2008年8月アーカイブ

2008年8月31日

飯豊山登攀、断念

 

さすがにここまでくれば、私の日頃の行ない、という問題ではないよね。

日本列島を見事に串刺しにしたように横たわった停滞前線は、

全国的に記録的な集中豪雨と洪水被害をもたらして、

28日(木)夜半には福島県会津地方にも激しい雷と雨を運んできた。

我々の飯豊山登山計画は、いとも簡単に潰されてしまって、

29日(金)は終日、各地の被害状況を聞きながら空模様と天気図を眺めるという、

待機の一日となってしまった。

 

わずかの時間、雲の合い間に現わしてくれた飯豊連峰の姿。

ああ。あの雲の向こうの頂きに、僕らは立つはずだったのに。

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麓 (ふもと) の川の濁流の様子から見ても、

あそこに至る溝のように掘られた登山道もまたきっと

滝の川になってしまっていることだろうか。 

昼間は一時晴れたものの、山並には次々に積乱雲が発生して、

夕方から再び雷が鳴り始める。

「大気の不安定な状態はまだ続き、猛烈な雨が局地的に降る恐れあり」

との気象予報が続く。 土砂災害にも注意が必要だと。

一日待ったが、仕方がない。 今回の登攀は断念する。 

 

しかし決して、それで素直に帰るほどヤワではない。

北北西の飯豊山系から、東の裏磐梯の方角に計画を変更して、

我々 「種蒔人登攀隊」 は雄国 (おぐに) 沼湿原へと向かったのであった。

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 これが雄国沼。

尾瀬の風景にも似た湿原地帯が標高1,000mの地帯に存在する。

 


8月30日(土)。 一行は二泊三日分の装備を背負ったまま雄国へと入る。 

今回の同行は6名。

皆それぞれに大和川酒造の酒を愛する、酒豪かつ健脚の面々。

 (+足腰に不安抱える大地職員1名)

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彼らには朝の散歩にも等しいような山道を歩いて、雄国沼に到着。

天地が水蒸気に満たされた、幽玄な風景にしばし見とれる。

これはこれで満足したりする。

 

最近オリンピックが開催されたお隣の国では大河が途絶えたりしているというのに、

この国はしょっちゅう水浸しになる列島である。

お陰で、水に対する感謝の念が薄い。

逆に暴れる水には、諦めが先にたったりする。 

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お天気のお陰でか、小屋も独り占めときた。

しょうがないので、夕方の早いうちから食事を始める。

何たって食料は余っているし、酒もまあ、不謹慎ながら充分ある。

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夜になっても、各自のリュックから何がしか出てくるもんだから、

終わらない。 というより酒がある限り・・・・・

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小屋が貸切状態なのに気をよくして、ついに唄が始まる。

出るわ、出るわ。

山の歌、ロシア民謡、そして60年代70年代のフォークソング。

 

   私の国には、山がある。 おいで一緒に、私たちと。

   私の国には、川がある。 おいで一緒に、私たちと。

   ...............

   このたたかいは、きびしいだろう。 けれどあなたは行くだろう。

   この生きかたは、きびしいだろう。 けれどあなたは行くだろう。

   ...............

   苦しみばかり続くとも、おいで一緒に、私たちと。

   私とおなじ、あなたたち。 おいで一緒に、私たちと。

            ( 作詞:パブロ・ネルーダ、訳詩:笠木透 「おいで一緒に」 )

 

いい歳して、よくもまあ、朗らかに歌えるものだと我ながら感心する。

昔話なんかも出ちゃって、皆けっこうロマンチストだったりして。

思いもかけなかった、酔っ払い中年たちのキャンドルナイト。

 

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翌朝は、湿原の散策。

 

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謙虚な気持ちになれたでしょうか。

 

トリカブト発見。 

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飯豊山登攀は断念するも、こういう非日常の時間と空間を体験することは、

忘れていた原点を思い出させてくれたりする。

 

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これも 「種蒔人」 がくれた時間なんだと、感謝しよう。

 



2008年8月27日

西オーストラリア報告会から

前回の話をすぐにも続けようと思っていたのに、

気がつけばもう四日も経ってしまっている。 なんてことだろう。

月曜日は、千葉・山武で開かれた有機農業推進法のモデルタウン事業についての

生産者向け説明会に出席。

火曜日は有明ビッグサイトでの「アグリフードEXPO」に出向き、

何名かの生産者・メーカーさんと接触してから、六本木で理事会。

そして今日、水曜日は会議に来客対応にメール処理。

その合い間に雑務と宿題 (本来の仕事)、という順番で時が過ぎていく。

そんな中で一番楽しい時間は、夜中にごそごそやる

週末の飯豊山 (いいでさん) 登山の準備だったりして。 

あ~、だからブログの更新を忘れてたんだ。 

 

