2009年5月アーカイブ

2009年5月28日

泉岳寺に良志久庵 (らしくあん)

 

話は前後しちゃうのだが、5月22日(金) 。

大地オリジナル純米酒 「種蒔人」 のふるさとである会津・喜多方の

大和川酒造店の見学蔵- 「北方風土館」 内で営業されている

蕎麦処 「良志久庵」 が、東京・港区泉岳寺にお店を出した。

その情報は得ていたのだが、なかなか行くことができず、

この日にようやくその機会を得ることができた。

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誘ってくれたのは、飯豊山登りや山都の堰浚いでご一緒させていただくことの多い

「のめまろ会」 というグループからだ。

山登りと日本酒を愛する、いや、それで生きているんじゃないかと思えるような

楽しい人たちである。 なんたって " 飲め麻呂 (飲む我) " っていうくらいだからね。

彼らは大和川酒造さんで、自分たちの酒づくりをやらせてもらっている。

体験というような生易しいものではない。

それは原料米の栽培から始まるのだ。

そして出来上がったひと樽分の酒をメンバーで買い取る。

通うこと年に何回になるのだろう。 とても高い酒になる計算だが、もろともせず飲む連中。

メンバーの正確な数も、誰もよく分かってないようだ。

職種もまちまち。 大地を守る会の会員の方もいる。


そんな 「のめまろ会」 の方と、5月4日の堰浚いでの別れ際、

今度は泉岳寺の良志久庵で一杯、の約束をしたのだった。 

それで一気に日程が設定されるところが、この人たちの " 飲み " に対する

ただならぬ行動力である。

 

蕎麦処というより、落ち着いた飲み処の風情だ。

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素材は基本的に会津・喜多方から取り寄せる。

国産素材割合の高さをPRする 「緑提灯のお店」 なんて、メじゃない。

この日は、うるい、わらび、こごみ、こしあぶら・・・・と山菜料理三昧。

 

飲め麻呂にかかれば、あっという間に一升瓶が空いてゆく。 

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「エビちゃん! ダメじゃん。 種蒔人を入れなきゃ!」 なんて叱られる。

-スミマセン。

 

 クマさん、お願いできますか。

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店長の熊久保孝治さん。

「いいよ。 エビちゃんから (大和川酒造)工場長に言っとけばいいじゃん。」

要するに営業できてないオイラが怠慢だったんだ。

 

場所は、地下鉄泉岳寺駅A2出口から5分くらい。

NHK交響楽団のビルのちょい先。

港区高輪2-16-49 カムロビル1階。

この看板が目印。 

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ちょっと見上げる場所にあって、その手前の階段を上がって右手になります。

 

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料理はその日会津から届いたもので考える。

量もわずかだったりするので、お品書きにはシンプルな定番モノしか書かれていない。

「今日は何か入ってますか?」 と聞くのがポイント。

大地を守る会の会員だといえば、もしかしたら・・・・・

 

お近くにお立ち寄りの際は、ぜひ!

 



2009年5月25日

BPA10周年

 

昨日は " 野卑な連中たちが生き残っている街 "

なんて書いてしまって、船橋の皆さん、失礼しました。

でも決して侮蔑的に言ったのではなくて、僕は好きなんです、あの雰囲気が。

 

きれいになったJR船橋駅南口から京成線周辺の賑やかな商店街を経て、

国道14号線の交差点を渡って京葉道路を潜る手前あたりから、町の空気が変わる。

古くからの漁師町・ふなばし本来の世界へと入り込むのだ。

四国の小さな漁村で育った僕は、港というものを見ただけで、

今でも血がぞわぞわと震えたりする。 なんたって、風が違う。

漁船が静かに停泊してカモメがゆったりと鳴きながら舞う風景も好いが

ウチの田舎はカモメでなく、トンビのヒュウ~ポロポロ~だけど)、

魚が水揚げされ漁師たちが罵声を浴びせ合いながら動き回る、あの喧騒のほうが断然イイ。

生きている実感がある。

オレこそが一番だと言わんばかりの漁師たちの騒ぎ、あれは子供には恐怖であった。

豪放でいて優しくて、それは今でも  " 畏敬 "  として生きている。

 

1999年7月、そんな漁師と船橋市民が一緒になって、

海に親しみ、海を守りながら、海を活かした街づくりを提案し活動するNPOを結成した。

BPA-ベイプラン・アソシエイツ。 代表・大野一敏。

その設立10周年を記念しての祝賀会である。

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10周年といっても、大野さんたちの海を守る活動は昭和40年代、

つまり1970年あたりまで遡る。

東京湾の埋め立てに疑問を持ち、憩いの場としての海辺の価値を提言し、

水質を守るためにも漁業の大切さを訴え、

市民との接点を " 祭り " といった漁民らしい仕掛けで演出した。

港でジャズ・フェスティバル、漁船に子どもたちを乗せて東京湾クルージング、

こういった活動を先駆けたのが、大野さんだ。

 

その間にも大野さんは、市民の力で湾岸の保全を都市条例として制定させた

サンフランシスコ湾の事例を自力で翻訳・出版している。

実は、これこそが三番瀬保全活動の原点となった。

 

歴史を振り返る大野一敏。

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こうやって改めて見ると、僕らが初めて大野さんに接触したのは、

大野さんたちがBPAを結成した、つまり活動が新たな展開に入った時だったわけだ。

それは必然的と言えるような糸でつながったと思える。

 

触媒の役を果たしたのは、シグロという映画制作集団だった。

故・土本典昭さんが撮った水俣の映画シリーズをご存知の方には馴染みの名前だろうか。

そのシグロが、秩父・大滝村のダム建設で沈む村を取材して、

『あらかわ』 というドキュメンタリー映画を制作した (監督は萩原吉弘さん)。

その映画で、大野さんは荒川の終着点である東京湾の漁師として登場する。

 

オレたちはここで漁をしながら、上流がどうなっていっているのかを感じ取っている

 

あのセリフは、衝撃だった。

完成して間もなく、高知に生産者が集まった会議で上映会を企画して、

萩原監督に講演をお願いした。

次は監督が訪ねてきて、秩父で農業をやっている長谷川満 (大地を守る会理事) と

色々と情報交換をしているうちに、『続・あらかわ』 の構想がつくられた。

『続・あらかわ』 では大地を守る会の生産者が随所に登場する (実はエビちゃん一家も)。

そんな折に、当会の専門委員会 「おさかな喰楽部」 が大胆な企画を立てた。

秩父(荒川の源流) で水産生産者の会議をやろう。

魚屋たちが秩父困民党の里にやってきたのだ。 萩原監督にも再度お越しいただいた。

そこで次は、『続・あらかわ』 の上映と大野さんの講演を、という話になって、

電話を入れたところ、間髪を入れず 「そんなことより大地でよぉ、アオサを何とかしないか」

という逆提案を受けたのだった。 電話口でビビッ!ときたのを今でも覚えている。

東京湾アオサ・プロジェクトは、そうして始まった。

上映会が 「アオサ・プロジェクト出航宣言のつどい」 なる集まりになって、

2001年からアオサ回収が始まる。

考案したメッセージは -海が大地を耕し、有機農業が海を救う!

