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2007年11月10日

米国・コーン視察レポート-エピローグ

5回にわたってレポートを続けてしまったが、
改めて読み返せば、書き損じ、書き忘れ、意味不明な表現などが散在されて、
触れてなかった重要な点もある。
いくつかの補足や整理などして、
いったんアメリカ(視察)の ‘縛り’ から開放させていただくことにしたい。

まず前提として、細かい数字やデータは省かせていただいた。
ブッシェルあたり何セントといった話をしても面白くないだろうし、
とりあえずは温かいままでのレポートとして、
いまアメリカで進行している動きと、迫りくる危機の感じを
つかんでいただければ、と思って報告したものである。

次に、遺伝子組み換え食品に関心を持つ方にとっては気になるところの
重要な問題が未整理のままである。

それで、GM作物の安全性についてはどうだったんよ、ってことよね。

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まず、作物の安全性については、ほとんど論議の対象にはならなかった。
というより、正直、できなかった。

もちろん、カーギルに遠慮したわけではない。
アメリカでは、特に今回回った中西部では、GMOそのものの安全性は論点にならない。
持っている情報がかけ離れすぎているのだ。

こちらでは読もうと思いさえすれば、
天笠啓祐さんの著書はじめ多くの書籍や情報を入手することができるが、
アメリカでは、マイナス情報が流れていない。
ミネアポリスでわずかながら本屋さんを覗く時間があったが、
その手の本は見つけられなかった(英語力の弱さもあるけど)。

自由の国・アメリカで、マイナス情報がほとんど流れていない。
こちらに伝わってくる情報では、
アメリカでも多くの科学者がGMOの安全性に異を唱えているはずなのだが……
これ以上の推測は、とりあえず避けておきたい。

つまるところ、アメリカ政府が「安全」というお墨付きを与えている以上、「安全」であり、
何を言ってるんだろう、という感じである。

敵陣で、正面切って安全性に異議を唱えることもできたのかもしれない。
しかし今回の目的は、状況を踏まえつつ、ノンGM飼料の可能性を探ることにあり、
ただ喧嘩をして、入口で帰って来るわけにはいかなかった。
自分の目でGMとノンGMを見定めてくれる農民を見つける旅でもあったし、
何よりも、我々日本人は自分たちの胃袋を彼らに預けてしまっている関係なのだ。
それなりの仁義は踏まえておかなければならない。
力不足の批判は、甘んじて受ける。

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また、GM品種での農薬の使用量について。
「除草剤や殺虫成分に対する耐性が広がっていて、結果的に農薬の使用量は増えている」
というような情勢分析もあるのだが、現地の答えはどうだったか。

生産者からの回答はすべて、「農薬は減った」である。

「現時点では」 とした上で、
GMにして農薬の総使用量は減っている、としておくのが妥当かと思う。

種代も高いようで、「コストはトントン」という答えもあったが、
コストが同じなら、収量(収入)の高い方が選ばれるのは責められない。

確実なことは、モンサント社の除草剤・ラウンドアップの使用量は増えている。
それが前提の品種であるからして、当然といえば当然のことである。
種子の占有率が上がれば除草剤の販売も増える。
農家は選択の余地なく種とセットで特定の除草剤を買わねばならなくなり、
結果として、モンサント社は売上・利益ともに大きく伸ばしている。
(連載(2)で、モンサントは種会社と書いたが、本体は農薬・化学メーカーである)

もはや有機農業の道筋とは正反対の方向なのだが、それだけでなく、
農民が主体性(自立と言ってもいい) を失うことの危険性について、
私たちはもっと想像力を逞しくしなけれなばらないのではないか。
私はこの一点だけでも、GM作物には反対しておきたいと思っている。

ケントの訪問記(5)で書いた ‘永続的生産技術の土台’ とかの言い回しは、
そういう意味で捉えていただけたらと思う。
自立した農民こそが、生命の命綱である多様性を守る主体になるはずだから。

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もうひとつ補足しておかなければならないのは、耐性である。
その除草成分や殺虫成分に対する耐性をもった動植物の逆襲は、始まっている。
というか、これはGM作物普及の前提となっている。
(5)で触れた「Refuge」の存在で想像いただけると思うが、
殺虫成分を含んだコーンを皆が植えたら、品種として長持ちしないのである。

ひっきょう、耐性と品種改良(GMとGMの掛け合わせ)のいたちごっこになる。
そのサイクルは、静かに始まっている。

 ※ラウンドアップと耐性の問題については、9月7日の日記も参照いただけると有り難い。


加えて、もうひとつ。
BT(殺虫成分)コーンが、アメリカでは「農薬」として登録されているという事実も、
農家はあまりご存知ないようである。
コーン自体が、どこを食べても害虫は死ぬ、というものであるからなのだが、
これをもってしても、通常の育種で作られた他のコーンと「実質的同等」なもの、
という推進派の主張は、どうしても許しがたいものを感じる。
殺虫成分「BT」との同等性だろうが、と言いたい。
「BTタンパク」は人体には無害である -の科学論争は終わってないし
(推進派には「決着のついた話」らしいが)、
「人体」を保証する生態系への影響となれば、それは 「未知数」 の世界である。
どう考えても、「実質的同等」 という論は、科学ではない。