さて、休み中にDVDで見せてもらった、職員のオーストラリア出張社内報告会の話。

報告者は、加工食品の開発に携わる商品グループの谷口麻紀嬢。

報告会は1ヶ月も前のことで、

オーストラリア訪問自体は6月9日から13日にかけて行なわれている。

 


訪問先は西オーストラリア州。

目的は、遺伝子組み換えしていないナタネの存続を州政府に要請し、

生産現場の視察とともに生産者と交流してくる、というもの。

 

オーストラリアでは現在、遺伝子組み換え (GM) のナタネ栽培は行なわれておらず、

栽培の解禁を留保するモラトリアム期間にある。

そのモラトリアムの期限切れが今年の12月で、

西オーストラリア州は現在、モラトリアムを継続するかどうかをめぐって、

GM推進派と反対派の攻防が続いているという状況である。

東部ではすでにモラトリアムの解除 (=栽培の解禁) が決定された州がふたつ現れている。

そこで、ナタネの主要な輸入国である日本として、消費者の多くが

GMでないナタネ (を原料とした菜種油) の存続を強く求めていることを

州政府や農民に伝えよう、ということでの訪問となった。

今回の訪問団は生活クラブ生協さんと大地を守る会。

他の州を回った団体もある。

つまり遺伝子組み換え食品に反対するネットワークで、

役割分担して訪問している、という格好である。

 

さて、西オーストラリア州では首相も農業大臣も、GMには反対の立場なんだそうだ。

日本からのGMモラトリアム継続を求める署名も快く受け取ってくれ、

首相は日本の訪問団にこのように語ったという。

「安全性が証明されていないGM作物を日本などの消費国に輸出することはできない。

 推進派は適切な研究を行なっていない。 反対派には検体を渡さず、

 情報も不正や偏りがある。」

「消費者は、手にとった商品にGM作物が使われているかどうかを知る権利がある。」

頼もしい限りである。

州で行なわれたアンケート調査では、8割の消費者がGM食品を食べたくないと答えたそうだ。

 

首相は訪問団に州議会の傍聴まで許可して、案内してくれた。

反対派に対するある種の示威行動として活用したフシもあるようだが、

反対派からは 「これは自分たちの問題だ。 なんで外国の人間を傍聴させるのか!」

という声があがり、日本人に対しては、

通訳の人が 「とても訳せない」 という野次も飛んだという。

栽培は自国の問題かもしれないが、何たって生産量の90%を輸出しているわけだから、

輸入国にも物言う権利はあるよね。 どの国にも下品な政治家はいるようである。

 

そんな西オーストラリア州だが、首相はすでに次の選挙には出ないことを表明していて、

その先はどうなるか分からないらしい。

 

一行は次に、ウィリアムズという町で、GMに関する討論集会に参加する。

賛成派の人たちの主張は、作業効率が上がる (楽になる)、農薬が減らせる、

生産量が上がる、GM品種はバイオ燃料に代替できる、といったように

いずこも同じ理屈である。 要するに " 儲かる " というわけだ。

また推進派のパネラーの発言の中には、こんなのもあったとか。

「日本の企業は (GMだろうが) 気にしていない。 表示義務がないから。

 我々が輸出先を失うことはない。」

さすがにこういうパネラーに対しては、「あなたの態度が気に入らない」 という

会場からの指摘もあったようだが。

 

反対派はこんな解説を試みている。

GM作物の栽培にあたっては、モンサントの計画に基づいて生産し、かつ

販売を行なわなければならなくなる。

非GM農家は、栽培前に種子が非GMであることの証明とトレーサビリティの保証を

求められるようになる。

非GM農家は、0.9%の種子汚染 (交雑や混入) を受け入れるか、

汚染回避のための厳しい管理が求められる。

つまりGMを受け入れると、なぜか非GMの方だけが保証や分別管理責任を

求められるようになり、結局、農家は強制的にGMへの移行を余儀なくされてゆく。

種子のターミネーター (「自殺」 と訳したい) 技術は、

農家が種子を更新できなくされていて、

生命特許による種子の支配は、土地の支配、そして食糧の支配へとつながる。

GMと非GM栽培の緩衝地帯は5メートルとなっているが (この狭さは信じ難いが)、

ナタネの種子は小さく、風でどこまでも飛んでゆく。

共存は不可能だ。

 

要するに、このような農家の主体性や品種の多様性が奪われてゆく方向に身を委ねてよいのか、

ということだが、集まっていた農民たちはどう考えただろうか。

 