 

あれから、アオサの回収-資源活用をシコシコと続けてきた。

しかし物事は、見極めるまでは粘り強くやり続けるものだと、つくづく思う。

千葉県が、国 (国土交通省) が、アオサの資源リサイクルの相談にやってくるようになった。

こうして次の段階の扉が用意されようとしている。

 

誰もが認めるパイオニア、大野一敏。

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カッコよく、ジャズ・ソングを唄う大野一敏。

 

このたび古稀(70歳) を迎えたとのこと。

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スポーツ・ジムまで開いていたという大野一敏。

嫉妬することすら失礼にあたる、と言わざるを得ない若さである。

 

後進の一人として、こう見えても漣 (さざなみ) を子守唄にして育った者として、

大野さんが蒔いた種のひとつくらいは花を咲かせて見せないと格好がつかない。

 



2009年5月24日

生物多様性農業支援センター総会

 

きのう (23日) は、ふたつの集まりをハシゴした。

 

まずは、NPO 「生物多様性農業支援センター」 の総会。

場所は去年まで大地を守る東京集会で使っていた大手町・サンケイプラザの会議室。

 

この団体には藤田会長が理事になっていて、

総会なんだから出席義務があると思うのだが、

例によって 「お前、代わりに行ってこい」 の指示。

「代理じゃ理事の議決権は行使できないんじゃ・・・」

「ウルサイ! 今の活動にオレからとやかく言うことはない。

 お前に言いたいことがあったら好きなだけ喋ってこい!」

-なんていう会話が実際にあったワケではなく、

「悪いが頼む」 - 「へい、分かりやした」 で上の呼吸をつかむの世界である。

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総会の報告は省かせていただく。

議長の宇根豊さん(農と自然の研究所代表) が、

「どうも議事が早く進みすぎる」 とつまらなさそうに言った、

ということでご想像いただきたい。

 

興味を引いたのは、総会後の記念講演のほうか。

テーマは 「環境直接支払いに係わる世界の情勢について」。

講師は学習院大学教授の荘林幹太郎さん。

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EUの農業政策では、環境に配慮した農業のレベルに応じて、助成がある。

農薬も含めた化学物質の投入を減らす、生物多様性を維持するための取り組み、

景観を保全するための工夫、などなど。

それらに対して、EU各国、そして地方が、それぞれに公平性を考慮しながら

緻密に組み立ててきた歴史がある。

問題も残っているが、政策の意思の強さを感じさせる。

 

ここでは語られなかったが、日欧の決定的な差異は、

国民の農業に対する理解と支持のレベルだと思っている。

それは消費者が悪いのか、政治が悪いのか、という問いは空しい。

どっちだという議論自体が国のレベルの低さを表現してしまうことになるようで。

しかし国際交渉レベルになると、その底力の差は如実に現われる。

 

ごちゃごちゃ言ってないで、オレたちは実体をつくり上げてゆくのだ。

「生物多様性農業支援センター」 なる組織ができたからといって、

決して過度に依存せず、自分たちの取り組みを継続しながら、

結果的に支援できればいいかなと思っている。

 

最後はけっこう質疑があって、時間オーバーとなる。

宇根さんや高生連(高知) の松林直行さんと話もしたかったが、次の会合に向かう。

東京駅から向かう場所は千葉県船橋。

東京とつながる千葉の拠点都市にありながら、野卑な連中たちが生き残っている街。

ベイプラン・アソシエイツ(BPA) 創立10周年の記念祝賀会だ。

(続く)



2009年5月20日

Genetic Roulette -遺伝子のゲーム?

 

前日の日記の余韻を、頭の隅で引きずっている。

クローン技術も、GM (遺伝子組み換え) 技術も、科学ではなく

不確かな " 技術 " なのである、という天笠さんの言葉を反芻している。

 

昨日の日記の中で、ジェフリー・スミスという名前を出した。

アメリカでGM食品に反対する活動を展開している人だ。

彼の著書の和訳本がある。

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偽りの種子-遺伝子組み換え食品をめぐるアメリカの嘘と陰謀

( 訳:野村有美子・丸田素子、家の光協会刊 )

 

ここでは、実に恐るべき事実が明らかにされている。

GM食品の問題点を指摘した科学者やジャーナリストが実名で紹介され、

その丹念な取材を進めるとともに、いかに彼らが、

(民主主義を標榜するアメリカで) 研究費をカットされたり

左遷あるいは解雇されるなどの弾圧を受けてきたか。

そして研究成果が改ざんされ、あるいは闇に葬られてきたか。

まるでサスペンスドラマを見るような調子で語られている。

しかも、登場人物はかなり権威ある人々であったりするのだ。

 

GMO懐疑派の私でさえ 「本当かよ」 と思えるようなエピソードもある。

しかし実在の登場人物から、彼の著作を訴える人が出ていないところを見ると、

これは本当の話なのかもしれない、と思う。

どなたか日本のジャーナリストで検証していただけると有り難いのだが、

お金にならない地道な取材は誰もやってくれないようだ。

 

実は今年の2月、

スミス氏はインドから帰国する途中で、日本に立ち寄ってくれている。

そこで緊急にスミス氏を囲んでのミニ講座が企画され、

大地を守る会で場所を提供した。

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そこで彼は、GM技術の問題点や運動の進め方について、熱心に語ってくれた。

