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2007年11月25日

宮城・雁とエコのツアー

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夜明け前です。
気温は0℃。雲は低く覆っていて、底冷えのする朝6時。

まだ弱い薄明の湿原一帯に、何種類もの鳥の声がざわめいている。
グァグァとカモの類、コォーコォーと高いのはハクチョウ、
中でも多いのがガァンガァンと鳴くやつ。雁(ガン)だ。

突然、湿原の奥から、ものすごい数の雁が一斉に舞い上がって、空の色を変えた。
あっちからもこっちからも、呼応して飛び立ってくる。

写真が上手く撮れなくて悔しいが、
上空に筋雲のように映っているのが、すべて雁である。

ここは宮城県大崎市(旧田尻町)、蕪栗沼(かぶくりぬま)。
11月24日(土)、我々 『宮城・雁ツアー』 一行20名は、朝5時に起き、
ここで雁が飛び立つ様を見に来たのだった。
 

案内してくれたのは、この地で有機米を栽培する千葉孝志(こうし)さん。

渡り鳥の貴重な飛来地、休息地であり餌場として、
一昨年11月、蕪栗沼と周辺の田んぼ423haがラムサール条約に登録された。
世界で初めて、田んぼが生物にとっての大切な湿地であることが認められた場所である。

今回は、千葉さんの米づくりの話はそっちのけで、
渡り鳥たちが集まってきた蕪栗沼を見よう、ということで集まった。
まあ、この数をみれば、おのずと周辺たんぼの生命力も推しはかってもらえるか。

せわしないガンと違って、ハクチョウは悠然と休んでいる。

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20年前にラムサールに登録された伊豆沼・内沼は、
ここから約5~10kmほど北にある。
伊豆沼・内沼に蕪栗沼も合わせたこの地帯で確認された鳥の種類は二百数十種に及び、
マガンでは日本に飛来する80~90%がここで越冬する。
今年もすでに6万羽 (8万だったか) が確認されているという。

これは他に飛来できる地がなくなってきていることも意味しているのだが、
それだけに、ここの扶養力の高さを浮き彫りにしている。

彼らは冬をここで過ごし、餌をたっぷり捕って、3月に故郷シベリアに帰る。

千葉さんたちは、冬も田んぼに水を張る冬期湛水
(最近は 「ふゆ水田んぼ」 と言われる) に取り組んでいる。
鳥たちの餌をさらに豊富にさせると同時に、田んぼの地力も高めるという効果がある。

ラムサール条約に登録されての変化などを千葉さんに聞いてみる。
答えは簡単なものだった。

「メリットもデメリットもない。な~んにも変わらないよ」

補助金を貰えるわけでもなく、何か特別な指導が入るわけでもない。
観光客が来たとて、千葉さんにご褒美が出ることもない。
逆に登録されたことで、保全区域としてやりにくくなることもあるんじゃない?

「まあ、そのためにやってきたわけでもないし。
 これからもやることは変わらないんと思うんだけどね」

こういうのを恬淡 (てんたん) と言うのか。
賞をもらったからといって奢るわけでもなく、欲を出すこともない。
ただイイ米つくりたくて、そんで鳥を見ながら、こうしたいからこうしてきただけだ。

こういう姿勢に惚れちゃうんよね、アタシ。

一方で千葉さんには、内心の疑問もないではない。
冬季湛水が本当に米づくりにとってベストな選択か-
実は千葉さんの中では、回答はまだ出ていないのだ。

「ふゆ水田んぼ」 にお国までもが付加価値を認めつつある時代に、
どんなにもてはやされようと、
「これでいいのかなぁって思うところもあるんだよね」
という千葉さんがいる。
付き合いたいな、とことん。


午後、今度は鳥たちが休息する田んぼに向かう。

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ガンは警戒心が強いので、望遠レンズがないと絵にできないけど、
ハクチョウは、我々を警戒しつつも、敵ではないと思っているのか、
一定の距離を保って、こちらが一歩近づけば一歩遠ざかるだけ。
逃げることもない。
人間が近くで喋っているのに、畦でずっとケツを向けて昼寝しているヤツもいた。

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続いて、これがドジョウなどの水生生物が遡上できるように設置した魚道。

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まだ実験段階だが、率先して取り組んでいるのが、
宮城県農林振興課に勤める、県の職員でもある三塚牧夫さん。
千葉さんを代表とする「蕪栗米生産組合」の生産者の一人でもある。
夕べは宿で熱いレクチャーを受けた。
米そっちのけで、生物多様性である。 いや、生物多様性あっての米、だったか。


最後に伊豆沼を回る。
こちらはさすがに観察や展示など受け入れ体制も整備されているが、
餌付けにも慣れてしまっているのが、気になるところではある。

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ま、渡り鳥を餌にして、‘田んぼの力’ を確かめる初のツアーとしては、
それなりに体感していただけたのではないかと思うところである。

というワタクシも、鳥ばっかり撮って、千葉さんのアップを撮り忘れた。
記念撮影の写真でお茶を濁す。左端が千葉さんです。

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(真ん中に白鳥を入れたつもりだったが…)


ところで、今回のツアーは、実は田んぼだけじゃなくて、
塩釜の練り製品の大御所、遠藤蒲鉾店さんの見学から始まって、
遠藤さんが尽力した地元での廃油燃料プラント(天ぷら油のリサイクル)、
利府町の太陽光発電実験プラント、
仙台黒豚会の豚舎見学、と盛り沢山のツアーでもあった。

これらもそれぞれ語れば、それなりの物語となる、
雁と 「エコ」 のツアーであったワケです。

申し訳ないけど、いずれ機会を見つけてきっちりと、
ということでご容赦願いたい。

2007年11月22日

よみがえれ、ブナの森

ちょっと遡ってしまうけど、残しておきたい。
記録-その3

11月3日(土)、文化の日。
秋田は五城目町、馬場目川の上流部にて、ブナの植林が行なわれた。
毎年この日に開催され、今年で15回目となる。

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今では全国あちこちで聞かれる 「ブナの植林」 だが、
杉などの商業材が伐られた跡地をブナ (広葉樹) の森に戻す、という
直接的にお金にならない取り組みに先鞭をつけたのは、ここである。

馬場目川は、大潟村のある八郎潟に注ぐ川。
戦後最大の干拓事業と鳴り物入りで誕生した大潟村にとって、
村を囲む形で残された残存湖は、農業用水であるとともに生活用水でもある。
馬場目川は、彼らにとって文字通り生命線のような川なのだ。

