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2008年01月19日

食料の安全保障について考える(続)

(昨日から続く)

あの年(93年)、冷害によってコメは歴史的な不作となった。
作況指数はたしか75だったか。
 (あの冷害でも75%の収穫があるコメの強さと、
  それだけ日本の環境に適した作物である、という視点もあるが、ここではおいといて)

国の備蓄もなく、年末には緊急輸入となって、
タイ米をめぐる恥ずかしい騒動なども起こしつつ、一気に市場開放へと進んだ。
86年から続いた市場開放論争が、
一度の凶作という事態で、あっという間に方をつけられた格好になった。

翌年の豊作の声が聞こえ出した頃には、
実はコメ(の在庫) はあったことに気づかされるのだが、
ま、それもおいといて、
そんな騒ぎのさなかでの、深夜の討論会だった。

『コメをどうする?』 みたいなタイトルだったが、
だいたいあの番組(「朝まで生テレビ」) は、人数が多いこともあってか、
討論というよりは、だいたいがぐちゃぐちゃの喋くり合いで終わる。
あの時もそんな感じだった。

もう15年も前の話なので、
その時の市場開放派の論調をここで解説するのは省かせていただくが、
昨日書いたグローバリズム推進派の論点と、土台はほとんど一緒である。

わたし的に共通点を整理すれば、こうなるだろうか。
 
 

まず、食料は金さえ出せばいつでも手に入るし、日本には買う力がある、
という前提がある。
それが貧しい国から食料を奪うことにつながっていることは、あえて無視するか、
「別な形で援助すればよい」 という論理にすりかえられる。
93年の日本の緊急輸入がコメの国際価格を高騰させ、
コメが食べられなくなった人々がいたことは見ようとせず、
したがって心が痛むこともない。

自国のことしか考えてないことを、見事に表現してないだろうか。

『すべての人々が、健康に暮らせるために必要な量の、
 安全で栄養のある食料を、手に入れることができること』

これが 「フードセキュリティ」 の国際的な共通概念なのだが、
自国の農地を改廃させて、他国から買い漁る国は、
実は極めていびつで、世界標準から大きく逸脱しているとしかいいようがない。

それはまた、輸出力(国際競争力) のある産業がこの国を守っている、
という強烈な固定観念にもよるようだ。
工業を優先して、その貿易を守ることが日本の豊かさを守っている。
食料(農業)の保護主義は捨てろ!むしろキケンだ、という信念のようなものがある。

しかし、こんな国運営をしている国は、実はどこにもなくて、
あの手この手で国内の食料生産力を守ろうとしているのが、万国共通政策である。
食料の安定的確保は、貿易のみで保証されるものではない。
極めてリスキーで、食の安定はどの国においても「国家の基本施策」 である。
昨日紹介した、日本を揶揄したブッシュさんの演説が象徴的だ。

要はバランスの問題であることを、すっかり忘れてしまっている。
いや、特定の利益を守ることを最優先したいがために‘仕立て上げられた’論、
そのお先棒を担がされていると言えば、言いすぎだろうか。

15年前の「朝生」討論で、こんな発言があった。
「コメも自由化して、海外からの圧力によって、日本の農業の甘さを立て直しましょう」

あの頃よく使われていた言い方である。
こんな無責任な亡国の論を到底許すわけにはいかないと常々思っていた。
本音は ‘農業は潰れてもいい’ に近い。
自分でも分かるくらい興奮して、必死で叫んでいた。

「そんなのは、政策でもなんでもない!
 他国の力を借りてこの国の農業を立て直すなんて、暴論を通り越して
 ただ無責任に国(民)を放り投げようとしているだけだ。
 僕たちの食料と農業と環境をどうつくるのかは、僕たちの手でやらなければならないことだ」

番組終了後、テレビ局の方から、あなたの発言が一番良かった、と
言ってもらえたのを、今でも覚えている。

経済(数字) だけで国力を語るなら、次のことを考慮に入れる必要がある。
外部経済という観点だ。「外部不経済」 の観点といってもいいか。

そのモノがつくられることによって、タダで得られているものがあるとすれば、
そのモノの価格には、お金に換算されてない別な価値が潜んでいる。
その価値を 「経済」学として捉えてみれば、
その価格で買うことによって守られている価値が見えてくる。
逆にそのモノがつくられなくなったら、潜在的に保証されていた価値も消える。

たとえば、ある製品が環境を汚染して、
その汚染を除去するのに税金が使われたとするなら、
それはその製品の外部不経済部分として検証される必要がある。

農業こそ、外部経済の視点も含めてで捉えなければならない典型産業だと思う。
水田によって保たれている環境や生物の多様性の世界。
その地域に適切に農家が存在することによってタダで保証されてきた森や水系からの恵み。
(もちろん、農薬による地下水汚染といったリスク-不経済部分-もある。)

食料貿易の議論では、なぜか自由化推進派はこの論を意図的に排除する傾向がある。
食料と環境の結びつきは、市場の論理と相容れない要素を強く持っているのである。

フードセキュリティに環境の視点を含めると、
さらに‘世代間の公正さ’(数世代後の人たちも同等な安全が保証されるか)
という視点も生まれてくるが、
そこまでいくと話が終わらなくなるので、ここでは触れずに、置きたい。

要するに、どう考えても、まず ‘市場開放ありき’ なのだ。
なににつけても、‘ためにする’論構成は、やっぱヤバイ。

最後に、4月から農水省に設置される 「食料安全保障課」という部署。
これにかかる費用も税金である。
外部経済(不経済) の観点から検証してみたいものだ。