2009年1月アーカイブ

2009年1月31日

ちば連合!

 

1月末だっていうのに、産地での新年会はまだ佳境の中にある。

しかも今年は例年より規模が膨らんできている。

昨日1月30日は、千葉県下の生産団体に広くお声かけしての、

いわば千葉県内産地合同での開催となった。

各産地ごとにやるよりまとまってやった方が、産地間のつながりも深まるし、

こちらも楽といえば楽だし-

しかしやってみれば、そのぶん連絡や準備や当日かかるエネルギーは増大する。

 

そんなわけで、幹事は産地持ち回りという格好となり、

初の千葉連合新年会の幹事は、さんぶ野菜ネットワークさん。

参加者は、6団体+1個人+大地を守る会職員で、総勢43名。

会場は成田の某ホテルの一室。

e09013101.JPG

新年早々に有機農業の国・キューバを視察してきた藤田会長の挨拶から始まる。

アメリカの経済封鎖、ソ連崩壊のなかで、有機農業で危機を乗り越えた国、

貧しいけれども医療費や教育費はかからず、医者よりも農家のほうが収入が高い国

に学びながら、私たちももっと食や農業を大切にする国に再生させよう、

というような話・・・だったと思う。 すみません、ウロウロしてたもんで。

 

幹事団体を代表して、さんぶ野菜ネットワークの常勤理事、下山久信さんの挨拶。

e09013102.JPG

長年、それぞれの地で有機農業に邁進してきた千葉県下のグループが、

大地を通じて、こうして一堂に会したわけです。

これを機にもっと連携を深めて、大きな運動にしていきましょう

・・・というよう話 (がされたはずである)。

三里塚闘争の支援に明け暮れた学生時代から、この地に骨を埋める覚悟で

地元のJAに就職して、支所長まで上りつめ、有機部会を結成して20年。

全国の産直産地のネットワーク作りに奔走し、有機農業推進法の成立まで頑張ってきた、

これまた枯れるを知らないお一人。 今や立派な農業者で、後継者も育てている。

 


新年会といっても、ただ飲むだけでなく、お勉強の時間も用意される。

ゲストは、千葉県農林水産部の安全農業推進課・副課長、井垣実さん。

e09013103.JPG

有機農業推進法に関する千葉県での動きを報告してもらうはずだったが、

悪質な食品偽装の撲滅に向けてテッテー的にやっているというお話から始まり、

穀物価格の高騰、自給率の問題、千葉県の農業事情と課題といった話が主だった。

最後に付け足しのような格好で、県でも有機農業にかかる支援策を用意してきているが、

まだ充分に浸透しておらず、助成の申請も少ないとか。

千葉県で研修生を受け入れて、有機農業を指導されている農家の方々。

受け入れ支援として、一人あたり月2万5千円が助成されるって知ってましたか。

ただし有機農業推進法のモデルタウン地区は国の助成があるので対象外。

また研修生が千葉県下で就農する (最低限その意思を持っている) ことが条件とされます。

今回参加されたグループ 「丸和」 さんのところでは、北海道の農家の後継者が

有機農業を学んでいるけど、彼 (谷くん) は助成対象にはなりません。

「申請がないと、この制度は必要ないということになっちゃうかと心配で・・・」

なんて言ってる。

 

千葉県の有機農業推進計画の策定も今期じゅうにはまとまりそうになく、

まだまだ自治体としてまとまるには時間がかかりそうだ。

まあ俺たちはもともと国や自治体に頼ってやってきたわけでもないので、

俺たち流儀で進めるだけのことだけど。

 

新年会参加生産者は以下の通り。

 ・さんぶ野菜ネットワーク (山武市)

 ・千葉畑の会 (八街市)

 ・三里塚微生物農法の会 (成田市)

 ・三里塚微生物農法酵素の会 (成田市)

 ・丸和 (富里市)

 ・酒井久和 (香取市/旧:栗源町)

 ・佐原自然農法研究会 (香取市/旧:佐原市)

 

若手を連れてきた三里塚酵素の会の堀越一仁さん。

e09013104.JPG

県にはもっと・・・・・と、何か意見をしてた。

三里塚闘争を描いた尾瀬あきらさんの漫画-『ぼくのむらの話』 の

主人公のモデルになった人だ。 だいぶ--てきたね。

 

堀越さんのお父さんに世話になった藤田会長と仲良く飲んでいる。

一枚いただく。

e09013105.JPG

左は、さんぶのリーダー・富谷亜喜博さん。

まあ、こんな絵が撮れるだけでも、やってよかったかな。 

 

千葉には米の生産者もいる。

佐原自然農法研究会から4名参加。

e09013106.JPG

右から二人目が代表の篠塚守さん。

3月1日の大地を守る東京集会では、餅つき大会で協力してくれます。

横浜の小学校の総合学習の仕上げでやって以来、かな。

頼みにしてます。 よろしくお願いします。

 

帰りがけ。 みんなで記念写真を撮ろうぜ、の声に、人が集まり始める。

e09013107.JPG

こんな楽しそうな下山さんの顔は、めったにお目にかかれないような気がする。

 

では-  ストロボが光らないと信用してくれない人たち。

e09013108.JPG

なかなか皆さん、いい笑顔です。

 

