2009年10月アーカイブ

2009年10月31日

東京レモン! の誕生。

 

レモンの花を生で見た日本人は少ないと思う。 ましてや東京では。

その東京都下の、とある場所で、レモンの花が咲いた。 

e09103111.JPG

 

そこは小金井。 周囲をすっかり住宅に囲まれてしまっている

東京有機クラブ代表・阪本吉五郎家の、畑の一角。

ここに阪本さんは、3年前に100本のレモンの木を植えた。

15本くらいは病気などでやられたようだが、残りは逞しく育って、ついに実を成らせた。

e09103109.JPG

 

立派にレモンである。 

e09103110.JPG

この段階で採れば、グリーンレモン。

熟すと黄色に、大正の作家・梶井基次郎ふうにいうと 「レモンエロウ」 の檸檬になる。

農薬は一切使っていない。

阪本家命名 - 「東京レモン」 の誕生!である。

 


ことの発端は、大地を守る会直営の和食居酒屋 「山藤」 の前田寿和支配人が、

山藤オリジナル用にわずかでよいので、レモンを無農薬で作ってくれないか、

と持ちかけたことによるのだと、前田が自慢げに語る。

しかし 「ああ、面白いね。 植えてやるよ」 と言って100本も植えちまったのは、

阪本吉五郎・啓一父子の、冒険心と、東京農民の意地の表現のようなものであった

ことは間違いないと、僕は勝手に推測するのである。

 

去年6月の 「紫陽花鑑賞会」 の際に紹介した苗木が、果実を成らせた。

山藤は一日でも早く欲しいところだろうが、「東京レモン」 初出荷にあたってはやっぱ、

ささやかでも儀式が必要だということで、関係者で収穫祝いをやることになった。

「最初の鋏(ハサミ) は、藤田会長に入れてもらわないと」 と言うあたりが、

任侠の人・阪本吉五郎である。

 

会長も喜んで参上し、嬉しげに鋏を入れる。

e09103107.JPG

満足そうな吉五郎さん。

 

「エビ! 俺が最初に切った、東京のレモンだぞ!」

e09103112.JPG

ハイハイ。 記念に一枚、撮っときましょうね。

 

「山藤」 総料理長、梅田鉄哉もこの日を待ってましたと参加。

しかも 「私がいなくちゃ、祝いは始まらないでしょ。」 

その通りです。 ありがとうございます。

e09103114.JPG

 

啓一さん(写真左) も、 「どうだい!」 の表情である。 

e09103115.JPG

この木を世話するのに、どれだけの手をかけたのか、気を配ったのか、

僕には分からない。 阪本さんもニコニコして、当たり前のことは語らない。

栽培記録に記された事実を読むことはできても、

行間を読める人間になるには、まだ時間がかかる。

 

「俺も撮ってくれよ」 -は、長谷川満取締役。

e09103113.JPG

近々、東京農業大学で、都市農業の未来について講演する予定になっている。

格好のネタができた、と顔に書いてある。

しかも部下の市川に 「パワーポイント (講演用スライド) で」 とまで指示している。

 

俺が捥いだレモンだ。 撮れ。 

e09103101.JPG

今日の会長は、やけに写真を要求する。

撮るのはいいけど、あとで送らないと機嫌が悪くなるし、面倒なんですけど・・・。

 

さて、レモンの試食会と相成る。

梅さんが最初に出してくれたのが、北海道・厚岸の牡蠣。

e09103118.JPG

若いレモンは、口の中で酸味がはじける勢いがあって、いやいや、

やり場のないエネルギーに振り回されていた青春時代を思い起こさせるよ。

自然のミネラルの力で奥深く苦味を包ませた牡蠣との調和が、

いのちをいただく 「食」 というものの真髄を、シンプルに伝えてくる。

牡蠣という貝を開いて、この珍妙な形の肉を初めて食ったヒト、

それに柑橘の汁を垂らして食った最初のヒトに、感謝したい。

食の文化は長~いDNAの鎖でつながれているんだ、きっと。

食通家のようにうまく表現できないけど。

 

