2009年1月 7日アーカイブ

2009年1月 7日

哀悼 -箱根を走った男の桃

 

新年早々つらい話題を続けて心苦しいですが、

これも日々の出来事なので、お許し願います。

 

年末から年始にかけて、生産者関係での訃報が相次いだのです。

生産者のご子息が一件、お母様が2件、そしてご本人の訃報が一件。

年末最後の出社日であった30日に続き、出社2日目の昨日も、

夜にお通夜に駆けつけるという、何とも悲しい年末年始になってしまいました。

 

昨夜は、山梨は桃の生産者、古屋寛継さんのお通夜に参列してきました。

会員さんからも 「桃七会」 で高い評価を頂いている 「一宮大地」(代表:久津間範彦さん)

のメンバー、77歳の現役でした。

東京農大の学生時代には、箱根駅伝で4年連続、箱根の山のぼり (5区ですね)

を走ったという偉大な伝説の持ち主。

2日、3日とテレビで箱根駅伝を観戦して、その後静かに息を引き取った、とのこと。

後輩たちの健闘を確かめて眠りについたんですね。

すごい話です。


ぼくも箱根駅伝はTVで観てました。

農大は12位。 残念ながら来年に向けてのシード権は逃がしましたが、

なかなかの健闘でした。

中継の合間に、過去の名場面やOBの思い出話などが挿入されるのですが、

「箱根を走った」 という自負が苦しいときの自分を支えたという話や、

ゴール直前で倒れたことがずっと心の重しのように残っていたが、

今年、30数年ぶりにタスキがつながった、というような物語を観たあとだっただけに、

古屋さんにとっても、 『箱根』 は  " オレの人生 "  のようなものだったんだろうなあ、と

そんな感慨がこみ上げてきたのでした。

タスキの重さを背負って、ひたすら待っている仲間のもとへ、あるいはゴールを目指して

走る後輩に心を重ね合わせながら、励まし、見届けたんだ。

 

一宮 (現:笛吹市一宮町) の葬儀会場には、

「陸上関係」 専用の受付まであって、弔問客で長蛇の列ができていた。

今さらながら、ぼくらは " 4年連続箱根の山を走った男 " という矜持を持って生きた

大先輩の桃を食べていたんだ、と思い知らされた次第。

心引き締められて帰路についたのでした。

 

古屋さんに限らず、皆さんそれぞれに同じような重さの人生があったことと思います。

本葬に参列できず、失礼の段、お許しください。

この場をお借りして、ご冥福をお祈りいたします。

 



最近のエントリー

大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