一行は、夫婦で意見が分かれているという農家と出会っている。

夫は推進派、妻は反対派。

夫の論理は上記の推進派の論理そのままで、

「農薬が減らせるんだから、安全性も高くなる」 と日本人に説明している。

妻の反対理由は、「理屈は分からないけど、とにかく不安感が拭えない」 というもの。

感性派は、こういうテーマでは科学という名の論理に弱くなってしまうけど、

自分の内にある " 不安 " の根底を掘り下げていってほしいと、切に願う。

単純であっても、整理した理由がたとえば、

 「面倒でも、種は農民の手 (あるいは信頼できる輪の範囲) で守っておきたい」

という価値観のようなものなら、それは一人の農民の信念として、

最低限、フェアな形で共存を求める権利がある。 それを奪う権利は誰にもない。

GM作物は、フェアな関係を許さない、という危惧を僕は強く持っている。

 

少なくとも、このご夫婦が離婚の危機を迎えることのないように、

まだ当面はモラトリアムを設定しておく方がいい。

お二人は 「大丈夫。ちゃんと話し合っているから」 と言っているようなので、

ここは、科学と倫理のひとつの見識である 「予防原則」 (リスクの可能性がある場合は避ける)

に立って考えるのが、どう考えても賢明な選択ではないだろうか。

 

またここでも思うのは、GM作物は農薬の使用量が減るので安全である、

という論の狡猾 (こうかつ) さである。

彼らはけっして、安全性のためにGM作物を選んでいるのではない。

作業負荷が軽減でき、なおかつ都合よく雑草や害虫対策が打てて、

結果として歩留まりがよくなる (生産性が上がる) という効率を重視しているワケで、

消費者に向かって納得させるために、安全性という言葉を使っている。

だって彼らは普段、農薬の使用が作物の安全性を損なわせる、とはけっして言わない。

なんでこういう時だけ使うんよ、と言いたくなる。

語るに落ちている、とはこのことだ。

 

農薬が危険なものだと思っているなら、

除草剤とセットになってしまっている種は避けようではないか。

モンサントから除草剤を買わなければならない、除草剤を使わなければならない、

そんな種なのだから。

加えてすでにGM技術は、除草剤耐性+殺虫剤A耐性+殺虫剤B耐性・・・・・・と

果てしのない組み合わせに向かって進みつつある。

 

モラトリアムは必要である。

 

遅ればせながら、オーストラリア訪問団の方々、お疲れ様でした。

 



2008年8月23日

今年の夏休みもバタバタと...

 

15日から6日間、夏休みを頂戴してました。

かっ飛びで里帰りして、

東京のヒートアイランドとは決定的に違う日差しの暑さと、

せわしないクマゼミの声に迎えられて、

墓参りにお寺へのお礼と、お盆の後始末だけは何とか手伝ってきました。

そんでもって職場に戻れば、例によって溜まった大量のメールに、宿題の数々。

辟易しながら、でもしょうがない。 やっつけてます。

 

この日記も10日以上空いてしまって、

気がつけば、夜には涼しげな風も吹きはじめ、

季節の変わり目は、いつも焦りを感じてしまう自分がいます。

いま僕は、何に人生の時間を費やしているのだろうか・・・なんて。

 

休み中に新聞記事で知らされた訃報が、少しそんな気分に拍車をかけたかもしれない。

自然農法の先駆者、福岡正信さん (愛媛県伊予市) が、

ついに逝ってしまったとの記事を、田舎で発見して。

 


8月16日午前10時15分、老衰とのこと。 95歳の大往生。

会社にも連絡が入っていて、弔電の手配などしたとのこと。

それほどの深いお付き合いがあったわけではないのだけれど、

僕らには、意識の底で常に存在する名前でした。

 

四国・愛媛の伊予に生まれ、若い頃は大規模農業に憧れ、

高知の農業試験場勤務時代には病害虫防除の研究に時を費やし、

戦後、伊予に戻って

「耕さない、除草しない、肥料も農薬もやらない」 自然農法を確立させた。

団子にした土に幾種類もの種を混ぜた 「粘土団子」 をあみ出し、

アジア・アフリカ各地での砂漠緑化に貢献した。

 

哲学や思想家の人として語る人もいるけれど、

僕のなかで記憶にある評は、「篤農技術の最高水準での完成形」 というものだ。

農業を愛し極めれば辿りつけるのか、僕には全然分からないけど・・・・・

福岡さんの思想や実践は、僕の日常からは整理しきれず、

これにのめり込んだら自分がおかしくなってしまうかもしれない、と思うほど

怖く、また魅惑的なものであるがゆえに、棚上げにせざるを得ないものだった。

 

