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2008年01月23日

大地を守る東京集会

毎年2~3月に開催してきた、生産者と消費者が一堂に会して交流する
『大地を守る東京集会』。

1978年2月に第1回-『地球は泣いている 東京集会』 を開催してから、
数えること31回目。
大地がもっとも大切にしてきたイベントである。

今年は2月23日(土)と24日(日)の二日間にわたって行なわれる。
23日は、各地区12ヵ所に分かれての 「だいち交流会」。
24日は、東京・大手町のサンケイプラザに集まっての 「だいちのわ 全体集会」。
各地区や全体集会それぞれに実行委員会が結成され、
いま準備が急ピッチで進められている。

全体集会の実行委員会は、10年くらい前から若手職員中心で運営されてきている。
そんなわけで、私もここ数年は、担当する専門委員会(米プロジェクト21) の展示以外は、
だいたい上京してこられた生産者のお相手がメインになっていたのだが、
今年は、何やら仕事が多い。
 

そのひとつが、「身近な環境セミナー」と題された連続講演のプログラム。
3名のゲストの講演のうち、お二人の司会をやる羽目になってしまったのだ。

お一人は、市民バイオテクノロジー情報室代表の天笠啓祐さん。
遺伝子組み換えに関する最新情報を語っていただく。
どうやら、昨年10月の米国コーン視察以来、
この問題で色々と偉そうに喋ってしまったのが、祟ったようである。

二人目は、農と自然の研究所代表の、宇根豊さん。
このブログでも何度か紹介してきた、私の尊敬する思想家であり実践家である。
しかも宇根さんについては、交渉ごとや連絡までやらされてしまっている。
……なんて人のせいみたいな言い方して。 要するに、
「宇根さんなら俺が話をつけてやる」 とか調子よくやっちゃったワケなのよね。

また一方で、遺伝子組み換えのほうでも、
実は密かにひとつの ‘仕掛け’ を画策していたのである。

アメリカのノンGMコーン生産者、Mr.ケント・ロックを集会に呼ぼうと考えたのだ。
鶏の餌の生産まで ‘顔が見える’。 それによって食の未来を語り合える関係づくり。
市場価格とは違う価値感によってノンGMを維持して、種の多様性を支えあう、
そんな関係を築く第一歩にできないだろうか……

結局ケント氏の都合がつかず、目論みは実現できなかったのだが、
農作業が少し楽になる6月ころには来れるかも、との逆オファーが内々に届いていて、
これはこれで無駄ではなかったかと思う。

当日、司会が出しゃばるわけにはいかないが、
天笠さんには情勢分析だけでなく未来への展望も語ってもらうつもりなので、
そこに少し絡めて報告できるものを用意できればと考えている。

宇根さんの講演テーマは、『農の未来の扉を開けよう』。
食の未来を守る道筋を描きつつ、その‘扉’を、いま、私たちの手で開ける。
生産者にも消費者にも刺激的な話になれば、と願っている。

そんなことを考えてるうちに1月も終盤になってきて、尻に火がつき始めた。
米の展示のほうにまだ手がついてない。一気に進めなくては……

前日の「だいち交流会」では、
参加することになった会場の企画準備にあたっている会員の方から、
これまた難しいテーマでの話が依頼されてきている。 頭が痛い……

久しぶりに、ちょっとばかししんどい東京集会になってきている。


では、大地の東京集会にまだ行ったことがない、という方のために、
昨年の様子を何枚か、貼り付けておきます。

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真面目な討論あり、楽しい出会いあり、美味しい時間もあり。
参加された皆さんに満足してもらえるよう、
実行委員会諸君が、いよいよ夜なべモードに入ってきています。
乞う、ご期待ということで。

2008年01月21日

水の世紀と日本文明

先週の1月17日(木)夜、久しぶりに大手町カフェでの 『地球大学』 に参加する。
毎週々々、環境に関連していろんな面白いテーマが採り上げられ、
ついに80回を数えた。

今回のテーマは、「水の世紀と日本文明-100年を見通して-」。
講師は、立命館大学客員教授で日本水フォーラム事務局長の竹村公太郎さん。

今回もなかなか刺激的な話が聴けた。
数日経ってしまったが、聴きっ放しで済ませてはもったいないと思い直して、
以下、ざっくりとメモを辿ってみたい。
 

今から6000年ほど前の縄文前期。
最終氷河期が終わって、世界は温暖化のピークを迎えていた。
平均気温は今より2℃ほど高く、海面水準は5メートル上にあった。
いわゆる縄文海進というやつ。
日本で真っ平の所(平野部) はほとんど海の底だったのだ。

つまり日本の沖積平野というのは、水はけの悪い元海底であり、
東京もまた途方もない湿地帯だった。
そこでの昔の稲作というのは(実は半世紀くらい前まで)、
胸まで水に浸かったりしながらの作業だったが、
しかし日本人はそこから膨大な富を得てきた。

有史以来、日本にとってもっとも重要なエネルギー資源は森林だった。
権力者は建造物を建てるのに材木を伐り集め、
すでに戦国時代には近畿地方一帯は禿げ山と化していた。
秀吉は日本中から木を集めた。
家康は崩壊した関西の森を目の当たりにして、
江戸に拠点を築く決意をしたのだ (これは講師の推論)。
1600年のころの江戸は100戸くらいしかなく (ホント?)、
周囲はエネルギーの宝庫だった。

