2008年6月アーカイブ

2008年6月30日

有機農業第2世紀の宣言

 

6月28日(土)、29日(日)の二日間にわたって、

有機農業の広がりを目指した集会が催された。

 

国が有機農業の発展を支援するという、ひと昔前にはとても想像できなかった法律

「有機農業推進法」 が施行されたのが一昨年の12月のこと。

昨年4月には推進のための国の基本方針が告示された。

そして今年4月から、有機農業の普及啓発や参入促進事業に加えて、

45ヵ所の地域が有機農業推進のモデルタウンとして指定された。

まだ形ばかりとはいえ、

農水省の担当部局 (環境保全型農業対策室) もやる気になっている。

 

そこで、これからの時代を 『有機農業第2世紀』 と位置づけて、

新しいスタートの宣言をしようというわけだ。

 

28日(土)、大手町・JAビルで開かれた 「地域に広げる有機農業フォーラム」。

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この日は、モデルタウンに選ばれた、あるいは選に漏れた人たちによる

情報交換と交流の場として呼びかけられ、全国から約100名の参加者があった。


上の写真は、コモンズという出版社の代表をされている大江正章さんによる

「地域の力 -食・農・まちづくり」 と題しての記念講演。

大江さんとは、彼が以前に勤めていた出版社時代からの古い付き合いだが、

実は今年の2月、演題と同名の著書が岩波新書から出されて、

この手の本では異例の売れ行きを示しているという。

 

地方が疲弊していっている、と言われて久しい中で、

地元企業と住民と自治体が共同で知恵を出し合って、

活気ある地域づくりを進めている町や村がある。

そんな事例を紹介しながら、地域の力を引き出してきたポイントと、

有機農業の果たす役割について、大江さんは語ってくれた。

講演で紹介されたのは、以前(12月2日)このブログでも紹介した木次乳業のある町、

島根県雲南市と、徳島県上勝町、そして東京・練馬での都市農園の実践例。

「 畑は地域のカルチャーセンターであり、コミュニティセンターである 」

の言葉が印象に残った。

ここでの説明は簡単に済ませて、ぜひ本を読んで欲しいと思う。

あっちこっちの地域おこしの現場をていねいに取材して、

大江さんらしい温かい目で語られている。

これは読みようによってはヒントの宝庫のような本である。

地域の環境や資源を見直し、また地域福祉を考える上で。

あるいは、社会起業や転職を考える人にもおススメです、とも言ってみたくなる。

そして何よりも、有機農業の今日的な力を感じ取れる格好の手引書になっている。

オマケに大地を守る会の関係者もチラホラとお目見えしてくれるし-。

『地域の力-食・農・まちづくり』 (岩波新書)、値段は700円 (+消費税) です。

 

後半では、各地からの有機農業推進事業 (モデルタウン) の取り組みが発表された。

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助成対象となった45のうち、17ヵ所の方々からの報告を聞いたが、

やはりまだ、どこも器をつくったばかりで、これからの方向性を模索中といったところだ。

出た不満は、行政の知識と理解のなさである。

いかに地方行政が有機農業を無視してきたかを、つくづくと感じさせる。

でも、我々は今、たしかに機運をつかんでいる。

この5年間でどれだけ形あるものにするか、地域を変えられるか、

みんなの知恵と想像力を結集させて、未来を切り開いて見せたいものだ。

立派な形は残せなかったとしても、

大江さんの本の中で紹介されている、80歳でもみじの種を播いたという

徳島のおばあちゃんの台詞のように進んでみたいと思う。

「生きとるうちには採れんかもしれんけど、これは私の夢を播っきょんじゃあ。

 子や孫が継いでくれることを信じてな」

 

二日目は、場所を隣のサンケイプラザに移して、

『 有機農業宣言 東京集会 ~みんなで広げる有機農業~

  食・農・環境の未来を 「ゆうきの一歩」 から 』 という長いタイトルの集会。

 

午前中には観たいと思っていた映画 「土の世界から」 が上映されたのだが、

間に合わず、午後からの参加となる。

予想以上の参加者にびっくりした。 400人は入っている。

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                        (ここ数年、大地を守る会の東京集会で使っている会場)

 

シンポジウムでは、全国有機農業推進協議会代表の金子美登さんはじめ

5人の方が、それぞれに有機農業の未来像を語った。

-有機農業の土作りは温暖化対策としても有効である。

  家庭から出されている年間5トンのCO2 は、3haの農地で吸収できる。

  消費者と生産者のつながりこそが環境を守り、

  再生産できる (作り続けることができる) 関係は、村を元気にさせる。

  元気になった村は、美しくなる。

-食の地域自給にとどまらず、エネルギーの自給も考えたい。

  日本という国は、草・森・水・土・太陽というエネルギー資源の宝庫である。

  資源を使いこなせず、どんどん痩せていっている・・・・・

 

今年の5月25日、G8環境大臣会合に対応した形で、

「環境と農業にかんする国際シンポジウム」 が神戸で開催された。

そこで採択された 「神戸宣言」 が会場で読み上げられ、

この宣言を洞爺湖でのG8首脳会議に反映させるよう、福田首相宛に届けたい

とのアピールがあり、拍手で確認される。

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1.生産者・流通・消費者が連携する適正な規模の有機農業を推進すること。

2.農・食・環境を基本とする地域と生物多様性を育む政策を実現すること。

3.地域農業・食糧自給重視の地球環境保全型貿易ルールを確立すること。

4.自然循環・生命環境を基礎とした循環型・協同社会を形成すること。

 

続いて、4つの部屋に分かれて分科会となる。

第1分科会-有機農業への参入促進 「私も有機農業で生きたい!」 に参加する。

ここでパネラーで呼ばれたのが、

宮城県大崎市 (旧・田尻町) で有機米を生産する 「蕪栗米出荷組合」 代表、千葉孝志さん。

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千葉さんが米を作る蕪栗沼周辺は、

渡り鳥の貴重な飛来地・休息地であり餌場として、

世界で初めて田んぼも含めた地帯がラムサール条約に登録されたところ。

 

そこで有機栽培を始めたきっかけや、一般栽培から有機に転換する際の心構え

などを千葉さんは語った。

そして、リップサービス?