その時のメモによれば、

 -今、GMOをめぐる情勢は、重要なポイントを迎えている。

  健康への影響がもっと伝えられなければならない。

  伝える対象は、医者、宗教団体、学校給食、そして食生活に熱心な人たちだ。

  オーガニックの農家たちは教育者の役目を果たしてくれている。

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  アンケート調査によれば、アメリカ人の多くはGM食品を食べたくないと思っている。

  しかし食べている。 事実を知らされていないのだ。

  5%の消費者が反対の意思表示をすれば、食品メーカーも変わる。

  そのために誰にも理解できるようなパンフレットやDVDを作成し、

  置いてくれる店を増やす運動をしている。

  ターゲットは、健康に気をつけている人、そのための情報を受け入れる用意ができている人、

  子どもたちを守るために選択する意思を持った人たちだ。

  そのような人たちをネットワークすることで、変えることはできる。

  スターバックスだって非GMOを宣言したのだ。

 

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この席で、彼は最近出版した本を紹介した。

2年間かけて、30人以上の科学者を動員して、

GM技術の問題点を、65のポイントにまとめたものだという。

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遺伝子ルーレット、遺伝学的ルーレット ・・・・どう訳せばいいのだろう。

私なりに考えた訳は

- 『遺伝子のゲーム』 とか 『 遺伝子操作という賭け 』 とか。 だめか。

 

スミスさんが帰ってからすぐに入手して、

辞書を片手に読もうとしてるんだけど、どうにも進まない。

分厚いA4版のハードカバー、320頁ある。

スミス氏は、「翻訳権を与えてもいい」 と言ってくれた。

誰かやってくれないだろうか。

お貸ししてもいい。

 



2009年5月19日

クローン - この奇々怪々なる世界

 

夜の職員勉強会が開かれる。 

今回のテーマは、「クローン家畜の問題点」。

講師は天笠啓祐 (あまかさ・けいすけ) さん。

いつもながら、笑顔で優しい語り口がこの人の特徴だ。

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しかし語られた内容はと言えば、相当に奇っ怪な世界である。

とてもブログで解説できる代物ではないが、必死で整理してみるなら、

こういうことになるだろうか。


「クローン」 という言葉は、ギリシャ語で小枝を意味する。

それが、植物の挿し木技術の呼称として使われるようになった。

受精というプロセスを経ないため、同じ遺伝子を持った木を増やすことができる。

このように遺伝的に同じ生命体を作ることを、今日では 「クローン技術」 と呼ぶ。

しかし、細菌や植物では可能な技術も、動物となると極めて不安定な結果となる。

 

家畜のクローン技術には、三つの方法がある。

ひとつは 「卵割クローン技術」。

受精卵が細胞分裂した際に、それをバラバラに分割することで一卵性〇つ子をつくる。

しかし人間や牛では、8細胞になったところで 「全能性」

(その細胞が分裂を繰り返しながら臓器が形成されてゆく、その原初の力)

が失われてゆくため、4細胞 (一卵性四つ子) までが限界である。

その効率の悪さから、現在ではほとんど行なわれていない。

 

ふたつめが 「受精卵クローン技術」。

体外受精で受精卵をつくり、受精卵が16~64個に分裂した段階でバラバラにし、

細胞から核を取り出し、それをあらかじめ核を取り除いた卵子(未受精卵) に、

一つ一つ入れ込む。 それを代理母に出産させる。

これで遺伝的には同じ優良な形質を持った家畜を数十頭誕生させることができる。

現在では、核を取り出さずに細胞ごと入れるようになっているとのこと。

遺伝子 " 組み込み " 技術、と言っておこうか。

 

みっつめが 「体細胞クローン技術」。

上のふたつが受精卵を使うのに対して、こちらは体細胞を使う。

体細胞とは、読んで字のごとく、体の細胞組織のこと。

体細胞を培養して細胞分裂を促進させるのだが、培養液には細胞分裂を促進させる血清

が必須で、その血清を徐々に減らしてゆくと (これを「血清飢餓培養」と呼ぶ)、

細胞分裂が停止してくる。

その段階で体細胞をバラバラにして、その一つ一つを、核を取り除いた卵子に入れる。

それを代理母に出産させる。

上のふたつが人工的にせよ 「受精」 というプロセスを経るのに対して、

こちらは 「クローン胚」 によって、親の遺伝子を持つ子が誕生する。

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ここで不思議なのは、体細胞クローンで、なぜ 「全能性」 が発揮されるのか、ということだ。

受精卵は細胞分裂を進めながら、様々な臓器や組織に分化してゆく。

その過程で、遺伝子はその働きを特化させてゆく (=別な遺伝的働きを止める)。

心臓なら心臓に、耳なら耳に。

そこで鼻の形をつくる遺伝情報が働いてはおかしなことになる。

ではなぜ体の一部を形成してしまっている細胞が

全能性 (細胞分裂の初期段階) を持てるのか。

そもそも卵割クローン技術の段階では、4つ子(4個の細胞) までで止まったはずなのに。

1996年、英国で世界初の体細胞クローン動物として誕生した

羊の 「ドリー」 ちゃんは、6歳のメス羊の乳腺細胞が使われている。

 

その秘密が 「血清飢餓培養」 にある。 細胞分裂の周期が静止すると、

なぜか 「データの初期化」 (全能性の復活!) が起きる、というのである。

 

ここまでの話が完璧なら、夢のような技術、ということになるかもしれない。

しかし、生命とはそんなに単純なものではない。

日本でこれまでに生産された体細胞クローン牛の統計データが

農水省から発表されているが、それによると、

研究が開始された1998年から昨年9月までに出生した体細胞クローン牛は557頭。

そのうち死産が78頭(14%)、生育直後(24時間以内) の死亡が91頭(16.3%)、

それ以後の病死が136頭(24.4%)、という数字である。

全部を足し算すると、約55%。 豚になると57%になる。

つまり半数以上が不自然な死を遂げているという異常な事態なのだ。

なかには過大子という巨体で生まれるケースが一定割合あり、

そのため母体が死亡するケースもあるという。

 