焦燥とデカダンス(頽廃) に喘ぎながら夭逝した若き基次郎にとって檸檬は、

灰色ベースのカンバスに置いてみた一点のレモンエロウだったのだろうが、

俗人は思う。 病気だから仕方ないとはいえ、君はもっと長く生きるべきだった。

基次郎は緑の檸檬の味を知らないで、逝った。

 

梅さんが、友人の職人に頼んだチーズケーキが用意されていた。 

e09103103.JPG

捥ぎたてのレモンの一片を添え、阪本さんに捧げる。

 

ケーキの箱には手づくりの帯が巻かれてあった。

e09103104.JPG

阪本吉五郎、78歳。 農業人生 「最後の挑戦」 だと書かれている。

「最後」 って、ちょっとねぇ、失礼じゃないか? まだ当分くたばりそうにないぞ。

 

見ろよ、この笑顔。

e09103102.JPG

 

最後は、ただの宴会。 

e09103116.JPG

 

阪本吉五郎が語る昭和の武蔵野の歴史は、聞き取っておく価値があると思った。 

e09103117.JPG

「みんなさ、土地がいっぱいあっていいですねっていうけどね。 欲しけりゃくれてやるよ。

 葉物を一生懸命作って大地に売ったって、みんな固定資産税で持ってかれてんだよ。

 相続でも物納するしかないから、ひっきょう東京に農地はなくなるな。

 これでいいのか、って聞きたいねぇ。」 ・・・誰に問いかけているのか。

 

吉五郎・啓一のレモンは、メッセージなのだ。

e09103105.JPG

 

なお念のために、宅配会員の皆様へ。

このレモンは宅配でご注文を受けられるだけの量はなく、もしご賞味を希望される場合は、

大地を守る会直営店、「山藤」 か 「カフェ・ツチオーネ 自由が丘店」 までお越しの上、

「阪本さんのレモン入ってる?」 とお尋ねください。

「エビちゃんブログを見た」 と言われた方への特典は、特にありません。

いや待て。 ・・・レモン1個なら自腹切ってもいい。 交渉してみよう。

 



2009年10月30日

繊細なる野菜 - レタスを学ぶ

 

レタスはとっても難しい野菜である。

繊細で、傷つきやすく、わずかな温度や湿度の変化にも敏感に反応する、

まるで箱入り娘のような野菜。

 

レタスを語るとき、よく引き合いに出される作品に、

ジョン・スタインベックの 『エデンの東』 がある。

小説よりも、ジェームス・ディーンが演じた映画のほうが有名な気がするのは、

自分が原作を読んでないからか。 あの映画で、

収穫されたレタスを氷で冷やしながら貨車で東部に運ぶシーンが出てくる。

これがうまくいったらボロ儲けの算段だったのだが、途中で貨車が止まってしまい、

扉を開けたら水が流れ落ちてきて、男が中のレタスを取り出して、一瞥するや投げ捨てた。

レタスに負けないくらいにナイーヴな青年を演じたジェームス・ディーンが、

「 レタスで失敗した親父の借金 (と自分への信頼) を取り戻したいんだ 」 

と新たな事業に挑戦する。

原作は1952年。 その頃からすでにレタスの長距離輸送は、

事業家 (アメリカの農園主は事業家である) の野心を掻き立てるテーマだったのだ。

 

そんなレタスの品質保持について勉強しようと、

昨日から30名強の生産者が長野県南佐久郡南牧村に集合した。 

e09103001.JPG

レタスの品質保持は、今もって我々の重大テーマのひとつである。

流通過程で傷みが広がるのを防ぐために、生産現場で考え得る対策はないか。

そのために発生の原因や対策技術を検証してみよう。

また流通で考えるべきことについても話し合いたい。

会議の表題は 「レタス・キャベツ生産者会議」 だったのだが、

そんなわけで (?)、会議の時間はほとんどレタスの話に費やされてしまった。

 