「私が取引している団体は、日本でも一番、農薬とか環境にうるさい組織だと思っている。

 だから絶対に間違いを起こさないように、有機JASも取って、仲間にもうるさく言っています」

・・・・・・・さすがに恥ずかしくなって、ついうつむいてしまう。

     でもちょっと、胸を張りたくなる。 生産者に言ってもらえるのが、何より嬉しい。

 

新規就農への支援はあちこちで取り組まれるようになったが、

忘れてはいけない問題は、今いるプロの農業者をどう導くか、である。

しかしそこで千葉さんが語ったことは、自分の問題だった。

「 自分たちが有機農業でやれるんだということを見せて、認められることかと思ってる。

 それ見たことか、と言われないためにも、意地でもやり続けるしかないです 」

他人の問題ではなく、自身の実践にかかっていると考える千葉さん。

よかったですよ。

 

国までが動くようになって、若者もたくさん参加してくるようになって、

本当に有機農業は 「第2世紀に入った」 と言ってもいいようだ。

しかし、思想と哲学、意地と根性で育ててきた第1世紀を経て、

今度は崖っぷちに立たされた地域と農業の再建を託されているわけで、

これはこれで、容易ではない。

 



2008年6月27日

「雪の大地」 の遺言

 

メンテナンス中だった先週の話を続けて恐縮ですが、

報告しないわけにはいかないことが続いたので、お許し願いたい。

 

訃報はいつも突然やってきて......

また一人、農の美学を信じた男が逝ってしまったのです。

 

山形・庄内協同ファーム元代表理事、斉藤健一さん、58歳。

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  (遺伝子組み換え作物拒否のシンボルマークを持って、田んぼに立つ斉藤健一さん)

 

健一さんの葬儀が行なわれたのは、6月21日(土)。

港区芝公園で行なわれたキャンドルナイトのキャンペーン・イベント

 『東京八百夜灯』 の日。

警備担当の役割を人に頼んで、列車を乗り継いで鶴岡に向かうことになった。


新幹線で新潟まで行き、羽越本線で日本海を北上する。

本を読んだりする気にもならず、ただ海を眺める。

今年の 「大地を守る東京集会」 のリレートークで、

庄内での取り組みの歴史を語ってくれたのは、たった3ヵ月前のことだったのに、

とか思い返しながら。

 

健一さんとの付き合いは1987年、

「日本の水田を守ろう! 提携米アクションネットワーク」 の立ち上げからだった。

米の市場開放と国の減反政策に反対して、

生産者と消費者の提携の力でこの国の田んぼを守っていこう、という運動だ。

その頃、「無農薬を要求するのは消費者のエゴだ」 と突っぱねていた健一さんが、

この運動の中で、「自らの意思」 で有機栽培に挑み始めた。

消費者に言われたからじゃない。俺がやりたいからやってんだ、とか言いながら。

いつだったか、収穫期に訪れた僕をコンバインに乗せて、

子どもに教えるように操作の手ほどきをしてくれたのを覚えている。

 

93年の大冷害がもたらした米パニックと、それに端を発して進められた市場開放は、

この運動に新たな展開をもたらした。

一年の冷害でかくももろく自給が崩れ、市場と消費者を混乱に陥れた

この国の農業政策の愚かさに挑んでみたい。

国を相手取っての裁判に打って出たのである。 

僕らの主張をひと言でいえば、

減反政策は国民の生存権を脅かす憲法違反である、というものだった。

農民の  " つくる自由 " を奪い、農村を疲弊させ、

消費者には  " 米が手に入らない "  という混乱と精神的不安を招いた。

国民の税金を "米を作らせないため" に使い、

結果として主食の自給力を衰えさせた。

 

全国から集まった原告は、生産者・消費者合わせて1294名。

裁判は、1994年10月の訴状提出から始まり、2001年8月まで続いた。

その間、27回の口頭弁論があり、

我々はその度に様々な論点で意見陳述を行なった。

 

僕は第2回の口頭弁論で、

水田の貴重な環境保全機能や役割が衰えてきたことを訴えた。

健一さんは6回目に登場して、

生産調整という名の減反が、補助金が出ないなどの集団的制裁を伴って

進められたことを、切々と訴えた。

 

    減反政策が始まってからの日本の農業は、転落の一途を辿ってきた。

    青年を農業の外に追い出し、村に20代の農民はいなくなった。

    田んぼに人影がなくなった。

    上流部では耕作放棄の田が広がり、二度と水田に戻らない状態になった。

    減反政策は、日本の農村景観の破壊であり、

    日本の農民の歴史に対する冒とくである。

    自由と平等そして生存という基本的人権を保障した日本国憲法のもとで、

    国家の政策によって集団的制裁を手段とする減反政策が強行されていることに、

    強い怒りを抑えることができない。

 

彼自身、減反に応じなかったために、地域での役職をすべて奪われ、

村の仲間から 「国賊」 とまで罵られたという。

減反政策は、地域の共同体までもカネでズタズタにしたのだ。

農民は、その地を離れることはできない。 どんなに辛かったことだろうかと思う。

 

減反政策は一時緩んではきたが、ここにきて再度強化されている。

しかも補助金を絡めての締めつけは、以前よりさらに厳しくなってきている。

世界の食料が逼迫している時代に、今でも真綿で首を絞めながら、

「米を作るな」 の脅しが農村を跋扈 (ばっこ) しているのである。

健一さんは、どんな思いをもっていったんだろうか。

 

