2008年3月アーカイブ

2008年3月31日

部署再編-しばしお休み、のご連絡

 

先週はついに一本しか日記を更新できなかった。

いろいろとネタはあったんだけど。 クソッ!

 

実は、実は、この年度末の日に突然なんですが、

社内の部署の再編成が行なわれまして、ワタクシ、新しい部署に異動になります。

明日、4月1日付けです。


新しい部署といっても、

これまで 「生産グループ」 に所属していた農産物の仕入れ部署-「農産チーム」 と、

農産物の栽培内容の確認 (トレーサビリティ) と審査を担当してきた

安全審査グループ所属の 「有機農業推進室」、

そして農産物の発注を担当する 「農産発注チーム」 が合流して、

新たに 『農産グループ』 として統合されたのです。

 

つまり、農産物に関連した部署を一ヵ所にまとめたってワケです。

そのグループ長に横すべりとなります。

仕事では深く関連しながら、しかし微妙に立場が異なるがゆえに

時に喧嘩もしがちな3チームを、これから取りまとめていかねばなりません。

はたして身が持つか、不安先行の春であります。

 

ちなみに、従来の安全審査グループに属していた

 「品質保証チーム」 と 「環境食料分析室」 は

そのまま 『品質保証グループ』 と名称を変えて存続します。

 

そんなこんなで、今月中旬あたりから、

ワサワサと書類の整理やら業務の引継ぎやらレクチャーやらと、

気持ちの落ち着かない日々に入っていました。

それもまだまだ終了しませんが、明日から肩書きは 「農産グループ長」 になってしまいます。

 

というワケで、まことに唐突ですが、

「安全審査グループ長」 としての日記は、これでおしまいとなります。

でも管理人さんからは、引き続きやれ、との温かいお言葉を頂戴しましたので、

ちょっと立場は変わりますが、ブログは継続します。

内容もさほど変わらないと思うし、しんどさは増しそうなので、

タイトルもこのままでいきます。

 

しばし、看板のリードの張り替えにお時間をいただき、

その間にせっせと新しい部署の業務の組み立てをして、

中旬くらいには再会できるよう、頑張ります。

 

安全審査グループを立ち上げてより5年、

すべてのジャンルの取り扱い基準を見直し、それに基づいた審査と

トレーサビリティの体制を強化して、

それなりに 「大地」 の信用確保に貢献できたか、とは思っています。

 

明日からは、その体制を基盤として、

さらに、さらに、農産物の安全性や品質の向上などなどに尽力する所存です。

引き続き、ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

 

はなはだ簡単ではございますが、1~2週間ほどお休みを頂戴します、のご連絡まで。

 



2008年3月25日

第2回有機JAS制度の検討会

 

今日は、霞ヶ関の農林水産省に出向き、

第2回有機JAS制度に関する検討委員会に出席する。

 

先月の顔合わせと課題認識から始まり、ようやく審議が序盤から本番へと入ったような印象で、

まだ詳細を報告できる段階ではないが、期限は10月までの、あと半年である。

どこまでできるか、まだ分からないけど、この期間のうちに

できるだけの提案を提出したいと思っているし、

僕なりに有機農産物の認証制度の方向を見極めたいと思っている。


制度の問題はいくつもあるが、

根本的には、この制度が有機農業の推進につながるか、にかかっている。

つまりこの制度が有機農業に取り組む生産者の励みになり、生産者が増え、

安全な農産物が消費者に供給される道が広がり、環境も守られる、

そんな道筋に貢献できるかどうかである。

 

生産者の委員からは、

認証を受けるための生産管理記録の大変さとコスト負担のつらさが訴えられる。

今のままでは高齢の方は続けられないし、有機認証を取得する生産者は増えない、と。

 

しかし検査を甘くするわけにはいかないし、

検査員や認証機関が、認証のための指導 (コンサル) をすることは禁じられている。

しかし、とは言っても、2,3年で規定 (法律) の解釈が変わったりする制度を

生産者が正確に熟知するためには、情報提供やフォローのシステムが必要なのだが、

そこは国が何かを用意してくれるわけではない。

農薬を使わないために、補完的に使用される資材でも、選択を誤れば有機取り消しになるが、

生産者が判断材料を正確に入手できなかったりする。

そして認証機関の有機の適合判定能力にも、まだバラつきが見受けられる。

 

要するに、まだまだ育てる気持ちでの検証と改善が必要なのだが、

消費者の目は、どんどん厳しくなってきている。

 

この検討委員会もまだ手さぐり的で不安もあるが、

2回の会議を経て、ようやく自分なりの立ち位置も見えてきたように思う。

次回から少しずつでも具体的な報告ができるよう、自分なりに頑張ってみるつもりだ。

 

そして、お国の検討委員会とは別に、大地は大地として、

有機農業運動の広がりのために、新しい取り組みも考えている。

この運動を担ってきた一翼であるという自負をかけて、限界を突破してみたい。

その辺の秘策もまた、準備に取り掛かっているところである。

 

会議を終えて外に出れば、国会議事堂の前の桜が、もう満開になっていた。

都心の温度はやっぱり高いと思った、「ホントに春だね」 の一日でした。

 

職場に戻れば、今度はテレビ局からの取材の依頼に対応する。

 

実は、この年度末、

社内では部署の一部再編成と、それに伴う人事異動が発令されていて、

ワタシはその渦中にあって、個人的にはそれどころじゃないって感じなんだけど、

対外的要請に対しては、そんなことは関係なく誠実に対応する、という社是にしたがって、

何だか今まで以上にとても忙(せわ)しない、春の始まりである。

 

年々忙しさが募りながらも、それなりに生きているというのは、

能力が上がっているのか、手抜きが上手になったのか、その辺は定かではないが、

判断に多少の自信と、腹が据わってきたのは確かなような気がする。

 



2008年3月20日

人気の 『手づくりソーセージ教室』 -WEB募集!