その大潟村の米の生産者たちが、子々孫々まで八郎潟の水を守るために、
川の上流部を豊かな森として残そう、と始めたのがブナの植林活動である。
地元営林署はじめ、秋田県内の自然保護団体、ボーイスカウトなど
たくさんの団体が一緒になって活動を広げてきている。

大地が提携する生産団体 「ライスロッヂ大潟」(黒瀬正代表) もその主体団体のひとつで、
大地が応援して参加するようになったのは、黒瀬さんからの呼びかけによる。
たしか3回目の植林からだった。毎年少人数ながらお手伝いを続けてきた。

そして今年も、全国各地から約150名の支援者が集った。

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開会式の挨拶や説明もそこそこに、時折小雨がぱらつく中、植栽地に向かう。
黄葉したブナ林と清流が我々を迎えてくれる。
水は変わりなく、美味しかった。

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10班に分かれて、植林開始。

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下草が刈られ、植えるポイントごとに白い棒が立てられている。
道路の補修もされていて、これは事前の準備こそ大変だっただろうと思われる。

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親子で植えたブナ。
君がお母さんになった時にも、子どもを連れて訪ねて来るといい。
でっかい樹になってるはずだ。
その時も今と変わりなく、川には水が溢れるように流れていることだろう。
麓の田を潤し続けながら -と願わずにはいられない。

生産者の黒瀬正さんも、精を出している。

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植えたら植えただけですまなくなる。
夏の下草刈りなど、米作りの合い間に山の管理作業も入って、大変でしょう。

「ほら大変よ。ほなけど、しゃあないやんけ。将来のためやからなぁ」
関西弁丸出しの黒瀬さんは、滋賀県からの入植である。


15年で植えた数は、1万2,600本に達した。
もちろんブナという単一樹種だけでなく、ミズナラやカツラ、トチなどを植えた年もあって、
広葉樹の混交林として育てている。
14年前に植えた樹は、すでに幹周りは60センチ、高さ8メートルほどになっている。

若木の森では小鳥や野うさぎなど野生動物の姿も増えてきている。
ブナの実は熊の好物であるが、人間でも生で食べられるのだそうだ。

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水が豊富にある。しかも美味い。
これはすべての ‘安心’ の基盤である。

風景が心を癒してくれる。
この風景は、生き物たちによって構成されている。
生き物が多様であるほど、その風景は美しく輝くのだと、つくづく思う。

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植林後は、廃校になった小学校の体育館で昼食交流会となる。
餅つき大会に焼肉バーベキュー、汁物やおしんこがふるまわれる。

もうすっかり恒例になったソプラノ歌手・伊藤ちゑさんの 「ぶなっこコンサート」。
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我々もけっこう顔馴染みになっていて、いろんな方が
「今年も来てくれたんですね」 と声をかけてくれる。 嬉しいね。
事務局長の阿部さんから指名され、今年も挨拶をさせていただく。

最後は、これまた恒例となっている、「私の子供たちへ」の合唱。
日本でのフィールド・フォークの草分け、笠木透の名曲である。

   生きている鳥たちが 生きて飛びまわる空を
   あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは

   生きている魚たちが 生きて泳ぎまわる川を
   あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは

   生きている君たちが 生きて走りまわる土を
   あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは


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農業を営む人たちが、当たり前のことのように森を手入れする。
その結果として、当たり前のように手に入る ‘環境’ と ‘食’。

お米の値段には、山の作業費は含まれていない。
農業の再生産を支えられれば、
つまり農家の言う ‘当たり前の値段’ で食べてさえくれれば、水も守れる。
しかし世の中はそのように進んでいない。
今日の作業を税金で賄うより、ずっと楽なはずなのだが…

敷き詰められた落ち葉は、やがて土となる。
樹が、水をしっかりと蓄える土を増やしている。
みんな当たり前のこととして、静かに、生命を循環させている。

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本当に、奇跡の星だと思う。

2007年11月20日

全国土づくり生産者会議

記録-その2

11月15日(木)、第5回全国土づくり生産者会議。
千葉県山武市・さんぶの森中央会館にて開催。
今回の受入団体は、有機農業の生産グループとして組織されて間もなく20年という
さんぶ野菜ネットワーク (旧JAさんぶ郡市有機部会)。

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土づくり会議も今年で5回目だが、今回も講師は能登で農業を営む西出隆一さん。
東京大学農学部を卒業後、ひたすら現場主義で、
正確な土壌診断による健全な土づくりと高品質のモノづくりを追求して、かれこれ50年。

現場での歯に衣着せぬ辛口批評は怖いものがあるが、
実践に裏打ちされた西出理論をものにしたいと集う生産者は年々増え、
その風貌からは、 ‘カリスマ’ というより、はっきり ‘教祖’ と呼んだほうが似合っている。

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西出講座は、3年連続である。
「俺のほ場を西出さんに見てもらいたい」 と、
さんぶの生産者の強い要望でお招きした。

有機農業の基礎となる土づくりの、しかも本などではなかなか学べない
(学者の言う理論とも違ってたりする)、
具体的な処方(アドバイス)つきの勉強会である。
この開催の案内に、全国から100人を越す生産者が集まってくれた。

基礎とはいえ、土台の話である。
奥はひたすら深く、かつあらゆる人為の結果が複雑に絡みあって、今がある。

西出さんは挨拶もそこそこに、
「まずはほ場に行きましょう」 と皆を促す。

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畑に立ち、土を調べ、植物の姿を観察し、
土壌分析 (土の栄養成分の量やバランスの分析値) の結果を確かめ、
的確に問題点を衝いてゆく。

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栄養素のバランスを欠いた原因。
なぜここにこの病気が発生するのか。
その虫が湧いた理由は何か。

西出さんは観察を教える。
○○(たとえばカルシウムとか) が欠乏するとこうなる。過剰だとこういう症状が出る。
しかもただ足せばいいものではない。
相互作用もあり、すべてのバランスが大事なのだ。