ちなみに近畿地方の山並みは、明治以降の植林によるものである。

幕府が江戸に移って心血を注いだのが、治水である。
生活用水を確保するために虎ノ門辺りにダムを造り水を貯めた。
(現在の「溜池」という地名が、その名残りだそう。)
そして東京湾に注いでいた利根川の大改修をやって、
言ってみれば洪水(のリスク) の70%を銚子に流したのだ。

その国土の10%しかない沖積平野に、
50%の人口と75%の国家資産が集中している。
温暖化で5メートル(2℃分) 海面が上昇すると、そのかなりが水没する。
しかし、森林を中心とした90%の国土は残る。
日本列島の土地利用を見直すべき時に来ている。

温暖化で、日本の降水量は年々バラつきが激しくなってきている。
干ばつと集中豪雨が繰り返される(=落差が激しくなる)。
そのときに必要なのが、雨を集める装置=森である。
ピーク時に水を抱える力は限られるが、森があることによって土の崩壊が防げる。
森が崩れるとすべてが崩れる。

このまま温暖化が進むと、100年後には、
北海道は関東の気候に、関東は台湾の気候に、九州が亜熱帯地方になる。
これは極めて劇的な変化である。
冬の雨は一気に海に流れ、‘春の雪解け水’ はなくなる。
春から水不足の不安が生まれ、水田稲作はこれまでのような形では維持できない。

エネルギー源では、石油はあと43年とか言われているが、
石油はたくさんの製品の原料としても使われている。
その需要と供給のバランスで価格が暴騰してゆけば、
もっと早くに(エネルギー源として)「燃やす」ことができなくなるかもしれない。

水は太陽エネルギーそのものなのだ。
各地に自給型の水車を提案したい。
太陽光や風力、水力などによる分散型のエネルギー政策が必要。
そして次に期待できるのは、水素だ。
日本列島を、「水と水素の国」 にしよう。

そのためにも、日本は大急ぎで山のメンテナンスをはからなければならない。
すでに熱帯林の値段が上がってきている。
日本の山村を 「限界集落」 とか言って嘆いているうちに、
中国資本が買い占め始めている (これも本当だろうか?)。
地方とどうタイアップするかは、都市の問題なのだ。

食料自給率はカロリーベースで40%を切ったが、金額ベースでみれば70%である。
肉さえ諦めれば自給できる。 日本型食生活を見直しませんか。
またリン鉱石が今世紀中に枯渇する。これは化学肥料がなくなるということだ。
いまアメリカが買い漁っている。
リン鉱石の大もとは、鳥のフンである。
糞のリサイクルを考えないと、食料生産はおぼつかなくなる。
 (つまりは有機農業ってことね。しかも糞のリサイクルを考えるなら、実は
  自給型畜産=肉も重要な位置になる。そこは分かって欲しいところだ。)

また海が荒れている。
近海資源(=沿岸の保全) を早急に立て直さなければならない。
どこでも獲れていたアサリまで輸入されているが、
近海の魚介類資源を維持・再生させなければならない (アサリは海の浄化者だしね)。

最後に、日本本来の特徴は、Small is Beautiful だ。
地域の多様性を守り、文化の多様性を守る、新しい社会モデルをつくろう。
それをつくれるのが日本だと思う。


……と、そんな話でした。

日本には資源がある。
日本に生まれてつくづくよかった、と思えるようにしたいものですね。

2008年01月19日

食料の安全保障について考える(続)

(昨日から続く)

あの年(93年)、冷害によってコメは歴史的な不作となった。
作況指数はたしか75だったか。
 (あの冷害でも75%の収穫があるコメの強さと、
  それだけ日本の環境に適した作物である、という視点もあるが、ここではおいといて)

国の備蓄もなく、年末には緊急輸入となって、
タイ米をめぐる恥ずかしい騒動なども起こしつつ、一気に市場開放へと進んだ。
86年から続いた市場開放論争が、
一度の凶作という事態で、あっという間に方をつけられた格好になった。

翌年の豊作の声が聞こえ出した頃には、
実はコメ(の在庫) はあったことに気づかされるのだが、
ま、それもおいといて、
そんな騒ぎのさなかでの、深夜の討論会だった。

『コメをどうする?』 みたいなタイトルだったが、
だいたいあの番組(「朝まで生テレビ」) は、人数が多いこともあってか、
討論というよりは、だいたいがぐちゃぐちゃの喋くり合いで終わる。
あの時もそんな感じだった。

もう15年も前の話なので、
その時の市場開放派の論調をここで解説するのは省かせていただくが、
昨日書いたグローバリズム推進派の論点と、土台はほとんど一緒である。

わたし的に共通点を整理すれば、こうなるだろうか。
 
 

まず、食料は金さえ出せばいつでも手に入るし、日本には買う力がある、
という前提がある。
それが貧しい国から食料を奪うことにつながっていることは、あえて無視するか、
「別な形で援助すればよい」 という論理にすりかえられる。
93年の日本の緊急輸入がコメの国際価格を高騰させ、
コメが食べられなくなった人々がいたことは見ようとせず、
したがって心が痛むこともない。