 

さて、この絵はなんでしょう。

e08032002.JPG

 

う、ううっ、カ、カワイイ・・・・・

僕にもこんな時代があった・・・いや、ないな。 もっと飢えた少年 (ガキ) の風体ならあったが。

 

これは大地でもチョーがつく人気企画の一つ、

「中津ミートさんの手作りソーセージ教室」 の一コマ。

毎回申し込みが多くて、2回に分けてもなお抽選となってしまうほどの盛況ぶりなのだ。

 

そんなに楽しい企画なもんで、追加公演! が企画されたのだが、

紙媒体での全体告知ではだいぶ先になってしまう。

ここは何とかゴールデンウィークに合わせたいという担当の強い希望もあり、

手っ取り早くホームページのみでの募集でいってみることになった。


そこでさらに検討の結果、ネットでの募集ということなら、

会員以外の方も受け入れるべきじゃないか、という話になった。

 

人気企画といえども、ネットのみでの募集は初めての試み。

担当も不安なようなので、エビ・ブロでもちょっと宣伝に協力して恩を売ることにした。

しかしこのところの記事内容からして、こっちでの効果は、はたして・・・

・・・・・ワタシのほうが不安になってきたりして。

 

ということで、抽選となる可能性大ではありますが、

ご興味ある方は、こちらにどうぞ。 会場は川崎です。

⇒ http://www.daichi-m.co.jp/company/topics/080317/index.html

 

大地にソーセージ類を提供いただいている中津ミートの松下憲司社長自ら、

ソーセージ作りを手ほどきしてくれます。

また松下さんの、ソーセージ作りや養豚へのこだわりからこれからの夢など、

楽しい会話に発展することもあるとか。

食に関する不安な話題も多い中、作り手のポリシーを確かめる機会にもなるでしょう。

 

それにしても可愛い、いい子たちだね。 (うちの子も昔は可愛かったが・・・)

e08032003.JPG

 

 この子たちの未来が、明るいものとなりますよう。

いや、それは俺たちの責任だ。

 

いつも最後は記念撮影。

e08032001.JPG

 

輪の中央、エプロン姿が松下さんです。

忙しい中、今回もお引き受けいただき、有り難うございます。 どうぞよろしくお願いします。

 

なお、エビ・ブロを見た、と言っても優先されるとは限りませんので、念のため。

選に漏れた場合は、どうかご容赦ください。

 



2008年3月18日

3月18日。 忘れないと決めた日。

 

3月18日がやってきた。

忘れない、忘れてはならない、と決めた日である。

3年前のこの日、千葉県市川市塩浜にあった大地の物流センターで

火災を起こしてしまった日だ。

e08031801.jpg

 

職員にとっては、二度と見たくない画像だけど、

あの日の、あの思いを、今日は振り返って、反省の日としたい。


以下、手元の記録から-

2005年3月18日(金) 12時15分頃、物流センター資材保管倉庫にて火災発生。

物流センターでの金曜日は、世間でいえば土曜日にあたり、

人が少なく、発見が遅れてしまった。

e08031802.JPG

 

延焼面積はセンター全体の5分の1ですむも、

隣接する区分けラインおよび冷蔵・冷凍設備が使用不能となる。

緊急対策会議で、21(月) ~22(火) の二日間の配送停止と、突貫での再建作業に入ることを確認。

人海戦術開始。

生産者への連絡。 会員への緊急連絡文書を作成し、発送。

19日(土)、消防署・警察による現場検証。 「漏電の可能性」 の指摘あるも、原因は特定できず。

倉庫での作業再開には消防署の許可に時間がかかると判断し、代替倉庫の手当てに入る。

20日(日)、埼玉県和光市に代替倉庫を確保。 水曜日からの野菜セットのお届けを手配。

21日(月)、代替倉庫の調査継続。 常温・冷凍・冷蔵の区分けを分散しても行なうことを決定。

22日(火)、和光センターにて野菜セットの作業開始。 会員からの問い合わせ1000件を超える。

23日(水)、ベジタ、緊急野菜セット、卵の配送再開。 南船橋に冷蔵・冷凍用倉庫確保。

       至急設備とライン設置に入り、28日より品目限定ながらも配送再開を決定。

24日(木)、八王子のマゴメさんからの米の直送に社員応援派遣。

       物件交渉継続しつつ、区分け再開の準備を進める。

27日(日)、一部常温品・冷蔵品・雑貨の区分け再開。

28日(月)、配送開始。

 ・・

 ・・

その後、順次、品目を拡充しながら、復旧を進めていったのだった。

 

仕入、物流、会員対応など、必死の作業が続く。

しかし、毎夜の緊急会議で状況を確認しつつも、

動きが早まるほどに、社内の認識に誤差が発生し、不安や苛立ちの空気が流れ始める。

社長に呼ばれ、各所の情報を整理して全体化するように指示される。

徹夜でまとめ、気力を無理やり前面に出した社内報を出す。 3月25日(金) になっていた。

『 大地復活!情報 ‐今こそ見せよう!大地の底力‐ 』

 

ここで俺たちの底力を見せなかったらどうする。

多大な迷惑をかけているにもかかわらず、心配し、励ましてくれる生産者や消費者に、

やっぱり大地は頑張ってくれた、と言わせてみせる。

そんな決意をひとつにしなければと思った。

 

会社の方針や他部署の動きを批判した後輩を叱ったこともあった。

その部署で今働いている人は、

たとえ自分がそこにいてもそれ以上にはできない、それだけのことをやっているのだ。

そう信じて、自分もやれるだけのことをしよう。 指示を待てと言われれば待つ。

ここでの信頼は無条件である。 個人的な行動は慎め。

今思えば、僕もフツーじゃなかった。

 

「復活情報」 で、社長の心情を伝えた。

  -本当に申し訳ないという、心からのお詫びの気持ちで再出発しよう。

    我々の責任を自覚し、お詫びの心で、全力で復旧にあたって欲しい。

 

その夜、寝不足なはずなのに眠れず、寝床でやたら泣いてしまった。

なんだか、やけに悔しくなってしまったのだ。

日々欠かすわけにはいかない食べものを運ぶのが僕らの任務なのに、

運べない悔しさが、腹の底から込み上げてきたのだった。

こんな職業意識が自分にあったんだろうか、と思ったとき、思い出したことがあった。

 

大地に入って最初の冬だったか、2度目の冬だったか......82年か83年のことだ。

神奈川の葉山方面に配送に出た日、とんでもない雪に見舞われた。

葉山といえば、高台である。

巻いたチェーンも利かず、高台の下で立ち往生して、ついに登れなくなった。

手に息を吐きながら、これは無理だと観念したとき、

この山の上で、「今日はあるものですませましょ」 と話している家族がいることを想像してしまった。

しばし思案したあと、ここは根性だよね、と

一回に20~30キロくらいの荷物を担いで、山の上まで往復した。

共同購入のステーションが2ヶ所あったから、10往復はしたと思う。

あの時の決意は、職業意識というより、今ここにいる自分への意地のようなものだった。

荷台にあの家族の食い物を積んだまま、おめおめと帰れるか。 ゼッタイに届けてやる。

黒澤明の映画 『天国と地獄』 、あるいは八甲田山死の行軍のような気分でもあったけど......

