2009年8月28日
地域資源
閑話休題。
24日から一週間の休暇を頂戴し、2年ぶりに南四国に帰省してきました。
2年前は、ちょっと感傷的な日記を書いてしまったので、
今回はちょっと自慢げに、きれいな南の風景をお届けしたい。 お許しを。
こんなリアス式海岸の地形。
海と山がくっついていて、入江々々に漁村集落が固まってある。
これだけは子どもの頃から変わらぬ風景です。
30年以上も前、高橋和巳という作家がこの地を訪ね、その随筆の中で、
「 ひと口に言えば、豊かな停滞、楽観的非発展性」 と評したけど、
人々は今も見事に、過疎と停滞を嘆きながら、何をするでもなく安住している。
身近な金銭的利益ではけっこうセコく争ったりもしながら。
外は太平洋。
僕はいつも海を眺めながら、水平線の向こうに憧れる少年でした。
山の所々に、誰が植えたのか、椰子や蘇鉄が茂っている。
ここは生物的には熱帯の北限でもあって、これも昔々の話、
ある野心家がパイナップル栽培に挑戦して失敗したという話も残っています。
そんな地域で、先日の後継者会議の余韻を引きずりながら、
資源とニーズをマッチングさせるマップづくりを頭の中で描いたりしたのでした。
「地元学」 で言うところの、" ないものねだりから、あるもの探しへ " 。
たしかに資源も探せば色々と浮かんではくるが、
どれも海と山からの贈り物ばっかり。
漁村留学と称して、都会から子どもたちを受け入れて有名になった地区もある。
こんな風景をボーッと見て、磯で遊ぶだけでも、癒しになる?
2年前も紹介した、僕がひそかに狙っている無人島。
後継者会議のワークショップで僕が出したカードは、
なんてことはない、あれ以来ずっと温めているものだ。
資源=無人島、ニーズ=生きるための基本技術の習得。
そこで、この島を拠点に 『 未来に生きる、サバイバル塾 』 。
ダメでしょうか。
日和の良い日に、この縁台に腰かけて海を眺めている年寄りたちも、
実はすっごい技を持っていたりするのを、僕は知っている。
ボケている暇などなくさせてやりたいものだ。
医療費のかかる厄介者なんかでなく、稼ぎ手に。 しかも楽しく、若者たちに尊敬されながら。
漁が年々細くなる、魚がおらんようになった、と嘆く漁師たち。
僕が今年言えたのは、「海の底は見てるか?」 だけだった。
でもね、誰も見ていないのですよ。 この海の底で何が進行しているのかを。
今の時代、資源は 「守る意思」 がないと守れない。
海の美しい、豊かに見える漁村でも、その再生産力と持続可能性は、
静かに、そして確実に、痩せていってる。
都市のニーズをつかむとか言う前に、
自分たちの暮らしの原資を見つめ直す、大人向けの発見講座が必要か。
子どもたちには、どんどん海に潜らせて、アワビでもウニでも採らせればいいのに。
こんな看板が立っていた。
アカテガニが希少種になりつつあるようなのだ。
僕が子供の頃は、バケツ一杯になるまで取る競争をしていたものだが・・・・・
産業からも見放された漁村で、生きものたちが撤退していってるなんて。
くそ! 寂しすぎる、今回も。