そこで、原因がいろいろと考えられる。

まず、クローン胚は本当に 「全能性」 を獲得しているのか。

実はこれはまだ、解明されていない 「謎」 の部分が多くあるようなのだ。

次に、初期年齢の問題。

羊のドリーちゃんは、6歳の体細胞から生まれた。

羊の寿命は11~12歳らしいのだが、ドリーちゃんはその半分くらいで亡くなった。

それから、自然界に存在しなかった遺伝子の混在がもたらす影響。

これについては、まだ 「分からない」。

 

こんな状態なのだが、米国および日本では、すでにクローン家畜の肉は 「安全である」

というお墨付きを得ている。 しかも表示の義務はない。

理由は、「死産や生後の病死も、一定期間を過ぎれば問題ない」。

つまり、異常な家畜は死んでいるのだから、ということだ。

環境要因による遺伝子の異常の発現 ( 「エピジェネティクス異常」 と呼ばれている) や

母体への影響 (ガンの発生が指摘されている) など、

様々に指摘されている問題点は無視されている。

もはや牛や豚は生命体として認められてないようだ。

欧米では、まだ動物福祉や倫理的問題、生物多様性への影響などで議論が続いている。

 

ここでも遺伝子組み換え食品と同じく、「同等性」 なる論理が幅を利かせているのだが、

これはやっぱ、もうちょっと慎重に扱おう、というのが自然ではないだろうか。

最低限、市場に出回る際には、表示が必要だ。

消費者には選ぶ権利があるはずだし、その影響を長いスパンで見るためにも、

表示はゼッタイに欠かせない。

食べた人と食べなかった人の区別ができないと、因果関係は何も証明できなくなる。

米国で遺伝子組み換え食品に反対しているジェフリー・スミスさんは、

その著書-『偽りの種子』 (家の光協会刊) で、

米国でGM食品が出回り始めるとともに食物アレルギーが増大したことを指摘しているが、

しかしそれは、今となっては誰も証明不可能なのである。

したがって、「健康に影響が現われたというデータは存在しない」 ということになる。

 

世は食品のトレーサビリティ (生産履歴の追跡可能性) が必須となってきているのに、

こと遺伝子組み換え食品やクローン家畜については、推進派は 「表示不要」 と言う。

同じだから、というのがその理由だが、決して同じではないし、

「拒否したい」 「選択したい」 という権利は認める必要ない、という権利が

なぜ許されるのか。 「上から目線」 もいい加減にしてもらいたいと思う。

本音を代弁すれば、「表示すれば売れない」 からに過ぎないのだが、

こういう人がリスク・コミュニケーションなどと言って、「正確に伝えよう」

とか語っていたりするのは、噴飯ものだ。

 

とにかく、ここは 「予防原則」 に立つのが賢明であろう。

ちなみに受精卵クローン牛は、昨年9月までで718頭が誕生し、

食肉に回った数が319頭。 誰か知らずに食べたことになる。

そして行方不明が63頭、という数字がある。

逃亡したのではなく、トレースができない、ということである。

 



2009年5月17日

20年目の 『稲作体験』-200人の田植え

 

見よ! 稲作農耕民族のDNAを受け継ぐ者たちの雄姿を。

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今日は大地を守る会の 「稲作体験2009-田植え編」。

すでにお伝えした通り、20周年となった今年は、できるだけたくさんの希望者を

受け入れたいと、田んぼを2枚借りての実施となった。

設定した定員が200名。 そんでもって応募者数は、247名。

この数字にひるみつつも、実行委員会は敢然と 「全員受け入れ」 を決定した。

「無謀にも」 という形容詞のほうが適切かもしれない。

いろんな事態を想定しつつ、慎重にシュミレーションが行なわれて、

打ち合わせのたびに準備項目が増え、緊張感が増してきているのが分かる。

 

そして、いよいよ田植え当日。


現地は、早朝こそ激しい雨が降ったが、だんだんと小降りになってくる。

前日からの準備で泊まり込んでいたスタッフは、内心ドキドキしたことだろうが、

空を見上げながら、「やれる、やる!」 と自らを奮い立たせるのだった。

電話がかかってくるたびに、「やります。こちらは大丈夫です」 と対応する。

聞けば東京は土砂降りらしい。

 

最後の打ち合わせをするスタッフたち。

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「エビスダニさんは、そこら辺にいてください。」 -もうオイラは年寄り扱い。

 

そんなあいにくの空模様のため、辞退された方もあったが、

それでも185名の方が、続々と集まって来てくれた。

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着替えて集合して、生産者の挨拶から。

まずは19年引き受け続けてくれた、佐藤秀雄。 

山武のゴローちゃん (ドラマ 『北の国から』 で田中邦衛が演じた主人公) と呼ぶ人もいる。

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続いて、綿貫直樹さん。

この人が田んぼを提供してくれなかったら、200名は受け入れられなかった。

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そして、二班に分かれる。

佐藤秀雄の田んぼ組は -「ひで田ん班」。

綿貫直樹の田んぼ組は -「なお田ん班」。

私は初参加者中心に組まれたひで田ん班に回される。

田植えの要領の説明をし、畔に並んで一斉に開始する。

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黙々と作業に集中する人もいれば、楽しそうにお隣の人と会話しながら進む人もいる。

子どもに手を焼きながらもどこか興奮気味のお母さん。

子どもに植え方を注意されるお父さん。

みんな楽しい。 とにかく田植えは心が弾む。

このフィールドで、今日、人生(イネ生?) の本番が始まる。

その青春感のようなものだろうか。

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この光景には、なんでだろう、

意外にラテン・ミュージックが似合うような気がしてならない。

 

恒例の紙マルチによる田植え。

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人数が多いものだから、初参加でいきなり紙マルチ区に回された親子。 

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「田植えってね、紙を敷きながらやるんだよ」

とか幼稚園で言い出さないかと、ちょっと心配。

 

お疲れ様でした。 

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楽しい作業はあっという間に終わる。

天気も何とかもってくれて、よかった、よかった。

 

田植えの余韻を楽しみつつ、昼食と交流会。

断続的に降る小雨の影響を心配して、急きょ生産者の富谷亜喜博さんが

ご自宅の倉庫を開放してくれたことで、3ヵ所に分かれての交流会となる。 

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こちら、今日はいつもより張り切って語るゴローちゃん。

虫博士の陶 (すえ) 武利さんには、「こっちにも来てくれ!」 というSOSが入ったりして、

結局3会場掛け持ちで回って、カエル講座となる。

「オレは、すえハカセの話を聞きに来たんだよう」

なんていう生意気なガキもいたりして、私を嫉妬させる。

 