頑張るっぺよ、今年も。 そうだな、頑張るっぺか。 やるしかねえべ。

千葉  " だっぺ軍団の新春 " 、でした。

 



2009年1月29日

「稲作を守る会」 の麦

 

1月25日(日)、福島からの帰り途。

宇都宮から在来線に乗り換え、石橋という駅に降りる。

ここにも有機稲作の技術を語るに外せない、一人の指導者がいる。

NPO法人 民間稲作研究所」  代表の稲葉光圀さんである。

高校教師の時代から、無農薬・無化学肥料、除草剤も使わない稲作技術を追い求め、

それを 「技術体系」 へと高めてきた研究者であり、実践者。

 

でもこの日の目的は、米ではなくて、麦、なのである。

昨年、小麦の販売のお手伝いをしたのがきっかけで、

今年はその安定化に進められるかどうかを確かめたくてやってきた。

 

稲葉さんは、NPOの民間稲作研究所とは別に、実際の生産者集団として、

(有) 日本の稲作を守る会という会社をつくっていて、今回の訪問先は、

正確には稲作を守る会ということになる。

 

これが有機栽培の小麦畑。

e09012701.JPG

種を蒔いて、踏んで踏んで強くして、土寄せすることで病気を防ぐ。

慣行栽培は、その寄せる空間がなく、密植で、病気予防は薬に頼ることになる。

「麦の有機栽培は十分可能なんです。 誰でもできるんですよ。」

そういいながら、稲葉さんは、普及に努めている。 

 

e09012702.JPG

稲葉先生を知る皆さん。 稲葉さんはちゃんと農作業もやってます。

 


稲葉さんの栽培体系は、米-麦-大豆の2年3作の輪作をとっている。

マメ科の大豆を入れることによって、空気中の窒素が土壌に固定され、

米の肥料代も軽減される。

加えて、これで米、味噌汁、しょうゆの自給率も上がるってわけだ。

 

稲葉さんは栃木県唯一の民間の種籾生産者でもあるらしい。

e09102704.JPG

周辺との交配を避ける地理的条件だけでなく、

その栽培技術が品質的にも信頼されていることが窺える。

 

下の写真の左端の台地では、研修施設が建設中である。

若者が常駐して有機農業を学び、また消費者と交流できる施設。

ここにも有機農業推進法をカタチにする取り組みがある。

e09012703.JPG

 

その手前の栗林の一角に、益子焼で焼いたパン焼き釜を設置して、

100羽ほどの鶏も飼って美味しい卵に鶏糞も確保して、、あそこはこうして・・・・・

と、稲葉さんの夢は尽きないようだ。

目の前のスペースは、稲の苗代作りのためにとってあり、苗を植えたら、

消費者に開放して野菜作りの体験ほ場にする計画とのこと。

講演会やシンポジウムなどで会うより、ずっと生き生きしている。

 

そんな稲葉さんを悩ましているのは、米の生産調整 (減反) のための

書類作りだという。

先に書いたとおり、稲葉さんたちは米-麦-大豆と回すので、

米は2年に1作となり、単純計算で50%の生産調整、つまり減反超過達成農家となる。

しかしこれは米の生産調整に協力してやっていることではなくて、

稲葉理論における有機栽培体系であって、なんでわざわざ面倒くさい書類を

出さないといけないのか、というわけだ。

でも書類を出さないと、減反非協力者となり、地域に補助金が下りない。

 

有機農業推進が進められる一方で、

非民主的なやり方での強制も厳然とまかり通っているのが、この国の農政である。

 

米を作らせないために補助金 (税金) を使う。 しかも地域的縛りを利用して。

そんなお金があったら、麦や大豆・飼料作物の生産にもっと進んで取り組めるよう、

あるいは地域の特性に合わせて、地域が活性化するためにこそ使うべきだろう。

 

生産調整を進めるためのお題目である、

「米が過剰になったら価格が下落して、農家がやってゆけなくなる」

という理屈は理屈ではなく、農家を馬鹿にしたものとしか思えない。

けっして生産調整のおかげで米の価格が守られているわけではない。

むしろ意欲や創造性の芽を摘んでいる。

このマーケティングもない論理は、裸の王様のようなものだ。

もちろん今の制度下で反旗を翻すことは容易ではないことも分かっているつもりだ。

ただ、稲葉さんの自主作付のように、創造的に乗り越える道筋を

みんなで考えていきたいと思うのである。

 

ちなみに、稲葉さんたちの小麦は、埼玉県神泉村のヤマキ醸造さんに

ご協力いただいた。

今年もすでに取引の継続が約束されてきている。

 

有機農業を底支えするネットワークも、一歩ずつ強化されていっている。

 



2009年1月27日

「流通の大義」・・

 

「人と人のネットワークという流通の大義」

なんて、昨日は簡単に書いてしまったけど、これには注釈が必要だったと反省する。

 

もともと交易は、物質的欲望によって生まれ発展してきたたとも言えるわけで、

それ自体は、善とか悪とかで考えても仕方がないと思っている。

流通それ自体は、社会のニーズという  " 見えざる手 "  に誘導される側面を

宿命的に持っている。 大地を守る会の宅配もその呪縛から逃れられるものではない。

でも、ですよ。 今こそ、この意味をようく考えなければならない時なのではないか

とも思っているのです。

 

