2007年11月 8日

米国・コーン視察レポート(5)

 

乾燥した空気が、冷涼な風となって北から吹いてくる。

紅葉も進んできた10月24日(日本では25日)、私たちは最後の訪問先である

ノンGMコーンの生産者、ケント・ロック氏を訪ねる。

 

ケントの家は、平原ではなく、なだらかな丘陵地帯にあった。

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家の隣には牛舎があり、

10数頭の黒毛の牛に数頭の子牛が集まって、我々を興味深く見ている。

ケントは有畜複合経営なんだ。

 

玄関にはたくさんの猫が、少し冷たい風を除けるように集まって、日向ぼっこしている。

人なつこい。動物好きの家族だ。

 

我々の到着が少し早すぎたのか、お留守のようで、

少し周りをブラブラと見ているうちに、ケントは帰ってきた。

 

挨拶を交わし、まずは家に招かれ、彼の農業経営の説明を受ける。

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彼の耕地面積は2000エーカー(約800ヘクタール)。

この辺りでは標準的な農家らしい。

でも続いて出たセリフが、我々の心をわしづかみする。

 

「しかし、センチュリーコーン農家として特別な農家でありたいと思っている」

 

彼は自身の経営方針や考えを、このように語ってくれた。

 

   色々な作物を作って、一年中色んな仕事があって、

   リスク分散しつつ、リスクを恐れず、リスクは高くとも他の人と違うことをしたい。

 

   持続可能な農業を考えている。子どもたちに良い農地を渡したいんだ。

   良い農地とは、有機物が豊富で、保水力があって、栄養たっぷりな土地のことだ。

   だから面倒でも家畜を飼っている。

 

   色々な作物を作るが、どの土地に何を作ってどう回していくかは、頭の中に入っている。

   センチュリーコーンを来年作付けするほ場も決めている。種も10月1日に発注した。

 

   以前にオーガニック(有機)で大豆を作ったが、検査員の印象が悪かったので、やめた。

   何かのテーマのためにやるのでなく、つながりの見えるもののためにやりたい。

   ただエタノール工場に売っただけではそれで終わり。相手の見える仕事がしたい。

 

   ビジネスとは、人と人が理解し合うことだと思う。

   センチュリーコーンは、人とつながれる。

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ケントにとってセンチュリーコーンとの出会いは、

ポスト・ハーベスト・フリー(収穫後農薬の不使用)の取り組みからで、

自然とGMフリー作物の栽培へと進んだようだ。

97年から作り続けている。

 

   このプログラムに入って、世界的視野で物事を考えるようになった。

   儲かってないが(笑)。

 

ようやく会えた・・・・・

今回のツアーの実りを実感した瞬間である。

 

アメリカの農民にとって、農業は基本的にビジネスである、と聞かされてはいた。

目の前で刻々と変わっていく穀物市況動向の分析と対応は、

たしかに彼らにとって生命線ともいえる重要な要素なのだろう。

 

しかし、もうひとつ、農業の大切な価値を一緒に考える相手が欲しかった。

この感覚が共有できさえすれば、連帯は可能である。

 

ケントだって、他の農家と同様に、GMもノンGMも栽培する。

しかし 「リスク分散のため」 と言いつつも、

ケントの語り口からは、豊かな土壌と農の持続性を守りたいという意思が感じられた。

 

ケント・ロックによる来年のセンチュリーコーンの作付は、

50エーカー × 2ヵ所。約40ヘクタール。

多い、少ない、と論議するところではない。

さっそく、見に行こうじゃないか。

 

これが、今年植えた畑。

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周囲を山林に囲まれて、コンタミ(汚染)の恐れの少ない場所を選んでいる。

それでも隣がGMコーンを植えると聞かされて、作業を変えたと言う。

つまり先方の花粉が飛んできても、こちらは受粉を終了しているように作業体系を早めたのだ。

 

そして、ここが来年植える場所。山の上にある。

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今年は大豆を作った。大豆はGMである。

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ケントは、大豆はノンGMはやれないと言う。

ノンGMの純度の要求が高すぎるというのだ。

輸出先(日本もそう)から求められている純度95%以上(=混入率5%以内)

を維持するには、カーギルに98%以上で納めなければならない。

とても無理だ、リスクが高すぎる、というのが彼の判断である。

 

シェアがある一定の水準を割ると、一気にゼロになる、ということがある。

これは、一人で思うようにはならない話ではある。

しかし、だからといって簡単に 「純度下げても植えろ」 とは、私の口からは言えない。

 

ケントはすでに割り切っているようである。

 

では、センチュリーコーンの未来はどうだろうか。

 

   来年は大丈夫だが、2009年以降、色んなGM品種が出てくる。

   保証はできない。

 

   しかし手はある。

   全米には膨大なコーン生産量があるが、作付面積の20%はノンGMでなければならない

   と政府が決めている。これを使うのだ。

 

20%の決まりとは、虫たちがGMの殺虫成分に耐性をつけるのを遅らせるために、

面積の20%は、refuge(レヒュージ:保護地帯)として別品種を植えろということである。

 

このこと自体が、GM品種のある種の限界性と本質を物語っているのだが、

仮に純度を度外視してそこに植えたとしても、

それではすでに勝負あったということになる。

そこまで農家に考えさせていること自体が、悔しい話である。

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このツアーで何度か訊ねた質問を、ケントにもしてみる。

 

GMとノンGMの収量の差はどれくらいだと計算しているか?

ケントの答えは、1割弱、である。

これまで聞いたところでは決まって、だいたい2割、という数字だった。

 

この検証は、当たり前すぎるほど極めて重要なことなのだが、

2割という数字が仮にここ数年の実績比較から導かれたものであったとしても、

色んな角度での、かつ長いスパンでの比較検証が必要なはずである。

これから先、GM一色で続けられたら、実は本当のことが見えなくなる。

 

必要なのは、農民自身の目による、様々な角度からの ' 違い ' の把握と分析力だろう。

これはゼッタイに残しておかなければならない ' 永続的生産技術 ' の土台だからして。

相手は自然であり、例えば何かの研究データの根拠となる平均的土壌や気候など、

実はどこにも実在してない、と言ってもよい。

その土地で、その土地と栽培品目の関係を見つめ続ける目を枯れさせてはならない。

だからこそ、多様性とか持続性を意識する農民(食糧の作り手)が必要なのであって、

GM一本では何も見えなくなる。

 

自分の実感や分析によって他人と違う 「1割弱」 (あるいは「いや2割半だ」)

と言える農民が、未来のために必要なのだ。

 

北浦シャモの生産者、下河辺さんも嬉しかったようだ。

「ケントの作ったトウモロコシを食べさせてる、って消費者に言えればいいなぁ」

 

『ケントたちセンチュリーコーンの仲間』

ならいいんじゃない、下河辺さん。

 

畑を回った後、近くに住むケントの両親宅に立ち寄る。

お嬢ちゃんたちも一緒にいて、

おばあちゃん(ケントのお母さん)手づくりのアイスクリームとクッキーを頂戴する。

 

柔らかくて優しい甘さのアイスクリームがとても美味しくて、みんなお代わりしている。

 

帰りがけには、残ったクッキーを全~部パックに詰めて、持たせてくれる。

 

おばあちゃんの心は、日本もアメリカも一緒だった。

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希望はあるか? -ある。

しかし宿題は、かなりしんどい。

 

ここにはきっとまた来ることになる

 -そんな予感を抱きながら、収穫期を終えつつあるコーンベルトをあとにする。

 

おおーい、しもこうべさ~ん、帰るよー!

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