葬儀で、若い頃の健一さんの写真が写された。 

まるでグループ・サウンズのボーカルみたいにカッコいい姿があった。

 

葬儀後、付き合いのあった生産者に流通関係者などもたくさん残って、

健一さんを偲ぶ席が設けられた。

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それぞれに悔しい思いや、楽しかった思い出などを語り合う。

 

斉藤健一さんは、大地を守る会にとって、もうひとつの顔がある。

大地オリジナル純米酒 『雪の大地』 の原料米、美山錦の生産者である。

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今年の製造は、彼のこだわりでもって木桶での仕込みである。

カートンの中には、彼が魂こめたという詩が添えられている。

 

    朝靄 (もや) の中に 大地をうなうトラクターの響き

    芽吹いたばかりの若苗が柔らかに輝く

    やがて 水が張られ 代かきされた水鏡は

    かげろうの中に田植えの時を待つ ............

 

今年も健一さんは、しっかりと美山錦の苗を植えつけてくれている。

今年の田んぼは、協同ファームの仲間が手分けして支えてくれることになっている。

 

協同ファームの生産者たちと別れ、飛行機でとんぼ返りとなったが、

そのまま大人しく帰ることができず、仲間の顔を見たくなって、

浜松町で降りて、芝公園に向かう。 何人分もの香典返しを抱えたまま。 

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消灯された東京タワー。

『東京八百夜灯』 に参加した人たちが帰り道についている。

 

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美しく輝く田園風景と、たくましく誇りを持った農民たちの姿を思い描きながら、

魂の農民、斉藤健ちゃんが、逝っちゃった。

 

健ちゃんが握りしめて走った、そのタスキの一片。 もらったからね。

何としても、つないでみせるから。

 



2008年6月26日

ケント週間 (続き)

 

(昨日に続けて)

翌18日(水)は、

東京・丸の内にあるカーギル・ジャパン社でのセミナーに参加する。

参加者はほとんどスーツ姿の、商社や大手の加工メーカーなど

カーギルさんのお取引先の方々である。

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内容は夕べのケント講座と概ね重複するので割愛するとして、

この日は、カーギル社からコーンと大豆の情勢についての資料が配布された。


このまま推移すれば、ノンGM (非遺伝子組み換え) コーンは2010年に消滅する、

というシュミレーションが描かれている。 大豆も同様である。

中国は輸出国ではなくなり、アルゼンチンも輸出規制に入った。

世界景気に押され、飼料穀物の需要は増加の一途であり、バイオエタノールの登場や

投機資金の流入もあいまって、コーン価格は歴史的な高値となっている。

それをGM品種の反収差 (=収益性) があと押ししている。

韓国はGM解禁に転換し、日本の需要からは明確な意思が示されないままである。

今年は北米の多雨によって植え付けと生育が遅れていて、不安含みであるが、

仮に豊作となっても価格が下がる要因は乏しい。

 

ノンGMコーンの栽培面積は減り続けており、今やカウントダウンの状態に入っている。

GMとの分別コストや輸送にかかる燃料コストの上昇分も含めたプレミアムが

提示されなければ、ケントですらノンGMの維持は困難となるだろう・・・

これはすでに交渉ではなく、最後通牒のような形で

我々に覚悟 (明確なプレミアム保証の意思表示) を迫っているのだが、

しかし会場から出された質問や雰囲気から窺えたのは、

「これから価格はどこまで行くのか」 という不安のみだった。

「なんぼでも払いましょう」 とは誰も言えないのだ。

 

ここには深い陥穽 (かんせい) があるように思う。

ノンGMコーンを確保するためにはそれだけのコストを負担しなければならない。

これはリアリズムである。

とはいえ、我々だって、どこまでも保証したい意思はあっても、

体力を超えた現ナマは用意できない。 これもまた現実である。

 

つまるところ・・・・・互いがマネーゲームに翻弄される間に、ノンGMコーンが、

ひとつの、高騰する 「高付加価値商品」 というだけの存在になってしまったのなら、

これはもう続かないだろう。

展望の見えないろう城戦のようなものだ。

 

そこで思うのである。

ケントの輪作プログラムを支えるのは、コーンの価格だけなのだろうか。

彼の輪作のキーワードは、土壌保全である。

その 「合理性」 の中に、GM一色となってしまうことのリスクもまた表現されているのだが、

広大なアメリカの農地が、コーンのお値段だけで単一化されていくことに、

誰も疑問を挟まない、挟めないとしたら、我々は撤退するしかない。

 

ケントと僕らは、たんにノンGMコーンの商品流通として出会ったのだろうか。

そうではない。 我々は、

「豊かな大地を残したい」 という、その共通の思いによって、つながったのだ。

ケントは、センチュリーコーンを栽培する最大の理由を語っている。

「センチュリーコーンは、人とつながることができる。」

 GMコーンを植えて、相場を見ながらエタノール工場に運ぶだけでは、

その向こうにいる人の顔は見えない。

センチュリーコーンでは、収穫するトラクターのアームの向こうに、

「シャモのシモコウベサン」 や 「ダイチヲマモルカイ」 が見える。

「そのつながりを大切にしたい」 と、ケントは語ってくれたのだ。

 

GMコーンの拡大は、経営メリットだけでなく、その植物の生態的必然 (花粉の交配)

によってもノンGMを侵略する。 しかも交配が発見されると、

逆にモンサント社から 「特許権の侵害」 として訴えられるという、

ニッポン・ヤクザも腰を抜かすような野蛮な仕打ちが、自由の国・アメリカでまかり通っている。

誰も人の営農スタイルを奪う権利はないはずなのに。

こんなふうに、GMの拡大というのは、

それだけで一人の農民の考え方や主体性を奪うものとなっているのだが、

もうひとつ、人のつながりも破壊するものとして、今我々の前に立っている。

 