   一年目は人間が種を蒔き、

   二年目は鳥が種を蒔き、

   三年目には、風や自然が種を蒔きなおしてくれる。

   そして、自然はおのずから完成されていく。

     ( 『 わら一本の革命 -総括編- 粘土団子の旅  』 より)

 

   農業は自然に即する営みである。

   そのためには、一本の稲を見つめ、稲の語る言葉を聴かねばならない。

   稲の言うことがわかれば、稲の気持ちに合わせて育てていけばよい。

     ( 『無Ⅲ 自然農法 (実践編) 』 より)

 

美しい到達の世界である。

しかし農民でもない自分が、こんな境地を生産者に強要してはならない、

と常に自戒もしていて、

僕のやっている仕事は、煩悩とたたかいながら日々を過ごす人たちと一緒に生きながら、

どこまで至れるか、が勝負なんだろう・・・と高慢な言い訳を用意しつつ、

いつか、素直な気持ちで、福岡正信師の園地を訪ねてみたいものだと思っていた。

 

そんな感慨を抱きながら、休み中に一本の原稿を書く。

千葉の 「さんぶ野菜ネットワーク」 から依頼された、設立20周年記念誌への寄稿。

振り返ってみれば、20年という時間は、やっぱり大変なものだ。

色んなことが思い出される。 稲作体験も、彼らとともに19年。

延べにして2千人を超える消費者を山武の田んぼにお連れした勘定になる。

僕自身にとっても、それだけのめり込めるフィールドが与えられたことは、

きっと幸せなことなのだろう。

山武の 「だっぺよ~」 軍団に感謝しつつ、書かせていただく。

 

それから、借りたまんまだったDVDを、ようやく観る。

6月に、遺伝子組み換えナタネの問題で西オーストラリアを訪問した職員の

社内報告会の模様を録画したもの。

7月29日の夜に行なわれたものだが、

その日は急きょ千葉の生産者のお母様のお通夜に出かけて、聞けなかった。

この話を、次にしたい。 

 



2008年8月12日

野菜が溢れてきている

 

春からの低温・日照不足 (=野菜不足) から一転して、暑い夏になって、 

野菜が溢れてきている。

7月に入ってようやく不足感を取り戻してきたかと思っていたら、

今や出荷調整に追われているような状態。

我が家に届いた野菜セット 「ベジタ」 も

 (...って、実際は自分で運んでいるんだけど、手数料分が返ってくることはなく...)

それなりのボリューム感である。

カリフラワー、ズッキーニ、インゲン、ミディトマト、きゅうり、ピーマン、

グリーンアスパラ、サラダほうれんそう.........

加えて、お届けおまかせの果物アイテム 「みのりちゃん」 でソルダム。

 

「野菜じゃんじゃん食って」 とばかりに並ぶ。 

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せっせと食うしかないと、このところベジタリアンになったような食卓。

 

それでも産地からは、天候と悪戦苦闘している報告が聞こえてくる。

 


「夕立がひどくて、芋 (サツマイモ、里芋) の掘り取りが進まないよ」 (鹿児島)

「急な土砂降りがあって、スイカに傷みが発生した」 (山形)

 

それに日照りで土が乾いている状態で、突然の豪雨があると、土が流されてしまう。 

シトシトと染みてくれる雨でないと、かえって困るのだ。

あちこちで苦戦している様子が窺える。

あるいは-

「ピーマンが日焼けしている。 雨が降らず、モロヘイヤが枯れちゃった」 (茨城)

・・・・・などなど。

 

ここ数年、ずっと生産者とは同じ会話をしている。

「ホントに、ちょうどいい、という天気がなくなっちゃったねぇ。」

 

米も全般的に生育遅れを回復してきて、さすが 「日照りに不作なし」 である。

でもこの言葉も、実は明治以降の水利の整備によって生まれたもので、

それ以前は、飢饉の原因の多くは 「日照り」 (による水不足) だった。

莫大な資源と技術を投入して水利を整え、築かれてきた生産基盤なのだが、

すでに私たちは、明治以降に開いた田んぼ相当分を減反で失ってしまっている。

ご先祖様に申し訳が立たないよね・・・・・なんて、

お盆にかこつけたような感慨に耽りながら、

逆に高温による品質が気になってきている2008年の夏、って感じ。

 

皆さま

残暑お見舞い申し上げます。

この暑さももう少しですね。 野菜をいっぱい食べて、乗り切りましょう。

 

ちょっとバテ気味で、すみません・・・

 