「あんたの言っとる病気は違っとる。
 葉っぱの裏側をよう見てみい。違う病気や。
 病名が違うということは、原因も違う。 それじゃあ有効な対策は打てん」

何だか大地の生産者が素人みたいに聞こえるかもしれないけど、
それだけハイレベルな会話と思って欲しい。
科学を自分のものとし、植物の生理、土の状態を確かめながら、適切な手を施し、
農薬は使わず (安全性というより、土と植物の健全性のために)、
最後は品質と味と収量を上げるって、
これはなかなか至難の技なのだ。
 -なんて、並みいるプロの前で偉そうに講釈するのも恥ずかしいけど。

もしかしてプロとしての自負の強い人ほど、
「そんな絵に描いたように行くもんじゃない」 とか思ってたりしてるんじゃないだろうか。

手塩にかけた畑の前で 「何をやっとるか」 とか言われ、
質問すれば論破され、
よくできていると思われた畑でも 「まあまあ」 としか評価されず、
相当ムカついているかと思いきや、
生産者の反応は、

「いやぁ、参った」
「言われてみれば、すべて納得がいった」
「目からウロコ、でした」
などなど・・・・


後半は、座学。

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質問が途切れない。
西出さんはひとつひとつに、具体的な回答を出してゆく。
ホワイトボードが、科学で埋まってゆく。
しかしその奥には土と植物の姿がある。

西出舌鋒は、ついに大地にも及ぶ。

「あんたら大地様々じゃろ。そこそこのもんで取って (買って) もらえるから。
 大地もなっとらん。
 品質の高いものには、ちゃんと値段をつけてやらにゃ、やる気にならん。そうっしょ!」

「有機農業というのは、もう今の時代、「安心・安全」だけじゃダメよ。
 農薬撒かんから虫に食われる、で甘えとったらあかん。
 品質も味も良いものができんかったら、有機農業とは言えん。そうっしょ!
 何やっとるかと言いたい。」

まあね、だからこうして勉強会をやっているわけであって…
その意欲を持つ人たちをネットワークしてきて、今日があるんですよ。

あなたの理論を受け入れる、吸収力のある土壌をつくるには、
それだけの時間が必要だったんだと、
悔やしまぎれかもしれないが、言っておきたい。

それに、社会というものもまた、単純な理屈でモノごとが収まってはいなくて、
マーケットを支配している価値観は、品質ではない ‘何か’ であったりする。
社会科学だって、自然科学とは違う意味で魑魅魍魎とも言える綾取りの世界があるのだ。


畑を回る合い間に、富谷亜喜博さんのお庭で、おやつタイムが用意されていた。
奥さんたち手作りのパンやケーキや人参スープなどなどで、しばしホッとする。
どれも美味しかったです。

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おはぎではありません。紫いもを使ったケーキです。
ごちそう様でした。


いつか見返してやりましょうね、皆さん。
あの方の口が朽ちて、逃げ切られる前に。

2007年11月18日

土と平和の祭典

記録-その1

11月11日(日)。漢字にして土月土日。
今年、我々はこの日を 『土の日』 と銘打った。

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港区芝公園で開催された「土と平和の祭典」。

幕張の事務所に立ち寄ってから、朝の雨を気にしつつ現地に向かう。
お昼過ぎに到着。かなりの人手で、安堵する。

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このお祭りは、歌手のYaeさんを実行委員長として春から展開してきた
種まき大作戦 の集大成として準備されたものだ。

Yaeさんは、5年前に亡くなった父・藤本敏夫さん(前大地を守る会会長)が
最後に残した 『持続可能な循環型田園都市構想』 の心を受け継ぎ、
『農的幸福=土と平和』 をキーワードに、
日本全国を巡って歌とメッセージを伝える 『種まきライブツアー2007』 を展開してきた。

農業を大切にする社会にしたい。
そんな思いで、若者たちを中心に、未来に向かって種をまくライブ・ツアー。
大地も、青森や岩手や埼玉での生産者の集まりにYaeさんを招いて応援した。

今日は、その仲間や支援した人たちが全国から集まって、
まあ、半年にわたるツアーの締めの収穫祭というわけだ。

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大地を守る会のブース。
野菜売り場には、「東京有機」の阪本啓一さんが立ち、
みかん売り場には「長崎有機農業研究会」の生産者2名、
りんごは青森から「新農業研究会」の若手3名が駆けつけ、声を張り上げる。
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Yaeちゃんも立ち寄ってくれた。
青森でのライブを思い出す。
最後に、こんなに人が来てくれて、頑張りましたね。 お疲れ様でした。

フードマイレージのキャンペーン・コーナーにも大勢の方が―
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こちらは山形村の短角牛を使った、国産100%!の牛丼コーナー。
夕方には見事、完売!
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短角牛の短くん。子どもたちの人気者。
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実はこの役目。30分も持たない、と言われる重労働である。
当然、女性に着せるわけにはいかない。というより、まずかぶれない。
N君、T君、お疲れ様。なかなかのパフォーマンスでした。


大地関係の生産者も、いくつか単独でブース出店。
花咲農園さん(秋田)、庄内協同ファームさん(山形)、無茶々園さん(愛媛)…

フェアトレード関係の団体も多数。試飲に試食で人だかり。
就農案内のコーナーも。
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ワタクシ、個人的にはコーヒーよりも実は・・・
千葉の寺田本家さんのブースで、しっかり純米酒「五人娘」をいただく。

彼方此方と立ち寄ってはご挨拶し、立ち話をしばし・・・


夕方になり、大地ブースも追い込み。
応援に入る。

「美味しい大地の林檎! 青森・新農業研究会の林檎!
 生産者も売り子に立って頑張ってまーす!」

 1個=200円! 2個=●00円! 5個=●00円!

