2009年4月 7日

「減反」 の呪縛

 

大地を守る会で発行している機関誌 『NEWS 大地を守る』 。

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その5月号の原稿を頼まれていたのだが、

締め切りを過ぎてもなかなか書けず、今日ようやく編集担当に送った次第。

自分でも意外なくらい、苦しんでしまった。

 

与えられた課題は、米。

大地を守る会で取り組んできた米や田んぼを守る活動を振り返りながら、

減反問題に対する見解を、1,500字で述べよ。

 

オレの20年を、1,500字でか! ざけんじゃねぇよ!

 

まあ最初は、今まであちこちで喋ったり書いてきたことをちょこっと整理すればいいくらいに

思っていたのだが、やはりブログで喋るのと、会の機関誌で語るのとでは、

意味合いが違ってくるよね。 しかも1面だというし。

主張のトーンをどうまとめるか、このあたりの塩梅というか、

判断に迷いが生じて、締め切りを過ぎたあたりから眠れなくなったりしたのだった。 

これが 「減反政策」 の呪縛ってやつか、なんて思ったりしながら。


思い返せば、1986年の秋、

藤田会長から 「ちょっと寄ってきてほしいところがある」 と言われて、

共同購入の配達の帰り道、当時、中目黒にあった日本消費者連盟という団体の

事務所に、汚い2トン・トラックで乗り入れたのが始まりだった。

いくつかの団体のお歴々が集まっていて、

これからアメリカの米の輸入圧力に対抗して、

生産者と消費者が一緒になって日本の米を守る運動を始めるのだ、という。

「当然、大地も参加するよね」-「え? あ、ハイ」。

その夜の会議からまもなく発足した団体の名が、「米の輸入に反対する連絡会議」。

以来、米にのめりこんでいく羽目になった。

 

僕らの運動の基本スタンスは、「反対」 より 「提案」 である。

農薬散布をただ批判するんじゃなくて、 「無農薬の野菜をつくり・運び・食べる」。

有機農業を提案し、その野菜を運ぶこと自体が 「運動」 だった。

米の輸入反対運動は、必然的に生産と消費を直接つなぐ 「提携米」 運動を生んで、

大地を守る会もその一翼を担うようになる。

しかしそれは同時に食管制度と 「減反政策」 という問題に否応なく関与することでもあった。

 

「提携米運動」 は減反問題との関わりなしに語れない。

減反問題を語るなら、ただ批判するだけでなく、やっぱり、

その政策を下支えしている理屈について、触れないわけにはいかないだろう。

このブログでは、やれ 「マーケティングのない政策」 だの、

「裸の王様のような理屈だ」 とか、言いたい放題言ってきたが、

そんな調子で会の機関誌の一面を汚していいわけでもないし、

現実には、多くの生産者が、地域や農業経営との関係で、

そう好き勝手できない状態であることも承知しているつもりだ。

結局、こんな2行を挿ませていただいた。

 

「減反をやめれば米が過剰になり、価格が暴落して生産者がやってゆけなくなる」

と言われますが、これは 「無策」 を表現しているに過ぎません。

 

本音を言えば、今の僕の腹の中は、モーレツに農協批判をしたい欲求に駆られている。

農民のためでなく、組織を守るために、彼らは 「減反維持」 に固執していないか。

しかも創意工夫できそうなコスト削減まで、つまり農民の創造性を阻んでいる。

いろいろ考えても、そうとしか思えないのだ。

 

結局は、まったく中途半端な文章になってしまったのだが、

問題は字数ではなく、「ではどうするか」 について、

僕の中で、まだ整理し切れてなかった部分が残っていたことなのだ。

「提案型運動」を標榜してきたくせに。

 

本当に全面展開できるようになるために、もうひとつ思考が必要だ。

大きな一枚岩が立ちはだかっているようでいて、

靄 (もや) の先は目の前にあるような・・・・・

これこそが減反問題の嫌らしさのような気がしている。

 


Comment:

減反問題・・知っているようでよく判らないです。
でも、実家が米を作っていたので、米作農家がなんか手足を縛られて、いうことをきかされている、納得はいかないけれど、言うことを聞かないと、地域でひどい目にあわされる、ということはなんとなく知っています。

その縛りはものすごい縛りで、それこそ村八分にされ、田に水を回してもらえなかったり、会合によばれなかったり、共同で使用する農機具を貸してもらえなかったり、農協から、農薬や肥料を売ってもらえなかったり、無言電話はかかってくる、家族全員が地域から孤立させられるという恐ろしいものでした。
それ以外にも、田畑にごみ(空き缶や、針金のようなもの)を投げ入れられた、という話も聞きました。

田んぼが駄目になるから、減反はしたくないけど、言うことを聞かなければ、夜逃げをしなければならなくさせてしまうほど、恐ろしい縛りで、地域を退廃させていったように思います。

それまで助け合って仲良く農業をしていた人たちも、腹の探りあいというか、だれかが抜け駆けしていないか、誰か一人がいい思いをしているんじゃないか(もらえる手当ての配分で)と常に疑心暗鬼で人を見るようになり、ぎすぎすしていったように思います。

それで、今もその疑心暗鬼だけは残して、田んぼは荒れて、当然、人の心も荒れて、一体あの政策には何の意味があったのだろうか、その尻拭いはどうするつもりなんだろうか、と思わずに入られません。

その現状はそれとして、今の私たちにできることは、これからどうしていくのか、ということなんでしょうね。
現場に居る生産者はもちろん、流通している大地は、食べている私たち消費者は、それぞれの立場で、できることをやっていくしかないんでしょうね。

消費者として、そして、少しだけそのことを知っている者として、周りにこのことを知らせて、一緒に考えるそして行動につなげていけたらと思いました。
また、減反のこと、勉強させてもらえると嬉しいです。

from "てん" at 2009年4月12日 20:20

てんさん。
まったくその通りです。それでも“米価維持”という言葉に縛られて、動けないでいるんですね。米価はどんどん下がってきたというのに。
近いうちに公開の勉強会を開く予定で準備を進め始めました。来月号の機関誌で曖昧にしか書けなかった部分を、突破したいと思っています。その際はぜひご参加ください。

from "戎谷徹也" at 2009年4月15日 14:36

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