2008年5月 6日

水路は未来への財産だ!

 

昨日 (5月5日) から全身が痛い。

腕も太モモも尻の筋肉も張って、おまけに腰までキツイ。

日頃の怠慢がタタっている。 加えて数ヵ所、虫に刺された痕がカユい。

 

世間はゴールデン・ウィークのまっただ中という5月4日、

わたくし、エビは予告通り、真面目に

会津・喜多方、旧山都町での棚田の水路補修のお手伝いに行ってきたのでした。

 

日本百名山にも数えられる霊峰・飯豊 (いいで) 山の登山口もある山都町、

早稲谷 (わせだに) 地区。

清流が当たり前のように流れる谷筋の里の風景。

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ここは、飯豊山系の雪解け水がブナの原生林に蓄えられたあと、

最初に溢れ出て形成される早稲谷川の最奥の集落である。

それは最も汚染のない上流部でもあるわけで、この水系で育まれる稲はシアワセである。

と同時に、この水系を最初に利用する地域の人々が手作業で守ってきた水路 (本木上堰) は、

麓の人たちにとっても、貴重な財産なのである。

 

その地域がいつの間にか 「限界集落」 と言われるような過疎の地となり、

堰の維持が困難となってきた。

その堰の補修作業に、都会からのボランティアを募る提案をしたのが、

11年前に入植した浅見彰宏さんである。

2000年。 地元の方の不安も漂う中で初めてボランティアを受け入れたときは、

おそらくは浅見さんが全責任を追うような格好だったのではと想像する。

それが今や違和感なく、喜んで受け入れてくれるまでになった。

' 新規就農者の鏡 ' と言えば簡単だが、苦労もあったことだろうと思う。

 

今年も20人を越えるボランティアが集まって、総勢50人くらいで清掃作業に入る。

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この堰の特徴は、すべて山の中にあることだ。

水系の最も上流部にあり、しかも流末までの標高差が少ない。

つまり、なかなか高度が下がらず、ずっと平行とも思えるような水路が延々と尾根伝いに続いて、

里に水を供給する緩やかに長く続く水路。

それによっておそらくは周囲からの湧き水を集めることで水量が確保され、また温み、

あるいは逆に厳しい雪や大雨に耐えることができる。

これは高度な技術であり、システムなのだ。

したがって、なくなることは災害のリスクを高めることにもつながるだろう。

 

しかし、であるが故にか、作業は結構つらい。

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コンパクトカメラのレンズのカバーに泥でもかかったか、下の部分が開ききってない。

 

本木上堰の長さは6キロ。 最上部から下る班と、下から登る判に別れ、

双方から、落ち葉や土砂をすくいながら前進してゆく。 出会うまで終われない。

体はなまくらなくせして、地元の人に舐められたくないと、意地も張ってしまう。

 

写真を撮るのもためらわれるが、突如、こんな光景にぶつかったりする。

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万年雪と落ち葉が重なり合って水路に迫っている。

この地の冬の厳しさが推測される。

 

ちょと開けた所から、里を眺める。

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水路を守り、水路に抱かれて暮らしがある。

 

写真には収められなかったけど、途中で色んな小動物にも出会う。

驚いて逃げはするも大人しく手に乗るアカガエル、水路の真ん中で動かない交尾中のヒキガエル、

名前も同定できない小さな魚......、サンショウウオもいるらしい。

不思議なことに、放置するよりも中規模の撹乱があった方が、

生物の多様性は高まるのだ。

 

休憩風景。 ちょっと疲れが見えてきている。

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江戸時代に掘られたという手掘りのまま残っている所もあれば、

大雨や融雪で決壊したりするたびに修復を繰り返してきたなかでコンクリが打たれた箇所もある。

たたかいの跡が偲ばれる。 

 

こんな水路が、日本列島に40万km。 地球10週分。

これはとんでもない歴史遺産ではないか。 遺産にしてはいけないが。

 

お昼を食べた後、木陰の草むらでダウン。眠りこける。

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これは労働なのか、癒してもらっているのか......