原始の時代から交易の進化とともに等価交換ツール (お金) が発明され、

それによって欲望もまた拡大して、

そのツールの意味をよく理解したほうに差益 (儲け) が集中していって、

圧倒的優位性を持った動力 (エネルギー) を獲得する力まで得るに至って、

他人の土地や文化を勝手に収奪したり、植民地的支配や差別・格差も拡大した。

(資本主義の教祖-アダム・スミスも泡吹いて倒れそうな今の投資スタイルは

 その究極の姿だと思う)、

結果として今日ある姿は、市場のグローバリゼーションという名での奪い合いであり、

「儲ける (何にでも交換できるお金を持つ) が勝ち」 の価値観に世界が蹂躙される

ところまで来てしまった。

みんなが等しく享受すべき 「幸せ」 までわずかな人の懐に集金されていっている。

しかも生命を支え続けた元金 -資源の再生産と循環システム- は失いつつ・・・

これを 「自由」 と呼んでいいのだろうか。

 - というような感じで (ざっくりといえば) 僕は今、世界を解釈しているのです。

 

多様な生物 (人の多様性も含めて) が生きるのが、この星の生命維持システムの

根源である以上  (これは世界共通認識になりつつある)、

今を支配しているグローバリゼーションに対するアンチ・テーゼ (対置する論理)

もまた、必然的に発展する。

新しい、オルタナティブな (替わり得る) 交易が用意される必要がある。

それは資本主義とか共産主義とかいうような既存の論理の向こうを指向していて、

その世界観に基づいた感覚で、僕は自分の仕事である 「流通」 というものを、

  " 人と人を (その価値を守りあうものとして) つなぐ

  =自分の持っている資源 (流通力) を使ってネットワークする=社会的基盤を変換する " 

そのような使命を果たすことによってこそ意味がある、

というふうに置き換えて働いてみたい、とずっと思ってきたのです。

僕にとっての " 流通の大義 "  とは、その価値に対する、油を使うものの仁義、

のようなものとしてあります。

右でも左でもなく、俺たちは前に進む。 そのために。

 

で? ・・・・・すみません。 疲れてきました。

以上を前文として、福島からの帰りにもうひと仕事した話をしたかったんですが、

それは、また明日に。 寝ます。

 



2009年1月26日

東北から、「農を変えたい!」

 

書く時間がなくて・・・という言い訳の前に、書くことも忘れてしまっていた日々。

気がつけば、もう10日も更新していない。

その間に、パレスチナの惨劇は新しいアメリカ大統領の就任に合わせるかのように

一時停戦となり ( この影響はいつまで尾を引くことだろう )、

そのアメリカは新大統領のパフォーマンスとケネディばりの演説に熱狂して、

いっぽう国内といえば元気が出るような話題に乏しく、

そんな世情を横目に、僕はただひたすら宿題に埋没させられていたのでした。

こう見えても、来期の事業計画や予算など真面目に考えたりしてるんです。

 

1月から2月初旬は、産地での新年会が各地で開かれる時節でもあって、

そこには行ける限り顔を出す。 みんな手ぐすね引いて待っている。

僕らはそれを  " 死のロード " と呼んだりしている。

もちろんただ飲むだけでなく、農業の未来や野菜の品質のことなども語り合うわけで、

日々ネタは尽きないのに書けないという

情けないドロドロ状態にはまってゆく、そんな期間でもある。

 

いろいろあったけど、しょうがないので途中はぶっ飛ばして、

直近の話題で再開させていただくと-

22日(木) に泊りがけで福島わかば会の新年会があり、

23日に帰ってきて仕事して、

24日(土) には再び福島に行って、

『 農を変えたい!東北集会 in ふくしま 』

という集まりに顔を出す。

「農を変えたい」 運動は、有機農業推進法を成立させたパワーを土台として、

有機農業の発展だけでなく、環境保全・地域の活性化までを視野に入れた全国的な運動

となって展開されている。 

 " 農 "  のありかたそのものを考え直そうという思いも込められている。

 

行けばそこには大地を守る会の生産者もいっぱい参加していて、

一人ではけっこうしんどい。

夜の懇親会で出たお酒が、大和川酒造に仁井田本家 (金寶) とくれば、

必然的にボルテージも上がって深夜まで。 結局は自業自得、身から出た錆・・・・

 

とりあえず、脳を変えたい、じゃなくて、「農」 を変えたい!集会の写真で

ごまかしておきたい。

いやいやどうして、すごい集まりになったんです。

会場は福島大学。 大学で一番大きな教室に人が溢れたんですから。

e09012503.JPG

東北全県を中心に全国各地から、約450名の参加。 いやもっと多かったか。

 


今回の集会実行委員長は、旧熱塩加納村 (現喜多方市) の有機農業指導者、

小林芳正さん。

e09012501.JPG

有機農業運動、地域自給運動の世界ではつとに知られたカリスマの一人。

熱塩加納村を有機米の一大産地に育て上げ、

補助金を蹴ってまで村の米や野菜を地元の学校給食に導入した。

「食べものとは  " いのち "  である」 

こんなセリフが似合う人は、実はそうはいない。

大地を守る会が最初に開発したオリジナル純米酒 「種蒔人」 (当時の名は 「夢醸」 ) の

誕生を支えてくれた大恩人でもある。

大病もあって心配した時期もあったけど、

コバヤシ・ホウセイ完全復活!を宣言したかのような力強い実行委員長挨拶だった。

 