最後の配達先である鎌倉の会員さん宅に着いたのは夜の11時を過ぎていた。

ドアを開けた奥さんの、まるで亡霊でも見るような眼差し。

常識はずれのことをしている自分を悟ったのだった。

 

会社に戻ったのは日付が変わって1時くらいだったか。

それでもみんな待っていてくれて、また僕より遅く帰ってきたトラックもあった。

皆、やり切った満足感があった。

 

非常識だったかもしれないけど、それでも運んだのだ。

しかし今回は、火災の二文字に、手も足も出ない。

こんなことは二度と起こしてはならない。

 

「大地復活!情報」 は火災から1ヵ月後、4月18日発信でその任務を終了した。

最後は、火災の一週間前に地鎮祭を行なった習志野市茜浜のセンターの建設が

急ピッチで進んでいる報告で締めさせていただいた。

 

今思い返しても、あれ以上に早くはできなかったと思う。

しかし、事前のリスク対策が弱かったことも、たくさんのお叱りも受けたことも、

忘れてはいけない。

 

昨日、僕は宮城に出張していなかったけど、

習志野の物流センターでは、防災訓練が行なわれた。

 

忘れないようにしよう。

あの悔しさを。 そして人の優しさにたくさん感謝したことを。

 



2008年3月16日

東京の水のデザイン (続)

 

まったく、IT社会はストレス社会だ。

一瞬のキーボードのタッチミス (のよう) で、書いたものが全部、パッと消えてしまった。 

原稿用紙ならこんなことはゼッタイに起きない。

しかも、それが2度も続くと、脳みその血管が切れそうになる。 

しかも、だいたいノッてきた時とか終了間際に起きたりするんだよね、これが。

原因がつかめないまま、気を取り直して3度の書き直し。

チマチマと保存しながら、結局疲れ果てて、途中でアップする。

そんでもって、消えた原稿の方がよかったと思ったりする。

トホホ.........(って、なんかほのぼのする表現だよね。人に優しくなれそうな。)

 

さて、改めて続けたい。

第3部-「東京の水のデザイン~数百年の計で考える」

e08031508.JPG

 

 ではこの都市に暮らす私たちは、何をどうすればいいのか。 どんな方法があるのか。

具体的な実践例や提案を出せ、ということで前に立たされた、いや、座らされたお三方。


写真右が 「ドクター雨水」 こと村瀬誠さん。

中央がワタシで、左は法政大学教授の陣内秀信さん。

 

村瀬さんは、墨田区の雨水利用システムを編み出して、一躍有名になった方だ。

「すべての水は天が大本」 「下流に小さなダムを」 と、雨水を貯める 『天水尊』 を地域に広めた。

東京の水需要が20億トン。 一方で東京には、実は25億トンの雨が降っている。

その雨はコンクリートの地面では地下に貯えられることなく、海に流れるだけである。

水循環を支える天水を受け止め、暮らしに活かし、あるいは地下水に貯える、

それは東京に住む人間が考えなければならない義務ではないか。

利根川に依存し、上流にたくさんのダムを造って東京に回す前に、

ここに暮らす者どもとしてやることがあるだろう、というわけだ。

 

僕が村瀬さんと知りあえたのは、1995年、

水俣病の映画を撮り続けたシグロという映画会社が制作した 『続・あらかわ』 という

ドキュメンタリー映画がきっかけだった。

ウチは荒川の支流になる入間川の上のほうで、

家庭排水を浄化する 「ニイミ・システム」 というのを取り入れたことで取材を受けたのだが、

そんな一軒のささやかな取り組みと違って、

村瀬さんは海抜ゼロメートル地帯で家庭サイズのダム (天水尊) を普及するという

面的な展開をつくった、ある意味で革命的な行政マンとして映画に登場していた。

荒川の源流・甲武信ヶ岳から東京湾まで、

水と共生する営みを追いながら川を下り、墨田区に辿りつく。

映画の副題は 「水の共同体を求めて」 。 いい作品だった。

 

久しぶりにお会いしてみれば、村瀬節はますます磨きがかかっていた。

 

さて、そんな村瀬さんの、実践に裏打ちされた話を受けて、

ワタシに与えられた課題は、「東京の水循環と農業」 -である。 難しい。

で、こんな話をさせてもらった。

 

食料自給率1%の東京で、目先の安さを求めて、供給地 (依存先) との距離を

どんどん離れさせてきた。 そのツケが回ってきたひとつの事例がギョウザ事件であり、

税金を使った検査体制の強化である。 自治体の赤字はそれによって膨らんでいる。

そもそもモノの流れのなかで、最下流での監視やチェックというのは、

もっとも効率が悪い作業であり、それによって "安全・安心" を担保するのは不可能である。

検査や分析とは、ある行為の裏づけや結果を確かめるのに有効なものなのであるからして。

暮らしの安心をちゃんと確保したいなら、食べものの距離を縮めることだ。

それによって、生産と消費を信頼 (モラル) でつなぐ  "顔の見える関係"  も築くことができる。

一個や一本の単価は上がっても、安心の基盤が確保され、社会全体のトータルコストは下がる。

その方が環境にも良い。 つまり永続的であるということになるはずだ。

したがって、都市にこそ周辺に農地が必要なのだ。

農地という地べたはまた、水を地下に染みこませてくれる。

 

最も安く、効率の良い貯水装置は、水田である。

千葉県市川市では、つい10数年前まで、つまり平成の時代に入ってもなお、

真間川洪水対策のために水田を残そうとしてきた。

農政課とかではなく、土木課が、大雨の時に水を張ってもらう約束をして、

農家に補助金をつけて米を作ってもらっていたのだ。

利根川と荒川に挟まれた危険な街・埼玉県草加市もそう。

こちらはせんべい屋さんと連携して、地元のせんべい屋さん用に出せば補助金をさらに乗せる、

という手法だったと記憶している。

地場産業と田んぼを一緒に保護しながら、治水対策に懸命になっていた。

今はもう、そんな制度はともになくなったようだ。

洪水の記憶はどこかに消え、土地はお金に変わった。

 

では地価の上がってしまった東京で、周辺に農地といったって無理、なんだろうか。

ビルの屋上を、ただの緑化ではなく、田んぼにしてはどうか、と思う。

30センチの畦をつくって雨水を受け止めれば、1haで3000トンの水が手に入る。

ビル内のトイレの水の相当量が自給できるのではないか。

みんなで米をつくる、社会的食育活動にも活かせば、

農水省も文科省も喜んでくれるように思うのだが。

東京は肥料源の宝庫でもあるし。 食品残渣がゴミでなく、資源になる。

人も多いので、当然、無農薬でなければならないね。

一ヶ所に集めてアルコール燃料 (バイオエタノール) にすることもできる。

屋上緑化から  『屋上田園』  へ。 屋上を地べたに!

