んぼまで含めて、
水鳥の生息のための 「大切な湿地」 として世界的に認められた場所。
千葉さんはそこで米を作っている。

農薬は撒かない。
渡り鳥のために、冬も田んぼに水を張る冬季湛水(とうきたんすい。「冬水田んぼ」とも言う)
を実践している。

千葉さんは有機JASの認証も取得しているが、
「有機」の規格に適合したからすごいのではない。

本当に田んぼが好きで、生き物が好きな人の田んぼに、生き物はやってくる。
その生き物たちによって、田んぼもまた豊かになる。

生命のつながりによって私たちは生かされている。
そのことをはからずも実証している米づくり、なのだ。

僕はこれが
法律で縛られてしまった「有機」の規格を超えるひとつの道筋である、
と思っている。

雑誌では、
「千葉さんの田んぼには、生き物の気配が満ちている」
なんて書かれている。

   「もともとは水鳥のためにやったことでしたが、冬でも水を張っていることによって
   イトミミズなどの生物も増え、生態系がゆたかになるんですね。鳥の糞も肥料に
   なりますし。すると田んぼの生産力が強くなるわけです。そのことに気がついて
   からは、安全な無農薬の米づくりに拍車がかかりましたね」
   
    畦道を歩くと、カエルが一斉に田んぼに飛び込んだ。チョウが鮮やかな稲の上
   を舞う。千葉さんの田んぼには、生き物の気配が満ちている。自然循環型農業
   のひとつのかたちがここにあるようだった。

『WATER』 に刺激され、思い切って出したいと思う。
僕が密かに温めていた、こんな企画。

『この地球(ほし)と生きる、大地百選』

ちょっとクサいけど、このブログの中で、勝手にやるならいいよね。

渡り鳥が静かに体を休め、餌もたっぷりと用意してくれている田んぼ。
その鳥たちを優しく見つめ、彼らのためにビオトープを設ける。
いっぽうで餌となる虫たちも慈しみながら、米を作っている。
千葉さんの田んぼにやってくる渡り鳥は、
この地球(ガイア)の、かそけき生命連鎖の伝達者である。

僕は千葉さんが作った米と連帯したい。
ということで、
私が勝手に選ぶ 『この地球(ほし)と生きる、大地百選』 -登録第1号とする。
お許しいただきたい。


それにしても、
こんなに似たような雑誌がいっぱい出てきて、いいのか?
アウトサイダーとか反体制とか言われながら日陰者のように生きてきた者としては、
キレイなエコ雑誌乱立の現象は、バブルのようにも見えて少々気になるところである。

ま、時代の波でもあるだろうし、新たな層が掘り起こされることもある。
どちらでもいい。本物が残る、という覚悟でやりましょう。


<追伸-会員の方へ->
来週か再来週に配られる『だいちマガジン』10月号で、
千葉さんと蕪栗の田んぼを訪ねるツアーの案内があります。
日程は、11月23-24日。
田んぼや沼で憩う鳥の数のすごさは圧巻です。生命の賑わいを実感できるツアー。
たくさんの人の参加を待ってます。

≪注--雑誌『WATER』には大地宅配の広告も出稿もしているので、
 多少宣伝したい気持ちであることも、告白しておきます。
 個人的には、アラスカの自然や生物を撮り続けた写真家・故星野道夫の記事は、
 もっとページを割いて特集してほしかった。全体的にやや中途半端な感あり。≫

2007年09月21日

九代目 弥右衛門 襲名

9月20日(木)
東京は明治記念館-「鳳凰の間」にて、
「九代目弥右衛門襲名を祝う会」が開かれる。

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べつにヤクザの世界の話ではない。
大地のオリジナル純米酒 『種蒔人』 の醸造元である大和川酒造店
代表の佐藤芳伸氏が、
代々当主が継いできた 「弥右衛門」(やえもん)の名を正式に襲名し、
そのお祝いの会が催されたのだ。

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大和川酒造店。寛政2(1790)年創業。
以来217年、会津は蔵の街・喜多方にて、連綿と酒林を掲げてきた。
大和川の名は、奈良・斑鳩を流れる川の名に由来する。
江戸も後期に入った頃、大和から会津に移り、酒造りを興したのが初代・佐藤弥右衛門さん
というわけで、佐藤家当主は以後ずっと 「弥右衛門」 の名を守ってきた。

先代の弥右衛門さんが亡くなられたのが一昨年。
それ以前より芳伸さんが社長として経営を任されてはいたが、
いよいよ晴れて九代目襲名と相成った次第。
もちろん戸籍上での正式改名である。

幼名・芳伸ちゃん(同世代の友人はこう呼ぶ) 改め九代目弥右衛門氏は、
すでに6月に北宮諏方神社にて襲名の報告を済ませ、
地元での盛大な襲名披露宴が開かれたのだが、
東京の友人やファンが黙っておらず、今回の東京での「祝う会」開催となった。