そして次世代のリーダーとして登場したのが、

このブログでも何度か紹介した、山都町 (こちらも現喜多方市) の浅見彰宏さん。

e09012504.JPG

もう紹介は省きたい。

大和川酒造で出会い、棚田を守る水路の補修手伝いから、若者たちの野菜セット企画

へと、僕らの関係は年々深まってきている。

 

次世代リーダーのリレー・トークでは、

山形県高畠町・おきたま耕農舎の小林温(ゆたか) さんも登壇。

耕農舎代表・小林亮さんの農業を継いだ和香子ちゃんの旦那、つまり婿どの。

e09012506.JPG

大学の哲学科を中退して、自分探しの旅を経て、農の世界に行き着いた。

「まあ、彼女が有機農業をやっていた人だったってことなんですけど・・・」

なんて照れながら、今の様子と将来の希望を語る。

 

「ホントはやる気なかったんだけど、じいちゃんがずっと守っていた田んぼを

 荒らしちゃいけないと思って帰ってきた」 なんていう若者の発言もあったりして、

なかなか当代の若者も捨てたもんでもないなあ、とか思わせる。

 

自由交流会では、新規就農相談コーナーも設けられた。

相談に乗る小川光さん (喜多方市山都町・チャルジョウ農場)。

積極的に研修生を受け入れ、育ててくれている。

e09012508.JPG

・・・・右の君、ちょっと態度悪いよ。

 

こちらは宮城の石井稔さん (無農薬生産組合)。

米の栽培技術では名人といわれる生産者の一人。 大地ではニラも頂いている。

e09012509.JPG

相談員は他にも、山形・庄内協同ファームの志藤正一さんや、

秋田県大潟村の相馬喜久雄さん、今野克久さんなど、

大地でおなじみの生産者が顔を揃えていた。 

 

夜の懇親会で、実行委員会を代表して挨拶する渡部よしのさん。

e09012510.JPG

「山都の若者たちの野菜セット」 企画では、

チャルジョウ農場の研修生たちの野菜で賄えなかった分を補ってくれた。

渡部さんからは、それとは別に米も頂いている。

 

大学の生協食堂を借りて行なわれた懇親会も人で溢れていた。

食材は、磐梯はやま温泉 「ヴィライナワシロ」 総料理長・山際博美氏による

徹底的に地元産にこだわったメニューで並べられた。

とにかく予想外の賑わいで、写真も撮れず (料理を取るほうに精一杯で・・・)。

 

二日目は、5つの教室に分かれて分科会が行なわれた。

テーマは-

○ 学校給食・地域内自給

○ 耕作放棄地・ムラの再生

○ 農産物マーケティング

○ 有機農業(技術)と生物多様性

○ 農産加工・地域産業再生

 

ここでの注目は、「マーケティング」 という観点での分科会が用意されたことだ。

それだけこの世界が拡がってきたことを物語っている。

パネラーの一人に、伊藤俊彦さん(福島県須賀川市) の名前がある。

大地を守る会の 「備蓄米」 や 「稲田米」 の生産者だが、

生産集団の組織化から米の集荷・精米、さらには農産物の販売会社の運営まで

事業規模を発展させてきた起業家でもある。

e09012511.JPG

変化を洞察し、変化に挑戦し、変化を創造する -(伊藤さんのレジュメから)

カッコ良すぎ、です。 

 

e09012507.JPG

 

有機農業は第Ⅱ世紀に入り、ほんとうに点から面へと進んできたと実感する。

個と個のつながりから、地域を変えてゆくための連携へと進む、

その道筋がリアリティをもって語られるようになってきた。

僕もまた、彼らとともに未来開拓者の一人でありたい。

欲望の交易手段としてでなく、人と人のネットワークという流通の大義をかけて。

 



2009年1月16日

ガザからの叫びを

 

一昨日の日記では、「考えてしまう性 (さが)」 なんて書いてしまったけど、

そんな暢気なことを言っている場合ではなくなってきた。

とても信じがたい、とても許しがたい事態が、

国際的非難の高まりを嘲笑いながら、恐ろしい勢いで進んでいる。

イスラエル軍のパレスチナ・ガザ地区への空爆に、地上戦も加わり、

激しく侵攻しながら虐殺が行なわれている。

数日前までは、ここで書くかどうか、多少のためらいもあったが、

とにかく友人の声だけでも届けなければならない、と思う。

 

大地を守る会でも販売に協力してきた 「パレスチナ刺繍製品」(ガザでも製作)

を通じての支援団体、NPO 「パレスチナ子どものキャンペーン」 から届いた叫びである。

来週会員さんにお届けする予定の刺繍商品は今回の侵攻前に納品されたものだが、

現在、生産者の安否は確認できないとのこと。


読んでほしい。 


 