今回の幹事を務めてくれた地元生産者、有坂広司 (ひろし) さん。

e09103002.JPG

理論家で研究を怠らない、ちょっと怖い人。

「まあ、生産者だけでなく、大地にもちぃっと勉強してもらわんと・・・・」

僕らはこういう人に支えられている。

 

講演にお呼びしたのは、長野県野菜花き試験場研究員の小木曽秀紀さん。

e09103003.JPG

レタスの病害の様々なケースに対して、単純に農薬に頼るのではなく、

IPM (総合的病害虫管理) の考え方に沿って対策を講じる研究を重ねてきた。

IPMの定義を要約すれば、こんな感じ。

 - 利用可能なすべての防除技術を、経済性を考慮しつつ慎重に検討し、

      病害虫・雑草の発生増加を抑えるための適切な手段を総合的に講じる技術。

  - これらを通じ、人の健康に対するリスクと環境への負荷を最小限にとどめる。

  - また農業による生態系が有する病害虫および雑草抑制効果を可能な限り活用する

   ことにより、生態系のかく乱を可能な限り抑制し、

      安全な農作物の安定生産に資する技術・考え方の総称である。

ここでは農薬の使用をまったく否定するわけではないので、有機農業とは立ち位置

は異なるが、できるだけ自然の力を活用しようとする技術は、吸収しておこう。

 

農薬を削減するための技術は様々にある。

輪作の導入や緑肥作物の活用、肥培管理、土壌の物理性の改善といった耕種的防除、

熱水による土壌消毒といった物理的防除、

病原菌の繁殖を抑える力を持った植物や虫・微生物などを活用する生物的防除、などなど。

有機農業はそれらを総合的に捉え体系化する未来創造型の農業だと、僕は位置づけている。

 

ここで小木曽氏は、いま農家の頭を悩ましているレタス腐敗病に対して、

健全なレタスの葉から、病原菌を抑える力を持った微生物を発見して、

実用化 (これも防除目的である以上、「農薬」 として登録される)

した 「ベジキーパー水和剤」 を事例として、その特徴や利用方法などについて報告された。

 

次にもう一人ゲストとしてお呼びしたのは、タキイ種苗塩尻試験農場の石田了さん。

いろんなレタスの品種を開発してきた種屋さんである。

e09103014.JPG

品種ごとの特性や栽培上の留意点などが解説された。

レタスとひと言で言うが、ずいぶんと品種があるものだ。

適切な品種選択も重要なポイントなのであった。

生産者の間でひそひそと情報交換が活発になるのは、こういう話題の時だね。

 

お二人のゲストを相手に、質疑応答も活発に行なわれた。

司会を務めた農産グループ有機農業推進室の古谷隆司が、あれやこれやと

流通過程でレタスに表われてくる症状と原因について聞くも、

答えはだいたい 「そうとは言い切れない。 見てみないと分からないですね。」

表面に現れる症状の原因はひとつではないし、似たる現象も実は異なるものだったりする。

「ウ~ン」 と唸りつつ、推論を絞り込んでいく。

要するに特効薬はひとつではないのだ。

 

レタスの大産地・川上村の生産者、高見沢勉さんにお願いして、

川上村でのレタスとのたたかいの歴史を語っていただいた。

e09103013.JPG

レタスが日本に入ってきたのは明治初年だが、生産が一気に増えたのは、

戦後の進駐軍用の特需からだった。

その後、食生活の洋風化とともに大幅に消費量が伸びてゆく。

長野の高原地帯は、冷涼な気候がレタス栽培に合って、生産の増加とともに

出荷・保管・流通技術の進化を牽引してきた。

氷詰めでの輸送に挑戦したカリフォルニアの歴史は生かされている。

その一方で、夏季の3ヶ月で1年分を稼ぐような凄まじい生産構造となって、

深夜の0時過ぎから投光器を照らして収穫作業が行なわれるようになった。

日の出までに収穫し、切り口を洗い、しっかりと予冷させ冷蔵車で運ぶ。

また 「レタス産地」 とは、病気と対策のイタチごっこに苦しんできた歴史も抱えている。

レタス御殿が並ぶと言われる地帯でも、そこはけっしてエデンの園ではないのだ。

 