食のグローバリズムは、持続可能な農業 (=永続的な食料の確保) と、

その土台となる生物多様性の保全を壊している。

その地域で当たり前に存在していた地域共存型の農業や食文化が破壊されている。

地球の隅々まで。

長い時間をかけて築かれてきた、その土地に適した食料生産システムこそ、

持続可能であり、多様性を守る (というより多様性と一体化している) ものなのだが、

アメリカという国で、土壌保全に心を砕いて築かれてきた輪作体系が失われてゆくことに、

何の手当ても施せないのであれば、

もはや僕らにとって、カーギルの存在価値はない、と言わざるを得ない。

 

僕とケントは、友人であることはできても、食の供給チェーンを一緒に築くことはできない。

大地を守る会は、ひたすら国産運動に邁進しながら、

必要な海外とのトレードについては、新たなつながりを模索してゆくしかない。

 

またまた長くなってしまった。

この文脈の流れで整理しておきたかった、GMO論争のひとつの論点があったのだが、

次の機会にしたい。

GMOは 『世界の飢餓を救う』 という、悪魔のような論について、である。

 

さてさて、翌19日 (木) 。

昼間、北浦シャモの下河辺さんを訪ねたケント一行が、夜の食事に選んでくれたのが、

西麻布の 「山藤」 である。

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大地の食材を使った和の料理も、気に入ってくれたようで、こちらも嬉しい。

 

広大な農地で、輸出用の換金作物を作る農民と我々の間には、

農業感ひとつとっても相当な開きがある。 

それは当たり前のこととして受け止める必要がある。

大切なのは、互いの、置かれている環境の違いを理解し合うことだ。

 

僕はケントとまだまだ話し合いたい。

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僕たちは、ノンGMコーンという細くなってしまった糸をたよりに、

互いに一回ずつ訪問し合い、ようやくつながったばかりだ。

手遅れかもしれないが、胃袋を依存してきた国の一員として、

アメリカ大陸をGMモノカルチャー大陸にするかどうかに、

私なりの責任の意思は示したいと思う。

 

山藤で出くわした大地を守る会の藤田会長や理事さんたちにも紹介して、

記念写真を一枚、頂戴する。

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そして20日 (金) 、最後に習志野物流センターを見に来てくれる。

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農産物の宅配システムを始めて23年。

他に例がなく、すべてが手探りしながら築いてきたシステムだ。

消費者宅への戸別の宅配という細かい仕事が、アメリカ人にどう映ったかは定かではないが、

事業概要の説明に対して彼が漏らした感想はこうだ。

   -この事業を支えているのは、正確なトレーサビリティと情報だ。

    単なるオーガニック・マーケットではない事がよく分かった。

    シモコウベの鶏肉の写真の下に、餌はケントのセンチュリー・コーンだと書いてくれ。

 

ベリ・ナイス!を連発しながら、ケントは帰っていった。

センターの前で記念の一枚を撮るのを忘れた。

 



2008年6月25日

ケント・ロックがやってきた。

 

これまで何度か紹介してきたアメリカのノンGMコーン農家、

ケント・ロック氏が日本にやってきた。

去年秋の視察でお世話になって、来日の折にはぜひ大地を守る会を見に来てほしい、

とお願いしていたのだが、

16日夕方の成田着から20日までという短い日程の中で、

何と3度も大地を守る会関係の場所に足を運んでいただくことになった。

 

遅れてしまったけど、

ここで改めて、私のケント週間を記しておきたい。

 

まずは6月17日 (火) の夜、幕張本社でのスペシャル・ナイト。

社員向けの 『ケント・セミナー』 を開催する。

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普段は違和感なく過ごしていたが、

こうやって見ると、うしろにカゴ車や段ボール箱が無造作に置かれていたりして、

飾らないというか、飾れないというか・・・・・

ま、それはともかく、夜6時半からのセミナーに大地社員50人ほどが聞きにきてくれた。


改めて紹介すると-

Mr.ケント・ロック、44歳。

奥さんは中学校の物理の先生で、中学生と小学生の娘さんが二人。

ご両親は近くの別なお家に住んでいて、普段から行き来している。

イリノイ州エイボンという地 (※) で、約680haの農地を持つ、

" ここいらでは平均的規模の農家 " である。

日本の平均的農家のざっと500倍 (北海道だと約36倍)  ってところか。

日本で 「規模拡大!」 と叫んだところで、

その線でたたかうこと自体が土台無理、いや無意味ではないか、というレベルだ。

    (※) 地図でいうと、シカゴとセントルイスの中間にあるピオリアという町のあたり。

 

そこでケント家は、トウモロコシと大豆を育て、肉牛を飼っている。

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              (右はずっと通訳で同行していただいたカーギル・ジャパンの堀江勉さん

 

ケント家は家族農業である。

ケントは農業が好きだからやっている。 自分の農地と牛に誇りを持っている、と語る。

彼のポリシーは、土壌と環境を大切にして、娘に良い土地を残すことだ。

だから子どもたちにも早くから農業を体験させ、理解させようとしている。

実際に娘のマリーさんもレネちゃんも、"自分の牛" を育て、

コンテストで入賞したりしている。

こういう姿勢こそ競争すべきところだと思うが・・・

 

彼はカーギル社が持つノンGMOトウモロコシのブランド 「センチュリーコーン」 を栽培している。

しかし、だからといって遺伝子組み換えに反対している農家ではない。

GMコーンも植えている。

私の知る限りでは、どうもオーガニック系以外は、

米国内でGM作物への疑問を持っている農家はほとんどいないようだ。

それでも彼がセンチュリーを植えるのは、彼の輪作プログラムにフィットしているからである。

 