ガザ 1月15日16:30 (日本時間23:30)
--------------
500メートル先に戦車が・・・
--------------

国連の本部が攻撃されました。 今、私の家族と一緒に家にいますが、

家から500mのところにイスラエル軍の戦車がいて外にでることができません。

これまでで最悪の日です。

彼らはテル・アル・ハワ地区に侵入し、

次に小麦が保管されていたUNRWA (国連) 本部を攻撃して火事が起きました。

テル・アル・ハワ地区の人々は、女性も子どもも通りに出て逃げ出しました。

この地域は人口密集した住宅地です。 男たちが集められ、建物が取り上げられて

火がつけられました。 あらゆる方向から爆撃と砲火を浴びせ、

アブダビのジャーナリスト2人が負傷し、1人は重傷です。

 

今、新たな空爆が始まりました。(爆発音)

イスラエルは状況をどんどんエスカレートさせています。

今、人々は家を離れてあちこちに動き回っています。

あらゆる方向から攻撃を受けているので、どこにも行けず、人々はただ動き回るだけです。

いろいろな地域が攻撃を受けています。

そのような地域から人々は逃げ出しています。

-----------
人々が逃げまどっている
-----------

昨夜は朝まで恐ろしい時を過ごしました。銃撃が連続しています。

(また爆発音を飛翔体の飛行音)

多くの人々が残骸の下敷きになっています。

パレスチナ赤新月社が運営しているアル・クッズ病院も攻撃を受けました。

ここには500人のパレスチナ人が避難しています。

この病院もテル・アル・ハワ地区にあります。

病院も救急車も民間防衛局も消防署も、全てが攻撃されています。

多くが負傷したり死んだりしています。

-------------
石油の備蓄も小麦もなくなった
-------------

多くの人がただ逃げ回っています。

今日の午後は多くの人がただ毛布やかばんだけを持って

攻撃された地域からこちらに逃げてきています。

テル・アル・ハワ地区の人々は国連本部に逃げ込んでいましたが、

そこも攻撃されました。

イスラエルは攻撃してUNRWA職員と避難民の3人が負傷しました。

ここにはUNRWA本部のオフィスと倉庫がありました。

大きな問題は、この施設には石油が備蓄されていたことです。

石油やガスの備蓄が破壊されたのは破局的です。

これらの燃料は病院や井戸から水をくみ上げる施設に供給されていました。

ガソリンや燃料はUNRWAだけにしかなかったのです。

石油は攻撃目標になった二つのものの一つです。

もう一つは小麦粉でした。 もうガザには小麦も石油もありません。

空爆は無差別で、攻撃はあらゆる方角に向けられています。 ただ殺すだけです。

皆さんによろしく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アムジャッドさんと電話がつながり、話を聞くことができました。

彼には、小さな娘が二人います。 子どもたちはどんな思いでいるのでしょうか。

電話で話をすることしかできない自分がとても辛いです。

**************************************************
特定非営利活動法人 パレスチナ子どものキャンペーン

 

オリーブオイルをいただいている団体 PARC(パレスチナ農業復興委員会)

はヨルダン川西岸地区になるが、彼らも緊急食料物資をガザに送る活動を開始した。

しかし、搬送をバックアップしてくれる国連機関も攻撃されるという異常な事態である。

生命を維持するための支援物資の保管場所から病院、救急車まで

爆撃対象とするというのは、これはもう戦争という政治ではなく、

民族の抹殺を狙っているのか、とすら思えてくる。

1月4日には、イスラエル軍兵士が住民110人を誘導して一つの建物に閉じ込めて、

翌朝それを空爆するという行為にまで及んでいる。

これでは、かつてナチスがユダヤ人に対して行なった大量虐殺、

ホロコーストの再現ではないか。

いま、パレスチナの人々が、かつてのユダヤ人となっている・・・・・

「ならず者」 でもやらないような残虐さだ。

長い時間をかけて築いてきた国際ルールも機能しない。

もはや、どう考えても、正義はない。

 

パレスチナ子どものキャンペーンのHPでは、現地からの生々しい情勢や声が

日々アップされています。 たくさんの支援を求めています。

オリーブオイルで提携しているオルター・トレード・ジャパン では、

ヨルダン西岸からの食料支援を 『フード・バスケット支援』 と名づけて支援に入りました。

大地を守る会でも、募金集めで協力することを決定しました。

願わくばたくさんの人に伝え、できる方法で一人でも多くの人を救い、

「とにかく止めさせる」 力につなげたいと願うばかりです。

 

今この時も、必死で 『だいちロード』  の看板を見つめている人がいるような気がする。

 



2009年1月14日

ニッポンの食はオレたちがつくる! ときた。

 

予告した手前、12日朝のNHK成人の日番組を録画とっておいて、

遅ればせながら改めて見る。

 

『あしたをつかめ スペシャル

 -農業漁業はオレに任せろ! 期待の20代大集合- 』

 

