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2007年10月31日

米国・コーン視察レポート(2)-カーギル本社から(続)

≪昨日から続く≫
コーンの需給は楽観できない。
アメリカが大豊作なので持っているが、
世界全体でのコーンのストック(期末在庫)率は13%あたりで、
じわじわと下降線を辿っている。
一か月分の需要量に相当する10%を切ると危険域に入るとMr.クリスは言う。

需給と価格の関係は、1%足りなくなれば1%価格が上がるというものではない。
1%の緊張感は、モノと状況・条件によっては10%単位レベルでの価格変動を生む。
私自身、1993年のコメ・パニックは忘れられない記憶としてあるところだ。

もうひとつ当たり前のこととして、
熱帯(亜熱帯も能力的には含む)のコメを除いて、
基本的に穀物は年1作の収穫で一年分を賄う作物であることを忘れてはならない。
不作の年は、必ずある。


さて、カーギル本社での説明と個人的感想をこうして並べていくよりも、
むしろ現場の絵をお見せしながら、解説を挟んでいった方が分かりやすいかもしれない。

大事なN(ノン)-GMの「センチュリーコーン」についての要点を頭に入れてもらった上で、
現場に向かうことにしましょうか。

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建物の中から風景を眺めるだけでなく、広大なコーンベルトに。

我々の今回の目的であるN‐GMセンチュリーコーンについては、
とりあえず以下のようにポイントを整理しておきたい。

1.飼料用トウモロコシである 「センチュリーコーン」 は単一の品種ではなく、
  N-GM品種のラインアップ、つまりブランドのようなものである。

2.それはカーギルの製品ではなく、ある種苗会社が持っている。

3.アメリカ中西部-コーンベルト地帯において、猛烈な勢いで増えているGM品種は、
  種会社・モンサント社の戦略によるところが大きい。
  モンサント社は、来年には飼料用コーンをすべてGM品種に統一する方針だという。

4.カーギルは穀物を動かす商社であって、種屋ではない。
  かつて保有していた種会社もすでに放棄している。
  それだけ『種』とはリスクの大きい事業なのだ。
  モンサントは優良な種苗会社を買収しながら大きくなっている、というのが実態。

5.そんな中で 「センチュリーコーン」 は、カーギル社内では、
  スペシャリティ・プログラム、つまり特別な戦略のもとに位置づけられていて、
  その維持と安定を、彼らは模索している。
  「センチュリーコーン」の種会社との交渉も、粘り強く続けているらしい。

カーギルの強みはただ強力な世界情報網と市場戦略だけでなく、
意外と(失礼) 「農家との関係を大切にする」スピリッツを自慢とする、
そんな企業風土がまだ残っていて、
市場レートで大事な傘下の農民が損をしないような調整も欠かさない、と胸を張る。

「センチュリーコーンは、95%まで農家から直接カーギルが買い取ってます。
 だから誰がどこで作っているのかが、ほとんど把握できている。」

というのが、カーギルジャパン・堀江氏の説明である。
だからN-GMの生産者も一人一人案内できるし、
N-GM生産者の情報交換を密にするための情報誌まで発行している。

しかし、とはいえ、である。
先に見たコーンの市場動向の中で、
センチュリーコーンの維持は極めて困難になってきており、
日本のN-GM需要に対応できるかは、
金銭的インセンティブ(経費保証という意味でのプレミアム)の明確な提示も含めて、
「覚悟のいる」(堀江氏の弁)局面にきているのである。

我々はそんな渦中に連れてこられたのである。
ご理解いただけるだろうか。

日本人の、ノンGMに対する決意を農民に示してほしい。

日本に需要があるなら、ではなく、立場は逆である。
日本国内でGM反対を唱えるのとは異なる、リアリティを持ったシグナルが必要、
というわけだ。


カーギル社は、まぎれもなくモンサントとタッグを組んでGM作物を広めている会社であるが、
一方で、そのリスク・ヘッジは冷静に判断されていて、
需要さえ確保できるなら (むしろそれを喚起してでも) 、
N-GMは確保しておくべき物資として担保しようとしている。

現場は実に具体的で、明確な意思表示を求め合う、たたかいの場であった。

それを感じたくて来たのではあるけれど、
今回は、恥ずかしながら、我々の方が励まされたところがある。

山脈の向こうの伏魔殿のような存在としてあった 「カーギル」 という名前だったが、
正直に吐露すれば、どんな企業も生身の人間で構成されている、という
言わずもがなの真理をここでも実感できた、という心境である。

たとえどんなに頑張っても及ばない力関係が存在しようとも、
批判は批判としてたたかう気持ちはある。
しかし実際に現地で、ノンGMの種を維持しようとしている‘彼ら’ がいて、
こちらもその ‘人’ の存在に頼らざるをえない関係を目の当たりにすれば、
問題は、敵ではなく、自分自身の具体的な決意であることを、改めて知らされるのであった。

そんな心持ちで、シャトーを後にする。
心境は心境として置いといて、もちろん記念撮影は欠かさず-

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(左から2番目がエビです)

2007年10月30日

米国・コーン視察レポート(1)-カーギル本社から

さてと、時差ボケも何とか落ち着いてきたところで、
アメリカでのトウモロコシ(以下、コーン)生産現場の視察報告とまいります。

日程は10月21日から26日の、5泊6日(うち一泊は機中泊)。
一行は、Non-GM(非遺伝子組み換え、以下N-GMと略す)の飼料用コーン・ブランドである
「センチュリーコーン」 を実際に使っている生産者2名を含む6名。
うち1名は「北浦シャモ」の生産者、下河辺昭二さん。
今回の視察は、実は下河辺さんからのお誘いだった。

出入国の手配から現地ガイドまで通してお世話になったのが、
カーギル・ジャパン穀物油脂本部の堀江さんと高橋さんのお二人。

では、まずはミネソタ州ミネアポリス郊外にあるカーギル本社訪問から。

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世界66カ国に販売組織を有し、従業員の数は15万8千人。
年商750億ドル(≒約9兆円。ちなみに07年は880億ドルを見込んでいる)は、
非上場企業では世界最大の売上高を誇る。
独自の人工衛星まで持って、世界の情勢分析を怠らない、
まさにアメリカの穀物戦略を担うメジャー中のメジャーである。