列席者は80名ほど。
清酒業界関係者に加えて、メディア関係者、カメラマンにピアニスト、大学教授など、
多彩な顔ぶれは、佐藤氏の活動領域の広さを物語っている。

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ちょっと緊張の面持ちで挨拶する九代目弥右衛門さんである。

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弥右衛門襲名には、芳伸さんも相当の決意がいったのだとういう。
歴代の弥右衛門がそれぞれに果たしてきた功績が重かったのだ。

伝家のカスモチ原酒「弥右衛門酒」など数々の銘酒を生み出し、
積極的に文人墨客を招いては喜多方の文化を発展させてきた歴史が
「弥右衛門」 の名に刻み込まれている。

先代はと言えば、
喜多方の町並み保存に傾注し、蔵の街・喜多方を全国に発信した功労者である。

でも芳伸ちゃんだって、すでに相当の実績である。
地元会津の米にこだわり、熱塩加納村での有機農業の発展を陰で支え、
世に出した純米吟醸酒の数々。
古い蔵を改造した 「北方風土館」 では、著名な芸術家の個展やコンサートなどが開かれ、
喜多方を文化・芸術の香り高い街に育てている。
古い蔵や町並みを守る活動の先頭に立ちながら、
最新の技術を導入した新しい蔵では、酒造りを体験させる門戸を市民に開放している。
自らの手で日本酒ファンを育てているのだ。

昨今は海外へも意欲的に出かける。
「良い日本酒は、どんな料理にも合う」 が彼の信念である。
実際に、海外での日本酒評価は確実に上がっている。

思い起こせば1993年、大冷害の年。
須賀川の稲田稲作研究会・伊藤俊彦さんと初めて訪問した時、
当時専務だった芳伸氏は、すでにこちらの意図を正確に捉えていて、
たった1回、ものの1時間程度の商談でコンセプトが出来上がった。

そして翌年の冬、できあがったのが、
大地のオリジナル純米酒第1号 『夢醸』(むじょう) だった。

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日本の米を守りたいという強い思いと、俺たちの夢を、醸してゆこう。
飲む人の夢もまた、じっくりと熟成されていきますよう。

こんな思いで名づけられた 『夢醸』 は、
21世紀に入り、『種蒔人』 と改名された。

明日を信じて、未来への種を蒔き続けよう。

2002年には、稲田稲作研究会と大和川酒造店、大地の3者で
『種蒔人基金』 を設立。

この酒で、水(系)を守り、米(田)を守り、森を守る、具体的な行動を起こそう。

今年やったことは、飯豊山の山小屋掃除に種蒔山への道普請、
そして棚田の水路補修ボランティア。

実にささやかではあるけど、我々にできる具体的な水系保全の一歩であり、
酒飲みとしての 「弥右衛門」さんへの恩返しである。

専門委員会 「米プロジェクト21」 メンバーで、弥右衛門さんを囲んで一枚。

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我々も 「弥右衛門」 の歴史につながっている。
この重みを忘れることなく、
「種蒔人」 が九代目弥右衛門の功績に花を添えるものになるよう、
大事に育てていかなければならない。

2007年09月18日

磯辺行久と男鹿和雄と-『明日の神話』(続)

岡本太郎作 『明日の神話』

高さ5.5m、全長30mの巨大壁画。
この絵のコーナーだけは写真撮影が許可されている。

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この壁画は1969年、メキシコで制作された。
翌年開催される大阪万博のモニュメント 『太陽の搭』 制作と同時並行して作られたという
天才・タロー力技の作品である。

メキシコ・オリンピック景気をあて込んで建設されていたホテルの
ロビーに飾られる予定だったが、ホテルは建つことはなく、
絵は各地を転々とするうちに、ついに行方不明となってしまった “幻の大作” 。

発見されたのは、34年を経た2003年9月。
メキシコシティ郊外の資材置き場で、崩壊寸前の姿で眠っていた。
再会を実現させたのは、行方を捜し続けた太郎のパートナー岡本敏子さんの執念である。

敏子さんは、その後1年がかりの交渉で壁画を入手し、直後、急逝する。

再生を託されたプロジェクト・チームによる修復作業が始まる。

そして昨年6月、 『明日の神話』 は見事に蘇った。

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原爆が炸裂した瞬間。
きのこ雲の増殖。 燃え上がる骸骨。 逃げまどう無辜の生きものたち・・・・・

壁画の再生を信じて逝った敏子さんは、語っている。

   これはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。
   燃え上がる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。
   巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。
  
   外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。
   画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。
   あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、
   それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃え上がる。

   その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。
   残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに 『明日の神話』 が生まれるのだ。
   岡本太郎はそう信じた。

   21世紀は行方の見えない不安定な時代だ。
   テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、
   地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。
   こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。