自国のことしか考えてないことを、見事に表現してないだろうか。

『すべての人々が、健康に暮らせるために必要な量の、
 安全で栄養のある食料を、手に入れることができること』

これが 「フードセキュリティ」 の国際的な共通概念なのだが、
自国の農地を改廃させて、他国から買い漁る国は、
実は極めていびつで、世界標準から大きく逸脱しているとしかいいようがない。

それはまた、輸出力(国際競争力) のある産業がこの国を守っている、
という強烈な固定観念にもよるようだ。
工業を優先して、その貿易を守ることが日本の豊かさを守っている。
食料(農業)の保護主義は捨てろ!むしろキケンだ、という信念のようなものがある。

しかし、こんな国運営をしている国は、実はどこにもなくて、
あの手この手で国内の食料生産力を守ろうとしているのが、万国共通政策である。
食料の安定的確保は、貿易のみで保証されるものではない。
極めてリスキーで、食の安定はどの国においても「国家の基本施策」 である。
昨日紹介した、日本を揶揄したブッシュさんの演説が象徴的だ。

要はバランスの問題であることを、すっかり忘れてしまっている。
いや、特定の利益を守ることを最優先したいがために‘仕立て上げられた’論、
そのお先棒を担がされていると言えば、言いすぎだろうか。

15年前の「朝生」討論で、こんな発言があった。
「コメも自由化して、海外からの圧力によって、日本の農業の甘さを立て直しましょう」

あの頃よく使われていた言い方である。
こんな無責任な亡国の論を到底許すわけにはいかないと常々思っていた。
本音は ‘農業は潰れてもいい’ に近い。
自分でも分かるくらい興奮して、必死で叫んでいた。

「そんなのは、政策でもなんでもない!
 他国の力を借りてこの国の農業を立て直すなんて、暴論を通り越して
 ただ無責任に国(民)を放り投げようとしているだけだ。
 僕たちの食料と農業と環境をどうつくるのかは、僕たちの手でやらなければならないことだ」

番組終了後、テレビ局の方から、あなたの発言が一番良かった、と
言ってもらえたのを、今でも覚えている。

経済(数字) だけで国力を語るなら、次のことを考慮に入れる必要がある。
外部経済という観点だ。「外部不経済」 の観点といってもいいか。

そのモノがつくられることによって、タダで得られているものがあるとすれば、
そのモノの価格には、お金に換算されてない別な価値が潜んでいる。
その価値を 「経済」学として捉えてみれば、
その価格で買うことによって守られている価値が見えてくる。
逆にそのモノがつくられなくなったら、潜在的に保証されていた価値も消える。

たとえば、ある製品が環境を汚染して、
その汚染を除去するのに税金が使われたとするなら、
それはその製品の外部不経済部分として検証される必要がある。

農業こそ、外部経済の視点も含めてで捉えなければならない典型産業だと思う。
水田によって保たれている環境や生物の多様性の世界。
その地域に適切に農家が存在することによってタダで保証されてきた森や水系からの恵み。
(もちろん、農薬による地下水汚染といったリスク-不経済部分-もある。)

食料貿易の議論では、なぜか自由化推進派はこの論を意図的に排除する傾向がある。
食料と環境の結びつきは、市場の論理と相容れない要素を強く持っているのである。

フードセキュリティに環境の視点を含めると、
さらに‘世代間の公正さ’(数世代後の人たちも同等な安全が保証されるか)
という視点も生まれてくるが、
そこまでいくと話が終わらなくなるので、ここでは触れずに、置きたい。

要するに、どう考えても、まず ‘市場開放ありき’ なのだ。
なににつけても、‘ためにする’論構成は、やっぱヤバイ。

最後に、4月から農水省に設置される 「食料安全保障課」という部署。
これにかかる費用も税金である。
外部経済(不経済) の観点から検証してみたいものだ。

2008年01月18日

食料の安全保障について考える

正月明けから穀物やら環境やらと、しんどい話題を続けてしまって、
少々心苦しいところもあるのだけれど、
その後も追い討ちをかけるような情報ばかりが入ってくる。

やっぱ、これは俺のせいじゃない。

小麦の値上げからフードセキュリティ論まで、一気に進めてみたいと思う。
 
 

今日の新聞報道によれば、
製粉最大手の日清製粉が、3月からパスタを値上げすると発表した。
業務用パスタが30~40%、家庭用パスタが15~20%の値上げ幅である。

昨年11月にも値上げしたばかりだが、
その後も原料のカナダ産小麦の高騰が続いているため、とある。
カナダ産デュラム小麦の国際価格は、昨年8月からすでに倍以上になっている。

業界2位の日本製粉も、3位の昭和産業も
「日清さんと同程度の値上げを検討している」 と。
どこも状況は同じであるからして、
まるで申し合わせたかのように、と言っては失礼なのかもしれないが、
業界内のバランスが図られているようではある。

いずれにしても過去最大の値上げ幅である。

カナダ産の小麦が高騰する背景には、
EUでのデュラム小麦の不作、バイオ燃料原料への転作、ロシア・中国などでの需要増
などが挙げられている。
奪い合いになっているわけだ。

一方で、中華麺や餃子の皮に使われるオーストラリア産小麦は、
2年連続の干ばつに見舞われている。
こちらは、06年度に28万トンあった輸入量が、今年は1万トン程度になる見通し。