その本社は、日本でいえば軽井沢の別荘地のような、
しっとりと落ち着いた、紅葉も見ごろの森の中にあった。

別名 「シャトー」 とも呼ばれる、これが本社の外観。
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昔の大富豪から買い取ったものだという。
廊下の一角に、建物の模型が置かれている。
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邸宅を改造したものなので、間取りもそのまま残されている部分がある。
最近までここも事務所として皆が働いていたという部屋。
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すごいね。
この写真の時だけは、OKが出るのに一瞬の間があった。
たしかにこういうのは人に見せびらかすものではないし、
こちらもあんまり品のいい振る舞いではないように思う (でも撮っちゃう)。

広く取ってある受付玄関には、企業ポリシーが掲げられている。
日本語で、こうある。
「人々の食生活と健やかな暮らしをはぐくむ」

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さて、羨むような写真を並べても空しくなるばかりなので、次に進む。

我々は役員棟の会議室に案内され、
カーギル社の概況や、アメリカでのコーン生産の現状について説明を受ける。

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説明してくれたのは、
スペシャリティ・プログラム開発マネージャー、クリス・ラドウィッグ氏。
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様々なデータによって、
コーン価格の急騰やバイオエタノールの急激な増産状況などが示される。
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五大湖の南側を東から西へ、
オハイオ、インディアナ、イリノイ、アイオワ、ネブラスカといった各州に広がる
ベルト状の地域を、コーン・ベルト地帯と呼ぶ。

このコーン産地で、さらに急激にコーンの作付けが増大している。
06年の8000万エーカーから、07年は9300万エーカー(※)にまで増えた。

背景には、国策として進められているエタノール生産がある。
そこには政府や州からの補助金が落ちる。
コーンベルト地帯に重なって、どんどんエタノール工場が建設されている。

すでに国が予定した数字の倍近いエタノール生産量に達しているそうだ。
そして今年、ついにエタノール原料に回るコーン量が輸出量を上回った。
いま建設中のエタノール工場の半分が稼動すれば、
アメリカ国内で必要な飼料の量に匹敵する量が燃料用に回ることになる。

まさにレスター・ブラウンの言っていた
「ガソリンスタンドとスーパーマーケットが穀物を奪い合う」 様相である。

当然のことながら、コーン価格は激しく急騰しているわけだが、
それに拍車をかけているのが、アジアの巨大な胃袋-中国の輸入である。

コーン価格の高騰 (+エネルギー政策からの補助金) は、
コーン生産農家に支払われていた農業補助金を不要にさせるまでに至っており、
これでアメリカは、WTOの農業交渉でさらに優位に立つことになる。
「農業補助金の削減」を実現した国として、圧力はますます過激になるだろう。

この流れは、GMかN‐GMかに関係なく共通することだが、
現状ではGMとN‐GMの収量には差があって、生産者は今、
なだれを打ってGM品種への作付けに移行している (その辺は、あとで詳述)。

加えて、中国が輸入国に転じたことで、
中国からの輸出に依存していた韓国が買い付けにやってきた。
韓国は、N‐GM品種の確保では金をいとわず、高値で買い取っていっている。
ここでも日本が競り負けているわけだが、
作付けの減少+韓国の参入=需給の逼迫 ⇒N‐GM価格高騰
という図式があっという間に出来上がってしまった。

貿易の自由化推進論者は、外交と円の力で安い食料は安定的に手に入ると
豪語するが、果たして何を見て仰っているのだろう。
卵や鶏肉の餌というベーシックなところで敗北しつつあるのだが・・・。
おそらくは、そう言い切らないとご自身の論が成立しないからなのではないか。
しかも穀物を輸出できる国は限られているというのに。
この状況はまた、
「高品質の産物はアジアのお金持ちに売って、国内は安さで勝負する国」
と揶揄されつつある今の構造すら、危うくさせることになるだろう。

そしてもっと怖いのは、
急激な需要増を賄っているのは作付け面積の増加だけでなく、
ここ数年、アメリカのコーンが豊作で推移してきたことによる、ということだ。
しかも作付増は、大豆からの移行が大きい、ときている。
大豆の動きもまた、日本にとってはとても危険な話である。

けっして穀物は余ってはいない。

カーギルは、これら 「エタノール景気」の見込みや
需給の油断ならない状況を冷静に読んでいる。

すみません。終わりませんね。
今日は時間切れ。明日に続く、とさせてください。

(※)1エーカーは約4047㎡。
   数字を聞いて、下河辺さんは 「約4反か」 と換算した。僕もそれで覚えることができた。

2007年10月28日

三番瀬クリーンアップ

10/28(日)、ふなばし三番瀬海浜公園にて、秋の三番瀬クリーンアップ開催。

台風一過。爽やかな秋晴れ。
三番瀬から眺める富士山は、たしか富士山百景にも選ばれたポイントである。

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この大切な干潟をいつまでもきれいにしておこうと、
船橋市民やNGOなど大勢のボランティアが集まった。

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開会の挨拶をする実行委員長・大野一敏さん。
大地と共同で運営する『東京湾アオサ・プロジェクト』の代表でもあり、
昨年からは船橋漁協の組合長という要職も務める。
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温暖化が叫ばれる今日、海の力はとっても大切なんです。
どうぞ眺めてみてください。これが地球です。
自然の揺りかごを慈しみながら、きれいな三番瀬をいつまでも守りましょう。

いつもダンディな海の男である。

大地からは、アオサプロジェクトの副代表・吉田和生が挨拶に立ち、
アオサの役割と資源化について説明する。
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ただ今日は、昨日の強風によって流されたようで、アオサはほとんどなくなっている。
そこでアオサ回収は諦め、みんなと一緒に清掃作業・ゴミ拾いに合流することにする。
アオサで集まってくれた方々も快く協力してくれる。

一斉に清掃作業開始。
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ちっちゃな坊やもお手伝いです。ありがとう。
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さて、清掃作業のあとは、恒例となった「干潟の生き物観察会」。
講師は今回も、大地会員・陶(すえ)武利さん。

まずは、水の循環と私たちの暮らしのつながりから見ていただく。
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干潟に出て、観察。

ちゃんと眺めれば分かる。
実にたくさんの生き物が干潟の土の中に棲んでいて、
せっせと水を浄化してくれていること。

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ほら、ここにもね。
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砂浜に敷き詰められた貝殻も、生き物の証し。
実は貝殻は、CO2をガッチリと閉じ込めてくれているすごいヤツだってことも、
実験で見てもらう。

鳥たちを眺める。

シギの仲間に、チドリの仲間に、ミヤコドリ…
(スミマセン。どうしても細かい名前が覚えられない私。)

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彼らは、ここでたっぷりと餌を取って、
もう少ししたら、オーストラリアまで飛ぶのだ。

≪ああ・・・・・俺も飛んで行きたい≫

というような話ではなくて、
ここにある、たしかな “豊かさ” を見てほしいのです。

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ダイサギもいる。
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彼らには、この人ごみはどんなふうに映ってるんだろうか。
さほど恐れる様子もなく、ただひたすら餌を啄ばむ。

子どもたちにも、水の温んだ干潟は、揺りかごである。

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自然の中では、優しくなれる?