最後に、これまた恒例となった、看板の手形押し。

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頂戴しました、みんなの笑顔。

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なお田ん班の人たちは分散しての交流会となってしまったので、

この手形押しは次回とします。 お楽しみに。

 

正直言って、みんなが満足してくれたかどうか、どうもよく分からない。

大人数による初めてのオペレーションも多々あったし、天候にもかなり翻弄された。

これらは、たび重ねるスタッフにとっては訓練だろうけど、参加者にとって

不愉快な記憶は、たった一度でも " 決定 " 的であったりする。

参加者の皆さん。

どうぞ忌憚なく、ご意見をください。

次の草取りも、笑顔で会い、別れたいので。

 

今度は草取りですね。

作業はきつくなるし、田植えのようなワクワク感はないけど、

やり遂げたあとの " 達成感 " という実感が、待ってます。

 

子どもたちがイネと一緒に逞しくなる季節に向けて、

実行委員会の反省会もきっちりやろう。

 



2009年5月13日

三番瀬をラムサール登録へ -署名10万人突破!

 

「三番瀬のラムサール条約登録を実現する集い」

という集まりが開かれたので、出席する。 

三番瀬の保全活動に取り組む団体や千葉県野鳥の会などの自然保護団体が

中心になって、三番瀬をラムサール条約の登録湿地にしようという署名運動が

昨年の12月から進められていて、

その署名筆数が10万人を超えたのを記念して開かれた。

 

場所は千葉県船橋市・船橋フェイスビル-きららホール。

19時開会。 オープニングで披露されたのが、" 船橋手拍子音頭 "  。

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チーム三番瀬と呼ばれる地元のご婦人たちによる踊り。

地元の祭りなどでも活躍しているんだな、きっと。

 

   舟の船橋世界へかけて 国と国との橋渡し

   今日もやるぞと はりきる町の

   意気を伝える あの汽笛

   (ソレ!) しゃんと船橋 しゃんと船橋 手拍子音頭

   うてば笑顔の花が咲く

 

港町、浴衣、花火、太鼓に鉦の音、走る子どもたち

 ・・・そんな風景が浮かんでくるね。

 

プログラムでは、新しく知事になられた森田健作氏が来賓として来られる

ことになっていたのだが、代理の方の簡単な挨拶があったのみ。

「いろいろと立て込んでおりまして・・・」

三番瀬保全を公約に掲げていた堂本暁子前知事のあと、

さて新知事の方針やいかに、と思ったのだが、残念。

「できるだけたくさんの方の声を聞き、よい方向に進めるべく・・・」

要するに、まだ何も考えてないようだ。

 

そんな中で、大きな動きを見せたのが船橋市漁業協同組合である。

昨年3月の臨時総会で、「三番瀬のラムサール登録を進める」 決議が採択された。

組合長はご存知、大野一敏さん。

「東京湾アオサ・プロジェクト」 を一緒に運営するBPA (ベイプラン・アソシエイツ)

の代表でもある。

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大野さんが壇上に立つと、場が締まるというか、やっぱ華がある。


   オレは船橋のネイティブだ。

   ここは昔は船橋村と呼ばれ、家康が江戸幕府を開いた際には

   食料自給の重要な拠点とされ、栄えてきた。

   巨大な胃袋を持つ東京に近く、運ぶのにエネルギー消費も低くすむ。

   今は地産地消がもてはやされるが、環境が壊れては何にもならない。

   三番瀬をラムサール条約に登録させ、環境を守っていきたい。

 

記念講演は、東京大学大学院総合文化研究科助教授の清野(せいの) 聡子さん。

堂本前知事が三番瀬保全を進めるために設置した

「三番瀬再生計画検討会議」(通称、円卓会議) と、それに続く 「三番瀬再生会議」

の委員を務めてきた方である。

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清野さんの専門は、海岸・沿岸・河川の環境保全学。

その立場から、ただ干潟だけを眺めるのでなく、海の底まで留意が必要と語る。 

 

これが戦後間もない1948年の三番瀬の様子。

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それが1950年(昭和25年)の港湾法により、干潟を 「港」 にすることが決まった。

そして、今の様子。

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色が濃くなっている箇所が、海底が掘られたところ。

ここに海水が溜まり、時に青潮の原因となる。

残った干潟の意味は大きい。

「ここは未来を守る共有財産だ」 と清野さんは訴える。

 

第二部は、大野一敏さん、清野聡子さん、田久保晴孝さん(署名ネットワークの代表、

三番瀬を守る会会長、千葉の干潟を守る会会長、千葉野鳥の会副代表など)による、

トーク・セッション。

 

大野さんによる、漁をしながら歌う  " 木遣(や) り "  唄が披露される。

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声もいいけど、体もごつい。 海のダンディズムは古希を過ぎても衰えてない。

 

 

 セッションでは、三番瀬の自然や生き物たちの写真を見ながら、

 干潟の豊かさを感じ取る。

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ここでは砂浜の役割が大きい。

ひと粒ひと粒に微生物がくっついている。 砂粒が小さいほど多くの生き物がいることになる。

それが水を浄化し、また小動物たちの餌となる。

小動物は水鳥たちの餌となる。 鳥の糞は砂 (の微生物) が処理する。

プランクトンが増えれば、魚が集まってくる。

 

東京湾の素晴らしさを語る大野さん。 

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会場から、「三番瀬のラムサール条約登録を進めるのに何が障害となっているのか?」

という質問が挙がった。

田久保さんは行政の問題を挙げ、大野さんは損得勘定があると指摘する。

漁業者たちの間での利害関係があるということだ。

そういう意味でも、船橋漁協の決議は大きな力になったと言える。

清野さんは、

「政治家も経済人も、未来の財産を守る度量があるかどうかが量られている」

と手厳しい。

 

大野さんのまとめ-

身近なものを食べること。 海や自然と親しみ、憩い癒される場所が近場にある。

この暮らしを守るのかどうか。 決定権は皆さんの手の中にある。

 

その通りだ。

 