みんなで 東京田園構想 をつくりませんか。

 

時間も押していて、腹も減ってたし、かなり早口で一方的に喋っておしまい。

でも、これはただの思いつきではない。 実現可能なことだと思っている。

これまで、こんな話を農業論や都市論や環境論の観点でやっても、

なかなか真剣に聞いてくれることはなかったのだが、

僕にヒントと勇気を与えてくれたのが、実は 『Water展』 だった。 

つまりデザインの力で、美しく、魅力的に表現することができるのではないだろうか。

 

東京湾アオサ・プロジェクトのPRもつけ加えておいた。

生活のありよう、その内実を受け止めている海。

そこでの循環は、生命の浄化機能だといえる。

海と陸の窒素循環を再生させるには、やはり近隣に農地 (土) が必要である。

 

さてさて、また長くなってしまいました。

最後にご紹介。

こちらが、地球大学のホスト役、竹村真一さん。 文化人類学者であり、京都造形芸術大学教授。

2年にわたって、毎週々々、時代のテーマを取り上げては、

新しい文明ビジョンのコンテクストに組み込んできた。

e08031506.JPG 

 

間違いなく、

21世紀の 「知」 を切り拓いている

一人である。

こういう人が大地の会員であることに、

僕はふるえる。

 

ところで- 

e08031507.JPG

 

 環境を意識して設計され、

グッドデザイン賞まで受賞した

この 「大手町カフェ」 が、

ビルの都合により

4月いっぱいで閉鎖されるとのことである。

 

それまでにもしお時間があれば、一度覗いて見られることをおすすめしたい。

 

カフェは閉鎖されるが、地球大学でつながったネットワークは、

とどまるところを知らず、刺激的にパワーアップされていっている。

 

『 水をキーワードに、東京をリデザインする 』

 

次なるイメージの爆発を、楽しみに待ちたい。

いや乗り遅れないよう、こちらも仕込みも忘れず、だ。

 

『地球大学』 セミナーのアーカイブは、こちら (←) でご確認できます。

 



2008年3月15日

『地球大学』-東京の水のデザイン

 

東京・大手町の大手町ビルにある 「大手町カフェ」 で

毎週開催されている環境セミナー 『地球大学』 。

昨夜( 14日 )、番外編の企画が組まれた。

テーマは 「東京の水のデザイン ~利根川から考える~ 」 。

e08031501.JPG

 

 夕方5時半から始まって、終了は9時半過ぎ。 長丁場のセッションとなった。


プログラムは3部構成で、ゲストが10人という贅沢な仕掛け。

これまで行なわれてきた水をテーマにしたセミナーと、

六本木 「21_21」 で開催した 『WATER』 展までの中間総括として、

足元・東京の水について整理しておこうというねらいで企画された番外編。

多彩なゲストも皆、手弁当での参加である。

 

第1部-「なぜ 『利根川』 なのか?」

まずはホストの竹村真一さんが、利根川水系を源流 (群馬と新潟の県境・大水上山) まで

辿ってきたフィールドワークをベースに、概略を説明する。

 

首都圏2500万人の水を支える利根川。

戦後、急速に経済発展と人口増加を遂げた東京は、

1964年の水不足 ( " 東京砂漠 " という言葉を生んだ) と東京オリンピックを境に、

水道水の8割を利根川に依存するようになった。

しかし治水と利水の観点から眺めれば、極めて脆弱な基盤の上に成り立っている。

竹村さんは、源流から河口までの地勢と水循環を、立体視地図を駆使して示しながら、

東京の潜在的リスクの可視化を試みる。

 

国交省の河川調査官・渡邊泰也さんが、

家康の時代から今日までの江戸-東京の治水の歴史を、災害の歴史と重ね合わせて、

竹村さんが示唆したリスクを裏書きしてくれる。

しかも、世界平均の倍の雨が降る日本でも、

首都圏の一人あたりの降水量にすれば世界平均の4分の1となり、

一人あたり 「貯水量」 となると、ニューヨークの10分の1しかない。

今進んでいる温暖化は、さらに激しい洪水と渇水の繰り返しを予測させていて、

水利用率の急激な低下が、近未来の現実のものとして想定されてきている。

 

法政大学エコ地域研究所の神谷博さんは、「源流からの眺め」 と題し、

やはり立体視地図を使って、地球史の流れから 「東京水圏」 を再現させる。

e08031502.JPG

 

 キーワードは、「東京水圏」 と 「古東京川」 だと。

縄文海進で関東平野が水浸しになる前には、東京には古代の川があった。

利根川と荒川と多摩川は一つの河川・流域であった。

その時代、人は源流の高みから関東の地勢・地形を見通していただろう。

 

そうか......僕らは今、コンピュータのお陰で新しい視点を発見したような気になっているが、

実は失ったまなざしであったのか。

 

そこで第2部、「利根川の可視化、可触化」 のためのワークショップへと進む。

e08031503.JPG

 

京都造形芸術大でデザインを学ぶ上林壮一郎さんの仕掛け。

関東平野に注ぐ河川をテーブルの上で立体化する。

そこに色をつけた水を源流から流して、関東平野から東京が浸食される動きを感じ取ってみる。

 

e08031504.JPG

 

e08031505.JPG

 

 コーヒーや洗剤や雑排水が混じり溶け合いながら、暮らしを支える水系を染めてゆく。

これが今の私たちの暮らしの様子、ということか。

 

東京芸術大学の川崎義博さんは、源流から拾ってきた音を天井のスピーカーから再現する。

目を閉じて耳を澄ませば、冬の水音に混じって、鳥の声が採取されていたりする。

何より、水の息づかいは、動物の心を癒す。

" 生きられる安心 " 感は、すべて水によって与えられているのだ。

 

さて、第3部・・・・・ワタシの出番なのだが、すでに相当に時間が押している。

竹村さんも少し気が急いてきて、3部のゲスト3人を前の椅子に座らせる。

 

(すみません。 作業中に瞬間的にデータが飛んで消えてしまうという現象が何回も続いてしまって、

 疲れてしまいました。 もう耐えられません。 続きは明日にします-)

 



2008年3月12日

「合鴨水稲同時作」 -田んぼのもうひとつの生産物

 

これは、熊本は阿蘇のお米の生産者、大和秀輔さんが田んぼで育てたアイガモのお肉。

アイガモをヒナのうちから田んぼに放して、雑草や虫を食べてもらいながら、

米とアイガモを一緒に育てる。 当然、農薬は使わない。

これを 「合鴨水稲同時作 (あいがもすいとうどうじさく) 」 という。

e08031201.JPG

 

無農薬米も、アイガモも、最後には食べる。 これで完結する。

手を合わせ、「いただきます」 。 


肉の塊も、その背景や育った環境まで想像できてしまうと、

接する気持ちも多少違ってきたりする。

「食」 とは、いのちをいただくこと。 この当たり前のことが、しみじみと切なくなったりする。

でも 「食べることによって、いのちがつながる」 のだ。

大和さんが育てたお米とアイガモのいのちを、私の体で受け止めることとする。

 

まずは、焼き鳥。 ねぎまにして、焼いてみる。

e08031202.JPG

 

煙が部屋中に広がって、ヤバイ状態になるも、気分は盛り上がる。

しかもここまでくると、不思議なことに、もはやただの食いしん坊である。 

 

e08031203.JPG

 

連れは、庄内協同ファーム・斉藤健一さんの米で作った 「雪の大地」 とする。

スッキリ系のきれいな酒で いってみたい。

 