   負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。

                            <昨年の初公開でのパンフレットから>

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完成して37年、太郎没後10年を経て、蘇った壁画は、
この 「時代」 への、太郎と敏子の “執念のメッセージ” そのもののようだ。

負けないぞ!
僕にとっては一年ぶりの再会。もういちど炎をもらう。


男鹿和雄展は観れなかったけれど、満足とする。

それにしても、ひしめき合う行列に、男鹿和雄 (とジブリ) の力を思う。
トトロの森に誘われて集まる人、人、人。
この半世紀の間に、私たちが捨て去ってきた世界が、実に大切なものであったことを、
我々に思い知らせている。
「男鹿和雄展」入場者は、この日で20万人を突破したそうだ。

時間を超え、空間を超えて迫る、3人の巨匠が、ゲージュツの力を教えてくれた一日。


さて、深川めしでも食べて帰るとしようか。
深川江戸資料館のある資料館通りでは、「かかしコンクール」 開催中。

いまふうのかかし。
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カゴの中のお札は、盗まれそうで心配です。


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これじゃ、かえって鳥の巣になるんじゃない?

通りもけっこう楽しめる。

しかし・・・・・もう午後3時近いのに、
資料館通りにある深川めし屋さんもまた、行列だらけ。

あきらめて帰る。
やけにクソ暑い、9月中旬の日曜日でした。

2007年09月17日

磯辺行久と男鹿和雄と-『明日の神話』

9月16日。
9月に入って初めて得た休日。しかも連休。
ずっと行きたいと思っていた場所に向かう。
江東区・深川にある東京都現代美術館。

会員の方にはしばらく前にチラシを配布させていただいた、
トトロの森を描いた人-ジブリの絵職人 『男鹿和雄』 の絵画展が開かれている。

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でもお目当てはこれだけではない。
同時開催されている 『磯辺行久展』 に加えて、
岡本太郎の幻の大作壁画-『明日の神話』 が観れる。

休日の男鹿和雄展は2時間待ち、という情報は入っていたが、
「今日しかない!」と決意して出かける。

地下鉄・清澄白河駅を出て、資料館通りから三ツ目通りへ。
人が多い。この流れは・・・どうやら目的地は同じようだ。
美術館に入る前に、行列が見える。 すでに「こら、あかん」の心境。

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ひと目見ただけで、へたる。

あっさりとあきらめて、長蛇の列を横目に「磯辺行久」展に。
こちらは落ち着いて観れる。

磯辺行久-美術家にして環境計画家、72歳。
青年時代の作品から最近作まで半世紀の作品が展示されている。

正直言って、前半期の前衛芸術は私の感性では理解不能。
「50年代の抽象と、日常的なイメージをコラージュする60年代のポップアートをつなぐ作家」
(チラシより)とか言われても、私にはその基礎知識もない。

ワッペンのようなものを並べたレリーフは、「意味分かんないよぉ」。
意味を考えること自体がすでに失格なのだろうが、とにかくお手上げ。

でも、初期の油彩や版画の数点と、昔の箪笥を使った作品は、何とな~く、気にいる。
この骨董品の引き出しを開けて、飛び出してくるものを、子供のように想像したりする。
200年くらいの時間の間隙が同居する感覚。
逆にここに潜ったら、僕は 「今にも」 江戸時代の子供たちと出会えるのかもしれない。
こんなふうに観ていいのかどうなのか、分からないけど。

磯辺は65年に渡米し、環境計画を学ぶ。
70年に製作された 『アース・デーのためのエア・ドーム』 が再現されている。
巨大なビニール・ドームの中に癒しの音楽が流れる、不思議な空間。
1970年、このさらに巨大版の中でコンサートや集会が開かれた。

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『EVERYDAY IS EARTHDAY 』(毎日がアース・デー)のポスターもこの人の作品。

2000年には「越後妻有アート・トリエンナーレ」なる芸術イベントにて、
『川はどこへいった』 という作品に挑戦する。

ダムで直線化する前の蛇行していた川の流れを、全長3.5kmにわたって、
田んぼの中に黄色い旗を立てて示す。

3年後の同イベントでは、
数万年前の信濃川が今よりも25m(だったか)高い位置に流れていたことを示す作品
『天空に浮かぶ信濃の航跡』 を製作。

これらは地元住民との協同で行なわれた。

しかしとても美術館に収まるものではない(というより、本物は 「その場」 でしか観れない)
ので、展示されているのは当時の写真と映像とデッサンである。
これはどうしても現場でないと感じ取れない。