≪注釈:ラムサール条約≫

正式名称を 「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」 と訳され、

湿地の保全と適正な利用を国際協力の下で促進していくことを目的とする条約。

1971年にイランのラムサールで採択されたことから 「ラムサール条約」 と呼ばれる。

当初は国境を越えて移動する渡り鳥の生息地としての湿地保全が中心だったが、

近年では、湿地生態系の持つ様々な機能が人間も含めた動植物の営みを支えている

ことが認識され、湿地生態系そのものの価値が評価されるようになってきている。

現在、日本では33ヵ所が登録されている。

2005年11月には宮城県・蕪栗沼とその周辺水田が登録され、

田んぼが生物にとって貴重な湿地であることが初めて認められたことで話題を呼んだ。

 



2009年5月10日

危ない? 有機野菜

 

大地を守る会でゴミ・リサイクル問題に取り組む専門委員会 「ゴミリ倶楽部」 が、

その通信で、家庭で出る生ゴミのコンポスト (たい肥化) を推奨したところ、

会員さんから質問が寄せられて、担当事務局員から相談が回ってきた。

質問の内容はこういうものである。

「大地を守る会の生産者で、生ゴミたい肥を使っている方はいますか?

  『本当は危ない 有機野菜』 という本を読んで不安になりました。」

 

彼らにとっても想定外の質問だったのだろうが、

回答の骨子を農産 (私の部署) で用意しろ、ということになると、

まったく面倒なことを、とかグチグチ言うことになってしまう。

でも、用意しなければならない。

 

単純に質問の答えでよければ簡単である -YES。 それが何か?

しかし、疑問に思われた背景が気になって、

その本にもあたってみようかと思って、取り寄せた。

 

二日後に届いて、読みながら、後悔する。 というより、腹が立ってくる。

これで私の大事な日曜日は潰れたのであった、みたいな・・・・・

 

でも僕らは、 「ほっとけ、そんな奴」 と言い放てる生産者でもなく、

「議論する価値もない論評」 とか言って平然と構えられる学者でもなく、

一人の会員からの質問である以上、応えなければならない。

ある本を読んで不安になった消費者がいる、という現実。

流通という立場にある者が、時に感じる孤独である (愚痴ではなく)。

 

・・・・・で、この本 ( 論 ) を、僕なりに読み解き、見解案をまとめる。

やるとなったら、手抜きはできない。

 

こんな感じでまとめてみたのですが・・・と思い切って公開したい。

これぞ 「あんしんはしんどい」 の事例として。


本の内容の詳細な解説は省きたい。 

会員さん向けに書いた回答で、概略的に読み取っていただけることを期待する。

 

  まずご質問に対する回答としては、当会の生産者会員の中には、地元スーパーや

  外食などの店舗から出る食品残渣 (いわゆる生ゴミ) をたい肥原料として引き受け

  ている農家はいらっしゃいます。当会でも、そのことを否定するものではありません。

  ただしその活用にあたっては、充分な醗酵を経て完熟たい肥にすることが前提で、

  生産者もそのことはよく承知していて、時間をかけて良質のたい肥作りに努めています。

  また田畑へのたい肥の施用にあたっては、土壌のバランスに配慮して、「過度な投入

  は行なわない」 というのは、有機農業を実践される農家には基本のこととして理解され

  ています。

 

  ご質問のなかで触れられている書籍も念のために確認いたしましたが、著者の基本的

  な問題意識は共鳴できるものの、「有機農業」 に対する認識には、はなはだしい誤解と

  論理の飛躍が多分に見受けられます。

  

  本書の論点を整理すれば、以下のようなものかと理解します。

  1.1970年代より輸入農産物や輸入飼料が急増し、結果として大量の生ゴミが発生する

    ようになった (自給率の低下も招いた)。

  2.焼却や埋め立て処分で間に合わなくなってきた食品残さ (著者は意図的に 「生ゴミ」

    と呼ぶようですが) を有機質肥料として資源化し、再利用 (リサイクル) させようとして、

    「食品リサイクル法」 ができ、かつそれを 「有機農業推進法」 が後押ししている。

  3.そこで 「生ゴミ」 をどんどん  " 生あるいは未熟なままで "  田畑に投入する

    「リサイクル有機農業」がもてはやされるようになってきたが、とんでもない誤りである。

  4.家畜フン尿や生ゴミ、下水汚泥 (ヒトのし尿) を使ったたい肥の野放図な放出は、

    輸入農産物や輸入飼料、あるいは効率重視・薬剤依存の家畜を経由して、病原菌

    (薬剤耐性菌) やウィルス・原虫・カビ毒・重金属等による汚染リスクを拡大し、

    硝酸態窒素の増加や水の汚染まで招く結果となっている。

  5.このような 「リサイクル有機農業」 は環境汚染や感染症の拡大を招くものである。

    間違った 「有機神話」 を捨て、落ち葉や植物性由来のたい肥を基本とした、ただしい

    有機栽培の野菜を選択すべきである。

 

  要するに、行き過ぎた 「リサイクル有機農業」 (という農法は聞いたことがありませんが)

  に対して警鐘を鳴らしているものと理解しますが、私たちの知る限りでは、

  有機農業を実践する農家には 「家畜フン尿をどんどん土地に投入しろ」 とか

  「生ゴミを入れる」 とか 「入れれば入れるだけよい」 といった考え方は存在しません。

  まさに著者が本書の中で書いている通り、

  「たい肥作りはそんなに単純ではない (中略) 私は大事な畑に使いたくないですね

  ~~これが専業農家の一般的な、生ゴミ由来のリサイクル肥料に対する評価だ」

  は、有機農家にとっても当たり前の感覚なのです。

  

  察するに著者は、「有機農業」に対する世間の一知半解な知識のはびこりと、

  「農業現場での生ゴミ・リサイクル利用」 を推奨する風潮を批判したいあまりに、

  「有機農業=危ないモノを平気で投入する農業」 という図式を、

  無理矢理つくってしまっているように危惧します。

  著者が批判したい本当の本質は、農産物の大量輸入 (そのゴミ化→国土の富栄養化) や、

  輸入飼料と薬剤に依存した 「近代畜産」 だと理解します。

  しかし批判したいあまりに、

  現状への反省なく法律 (食品リサイクル法) までつくってゴミ問題を片づけたい行政と、

  「有機農業推進法」 をセットにして論じられてしまっていることは悲しいことです。

  有機農業推進法が目指す方向は、自給を基本とした自然循環型の農業の復権であって、

  著者が結論づけておられる 「ただしい有機栽培」 と何ら対立するものではありません。

  有機農業には、本来の健全な (自給飼料を基本とした薬剤に頼らない) 家畜生産と

  リンクした 「有畜複合」 (健全な畜産と連携した資源循環型の農業) という考え方もあり、

  そういう意味でも、著者が主張する

  「家畜フンを利用するなら薬を使っていないものを」 を常に指向してきたものです。

 