勝手に叫んで、
生産者は 「オ、オレの林檎が叩き売られようとしている・・・・・」

これ以上は、会員さんのクレームがきそうなので、やめます。
日が暮れてもやって来てくれた(&残ってくれた)方に免じて、お許しを。


そうこうしているうちに、舞台はクライマックスに向かっている。

‘半農半歌手’ を自称するファーマー歌姫・Yae。
来年3月には二人目が生まれる ‘強き母’ でもある。
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今やすっかり大御所となったお母様、お登紀さんも登場。
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今日一日、たくさんのミュージシャンや多彩なゲストが手弁当で応援してくれて、
熱くエンディングとなる。


Yaeさんはじめ、若き生産者たちの想いがどこまで届いたかは分からないけど、
発せられたメッセージは誰かの心に残り、蒔かれた種は少しは芽を出した。
そう信じて、これから育てるものだ。

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2007年11月17日

GMO-今度はナタネの集まり

アメリカ視察レポートで気が抜けたわけではないのだけど、
出張中のブランクに加えて、その後も色んなイベントやら会議やらに出かけ、
溜まった仕事の帳尻合わせをしているうちに、あっという間に一週間が経ってしまった。
日記も、続けるってのはしんどいもんだなぁ、と思うこの頃。

とか言いながら、都心の永田町で遺伝子組み換えの緊急集会をやるというので、
今日も出かける。
どうもこのところGMづいてる。

今回の緊急テーマは、オーストラリアのナタネである。

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いま日本でのノンGMナタネは、オーストラリアからの輸入に頼っている。
以前はカナダが多かったのだが、カナダはすでにGM国である。

そのオーストラリア・ナタネが岐路に立っている。
これまで設定されていたGM作物のモラトリアム(一時停止)が、
州単位での見直し作業が進められているのだ。

オーストラリアでモラトリアム政策がとられたのは、
カナダで、種子や花粉の飛散によって純粋な非GMナタネが確保できなくなり、
欧州市場を失ったことに起因する。

それが昨年の異常旱魃による不作と、バイオ燃料ブームが追い風になって、
推進派のオーストラリア政府にモンサント社などのバイテク企業が加わって、
各州政府への攻勢と圧力が強まっている。

対応の動きは州によって異なっていて、
モラトリアム撤廃(GM推進)の方向で動いている州とモラトリアムを継続すると思われる州
があるが、全体的にはGMへの移行に進む力が優勢のようである。

そこで先月、日本の消費者団体がオーストラリアの各州政府に出向き、
GM作物の栽培規制の継続を求める要請文を提出した。
この要請文に署名した団体は155で、その構成人員を数えれば290万人になる。
大地を守る会も名を連ねさせていただいた。

署名というのは、それだけのことでしかないのかもしれないが、
それはそれで一定の力を示すものではある。
この日本の消費者団体の要請行動は、オーストラリア国内で大きく報道されたようだ。
何たってオーストラリアにとって日本は、農産物の最大の売り先だから。

この日は、要請行動の先頭に立った天笠啓祐さんからの報告に加えて、
オーストラリアの科学者(医学博士)、ジュディ・カーマンさんの講演もあった。

そこでは、GM作物の安全性を判断する上での試験データがあまりに少なく、
また試験内容も相当にずさんなものであるという報告がされた。
かつそれらの試験データはほとんどモンサントら企業からのものである。

彼女は、よりニュートラルな立場の研究者による安全性試験を行なおうとしたが、
いろんな圧力がかかったと言う。

その上で、GM作物そのものの危うさに加えて、
いったん栽培が始まった場合に、非GM作物の確保が困難になる危険性について、
具体的なケースを示しながら訴えた。

大地からは、吉田和生生産グループ長が報告。
私のアメリカ・レポートも少し使いながら、
大地が取り組んできた国産飼料による畜産物生産-‘THAT'S国産’運動を紹介した。

オーストラリアの最新の世論調査では、農民の52%がGM作物反対とのことである。
ここでも推進しているのは、上の人たちと、「経済」なのだ。

様々な知恵を絞りながら国内自給力を高め、
かつ国際的な農民と市民のネットワークを作り出す必要がある。
またしても同じ結論で申し訳ないが、プランは練りつつある。
呪文で終わらせないように。


さてと、明日から改めて
溜まった写真の整理もしながら、この間の活動を記しておこうと思う。

2007年11月10日

米国・コーン視察レポート-エピローグ

5回にわたってレポートを続けてしまったが、
改めて読み返せば、書き損じ、書き忘れ、意味不明な表現などが散在されて、
触れてなかった重要な点もある。
いくつかの補足や整理などして、
いったんアメリカ(視察)の ‘縛り’ から開放させていただくことにしたい。

まず前提として、細かい数字やデータは省かせていただいた。
ブッシェルあたり何セントといった話をしても面白くないだろうし、
とりあえずは温かいままでのレポートとして、
いまアメリカで進行している動きと、迫りくる危機の感じを
つかんでいただければ、と思って報告したものである。

次に、遺伝子組み換え食品に関心を持つ方にとっては気になるところの
重要な問題が未整理のままである。

それで、GM作物の安全性についてはどうだったんよ、ってことよね。

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まず、作物の安全性については、ほとんど論議の対象にはならなかった。
というより、正直、できなかった。

もちろん、カーギルに遠慮したわけではない。
アメリカでは、特に今回回った中西部では、GMOそのものの安全性は論点にならない。
持っている情報がかけ離れすぎているのだ。

こちらでは読もうと思いさえすれば、
天笠啓祐さんの著書はじめ多くの書籍や情報を入手することができるが、
アメリカでは、マイナス情報が流れていない。
ミネアポリスでわずかながら本屋さんを覗く時間があったが、
その手の本は見つけられなかった(英語力の弱さもあるけど)。

自由の国・アメリカで、マイナス情報がほとんど流れていない。
こちらに伝わってくる情報では、
アメリカでも多くの科学者がGMOの安全性に異を唱えているはずなのだが……
これ以上の推測は、とりあえず避けておきたい。

つまるところ、アメリカ政府が「安全」というお墨付きを与えている以上、「安全」であり、
何を言ってるんだろう、という感じである。

敵陣で、正面切って安全性に異議を唱えることもできたのかもしれない。
しかし今回の目的は、状況を踏まえつつ、ノンGM飼料の可能性を探ることにあり、
ただ喧嘩をして、入口で帰って来るわけにはいかなかった。
自分の目でGMとノンGMを見定めてくれる農民を見つける旅でもあったし、
何よりも、我々日本人は自分たちの胃袋を彼らに預けてしまっている関係なのだ。
それなりの仁義は踏まえておかなければならない。
力不足の批判は、甘んじて受ける。

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また、GM品種での農薬の使用量について。
「除草剤や殺虫成分に対する耐性が広がっていて、結果的に農薬の使用量は増えている」
というような情勢分析もあるのだが、現地の答えはどうだったか。