高見沢さんの話で一番こたえたのは、「レタスの収穫適期は一日」 という言葉だった。

一番良い時に収穫したい。 それは生産者なら当然のことだろう。

しかし、そこが会員制の宅配では、なかなかうまくいかない。

会員からの注文、しかも毎日続くオーダーに応じて出荷してもらうために、

" 採り遅れ "  という事態が発生することがある。

しかもいくつもの産地のリレーでつないでいると、出荷を待ってもらったり、

数の調整をしたり、というのが日々の物流の実情である。

雨でも出荷をお願いする時もある。

互いの事情を理解しあう、ではすまない問題が横たわっていて、

販売力の強化、販売チャンネルの複数化 (による調整能力の強化)、

会員に伝える情報の的確さ・・・・・

などなど話は深夜まで続き、延々と複雑化してゆくのだった。

勉強にはなったけど、悩みは尽きない。

 

で、明けて今日は朝から有坂さんの畑を回る。

e09103004.JPG

レタスは終わって、畑にあるのは白菜。

 

広司さんの風貌は、TVドラマに出てくるベテラン刑事みたいだね。

e09103005.JPG

このデカ長、栽培技術に関しては、相当に執念深い。

 

黄葉したカラマツが二日酔いの目を癒してくれる。 

e09103006.JPG

 

広司さんの息子さんの、泰志さん。

e09103007.JPG

親父譲りの理論派である。 

 

最後まで残った人で、八ヶ岳連峰をバックに記念撮影。

e09103008.JPG

がんばろう! レタス!

 

深まりゆく秋、の長野でした。

e09103009.JPG

 



2009年10月25日

「病気」 の週末

 

朝起きたら、頭が痛い。 割れんばかりに、ってほどではないけど。

二日酔い? 違う。 二日酔いの症状なら、骨身に染みて分かっている。

夕べの量では、こうはならない。

どことなく間接がだるく、微熱がある感じ。 風邪の初期症状に似ている。

もしかして・・・最近流行りの新型・・・・・

ここは大事を取ったほうがいいかもしれない、と思って職員の U に電話を入れる。

「悪いけど、今日はパスさせてほしい」

頭痛だけだと疑われるかもしれないが、最近、「微熱」 の威力はとみにスゴい。

「来なくてよい」 の返事である。 


 

以上は、昨日の話。 

実はこの土・日は職員の合宿が予定されていて ( U はその幹事)、

業務と事情のある者以外は基本的に参加が鉄則である。

僕も20数年間、仕事以外で合宿を欠席したことはない。

しかし、この時期の 「微熱」 はシャレにならないよね。

合宿でインフル●●●を撒き散らしたとあれば、クビではすまない重労働が待っている。

 

観念して、ひたすら寝ることにした。

今回の合宿地は、静岡県函南町。 大地牛乳のふるさと・丹那で、

ああ今頃、奴らは丹那断層や紅葉の山道を散策しているのだろうか、

そろそろ生産者と一緒にバーベキューが始まっているのだろうか、

とか想像しながら眠ったのだったが、

午後2時頃にもなると寝ようにも眠れず、ふと気がつけば、

頭痛が治まってきているではないか。。。??? 熱も下がっている。 

オイオイ、これじゃ仮病か、突発性出社拒否症 (という症状が正式に認められているか

どうかは知らないが、世の中にはたしかに存在する) だと思われてしまうよ。

 

しょうがないので会社に出て (こっちのほうが病気か?)、

多少の仕事をやっつけ、お陰で溜まっていた二日間の日記もアップできたのだった。

 