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憩いや癒しを与えてくれる自然が身近にあることは、
とても大切なことです。

しかし、それはきれいでなければならない。いつまでも。
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参加された皆様。
アオサはなかったけど、楽しんでいただけたでしょうか。
天気も良くて、よかったのでは。
お疲れ様でした。

どうも時差ボケが解消できず、頭の重い一日だったけど、何とか取り繕えたか。
さあて、アメリカ・レポートにいきましょうか。
3回分はあるかな。

2007年10月27日

無事帰国したものの…

10月26日(金)、午後6時前に成田に到着。無事帰国しました。

でも時差(14時間)ボケもあってか、
昨夜は、荷物を整理する途中で、とても我慢できずに、
6日ぶりに日本酒を一杯飲んだ途端、
ふうーッと気を失って、ついに朝まで爆睡。

そんでもって、今日(10/27)は大地職員の研修合宿の日なんだけど、
昼間のプログラムはパスして、幕張の事務所に出社。

机の上には、いろいろな郵便物やら書類やら伝言メモ。
加えて加工品や雑貨品の審査物件が、まあだいたい50件ほどか。
パソコンを開けば400件くらいのメールが溜まっている。
(ミネアポリスでは携帯でも受信できたので、実はチェックしていたんだけど、
 返事出したりすると追いかけれらるので、連絡できないことにしてた。
 こういうのも、今の世間のビジネスマンには許されないことなんでしょうね。)

とりあえずやれるだけ処理して、夕方、強くなる雨脚の中、
今度は千葉みなとに向かう。
職員合宿 (といっても今回は日帰り) の打ち上げの会場である。

ちなみに、大地の職員合宿は春と秋の年2回あって、
部署持ち回りで幹事が指名され、それぞれの持ち味で勝手にプログラムが作られる。
今回は、一次産品の仕入れ部署である生産グループの担当で、
職員は千葉県内の農業・畜産・水産の3ヵ所に分かれて体験学習が用意された。
生産者も忙しい中、たまったものではないのだろうけど、
大地の職員が現場に来るということで、それなりの仕事を用意してくれ、
雨だからと甘く見ていた職員を、きっちりと鍛えてくれたようである。

かく言う自分は事務所でひと仕事しただけで、
ひどい暴風雨の中、会場を探しているうちに傘の骨が折れ、
たいした時間じゃないのに全身びしょ濡れで、舌打ちとため口ひとつ吐いて辿りつく。
-今回の幹事はゼッタイに日頃の行ないが悪い。

でも、思った。
成田に降りた瞬間にも感じたことだけど、
この湿度こそ我々の精神風土なんじゃないか。
昨日一緒に降りたアメリカ大陸の人たちも、何だこのムッとする空気は、と思ったに違いない。

その昔、哲学者・和辻哲郎が書いていた。

   湿気は最も耐え難く、また最も防ぎ難い。
   にもかかわらず、湿気は人間の内に 「自然への対抗」 を呼びさまさない。
   その理由のひとつは、陸に住む人間にとって、湿潤が自然の恵みを意味するからである。
   洋上において耐え難いモンスーンは、実は太陽が海の水を陸に運ぶ車にほかならぬ。
   この水ゆえに夏の太陽の真下にある暑い国土は、旺盛なる植物によって覆われる。
   
   大地は至るところ植物的なる「生」を現わし、従って動物的なる生をも繁殖させる。
   
   かくして人間の世界は、植物的・動物的なる生の充満し横溢せる場所となる。
   自然は死ではなくして生である。死はむしろ人の側にある。
   だから人と世界とのかかわりは対抗的ではなくして受容的である。
   それは砂漠の乾燥の相反にほかならぬ。
                        (和辻哲郎著 『風土』/1928(昭和3)年)


びしょびしょで会場に着けば、
各産地に分散した職員が、自分の体験を短歌にして詠う、
という今回の課題が展開されている。

便乗して、私も六日間のアメリカ体験を即興でやってみる。

   GMの 勢いに湧く大陸に 
   ノンGMの種を蒔く 農民一人  (字余り)

私の報告書は、重くなる。
結構辛いものになる。

でも未来に向けて、種を蒔くごとくまとめてみたい。
できるかどうか、分からないけど。

あとは、久しぶりの日本酒に心地よく酔って、今日もおしまい、です。

濃密なアメリカ報告は、追って。

明日は、三番瀬のクリーンアップのナビゲーター。
山から海までの距離が短いと、運動も忙しい。

2007年10月20日

カーギルとIPコーン視察

先週のネタがまだ2本ほどあったのに、もう週末。
しかも後半は、来週の仕事もいくつか前倒しでやっておかなければならず、
どうにも書く時間が取れずじまいとなってしまった。

というのも、明日(21日)から26日まで、アメリカなのです。

行き先は、ミネソタ州ミネアポリス。
そこで、かの世界の穀物メジャー (わたくしふうに言えば、帝国主義の牙城)、
カーギルの本社に出向き、
バイオエタノール増産などによって急騰するトウモロコシの生産状況を聞きとり、
イリノイ州からアイオワ州と回って、
Non-GM(非遺伝子組み換え)コーンの生産現地を訪ねてきます。

カーギルといえば、
種子会社のモンサント社とタッグを組んで、GM作物を世界中にばら撒いている会社、
というのが我々の一致する認識なのだけれど、一方で、
Non-GMの飼料用コーンもまた、彼らの手のなかにある、のです。

アメリカの農家はだいたいが合理主義的なビジネスマンであって、
彼らは、どちらがより儲かるかで種子を選択するのだそうだ (カーギルジャパンの方の説明)。
ちゃんとプレミアムがつけば、Non-GMも作る。
実際に多くの農家が、GMもNon-GMも両方作っている、とのこと。
なので今回の視察も、正確には、Non-GMコーンというより、
IP(分別)コーンの視察ということになります。