で、ねぎまにかぶりつく。

美味い! きっちりした歯ごたえ、適度の脂身、甘みもある。

何より、臭みがまったくない。

私の記憶がたしかならば・・・田んぼで育てたアイガモ肉は、野生の味が残ったりしたのだが・・・。

大和さん、上手に仕上げたねぇ。 感動もんだ。

 

1990年を思い出す。

前年から福島・稲田稲作研究会の生産者、岩崎隆さんが合鴨水稲同時作に挑んでいた。

これによって、これまで除草剤1回使用だったコシヒカリを無農薬にする。

そのチャレンジに応えたいと、僕は専門委員会 「大地のおコメ会議] (現在の「米プロジェクト21)」) で、

「合鴨オーナー制度」 というのを呼びかけた。

合鴨水稲同時作の一番困難な壁は、最後の合鴨の処理と販売だったのだ。

無農薬の米生産を支援するために、合鴨肉を引き受けるオーナーを事前に募集する。

一羽、なんと5千円。

最後の飼育手間と処理費、冷凍保管、発送費などを単純計算したら、こうなったのだ。

 

それでも集まった。 遊び心も心意気である。

生産者もやる気になってくれて、無農薬米の水田が広がった。

 

しかし、現実はそう甘くはなかった。

田んぼから上げた合鴨を処理して、肉にして、オーナーに送り届けたところ、

喜んでくれた人もいたが、苦情も多かった。

  「こんなに小さいのに5千円なのか!」

  「ケモノくさくて食べられない」 ・・・・・・・・・・

肉にムラがありすぎたのだ。

 

こんなやりとりもあった。

  「田んぼで働いてくれた合鴨を最後は食べるなんて、残酷だ!」

  「でも、あなただって、毎日いのちを食べてるんですよ。 牛なら許されるんですか 」

 

圧巻だったのは-

  「主旨には賛同する。 オーナーにはなるけど、肉は勘弁して」 という申し出である。

生産者に伝えたら、電話口から聞こえてきた言葉は-

  「エビちゃん、俺たちゃ乞食じゃないよ!」 

さすがにそのまま伝えることはできず、 " お気持ちだけで結構です。 どうぞご無理なさらないでください " 。

 

合鴨オーナー制度はその後も3年くらい続けたが、

事前予約でお金をもらうだけに、生産者も飼育に真剣になって、

 

ハウスの中でカモを飼っている米農家と、まるで畜産農家だね、と笑いあったことがあった。

結局、続かなかった。

 

その後、合鴨水稲同時作の生産技術は年々進化していって、

肉もかなり上質に仕上げられるようになってきた。

今になって、僕らの取り組みは早すぎたようにも言われるが、そんなことはない。

あの草創期にやったからこそ楽しく、意義もあったのだ。

当時、熊本で開催された 「合鴨サミット」 で、

大地は、生産者と消費者と事務局が一緒に壇上に上がって報告した唯一の団体だった。

あれから、似たような取り組みがあちこちに増えていったことを、僕は知っている。

それこそ喜びである。

 

最初にアイガモ肉を食べてから18年。

僕は、今でもこの栽培方法が気になっている。

いくつかのマイナス点もあり、安易に絶賛はできない。 しかし思想と技術は深まっている。

 

何といっても、THAT'S国産の畜産物が、田んぼで育つのである。

 

次は、玉ねぎと煮る。

e08031204.JPG

 

しっかりした肉だ。 問題ないどころか、充分使える。

お米の値段が下がるなかで、再度、何とかできないか・・・・・

と思案するうちに、「雪の大地」 が空いてしまった。

 



2008年3月10日

自給率とメタボリック?

 

内心、過剰反応だったかしら、などと思い返しつつも、数日たってもやっぱり気持ちは変わらない。

農水省と全農の新聞全面広告のことだ。

 

日本の農業(食料) を守る手立ては、生産と消費を健全につなぐ作業にかかっていて、

そこにこそ想像力を働かせたい。 それが常に僕の関心事でもあって。

しかも、これからの物資の高騰に耐えるのは、消費者である。

ここでの 「消費者」 には当然生産者も含まれるから、要するに国民すべてか。

ならなおさら、具体的施策が欲しい。

 

で、周辺に目をやれば、もう一人、自給率にハマッたヤツがいた。

とくたろう」 ブログ - 農産の仕入担当・朝倉裕が2回にわたって書いている。

大地公認のブログ2本が、こんな調子になっちゃっていいのか、という不安もよぎるが、

なんかこう、そんな "流れ" になっちゃったんだよね。

 

彼の論考は、自給率の低下からメタボへとつながっている。


たしかに、この半世紀近くで決定的に増えたのは、肉と油脂の消費量で、

また米以外の穀物もほぼ外国に依存するかたちになってしまった。

それが自給率の低下と相関関係にあるわけだから、

結果としてのメタボリックと言えば、言えなくはない。 いや、その通りだ。

ま、私としても、型どおりの 「日本型食生活を見直そう」 より、

「メタボ不安からの脱却のために」 とか言われた方が、真剣になるような気もする。

 

ちなみに、コレステロールを心配するのも、実は現代の欧米食生活特有のものであって、

ヒトの普遍ではない。

これは文化人類学者・竹村真一さんが明快に語ってくれているので、お借りする。

 

 「たまたま現代の先進国のような肉食中心の飽食社会では、  " (コレステロールが) 溜まりにくい "

  遺伝子のほうが良いように思われるが、人類は何万年も肉食が日常ではあり得ない環境に暮らして

  きたし、これから地球は再びそうした時代に逆戻りするかもしれない。

  家畜を育てる飼料の穀物をそのまま人間の食糧にすれば10倍の人が食べられるのだから、

  食糧危機の時代にはそんな非効率を許す余裕はなくなり、

  肉食は年に数回の贅沢となるかもしれない。

  そんな時代には、コレステロールという人体に必須の要素が溜まりにくい体質の遺伝子は

  不利になるだろう。」 (『Voice』 08年3月号 「地球文明への条件」 より)

 

加えて、米の生産量が800万トンあたりの国に、生ごみ (食品残渣) が2000万トンとは、である。

(2150万トンという数字もある。 家庭からの排出量計算の誤差と思われる。)

国土はヒト以上に超メタボ状態である。 そのほとんどは輸入農産物、でなかったら計算が合わない。

自給率39%の国で、輸入超過でメタボ。 これがこの国の自画像だ。

これに対する医療費はどう考えたらいいんだろう。 絶望する方が楽だと言えるくらいだ。

でもって、ついつい、税金の使い方が気になってしょうがない。

 

また新規就農の斡旋や単純な規模拡大論では自給率は向上しない、のもたしかである。

「とくたろうさん」 の結論

 -「自給すべき品目に対しては、どうしても適切な補助、支援が必要だ。」 に同意しつつ、

「健全な食」 を維持するために、補助金 (税金) をどう健全に回すか。

食べ物を作ってない我々消費者こそ、考えるべき時が来ているんだと思う。

 