  こういう認識の混乱による批判になってしまったのも、本書で述べられているように、

  「有機農業」で語られる世界が広すぎることにも起因するのかもしれません。

  しかし出版物として世に著す以上、ただ 「たい肥を入れる農業」 といった

    表面的な認識で語るのではなく、40年以上にわたって技術進化させてきた

  有機農業運動の歴史をしっかりと見つめ直してほしかったと思わざるを得ません。

  そういう意味で、底の浅い 「告発本」 に堕してしまっていることを残念に思います。

 

「エビスダニ君。 こんな本の相手をすることはないんだよ」

という声も聞こえてきそうなのだが、冒頭で書いたとおり、

僕は生産者でも評論家でもなくて、

一人のネットワーカー (つなぎ手) でありたいと思っている以上、

こういう情報によって消費者が混乱されることには我慢ならないのである。

 

多少は想像いただけただろうか。

結局、貿易の問題も、ゴミ問題も、家畜生産の構造的矛盾も、

なんら解決策を提示することなく、

「落ち葉たい肥で作られた野菜が本物である」

というところに落ち着かれても、

あなたが提起した問題は何ら解決されることはないのである。

 

こんな本のお陰で大切な休日を奪われることは耐えられない、

とか言いながら夢中に書いているワタシ。

有機農業運動は、まだまだ稚拙なのかもしれない。

しかし、大きな視野は失ってないつもりだ。

寄生虫が増えるだとか、逆にアレルゲンが増大するとか、

いろんな論が出るたびに、もぐらたたきをしながら、僕らも鍛えられている。

グローバリズムと耐性菌の強化という、空恐ろしい時代に入ってきた中で、

有機農業が提起し、切り拓いてきた地平は、

誰も矮小化することはできないだろう。

 



2009年5月 5日

堰(せき) ‐水源を守る

 

またやってきた、この山里に。

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福島県喜多方市山都町の山間部にある早稲谷地区から本木地区にいたる集落地。

この山の中に江戸時代に掘られた水路-本木上堰がある。

その水路があることによって、集落の田に豊かな水が供給される。

毎年田植え前の5月4日には、村の人たちが 「総人足」 と呼ぶ

全戸総出での堰の掃除日となる。

しかしだんだんと高齢化が進み、その堰の維持も困難になってきたところで、

この地に入植した浅見彰宏さんが都市の仲間にボランティアを募ったところ、

年々助っ人が増えてきた、という話は前にも書いたとおりである。

 

でもって私は、スポーツ大会ふうに言えば、3年連続3回目の出場。

前日の夕方には現地に入り、前夜祭と称して、

みんな (地元の人にボランティアたち。だんだん顔馴染みになってきた) と一杯やって、

5月4日午前7時半。 普段ならとても出社できない時間に、

爽やかに (とは見えなかったと思うが) 集合する。

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僕らは本木地区から早稲谷に登る班に編成される。

堰守からの挨拶があり、いざ出発。


江戸時代に掘られたといっても、自然とのたたかいの中で幾度となく修復された堰である。 

コンクリが打たれた箇所もある。

こんな感じで積もった落ち葉や土砂をすくってゆく。

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堰は実に微妙な傾斜をもって掘られていて、

距離が長いほど集まってくる水も増え、水量が蓄えられる。

しかしその分、土砂の堆積はすぐに水道(みずみち) を遮断する。

浚(さら) ったあとに吸いついてくるように流れてくる水。

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「これで田んぼに水が来るんだから。 先祖代々守ってきた堰だから 」

そんな説明を聞かされながら、みんなでせっせと浚う。 

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楽なように思えるかもしれないが、5mも進むと息が切れる。

この水路が全長6kmにわたって続く。 

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「休み休みやんなせぇ」 と地元の人は言ってくれる。

たしかに、手の抜き方や休み方にはコツがあるように見えるのだが、

まだ3回目の自分は、ついつい力を入れては、

すぐに肩で息をしたり腰を伸ばしたりの繰り返しとなってしまう。

 

途中で眺めた、里山、棚田の風景。 山桜が美しい。

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途中にこんな標がある。 

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「総人足」 という共同作業とは別に、戸別に割り当てられた区間があるのだ。

その1区間の清掃に2,500円の手当てが支給される。

2,500円たって、一人じゃ半日では終わらないだろう距離である。

いずれこれも困難になるかもしれない。

 

なんという植物だろう。 

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ホントはきれいに取り除くべき場所だったのだが、つい残してしまった。 スミマセン。

 

総出で水路を守っても、荒れる田んぼは増えている。

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ここは2年前は耕作されていたように思うのだが・・・

今年は 「もう作らねぇな」 とのこと。

 

作業終了後、公民館前で慰労会となる。

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ビールに豚汁、そしてなぜか恒例の、冷奴1丁にサバの缶詰。

これが僕には謎なのである。

地元の人に聞いても、前からこうだ、としか教えてくれない。

同行した会津出身の大地職員が言うには、

「サバ缶は常備品です。 我が家でも常に置いてありますよ。」

そう言って、開けなかった私の分もしっかりリュックにしまったのだった。

どうやらその辺りにヒントがありそうだ。

 

水が絶えない。 水が潤沢にある。 これはとてもシアワセなことだ。

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作業の途中で出会った沢の水の美味かったこと。

この一滴を味わうだけでも、この作業に参加する意味は、ある。

 

いま世界のあちこちで、コモンズ (公共の場) としてあった水源が、

「水道事業の民営化」 の名のもとで企業に買収されていっている。

水が商品と化し、人々は多国籍企業から水を買わなければならなくなりつつある。

そこでは 「支払い能力」 のない者は、生きてゆけない。

もとより水は、企業が作ったものではない。 あんたのモノではないのだ!