2008年8月 8日

「有機JASをやめる」 と阿部ちゃんは言う。

 

「今年で有機JASの認証をやめようと思う」

茨城県石岡市(旧八郷町)の生産者、阿部豊さんがそんなことを言ってます

 -との報告を担当から受けたのが一ヶ月ほど前。

 

阿部ちゃんが・・・・・予感は、なくはなかった。 

とにかく会って話をしようよ。 ということで、やってきた。

 

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右が阿部豊さん。 八郷で有機農業を始めて20年。

左は新しい仲間、桑原広明さん。 この地に入植して4年。

今年から二人で 「阿部豊グループ」 として野菜を出荷している。

二人とも有機のJAS認定農家だ。

特に阿部ちゃんは、有機JAS制度がスタートした最初の年 (2001年)

から認証を取得してきている。

 


その阿部ちゃんが語る。

「有機JASには、意義を感じられないんだ」

 

俺は付加価値を得たくて有機の認証を取ってきたんじゃない。

自分がやっていることを明らかにして、消費者との信頼関係を維持するためだ。

変更したって自分のやることは何も変わらない。

記録や書類の管理などトレーサビリティの体制はこれからもちゃんとやる。

しかし結局、お金をかけてまでの認証には意味を見出せなかった。

有機JASは国内の有機を増やせてないし、輸入のものばっかりが増えている。

もうやめる。

大地を守る会がこれからやろうとしている監査の方がいいと思ったんだよね。

有機認証の経費をそっちに回しても、その方がいい。

 

どうも阿部ちゃんをその気にさせてしまったのは、私の文書のせいでもあったようだ。

月に一回生産者に送っている 『お知らせ』 で、6月7月と連続して、

僕は今期からの新しい監査の仕組みについて書いた。 

(5月には社内での勉強会も開催した。)

会員に届ける野菜が大地を守る会の生産基準に合致していることを確認する

だけにとどまらない、生産者が取り組む様々な努力の過程を大切にして、

その進化を評価し、支援できる監査システム。

僕はこれを勝手に 『大地を守る会の有機農業運動監査システム』 と呼んで、

そんな体制づくりに向かいたいというような話を書いたのだ。

 

エビちゃんの文章を読んで、そうしようと決めた、なんて言われてしまう。

しかし僕に、このような面倒くさい仕組みに進ませた原動力は他でもない、

阿部豊の叱責である。

「有機農業推進室は、有機農業を推進しろ!」

もう何年も前のことだが、この台詞はずっと腹のどっかに刺さったままである。

 

おととい開かれた農水省の有機JAS制度の検討会で、

生産者の委員から一貫して出されていたのは

 「記帳やら文書管理やらが煩わしすぎて、このままではやる人は増えない」

という意見だが、この本音は、たんに 「負担が重い」 ということよりも、

おそらくは 「苦労が報われない」 感があるのだ。

さすがに阿部ちゃんは 「負担が重い」 とは言わないが、この報われない感

は共通するところのように思えた。

 

有機の認証を取ったから値上げしてくれとは言わない。

しかしトレーサビリティの作業は相当なコストになっていることは、分かってほしい。

とも阿部ちゃんは言う。

 

私の答えは、

「いま構築しようとしている監査体系がもう少し整理されるまで待ってくれ。」

 

阿部ちゃんは、有機JASを卒業したがっている。

そんな彼の期待に対応できるシステムに進化させることができるか。

有機JASに対する評価も含めて整理が求められていて、さて

僕と阿部ちゃんのこれからのやり取りは、どの辺に着地するだろうか。

 

阿部豊のナス畑には、ウグイスが巣を作っていた。

巣の中には2個の卵があった。

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ウグイスは、ここが安心できる場所だと思ったのだろうか。

阿部ちゃんには、有機JASマークよりもずっと自慢したいことのようだった。

 



2008年8月 5日

有機JAS制度の検討委員会 ‐第5回

 

今日は、5回目となった有機JAS制度の検討委員会。

正式名称は 「有機JAS規格の格付方法に関する検討会」 という。

霞ヶ関・農林水産省第2特別会議室。

開会前なら撮影OK、ということで一枚撮らせていただく。

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12名の委員が、アイウエオ順に座らされる。 私は写真右端から切れた手前の席。

正面の傍聴席は、認証団体や生産者、関係業界の方などでいつも一杯になっていて、

それだけ関心の高さが窺える。

 