幕内秀夫さんの 『粗食のすすめ』 じゃないけど、

「食生活は豊かになったのではなく、でたらめになっただけ」 なんだろう、たしかに。

でも・・・価格の安さである程度の (贅沢ともいえない)  "豊かさ"  を手に入れようとしてきたことも、

今の僕らの暮らしの側面でもあって、

偉そうに否定したからといって、簡単に乗り越えられるものでもない。

であるからこそ、これからの苦しい消費生活の先に、希望の有効打を打ちたい。

 

僕の、かの全面広告に対するイラ立ちとは、実は、

自分への焦りなのかもしれない。

 



2008年3月 7日

新聞の全面広告 -怒りがおさまらん・・・

 

夕べは、外を眺める余裕を失っていた自分に愕然となって、

独り手酌酒の挙句に、ヘンな境地にハマってしまった。 反省・・・

 

気分を変えて-

実は先週、東京集会後の溜まった新聞を見ていて、どうにも違和感を感じたものがある。

癪(しゃく) に障る、と言ってもいい。 しかも連続攻撃で見せられたから、たまらない。

 

ともに朝日新聞から。

まず2月27日付朝刊。 32面に全面広告が出ている。

 

刺身にたけのこ煮、納豆、しょうゆ、白菜の漬物、ご飯に味噌汁の写真。

キャッチコピーはこう。

「和の食材だから日本産、というのはほぼ思い込みです。」

 


まあ食材の出所に関心のある方なら、だいたい、あるいは薄々とでも知っていることではあると思う。 

はて、どこが出したのかと眺めれば、「農林水産省」 とある。

 

  いま、私たちが口にする食料の6割を海外から輸入していることをご存知でしょうか。

  私たちの食卓は、洋風化が進み、国内で賄えるごはんの消費は減り、

  輸入に依存する肉や油の消費が増えてきました。

  また、古くからある身近な食材まで輸入に頼ることも多くなってきました。

  ~(中略)~

  海外への依存度合いが高いほど、海外の需給動向の影響を強く受けます。

  海外に多く依存する私たちの食卓のリスクを少なくするために、日本にある食材を

  見直してみませんか。

 

こういった解説とともに、日本の食料自給率の推移がグラフで示されている。

昭和40 (1965) 年には73%あった自給率が、平成18 (2006) 年には39%となっている。

そして、「食べることで自立する、日本の食」 だと。

 

思うに、日本の自給率を下げた根本的な背景は、国策である。

労働力を農村から都市に移動させ、工業製品を売って稼ぐ。 

一方で、食は安い海外から持ってくる。

そうやって国民の消費力を向上させてきた。

食の洋風化もまた、かなり意識的に誘導された結果である。

 

胃袋 (生命線) を世界にさらしてきた結果、「食べることで、食の自立は失われてきた」 のである。

今や耕地まで荒れさせている。

農水省は何をしてきたのか。 自らを省みず、とはこのことではないか。

 

しかも、セコイことを言わせてもらえば (いやけっしてセコくはないと思うが)、

この広告代が何百万円 (制作費も含めればもう一桁上か) かかったのかは知らないが、

これは農水省が稼いだお金ではない。 我々の税金である。

 

世は中国産ギョウザの一件以来、一気に国産回帰の勢いだが、

値段も必然的に上がっている。

穀物や燃料や資材の高騰であらゆる食材が値上がりするなかで加速されたこの状況は、

台所には、かなりきついボディブローである。

 

健康や環境のために、

「まずもって、食べることこそ、大事にしよう」 と大地は訴えてきた。

「国産のものを食べよう」 とも言い続けてきた。

この30数年、僕らはどれだけ農水省に喧嘩を売ってきたことだろう。

あんたたちは買ってもくれず (ぐやじい!)、無視してきたんじゃないか、こういう主張を。

 

私は言いたい。

この広告を出す金があるなら、ずっと国産の食べものにお金を払い続けてきた消費者に、

キャッシュバックすべきだ。 あるいは、国産消費特別控除みたいなことをやれ。

国産野菜は消費税カット、はどうだ。

だって、「国産を支援する消費」 を訴えるためにこんなに税金を使ってるんだよねぇ。

消費者にヒイヒイ言わせて、自分たちは、そんな彼らから徴収した税金を食いながら、

平然と 「もっと高いものを食べましょうよ」 キャンペーンをしようとしている。

なら答えはこうならざるを得ない。

私たちは国産のものを食べる。 その分、税金を減らすか、農水の経費削減をお願いしたい。

これは感情的な怒りではない。 経済の理屈である。

 

・・・ああ、だめだ。

「やっぱり書いておこう」 が、書けば書くほど、また腹が立ってきた。

 

もう一つが、二日後の2月29日。

今度はJA全農、つまり農協の元締めが全面広告を出したのだ。

「安心して食べられる国産農産物を守るために。」 ~

ううう・・・モノ言いたいが、ひと言だけ。

こちらの経費は、農民から吸い上げたものだ。

 

どうも、どちらもギョウザを "追い風" と見たか。

これだけ中国に依存してきて、

一元 (中国の通貨単位) しか出さないくせに百元の管理を求めてきて、

中国バッシングでは一転して、ここぞとばかり国産キャンペーンか。

 

もう止めよう。 終われなくなる。

今日の結論。

高みからのキャンペーンよりも、腰を低くしてのお願いよりも、

いま必要なのは、消費 (者) を具体的に支援することだ。

目線を台所に置いてみれば分かることだ。

農林予算を、消費 (国民経済) 支援に回せ!

 

 

※ 昨日の日記は、書き出した時にはすでに日付が変わっていましたが、

   ワタシ的には昨夜なので、無理やり6日に変更しました。

   基本的には、書き出した日時で表示されてますので、写真の貼り付けが遅れたり、

   中断しているうちに1日、2日と経ってしまったりして、なかなか手際よくできません。

  ブログって難しいですね。 というよりむしろ、怖いです。

 



2008年3月 6日

啓蟄

 

気がつけば、梅が咲いていた。

 

通勤途中の民家の庭。 一枚撮らせていただく。

日々見ていたはずなのに、ここまで咲くまで全然気がつかなかった。

e08030601.JPG


時節はもう 「啓蟄」 である。

大地が温もってきて、冬眠していた虫たちが起き出してくる。

 

私たちの住む位置では、太陽の日差しが最も弱くなる冬至から2ヶ月後が一番冷える時で、

それから上がったり下がったりしながら、だんだんと暖かくなってゆく。

それが太陽(日差し) だけでなく、大気と水と土壌の作用によってなされる仕組みのようで、

ヒト以外の生命体は、基本的にそのリズムに合わせて生きている。

 

時は正確に刻まれ、季節は確実に移ろっている。

自然 (生物)  は、スゴイ。

ヒトの営みだけが、とても貧相になっていっているような気がする。

 

いや、生意気な物言いはやめよう。 

貧しく急(せ) いているワタシがいるだけなのだ。 そう思ったほうが方針と対策が明確になる。

 