生産者からの回答はすべて、「農薬は減った」である。

「現時点では」 とした上で、
GMにして農薬の総使用量は減っている、としておくのが妥当かと思う。

種代も高いようで、「コストはトントン」という答えもあったが、
コストが同じなら、収量(収入)の高い方が選ばれるのは責められない。

確実なことは、モンサント社の除草剤・ラウンドアップの使用量は増えている。
それが前提の品種であるからして、当然といえば当然のことである。
種子の占有率が上がれば除草剤の販売も増える。
農家は選択の余地なく種とセットで特定の除草剤を買わねばならなくなり、
結果として、モンサント社は売上・利益ともに大きく伸ばしている。
(連載(2)で、モンサントは種会社と書いたが、本体は農薬・化学メーカーである)

もはや有機農業の道筋とは正反対の方向なのだが、それだけでなく、
農民が主体性(自立と言ってもいい) を失うことの危険性について、
私たちはもっと想像力を逞しくしなけれなばらないのではないか。
私はこの一点だけでも、GM作物には反対しておきたいと思っている。

ケントの訪問記(5)で書いた ‘永続的生産技術の土台’ とかの言い回しは、
そういう意味で捉えていただけたらと思う。
自立した農民こそが、生命の命綱である多様性を守る主体になるはずだから。

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もうひとつ補足しておかなければならないのは、耐性である。
その除草成分や殺虫成分に対する耐性をもった動植物の逆襲は、始まっている。
というか、これはGM作物普及の前提となっている。
(5)で触れた「Refuge」の存在で想像いただけると思うが、
殺虫成分を含んだコーンを皆が植えたら、品種として長持ちしないのである。

ひっきょう、耐性と品種改良(GMとGMの掛け合わせ)のいたちごっこになる。
そのサイクルは、静かに始まっている。

 ※ラウンドアップと耐性の問題については、9月7日の日記も参照いただけると有り難い。


加えて、もうひとつ。
BT(殺虫成分)コーンが、アメリカでは「農薬」として登録されているという事実も、
農家はあまりご存知ないようである。
コーン自体が、どこを食べても害虫は死ぬ、というものであるからなのだが、
これをもってしても、通常の育種で作られた他のコーンと「実質的同等」なもの、
という推進派の主張は、どうしても許しがたいものを感じる。
殺虫成分「BT」との同等性だろうが、と言いたい。
「BTタンパク」は人体には無害である -の科学論争は終わってないし
(推進派には「決着のついた話」らしいが)、
「人体」を保証する生態系への影響となれば、それは 「未知数」 の世界である。
どう考えても、「実質的同等」 という論は、科学ではない。

どうしても同等と言い張るなら、
勝手に交配してしまった畑に対して特許権の侵害を訴えるというような
野蛮な行動は、慎んでもらいたいものだ。

……というような話を、トコトンしたかったのだが、ごめんなさい。

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まあ言い訳はともかくとして、
安全性論争は、長い時間をかけてやるしかない。
しかも専門家相手の科学論争となるがゆえに、
気になるマイナス情報はしっかりつかんで、論戦を挑み続けなければならない。
なぜなら、マイナス情報は ‘将来へのリスク可能性’ を示唆するものだから。
したがってその間は、生産の多様性(経営のリスクヘッジも含めて)と、
消費の選択権は死守しておく必要がある。
「安全である」 からといって 「選択の余地なし」 状態にする権利は誰にもないはずだ。

消費の選択ということで言えば、「嫌なものはイヤ」 もまっとうな権利である。
その被害に遭った男性は私も含めて少なくないはずだが、こちらに訴える権利はない。
<大地でひと昔前、「安全で安心な男」 のお墨付きをもらった男がいたが、
 女どもは「いただけない」と言った。理由は安全でも安心でもなかったようだが…>

笑い話ではなく、‘違和感’ というのは大事な判断基準である。自分を守る上で。
大切にした方がいいし、胸を張って言っていいことなのだ。

充分な議論はできなかったけど、
対話は始まったばかり。そのとば口は開けた、ということでお許し願いたい。

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ということで、私の米国・コーン視察記をまとめたい。

1.餌を含めて原料コーンの値上げは、現状では止められない。
  ノンGMの場合は、IP (分別) コストも含めて考えなければならないし、
  私はケントのノンGMコーン栽培の保証をする覚悟(シグナル)を見せたいと思う。
  最終製品の価格に跳ね返ることも、今はやむを得ない。
  高くなるけど、これが現状である。
  食べものを大切にしたいと思う (国の食料政策とかは別な論議として)。
  
2.GMの攻勢 (エタノール原料もすべてGM-正確には『不分別』-)
  の流れの中で、ノンGMの確保も極めて困難になりつつあるが、
  わずかでも希望があるなら、つなぎとめておきたい。
  将来の安定供給(安定価格)を目指すために。
  そのためにできることを、具体的に模索したい。

3.「具体的に」とは、人のつながりをつくることだ。
  そこから始めるしかない。
  たとえば、ケントと下河辺さん、そして消費者が支えあう関係は、
  けっして絵に描いた餅ではなく、実は今もそのように流れているのだけど、
  社会に見えるように、可視化したい。
  反対だけでなく、大地が30数年唱え続けてきた 「提案型運動」 のように。

4.そのために協力を惜しまない、と言ってくれる 「人がいる」 以上、
  ここでは、「カーギル」というレッテルで排除してはならない。
  たとえ特殊な付加価値商品(スペシャル・コーン・プログラム)というような位置づけで
  意図されたものであったとしても、その戦略は今の我々には出来えない 「力」 である。

  看板(組織)と喧嘩するのは簡単だけど、その向こうに、ノンGMを維持したいと考える、
  たとえばケント・ロックという生身の農民がいて、彼も手をつなぎたがっている。
  応えたいと思う。

  看板との喧嘩は、それはそれで不断にやろう。
  カーギルがグローバリズムを推進しているのは間違いのない事実だし。
  その点では、こっちだってたたかう準備はある。
  (ネズミがトラに向かって 「かかってこい!」 と息巻いている図のような気もするが、
   地球の未来への責任の立て方においては、一歩も引く気はない。)

5.という意気込みはさておき、日本はすでに相当量のGM作物を受け入れ、食べている。
  その中で、ノンGMの証明を確保しながら、生産に携わってくれている
  多くの生産者・メーカーがいる。
  ノンGMのサプライチェーンを通じての国際的なネットワークは、可能である。
  だって、すでにあって、モノが動いているのだから。
  問題は、人がバラバラに寸断されていて、要所要所で決壊しつつあることだ。

