2008年5月28日

槍木行雄さんとのお別れ

 

日曜日に突然の悲報が届く。

千葉県山武市の生産者団体 「さんぶ野菜ネットワーク」 の生産者、

槍木 (うつぎ) 行雄さんが亡くなられた。

生産者会員としての登録は、すでに息子さんの康直さんに代替わりしているが、

1988年、JA山武睦岡支所に有機部会が設立された時の、初代部会長だ。

68歳での、早すぎる逝去である。

 

昨夜お通夜が行われ、今日の告別式となった。

生まれて初めての大役を仰せつかって、会場に向かう。

槍木行雄さんの思い出を辿りながら・・・

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このところ、

有機農業支援事業のモデルタウンに選ばれたり、環境保全型農業コンクールで受賞したりと、

さんぶ野菜ネットワークの話題が多かったが、

すべての土台を築いたのが、槍木さんも含めた初期のパイオニア生産者たちである。

 

1988年12月に、JA山武睦岡支所に「無農薬有機部会」が設立される。

集まった生産者は29名。

ただ全員がすぐに無農薬の野菜生産に入ったわけではなかったと聞いている。

不安先行のスタートだったのだ。

同じ設立メンバーの綿貫栄一さんが当時の思い出を語ってくれた。

「あん時よう、オレは行雄に聞いたんだ。 本当に (無農薬で) やれるんかいって。

 そんだらよう。 ヤツはきっぱり言ってな、『やれる』って。 そんで腹が決まったんだ。」

 

しかし、その後の苦労は並大抵ではなかったはずだ。

自分の野菜づくりだけではない。 みんながみんなうまくいくわけではないから、

栽培指導や部会の運営も大変だったと思う。

消費者との交流にも熱心に取り組んでくれた。

夏のツアーに秋の収穫祭。 90年には稲作体験が始まり、大地の実験農場が建設された。

おかげで、よく飲んだ。

 

いつだったか、ビール飲みながら、「エビさん、過労死しそうだよ」 と笑っていたのを思い出す。

大地と付き合うようになって、雨の日でも収穫しなければならなくなって (毎日配達あるからね)、

こたえるなあ、なんて漏らしていたなぁ。

こんなことまで思い出して...泣けてくる。

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大地で弔辞を読んでやってくれないか、と頼まれたので、受ける。

藤田会長の代読とはいえ、弔辞は生まれて初めてである。

一生懸命、落ち着いて読もうとするも、やっぱり途中で泣けてくる。

 

   昨年の秋、大地の職員合宿の農家研修で、槍木さん宅でお世話になり、

   研修も忘れて一緒にビールを飲み、スリランカ料理を楽しんだこと。

   あんなに元気だったのに・・・

   有機部会設立からいろんなことに取り組んでこられたこと。

   あれから20年経って、今ようやく有機農業推進法の時代に入って、

   槍木家には立派な後継者も育って、ようやく苦労が実を結んできた時に・・・

   行雄さんには、この先来るであろう、食と農業を大切にする社会を、

   何としても見届けてほしかった。

 

   生前の行雄さんの働く姿を知る者として、また教えを受けた者の使命として、

   しっかりと遺志を受け継ぎ、行雄さんの苦労が必ずや報われる時代を築いて見せたい。

   そのお約束をして、いったんのお別れのご挨拶とさせていただきます。

 

   朝から晩まで働きづくめだった行雄さん。

   どうか心安らかにお休みください。 本当に有り難うございました。

 

最後に、親族を代表して挨拶される、康直さん。

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3月に肺がんが発見され、あっという間の2ヵ月だった。

みんなで家で介抱していたそうだ。

亡くなる前、行雄さんは 「いい人生だったよ」 と漏らしたという。

この言葉に、みんな救われる。

最後の最後まで、行雄さんは優しかった。

 

行雄さん、オレも頑張るよ。

 



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