2008年11月12日
"ニッポンの食の安心" を考える工務店
腰痛も時折の衝撃程度に治まってきた先週末、
今度はパソコンがいかれてしまった。
何とか代替機にデータを移し変えて作業を復旧したところである。
すっかりコンピューターに支配されてしまって、しかも手も足も出ない我が身の情けなさよ。
一方で、こういう時のシステム担当の方が神様・仏様に見えてくる。
拝み倒しながら、腹の中では 「忌々しい時代になったことだ」。 ブツブツ・・・・・
-とか何とかボヤイたところで、お構いなしに働かされ続ける私。
先週の土曜日(11月8日)には、東京・中野サンプラザの研修室にて、
自然住宅でお付き合いいただいている河合工務店さんが主催する
「暮らしのセミナー」 で講演したのだが、タイトルが恐ろしい。
『日本の食の安心、安全を目指して-』
ニッポンの~ かよ。
この不安渦巻くご時勢に、よくぞまあ、こんな大胆なタイトルの講演を引き受けたものだ。
-と日が近づくにつれ緊張も高まり、直前ギリギリまで
パワーポイントでの講演用スライド資料づくりにかかったのだった。
自分のノートパソコンを使って。
もったいないので、このネタで一本書き残しておきたい。
話した内容を自分で解説するのはさすがに恥ずかしいが、
要約すれば、こんなことをお話させていただいた。
今の食べ物生産をめぐる状況は、グローバリズムと低価格競争のなかで、
モラル・ハザード (危機) が激しく進行している。 危機というより崩壊に近いかもしれない。
正直にモノをつくることができなくなってしまったのだ。
また食は環境と密接につながっているのだけれど、
これも今一瞬の利益確保のために後回しにされ、
私たちの命を支える地球の生態系は、その生命力の土台ともいえる多様性を失いつつある。
そして消費者には食についての正確な情報が遮断されてしまっている。
" つくる人 " と " 食べる人 " の分断が、 " 安心の喪失" と " 安全の後退 " を
ひたすら深めてきたと言えるのではないだろうか。
私たちは誰 (何) とつながるのか、衣・食・住の観点から見つめ直す必要があるのではないか。
そして暮らしのネットワークを築き直したい。 それは私たちの手でできることである。
作り手の誇りや責任感やモラルを支える消費があって、
暮らしを支え合うネットワークの中でお金も一緒に回れば、
エンゲル係数は上がるけれども、安心は揺るがず私たちの中にいてくれるはずだ。
それはまた未来の環境を守ることにもつながっている (無駄な税金も要らなくなる)。
土曜日の夜に100人近い人たちが集まってくれて、
最後までしっかり聞いてくれて、終わった後も懇親が続いて、
お別れしたのは11時を回っていた。
腰痛も忘れさせてくれた、けっこう熱いセミナーだったなぁ。
こういう人たちをつなげている主催者、河合工務店さんのポリシーにも唸らされた。
「地元 (何かあったらすぐに駆けつけられる距離) の方からしか注文を受けない」
地産地消の工務店なんだという。 名刺には 『我が街と共に歩む』 と刷られている。
こうやって暮らしのネットワークが、ひとつまたひとつとつながり、広がっていくことに、
「希望」 という言葉を重ねたいと思うのだった。