水は、生き物たちの循環とともに流れる地球生態系の血液なのに、

誰も専有できるはずのない財産が、私企業の利潤を生む道具として奪われていっている。

しかも原価はタダである。 その 「ただ」 をずっとずっと支えてきたものがある。

それは誰にも渡してはいけない。 ・・・・そんなことを考えてしまう。

 

「過疎」 とか 「限界集落」 とか言われながら、見捨てられつつある場所は

貴重な水源地なんだけど、ある日気がついたら、外国資本の手の中にあった、

そんな時代が来ようとしている。

何とかしたいなぁ、ああ・・・・・ 

 

現地に到着した3日の夕方、昨年結成した 「あいづ耕人会たべらんしょ

のメンバーと、今年の野菜セットの打ち合わせを行なう。

今年は7月から9月までの3回のセット販売と、

庄右衛門インゲンや会津地ねぎを 「とくたろうさん」 企画で扱うことなどを検討する。

これも僕らなりの、ささやかなたたかいの一歩なのだった。

 

なお、この場を借りてのお知らせですが、

僕たちがせっせと飲んで貯めてきた 『種蒔人基金』 から、

今回の交流会用に 「種蒔人」 6本を差し入れしましたことを、

ご報告させていただきます。

「この酒が飲まれるたびに、森が守られ、水が守られ、田が守られ、人が育つ」

このコンセプトを呪文のように唱えつつ、

好きな酒を飲みながら、堰浚いを続けたいと思うのであります。

 



2009年5月 1日

学生たちの環境教育活動で米づくり

 

昨日は山武に行ったかと思えば、今日は香取にいる。

ここ、千葉県香取市(旧・佐原市) の多田という地区で、

佐原自然農法研究会代表の篠塚守さんは米づくりを営んでいる。

有機JASの認定農家である。

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典型的な谷津田地帯だ。

ここに今日、一人の学生さんをお連れした。

NPO法人 「太陽の会」 の事務局長・岩切勝平君。 某W大学の4年生。

小中学生を対象に自然体験型の環境教育活動を行なっていて、

今年は米づくりを体験しながらの環境教育プログラムに取り組みたいと、

当会に相談にやってきたのだった。

 

4月に入ってから相談に来られてもねぇ。

もう生産者はすっかり準備に入ってる段階だからねぇ。 厳しいな。

-などと偉そうにぶちつつ、ダメもとで篠塚さんに電話してみたところ、

快く 「分かった。 いいよ。 やらしてあげる」 と言ってくれた。

しかし・・・これから改めて苗をつくらなくっちゃね。

(面積は)どれくらい? 何人来るの? -具体的なプランはこれからである。

 

そこで 「とにかく会いに行こう」 ということになった。


周りではもう田植えが始まっているなかで、

篠塚さんは 「まあ、ウチはまだこれから」 と泰然としている。

こういう人でないと、こんな急な話には乗ってくれないか。

地元の子どもたちに教えたりしてきた経験もある。

2002年に横浜市内の小学校で総合学習を引き受けた時は、

篠塚さんや仲間のメンバー、それに奥様方にも色々と手伝ってもらったし、

今年の東京集会でもお世話になった。 いつも無理言ってスミマセン。

 

用意していただいたヨモギ餅を二人で遠慮なく頬張りながら、 

トントンと話を詰めていく。

これから苗をつくって、田植えは5月31日とする。

草取り作業と稲刈りまでのスケジュールや段取りの確認。

2回目の草取りイベントでは、泊りがけでの自然体験ツアーを組みたい意向。

これはもうちょっと時間をかけて検討することとする。

そして案内していただいたのが、上の写真左手前の田んぼ。 5アールくらいか。

「ここがいいと思うんだけどな。 どうだい?」

耕起してある。 すでに田植えの予定を組んでいた場所だ。

篠塚さんは、若者や子どもたちのためだと思うと面倒を厭わない。

ありがたい話である。

「ここでやらせてください」 と岩切君も腹を決める。

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いろいろと詳細を確認する二人。

オレも、手前どもの 「稲作体験」 の今年の規模を考えると、

人の世話やっている場合じゃないんだけど、

生産者が無理をきいてくれたお陰で、セッティングできた話である。

できる限りのフォローをしなければいけない、と思う。

 

ちなみに 「太陽の会」 というのは、歴史のある団体で、

設立は1975年に遡る。 大地を守る会と一緒である。

設立者は、音楽家の北村得夫氏。

氏は太平洋戦争末期、人間魚雷の訓練中に広島での救済活動にあたり、その際、

被爆した子どもたちと 「絶対に平和な社会をつくる」 という約束を交わした。

その約束を果たすために、世界共通言語である音楽やマンガを通じて、

子どもたちへの平和教育活動を始めたのだという。

北村氏と交流のあった方々には、手塚治虫さん、石ノ森正太郎さん、やなせたかしさん

といった漫画家の名前があり、また幸田シャーミンさん、オノ・ヨーコさん、北野大さん、

政治家の海部俊樹さん、橋本龍太郎さんなども協力している。

シンボルマークは岡村太郎さんの作。

現在の会長は三木睦子さん (三木武夫元首相夫人) という、

超ビッグネーム・オンパレードの、どえりゃあ会なのである。

 

北村氏が病気になられた2006年に、

学生中心で運営するNPO法人として再出発した、とのこと。

ま、先達の名前はかなり重たいけど、歴史は歴史として、

学生ならではの活動を展開していってもらいたい、と思う。

こちらもできる範囲でのお手伝いはさせていただきましょう。 これも何かの縁なんで。

 

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つい先日(4月29日) 谷津田の話を書いたけど、こんな感じ。

向こう側は耕作が放棄され、荒れてきている。

一所懸命切り拓いた土地が、いつのまにか 「やっても割が合わない」 土地になって、

生き物との繋がりもだんだんと途絶えていって、

いつかヒトの記憶からも消えてしまうのだろうか。

そのとき、僕らはどんな暮らしをしているのだろう・・・

 

篠塚さんはきっと、子どもたちに見せたいのだ。 篠塚さんの記憶を。

 

≪ 注 ≫

「太陽の会」 という団体名はいろんな分野であるようですが、

いかなる政治・宗教団体とも関係ない、とのことです。 HPは -ないようです。

 



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