しかし、芸術家なる人たちの空間的かつ時間的想像力の広さは、やっぱり違うのだ。
その地の地形全体を舞台にして、見る人の想像力を何万年も前の 「ここ」 に運ぶ力。

いつかこんなスケールで 「環境」 を表現してみたいものだ、と夢見る。
芸術作品を見る目はないけど、こういう刺激が嬉しい。


さて次は-『明日の神話』。
去年の7月に初公開された時は、汐留(日テレプラザ)で並ばされたが、
今日は、こちらも人は思ったより少なめ。

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《すみません。今日はここまで。続く》

2007年09月14日

『プロセス』 から 『ツチオーネ』 へ

大地を守る会の「大地宅配」。
会員向けの商品カタログ 『PROCESS』 の誌名が変更される。
今週が最後の 『PROCESS』 となった。

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『PROCESS』が発刊されたのは1989年7月。
何度ものリニュアルを重ねながら18年。
大地の成長とともに歩み、まさにそのプロセスを体現してきた情報誌だったと思う。

この誌名を社内に提案し、最初の編集・制作を担当したのは私である。
大地の姿勢や思想をそれなりに‘つかんだ’ネーミングだったと、今でも思っている。

  今の時代、カンペキに 「安全です」 と言い切れる食べものは存在しない。
  水も空気も循環している以上、どんなに頑張っても、どんな場所でも、
  100%汚染から免れていると保証できるものはない。

  だからこそ 「安全」 にこだわり、前に進み続ける。
  できていることとできていないことを認め、自覚し、
  今の到達点を正直に伝える。
  目の前の商品ライン・アップもまた理想に向かう 「過程」 (プロセス)である。
  その 「いま」 を伝えよう。

この姿勢は、今日言われるところの ‘トレーサビリティ’ や ‘情報公開’ の視点を
先取りしたものだったと自負するところだ。
たかが誌名であるが、我々の行動規範を示す言葉として、堂々と存在していたように思う。

これが『PROCESS』の創刊号。

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それまでバラバラに作られていた農産物情報や水産物情報、会員との交流紙などを
一本にまとめ、統一感をもたせるとともに柔軟な編集を可能にさせたい。
そんな意気込みで新しい媒体づくりに挑戦したものだった。

A4サイズ・16ページ・モノクロからのスタートだった。
それがいつの間にか、タブロイド版で28ページ・カラー印刷ものになっている。
ここまできたんだ、と改めて感慨深いものがある。

しかし印刷物のタイトルというものは、時代の変遷の中でいつかは寿命がくる。
これは仕方のないことだ。
変化の激しい大地の中で、よくぞ持った18年である。私は素直に誇りたい。


さて、来週からの誌名は、『Tsucione (ツチオーネ)』。

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正直、驚いた。大胆なセンスだ。
ツチオーネ・・「土大根(つちおおね)」。古事記に記された大根のことらしい。

大地を守る会設立時のメッセージ
 「農薬をこわい、こわいと百万遍叫ぶよりも、安心して食べられる大根一本を、つくり、食べよう」
この原点を忘れないという気持ちも込められている。

「プロセス」はその精神ゆえに、進化を求める。
前に進むためには、何かを変え続けなければならない。
しかし変化の中でも、変わらない精神を確認し続けることも大切なことだ。

大地年表に、新しい「ツチオーネ」時代が生まれた。
どんな時代を映し出すかは、我々次第である。
長く愛されることを願ってやまない。

2007年09月12日

大地の稲作体験・稲刈り編 -収穫の歓び

台風報告のあとに心苦しいけど-

9月9日(日)
今年の 『大地を守る会の稲作体験2007』 も収穫を迎える。
暑さ寒さを乗り越えて、台風にも負けず、稔ってくれた田んぼ。
ちょっと色が濃いのが気になるところだが・・・

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実りの秋!到来。
というわけで、今回も120人を越す参加者が集まり、鎌を持っての稲刈りに、いざ!

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今回は能書きよりも、写真で雰囲気を楽しんでいただきましょうか。

まずは技術指導。さんぶ野菜ネットワークの綿貫直樹さん。
若手のなかの、理論家の一人である。
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作業はどんどん進む。
鎌を持っての手刈りだが、怪我人は出ない。

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体験田の地主であり師匠でもある佐藤秀雄さん。
密かに「さんぶのゴローちゃん」(TVドラマ「北の国から」の田中邦衛に似てる?)と呼ばれる。
バインダーを使っての稲刈りを実演してくれる。
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お父さんについて、子どもも頑張る。
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頑張る。
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「子どもが何だか成長してたくましくなったような気がする」
そんな感想が聞かれる。嬉しい瞬間である。


ぼくらの稲! イェーイ!
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どんな年でも、この田んぼは倒れたことがない。
93年の大冷害の年も、フツーに実った田んぼである。
今年も収穫、終了!

楽しいけど、意外とキツイのが稲刈りである。
ひと仕事終え、充実感あり。
カンパーイ!
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生き物ハカセ・陶(すえ)先生の、最後の「田んぼの生き物」授業。
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今年も新たに13種の生き物が確認され、リストに追加された。
その中には希少種・ヤマサナエも含まれる。
これで体験田で発見された生き物リストは133種となった。
生き物を育む田んぼの力を、感じてもらえただろうか。

今年は、田んぼの一角で古代米(赤米・黒米)も植えてみた。
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こちらも量は少ないけど、何とか収穫にこぎつける。


最後に全員で記念撮影。
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皆様、お疲れ様でした!

