2008年6月26日

ケント週間 (続き)

 

(昨日に続けて)

翌18日(水)は、

東京・丸の内にあるカーギル・ジャパン社でのセミナーに参加する。

参加者はほとんどスーツ姿の、商社や大手の加工メーカーなど

カーギルさんのお取引先の方々である。

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内容は夕べのケント講座と概ね重複するので割愛するとして、

この日は、カーギル社からコーンと大豆の情勢についての資料が配布された。


このまま推移すれば、ノンGM (非遺伝子組み換え) コーンは2010年に消滅する、

というシュミレーションが描かれている。 大豆も同様である。

中国は輸出国ではなくなり、アルゼンチンも輸出規制に入った。

世界景気に押され、飼料穀物の需要は増加の一途であり、バイオエタノールの登場や

投機資金の流入もあいまって、コーン価格は歴史的な高値となっている。

それをGM品種の反収差 (=収益性) があと押ししている。

韓国はGM解禁に転換し、日本の需要からは明確な意思が示されないままである。

今年は北米の多雨によって植え付けと生育が遅れていて、不安含みであるが、

仮に豊作となっても価格が下がる要因は乏しい。

 

ノンGMコーンの栽培面積は減り続けており、今やカウントダウンの状態に入っている。

GMとの分別コストや輸送にかかる燃料コストの上昇分も含めたプレミアムが

提示されなければ、ケントですらノンGMの維持は困難となるだろう・・・

これはすでに交渉ではなく、最後通牒のような形で

我々に覚悟 (明確なプレミアム保証の意思表示) を迫っているのだが、

しかし会場から出された質問や雰囲気から窺えたのは、

「これから価格はどこまで行くのか」 という不安のみだった。

「なんぼでも払いましょう」 とは誰も言えないのだ。

 

ここには深い陥穽 (かんせい) があるように思う。

ノンGMコーンを確保するためにはそれだけのコストを負担しなければならない。

これはリアリズムである。

とはいえ、我々だって、どこまでも保証したい意思はあっても、

体力を超えた現ナマは用意できない。 これもまた現実である。

 

つまるところ・・・・・互いがマネーゲームに翻弄される間に、ノンGMコーンが、

ひとつの、高騰する 「高付加価値商品」 というだけの存在になってしまったのなら、

これはもう続かないだろう。

展望の見えないろう城戦のようなものだ。

 

そこで思うのである。

ケントの輪作プログラムを支えるのは、コーンの価格だけなのだろうか。

彼の輪作のキーワードは、土壌保全である。

その 「合理性」 の中に、GM一色となってしまうことのリスクもまた表現されているのだが、

広大なアメリカの農地が、コーンのお値段だけで単一化されていくことに、

誰も疑問を挟まない、挟めないとしたら、我々は撤退するしかない。

 

ケントと僕らは、たんにノンGMコーンの商品流通として出会ったのだろうか。

そうではない。 我々は、

「豊かな大地を残したい」 という、その共通の思いによって、つながったのだ。

ケントは、センチュリーコーンを栽培する最大の理由を語っている。

「センチュリーコーンは、人とつながることができる。」

 GMコーンを植えて、相場を見ながらエタノール工場に運ぶだけでは、

その向こうにいる人の顔は見えない。

センチュリーコーンでは、収穫するトラクターのアームの向こうに、

「シャモのシモコウベサン」 や 「ダイチヲマモルカイ」 が見える。

「そのつながりを大切にしたい」 と、ケントは語ってくれたのだ。

 

GMコーンの拡大は、経営メリットだけでなく、その植物の生態的必然 (花粉の交配)

によってもノンGMを侵略する。 しかも交配が発見されると、

逆にモンサント社から 「特許権の侵害」 として訴えられるという、

ニッポン・ヤクザも腰を抜かすような野蛮な仕打ちが、自由の国・アメリカでまかり通っている。

誰も人の営農スタイルを奪う権利はないはずなのに。

こんなふうに、GMの拡大というのは、

それだけで一人の農民の考え方や主体性を奪うものとなっているのだが、

もうひとつ、人のつながりも破壊するものとして、今我々の前に立っている。

 

食のグローバリズムは、持続可能な農業 (=永続的な食料の確保) と、

その土台となる生物多様性の保全を壊している。

その地域で当たり前に存在していた地域共存型の農業や食文化が破壊されている。

地球の隅々まで。

長い時間をかけて築かれてきた、その土地に適した食料生産システムこそ、

持続可能であり、多様性を守る (というより多様性と一体化している) ものなのだが、

アメリカという国で、土壌保全に心を砕いて築かれてきた輪作体系が失われてゆくことに、

何の手当ても施せないのであれば、

もはや僕らにとって、カーギルの存在価値はない、と言わざるを得ない。

 

僕とケントは、友人であることはできても、食の供給チェーンを一緒に築くことはできない。

大地を守る会は、ひたすら国産運動に邁進しながら、

必要な海外とのトレードについては、新たなつながりを模索してゆくしかない。

 

またまた長くなってしまった。

この文脈の流れで整理しておきたかった、GMO論争のひとつの論点があったのだが、

次の機会にしたい。

GMOは 『世界の飢餓を救う』 という、悪魔のような論について、である。

 

さてさて、翌19日 (木) 。

昼間、北浦シャモの下河辺さんを訪ねたケント一行が、夜の食事に選んでくれたのが、

西麻布の 「山藤」 である。

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大地の食材を使った和の料理も、気に入ってくれたようで、こちらも嬉しい。

 

広大な農地で、輸出用の換金作物を作る農民と我々の間には、

農業感ひとつとっても相当な開きがある。 

それは当たり前のこととして受け止める必要がある。

大切なのは、互いの、置かれている環境の違いを理解し合うことだ。

 

僕はケントとまだまだ話し合いたい。

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僕たちは、ノンGMコーンという細くなってしまった糸をたよりに、

互いに一回ずつ訪問し合い、ようやくつながったばかりだ。

手遅れかもしれないが、胃袋を依存してきた国の一員として、

アメリカ大陸をGMモノカルチャー大陸にするかどうかに、

私なりの責任の意思は示したいと思う。

 

山藤で出くわした大地を守る会の藤田会長や理事さんたちにも紹介して、

記念写真を一枚、頂戴する。

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そして20日 (金) 、最後に習志野物流センターを見に来てくれる。

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農産物の宅配システムを始めて23年。

他に例がなく、すべてが手探りしながら築いてきたシステムだ。

消費者宅への戸別の宅配という細かい仕事が、アメリカ人にどう映ったかは定かではないが、

事業概要の説明に対して彼が漏らした感想はこうだ。

   -この事業を支えているのは、正確なトレーサビリティと情報だ。

    単なるオーガニック・マーケットではない事がよく分かった。

    シモコウベの鶏肉の写真の下に、餌はケントのセンチュリー・コーンだと書いてくれ。

 

ベリ・ナイス!を連発しながら、ケントは帰っていった。

センターの前で記念の一枚を撮るのを忘れた。

 


Comment:

こるらぁ!なぜ、キタウラまで来て、オレのところに寄らん!

from "ハマダ" at 2008年7月 2日 18:13

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