そんな日本人の胃袋を牛耳るお国で、いま、コーン価格が急騰していて、
農民はどんどん収益性の高いGMコーンへと、なだれ現象が起きている。
Non-GMコーンの確保は、断崖絶壁状態へと追い詰められつつあるのです。

さて、どこまで見てこれるか、行ってみないと分からないけど、
カーギル社が案内してくれる、というので、見に行ってきます。


と、そんなわけで前夜にバタバタと荷造りしながらTVをつけると、
NHKで 「日本の、これから-どうする?私たちの主食」 なる討論会をやっている。

後半しか観れなかったけど、どうも皆さん少し興奮気味で (こういう番組ではありがち)、
しかもどれも何かが欠けているような印象。

何よそれ?-と思ったのは、前に座っていた経済学者の「規模拡大」論でした。
この人の規模拡大とは、たんに経営面積の増大という意味以上のものではないようで、
ちょっと噴飯モノの感あり。

ま、いずれ決着をつけなければならないテーマだが、
今はそれどころではない。
現地の天候をどうシミュレートするか、上着をどれにするか、が決まらないのだ。

では、みやげ話を乞うご期待、
ということで、一週間ほどお休みします。

2007年10月17日

全国水産物生産者会議(後編)-干潟をイメージする

講演のあとは、海洋大学・川辺みどり先生の音頭で、
藻場・干潟をテーマとしたワークショップ。

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参加者が少人数のテーブルに別れて、4つのお題に挑戦する。

 ①藻場・干潟と聞いて、何をイメージしますか?

 ②沿岸漁業は、浜(藻場・干潟)の環境保全にどんな役割を担っていると思いますか?

 ③沿岸漁業者が、藻場・干潟の保全や再生を行なうことによって、
   どんな社会的効果が生まれると思いますか?

 ④政府が沿岸漁業者の藻場・干潟保全活動に対して交付金を払うことについて
   どう思われますか?

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各自、思いついたイメージを言葉にし、ポストイットに書いて、解説する。
そこから派生して感じたことを、また書き、発表する。

ルールは、
まずポストイットに自分の意見を書いて、テーブルに広げられた模造紙に貼ってから、
自分の意見を言うこと。人の言うことをちゃんと聞くこと(途中で口を挟まない)。
他の人の批判(それは違う)ではなく、自分の意見(こう思う)を書くこと。

新しい気づきがあったり、他者との違いに驚いたりしながら、
想像力が広がり、いつのまにか理解が深まる。

正解や結論を求めるわけではなく、人の話を聞きながら、
自分の思いや考えを言葉に変えることで、
漠としていた理解が整理されてゆく。

私が司会をしたテーブルで、なかなか言葉がまとまらなくて
カードが出なかった若い方に、最後に感想を求めた。

  今までほとんど考えてもいなかった干潟という存在が、
  とても大切な場所なんだということを、だんだんと感じてきて、
  すごく理解が進んだような気がした。

この手法って、もしかして 「非暴力トレーニング」 が原点ではないだろうか-
ふとそんな気がした。

川辺さんも、特に内容に対して講評はせず、
「皆さんの意見はとても貴重で、いま水産庁中心に検討されている、
 環境・生態系保全支援調査・実証委託事業検討委員会のほうでも
 役立たせていただきます」 と締めた。

大の大人が、しかも普段威勢のいい水産生産者が、
以外に素直に思いや意見を書き、語ったのが、印象的であった。

自分の考えや理解を優しく深めるだけでなく、
コミュニケーションの力を確かめ合う時間でもあったように思う。

少しは教条的じゃない伝え方ができるようになったか -その辺は短時間じゃね。
でもヒントはもらったような気はしたのだった。

2007年10月16日

水産物生産者会議(前編)-海のエコラベルの可能性

さて続いては、10月13日(土)、成清さんを偲ぶ会の前に開かれた、
『第17回全国水産物生産者会議』 をレポートする。

大地に水産物(加工品含む)を出荷して頂いている漁業者・メーカー・卸し関係者が
年に一度集まって、
各種の視察や研修、情報交換などを行なう会議。
毎年各地の生産地で開催してきて、もう17回目になる。

今回は、ビシッとお勉強の日、とします。
ということで、ちょっとシニア大学といった感もあるが、学問の府に集まっていただく。

場所は、東京・品川にある東京海洋大学。
昔の水産大学と商船大学が合併してできた国立大学である。

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テーマは、
「MSC認証」-持続可能な漁業・水産物供給の促進について-

「MSC」とは、
MARINE STEWARDSHIP COUNCIL (海洋管理協議会) の略。

漁業資源の乱獲を防ぎ、持続可能な漁業の推進を目指して、
1997年に設立された国際的非営利組織。本部はイギリスにある。

どんな活動をしているのか-については、
要するに、まぁ・・・まずは下記の講演スライドを見ていただきましょうか。

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要するに、まあ、
持続可能な水産業を保護・発展させるために、
ちゃんとした基準に則って、
海洋資源を適切に保全・管理する漁業(あるいは加工・流通)を認証して、
独自のラベルを貼って推奨してゆこう、というもの。

MSCは、いま世界で唯一の水産物に対する第三者認証機関である。
(ちなみに講師はMSC日本事務局プログラムディレクター・石井幸造氏)

言わば 『海のエコ・ラベル』 である。
少しずつではあるが、世界の各地で広がっていて、
日本でも取り扱い店や団体も増えている。

今回はまず、その概略を理解すること。
そして、こういう取り組みが求められてきていることに対して、
それぞれどんなふうに考え、自分たちの仕事や経営に生かすか、を考えていただく。

そこでもう一人、日本初のMSC認証を取得された築地の仲卸しさん、
(株)亀和商店の代表・和田一彦さんにも登場願った。

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和田さんのMSC認証取得は、かの長寿漫画 『美味しんぼ』 でも紹介された。
いま大地とは、昨年5月に日本最初のMSC認証製品となった、
アラスカの天然キングサーモンの話が進んでいる。

3人乗りトロール釣り漁船で、一本ごとに釣り上げたサーモン。
素晴しい話、ではある。

しかし、国内漁業や近隣での話となると、コトはそう簡単ではない 。
(なんか、いつもこんな話の展開のような気がする…)