おおッ! カッコいいねぇ。

北海道から鹿児島まで、農業や漁業に新規就農(漁) した若者に、

「農業をやりたい!」 とハッキリと意思表示する東京農大の学生たち。

いやあ、実に頼もしい。

 - と言いたいところだが、サーフィンもできる場所を探して来たとか (ま、いいけど)、

売上500万 (利益-手取り-はその半額、しかも根拠の薄い皮算用) で

 「将来はリッチ・ファーマーかな、アハハ」 と屈託なく笑う若夫婦を見て、

不安に思った方もいるのではないだろうか。

しかも 「ゆったりとした老後を送りたいので」 とか言われた日にゃあ、

その前のキビシ~イ人生がすっ飛んでんだろ! と叫んでしまったりして、

汗出てきちゃったよ、まったく。

「子どもの養育費が必要になったときとか、苦しいよね」 なんて諭されながら、

それでも 「なんとかなるかなぁって」 といえる豪快さ、

いや、文字通りの底抜けの明るさに、脱帽である。


まあ何と言うか、これが若さの強みってやつなんだろうか。

僕にも、身に覚えがないワケでもなく・・・・・

でもさすがに老後云々てのはなかったなぁ、と思う。

そもそも自分は啄木(26歳) や中也(30歳) のように夭折すると信じていたし、

あるいはチェ・ゲバラのように-。

嗚呼いつの間に、世間の垢に汚れちまったか・・・・・

 

そんな中で登場した、「株式会社 ゆうき」 の若者たち。

安原義之さんの息子さん、裕也くん(27歳) 。

栽培から営業へと、仕事を覚えようと懸命である。

神社の境内での青空市で声が出ない  - 僕も思い出すことがある。

大丈夫、これは慣れだから。 見せてやりたいなぁ、いまの恥知らずのオレの売り子姿。

 

高卒後、鉄工所勤めを辞めて裕也君の誘いで入社した高橋智和。

「農業を一生の仕事にしたい」 と。

田中亜矢子さんは、新潟っぽい仕事をしたくて、公務員の職を捨てて帰ってきた。

夏は米づくり、冬は酒づくり、楽しそうである。

 

ま、いいか。 成人の日に、

「ニッポンの食はオレたちに任せろ! 私たちがつくる!」

と気勢を上げる若者たちに、僕らは未来を託すことになるのだ。

精一杯応援してあげなければ、と思う。

街に解雇された人々が溢れ、世界のトヨタも操業を縮小するという状況をもろともせず、

農業・漁業に 「面白い! 楽しい!」 といって乗り込んでいく彼らの瞳が、

淀み壊れないように祈りたい。

いや、俺たちの責任だけでもまっとうしなければ、か。

 

それにしても、屈託なく夢を語り合えているニッポンの成人式の日にも、

地中海に面した街では子どもたちが逃げ惑い殺されているこの世界の今ってのは

何なんだ、と考えてしまう性 (さが) がある。

やっぱり考えたい、と思うのである。 

経済がグローバリゼーションなら、僕らの思考も地球規模で働かせなければならない。

新しいカタチで人はグローバルにつながる必要がある。

そうやってこの時代を創造的に超えないと、

わたしやキミの気楽な老後なんてありえないんだって。

振り回され、収奪されながら、しかも元金を失っていくようなこんな世界、

変えようよ! と言ってみないか、その清新なセンスで。

 



2009年1月10日

予告! 1/12,NHKの成人の日特番に生産者登場

 

緊急連絡! です。

会員の皆さまには、昨年10月20日~配布のカタログ誌 『ツチオーネ』 のトップで

紹介させていただいた、新潟県妙高市の生産団体 「株式会社 ゆうき」 で働く

若者たちが、NHKの成人の日の特集番組に登場する、との連絡が入りました。

 

e09011001.jpg

 

昨年9月に 「平成若者仕事図鑑」 という番組で放送されたものが、

成人の日にちなんだ特別番組用に再編集されたようです。

番組では日本の食料問題を取り扱う予定で、そこで農業に携わる若者として、

「ゆうき」 の20代の社員3人が紹介されるとのこと。

 

「株式会社 ゆうき」 の代表を務める安原義之さん (上の写真:前列中央) は、

妙高山系のふもとで、高齢化や後継者不足によって耕作が放棄されようとする田んぼを

借り受けては維持してきました。

12年前、商社マンから転進して地元に戻り、米作りをするために会社を設立。

2枚の田んぼから始め、今ではその数300枚、面積にして80ヘクタールの田を

耕しています。

しかもなんと、米作りのスタッフは農業未経験の若者たちなのです。

UターンやⅠターンの若者を社員として雇い、育ててきました。

2004年には全国米食味コンクールで金賞も受賞するという快挙を成し遂げ、

田んぼの周りにはホタルも帰ってきたと、昨年嬉しそうに語っていた安原さんの

弟子たちが、成人の日に、さてどんなキャラで登場してくれるのでしょうか。

 

放送は、

1月12日(月・祝) 8:35~9:48 NHK総合

です。

お時間許される方、ぜひ、ご覧ください。

 



2009年1月 8日

今年もセンチュリーコーンをつくります -ケント・ロック

 

さて、新年らしい話題も書き残しておきたい。

今年もたくさんの生産者からの年賀状が届いていて、

それらを眺めるのが仕事始めの日のひとつの楽しみなんだけど、

海外からのグリーティング・カードというのは年末に届けられてくる。

向こうは Merry Christmas & Happy New Year! なんだね。

 

何度かここで紹介したベトナムのⅠさんからは、

現在の事業が3月で終了した後もベトナムの農家と関わり続けていきたい、

との便り。

去年の9月に一時帰国した際にお会いした時には、いろんな構想を温めておられたが、

決意は変わらないようだ。 みんな、偉いなあ。

 

