2009年8月21日

「地元資源を見直そう」-後継者会議。

 

島根県浜田市弥栄 (やさか) 町。 旧・弥栄村。

広島県との県境にある、標高400から600mの典型的な山間地の村である。

e09082105.JPG

8月20日、この村に、全国から若手生産者、次世代のリーダーたちが集まった。

「第7回 全国農業後継者会議」。

 

萩・石見空港からは約1時間の道のりだが、日に1便しかなく、

我々は広島からバスをチャーターし、2時間かけて現地に向かった。 

 

e09082104.JPG

会場となった 『 弥栄ふるさと体験村 ふるさと交流館 』 。

参加者55名。

 

e09082102.JPG

 

昨年は山形の庄内で開かれたこの会議で、来年の開催地として立候補したのが、

今回の受け入れ幹事団体、「やさか共同農場」 だった。

 

挨拶する佐藤大輔さん、28歳。 

e09082101.JPG

「いやあ、立候補したのはいいんですが、

こんな山奥に本当にみんな来てくれるのか、不安で一杯でした。」

 


みんな律儀なのである。

いや、それよりも、年に一度は会いたい仲間なのだ。

「オッス」 「やあ、元気だった?」

「〇〇ちゃんはどうしたの?」 「あいつは今日は〇〇作業で来れなくって...」

「今年 (の作物の出来) どうよ?」 「いやあ、厳しいなぁ」

・・・・とかいった会話が交わされる。

北海道から沖縄まで、全国に有機農業の友だちがいる。

忙しいけど、金もかかるけど、やっぱ行かなくちゃ、ってわけだ。

 

島根での開催ということで、有機農業運動の先達にご挨拶をお願いした。

出雲にある木次乳業元社長で、今は相談役の佐藤忠吉さん、90歳。

e09082103.JPG

1960年から、自然と共生する酪農と有機農業を実践してきた先駆者中の先駆者。

つねに農水省と反対のことをやってきた、と笑う。

「私の人生は失敗の連続でした。 戦争、災害、病気、ありとあらゆる艱苦を経験しました。

 しかし、だから今日がある。 いまも新しい発見だらけで、死ぬまで勉強ですな。」

聞いたか、若者。

農民の責任とプライドをかけて、ひたすら安全な食べものを作ろうと思ってやってきた。

いまも牛乳を配達するトラックのボディには

「赤ちゃんには母乳を」 のメッセージが掲げられている。

 

国の方針にいつも逆らってきたもんだから、警察の見張りまでついたとか。

「ウチとやさかさんには公安がついてくれとったです。」

 

やさか共同農場は現在こそ有限会社として法人化されているが、

大輔くんのお父さん、隆さん (やさか共同農場代表) ら4名が

弥栄村に入村したのは、1972年である。

学生運動がやや下火になりつつある時代、町からやってきた若者たちが、

コミューン (共同体) と称して休耕田を耕し、有機農業を始めた。

やっぱ相当に危険視されたことだろう。

共同体のそばに公安刑事のための小屋まで建てられたとか。

今では一緒に酒を飲むこともある、と隆さんは笑っている。

 

やさか共同農場の経営の柱、みそ製造所や畑を見学する一行。

e09082106.JPG

 

説明する堀江恵祐さん。 弥栄に来て20年以上になる。 

e09082107.JPG

隆さんたち先輩が、地元のおばあちゃんたちと一緒に、教えてもらいながら

つくってきた 「やさか味噌」。

今では年間250トンの味噌を仕込む。 原料大豆はすべて島根県産。

ざっくりと計算して60~80トンの県内の大豆を引き受けている勘定だ。

地元の産業を牽引する立派な食品加工メーカーに成長した。

 

今回の記念講演は、「農村の資源を宝に変えるコツとは?」。

講師は、「NPO法人 えがおつなげて」 代表の曽根原久司さん。

e09082108.JPG

山梨県北杜市を拠点に、都市と農村の交流事業を幅広く展開している。

農村ボランティアを募り、遊休農地を開墾し、地域の担い手を育成する。

企業との連携も積極的に仕掛け、新たな仕事 (商品) づくり、村づくり、人づくり、

そして環境再生へとつながっていく。

限界集落といわれるような農村には、宝物がいっぱいある。

日本の農村はいま、戦後最大のチャンスを迎えている、が曽根原さんの持論である。

 

曽根原さんは元金融機関の経営コンサルタントであったが、

バブル崩壊後の日本の行く末に危機感を感じて、農村の再生という仕事にチャレンジした。

夫婦で体をこわしたのも動機のひとつだったようだが、大地の食材で健康を取り戻したという。

「子どもは無理だろうと医者に言われましたが、今では3人の子どもがおります。」

こういう話も若者たちには聞いて欲しいところだ。

君たちのお父さん、お母さんは偉いのだ。

 

夜は古民家で宴会。 遅くまで飲みながら情報交換し、大いに議論する。

そして二日目は、曽根原さんのリードでワークショップ。

e09082109.JPG

各出身地域別に6班に分かれて、

各テーブルごとに、自分たちの地域にある資源を書き出す。

環境とか海とか抽象的・大雑把なものでなく、特産品名とか棚田とか、具体的に書く。

次に都市 (消費者) のニーズを思いつくだけ書いてゆく。

そして、資源とニーズを一つ選んで、ビジネスモデルを考案する、という展開。

出てきた案はこんな感じ。

・荒れつつある山武杉を使って木製家具をつくる。

・草刈しながらマムシ捕獲ツアー。

・ねぷた祭りを自分でつくる浅虫温泉癒しの旅。

 などなど。

e09082110.JPG

僕が参加した中国・四国チームで考案したのは、ミカンの木のオーナー制度。

一本=2万円/年。 毎年80~100㎏のミカンが届く。

子どもが生まれたら植える記念樹としてもOK。 お孫さんへのプレゼントにいかが?

普段の管理は農家がやるが、いつでも作業に来れる。 来れば農家民泊でタダ。 

夜は自慢の星空観察もあり。

 

まあ遊び半分のゲームだけれど、それぞれに自分たちの村の資源を再発見する

機会になったことと思う。 そう、俺たちの地域は資源に満ち満ちているのだ。

 

面白おかしく発表する若者たち。

e09082111.JPG

地域の資源を捉え直す。

これはきっと彼らにとっても刺激的だったのだろう。 

二日酔いをもろともせず、なかなかやる。

 

解散式。

e09082112.JPG

最後まで生き生きと闊達な連中。

来年の開催地は・・・・・なんと沖縄・宮古島から手が上がった。

行くしかないぞ、みんな。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