資源が枯渇に向かえば向かうほど、やまないのは乱獲だ。
あるいは汚染は、海の向こうから (手前から?) やってくる。

これらの問題が厳然と残る限り、
一人で頑張って認証を取得しても、空しくなるばかりではないか-
実に素朴な疑問であり、これこそ漁業者の目の前にある最も厳しい現実だとも言える。

自身の努力と技術次第で認証が可能な有機JAS規格とは異なる世界が、
海にはある。なんたって相手は、漁業資源なのだ。

MSCの基準-「持続可能な漁業のための原則と基準」 は
FAO (国連食糧農業機関) が2005年に採用した 「水産物エコラベルのガイドライン」
に則っている。
この基準と、認証と、漁業者の経営(生活)が上手にリンクするには、
国の規制制度ともちゃんとつながらなければうまくいかない気がするし、
かつ地域的 (あるいは海域的・国際的) 取り組みを支援する仕組みも必要だろう。

そして問題解決の鍵を握る 「消費行動」 に、どうアプローチするか。
あるいはどういうコミュニケーションをとるか、とれるのか。
そのために何が必要か・・・霧の向こうに目を凝らして、考えよう。

あらゆるジャンルで認証が花盛りとなった時代。
それだけ不安な世の中とも言えるけど、
根本的には生産と消費がうまくつながってないことの証左であって、
特別なマークに寄りかかっても、上手くはいかないのだ。
基準の精神が社会のスタンダードにならなければ・・・

ともかくもまずは、
和田さんが多大な手間とお金をかけて先鞭をつけた、
漁師の顔が見える 『MSC認定-天然キングサーモン』 から、
我々は何を語れるか、を大事に追求してみたいと思う。
もちろん、目の前の海を見つめながら。

2007年10月15日

成清忠蔵さんを偲ぶ

先週はずっと外での飲み会が続き、
記しておきたい話題は増えるものの、全然書くことができなかった。
ひとつずつ、書き残していくことにしよう。

まずはこの報告から始めなければならないだろう。
13日(土)の夜、品川プリンスホテルで行なわれた 「成清忠蔵さんを偲ぶ会」。

成清(なりきよ)忠蔵。
有明の海苔でお馴染み、成清海苔店の親父さんだ。
今年5月21日、63歳で永眠された。
気持ちよく寝て、朝起きたら、すでにこと切れていたという。
安らかな笑顔だったと-
その人の人生を象徴するような潔さ。

2000年から4年間、大地を守る会の生産者理事を務められた。
豪放でいて人への気遣いを忘れることなく、
同じ水産物関係の生産者からの信頼も篤く、また消費者のファンも多かった。

東京で何としても偲ぶ会を、
ということで全国から成清を愛した人たちが集まった。

冒頭で挨拶する藤田和芳・大地を守る会会長。

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   成清さんはとてもシャイな方で、あまり口数は多くはなかったが、
   海苔のこと、海のこと、環境のこととなると、実に熱く語ってくれた。

   酒が好きで、
   理事会の会議よりも、そのあとの一席を楽しみにしていたフシもあるが、
   皆を楽しませながら、時に剛毅な一面を垣間見せた。

   個性的な生産者が多い水産物の中で、
   成清さんは重石のような役目を果たしていて、
   専門委員会 「おさかな喰楽部」 の魂の部分を育ててくれた・・・

成清さんへの献杯の発声は、
「なんとしても水産から大地を守る会の理事を出そう!」
と訴えて成清さんを立てた、伊東の島源商店・島田静男さん。

マイクの前に立った途端、絶句。
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奥さんの顔見たら、思わず泣けてきちゃったよぉー。
男・島源、こちらもちょっと涙もろい人情の人である。

参加者から次々と、忠蔵さんの思い出や感謝の言葉が述べられる。

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四万十の鰻・加持養鰻場の加持徹さん。

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理事として同期を過ごした、新農業研究会・一戸寿昭さんも青森から駆けつけた。

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東京海洋大学の先生、川辺みどりさん。
大地の会員で、おさかな喰楽部のメンバーでもある。
成清さんが毎年秋に催してくれた 「有明海海苔摘み交流会」 にも参加している。

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実行委員を代表して、佃煮の遠忠食品・宮島一晃さん。

消費者会員の方々も次々とマイクの前に立っては、思い出を語る。

   2月の東京集会のホームスティで泊まっていただいたときにね、雪が降ったんです。
   雪を見ると思い出すって言うんです。
   若い頃、サツに追われて神社の床下で雪に震えながら隠れたんだとか。
   なんでサツに追われたのかは、聞けなかったんですけどね。

体を気遣って、「これを飲むといい」といって、何とかの水を送ってきてくれた話とかも出る。

僕にもあった。
9年前にガンの手術をして暫くたったある日、自宅に届いた布団袋のようなでかい荷物。
しかし、軽い。
開けてみれば、大量の乾燥スギナである。

「これを煎じて飲んだら、ゼッタイよおなると」

誰も彼も忠蔵さんから何かをもらっていたのである。もちろんモノという意味ではなくて。
ひとつの生き方を、とでも言えるだろうか。
まるで ‘愛は惜しみなく’ のように。

いつも周りの人の体調を心配しながら、
自分のことは頓着せず、
ただ豪快に飲んで、実に恬淡として小気味よく、逝った。

ただ・・・早すぎるよ。
もっと自分をいたわってほしかったよ。
(彼は 「わしも飲んどる」 とか言いながら、いやゼッタイ、スギナは飲んでなかったと思う)

でも、仕方がない。それが成清忠蔵なのだ。

みんな悔しいけど、成清と今日も飲んでいる、という感じで、つとめて明るく
「また飲もう。待ってろよ!」 と偲ぶ。

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左から、島源・島田静男さん、遠藤蒲鉾店・遠藤由美さん、札幌中一・橋本稔さん。
大地の水産物生産者を代表する元気印。右端は藤田会長。

「藤田さんの偲ぶ会は、盛大にやらんとなぁ」
「まあまあ、皆さんの弔辞は用意してますよ。どっちが先かな?」
 …という会話だったかどうかは、知らない。

偲ぶ会を準備した実行委員会から、忠蔵さんの奥様、君代さんに感謝状が渡される。
渡すのは元消費者理事、佐々木洋子さん。

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最後に挨拶する、ご子息・忠さん。
今や押しも押されもせぬ成清海苔店・2代目である。

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   いまも親父はここにいて、皆さんと一緒に楽しく飲んでいます。