そんでもって、地球大学の日記をアップして、反省モードに入っている。

話の中で、日本は 「水の料理」 文化だというスライドを入れた。 

これは私の言葉ではなく、高名な料理家の話から頂戴したものだ。

日本の料理は、蒸す、煮る、炊く。 要するに油を使わない。

日本の 「食」 は水との付き合いです、というような話だった。

 

その根幹こそ、ご飯だろう。

そして油の消費を減らせれば、自ずと自給率は上がるのである。

自給率を下げている大きな要因に畜産 (の餌) と油脂があり、

日本食を見直すだけで、自給率は健全な方向に向かうはずだ。

かといって、ご飯をもうひと口食べれば1%上がる、という論に僕は与しない。

米で上げたいのなら、消費者に要求する前に、ミニマムアクセスを問題にしたい。

 

地球大学で出された料理は、蒸し料理だった。

島村奈津さんの語ったスローフードの世界を思った場合、

日本では 「水との付き合い」 こそキーワードになるだろう。

田んぼの多様性や日本列島に張り巡らされた水路の偉大さなんかも偉そうに喋ったが、

そうか。 もっと豊かで、リアリティのあるセッションに膨らませることができたんだよな・・・

そんなふうに考え始めると、またしても後頭部が熱くなってくる。

 

若い頃に読んだ 『パパラギ』 って本にあったな。

南の島の酋長が、日本人を観察して、言った。

   - 彼らは、考えるという重い病気にかかっている。

 

どうせなら、ちゃんと風邪を引いてくれた方がありがたかった、と思う日曜日である。

 



2009年10月20日

地球大学アドバンス -日本の 「食」 をどうするか?

 

東京駅前・新丸ビル10階、ECOZZERIA (エコッツェリア)

 

e09021101.JPG

大手町・丸の内・有楽町一帯を環境共生型のまちにしょうという

「大丸有環境共生型まちづくり推進協会」 の事務局が設置されていて、

環境に関する様々な情報を発信する基地として、またエコを創造していく 「広場」 として、

開設されている。

 

大地を守る会とは20年以上のお付き合いである文化人類学者・竹村真一さんは、

エコッツェリアのコンテンツ・プロデューサーとして参画している。

彼が開発した 「触れる地球」 も常設されている。 

e09021102.JPG 

この実際の1,000万分の1サイズのデジタル地球儀は、

2005年にグッドデザイン賞を受賞したものだが、デザインという範疇を遥かに超えた、

新しい現代的な想像力を刺激する偉大な 「発明」 である。

地球の気象や環境変化の様子が、インターネット情報をもとに

リアルタイムで映し出されるという、壮大な可能性を秘めたものだ。

全国の学校にひとつ、あるといい。 

 

さて、ここで月に一回のペースで開催されている 「地球大学アドバンス」 。

毎回いろんな角度から地球的課題が取り上げられてきた。

23回目となった昨夜のテーマは、

『 日本の 「食」 をどうするか? - 「地球食」 のデザイン、日本食の可能性 』 。

 


 

ゲストは、スローフード・ムーブメントを日本にもたらした

ノンフィクション作家・島村奈津さんと私。

 

話は、竹村さんからの論点整理を導入部として、

戎谷が約40分 (30分と言われていたのだが) 話をさせていただき、

それらを受けて、竹村さんと島村さんがトークを展開して全体質疑へ、

という流れで進められた。

e09101901.JPG

( ポジションが悪く(?) て写真は取れず。

 上の写真は島村さんのご友人である中村哲さんから提供を受けたもの。)

 

自分が話した内容をつらつら語るのは恥ずかしいが、

今の 「食」 をめぐる社会状況や自給率の問題、その背景としての

農業・食料政策の変遷とグローバリゼーションの問題、

そしてそれらの結果としての農業の公益的機能や生物多様性の脆弱化は、

私たちの 「食」 = 生存条件をきわめて危ういものにしてきていること。

私たちは、何を食べるかによって何とつながるか、の重大な選択を迫られている、

というよな話を偉そうに早口でまくしたてたのだった。

 

