2008年11月19日

トキの舞う田んぼ

 

佐渡から柿 (平核無柿) を頂いている生産者会員、井川浩一さんは米も作っている。

不耕起栽培に挑戦するなど、生き物の豊かな田んぼづくりを目指してきた。

仲間と一緒につくったグループの名は 「佐渡トキの田んぼを守る会」 という。

 

今年の9月25日、トキの野生復帰を願って10羽のトキが放鳥されたことは、

多くの新聞報道などでご存知の方も多いかと思う。

遡れば2003年10月10日、日本生まれの最後のトキ-「キン」が亡くなって、

国の特別天然記念物 「Nipponia nippon」 の日本トキは絶滅したのだったが、

その後は中国から贈られた同種のトキを人工繁殖させ、増やしてきた。

そしていよいよ自然に放す段階へと至ったのだけれど、

それはトキをトレーニングすればすむことではなく、とても厄介な問題があった。

トキの生活を支えるだけの餌 (場) 、フィールドと生態系の再生が必要だったのだ。

トキと一緒に暮らしていた世界を取り戻す作業が-

 

井川さんたちは、それに挑んだのだ。

耕作が放棄されて荒れた棚田を復元し、平場では冬季湛水 (冬にも水を張る)

によって生物相を豊かにさせる。 そして何よりも、農薬を減らす。

「佐渡トキの田んぼを守る会」 の結成は2001年。

新穂村 (現・佐渡市) の呼びかけに応えた7名の農民によって始まった。

村が呼びかけるまでには、環境保護団体やNPO、そして環境省の

地道な活動と働きかけがあったことを、僕も多少は知っている。

 

守る会会長の斉藤真一郎さんからお借りした写真をいくつか掲載したい。

まずは会のメンバーの笑顔から。

集合写真(看板).JPG

真ん中が井川浩一さん。 その右隣、爽やか系の方が斉藤真一郎さん。

佐渡の産地担当・小島潤子の報告書には、

会長曰く-「8000人の中から7人の侍が手を上げた」 とある。

 


9月25日のトキ放鳥記念式典の、記念すべき一瞬の様子もお借りした。

放鳥の瞬間.JPG 

秋篠宮殿下ですね。

 

田んぼの畦塗り作業。

畦塗り.JPG

- というより、江をつくっている作業か。 今ふうに言うと 「ビオトープ」?

 

米ヌカを撒いている。 代かき後、田植え前に撒くのか・・・今度教えてもらおう。 

米ヌカ散布.JPG

 

そして田植え。

田植え.JPG

大勢でやってますね。

支援団体は、NPO法人 「メダカの学校」 だと聞いている。

 

「田んぼの生き物調査」 風景もある。

生き物調査.JPG

無農薬の田んぼの力を実感できる、これは 「科学的手法」 なのだ。

虫がいない田んぼは、害虫が増えやすい田んぼであることを知ることにもなる。

 

そして、ここでこんな報告をしているのもワケがあって、

実は今年産から、彼らのつくった米を販売する形で応援できる運びになったのである。

この話は僕自身にとっても、けっこう感慨深いものがあって、

僕は6年前 (2002年)、佐渡での生産者の集まりに呼ばれたことがあったんだよね。

 

場所は長安寺というお寺。 車座の座談会だった。

e08111804.jpg

これから本格的にトキの棲める田んぼを広げていこうかという状況の中で、

「そんな (無農薬とか) 危険なことして、それで米は売れるんかい?」

 という村人たちの疑問が噴出していたようで、

仕掛け人の一人でもある 「里地ネットワーク」 という団体から呼ばれて

呑気に出向いたのだった。

 

島の中で不耕起栽培とか合鴨農法とか減農薬とかに取り組んでいる生産者を集めて、

それは可能であること、そして売れるんだということを伝えたかったんだろう。

僕はその 「売れる」 というメッセージの発信を託されたわけだ。

しかし何故か、どうも腑に落ちない感じがしていて、つい生意気なことを喋ったのだった。

あの当時、葛飾柴又にフーテンの寅さんの銅像が建つという話題があって、

それがシャクに障っていたこともあって、こんな話をしてしまったのだ。

 東京では、柴又駅に寅さんの銅像が建つと騒いでいます。

 しかし、俳優の渥美清さんは亡くなったけど、寅さんはいつ死んだんでしょう。

 柴又の人たちが寅さんを愛しているのなら、寅さんを死なせてはいけない。

 寅さんをいつでも迎えられるよう、街並みや人情を残すことではないでしょうか。

 墓標なんかつくらないで、帰りを待つことが寅さんと一緒に生きることだと思う。

 皆さんが、トキを観光や商売の道具に使いたいのなら、私は関心ありません。

 皆さんは、かつて害鳥とも言われたトキと、本当に共存したいんですか?

 

あの時、

「俺は本当にトキが飛んでいた佐渡を取り戻したいと思っている」 と語った一人が

斉藤真一郎さんだったように記憶している。

 

里地ネットワークの事務局長、竹田純一さんに案内されて回った棚田。

こんな感じだった。

e08111801.jpg

棚田を復元するのは手間のかかる仕事だ。

これでいくらになるのか、と誰だって思うことだろう。 本気でないとできないよ。

 

放鳥を待つトキたちがいた。

e08111802.jpg

あの当時は、なんでこうまでして.........と感じたものだが、

トキという存在が島を動かしたのなら、この鳥は現代の 「青い鳥」 かも知れない。

 

美しい棚田、そこで人の脇に佇む、あるいは里山の空を舞うトキの姿が、

彼らの心からの誇りになれば、嬉しい。

e08111803.jpg 

 

そういえば、渥美清さんは俳人でもあった。

俳号は 「風天」(フーテン) である。

 

  案山子(かかし) ふるえて風吹きぬける

  赤とんぼじっとしたまま明日どうする

 

風天の句では、こんなのも残されている。

 

  夢で会うふるさとの人みな若く

  蛍消え髪の匂いのなかに居る

  切干とあぶらげ煮て母じょうぶ

 

  名月に雨戸とざして凶作の村

  ポトリと言ったような気する毛虫かな

 

  お遍路が一列に行く虹の中

 

                    ( 『風天 -渥美清のうた』/森英介著・大空出版刊  より )

 


Comment:

最高!♂です!*☆♪( ̄▽ ̄;)

from "朱鷺ときの時" at 2012年8月10日 14:25

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