この検討会も2月から始まって5回目となり、全体の意見集約の段階へと進んできた。

しかし、たった5回×2時間程度の審議で、もう 「とりまとめ」 である。

毎回ペーパーの説明時間などもあり、発言できる機会は1~2回程度で、

この点はあとで言わせてもらおうなんて考えようものなら、

ついに機会を逸してしまったりして、相当にストレスの溜まる会議ではある。

民間から委員を集めて開かれる検討会というのも色々あるが、みなこういうものなんだろうか。

 

ここでは審議の詳細な説明は省かせていただくが、

感想をひと言で述べよと言われたら、

どうも原則論 (あるいは理想論) と現実論のキャッチボールで推移してきている、

という印象になろうか。

 

たとえばこんなふうに。

① 生産者の文書管理や記帳などの負荷が重過ぎる。 これでは有機の (認証を取得する)

    生産者は増えない。 もっと作業やコストを軽減できる手法を考えるべきだ。

→ ハードルを低くすると制度の厳正さが失われ、社会的評価が得られなくなる。

  また認証機関や検査員が生産者に管理手法の改善をアドバイスするのは

  「コンサル」 業務にあたり、公正さが保たれなくなるので許されない。

 

② 認証機関の判定や判断にバラつきがありすぎる。 たとえばある資材について、

  有機に使っていいものかどうかを判断する際に、認証機関の見解がまちまちでは、

  生産者は混乱する。

→ 資材の調査と判断は、あくまでも生産者の自己責任で行なわれるべきものである。

  また同じ資材なら、どこでも誰でも無条件に許容されるものではない。

  あくまでも、それを使わざるを得ない個別事情を勘案する必要があり、

  そこから下される判定は一律なものではない。

→ 「やむを得ない事情」 を判断できるのは生産者であって、

  待ったなしの状況で、認証機関が本当にそんな事情を判定できるのか。

  その資材の 「原材料と製造工程」 から、その資材が 「有機性を損なうものではない」

  という、有機JAS規格に対する客観的な適否判定をすればよいことではないか。

 

③ 有機農業を広げてゆくためにこの制度があるはずだが、その視点なく、

  ただ制度の細かい見直しをしても意味がない。

→ 有機認証制度とは、あくまでも公正で客観的な審査・認証の仕組みであって、

  有機農業の推進は 「有機農業推進法」 の枠でやるべきことだ。

 

あるいは、これは生産者のためにあるのか、消費者保護のためにあるべきなのか・・・

 

そもそもが、2000年から始まった認証制度で、

監査 (検査) および認証 (判定) は民間機関に委ねられたため、

いろんな立場から認証機関が林立する状況が生まれ、

認証する方もされる方 (生産者・メーカー) も、認識やスタンスに誤差があって、

「意図せざる規格違反」 や 「業務改善命令」 が後を絶たない。

そこで今回の制度運用上での見直しとなったわけなのだが、

委員それぞれの 「立ち位置」 によって、改革の視点も異なれば、

「正論」 も微妙に温度差のようなものがある。

誰が 「原則」 派で、誰が 「現実」 派などと簡単な色分けもできず、

譲れない原則と見つめなければならない現実を、それぞれが抱えているような

「もどかしさ」 が続いている。

一方、であるがゆえに、ただ理想論を偉そうにぶつだけの意見は、

逆に鼻白むだけであったりする。

 

会議の途中から雷が鳴り始めた。

( この局所的集中豪雨によって、下水道工事現場で作業員の方が亡くなられたと

 知ったのは夜のニュースだった。 )

 

問題の根っこを探らないと有効な解決策は見い出せない。

幸い、認証機関側から相当に練った 「改善のためのプラン」 が示されてきて、

まあ何とか落としどころが見えてきた感がある。

 

あと一回で、この検討会としての意見の 「取りまとめ」 に入る。

これまで出されたいろんな視点に対しての意見や 「まとめ」 への見解は、

自分なりにちゃんと整理して提出しなければならない。 ただ口で言うだけでなく。

「もどかしい」 とかなんとか不満を言うヤツには、その義務があるんだよ。

というのが自分のスタンスだったしね。 

 

生産者の不満やストレスは一向に解消されないかもしれない。

ただこの委員会で、何かひとつは、前進したものがあったと言わせなければと、

焦り始めている。

 



2008年8月 3日

棒の嶺トレから飯豊山へ-水に感謝する山登り

 

棒の嶺 (みね) トレ? -何それ。 

そうなんです。 その季節がやってきたんです。

 

埼玉の、奥武蔵と言われる地域の一角に、棒の嶺はある。

公式名は、棒ノ折山。 標高たかだか969m。

 

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東京湾に注ぐ、かつて暴れ川と呼ばれた荒川の支流・入間川を遡ってゆくと、