そしていよいよ、小麦輸出国が相次いで輸出を規制し始めた。
ロシア、アルゼンチン、カザフスタン、中国、ウクライナ、セルビア、インド…

「価格上昇どころか、現物の確保自体が難しくなっている」
と農水省の幹部が語っている (1/9付朝日)。

危機感を強めた農水省は、4月から 「食料安全保障課」 なる部署を新設するという。
新たな輸入ルートの開拓を目指すほか、国際需給などの情報をこまめに発表し、
食料安保の必要性を訴える、とのこと。

これぞまさに 「泥縄」 ってやつだ。

「新たな輸入ルートの開拓」って、どこにあるんだろう。
米・豪・カナダ以外に輸出余力のある国は、ないはずだが。
「3カ国とのパイプを広げるのが現実的」 との意見も出されているが、
すでに奪い合いの状況下にあるっていうのに、「パイプを広げる」 とは???

別な形で金を積んで、無理やり引き出させようとでもするのだろうか。
みんな引き締めに入っている中で-。
とんでもない高い買い物になりそうだ。 しかもそれには税金が使われることになる。
私たちは別な形でツケを払わされるのか。


ここで、
食料のグローバル化を唱えてきた偉い人たちの、
その主張されてきた論を振り返ってみたい。
こんな感じだ。

  世界の穀物価格が高騰しても、購買力の高い日本には危機となりえない。

  購買力が低い国のためには、国際的な緩衝在庫や緊急融資制度を用意し、
  先進国が輸入自由化を進め、国際市場の変動を吸収すべきである。

  輸出国の禁輸措置を防ぐためには、国際協調に沿って行動し、
  輸出国のよき顧客となるべきであって、農業保護に固守することはかえってマイナス。

  国内生産基盤の維持に必要なのは、潜在力としての生産力であって、
  平時から農業生産が維持されねばならぬわけではない。

  平時の自給率にこだわる必要はない。
  自給率に拘泥することは政策の自由度を狭め、改革の芽を摘むことになりかねない。

   <以上は、農林水産政策研究所・川崎賢太郎氏が論点整理をした論考-
    「グローバリゼーション下の食料安全保障」(『農業と経済』2007年8月臨時増刊号)
    から引用させていただいた。>

どう思われるだろうか。
いま進んでいる動きを見つめながら、
ひとつひとつの論に、自分なりの言葉を対置していきたいと思う。

  ●購買力の高い日本。
   -あらゆる食品が数10%値上げしても日本の消費者は大丈夫って、誰のことよ?
     格差社会が広がる中で…
   -すでに国際市場では、買い負けたりしてるんじゃなかったっけ。

  ●先進国が自由化を進め、輸出国のよき顧客となる。
   -ブッシュさんの演説に、すでに答えがあるようだ。
     「食料自給は国家安全保障の問題であり、それがつねに保証されている
      アメリカはありがたい。」
     「食料自給できない国を想像できるか?
      それは国際的圧力と危険にさらされている国だ。」

     どこも自給率の維持は国家の使命だと考えている。
     ‘よき顧客’ はありがたいが、国内需要を保証するのが先決だろう。
     各国の小麦輸出制限はそう語っている。

  ●必要なのは非常時の生産力で、平時から自給率にこだわる必要はない。
   -行を割くことすら腹立たしい。
     非常時の生産を保証するためには、平時の生産力が維持されなければならない。
     優良農地も、生産技術も、不断の営みによって保たれる。
     錆びついた刀は、抜けなくなる。
     抜けたところで、斬る力と技の衰えた者は、たたかうことすらできないだろう。


ここまでつらつらと書いてきて、ふと思い出したのが、1993年。
‘平成の米パニック’ が起きた年の冬、
テレビ朝日の 「朝まで生テレビ」 なる討論番組に呼ばれて、議論に参戦したことがあった。

ああ、あの時とおんなじ気分だ。

 (長くなってきたので、明日に続けます)

2008年01月13日

1秒の世界

世界は日々刻々と変化を遂げている。
その動きを1秒という時間に切り取って、様々な数字で表した1冊の本、
『1秒の世界』(山本良一責任編集、ダイヤモンド社)。

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人間の心臓が1回の脈を打つ、1秒間に、

  252トン(大型トラック63台分) の化石燃料が燃やされ、
  39万㎥(762トン、体育館32棟分) の二酸化炭素が排出されている。

  5100㎡(テニスコート20面分) の天然林が消失し、
  710万トンの酸素(140万人が一日に必要とする量) が減少している。

といった具合である。
この本を題材に、昨夜(1/12) 「1秒の世界Ⅲ」というTV番組が放送された。
帰りが遅かったので、ビデオで観る。

大地でもお付き合いのある 「未来バンク」 の田中優さんが
コメンテーターで出演している。
とても話の上手な方だ。

シリーズ3回目となった今回のテーマは 「命」。

温暖化で北極の冬の到来が遅くなり、
カナダ・ハドソン湾岸の街・チャーチルでは、ホッキョクグマが民家に出没するようになった。
ホッキョクグマは今、半数が2歳以上生きられない状態だと言う。
本によれば-
  グリーンランドの氷河が1620㎥溶け、
  地表の平均気温が0.00000000167℃上昇し、
  0.002種(7分に1種) の生物が絶滅している。