6.僕たちは、つながらなければならない。不可視の境界線を越えて。


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「エネルギーの多様化」という旗の下で、
中東への石油依存を減らし、かつまた農家所得の向上と補助金削減の両方を
達成しょうとする、アメリカというしたたかな国。
(しかも輸入バイオエタノールには日本より高い関税をかけている)

そこで遺伝子組み換え技術が切り札のように使われている。

世界の穀物価格が跳ね上がろうが、自分ところの貯金(石油のこと)は崩さない。
日本の食料品の値段がどうなろうと、それは‘アンタの国の問題’である。
非難しても変わることはない。そういう国、というか、世界はそういう状態で動いている。

これは、我々の問題である。

大地では、ずっと 「国産のものを食べよう」 と訴えてきた。
畜産物でも、牛、豚、鶏、卵で、国産飼料による 「THAT’S国産」 品を実現してきた。
また地域に残る野菜の品種を守ろうと、「とくたろうさん」 というラインアップもある。
これは多様性のオリジン(源)を、シードバンクのような保管庫ではなく、
生産と消費がつながり、当たり前の文化として暮らしの中で育て合うものだ。

しかし、どうしても輸入(貿易)に頼らざるを得ない部分はたくさん残っている。

つながりたい。
世界中の、種を守る人たちと。

いま、そんな思いである。

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これにて米国・コーン視察レポートを終わります。
ちょっと疲れました…。

2007年11月08日

米国・コーン視察レポート(5)

乾燥した空気が、冷涼な風となって北から吹いてくる。
紅葉も進んできた10月24日(日本では25日)、私たちは最後の訪問先である
ノンGMコーンの生産者、ケント・ロック氏を訪ねる。

ケントの家は、平原ではなく、なだらかな丘陵地帯にあった。

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家の隣には牛舎があり、
10数頭の黒毛の牛に数頭の子牛が集まって、我々を興味深く見ている。
ケントは有畜複合経営なんだ。

玄関にはたくさんの猫が、少し冷たい風を除けるように集まって、日向ぼっこしている。
人なつこい。動物好きの家族だ。

我々の到着が少し早すぎたのか、お留守のようで、
少し周りをブラブラと見ているうちに、ケントは帰ってきた。

挨拶を交わし、まずは家に招かれ、彼の農業経営の説明を受ける。

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彼の耕地面積は2000エーカー(約800ヘクタール)。
この辺りでは標準的な農家らしい。
でも続いて出たセリフが、我々の心をわしづかみする。

「しかし、センチュリーコーン農家として特別な農家でありたいと思っている」

彼は自身の経営方針や考えを、このように語ってくれた。

   色々な作物を作って、一年中色んな仕事があって、
   リスク分散しつつ、リスクを恐れず、リスクは高くとも他の人と違うことをしたい。

   持続可能な農業を考えている。子どもたちに良い農地を渡したいんだ。
   良い農地とは、有機物が豊富で、保水力があって、栄養たっぷりな土地のことだ。
   だから面倒でも家畜を飼っている。

   色々な作物を作るが、どの土地に何を作ってどう回していくかは、頭の中に入っている。
   センチュリーコーンを来年作付けするほ場も決めている。種も10月1日に発注した。

   以前にオーガニック(有機)で大豆を作ったが、検査員の印象が悪かったので、やめた。
   何かのテーマのためにやるのでなく、つながりの見えるもののためにやりたい。
   ただエタノール工場に売っただけではそれで終わり。相手の見える仕事がしたい。

   ビジネスとは、人と人が理解し合うことだと思う。
   センチュリーコーンは、人とつながれる。

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ケントにとってセンチュリーコーンとの出会いは、
ポスト・ハーベスト・フリー(収穫後農薬の不使用)の取り組みからで、
自然とGMフリー作物の栽培へと進んだようだ。
97年から作り続けている。

   このプログラムに入って、世界的視野で物事を考えるようになった。
   儲かってないが(笑)。


ようやく会えた・・・・・
今回のツアーの実りを実感した瞬間である。

アメリカの農民にとって、農業は基本的にビジネスである、と聞かされてはいた。
目の前で刻々と変わっていく穀物動向の分析と対応は、
たしかに彼らにとって生命線ともいえる重要な要素なのだろう。

しかし、もうひとつ、農業の大切な価値を一緒に考える相手が欲しかった。
この感覚が共有できさえすれば、連帯は可能である。

ケントだって、他の農家と同様に、GMもノンGMも栽培する。
しかし 「リスク分散のため」 と言いつつも、
ケントの語り口からは、豊かな土壌と農の持続性を守りたいという意思が感じられた。

ケント・ロックによる来年のセンチュリーコーンの作付は、
50エーカー×2ヵ所。約40ヘクタール。
多い、少ない、と論議するところではない。
さっそく、見に行こうじゃないか。

これが、今年植えた畑。
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周囲を山林に囲まれて、コンタミ(汚染)の恐れの少ない場所を選んでいる。
それでも隣がGMコーンを植えると聞かされて、作業を変えたと言う。
つまり先方の花粉が飛んできても、こちらは受粉を終了しているように作業体系を早めたのだ。

そして、ここが来年植える場所。山の上にある。
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今年は大豆を作った。大豆はGMである。
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ケントは、大豆はノンGMはやれないと言う。
ノンGMの純度の要求が高すぎるというのだ。
輸出先(日本もそう)から求められている純度95%以上(=混入率5%以内)
を維持するには、カーギルに98%以上で納めなければならない。
とても無理だ、リスクが高すぎる、というのが彼の判断である。

シェアがある一定の水準を割ると、一気にゼロになる、ということがある。
これは、一人で思うようにはならない話ではある。
しかし、だからといって簡単に 「純度下げても植えろ」 とは、私の口からは言えない。

ケントはすでに割り切っているようである。

では、センチュリーコーンの未来はどうだろうか。

   来年は大丈夫だが、2009年以降、色んなGM品種が出てくる。
   保証はできない。

   しかし手はある。
   全米には膨大なコーン生産量があるが、作付面積の20%はノンGMでなければならない
   と政府が決めている。これを使うのだ。

20%の決まりとは、虫たちがGMの殺虫成分に耐性をつけるのを遅らせるために、
面積の20%は、refuge(レヒュージ:保護地帯)として別品種を植えろということである。

このこと自体が、GM品種のある種の限界性と本質を物語っているのだが、
仮に純度を度外視してそこに植えたとしても、
それではすでに勝負あったということになる。
そこまで農家に考えさせていること自体が、悔しい話である。

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このツアーで何度か訊ねた質問を、ケントにもしてみる。

GMとノンGMの収量の差はどれくらいだと計算しているか?