そこは名栗村 (現・飯能市)、有間ダムの建設によってつくられた名栗湖に辿りつく。

その湖に注ぐ白谷沢という一本の沢筋を登ると、棒の嶺がある。

 

この登山道。 実は私のトレーニング・コースとなっていて、

要するに、自分で秘かに名づけた自主トレってわけ。

また、その季節がやって来たのである。

 


この沢筋、侮るなかれ。 たかが半日 (5時間程) で往復できる山だけど、

途中、多少平坦な道はあるものの、

ほとんど一直線で登り、一気に下るような感覚で、甘く見ると痛い目にあう。

この道を、休憩は水補給と呼吸を整える程度にして、

できるだけ同じペースで登り、降りてくる。 結構きつい。

 

こんな沢を駆け上がってゆく。

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両側に岩壁が狭まったゴルジュ (細い谷) を登ってゆく。

 

途中、滝もある。

藤懸の滝、天狗の滝、白孔雀の滝、と続く。

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沢や滝を楽しみながら登るには、かなりおススメのコースである。

自分にとっては、これで足腰や体力の状態をはかるつもりなのだが、

結局かなり情けない自分を見つめ直すことになるのである。

 

頂上からの眺めも、まあまあ、である。

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天気がよければ、赤城から榛名山系まで見通せる。

山の天っ辺に立つと、あらゆるストレスが馬鹿ばかしくなるような気分になるのが、嬉しい。

 

そしてやっぱり、こういう沢筋道の捨てがたい魅力は、水の豊かさである。

眼下の街はすっかり日照り続きで熱帯夜のなかにあるというのに、

山の上では、涼しげに岩肌のあちこちから水が溢れ、集まり、流れ続ける。

この不思議感。 このみず道に導かれる歓び。

汗をボタボタと流しながら、水が枯れないことのシアワセをつくづくと感じるのだ。

 

-この星に水があることの奇跡、

と語ったのは、文化人類学者の竹村真一さんだが、

すべての生命の源でもあり、つねに生命は水の変様態であるという感覚を、

僕は山で学ぶ。 あるいは海で。

水はすべてを受け止め、地球の隅々まで伝播させてゆくがゆえに、

やっぱり水は汚してはならないのだ。

 

足腰や体力のトレーニングだけでなく、こんな感覚を新たにするための、

儀式としての、私の 「棒の嶺トレ」 。

これはまた、今年も来てしまった 「飯豊山」 行のための準備なのである。

 

大地を守る会オリジナル純米酒 「種蒔人」 が企画した 「種蒔人基金」 。

「種蒔人」 一本につき100円を積み立て、酒の元である米と水を守る活動に充てる。

いわば " 酒飲みが米と水を守る " 宣言である。

それでもって、飯豊山まで登る羽目になってしまった。

原因は自分の口だったんだけどね。

1995年だったか96年だったか、

毎年2月に行なわれる蔵元・大和川酒造店 (福島県喜多方市) での交流会で、

僕は酔っ払って叫んでしまったんだ。

「この酒を担いで、俺は飯豊山に登る! 頂上で、水への感謝の気持ちを捧げたい!」

 

というわけで今年、4回目の飯豊山行である。

日程は、8月29日(金)~31日(日)。

今回は、山小屋泊ではなくテント持参で、大日岳まで足を伸ばす計画が立てられている。

昨年、すっかり藪に埋もれていたのを修復した 「種蒔山」

三角点までの道の手入れもしなければ、と思っている。

酒をたんまり積んで山に登るというのはいかがなものか、という声もあろうが、

そこは大和川酒造の佐藤工場長はじめ、健脚かつ酒豪たちの飯豊山詣、

ということでご了承願いたい。

ベテラン登山家たちのお陰で、自分はいつも楽をさせてもらっているくらいなのだ。

 

そんな山登り。

もし希望者がおられましたら、ご一報ください (コメント非公開とします) 。

飯豊山で飲む 「種蒔人」 は格別! です。 求む、健脚。

 

そこで、これまでで一番気に入っている絵を。

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この星と水に感謝する登攀。

飯豊 (いいで) 山は、今でも修験者たちを受け入れてくれる山です。

 

 



2008年8月 1日

北海道の生産者会議も18年

 

北海道は富良野にて、今年で18回目となる生産者会議が開かれる。

富良野と言えば-

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ラベンダーでしょうか。

これは大地を守る会の生産者とは関係ない観光農園の写真ですが。

 

しかし全道から、多忙な夏の一日を捨てて集まってきた生産者には 

そんな観光スポットの風景に目をくれる暇などない。

挨拶もそこそこに、畑へと向かう。

講師はこのところ連続的に出場をお願いしているこの方。

土壌診断による土づくりの大切さを説く西出隆一さんである。

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今回の幹事団体は、富良野市麓郷 (ろくごう) の 「今 (こん) グループ」 。