あとは脱穀-籾すり-精米-袋詰め、という作業を経て、参加者の元へお届け。
届いてからの感想が、実はけっこうドキドキなのである。
どうも僕らは、安全性や生き物の多様性という観点が強く、
味まで追求するプロの技術がまだない。これは認めざるを得ない。

ともあれ、今年もイベントとしては無事終了。

夜の生き物観察会(蛍見会)の実施や、
インターネットを使っての参加者間のコミュニティサイト(SNS)の試験など、
新しい試みにチャレンジしてくれた実行委員諸君。
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土日を返上してのボランティアの連続。お疲れ様。
だんだんオレの居場所(存在価値)がなくなりつつあるのが気になるところだけど、
来年もさらにレベルアップさせてくれたら、
苦節18年、この企画を続けてきた者として、こんな嬉しいことはないです。
目指せ20周年!かな。

2007年09月11日

台風9号(続報)

台風9号の影響については、8日に速報(?)的に書いたが、
月曜日になって、産地担当が各地の被害状況をまとめてくる。

長野から北海道まで、
稲(米)は大丈夫なようだが、
やはり野菜と果物に色々な被害が出ている。

ピーマンやオクラが倒れたり、ハウスが破れたり、レタスやキャベツは風雨に叩かれ、
人参などあちこちで畑が水に埋まったところもある。
果物も、りんご・梨・ぶどうなどで落果の報告。特に洋ナシがひどい。

いずれも、これからの病気の発生や傷痕などの品質が心配される。

前にも書いたけど、果樹など年一作の作物は、
一年の先行投資分を収穫で取り戻さなければならない。
「梨が1トンほど落果」
「樹に残っていた早生りんごの半分が出荷不能」
「ラ・フランスのひどいところは70%の収穫減」
・・・・・といった報告を聞くのは実にせつないものがある。

それでも生産者はおしなべて
「それほどでもない」 とか 「意外と(被害は)少なかった」 と言う。
力強いものだと思う。

しかし実際は ‘それほどでもなくはなかった’ という現実も運ばれてくる。
流通の悩みはこれからである。

会員の方々には、来週、被害状況をまとめた号外が配布されます。
ぜひご確認いただき、届いたりんごやレタスに 「よう頑張った」 のひと声でも
かけていただけたら、嬉しいです。

2007年09月08日

台風9号

関東を席巻し、昨夜のうちに東北を縦断した台風9号。
今週の頭から進路が心配され、
有機農業推進室・古谷はこまめに各地の予報を生産者に送っていたが、
案の定、かなりヤバいコースをたどってくれた。

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なんなんだぁ! という進路である。

今日は土曜日なので、農産チーム・産地担当諸兄は顔を出してないが、
おそらくそれぞれに産地と連絡取り合っていることだろう。
とはいえ、こちらもやはり気になるものは気になる。
何軒か連絡を入れてみる。

福島-稲田稲作研究会・伊藤俊彦さん。
「稲はまったく被害なし。 ど真ん中でぶつかってきてくれたんで、風もそんなでもなかった。
 でも、露地野菜の人たちは少しやられたかもしれないなぁ。」
悪運強し!

山形-おきたま興農舎・小林亮さん。
「りんごは直撃を予想して、収穫できるところは急がせて、対策とってたんだ。
 中生、晩生のりんごは落ちたところもあっけども、“ガックリ”というほどではない。
 風の直撃を食らったラ・フランスが8-9割の減。大玉が落ちたので、ショックは大きい。
 稲は倒れたところもあるが、さほどでもない。オラの田んぼは丈夫だから。」
例によって、倒れても死なねえ (死ねない?)、って感じ。

宮城-蕪栗米生産組合・千葉孝志さん。
「農を変えたい」の集会に出かけて留守。 盛岡までお出かけって、肝が据わってるね。
電話に出られたお嫁さんの話。
「心配してたほどではなかったですね。他所では倒れた田んぼも多少あるようですけど」
と明るい声。

秋田-ライスロッヂ大潟・黒瀬正さん。
「おお、まいど。台風の目ぇが通ったんかな。おかげさんで、被害ゼロ!
 不思議なくらい、ゼロ! ほな、11月3日のブナ植え、待ってますよぉ。」

青森-新農業研究会・一戸寿昭さん。
「こっちもど真ん中だったんで、場所によってりんごが落ちてるけども、被害は少ないほう。
 稲は大丈夫。 まあ、想定範囲内。 こちとら根性あるから。」

どうやら、台風の進路を見ながら連絡したせいか、どこも力強い。
いや、連絡した相手が悪かったか。 これだけでは安心できない。
まあ、月曜日。
産地担当がまとめてくる報告を待ちたい。