そして、アメリカ・イリノイ州の、Mr.ケント・ロックからも届いた。

例によってカーギル・ジャパンの堀江さんが日本語に訳して送ってくれる。

ありがとうございます。

 

「2008年、センチュリーコーン (非遺伝子組み換えコーン) の

 バリューチェインの中にいる私たちは、皆 互いに強さを試されました。」 

- こんな書き出しで始まっている。

 


  この試練は私たちに、飢える世界のために価値ある食物のより良い供給者になる

  準備をさせました。 変わりゆく世界は私たちに、学び、対処し、新しい市場環境に

  適応する機会を与え、それは飢える世界に食物をより良く供給する方向に

  私たちを向かわせました。

 

  ロック農場では、私たちは以下のことを学びました。

  -少ない肥料は必ずしも少ない収穫を意味するとは限らない。

  -牛を太らすための餌はとうもろこしでなくても良い。

  -私の妻が入れるコーヒーは6マイル離れた町で飲むコーヒーと同じくらい

    美味しいし、かなり安い。

  -私たち農家は以前思っていたよりも、世界に食料と燃料を供給する重要な役割を担っている。

  -エネルギーや原料の節約を含む多くの小さなレッスン、などです。

  2008年はドルの対円や他の通貨との換算レート、バルト海運指数や

  パナマックスサイズの船の傭船費用、燃料サーチャージなどについても私に学ばせました。

  もし2008年に新しいジョンディア社の機材が欲しければ2007年に注文していなくてはならず、

  スクラップメタルは非常に価値があり(あった)、お腹をすかせている人は怒りやすく、

  私たちとうもろこし生産者は世界の食料を供給しているだけでなく、燃料も供給しています。

  エタノール製造業者と農家の両方が市場で損害を受けることもあり得て、

  リスク管理は大変重要です。

  2008年に私が学んだことは、私をより良い人間にし、環境への責務を考えさせ、

  カーギルのセンチュリーコーンのバリューチェインのつながりをより強固にしました。

 

  カーギルのためにセンチュリーコーン生産者になるということは、

  日本でのセンチュリーコーン消費市場に供給するということに関わることになります。

  反射反応は元来、人が持っているものです。

  2008年に私たちはとうもろこしの育て方を変更するための反応時間が短くなりました。

  普通の感覚より素早く2008年に私が決定したことは、

  私がじっくり考えた/場合によってはまだ考えているような決定よりも

  私の農場に良い結果をもたらしました。

  

  センチュリーコーンのバリューチェインは、一般コーンでのエタノール製造、高い輸送費、

  高い大豆価格、プレミアムの上昇、投機的投資家の影響を受けました。

  中西部の洪水はとうもろこし畑を洗い流してしまったりもしました。

  しかしセンチュリーコーンのつながりは、私たちセンチュリーコーン生産者に

  価値を与え続けています。

  なぜカーギルはセンチュリーコーンのバリューチェインをよく維持することができたのでしょうか?

  カーギルには最終消費者が喜ぶセンチュリーコーンを生産すると決めた

  農家たちがいるからです。

  輸送やリスクマネジメント、信用融資、品質管理、私たち農家からあなた方へ続く物流網を

  整えているカーギルジャパンや堀江氏に感謝しています。

 

  2008年は関係を試された年でした。

  私たちは皆、少なくとも一度は、センチュリーコーンは価値があるのか? と考えました。

  ケント・ロックでさえ (でもたった一度だけですが) 分別物流の努力をすることなしに

  エタノール工場へ持ち込んで7ドル/ブッシェルというのは魅力的でした。

  センチュリーコーンを生産すると決めたのは、100%経済的なことを鑑みてではありません。

  理由の一部は、安心できる食品をお客様に提供するために、

  私を信用してパートナーにしてくれた大地を守る会のような会社の

  信頼される供給者になるという誇りを得られるからです。

  大地を守る会が最高の食品を提供するのに力を添えることは、

  私が本当に感謝している日本のお客様と大地を守る会の結びつき、

  大地を守る会とカーギルの結びつき、カーギルと私の結びつきにやがてなる、

  母なる大地と次世代の人々との結びつきのひとつになります。

  私たちが皆恵まれた2008年を過ごしたことは、

  " 人は人と仕事をする " という環境のおかげです。

 

  センチュリーコーンを使用していただき、ありがとうございます。

  2009年は関係をより強固なものにし、お互いの仕事をより理解していく年になるでしょう。

  良いお年をお迎えください。

                        - ケント・キャロル・マリー・レネー

 e07110806.JPG

          (2007年10月に訪問した時の Mr.ケント・ロック) 

 

ケントに限らず、センチュリーコーン生産者にとって、昨年は試練の年だったようだ。

もう一人、近況をレポートして送ってきてくれるチェットさんという生産者も、

息子さんと話し合い、「来年はセンチュリーコーンを増やそう」 と決めたようだ。

モンサントの組み換え種子の値が吊り上げられたことが、その理由のひとつになっている。

目の前の収益性だけでなく、様々なリスクや将来的な安定性なども分析しながら、

しかも生産者としての責任や誇りも維持するために、

彼らは、何をつくり・誰とつながるか、について真剣に考えてくれている。

 