一日に200種以上の生物が消えているのだ。
これは 「雪崩を打って」 と表現しても誇張ではない数字だろう。

ゴミの一秒では、
対馬に流れ着く大量の漂流物(ゴミ)の山の処分に多額の税金が使われている。

エネルギーの1秒では、これからのエネルギー・水素の力を
でんじろう先生が実験で見せる。

続いて、戦争の1秒。
1台の戦車で自動車200台分、戦闘機1機で1万台分の二酸化炭素を出している。

そこでTVクルーは中米、ニカラグアとコスタリカに飛ぶ。

80年代から内戦が続いたニカラグアは重債務最貧国となったにもかかわらず、
国家予算の12%を軍事費に充て、貧しい人々はゴミの山で暮らしている。

かたや隣国コスタリカは、「街は整備され、活気に満ち溢れている」。
1949年に平和憲法を制定して、軍隊を放棄した国。
軍事費は医療費や教育費に回して、国力を立て直した。
たしか合言葉は、「兵士の数だけ教師を」 だ。
環境保護の国としても名高く、
地球上の5%の生物が生息していると言われる豊かな自然を活用して、
エコツーリズム発祥の国となった。

両国を分けたのは 「戦争」 である。

-とひと言で片づけられては、ニカラグアの人々が少々可哀想だとも思う。
左翼政権を潰そうとしたアメリカがゲリラを支援して泥沼の内戦が始まった歴史は、
いちおう頭に入れておいた方がいいように思う。

世界で浪費される軍事費は123兆円、1秒間に420万円。
本では320万となっている。
手元の本の発行日が2003年だから、それだけ増えたということか。

田中優さんが解説する。
123兆円を、地雷の撤去や安全な飲み水へのアクセスと下水の完備、
飢えた人への食糧援助、教育の整備に回しても、100兆円が余る計算になる。

戦争は最大の環境破壊、ということは伝わっただろうか。

他にも泣けてしまう家族愛の話もあったが、すべては紹介できない。

最後に、これだけは-

  5歳以下の子ども48人が汚染された水や食料で下痢になり、
  0.3人(4秒に一人) が飢えによって命を落としている。

かたや日本では、
2000㎥に相当する水が食糧に変わって世界中から運ばれてきている。
そして、600kgの食べものが捨てられている。
一秒間に……

これらの数字は、もはや私の想像力を超えてしまっている。
それでものん気に、希望を持っている自分がいるのだけど。

いずれにしても、土曜日の7~9時というゴールデンタイムに放送されるほど、
事態は切迫してきているということである。

2008年01月10日

OHッ!コータローじゃないか!

今週発売されたコミック誌
『ビッグコミック スピリッツ』 (№6・7号/小学館)。

広報から情報が入り、コンビニで入手。
TVドラマにもなった超長寿連載漫画 「美味しんぼ」 を開く。

オオー!なんと、遠藤幸太郎じゃないか!
 
 

以前は愛読書といってもいいくらい毎週買ってたんだが、
ここ数年、ほとんどコミック誌は見なくなっていた。

久しぶりの 「美味しんぼ」 は、こんな展開になっていた。

(あらすじより)
中国産食品の安全性について話題になったのがきっかけで、
山岡たち究極のメニュー取材班は現代日本の「食の安全」について取材することに。
<中略> 壊れつつある日本の食事情を知った一同は大きな衝撃を受ける。
見かねた山岡は、明るい未来を感じる現場に飛沢たちを案内するというのだが……

ということで、
「救いと希望の決定版」 として-有機農業に転進した若者たちを訪ねる。

場所は長野県佐久市。
有機農業を営む生産者のもとで修行を積む若者の一人、遠藤幸太郎さん登場。
実名である。

何を隠そう、元大地の社員である。
入社した時から、農業がやりたい、とほざいていた。

「じゃあ、何か? 大地は腰掛けなのか? ああん? 」
-とか先輩にいじめられながら5年、頑張った。

そして、社内で彼女をゲットし、結婚して退職。
いや違った。
彼の退職後も、仕事のできる彼女の方は必死で引き止めて、
半年くらい働いてもらったのだ。
-今思えば、これ自体そうとう面白いネタだな。

その間、彼は農業研修の旅、である。
大地の生産者もよくしてくれた。
何度も登場する埼玉の金子美登さんのところでも学んだ。

そして今、長野にいる。

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 (注:編集部からの許可を頂いております)

彼女は隣町のプルーン農家で研修中。
独立後は、二人でトマトとプルーンを育てるのだそうだ。

取材班が聞いている。
「面白いですか?」

「ええ。毎日が日曜日みたいです」
 -オイオイ、やめろよ、そういう回答。 「しんどいけど楽しいです」 が定番だろ。

そういう奴だ。

漫画では、
食の取材で未来に絶望を感じた(らしい) 若い担当記者が、
「食の安全に取り組む人たちに協力し、さらに増やすこと」
に希望を見出して、第588話-完、となる。