ケント農場の現在の輪作体系は、

ノンGMコーン → GMコーン → 大豆 ( → ノンGMコーン) となっている。

センチュリーコーンを植える理由のひとつは、

「2年以上同じものを連作しない」 という考え方による。

しかも土壌保全を考え、不耕起栽培で行なう。

前年の大豆の残渣を残して、表土が風雨で流されるのを防ぐのだ。

不耕起は燃料代の節約にもなる。

 

ノンGMコーンの栽培は、GMに比べてリスクが高く、コストもかかる。

( というより、GMのほうが作業が省力化できることと、雑草を効率よく枯らせるから、

 経営上のメリットが目に見える、ということなのであるが。 )

ノンGMは虫食いで穂が落ちやすいという比較デメリットもある。

しかしそこでケントは、牛を放すのである。

落ちた穂やコブは牛の餌になる。 無駄にはならない、と。

またGMコーン栽培のあとで、除草剤耐性を持った種が畑に残ったら、

翌年の大豆では、それは除草剤が効かない雑草と化してしまう。

そこで牛を放せば、種子や草をクリーンアップするフィルターの役割を果たしてくれる。

牛は肉だけでなく、肥料も生産してくれる。

彼の牛は、輪作体系に組み込まれた貴重な役割を負っているのだ。

経営はあくまでも合理的で、しかも持続性を意識して計算されている。

 

周りの農家はほとんどGMコーンに切り替わって、しかも連作に走っている。

すでにケントの考え方自体が変わりものになってきているらしい。

 

一方で、組み換え技術の進化 (?) は加速度を増していて、

最初は除草剤 (例えばラウンドアップ) 耐性、あるいは殺虫毒素といった

1品種に1因子の導入だったものが、それらの組み合わせが進み、

今では4種類の因子が組み込まれているものが出回ってきているという。

たかが10数年の歴史で、である。

しかし生命とは常に多様性に向かうがために、

自然の対応能力も追っかけながらついてゆくことになる。

以前にも書いたけど、このいたちごっこの行き着く先は、まだ誰も知らない世界だ。

いや、シングルからダブル、そしてトリプル、さらにクワッド(Quad)と、

これほどに早足で進まなければならないほど、

相手 (土壌と生態系のバランス) が壊れてきている、とは言えないだろうか。

 

加えて、コーンは肥料を食う作物だ。

化学肥料の原料も実は枯渇しつつあって、値段も高騰していることを、

彼は慎重に見ている。 

「肥料代は3倍になった。 水質汚染など環境への問題もある。

 使い方に注意が必要だ。」

 

肥料依存度の強い作物を連作しては、エタノール工場に流れてゆく。

その生産効率 (=収益) を支えているのがGMO、遺伝子組み換え作物である。

未来はあるか・・・・・誰も分からない。

 

すみません。 今日はここまで。 明日に続けます。

ケント講座のあと、おなかも空いたし、ということで居酒屋で一杯やる。

職員の質問が延々と続く。 10時を回って、ケントが目をこすり始めた。

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2008年6月23日

あじさいの花言葉は-家族の絆

 

なんとしたことだ・・・・・

先週1週間、ホームページ管理人さんによるメンテナンス作業が入ったのだけど、

最後のブログ記事の更新とデータのバックアップのタイミングが

微妙にずれたようで、15日付の冒頭タイトルの記事が消えてしまった。

ショック! とてもブルーな気分に陥っているのである。

日記も一週間も経ってしまったら、とても書き直すなんてできない。

 

でも、あじさいの写真をもう一度見たいと思って開いたら・・・???

という嬉しいメールが届いたので、写真だけでも復活させておこうかと思う。

 

ここは東京都小金井市の阪本吉五郎さんのお宅。

毎年この季節になると、「あじさい鑑賞会」と銘打って、

生産者と大地職員で慰労会を開いている。

この日 (15日) も、阪本さんが代表を務める 「東京有機クラブ」 のメンバー、

府中の藤村和正さん、小平の川里弘さんも家族で合流して、賑やかに行なわれた。 

日曜日だが、職員もけっこう参加してくれる。

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もともとは夏の暑気払いという名目で、有志で一席持っていたものだが、

5年前くらいから 「あじさい鑑賞会」 と名を変えた。

10年ちょっと前くらいか、吉五郎さんが体をこわして、

息子の啓一さんに経営を譲ってから、庭に紫陽花を植え始めた。

毎年々々挿し木で増やしてきて、

今やその数20種類はあろうかという、感動ものの 「あじさい庭園」 である。

そのお陰で、花を愛でるという、我々にはちょっと不似合いな、風情ある慰労会に発展した。

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加えてこの会にはもうひとつ、若手職員の研修というねらいがある。

東京近郊という近場にいる生産者から、色々と教えてもらえる機会なんだから、

交通費くらい自腹切ってでも来い! -てなもんで。

 

啓一さんから講義を受ける職員たち。

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啓一さんは、同じハウスの中で、数種類の葉物野菜を育てる。

いろんな葉物を同時に出荷できるように組み立てているのだ。

 

大地の居酒屋 『山藤』 用にも作ってもらっている。

まるで家庭菜園かのように細かく作付けされていて、

「こりゃ山藤の責任は重いぞ」 と、みんな感じ取ったことだろう。

 

ますます親父さんに似てきた感のある啓一さん。

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このハウス1棟で1週間の出荷分となるように計算されている。

種まきも少しずつずらしているのが、分かっていただけるかと思う。

 

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住宅が立ち並ぶ小金井という街の中で、

啓一さんはレモンの樹を植えた。

『東京有機クラブ・レモン』 の商標も取ったとのこと。 やる気だ。

どっこい、生きているぜ東京農民、て感じである。

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阪本家で昔からつくっている堆肥は、馬事公苑から運んでくる馬糞である。

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これが1年もすると、土になる。

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東京の資源循環の姿が、ここには残っている。

 

さて-紫陽花を愛でる。

こういう庭にするにも技が必要だと聞かされた。

もう疲れたので、あとは写真で眺めていただきましょう。

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おまけ-紫陽花にはカタツムリ。

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山藤のスタッフも、この日は感謝デーということで、出張ってきてくれた。

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料理長・梅さん直々の料理に、満開の紫陽花。

いや、慰労なんて通り越して、癒し満喫の午後となった次第。

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写真右が、藤田会長。 左が阪本吉五郎さん。

30年近い付き合いの歴史を振り返って、酒も進む?