今利一さんを代表とする5名の生産者で構成されている。

 

メンバーの畑を巡回しながら、

事前に分析してあった土壌診断の結果を見て、土や作物の状態を観察しては、

例によって西出師の毒舌が炸裂する。

良い畑でも褒めることはめったになく、「まあまあや」 てなもんである。

 

國枝喜正さんの玉ねぎ畑。  まあまあ、だと。

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じゃが芋畑ではエキ病が発生していた。

じゃが芋生産者なら誰もに共通する難敵である。

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エキ病と聞くと思い出してしまうのが、ここ麓郷を舞台にしたドラマ 『北の国から』 の一場面。

有機農業を目指した青年・完次の畑にエキ病が発生して、

岩城晃一演じる草太に農薬を撒かれてしまった。

完次はその後、たしか破産して、どっかに行っちゃったんだよね。

 

でも、掘ってみると玉はまずまずだ。 これからの雨が心配だが、

西出さんはいろいろと処方の選択肢を伝える。 

 

しかし、問題はここからである。

西出さんの理論は、北海道の生産者にしてみれば、本州の理屈、となる。

狭い面積で、こまごまと分析したり資材を投入したりして、単位面積当たりの生産性を上げる、

そんな本州の野菜農家と違って、

北海道の農業は、何十町歩 (ha) もの田畑で経営を計算する。 つまり面積で獲る。

畑の状態を一枚々々診断しながら細かい肥料設計をするなんて、

とてもできない相談だという感覚である。

 

それはそうなんだと思う。

ただ、だからといって、単位面積当たりの生産力を無視して規模で獲ろうとして、

生産効率とか経営的にはどうなのか。 

2×20=40 と 4×10=40 は、数学上は同じだけれど、

作業コストは決定的に違ってくる。

土地の収益性とか生産力の維持 (あるいは向上、永続性) のための理論や理屈は、

参考にして損はないだろう。

 

まあここから先は、生産者の考えることではある。

ちゃんと学ぶべき視点は押えていただいて、これからの営農に生かしてもらいたい。

我々事務局は、参考情報の提供や技術交流など、

できるだけ有益な学びの場を提供し続けることで、

モノが良くなり、消費者の評価が高まり、結果として生産者の経営も向上する、

その手助けをどこまでできるか、である。

 

今グループ代表、今利一さん。 

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みんなに担がれて富良野市議までやらされて、それでも一所懸命務めている。

今日も議会の帰りからの合流となる。

陽気な性格ゆえに、みんな軽口でからかったりするけれど、僕はけっこう尊敬している。

今回も、砂礫ばかりの畑で 「ここでは、玉ねぎは無理、無茶」 とか言われた。

しかしおそらく、彼はこの畑に玉ねぎを植え続けるのではないか、と僕は推測している。

 

『北の国から資料館』 の隣に併設されている 「ふらの広場」 で開かれた

夜の懇親会では、生産者たちが順番に立つ。

壁には、ドラマのシーンの写真が飾られている。

 

地元、中富良野町の生産者グループ、「どらごんふらい」 のメンバー。

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左から、代表の間山幸雄さん、太田順夫さんところの研修生、布施芳秋・雅子さん夫妻、

研修生、そして元大地職員・徳弘英郎くん。

3番目の子どもも生まれ、家も新築して、立派な富良野の農民となった。

 

今グループの菅野義則・ひとえさん夫妻。

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ひとえさんは、『北の国から』 の脚本家、倉本聡さんが主宰する 『富良野塾』 の

元塾生である。 

ひとえさんが開設しているホームページ 『 かんのくんちのはたけ 』 。

よかったら覗いてみてください。 

「嫁のたわごと」 とか 「不平不満仕事日記」 とかが書き綴られています。

最近更新されてないのが気になるところだったけど、別れてはいなかったようで、

ひと安心。

 

二日目は、座学。 

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北海道で、広大な面積で勝負する生産者にとって、

畑の細かい診断とそれに応じた施肥設計というのは厳しいのだろうが、

問題は、土の状態を知ることと生産の結果はつながっている、ということだ。

実際に、春から試験に取り組んでくれた生産者もいる。

この会議は、数ヶ月前から始まっていたんだよね。

今年の勉強会の結果が、いつか花開くことを期待したいものだ。

 

解散後は、みんな大急ぎで帰る。 秋には今年一年の結果が出る。

頑張って欲しいし、天気も幸いしてもらいたい、と願わずにはいられない。

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