生き生きと頑張ってる後輩を見るのは、嬉しいものだ。
しかも職場で出会った男女が、未来に希望を持って修行している。

なんだか、こちらの存在価値まで認められたような気分になる。

それにしても、「有機農産物を宅配する会社」 の絵。
段ボール箱の団体名が微妙に野菜に隠れている。

 『●地を守る会
   株式会社 大● 』 と読める。

う~ん、ナイス。 -と言っておこう。

2008年01月08日

穀物高騰の裏で ~米国の農場から~

(昨日から続く)
ファンドマネーで翻弄される穀物。
それは私たちの暮らしもストレートに直撃してきている。

家畜の餌が上がり、卵を使った加工品も上がって、
4月からは小麦が上がることが、すでに発表されている。
パン、菓子、めん類…影響は広範囲に及ぶ。
値上げ幅は最低でも2~3割という。

そんな中で、今もアメリカの農家は、
昨日報告したようにウハウハ浮かれているのだろうか。


「では現地からの声を聞いてみましょう。
 ケントさ~ん。聞こえますか。そちらの様子はどうですか?」

「ハーイ。こちらイリノイ州。では現場からケント・ロックがお伝えします」

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なんてヴィヴィッドに中継できればカッコいいんだが、
私の英語力は、とうに大学受験で終わっている。
成績はまあまあ良かったんだけどなぁ。
街ではまったく通用しない、ていうかァ、18歳で四国から上京してェ、
ガイジンさんの生の言葉がァ、ホンモノの英語だと知った時のショックといやぁァ……
ま、そんなことはどうでもいいか。

実は、週に1回くらいのペースで、メールでレポートが送られてくるのだ。
昨年の視察でお会いしたケントさんに、
本人とは会えなかったけど息子さんとは一緒に食事をさせていただいたチェットさんから。
ともに非遺伝子組み換えのセンチュリーコーンを作ってくれている農家だ。

『チェットさんのセンチュリーコーン・ニュース』 といったタイトルで、
日々の仕事や家族の様子、周囲の動向などがフランクに語られたレポート。
カーギル・ジャパンの女性の方が、こなれた翻訳までして、送ってくれる。

アメリカらしい楽しい家族の話題もあるが、時に生々しい報告がある。
昨年末、クリスマス前の二人からのレポートには、少し震えた。

「イリノイ州カントンにあるエタノール工場が、稼動を前にして破たんしました。
 工場は予算オーバー、そして規模が小さかったのです。投資資金の多くは
 地域の農家から集められましたが、投資分は回収できないでしょう。」 (ケントさん)

「私が思うに、工事はほとんど終わって、工場を引き受けていた業者が
 2千万ドル以上の不払いを理由に引き上げてしまったようです。
 この工場へは約400人が投資していて、その多くは農家の人々で、
 彼らはこれによって多くのお金を失いました。
 この工場に投資していた私の友達によれば、このエタノール工場は高利の融資、
 なんと年19%もの金利を払って資金を手当てしていたとのことです。」 (チェットさん)

カントンの、建設中の中規模の工場といえば、
もしかして俺たちが見てきた、あの工場だろうか。

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あの時の懸念が、現実として進んできているようだ。
経営の甘さとも言えるが、バブリーなトレンドになっているということではないだろうか。

「穀物市場は今週また上がりました。ある人によると、市場は、あるニューヨークのファンドが
 巨額の資金を穀物に投資するといっている1月の第2週から上昇するようです。」

「私は大豆の作付けを増やすことについて、農家の話を聞きました。人によりますが、
 大豆の作付けを増やすといっている人が多かったです。
   ~(中略)~
 大豆の種子会社から手紙が届きました。種子はもう在庫がなく、もしもっと必要なら、
 今すぐ注文しなければならないということでした。」 (チェットさん)

地価 (農地価格-オークションで売買される) も上がり続けているようだ。

「今週、近所の農地がエーカー辺り7200ドルで売られました。
 この値段は非常に高く思えます。
 7200ドルの現金には、金利6%でエーカー辺り432ドルの金利が発生します。
 さらに元金を年360ドルずつ20年をかけて払い終えます。
 さらに耕作するのに300ドルの費用がかかります。
 合計するとエーカー辺り1092ドルの費用が発生し、これを払って損益ゼロです。
 これではたとえトウモロコシの値段が4ドルでも高すぎて払えません。」 (チェットさん)

「地価は1年間でエーカー辺り5000ドルから7500ドルに上昇しました!
 7500ドルに対して5%の利回りは、エーカー辺り375ドルの賃借料と税金を払うことと同じです。
 現金で年にエーカー375ドルを払って利益を生むことは、農家にとって大変なことです!
 土地の入札に参加しているのは農家以外の投資家をパートナーにした土地を買いたい農家です。
 どんなことにおいても、パートナーシップというものは、
 入りは簡単ですが、抜け出すのは難しいのです。」 (ケントさん)

農機具も、トラクターも、肥料も、そして種も……

「とうもろこしの種子の値段は、
 トリプルスタック種(遺伝子組み換えの組み合わせ種子)でエーカー辺り85ドル、
 NON GMO種で50ドルです。
 トリプルスタック種の価格は2007年に13%も上がりました。」 (ケントさん)

みんな振り回されている。
それでも必死で分析し、日々を乗り切っているのだろう。
来年は大豆だぞ、とか言いながら。
決して農民は、ファンドの言う、WIN、WIN! の恩恵には浴していない。