・・・グッときて、あとは覚えていない。 凛として、立派な跡取りだ。
次の時代を作ろうぜ。親父のためにも。
   
故人を偲びつつ、実はもう一度、僕らは自分の生き様を振り返り、励まされているのだ。
成清の友人として、恥ずかしくない生き方をしよう。
またいつか、この親父から
「おお、こっち来いって。いいから、ここで飲めって言うとるとよ」
と言ってもらえるために。

ただ心配なのが、あの世でセクハラ騒ぎを起こして追放されてないか、だ。
すべてが許される世界ならいいんだけどね。
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いつも大地を守る会の発展を願い、労を惜しまなかった成清忠蔵さん。
ありがとうございました。

2007年10月09日

秋の通勤風景から

閑話休題

秋ですね。
埼玉の奥武蔵から、千葉の埋立地・幕張まで。
ちょっと気恥ずかしいですが、通勤途中で見た秋の風景をお届けします。

こんにちは。

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ときどき叔父さんや叔母さんが手を合わせてるのを見かけます。

ヒガンバナ(曼殊沙華)、満開です。

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この紅。どんなDNAが潜んでるのか・・・
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コスモスも満開。

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ミツバチもせっせと働いてます。

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童心に帰って、がんばれー、バイバ~イ。

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車中、懐かしいテープを聴きながら行く。
俺たちの世代らしく、今日はこれ。 吉田拓郎-「元気です」
 
  どれだけ歩いたか 考えるよりも
  しるべなき明日に 向かって進みたい
  あなたの人生が いくつもの旅を経て
  帰る日来れば 笑って迎えたい
  
  私も今また 船出のときです
  言葉を選んで 渡すより
  そうだ 元気ですよと こたえよう


ひと雨ごとに涼しくなっていく時節。
どなた様も、お風邪など召されませぬよう、お気をつけてお過ごしくださいませ。

2007年10月07日

海と暮らすまちに-「船橋 港まつり」

JR船橋駅から南に歩くこと約20分。
繁華街の空気が、京葉道路のガードを潜ったあたりから一変して、
港町の風情になる。
静かな住宅街を抜け、堤防から中に一歩足を踏み入れば、
埠頭には立派な漁船が並ぶ、今も活気を失わない船橋漁港である。

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港のさらに南側に湾岸道路、そしてショッピングセンター「ららぽーと」が見えるのが
不思議な感じだが、逆にこの風景が
「どっこい、東京湾の漁師は生きてるぜ」 という特別な印象を与える。

その港で、市民にもっと海や魚に親しんでもらおうと、
昨日(10/6)、『船橋 港まつり』 が開かれた。

やってくる人々。

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地産地消の市が開かれ、
自慢の漁師汁に海鮮カレー、鯖の塩焼きなどが振る舞われている。
三番瀬の海苔も手に入る。

今日は家族で、漁師たちと一緒に港を眺めながら食事を楽しむ日。

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大地は、短角牛の牛丼で応援参加。
牛肉はさすがに地元産ではないけど、精神は地産地消そのもの。純国産牛丼だ。

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三番瀬の海苔やアサリを、佃煮で支援する遠忠食品さんも出品。

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清酒「種蒔人」の蔵元、大和川酒造店さんも祝い酒を届けてくれている。

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クジラの屋台に誘われる。

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クジラを串焼きで食べる機会はそうない。 いや、旨い!ホントに。

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クジラはたしかに日本の食文化としてあった。
クジラは増えてきているとも言われているし、
増え過ぎると食物連鎖のバランスが崩れるわけだから、
クジラだけ守るというのは、あまり賢いことではない。

しかし、正論だけで捕鯨が再開されるほど甘くはないようだ。
問題は、日本が信頼されてないからじゃないか、と思う。

日本人は獲る技術を持っている。
許すとまた根こそぎやるかもしれない、油断ならない国。
規制しておくのが妥当だ。
-そんな指摘を聞かされたことがある。

いつか、調査捕鯨のお下がりじゃなく、胸を張ってクジラを食いたいものだ。
世界から信頼される国になって。
その時は、みんなで網焼きパーティといきたいね。


ことさら環境や三番瀬保全を主張したりするわけでもなく、
ただただ海と魚に親しんでもらう。
漁師らしいまつりである。

港にはやっぱり、ジャズがいいね。

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クルーザーでの「三番瀬ヨット体験」という案内がチラシにあったけど、
どこでやってんの?
-開会前から行列ができて、もう終了したよ、とのこと。残念!

カモメも今日は楽しんでくれたか? いや、うるさかっただけか。

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三番瀬に一度行ってみようか、という方は、
10月28日(日)、「三番瀬クリーン・アップ大作戦!」 にどうぞ。
我々は、今年2回目のアオサの回収と干潟の生き物観察会で参加します。
場所は、ふなばし三番瀬海浜公園、です。 (←太字をクリックすると、公園の案内が出ます。)

2007年10月06日

「野菜は文化」を語り続けた人-江澤正平

まさか2週続けて朝日・夕刊の「惜別」欄を紹介することになろうとは-

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(10月5日付朝日新聞・夕刊)

「野菜と文化のフォーラム」名誉理事長、江澤正平さん、95歳。
野菜の先生の先生、八百屋界のカリスマ、
私には‘ゴッドファーザー’のような圧力すら感じさせられた、長老。
怖そうで、でも実に優しかった、
大正デモクラシーの匂いと明治人の気骨を持った人 (と好き勝手に評しています)。

9月14日、そのドンが逝った。

この方もまた私が思い出を語るのは ‘おこがましい’ のだが、
僕には僕の、語りたい思い出もあるのである。

まずは、1990年9月7日、
茨城県十王町(現日立市)で関東の生産者の集まりがあった。
そこで記念講演をお願いしたのが江澤正平さんだった。当時すでに78歳。

江澤さんは矍鑠(かくしゃく)と胸を張り、生産者を挑発、いや叱咤激励した。

   高度経済成長などで都市に人口が集中しだし、野菜の指定産地制度ができ、
   量の確保に走り出してから野菜が変わってきた。
   農薬や化学肥料が大量に使用されるようになり、外観だけで見るようになってしまった。
   おかげで農家は自分が食べるものと出荷するものが違うようになったが、
   それは農家のせいではない。
   ‘食べもの’ではなく、流通の都合に合わせた物品を作らざるを得ない状況の中で、
   本当の食べものを作っている皆さんの前でお話できることは光栄なことです。