2008年3月 5日

波村さんのポンカンと酸性雨

 

昨日に続いて波村郁夫さんの話を。

 

実は、東京集会 (だいちのわ2008) での 「身近な環境セミナー」 で、

マエキタミヤコさんのお話の終了後、LESSON 2へのスタンバイをしているときに、

波村さんがポンカンを手に持ってみんなの前に出た。

そのポンカンは、セミナー参加者へのお土産用にと送ってくれたものだったが、

そのワケを波村さんが伝えてくれたのだ。 ちょっとショッキングな内容だった。

e08030402.JPG


このポンカンは何と、酸性雨にやられたものだという。

ポンカンは長く木に実をつけたまま持たせるもので、当然その間に雨にも当たるが、

あるときの雨のあと、近隣の園地も含めて、水滴がついていたあたりから

赤茶色のサビのような斑点ができて、腐っていったらしい。

周囲では、全滅してボタボタと落ちていった木がたくさん見られたとのこと。

 

公的機関は酸性雨の被害だとは認めてくれないが、その雨のあとに被害が発生したのは、

酸性雨としか考えられない、と波村さんは考えている。

 

「売り物にならないので、自分も放っておこうかと考えたが、ちょうど東京集会があったので、

 皆さんで食べてもらって、少しでも環境のことなども考えてもらえたらと思って、

 比較的きれいに残ったものを摘んで、送らせてもらいました。 どうぞ食べてください。」

e08030401.JPG

 

今回の被害の原因が本当に酸性雨のせいなのかどうかは、私には分からない。

しかし、波村さんがそう確信するのにも、それなりの理由はある。

 

この時期になると南からの風に乗って黄砂がやってくるが、

中国では今、化学肥料の大量投入や地下水の富栄養化などで農業環境の汚染が進んでいる。

その影響で、土壌の劣化や塩類集積、そして生産力の低下を招き、

結果的に、放棄された土壌は黄砂の発生源になる。

さらには黄砂に含まれる酸化硫黄は、雨の酸性化をも招いているだろう。

もちろん人間の健康への影響も懸念される。

 

環境の悪化は、誰にとってもいいことはない。

その影響はだいたいが上流 (風上) から下流 (川下) へと進む。

そういう意味で、安全性 (土壌や環境の健全性) に気を配ってくれる生産者は、

我々消費者にとっては、大切なアンテナの役割も果たしてくれている。

彼のミカン経営が長く続くよう、たくさんの人に支えていただけると嬉しい。

 

・・・・・なんて言いながら、少し恥ずかしい思い出が蘇る。

僕が初めて波村さんとじっくり話をしたのは、16,7年位前の東京集会の夜だった。

ウマが合ってたはずの農業談義が、気がつけば、口論に発展していた。

その年、集会で講演をしてもらったのが作家の井上ひさしさんで、

畑も耕しとらん小説家に何が分かるか、という彼の感想に、

農民の狭い了見だ、とかなんとか、肥後もっこすの火に油を注いでしまったのだ。

そのうち、なんでか......

「あんたに農業が分かると? 分からんもんに何も言われたかなかよ。」

「ああ分かった。 あんたのミカンなんか、売りたくない!」

「ああ、よか! あんたなんかに売ってもらいとうない!」

 ・・・・・あ~あ、アホだね、ほんと。 (前にも似たような話を書いたような...)

 

今はなき市川塩浜のセンターで、飲んだなぁ、とことん。

最後は一緒に寝たんだっけか。

あれから毎年、会うたびに、僕らはまず照れたようなはにかみを交わしてから握手をする。

飲めば、「俺たちは同志だから」 と周囲に自慢する。

やっぱりアホは変わってない。

 



2008年3月 4日

波村さんのかんきつ思い

 

東京集会が終わって、その余韻を引きずりながらレポートを書いていた先週、

少し疲れた心身 をさりげなく癒してくれたものがあった。

私の部署の窓際の一角、テーブル一台分の共有スペースに、何げに並べられていた柑橘類。

見ればアンケート用紙がついている。

『波村さんの 「とくたろう」 候補のかんきつ類です。 率直なご意見をお願いします。』

波村さんとは、大地にみかんを出荷してくれている波村郁夫さん (熊本県三角町/現宇城市) のこと。

 

e08030404.JPG


6種類の柑橘が並べられている。

「九年母(くねんぼ)」(写真手前の右)、「三宝柑(さんぽうかん)」、「絹皮(きぬかわ)」

「金柑子(きんこうじ)」、「蓬莱柑(ほうらいかん)」、

そして 「黄金柑(おうごんかん)」(手前の左の小さいやつ)。

 

「黄金柑」 は近年の交配種なので、在来種にこだわる 「とくたろう」 のコンセプトとしては別物となるが、

その他の5種は、波村さんが九州の山々を歩いて見つけては育ててきた、古い品種たちらしい。

話には聞いていたけど、こんなに探したのか、と感心する。

今の種々のかんきつ類のどこかに、彼らのDNAがつながっているかもしれない。

もちろん元はすべて南方から伝来されたものではあるが、

そこで住み着いて定着してくれた先祖たちということで、 「とくたろう」 候補なのだ。

波村さんがあちこち歩きながら見つけては残してきた、というのがなんか響いてくるものがある。

 

「九年母」 ・・・インドシナ原産。 室町時代に伝来し、紀州みかんや柚子と並び、江戸時代までの

 日本の主流品種で、宮廷の貴族や公家などが食し、江戸の将軍家にも献上されたという話がある。

 温州みかんの先祖とも推定されている。 ジューシーで酸味強く、独特の香りがある。 

 これが温州の原種かと思うと、この香りもトロピカルな・・・・という言葉が浮かんでくる。 

「金柑子」 ・・・江戸時代からあったとか。 さっぱりした甘夏って感じ。 酸味に多少の苦味が残る。

 あちこちに色んな呼び名で残っているらしい。

「絹皮」 ・・・・・これも江戸時代から記録がある。 文字通り剥きやすく、食べやすい、さっぱりした味。

「三宝柑」 ・・・柚子の遠縁らしい。 デコポンに似た果実。 三宝 (三方のこと) に載せられて

 献上されたことから名づけられたと解説にある。 果肉は上品で爽やかな甘みがある。

 皮が厚いので、今でも中をくり抜いて料理に使われている。

「蓬莱柑」 ・・・三宝柑とほぼ同じ系統のようだ。 剥きやすくジューシー。 味はこちらも淡白。

 袋ごと食べると独特の渋みがかった苦味が残った。

 