どうしても同等と言い張るなら、
勝手に交配してしまった畑に対して特許権の侵害を訴えるというような
野蛮な行動は、慎んでもらいたいものだ。

……というような話を、トコトンしたかったのだが、ごめんなさい。

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まあ言い訳はともかくとして、
安全性論争は、長い時間をかけてやるしかない。
しかも専門家相手の科学論争となるがゆえに、
気になるマイナス情報はしっかりつかんで、論戦を挑み続けなければならない。
なぜなら、マイナス情報は ‘将来へのリスク可能性’ を示唆するものだから。
したがってその間は、生産の多様性(経営のリスクヘッジも含めて)と、
消費の選択権は死守しておく必要がある。
「安全である」 からといって 「選択の余地なし」 状態にする権利は誰にもないはずだ。

消費の選択ということで言えば、「嫌なものはイヤ」 もまっとうな権利である。
その被害に遭った男性は私も含めて少なくないはずだが、こちらに訴える権利はない。
<大地でひと昔前、「安全で安心な男」 のお墨付きをもらった男がいたが、
 女どもは「いただけない」と言った。理由は安全でも安心でもなかったようだが…>

笑い話ではなく、‘違和感’ というのは大事な判断基準である。自分を守る上で。
大切にした方がいいし、胸を張って言っていいことなのだ。

充分な議論はできなかったけど、
対話は始まったばかり。そのとば口は開けた、ということでお許し願いたい。

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ということで、私の米国・コーン視察記をまとめたい。

1.餌を含めて原料コーンの値上げは、現状では止められない。
  ノンGMの場合は、IP (分別) コストも含めて考えなければならないし、
  私はケントのノンGMコーン栽培の保証をする覚悟(シグナル)を見せたいと思う。
  最終製品の価格に跳ね返ることも、今はやむを得ない。
  高くなるけど、これが現状である。
  食べものを大切にしたいと思う (国の食料政策とかは別な論議として)。
  
2.GMの攻勢 (エタノール原料もすべてGM-正確には『不分別』-)
  の流れの中で、ノンGMの確保も極めて困難になりつつあるが、
  わずかでも希望があるなら、つなぎとめておきたい。
  将来の安定供給(安定価格)を目指すために。
  そのためにできることを、具体的に模索したい。

3.「具体的に」とは、人のつながりをつくることだ。
  そこから始めるしかない。
  たとえば、ケントと下河辺さん、そして消費者が支えあう関係は、
  けっして絵に描いた餅ではなく、実は今もそのように流れているのだけど、
  社会に見えるように、可視化したい。
  反対だけでなく、大地が30数年唱え続けてきた 「提案型運動」 のように。

4.そのために協力を惜しまない、と言ってくれる 「人がいる」 以上、
  ここでは、「カーギル」というレッテルで排除してはならない。
  たとえ特殊な付加価値商品(スペシャル・コーン・プログラム)というような位置づけで
  意図されたものであったとしても、その戦略は今の我々には出来えない 「力」 である。

  看板(組織)と喧嘩するのは簡単だけど、その向こうに、ノンGMを維持したいと考える、
  たとえばケント・ロックという生身の農民がいて、彼も手をつなぎたがっている。
  応えたいと思う。

  看板との喧嘩は、それはそれで不断にやろう。
  カーギルがグローバリズムを推進しているのは間違いのない事実だし。
  その点では、こっちだってたたかう準備はある。
  (ネズミがトラに向かって 「かかってこい!」 と息巻いている図のような気もするが、
   地球の未来への責任の立て方においては、一歩も引く気はない。)

5.という意気込みはさておき、日本はすでに相当量のGM作物を受け入れ、食べている。
  その中で、ノンGMの証明を確保しながら、生産に携わってくれている
  多くの生産者・メーカーがいる。
  ノンGMのサプライチェーンを通じての国際的なネットワークは、可能である。
  だって、すでにあって、モノが動いているのだから。
  問題は、人がバラバラに寸断されていて、要所要所で決壊しつつあることだ。

6.僕たちは、つながらなければならない。不可視の境界線を越えて。


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「エネルギーの多様化」という旗の下で、
中東への石油依存を減らし、かつまた農家所得の向上と補助金削減の両方を
達成しょうとする、アメリカというしたたかな国。
(しかも輸入バイオエタノールには日本より高い関税をかけている)

そこで遺伝子組み換え技術が切り札のように使われている。

世界の穀物価格が跳ね上がろうが、自分ところの貯金(石油のこと)は崩さない。
日本の食料品の値段がどうなろうと、それは‘アンタの国の問題’である。
非難しても変わることはない。そういう国、というか、世界はそういう状態で動いている。

これは、我々の問題である。

大地では、ずっと 「国産のものを食べよう」 と訴えてきた。
畜産物でも、牛、豚、鶏、卵で、国産飼料による 「THAT’S国産」 品を実現してきた。
また地域に残る野菜の品種を守ろうと、「とくたろうさん」 というラインアップもある。
これは多様性のオリジン(源)を、シードバンクのような保管庫ではなく、
生産と消費がつながり、当たり前の文化として暮らしの中で育て合うものだ。

しかし、どうしても輸入(貿易)に頼らざるを得ない部分はたくさん残っている。

つながりたい。
世界中の、種を守る人たちと。

いま、そんな思いである。

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これにて米国・コーン視察レポートを終わります。
ちょっと疲れました…。