明日は、大地の稲作体験田(千葉・山武)の稲刈りである。
こちらのほうは昨日のうちに、
さんぶ野菜ネットワーク事務局の花見くんが写真を送ってくれた。

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「周りはけっこう倒れていますが、大地の体験田はしっかりしています。
 会員さんの心が通じたのでしょう。」 -なかなかお上手。

花見君はすぐに様子を見て回ったようだが、野菜は ‘そこそこ’ やられているとのこと。
生産者の ‘そこそこ’ とか ‘さほど’ とかいうのは、
‘持ち直せる範囲’ から ‘立ち直れないほどではない’ くらいの幅があって、
喜んでいいのか、深刻に受け止めるべきか、実に微妙である。

先発隊はすでに現地に入り、明日の準備に入ってくれている。
私は、今日仕事してから夜に入る後発隊と一緒に向かう。

明日は台風の話などしながら、申し訳ないけど、収穫を祝わせてください。

2007年09月07日

GMO(遺伝子組み換え作物)-もうひとつの視点

GMOに関するひとつのレポートをキャッチした。
つくばにある独立行政法人・農業環境技術研究所発行の
定期情報 「農業と環境」(№89/07年9月号) から。

独自の試験研究の発表ではなく、海外の研究発表に対する短い評論だが、
以前から ‘こういう視点からの批評は出ないものか’ と思っていた、
その観点からの論評なので、紹介しておきたい。

ひと言でいえば、遺伝子組み換え作物そのものの安全性とは別に、
その栽培体系からくる問題点があるのではないか、という疑問である。
専門家の指摘が欲しい、とずっと思っていたのだが、
浅学ゆえに、その手の論を見つけられずにいた。

以下、解説を含めながら要約すると-

1995年、
「Btトウモロコシの花粉でオオカバマダラ(蝶)の幼虫が死ぬ」
という記事が科学雑誌 Nature に掲載され、
その真偽や実験の正確さ、指摘されたリスクの評価などをめぐって、
推進派・反対派入り乱れて論争になった。
今でも反対派はこのデータを活用し、推進派は稚拙な実験で参考にはならない、とこき下ろす。

本論考でさらっと触れられているのは、こういうこと。

「そもそも、オオカバマダラの幼虫の餌となるトウワタは、
 トウモロコシ畑の周辺だけでなく広い範囲に分布している雑草」で、
現実的には 「畑や周辺では多くの蝶が農薬で死んでいたはず」 として、
害虫防除に携わる多くの応用昆虫研究者は
「なんでそんなに大騒ぎするのか?」 と冷静だった、と。

「Btトウモロコシの花粉より、除草剤耐性ダイズやトウモロコシの普及によって、
 畑内や周辺のトウワタが全部枯れるだろうから、
 そちらの方がオオカバマダラ集団にとって影響が大きいのではないか?」

同様の研究報告がフロリダ大学昆虫線虫学会からも出されているとのこと。

除草剤耐性作物の普及とは、すなわち「非選択性除草剤の使用頻度の増加」 である。

たとえば、除草剤・ラウンドアップを撒いても枯れない(除草剤耐性)大豆は、
ラウンドアップという除草剤とセットになることで存在価値が発揮される。
除草剤というのは通常、選択性(枯らす植物が特定されている)だが、
ラウンドアップは大豆以外の雑草をすべて(非選択的に)枯らす。
そのことで労働力の削減や生産性の向上が謳われるわけだが、
一方で、こういう現実が進んでいるのである。

「ダイズやセイヨウナタネでは、除草剤耐性作物の普及によって、広い面積規模で
 雑草管理(除草)の方法が変化したのは事実であり、
 「組み換え作物、善か悪か?」という視点ではなく、栽培管理体系の変化に伴う
 農耕地生態系における生物相の変化という観点からの報告が
 北米や南米から多数出てくることが期待される。」

ずいぶんと客観かつ冷静である。

つまり、
『非選択性除草剤の増加がもたらす、生物多様性への影響』
という視点での調査あるいは研究が未だに少ないことの問題が、
率直に、簡潔に指摘されているのである。

そうなんだよ。だから言ってんだよ! -と言いたくなった次第である。


ちなみに、
「遺伝子組み換えした作物は、従来の品種改良して開発された作物と安全性は同じ」
という論に使われる 『実質的同等性』 という言葉があるが、
この点に関しては、気鋭の分子生物学者である福岡伸一さん(青山学院大学教授)が、
その著書 『もう牛を食べても安心か』(文春新書) の中で、
専門家の立場から明確に述べられているので、ちょっと長いけど紹介しておきたい。

  よく聞かされる議論の一つに、遺伝子組み換えは品種改良と何ら変わりがない、
  というものがある。品種改良は人類がずっと昔から営んできた自然に対する技術であり、
  私たちはその恩恵に浴し、その安全性を確認している。だから遺伝子組み換えを危険視
  する理由は何もないのだ。むしろ、品種改良がやってきたまどろっこしい試行錯誤を、
  ずっと合目的的に、効率的に、いわばピンポイント的に成し遂げるのが遺伝子組み換え
  なのである。そういう言い分である。