ケントの答えは、1割弱、である。
これまで聞いたところでは決まって、だいたい2割、という数字だった。

この検証は、当たり前すぎるほど極めて重要なことなのだが、
2割という数字が仮にここ数年の実績比較から導かれたものであったとしても、
色んな角度での、かつ長いスパンでの比較検証が必要なはずである。
これから先、GM一色で続けられたら、実は本当のことが見えなくなる。

必要なのは、農民自身の目による、様々な角度からの‘違い’の把握と分析力だろう。
これはゼッタイに残しておかなければならない ‘永続的生産技術’ の土台だからして。
相手は自然であり、例えば何かの研究データの根拠となる平均的土壌や気候など、
実はどこにも実在してない、と言ってもよい。
その土地で、その土地と栽培品目の関係を見つめ続ける目を枯れさせてはならない。
だからこそ、多様性とか持続性を意識する農民(食糧の作り手)が必要なのであって、
GM一本では何も見えなくなる。

自分の実感や分析によって 「1割弱」 (あるいは「いや2割半だ」)
と言える農民が、未来のために必要なのだ。

北浦シャモの生産者、下河辺さんも嬉しかったようだ。
「ケントの作ったトウモロコシを食べさせてる、って消費者に言えればいいなぁ」

『ケントたちセンチュリーコーンの仲間』
ならいいんじゃない、下河辺さん。


畑を回った後、近くに住むケントの両親宅に立ち寄る。
お嬢ちゃんたちも一緒にいて、
おばあちゃん(ケントのお母さん)手づくりのアイスクリームとクッキーを頂戴する。

柔らかくて優しい甘さのアイスクリームがとても美味しくて、みんなお代わりしている。

帰りがけには、残ったクッキーを全~部パックに詰めて、持たせてくれる。

おばあちゃんの心は、日本もアメリカも一緒だった。
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希望はあるか? -ある。
しかし宿題は、かなりしんどい。

ここにはきっとまた来ることになる
 -そんな予感を抱きながら、収穫期を終えつつあるコーンベルトをあとにする。

おおーい、しもこうべさ~ん、帰るよー!
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2007年11月07日

米国・コーン視察レポート(4)

ワゴンのレンタカー車2台に分譲した我々は、さらに走る。
北海道の生産地帯を10倍、あるいは数10倍に拡大したような風景が続く。

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途中いたるところで目についた、細長~い装置。
潅水用の機械だそうだ。これで水を撒く。
片翼100メートル以上はある。何もかもがデカい国だ。

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次なる目的地は、コーンの集荷センター(カントリー・エレベーター)である。

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南イリノイ地帯のセンチュリー・コーンが集まるセンターを駆け足で回る。

そのひとつ、
シカゴから250マイル(約400km)南、セントルイスから北に200マイル(約320km)
の位置にあるベアーズタウンのセンターでレクチャーを受ける。

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この地域の概況を、地図を広げて説明してくれたのは、
所長のボブ・ヘイル氏(写真左)。
西部劇の舞台から飛び出してきたような陽気なオッサン(失礼)だが、
ここでの現場たたき上げらしい。
カーギル本社で講義してくれたスペシャリティ・プログラム開発マネージャー、
Mr.リックもボブの元で修行を積んだとのこと。

ここイリノイは、巨大な水がめの上にある。
水が枯れたことはない。灌漑設備も網羅されている。
スィートコーン、ポップコーン、ジャガイモ、野菜、その他エトセトラ、何でも作れる。

ボブは、同席していた若い生産者を紹介し、
彼らのお祖父さんの代から付き合っている、と胸を張った。
ここら辺の農家は、だいたい3代目か4代目らしい。
つまり開拓時代から、ボブはこの地域のコーン農家を見続けてきたというわけだ。
先にも書いたが、センチュリーコーンの95%は農家から直接買い取っている。

現場最前線の長が、朗らかに農家との絆を自慢できるというのは、
素敵なことだと思う。
基本的に利害や思惑の対立する関係となってしまう経済構造の中で、
厳しいだけでは誰もついてこなくなる、甘いだけでは組織が持たない、
もたれあうことは不可能だし、嘘をつき合っては続かない。
カーギルという巨大企業の ‘生きた集団の一面’ として受け止めておこう。

こういうカントリー・エレベーターがイリノイ川に沿って、4ヵ所。
エレベーターは艀(はしけ)渡しと直結している。
ここから1500トンの積荷能力を持つ艀が、川を伝って運ばれる。
この川はミシシッピ川につながっている。

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しかし今の現実の状況となると、話は生々しい。
コーンも高ければ、燃料代も運賃もまた史上最高だという。

生産者(ライアンさんと言ったか。上記写真の右端の方)は、
いま農地を拡大中だが、地代も高騰を続けているらしい。
種の話も厳しい。
ここ1-2年で、最初からGM処理したものばかりになってきている。
数年でノンGM種子はなくなるのではないか…

色々と聞かされたGMとノンGMの比較整理や考察は最後にトライするとして、
次に進もう。
今度は、種子会社を訪問する。

イリノイからミズーリ州をエリアとして種を販売する、
こちらも今が3代目というBURRUS社。

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品種開発の難しさが語られ、
種の交雑を避けるための周辺の土地調査と汚染防止を徹底した、
BURRUS QUALITY 純度99.5%の種が彼らの誇りとなっている。

しかしここでも、やはりGMの勢いを見せられるばかり。
2002年に86%あったノンGMのシェアは、今年は26%まで落ちている。
ノンGMは契約のものだけが残っている状態で、自由に買えるものはなくなった、と。

それでも彼らは迷いもなく思っているのだ。
「農家のニーズに合わせて良質な種を用意し、
 彼らの経営の発展を支えることが、我々種子会社の使命である」
言葉に自信すら感じさせる。

ならば、と聞く。
農業は、天候や相場やその年の気象条件との品種適性など様々なリスクを抱えていて、
そられを想定しての経営上のリスクヘッジを支えるためにも、
ノンGMも含めた品種の多様性を維持しておくのが、種屋こその任務ではないか?