ケントさんたちのつくったセンチュリーコーンは、

北浦シャモの下河辺さんはじめ、多くの家畜生産者に使われている。

ぼくらは安心して食べられるお肉を通じて、ケントとつながっているのだが、

ケントもまた、このコーンで 「大地を守る会」 とつながっている、と言ってくれる。

このバリューチェインの価値を共有できる生産者がいてくれることに感謝しながら

仕事に取り掛かれるシアワセをしっかりとかみしめて、

今年を始めようと思う。

 

※ 遺伝子組み換えに関する日記もけっこう溜まってきたので、

   改めてカテゴリーとして設定しました。

   一昨年のケント農場の訪問記なども含めて、このテーマでまとめ、

   時には振り返りながら、このテーマを考えていきたいと思っています。

   ご批評などいただけると嬉しいです。

 



2009年1月 7日

哀悼 -箱根を走った男の桃

 

新年早々つらい話題を続けて心苦しいですが、

これも日々の出来事なので、お許し願います。

 

年末から年始にかけて、生産者関係での訃報が相次いだのです。

生産者のご子息が一件、お母様が2件、そしてご本人の訃報が一件。

年末最後の出社日であった30日に続き、出社2日目の昨日も、

夜にお通夜に駆けつけるという、何とも悲しい年末年始になってしまいました。

 

昨夜は、山梨は桃の生産者、古屋寛継さんのお通夜に参列してきました。

会員さんからも 「桃七会」 で高い評価を頂いている 「一宮大地」(代表:久津間範彦さん)

のメンバー、77歳の現役でした。

東京農大の学生時代には、箱根駅伝で4年連続、箱根の山のぼり (5区ですね)

を走ったという偉大な伝説の持ち主。

2日、3日とテレビで箱根駅伝を観戦して、その後静かに息を引き取った、とのこと。

後輩たちの健闘を確かめて眠りについたんですね。

すごい話です。


ぼくも箱根駅伝はTVで観てました。

農大は12位。 残念ながら来年に向けてのシード権は逃がしましたが、

なかなかの健闘でした。

中継の合間に、過去の名場面やOBの思い出話などが挿入されるのですが、

「箱根を走った」 という自負が苦しいときの自分を支えたという話や、

ゴール直前で倒れたことがずっと心の重しのように残っていたが、

今年、30数年ぶりにタスキがつながった、というような物語を観たあとだっただけに、

古屋さんにとっても、 『箱根』 は  " オレの人生 "  のようなものだったんだろうなあ、と

そんな感慨がこみ上げてきたのでした。

タスキの重さを背負って、ひたすら待っている仲間のもとへ、あるいはゴールを目指して

走る後輩に心を重ね合わせながら、励まし、見届けたんだ。

 

一宮 (現:笛吹市一宮町) の葬儀会場には、

「陸上関係」 専用の受付まであって、弔問客で長蛇の列ができていた。

今さらながら、ぼくらは " 4年連続箱根の山を走った男 " という矜持を持って生きた

大先輩の桃を食べていたんだ、と思い知らされた次第。

心引き締められて帰路についたのでした。

 

古屋さんに限らず、皆さんそれぞれに同じような重さの人生があったことと思います。

本葬に参列できず、失礼の段、お許しください。

この場をお借りして、ご冥福をお祈りいたします。

 



2009年1月 5日

2009年、お詫びから再出発させて下さい。

 

皆さま

明けましておめでとうございます。

 

千葉・幕張から眺めた、夜明けです。

e09010501.JPG

本日 1月5日より仕事再開。

ワーカーホリックの真骨頂かしら、なぜか職場から日の出を拝んでおります。

けっして朝は強くないんですが。

 

厳しい時代に入りましたね。

世界経済はあっという間にカオスに突入して、環境問題もエネルギー問題も食糧問題も、

どっから切っても、私たちに求められているのは、

社会システムを作り変えるヴィジョンだと伝えています。

それもただの景気回復や、スローガンとしての 「チェンジ!」 ではすまない

レベルで迫ってきています。

今まで以上に時代を読み取る緊迫感のようなものを感じつつ、

でもぼくらがずっと 「希望」 の尻尾にいると信じてやってきた道筋が、

間違ってない! と、そんな確信にふるえたりしています。

生きてみたい、この時代を。

皆さんとも、これまで以上に希望を語り合いたいという欲求にかられています。

本年もどうぞよろしくご指導のほど、お願いいたします。

 

日の出の反対側は東京湾、その向こうには富士山の姿も。

e09010502.JPG

ちょっと薄いですね。

今度、いい夕日の時に撮り直してみます。

 

・・・と、新年の決意ふうに挨拶させていただきましたが、

やっぱり組織人である以上、いえ私にとって他部署ごとではない以上、

やっぱり、ここでも触れないで済ますわけにはいかないですね。

 

新年早々、会員の方々には、お詫びの文書を配布させていただきました。

加工品の原材料に想定外の産地のものが入っていたという事実が判明しました。

粘り強く築いてきたと自負していたトレーサビリティのシステムも、まだまだ不十分でした。

原料メーカーのせいにして済ますつもりはありません。

申し訳ありませんでした。 

 

迷いましたが、やっぱりここから入らないと、続けることができません。

深くお詫びし、懺悔から再出発します。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