  語るに落ちるとはまさにこのことである。ずっと合目的的、ずっと効果的に行なうがゆえ
  に、その反作用の行方をじっくり見極めなければならないのだ。
  品種改良は、そのまどろっこしさゆえに時間による試練と選抜を潜り抜けているのだ。
  優れた品種を掛け合わせても、意図したような相乗効果がただちにもたらされないのは、
  生命系の持つ様々な要素の相互作用と平衡の落ち着き先が、そのような場所、つまり
  人類にとって都合のよい場所には成立しないということを示している。
  ~(中略)~ 遺伝子組み換え操作の評価を、実質的同等性に求めることは、この陥穽
  に足をとられるということなのだ。

これ以上の説明はいらないかと思う。
GMOには、「慎重に考えるべきこと(組み換え技術の普及に対して)」 と
「今進んでいる危機(生態系への影響)」 が表裏として存在しているのだが、
どうも前者にかかわる試験研究に対する科学論争のみの土俵に、
反対派も陥っているフシがある。

研究所のレポートは、後段でまた別の問題点を提示しているのだが、
それはまたの機会にしたい。
私自身のGMOへの論点も、まだ他にあるので。

2007年09月04日

飯豊山に登る

福島・山形・新潟三県の県境に聳える霊峰・飯豊(いいで)山。
標高2105m。

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                         (一番奥の山が飯豊山。手前の切合小屋から望む)


2年前より年に一度登るようになって、
先週の土日(9/1~2)、3回目の飯豊山行を決行。
月曜日の朝、会津・喜多方から帰ってきた。
(朝9時からの会議に間に合わず、バツの悪い一日)

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飯豊山の南・三国岳から北が山形県。西が新潟県。
しかし三国岳から飯豊山~御西岳にいたる登山道は福島県という、
なにやら曰くありげな県境設定。
 (飯豊山頂上の神社が福島県に入るということで、こうなっている)

この山に登るのは、ワケがある。

私が所属する大地を守る会の専門委員会「米プロジェクト21」
で企画開発した日本酒 『種蒔人』(たねまきびと) というのがあって、
この酒の原料となる仕込水の、大本の源が飯豊山なのだ。

懐深い山系が豊かな水を育んでいる。

大地オリジナル日本酒 『種蒔人』(純米大吟醸) の醸造は、
喜多方市の大和川酒造店さんにお願いしている。
93年の大冷害の年にスタートした、私にとっては ‘思い入れの深い’ 酒である。

毎年2月には、「種蒔人」新酒完成を祝って 『大和川交流会』 という集いが催されている。
日本酒好きには堪えられない、至福の時間が用意されている。
数年前のその席で、私は宣言してしまったのだ。

「この酒を企画した者の仁義として、俺は飯豊山に登る!」

絶えることなく水を湛える飯豊山に、感謝の気持ちを捧げたい、と-。

「おぅ、よう言った」
と応えたのが、大和川酒造・佐藤和典工場長。
東京農大醸造学科卒、というより山岳部で鍛えた山男であった。
飯豊山は幼少の頃から先代(親父)に連れられて登った、庭のようなもの。

私は約束を果たさなければならなくなった。

仕事のせいにしながら逃げること数年。
「行かねばならない」と覚悟したのが2年前。
それ以来、ついに恒例となってしまった。

そして3回目の今年。だんだんと、ただの登山ではなくなってきた。

飯豊山と三国岳の間に、「種蒔山」という山がある。 標高1791m。
登山道から少しずれてしまっているために、
三角点(頂上)が藪の中にすっかり埋まってしまっている。
登山者にとって今ここは、ひとつの通過ポイント・道標でしかない。

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この山の名にも由来がある-と工場長は語る。
飯豊山を仰ぎ見ながら暮らしてきた人々にとって、種蒔山は意味のある山なのだ。

そんなわけで、今年は、その埋まってしまった道を復活させる
道普請をやろうということになった。

大地でつくった酒が「種蒔人」。 いやあ、いい名前だぁ。
「種蒔人基金」(※)もつくられて、
そんでもって 「種蒔山」の復活とくりゃあ、エビさんは当然つき合うよね。

まるで脅しである。
行くしかないだろう。やるしかないだろう。引くわけにはいかない。
「いいよぉ。行きましょう。やりましょう」 (やけくそ気味)

「種蒔人」を持って、いざ「種蒔山」へ!