「黄金柑」 は、今や "ゴールデンオレンジ" の異名もある、知る人ぞ知る柑橘。

小さな果実だが、甘み酸味ともに強く、爽やかな芳香がある。

これは別ものとして、

古来からの5種は、ともに全般的に淡白な味わいである。 でも、食べてみて思う。

今の甘い品種に慣れた者には味気なくも感じられるだろうが、これが原種の味であり力なのだ。

昔の人は、他の果実にない香りと酸味と甘みに異国情緒や季節感を感じて楽しんだのだろう。

種の多さから見ても、強い生命力を感じさせる。

農薬・肥料なしでもしっかりと生きてきたんだよね。

こういった忘れられた品種を探しては自園に残してきた波村郁夫は、

本当にかんきつ思いの柑橘農家なんだと思う。

 

もしかして、いつか波村農園から、まったく新しいミカンが生まれるかもしれない。

どっかのお店で独占契約して、 " 波村さんの未来みかんコーナー " というのはいかがか。

 



2008年3月 1日

身近な環境セミナー

 

さて、別室で開催された 「身近な環境セミナー」 へと移る。

e08030102.JPG

 

ホールからセミナー室に入れば、

LESSON-1 『 "エコシフト" チャーミングに世界を変える方法 』 が続いている。

講師はマエキタミヤコさん。

自分を楽しく変え、社会をチャーミングに巻き込んでいくためのノウハウについてのお話。

 

(※上の写真はLESSON-3の様子です)

 

たしかに、最近のキャンドルナイトやフードマイレージ・キャンペーンといったムーヴメントは、

ちょっと古いタイプのワタシには、新しいセンスの登場を感じさせるものだ。

この仕掛けがあっという間に社会に広がったのには、彼女の存在も大きい。

 

質疑の最後で、参加者からこんな質問が上がっている。

「こういう集会に男性(熟年オヤジ) を参加させるにはどうしたらいいでしょう」


マエキタさんの回答はこう。

「無理やり引っ張り出そうとしてもかえって逆効果になるかも。

 その人の好きな話題や趣味、たとえば釣りとか、から

 こういった世界に関心を持たせるように仕向けていったらどうでしょう。」

 

このテーマには、実は私にも秘めたアイディアがある。

でも団塊の男たちを相手にすると考えただけで、あとが面倒くさい、

というのが我々世代の共通感覚でもあって、どうも前向きになれなかったりする。

 

それにしても、と出番を待ちながら思う。

俺には、こういうチャーミングな話題での司会というのが回ってきたことがないなぁ。

 

ま、考えるだけ無駄か、と気を取り直して、

LESSON-2 『遺伝子組み換え最前線』 に入る。

講師は 「市民バイオテクノロジー情報室」 代表の天笠啓祐さん。

e08030101.JPG

 

いまどんどん増加の一途をたどる遺伝子組み換え作物の状況。

すべての背景はグローバリゼーションにある。 みんなが "安さ" を求めているからだ。

バイオ燃料の需要で、生産量は増えているのに価格も上昇している。

需給バランスで動いてきたはずの価格が、投機によってつり上げられている。

コーンの連作により土壌バランスが壊れ、障害が起きてきている。

その対策に殺虫毒素を組み込んだりして、2種、3種の混合組み換え作物が出現している。

国内での分かりにくい表示の問題。

動物の世界では、3倍体のサケが実用化されようとしている。

こういった動向が伝えられる。

 

う~ん。 では私たちはどうすればいいのか。

それこそチャーミングに世界を気づかせる方法はないものか。

妙案はまだ霧の中だ。

 

無理を承知で、この間抱き続けている疑問を天笠さんにぶつけてみる。

「除草剤耐性+殺虫毒素といった混合遺伝子組み換えの技術はさらに複雑になってゆくだろうが、

 自然界では順次それに対する耐性が生まれ、

 品種改良と耐性のいたちごっこのスピードもまた速くなっていくと思われる。

 一方で土壌は疲弊していってる。

 どこかで作物生産自体が立ち行かなくなる崩壊の時が来るのでは、と思うのだが、

 天笠さんの見通しは?」

 

天笠さんの答え。

「それが分かるなら、教えてほしい。」

 

はっきりしていることは、

穀物の安定供給のためには、土の健全さを維持し、多様な種を保持することこそが、

持続可能な道であるということだ。

何としても、生産と消費のつながりで非遺伝子組み換えの世界を守り続ける。

そしてただ遺伝子組み換え作物を拒否するだけでなく、

生態系の多様性の保持を、「未来を保証する豊かさ」 として魅力的に語るための視点を、

そして言葉を、私たちは獲得しなければならない。

 

LESSON-3 『 「農の未来」の扉を開けよう 』

ひとつのヒントがここにある。

講師は 「農と自然の研究所」 代表・宇根豊さん。

e08030103.JPG

 

食の 「安全」 というが、安全は食べものの一つの価値でしかない。

その安全を、分析・検査や証明 (認証) で確かめなければならないような、

そんな社会をつくってしまったことこそ、農薬というものの最大の罪悪である。

安全証明を成分検査で確かめるというのは、そのモノの内部に向かっているが、

安全・安心を外側から確かめることだって可能なのだ。

 

たとえば赤トンボは日本じゅうで約200億匹生まれているが、

その99%は田んぼで生まれている。

カエルはその5倍はいて、カエルもまた98%が田んぼで生まれる。

たとえばアゲハチョウはセリ科の葉っぱを食べる。

無農薬で人参を育てると、アゲハチョウも育つ。

赤トンボやカエルやアゲハチョウを育てているのは、実は農業である。

(彼は 「農業」 とは言わず、 「百姓仕事」 と表現する。)

ただ人参の生産性だけを考えて農薬を撒けば、蝶との関係は崩れる。

安ければいいと輸入に頼って、この国から田が消えれば、赤トンボも消える。

 

そんな生きものの目から、食べもの (の価値) を見つめる、

そんな "まなざし" を取り戻したい。

それこそがいま提唱している 「田んぼの生きもの調査」 の意味である。

自然は生きものの生命で満たされていて、

生きものが賑わう世界、そこからこそ (安全な) 食べ物はつくられる。

(彼は 「作る」 とは言わず、 「できる」 「なる」 と表現する。)

稲は稲だけでは育たないのだ。

ホンモノの安全・安心の物差しは、生命とのつながりを見る "まなざし" のなかにある。

 

食べものは自然からの使者である。

人と自然は、食べものによってつながっている。

自然は毎日食卓に上がっている。

食べものが自然を伝えている。

 

百姓の仕事が、自然の風物や四季の風景をつくった。

風景を美しいと思うのは、そこに百姓仕事が生きているから。

百姓は、その仕事の楽しみで踏ん張ろうではないか。

仕事の中身で人生を生きてゆこうではないか。

 

「宇根ワールド」 の深い情念の世界を、僕はどうしてもまだ伝えられない。

でも少しは感じとってもらえただろうか。

前にも書いたけど、有機農業運動に宇根豊という人物を得たことは、とても幸運なことだ。

そして百姓仕事に誇りを持つ生産者とつながっていられることに、私たちの幸運もある。

我々運び手は、そのお米・その野菜がもっている "意味の全体" を伝える

まなざしと方法を、獲得しなければならない。

できればチャーミングに。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