投資で儲けるのは犯罪ではない。許された権利である。
しかし、できるだけ等しく行き渡らせることが、
古今東西、政治の使命でもあった 「穀物」 というものを、
指でこめかみを指しながら 「ここで儲けるんだよ」 と得意げに私利の対象にするのは、
どう考えても、人道にもとる (私の価値観では)。
誰も手をつけなかったモラルの枠を破壊したことを、知るべきだ。

あのファンドのゼネラルマネージャーも、日曜日には教会に行くのだろうか。

正月に、牛頭さま、薬師如来さま、お稲荷さま、弁天さま、観音さま、と
「何でこんなにいっぱいおるんよ」 とか言いながらも、
神仏に小銭を捧げて回った私の方がずっと信心深い、とだけは宣言させてもらいたい。
何の力にもならないけど・・・。

本当は国内の論争にも触れたいのだが、それはまた。

2008年01月07日

穀物高騰の裏で

一ヶ月くらい前に放送されたNHKスペシャル。

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  『ファンドマネーが食を操る ~穀物高騰の裏で~ 』
 
録画もしてあったのだが、芸術作品ならともかく、
だいたいこの手の ‘鮮度がいのち’ のような番組を再度観ることはまずなくて、
「消しちゃおう」 と思ってビデオを回したところ、改めてじっくりと眺めてしまった。

放送された時は、‘激しい怒り’ のような感情が湧いたのだけれど、
二回目となると、何だろう……ただ腕組みして言葉を探すって感じ。

トウモロコシから自動車燃料用エタノールを!
の掛け声のもと、アメリカ国内でエタノール・ビジネスが急激に拡大して、
トウモロコシの価格が高騰した。

この辺の事情は、昨年の米国視察レポート(10/30~11/10)でなぞったのと
ほぼ同じで、自分の説明に間違いなかったかと思う。

しかしここで登場しているのは、レポートでまったく触れられなかった
もうひとつの背景である。

穀物がエネルギーになったことで、
利益を見込んだ大量のファンド・マネーが流れ込み、穀物市場が一変した。
これまでの需要と供給のバランスで動いてきた穀物の価格が、
投機の対象となって激しく揺れ動いている。

アメリカでは、昨年のトウモロコシは史上最高の大豊作であった。
9月12日、今年の収穫予想が発表された時点で、相場は間違いなく下がる。
これがこれまでの常識であった。
穀物を買い付けるプロのディーラーたちが、買い時を計算している。

翌朝9時30分、シカゴの商品取引所が開く。
しかし下がったのは開始5分だけ。その後は一気に跳ね上がる。

「穀物が株と同じように取引されるようになった」 と嘆くアメリカのディーラー。
長年トウモロコシを見てきた日本の商社マンが、呆然としている。

コモディティ・ファンドと呼ばれる、先物商品に投資するファンド会社の社長が語る。

「穀物が単なる食料でなく、エネルギーになったことで価格が大きく変わるようになり、
 チャンスが生まれた。市場を読む力さえあれば、いくらでも儲けられる」

「金・銀から大豆・トウモロコシまで、どんな商品であれ、儲かればいい。
 我々は市場を活性化する役割がある」

大量に買い付け、単位(ブッシェル)あたり数セントの差益で売り抜く。
一日に数億円の利益が転がり込むこともある。

「トウモロコシで車が走る。農家も私も儲かる」
WIN(勝利)、WIN、WIN! ワンダフル、ワンダフル、ワンダフル!

9月13日朝、大豊作の発表によって、心配しながらパソコンで相場を見つめる農家。
暴騰に躍り上がって喜んでいる。

「今日は畑に行く気がしないよ。
 ラジオでマーケット情報を聞きながら金儲けしてたほうがいい」

ファンド様々である。

この農家は今年(昨年のこと)、大豆を減らしてトウモロコシを増やした。
「日本向けの、豆腐用の大豆(非遺伝子組み換え)を作るのが好きだった。
 しかし、ビジネスが第一だからね」 と語っている。

当然のごとく、ファンドにはさらに大きな資金が流れ込んでくる。
アメリカで最大の年金基金までが-
老後のための貯金が、穀物の高騰を後押ししている。

慌てた日本の商社が契約農家を回る。
「来年も契約していただけますよね」
「それは分からんよ。これはビジネスだからね。有利な方を選択するまでだ」

「穀物が値上がりして日本の消費者が大変困ってるんです」
誠実そうな日本人商社マンの説明が、空しく聞こえてしまう。

マーケットが農地を奪い合っている。

すべてが、あの9・11の大惨事から始まった。
中東のトラウマを払うかのように、大統領は「エネルギーの多様化」を叫び、
エタノール増産に税金を投入し、
穀物から莫大な利益が生まれ、投資家を肥やす。
世界がどうなろうと、知ったこっちゃない。

ファンド会社の社長が、次の獲物を捕えた。
-大豆である。

「世界的に見れば穀物は足りないんです。いくらでも儲かる」

資本主義経済学の祖、アダム・スミスがこの光景を見たら……
血管キレて、卒倒するだろうな。
人々を幸せに運ぶ力となる 「神の見えざる手」 は、
あくまでも人間の良心を前提にしてのことだから。