 

朝の8時半から始動して、作業が終わったのは午後3時半頃。

公民館の庭で慰労会が開かれる。

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地元の人から感謝されるのが面映い。

この日は夜も交流会が予定されていたのだが、翌日に仕事もあって、

後ろ髪を引かれる思いでおいとまする。

 

去年からまだ2回の参加ではあるけど、この水路から

営々と暮らしを築いてきたヒトの歴史や文化というものの奥深さを思った。

見極めることはできないかもしれないが、漠とした感傷で評価するだけでなく、

突き止めたいと思うのである。 この意味を。 

未来を考える上でも、遺跡にしてはならない。

 

帰りの山都駅まで 「俺が送っていく」 と申し出てくれた地元のUさんが、

車の中で語ってくれた。

「こういう出会いを大切にしたいと思ってる」

「浅見さんには本当に感謝してるんだ」

 

新規就農者だからできること、はある。

未来をつくることは、面白いのだ、やっぱり。

 

 

最後におまけ。

5月3日の行きの途中。 幸運にも、会津若松からSL列車に乗ることができた。

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「SL ばんえつ物語」 号。 観光客が大勢来ている。

しばらく懐古趣味に浸る。

 

列車から見た飯豊山系の姿。

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何度見ても、懐の深い山並みである。

 

喜多方から山都に向かう途中で見えた、

我らが純米酒 『種蒔人』 の蔵元、大和川酒蔵店の飯豊蔵 (いいでくら) の佇まい。

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パトカーが出ているのは、けっして大和川酒造を見張っているのではなく、

SL を撮影したりする沿道の観光客の監視と思われます。

 


Comment:

昔、こういう水路ってちょっと山裾のところにはどこにでもありましたよね。
子供のころこんな水路でシジミを夢中になってとっていたら、なんか鼻息が聞こえてふっと顔を上げたら馬がいて、ものすごくびっくりしたことを思い出しました。
いや、そんな年でもないんですけどね。私。
でも、今考えてもなんであそこに馬がいたのがわかりません。きっと近所の方のペットでしょう。
予断ですが先日も高尾山に行ったら、ふもとにペットの豚がいましたから。

from "てん" at 2008年5月 8日 22:54

近所のペットの馬???
どちらのご出身ですか。馬路村とかそんな名前の、旧街道沿いの山里、というイメージが浮かびます。
まあ海沿い出身の私も、子どもの頃、馬の後ろを歩いて糞の匂いを嗅いだ記憶がありますが、さすがにペットで飼っていた家はありません。私だってそんな年ではありませんが。
大地の生産者では、北海道・富良野の「どらごんふらい」の太田順夫さんが、小林旭みたいに散歩するのを夢見て馬を飼ったことがありましたが、死なせてしまいました。馬は、食事量も散歩量も犬の比ではないようです。
ペットの豚というのも、もったいない話ですねぇ。すみません、こんな反応で。またよろしく、です。

from "エビ" at 2008年5月10日 02:22

出身は戎谷さんのご出身の近くです!
ちょっと向かいの大きな橋をわたったところです!
家から車でどこかにちょっと連れて行ってもらったときの記憶です。
たぶん、祖母の実家だと思います。
造酒屋の裏山のようなところだったような・・。何せ小学校入学前の話しで、きちんと思い出せません。
でも、水路の感じは写真とそっくりです。
10cmぐらいの深さで、きれいな水が流れていました。頭上には広葉樹のトンネルがありました。
その景色の美しさだけはいまでもはっきりと思い出せます。
残したいですね。そういう里山を。

from "てん" at 2008年5月11日 22:36

え? 近く、ですか。
フムフム……だいたい、何となく想像がつきます。そうですか、なるほど(何を納得しているのかよく分かりませんが)。
こういう原風景の記憶って大事ですよね。つくづく思います。子どもたちに少しでも残しておいてやりたいと思っています。

from "エビ" at 2008年5月12日 21:23

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