意味は充分理解されているようだったが、
残念ながら、私には頷ける回答ではなかった。

アメリカ国内の各地で、種会社が潰れるか、統合されていっている。
GM技術は、モンサント含む3社による支配状態にあって、
地方で農家のために頑張っているBURRUS社のような会社においても、
GMの種のシェアを上げないとやってゆけないのが現実となっているのだろう。
種を回す際に相応の圧力がかかってきていることも推測される。

単一化してゆく社会は、危険である。
もともとアブナイ国だとは思ってるけど。

それにしても、
こういう地方の中堅種会社を回ってノンGMの確保を追求しているカーギル社という図は、
けっこう珍しいレポートになっているような気がしないでもない。
あいつも乗せられたか、というありがちな声が聞こえてきそうだが、
それは最後まで読んでからにして欲しい (早く書け!ってか)。

収穫を終えたコーン畑。
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車中から見た、コーンの収穫風景。
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みんな誰だって、お金の計算だけで生きているはずはないのだが、
現実は何かに支配され、追いまくられている。
収穫の歓びというやつが、何処の国からも奪われていっているような気がしてならない。

長々と話を続けてしまったけど、
最後に生のアメリカ農民を紹介して、まとめに入りたい。

2007年11月06日

米国・コーン視察レポート(3)

あれやこれやと動き回れば回るほど、休みは消え、肉体は鈍重になり、仕事は溜まる。
ブログのネタも増えるけど、書く時間はなくなる。
それでもって 「好きなことして」 とか言われた日にゃ、一瞬にして “キレる中年” となる。
……と、泣き言というか言い訳から始めて、米国視察報告を再開します。
とにかくこれを終えないと次に進めないし。

10月22日(日本では23日)、
カーギル本社でのレクチャーと情勢分析を終えた我々は、
ミネアポリスから飛行機で1時間半ばかり、イリノイ州ペオリアへと飛んだ。

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しかし、この飛行機が30人乗りほどの、ちょっと古っぽい感じで、
一人しかいない長身の女性客室乗務員が身を屈めて細い通路を歩くようなやつ。

しかもチケットでは窓際のシートのはずだったのに、
そこには1.5席分くらいのサイズのお姉さまが先に陣取っていて、
こちらを見て立つわけでもなく、堂々と座席を指差しながら何やら早口で聞いてくる。
こっちに座ってても良いかしら?-とか伺ってくれているのかと勝手に想像して、
「OK,OK」と応えたら、ハーッハッハーと笑い出す。
もしかして、「アタイの膝の上にでもどう?」 とか誘ってくれてたんだろうか。
尻に敷かれた気分でずっとちぢこまって、
機体が傾いた時に、なるべく目を合わせないようにしながら景色を垣間見る。
ボクは・・・・・この大陸の色あいを上空から確かめたかったんだ。
でもジャンボなお姉さまは、そんないたいけな外国人の気持ちなどお構いなく、
雑誌の女性モデルの写真を食い入るように眺め、私の視界を塞ぐのだった。
しょうがないから、哲学者のように掌を顔にあて、眠ったふりをする。
こんな飛行機では、本を読む気にもならない。
時折、空を飛んでるという実感というか緊張感が、睡魔を凌いで迫ってくる。

ま、そんな話はどうでもいいとして(今日は愚痴っぽい)、ペオリアである。

夕刻、空港に降り立った時は、冷たい雨だった。
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その日はペオリア泊。
翌日は快晴。
レンタカーでホテルから約1時間突っ走り、
イリノイ州南部に建設中のエタノール工場を視る。
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この工場は地元260軒の農家の共同出資によって作られ、
協同組合の方式で運営される。
出資農家は一定量の原料供給義務を負うことになる。

建設費は125万ドル(この数字のメモはちょっと怪しい)。
だいたい1~3%が国からの補助金。
加えて地元からの雇用によって州からも助成される。

2003年から計画がスタートし、昨年10月に工事が着工。
ほぼ95%まで完成し、12月に稼動予定。
生産量は1億4500万リットル。相当するコーン原料は約30万トン。

生産効率としては、1トンの原料コーンの3分の1がエタノールに変わり、
3分の1が搾りカス、残りはCO2となって放出される、という説明。
エネルギー源は、くず石炭。
地域一帯が石炭鉱床の上にあり、潤沢に手に入るのだそうだ。

要するに、これは代替エネルギー政策には貢献できるのだろうが、
CO2とか温暖化対策と連動しているものではない。
まあ、京都議定書を批准しない国なのであるから、彼ら的には矛盾はないのだ。

野積みされたコーンの山。
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水分含有量が増えてもドライアイスを使って調整可能なので、コーン自体の規格は緩い。

前にも書いたが、問題はこれからである。
原料コーン価格の上昇に加え、エタノール価格の下落がすでに予想され、
いま新規に建設されている工場はほとんど採算割れを起こすのではないか、
との懸念が計算されつつある。
建設を止めて様子見に入った工場もあるらしい。

エタノール工場の建設には、カーギル社も資金的支援をしていると聞いているが…
と質問してみる。

それは農家が建設資金を調達するのに頼まれて ‘信用’ を提供するレベルだと言う。
彼らにとって、あくまでも本脈は農家とのパイプであって、
エタノール景気は穀物価格との関連で冷徹に分析されている。

いずれにしても、この結果というか、次の段階は、
わりと早いうちに見られるかもしれない。

(続く)

こんなふうに細切れで、連載のように続くことをお許しください。

2007年11月01日

お詫び

いま、島根に来ています。

加工品と乳製品の生産者会議が、
アイスクリームで好評いただいている木次乳業さん(雲南市)のところで
開かれたのです。
全国から35社ほどのメーカーが参加してくれました。

会議後は日本一小さなワイナリー、奥出雲葡萄園で懇親会を開いて解散。
でもその後、出雲駅前のホテルに宿を取った何人かともう一軒。
これがまたちょっとくせのある、いや失礼、ハートのあつい連中。

日本中が神無月となり、出雲だけが神有月となる10月も終わり、
参集されていた八百よろずの神さんたちもご機嫌で去った出雲の地で、
出雲の酒に酔って、結構あつい語り合いの夜を過ごしてしまいました。

でもって明日は、このまま羽田経由で秋田まで飛びます。

大潟村の生産者たちと山に登って、ブナの植林です。
こちらも暑苦しい生産者に囲まれることかと。

そんなわけで、パソコンを持参したにもかかわらず、続きは書けずじまい。
おそらくは明日も無理でしょう。

スミマセンが、連載は一時中断でご容赦ください。