   生産者から流通者、そして消費者への、野菜についての正しい情報の流れができていない。
   生産者はもっと品種の違いによるおいしい食べ方の違いなどについて
   伝えていかなければならないし、流通者は野菜に対する知識をもっと持たなければならない。
   消費者が外観で選ぶからといって見てくれだけで流通させるのではなく、
   もっと勉強して本当の価値を伝えなければならない。

   本当においしい品種がまだ各地に残っている。
   それは風土と調和している品種である。
   これを守っていくことは、まさに文化を守っていくことだ。
   農家がそれを守り、ただしい情報と一緒に消費者に伝えてゆき、
   消費者がしっかりした受け皿となることで農家も維持できる。
   そういう関係を作っていくという意味で、大地の役割に期待したい。
   安全でおいしい野菜は、そういった「関係性」で守られていくんだよ。

   食べもの全般に様々な薬が使われてきたが、
   その影響はこれから本格的に現れてくるだろう。
   環境問題も悪化する。 皆さんの役割はますます重要になる。

江澤さんの講演のあと、生産者が順番に壇上に立って発言されたが、
僕の記憶に残っているのは、つくばの中根通夫さん(故人)だ。

   野菜が文化なら、オレたちゃ文化人だぁ。
   農業は最高の仕事だよ!

翌日の解散の際、中根さんは握手してきて、
「いやぁ、いかったァ。 エビスダニくん!がんばるから」

僕にとって、生産者会議の意義に確信を持った会議の一つである。
もちろん私の力ではない。江澤正平のすごみが生産者に活力を与えたのだ。

江澤さんの信念は、その後、あちこちで形になっていく。
加賀野菜に○○の伝統野菜・・・地域の文化を語る野菜が世に出てくる。
すべて江澤DNAである。

西武系列の青果販売会社の社長を辞し、60代後半からの伝道人生。
頭を垂れるしかない。

そして1997年、僕が当時の広報室から大地物産青果事業本部に異動した時、
思わぬ電話がかかってきた。江澤さんからである。

「エビスダニ君が青果の方に来たってんで、何かお手伝いできることもあるかと思ってね」

元帥のような人からの電話に起立する二等兵、の図。

僕はこう見えても度胸はある方で(世間知らず、という意味)、
88年だったか、巨大な圧力団体・全国農協中央会(全中)の会長
と同席する羽目になったホテルの一室での会食でも、
順番に出される食事を一人パクパク食べて、
「せっかくの料理をそのまま下げさせる農協の親玉って何よ」って目をして、
ウチの藤田会長が恥をかいたと言われたバカである。

でも、江澤さんは怖かった。正直。
自分の弱さを見透かされるのが分かっていたのだ。

当時の大地物産・戸田センター(埼玉県戸田市)の厨房で、
野菜の食べ比べ会が行なわれるようになった。
江澤さんは謝礼も足代も断って、貧相な大地の厨房まで足を運んでくれた。

98年に僕が病気で入院した時には、突然見舞いに来てくれ、
「僕なんか何度切ったか。君もようやく一人前になれるね」 と笑って帰っていかれた。
江澤さんは、その時も癌を抱えていたはずだ。

寝てる場合じゃないと思った。

国立癌センターの公衆電話から電話をもらったこともある。
「僕はこれから手術だから、言っとくけど・・・」
あーせーこーせーと言われたはずなんだけど、その気力に圧倒されて、
実は何も憶えてない。

江澤さんは大地にとって、怖い親父そのものだった。
あの人に見られている、と思うだけで身が締まった。
江澤さんから与えられた命題は、今の とくたろうさん に受け継がれている。
大地の中では珍しく、しぶとくあっため続けて誕生した企画である。

これは5年前、大地の六本木分室で催した、卆寿記念の一枚。

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この日、江澤さんは青年のように言った。
「いま、マルクスの資本論を読み直してるんだけど、目が弱くなってね」
青果問屋に生まれ育った江澤青年が、実は戦前のリベラリストだったことを知る。

90で資本論かよ・・・
ちょうど半分しかない若造には返す言葉もない。「ほえー」と感心するのみ。
飽くなき学究の徒とは、こういう人のことだ。

僕はその夜の懇親会で、ようやく傍で話し込むことができた。

その後も、江澤先生を招いての野菜の食べ比べは断続的に続いた。
市川塩浜のセンターに来る時も、車で迎えに出ると言うのに、
「君ねぇ。僕には足があるんだよ」 と叱りながら、
「最近目が見えなくなってね。時々電信柱にぶつかるんだ」
-だから迎えに行くって言ってんじゃん! このくそじじぃ!


話が長くなってしまいましたね。すみません。

あの気骨、いつまでも ‘もっと知りたい’ いや ‘本当のことを知りたい’ と学び続ける意欲。
粋な江戸っ子の気質を持ち、お洒落で、
しかも、これぞ真のデモクラット、と思わせる見識。

最近は奥さんに本を読んでもらって勉強していると聞いていた。

「惜別」 の記事によれば、
伴侶のチヨさんが7月に亡くなられ、後を追うように旅立った、とある。

ああ・・・出来の悪い教え子だったな。

亡くなられて1週間ほどを経て、
家族で葬儀を済ませたこと、生前のご厚情に感謝する旨の葉書が届いた。
江戸っ子・江澤正平、最後の指示だったか。

合掌。


<追記>
江澤さんと大地の出会いは、実は創業期にまで遡ります。
大地を守る会の機関誌『大地MAGAZINE』で、
藤田会長の追悼文が掲載される予定ですので、ぜひご一読下さい。

2007年10月04日

『地球大学』 -地球の水はどうなるのか?