阪本さんの隣が、府中の藤村さん。 こちらも、優しい風貌と語り口ながら、

当たり前のように東京の農地を守ってきた頑固者である。

 

この日、職員から教わった受け売り。

紫陽花の花言葉は-「家族の絆」 なんだそうだ。

 

体をこわして、一時は 「覚悟した」 という吉五郎さんが、

庭を紫陽花の園にした。 

ずっと咲き続けてほしいと思う。

 

(P.S.)

15日の日記では、岩手・宮城内陸地震についても触れました。

大地の生産者では、幸い大きな被害はなく、

皆さん、「ご心配おかけしましたが、大丈夫です」 とのことでした。

改めて-

被害に遭われた方々にお見舞い申し上げるとともに、

一刻も早く元の暮らしに戻れれるよう、祈りたいと思います。

 



2008年6月14日

稲作体験2008-草取りⅠ編

 

千葉・山武での 「稲作体験2008」 シリーズ、今回は草取りの一回目。

集まってくれたのは100人くらいか。

どうも田植えより少なくなるが、まあ色々と事情も発生するのだということで、

深くは考えない。 集まってくれた方々に感謝する。

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田植えから4週間が経ち、稲は他の草どもとのたたかいの真っ只中に入っている。

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作業用に着替えて、畦に並んで、さあ、スタート! 人海戦術による草とりが始まる。

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昔ながらの田車を押すのは、さんぶ野菜ネットワークの下山久信さん。

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もうほとんど使われることもなくなったが、

這い蹲って草をとる側から見たら、充分にスグレモノである。

長い長い稲作の歴史の中で編み出された道具には、先人の知恵と工夫が凝縮されている。

普段は使わないくせに、何やら自慢げにデモンストレーションする下山氏であった。

 

頑張る男の子。

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こちらは虫取りに興じる子どもたち。 これはこれで貴重な経験だ。

記憶にしっかりと残して欲しい。

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コオイムシも帰ってきてくれた。

環境省のレッドリストでは 「準絶滅危惧種」 に指定されている。

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絶滅に向かわせているのは農薬である。

ひとつの種の絶滅は、生態系のバランスを保たせていたひとつの小さなブロックがなくなることを意味する。

これを文明の進化といってよいのだろうか。

 

オスの背中にメスが卵を産みつけ、オスがそれを必死で守っている。

孵化するまで2~3週間、飛ぶこともできず、ただ卵を守って逃げ回る。

なんといじらしき生命よ。 抱きしめたくなるね。

 

こちらは "生きた化石" と呼ばれるカブトエビ。 昨年から登場している。

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3億年前から姿を変えることなく、この地球に生きている。

大陸の乾燥地帯からやってきた進入種だが、日本では田んぼでしか見つかっていない。

土をかき回してくれるので、雑草の発芽を抑制する効果がある。

 

彼らの存在こそが、農薬を使わない田んぼの力を証明してくれている。

 

さて、紙マルチ区の様子。

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田植え直後の強風で、我らが体験田のマルチも剥がれたり、ずれたりした。

めくれて稲を覆っている場所などもあり、隙間を縫うように入って修復する。

 

米ヌカ区は、はたして・・・・・

何もしてない区とほとんど変わりない雑草の繁茂状態であった。

そこで再度、撒くことにした。

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結果は、来月に判明する。

 

作業終了後は、今や定番となってきた感のある

陶 (すえ) 武利さんによる 「田んぼの生き物講座」 。

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今回はマイクロスコープを持ち込んで、生物の拡大画像をお見せする。

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写真に写っているのは、これまた希少な植物となった、イチョウウキゴケ。

日本で唯一、水面に浮遊するコケ類で、環境の変化に弱い。

無農薬田んぼを象徴する生き物のひとつである。

 

こんなふうに、体験田で発見された色んな虫を拡大して、見る。

稲の葉を吸うドロオイムシ (正式名は 「イネクビホソハムシ」 ) の泥を払うと、

ちっちゃなカブトムシの幼虫のような虫の姿が登場する。 そう、カブトムシの仲間なのだ。

 

こいつの天敵は、クモである。

農薬をふると、クモもやられてしまう可能性がある。

したがって、ここは 「我慢」 とのたたかいとなる。

 

それにしても、子どもたちは何だ。 画像より道具の方が面白いようだった。

 

解散後、スタッフで、ある練習にトライする。

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何やってるかというと、田んぼの9ヵ所から土を取って、

それを洗って泥を落とし、

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白いバットに移して、手分けして虫の数を数える。

ポイントは、イトミミズである。

枯葉などを土と一緒に食べて、土を出す。

土をつくる生き物であり、かつ他の動物の餌ともなる。

田んぼの食物連鎖を支える " 神 " のような存在だ。

 

これまではたくさんの生き物の種を探して、リスト化してきた。

これらの生命のつながりに想像力を働かせるのは楽しい。

今年はさらに、これに科学的調査の手法を取り入れて、この田んぼの価値と意味を

より深く検証してみようというところまで進みだしている。

 