飯豊山への感謝と、きれいな水を守りたいという思いで始めた登山である。
「種蒔人」というお酒が、何かを動かしたとしたら、こんな嬉しいことはない。

種蒔山へのルート再興に加え、
もうひとつやったことが、山小屋周辺のごみ掃除。

私も少しは山に恩返しができたかな、と思った。

しかし、キツい山である。
去年よりさらになまくらになってしまったようで、今年は登りから膝にきた。
かなりへばって、写真は
一眼レフに交換レンズまで背負ってきた健脚のSさんにお任せしてしまった。
ブロガー失格。

到着次第、正式の登攀レポートとしたい。
バテバテ、体パンパンで、つらい今週ということもあり…


※「種蒔人基金」とは……原料米生産者である稲田稲作研究会(福島県須賀川市)と、蔵元・大和川酒造店、販売者である(株)大地の3者が共同で、「種蒔人」一本につき100円を積み立て、水(水系)や米(田んぼ)を守るために役立てよう、という趣旨で2002年から開始。
「この酒が飲まれるたびに、森が守られ、水が守られ、田が守られ、人が育つ」 というコンセプトで、飯豊山の環境整備や、麓の棚田の水路補修作業へのボランティア等の取り組みが進み始めている。

2007年09月03日

「日照りに不作なし」 というけれど

夏の太平洋高気圧から、秋雨前線の到来へ。
季節は一気に秋に向かい始めましたね。
とはいえ、まだ残暑のぶり返しもあるようですので、
皆様、体調にはくれぐれもお気をつけください。

≪……と8月30日に書き出しながら、予定外の業務が入り、
 また31日には午後から福島に向かったもので、書き上げられず、
 9月に入ってしまいました。でもせっかくなので、続けます。≫

今年の8月は、観測史上「最も暑い夏」となったようです。
全国101の地点で最高気温が更新され、
東京での8月平均気温は29.0度。平年より2度近く高い、2番目の記録とのこと。

記録的な酷暑は、同時に「少雨の夏」でもありました。
都心の降水量は平年の5%(8.5mm)、千葉・館山ではわずか1mm(平年の0.8%)
といった数字が報道されています。


さて、お米の世界ではよく 「日照りに不作なし」 とか言われます。
干ばつ気味くらいの方が米はよくとれる、という意味です。
たしかに、7月の台風や日照不足にやられた九州をのぞき、
各地の米どころからは、「8月の暑さで持ち直した」 といった声が聞かれました。
まさに 「日照りに不作なし」 の年のようです。

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でもこの言葉は昔からあったものではありません。

「日照りに不作なし」と言われるようになったのは、
実は明治時代中期以降のようです。
明治政府が莫大な資金を投入して強力に生産基盤を整えた結果、
水利がよくなったから。
言い換えれば、日照りでも水を確保できる田んぼでの話、ということになります。

熱帯地方が原産の湿性作物である稲には、太陽の光と水が必要です。
(あらゆる生物に言えることではありますが-)
稲こそ高温多湿のアジア・モンスーン地帯が生んだ最高傑作だと思ってますが、
今の日本型の稲は、緯度の高さに適合させてきたものになっています。

稲の収穫量は、穂が出て花が咲いてから約40日間(登熟期)の日射量に比例します。
日射量が多いほど多収になるわけですが、
日本型での登熟期の平均気温は22~24度あたりが理想と言われています。

そこで開花日の最高気温が33~34度を超すと実のつき(稔実)具合が悪くなり、
35度以上になると急激に低下します。
冷害で起きる低温不稔と同じように、異常な高温でも不稔は発生するんですね。

また登熟期で高温が続くと、呼吸が活発になりすぎて、
モミ内のデン粉のつまりが悪くなり、減収や品質の低下につながります。

今年はこの登熟期、特にお盆以降にまで異常な暑さがかぶったわけです。
日射量(つまり日照り・乾期)は欲しいが、あまり高温でない方がいい。
特に昼夜の気温差がある方がいい。

平野部ではなかなかそう都合よくはいきませんが、
そこには長年の経験で作り上げてきた技術があります。
高温障害への対策に、水が使われるのです。

水田の水もただ貯めてあるだけでは、暑い日にはお風呂のようになってしまうので
(そうなると今度は 「高水温障害」 が出る)、
冷たい水を ‘流す’ 、つまり水を引いては出す 「連続潅漑」 という方法をとります。
この夏、各地で出された高温障害への注意報でもこの言葉を何度か耳にしました。

水が豊富にある。しかもただ降って流れるのでなく、
しっかりと確保する装置と高い生産技術が、
私たちの食糧 (と環境も) を支えてくれています。

以前(7月10付「日本列島の血脈」)にも書きましたが、
数千年の時間をかけて築いてきた水路網の恩恵にも思いをはせつつ-

よい実りの秋であってほしいですね。


<追伸>
ちなみに7月10日の日記では、肝心の水路の総距離数を書いてませんでした。
約40万kmです。これは地球10週分に相当します。
それだけの水路網がこの列島に張り巡らされ、食糧生産を支えている、
ということになります。
会員の方には、今週配布の「だいちMAGAZINE」9月号もご参照頂けると嬉しいです。