悪魔に操られてないか?-と思う。


さて、こんな話をしてしまった以上、
今の状況をトレースしないと収まらないよね。
久々に、ケント・ロック氏に登場願おうかと思う。

(明日に続く)

2008年01月04日

仕事はじめ

正月休みもあっという間にあけて、今日から仕事再開。
また慌しい一年が始まりました。

テレビも新聞も、メディアは正月から、かなり意識的に環境問題を取り上げていましたね。
世界各地で進行する、温暖化によると思われる異変。
CO2 排出量をめぐる攻防、など。

普段からそんな情報ばっかり食わされてきた者には、
正月くらいはゆっくりさせてもらいたく、正直見きれませんでしたが、これも
世界が尋常ではなくなってきていることの証しなのでしょう。

一方で、原油や穀物はすっかり投機の対象になって、
あらゆるものの値上げが避けられない情勢です。

誰かが、人々の生存条件を儲けの対象にしている。
‘お金が神様’ になった社会の、究極の有り様に向かっているような…

「日本人は、資本主義も使えないまま、大地も海も使い捨てようとしている」
というような意味のことを言ったのは故・司馬遼太郎さんですが、
どうも世界全体が、資本主義というか、自由主義経済そのものを
コントロールする能力を失いつつあるのかもしれない、とそんな気分にすらなった
正月でした。

じゃあ、お前はどうするんだよう?

-ですよね。

やれるだけのことはやりたい。
ただ、厳しいです。
「生産者にも、消費者にも喜ばれる流通システムを」
ではなくて、
おそらく一緒に耐えながら 「守り合う」 ことは可能か、
ということへの挑戦になることでしょう。

みんなで環境と暮らしを守りあう。
そのためには、新しい 「経済圏」(システム) づくりに向かうしかないのではないか。
それは可能か?

それが今年からの、私のテーマです。

アメリカの作家、ノーマン・メイラーが、
新聞のインタビューに応えて、こんなことを語っています。
日付も書き忘れた切り抜きですが-

  民主主義とは大きな賭けであり、非常に珍しい政治体制だ。 
  次の世代のために、毎日の小さな変化を積み重ねていくのが民主主義のやり方だ。
  その退屈さに耐えるには、判断力と意識をもった人々がいることが前提になる。
  民主主義は常に育てていくものであり、再生させていかなければならないのだ。

次の世代のために、毎日の小さな変化を-
耐えられるだけの判断力と意識を-

そのことを忘れずに、今年も働きたいと思います。

2008年01月02日

謹賀新年

皆様 あけまして おめでとうございます。

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初詣に行ってきました。
地元・飯能(埼玉県です) の山の上にある 「天王山 竹寺」 というお寺。
正式の名は、「医王山 薬寿院 八王寺」。

天安元年(857年)、慈覚大師が開いたとされる古刹です。
天台宗3代座主・円仁ですね。

上の写真は、ここの名物・茅の輪。
心身の清浄、無病息災を祈願して、くぐります。

標高490mに立つ本殿。
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9年前に焼失したものの、飯能市民はじめ多くの方の寄進もあって、
4年後に再建されました。

本尊は 「牛頭(ごず) 天王」。
インド祇園精舎の守護神で、なおかつスサノオと同体ともいわれる、恐るべきお方。
なんか無茶な設定のような気もするが…とにかく
病難消除、除災招福、出世開運の「天王さま」であられるのです。

境内に立つ 「牛頭天王」 のブロンズ像。
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中国人民有志から寄贈されたもの、とか。
たしかに牛の角がある。斧なんか持っちゃって、コワいですね。

本殿の中で護摩祈祷が行なわれている様子を窓越しに覗きながら、
賽銭を捧げ、今年一年の家族の健康と、仕事での目標達成を祈願。

今年の目標-
「新しい道を一本、何としても切り拓きたいのです。牛頭さま、どうかお力を」

あわせて、瑠璃殿という本地堂で、「薬師如来さま」にも祈願。

竹で作られた鳥居をくぐり、山道の別な石段を登ると、「医王稲荷」がある。

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押し合い圧し合いしている狐軍団さまにも、お頼みする。

弁天さまにも、観音さまにも、祈願。

そうなんです。
ここは、明治維新の神仏分離の難を免れた、
東日本で唯一の神仏習合の姿をとどめるお寺さんなんです。

しかし、こんなに欲張ってお願いしていいのか?
いいんですよね。ここでは。

本殿からさらに山道を登ると、頂上に鐘楼殿がある。
鐘を撞いて、拝む。
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ここからの眺めが、まことに良い、のです。
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奥武蔵の山並みの向こうに、都心が一望に見渡せる。
左手には筑波山も見える。

今年も一丁やったろうか、という気分になる。

下りてきて、甘酒をいただく。
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ご馳走さまでした。あったまりました。

フィリピンに落とされた爆弾を鋳り直してつくられた鐘。
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平和も祈る。

竹寺には、竹の道。
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境内のあちこちに句碑があり、また句を詠んだ短冊が木々に飾られている。
ここは俳句寺でもあるのです。

   竹寺の竹の時雨に合ひ申す

   竹寺は薬師の浄土風光る


では、皆様にとっても、良い一年となりますよう。
本年も、どうぞよろしくお願いします。

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