今回はまだ練習という気持ちでやってみたが、

これをデータとして蓄積していった先に、さて何が見えてくるだろうか。

 



2008年6月 9日

福島-田植え後の様子

 

<昨日に続いて、先週の報告を>

翌5日から6日は、福島に出張。

田植えが終わってほぼ半月。 日照不足のまま梅雨に入った田んぼの様子を見て回る。

下の写真は、大地の備蓄米 『大地恵穂 (だいちけいすい) 』 でお馴染みの、

須賀川市・稲田稲作研究会メンバー、常松義彰さんの田んぼ。

紙マルチを使っての有機栽培ほ場の様子である。

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真ん中に、緑一色になった場所がある。 

田植え直後の強風で紙が剥がれ、ヒエなどの雑草が繁茂してきている。

一面に紙が敷いてあるので、田に入って取るワケにはいかない。

手前や右手奥には苗がなくなっている場所もある。 剥がれた紙で苗がやられたようだ。

何もしないと (草が) こうなる、というか、逆に紙マルチの威力を示している絵になっている。

生産者は、思い切って入る (取る) しかないか、と思案の中にいた。

 

稲田稲作研究会メンバーは、紙マルチ以外にも、米ヌカの利用に独自の工夫を凝らしたり、

栽培の研究に余念がない。

それどころか、自分たちでつくった販売会社、(株) ジェイラップ内にキッチン設備をこしらえ、

米の多様な活用策を模索して、いろんな研究や試作を繰り返している。

内容はまだ企業秘密段階なのだが、なかなか侮れない。

いや、そこら辺の食品企業など青ざめるほどの、恐るべし探求精神なのだ。

いずれ結果をお披露目できる日を期待したいと思う。

 

夕方には、会津・喜多方から大和川酒造店の佐藤工場長もやってきて、

今年産の原料米での 「種蒔人」 の仕様や、種蒔人基金の活用策などで話し込む。

稲田 (原料米生産者) -大和川 (加工者) -大地 (販売者) 、

このつながりは93年の冷害の年からだ。

いくつかの苦節を越えてきた15年は、人に言えないドラマもあって、

私の自負を構成している。

 

 

続いて、こちらは須賀川からさらに北に向かって、福島市を中心とする生産者団体

 「やまろく米出荷協議会」、岩井清さんの田んぼ。

昨年の全国米食味鑑定大会 「有機栽培コシヒカリの部」 で金賞を受賞した方だ。

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岩井さんは、米ぬか・大豆カスの施用と、手押しの除草機で草とたたかう。

しかも仲間の菅沢さんと一緒に、独自に除草機の改良に取り組んでいる。

機械を見ると自分流に改良したくなるのは、農民の本能なのだろうか。 

企業が開発したメカを、いつの間にか等身大の技術に作り変えてゆく彼らは、

もしかしたら、未来技術の開拓者だと言えないだろうか。

 

米ぬかも効いていて、水面が濁っている。 

これはイトミミズや小動物が活発に動いていることにもよる。

「できれば (草とりを) 1回ですませたいけども......まあ、2,3回は入ることになるかね」

と、こちらも思案中。 

畦に沿って張られた波板は、イネミズゾウムシの侵入を防ぐために設置したもの。

3人がかりで張ったのだそうだ。

でも田んぼの中にも、もうすでにたくさんいて、イネの葉を吸っているのだが、

それでも効果はあるという。

これがイネミズゾウムシ。 判別できるでしょうか。

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カリフォルニアから小麦かなんかと一緒にやってきた外来昆虫。

食料のグローバリズムは、栽培そのものをすら、しんどくさせている。

水系や環境の維持も含めて、ということにもなるけど。

一般の農家は殺虫剤を使用するが、

有機の米農家は、イネミズとは我慢比べだということを覚えている。

葉脈が吸われて白くなっても、青い部分さえ残っていれば、

「オレの稲は持ちこたえる」 という。

イネミズゾウムシの害は、ここ日本では、梅雨が明ける頃までの辛抱なのだ。

 

岩井さんの有機ほ場には、屋根つきの立派な看板が立っている。

それは彼の自慢でもあり、意地の表現でもあるようだ。

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左から二人目が岩井清さん。 その看板の前で一枚いただく。

この有機の田んぼで 「7俵は獲りたいなぁ、何としても」 と本音が漏れる。

1俵は玄米換算で60kg (白米にすると約1割、外皮を削ります) 。

一般的な栽培だと、8俵~10俵の収穫になるが、岩井さんの有機田んぼは例年5俵くらいだ。

米の生産者としては、悔しくてしょうがないだろう。

何としても実現したいのだ、7俵を。

獲れたら、もしかしたら金賞より嬉しいかもしれない。

 

いやゴメン。 岩井さんにとっては、ただ "獲れる" だけじゃダメなんだよね。

 

田植えから半月あまり。

この時期、米の生産者たちは皆、あの手この手で草や虫との格闘中である。

今年は加えて、天気が悪い。

やまろくさんのところも、田植え後の低温と強風に遭っていて、

苗が枯れて植え直したりしたようだ。

この日も雨が降ったりやんだりで、生育はいずれも遅れ気味に見える。

西暦2008年の米作りは、不安含みのスタートである。

 

夏らしい夏が、どうか来てほしい。

 



2008年6月 8日

こんなものか・・・では終わらせない。

 

先週は出張に総会と続いて、日記を更新できませんでした。

この間の報告を、つらつらと記しておこうかと思います。

 

まずは6月4日(水)、TBSテレビ 『NEWS 23』 。

2時間の取材 (インタビュー) を受けたわりには、登場は一分弱くらいだったか。

職場の仲間がTV画面から写真を撮ってくれてたので、恥ずかしながら掲載。

ま、こんな感じで。

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話は、穀物の価格高騰の裏で儲けているのは誰か、といった展開で、