東京は大手町、都心のビル街のどまん中に、環境を意識してつくられたカフェがある。

「大手町カフェ」

そこで毎週水曜日の夜、刺激的なセミナーが開かれている。
カフェで学ぶ地球環境セミナー 『地球大学』。

文化人類学者の竹村真一さん(京都造形芸術大学教授)がホストとなって、
毎回多彩なゲストをお呼びしては、様々な角度から環境問題を切り取っている。

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開講したのは去年の春。
大地から薦(こも)かぶり(酒樽)を持参して、種蒔人で鏡開きをした。
それに先立つ一昨年暮れのプレ・イベントでは、
日本の気候風土における田んぼの役割について話をさせていただいている。

昨年10月には 「食」 について考えるシリーズが組まれ、
私も話す機会をいただき、
またその期間、フードマイレージをテーマに大地の食材でのお弁当を販売した。

その後もちょくちょく聴講させていただいてたのだが、
最近はなかなか出られないでいた。

さて、昨日(10/3)、外出したついでに、久しぶりに顔を出してみた。

テーマは、『地球の水はどうなるのか?-「水の世紀」にむけて』
講師は、東京大学・生産技術研究所教授の沖大幹さん。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)報告書の水問題に関する執筆者、
水循環の権威である。

いま世界人口の5分の1が、安全な水にアクセスできないでいる。
年間300~400万人が、水に関連した病気で死んでいる。そのほとんどが乳幼児である。

世界中での過度な取水は、生態系へのダメージを増大させている。
温暖化や都市化の進行は、各地に渇水と洪水被害の深刻化をもたらしている。

水というのは循環資源であって、失われることはない。
ふんだんにあるのだ。しかし水不足は生じる。
ある時とない時があるから。

また、‘ふんだんにある’といっても、
実際にヒトが使える水は地球上の水の0.01~0.02%でしかない。

‘水資源を使う’ とは、‘流れを使うこと’ だと沖さんは説明する。
ストックではなくフローである。

雨が落ち、川を辿って海に流れ、あるいは湖沼にとどまり、地下にしみこみ、
気温変化とともに蒸発し、植物の蒸発散も含めて大気を上昇し、雲になり、
また雨となって落ちてくる。あるいは氷となってしばし落ち着く。
そんな‘流れ’として存在する水という資源。
人間の体内も循環している。生命活動に欠かせない‘水’というやつ。

つまり、水の循環(流れ)を絶やすことなく、また汚さないようにしながら、
どう使い、暮らすか、ということなのだが、
人口増加と工業の飽くなき発展は、水需要を大きく変化させ、
いまや大河も干上がる様相である。
また膨れ上がるいびつな食料需要は、世界の肺・アマゾンさえ切り崩している。

温暖化によって想定されるシナリオのひとつは、
同じ地域で渇水と洪水の頻度がともに上昇する、というものだ。
いずれにしても水はヒトの手の中にはなく、今世紀、水ストレスは間違いなく増大する。

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さて、沖さんは「バーチャルウォーター」の権威でもある。
よく使われるものでは、牛丼一杯あたりの水消費量は約2000ℓ、というやつだ。
牛を育てるのに消費される水、餌を作るのに必要な水、などを計算すると、
牛丼一杯つくるのに、1ℓペットボトル2000本分の水が使われている。

日本の食糧の総輸入量は水に換算して年間640億㎥だと。
国内での農業用水の使用量は570億㎥。

これを僕らは、「水を奪っている」と表現したりするが、
沖さんはこう考える。

水をある所からない所まで長距離輸送させるのは、経済的にもエネルギー的にも合わない。
だから、水を使って作られたものを送るのを、悪と決め付けてはいけない。
必要とされる水が、モノに代わって運ばれてきているということを理解する
その指標として提示されたのが、「バーチャルウォーター」である。

アメリカ産牛肉を使った牛丼の向こうに、膨大な水消費があって、
しかも数値で示されることによって、ある種のリアリティをもって現実を感じることができる。
この手法は説得力がある。

そこから簡単に善悪を決め付けるのも、たしかに戒めなければならないことだ。
しかし、沖さんなら当然ご存知のはずだが、
日本では、米の国内生産量以上の食糧が、ゴミとなって捨てられているのだ。
やっぱり、どうしても僕には、「奪っている」指標になってしまう。

沖さんは、食べものに水資源消費量を表示したらどうか、と提案する。

  牛丼:1890L  ハンバーガー:2020L
  立ち食いそば:750L  讃岐うどん:120L

面白い。フードマイレージと組み合わせてはどうだろうか。

最後に、沖さんはひとつの期待を語った。

グローバリズムが進むことによって、技術移転が進み、人口調節も進めば、
水ストレスは緩むだろう・・・

しかし、これはあまりにも楽観、というか現実認識が僕とは異なる。
グローバリズムが国家間の均衡をもたらす-とは、私には思えない。
もっと話を聞いてみたかったが、まあ、また機会もあるか。

いずれにしても、それぞれの分野で最前線にいる方々の話が
ドリンク付1000円で、身近に聞ける。
こういう場は他にそうないと思う。

『地球大学』はすでに68回を数え、
来週からは、開催曜日が木曜に変わり、シリーズ「森林」が始まる。

2007年10月01日

長崎のみかんも焼けて-

ぶどう、梨、りんごに栗に柿に・・・・・と ‘果物の秋’ 真っ盛りといった
賑わいを見せている「大地宅配」のラインアップ。

10月に入って、みかんもまた極早生(ごくわせ)品種から出荷が始まる。
そんな折り、9月28日(金)の夜、
(株)大地取締役の長谷川満が長崎出張から帰ってくる。

「おい、エビスダニ。長崎のみかんも焼けてるよ」

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以前に、火傷にあったりんごの写真を紹介したが(8/19付)、
「みかんよ、お前もか」 である。

聞けば、9月末にもかかわらず、長崎の気温は33℃だったとか。
1割はこんな状態になっている、と。

皮を剥いて食べてみる。
中の実自体は大丈夫なのだが、
高温・干ばつの影響か、酸が抜け、いまひとつコクが足りないような…
農業関係の新聞では ‘酸が抜けて味が乗っている’ とか宣伝されているが、
やっぱり蜜柑に適度の酸は必要だと思う。

表皮だけの軽度のヤケは、受け入れたいと思うが、
そこの評価は人によって微妙に異なるので、線引きには神経を使うことになる。

人事を尽くしても、狂ったような自然の影響は受けざるを得ない。
あまり天候ばかりを言い訳にしてはいけないのかもしれないが、
それが農業の一面であることは、逃れられない事実である。

だからこそ、生産者も運び手も、語り続けなければならない。
外観だけで勝負を求めるのは楽なことだが、本当の仕事ではない。

-なんて偉そうにカッコつけてはみたが、そこは金銭授受が介在する以上、
‘話せば分かる’ というほど簡単なものではないのであって・・・・・
と、焼けた蜜柑を見つめ、流通者の立場でのため息を一つ。

しっかりと伝える努力をする。
その上で、評価もしっかりと受け止める、しかない。
と、これまたいつもの結論で、腹を決める。