投機マネーや穀物メジャーの動きを追いつつ、

しかし莫大な利益を上げている一方で、穀物メジャー・カーギル社にも意外な顔があった。

何と、ノンGMコーンの確保にも動いているのだ。

で、そのカーギル米国本社に招かれた遺伝子組み換えに反対する市民団体があった。

で、私のコメント。

「遺伝子組み換え品種に押される中で、ノンGMを栽培する農民に対して、

 日本には (ノンGMに対する) たしかな需要があることを明確に示す必要があった。」

と、ここまで。 見事に切り取られた。

 

それにしても、流れからして唐突な印象は拭えないし、

この場面の意味するところがちゃんと伝わったかどうかは、かなり心もとない。

穀物メジャーの意外な側面が瞬間的にも映し出されたという点では、

レアな報道にはなったかもしれないが。

 

深夜に、取材された記者さんからメールが入る。

 - 力不足ですが、一瞬でもGMの問題に触れておきたかったんです・・・・・

GM問題はいずれきっちりやりたい、とのことである。

 

一記者に対してあまり過度な期待をかけてはいけないのだろうが、

やる気なら、付き合おうじゃないの。 

懲りないワタシ? 

いや、遺伝子組み換えの問題を少しでも取り上げてくれるなら、

どんな小さな機会だって、たとえフラレるのが分かってたって、受けるつもりだ。

待ちたいと思う。

いや・・・・・このまんまじゃ終わらせない。

 

(すみません。今日はここまでで、後は明日に。)

 



2008年6月 2日

「カンブリア」 の言い訳

 

さて、「カンブリア」 をこれで終わりにしたいと思う。

テレビ放映から約1ヵ月。 共通するひとつのご意見が断続的に入ってきていた。

会員から2件。 外部の方から2件。

大地の職員からも、何名かから 「あれはどうなんですか」 と聞かれた。

数は少ないが、みな真面目な質問である。

他にも、同じ思いを抱いた方がいるのだろうと推測する。

 

「道路に除草剤を撒いた生産者がいたが、その行為はいいのか?」

というものだ。


テレビでは、何だか盛り上げ役に使われた感がある。

しかも 「畑でなくてよかった」 的なナレーションが流れたことで、

「?」 と思った方もいたのだと思う。

 

事実はこういうものだった。

 

くだんの生産者・黒沢賢一さんが除草剤を散布したのは、公道だった。

もともとその道の脇にあったご自身の畑を、地域との関係で駐車場にしたのだが、

公道のヘリの部分が舗装されずに残り、雑草が繁茂してしまった。

黒沢さんは自治体と掛け合って、全面舗装することにはなったが、

その前に、「このまんまじゃ、草の種が他の畑に飛んでってしまう」 と心配されて、

仕方なく除草剤を買ってきて散布することになった。

 

大地では、ほ場以外でも除草剤の散布は控えるというのが基本である。

生産者も承知していることだ。

その上で、やむを得ない事情がある場合は、その事情を確認した上で認める場合がある。

今回の場合も、事前に担当は把握していたものだが、

カメラの前で伝票類を見ているわけなので、あえて説明してもらった。

隠すことではないと思ったのだ。

 

これでも疑問を感じる方もおられるだろう。

実際に、有機農業で米を作っているらしい生産者から、

除草剤が水系を汚染することには配慮しないのか、というメールが届いた。

 

その通りである。

しかしあの時、僕は黒沢さんの作業日誌で、

連日ご自身の畑の草取りにかかっていたことを確認している。

それでも、自分の地所の駐車場の前の状態も気がかりでしょうがなかったのだ。

他所の畑への影響を気にして、彼は地域の面倒を見ようとしたのだと、僕は理解した。

もしかしたら、無農薬野菜の生産者としての周囲への遠慮でもあったかもしれない。

「あいつらは雑草の種を飛ばす」

という理不尽な非難が、無農薬の野菜農家にはつきまとったりするから。

しかし黒沢さんの畑からは絶対そんなことはない。 彼のプライドは日誌が証明している。

一方で、彼らは農薬の飛散は我慢させられている・・・・・

僕はカメラの前で 「事情は了解しました」 と応えたのである。

 

僕は黒沢さんをこれからも支援する。

不充分な部分を残しつつも、頑張っている農家を孤立させず、励まし、

地域に仲間が増えていくように。

この行為を指弾しては、誰も地域の世話などしなくなるだろう。

これが生産現場の 「現実」 である。

 

僕が自慢したかったのは、

そんなことも率直に開示し合える当たり前の関係、ということだった。

テレビ局の人に伝えられなかったのは、僕の責任である。

 

あれから1ヵ月弱。 ここにきて、会員からは別な反応が起きている。

「あのテレビ放映で入会者が増えて、私たちのところに届く野菜が減っている。」

そんな連絡便が来ている。

 

すみません。 たしかに入会希望者は増えています。

でも・・・・・それ以上に、野菜そのものの入荷が減っているのです。

4月から、時折は暑い日もあったけど、実はずっと雨 (日照不足) や低温が続いていて、

東北・北海道は霜にもやられて、生育が遅れています。

5月には4個の台風接近という、異例の気象です。

 

そして、恐れていたこと。

本日、関東も梅雨に入ったとの発表・・・・・最悪ですね。

 

お願いしたいこと。

入会者を受け入れてください。 それはかつての私であり、皆さんです。

会員が増えれば、有機に向かう生産者を増やせます。

 

黒沢さんは放送に忸怩たるものを感じつつ、こう言ってくれてます。

「これで消費者が増えてくれるんなら、よかったですよ」

 

どうか、お願いします。

 



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