かたや島村奈津さんはソフトでフランクな語り口が魅力的な方で、

各地のスローフードの先進事例を紹介しながら、

特にアジアの多様性と食文化の豊かさについて強調された。

 

質問はけっこう多岐にわたって、ここに集う人たちの幅の広さ

(研究者から企業の方、自治体の方、地域開発や環境教育のNPO、学生などなど) と、

バラエティに富んだ問題意識は、僕にとっても刺激的なものだった。

 

時間を相当に延長して、最後はスローな食事で懇親会。

e09102002.JPG

 

e09102003.JPG

新丸ビル7階にある 「MUSMUS (ムスムス)」 という蒸し料理レストランからの提供。

今日は秋田の食材でまとめた、とのこと。

旨い酒も用意されて嬉しかったのだが、いろんな人につかまって、

話しているうちにお開きとなってしまった。

でもそれだけたくさんの方から質問やら意見をいただけたのだから、満足すべし。

 

2年ぶりの地球大学からのお声がかりで、

用意したパワーポイントはこれまでのつぎはぎのようなものだったけど、

ま、ちょこっとは進化した部分をお見せできたのではないかと思っている。

 



2009年10月18日

種まき大作戦 -『土と平和の祭典2009』

 

東京・日比谷公園は、良い天気に恵まれた。

『大地に感謝する収穫祭 -土と平和の祭典-』 の開催。

半農半歌手・Yae ちゃんが実行委員長を努める 「種まき大作戦」 のイベントである。

E09101812.JPG

謳う Yae 。 もう2児の母である。

 

  今、世の中には、将来に不安を抱え、仕事もできず、どうしたらいいのかわからない

  若者が増えている。 でもその反面、確かな目的を持って、元気いっぱいに突き進む

  若者たちが急増している。 本当の豊かさとは? 幸せとは何か? 

  自分にとって無駄なものをそぎ落としていったところに満たされるという価値が存在すること。

  「楽しくなければ人生じゃない」 と言った父の言葉は、今輝きを帯びて、

  私たちの心に語りかけてくる。

 

お父さん (藤本敏夫さん/大地を守る会前会長) の志を受け止め、

歌いながら鴨川自然王国で農を実践する、まったく強き女性になった。

 

こちら 「種まきファーマーズ・マーケット」 の風景。

E09101801.JPG

 

大地を守る会も祭典に参加。

E09101802.JPG 

青森・新農業研究会のリンゴ、長崎有機農業研究会のミカン、

沖縄・畑人村の無農薬バナナ、関東各地からの無農薬野菜などをブースに並べ、

生の人参試食やリンゴジュースの試飲でPRする。 


 

E09101803.JPG

千葉・さんぶ野菜ネットワークもブースの一角に陣取って、

野菜ミックスジュースの販売で協力してくれた。

 

E09101805.JPG 

 

埼玉から応援に来てくれたのは、本庄の瀬山公一くんとゆみさん夫妻。 

E09101804.JPG

「借金知らず」 とかいう品種の枝豆を茹でて持参してくれた。

「大地さんに食べてもらおうと思って・・・・・」  -クゥッ!...ありがとう、グスン。

美味しかったよ。

 

今回、大地を守る会ブースを華やかにしてくれたのが、

タレントやモデルさんたちで結成された 「メルマガ農業部」 の方々。 

E09101808.JPG

山武の畑で農業を実践するニューウェーブの芸能人たちだ。

手前の方が MEGUMI さん。 母になって食べものの安全性に目覚めたとか。

真ん中の麗しき娘さんが、モデルの KANA さん。

後ろにいる鈴木克法!(山武の生産者です)  鼻の下が伸びてないかぁ。

さんぶ野菜ネットワーク事務局の花見博州(写真左) も、

心持ち、いつもより気合いが入っているような・・・。

 

この少女もタレントさんだとか。

E09101809.JPG

たしかに、ジュース販売では一番の稼ぎ手だったような気がする。

「お願いしま~す」 なんて元気よく声出して。 僕も思わず買っちゃう!

 

こちらもタレントの愛川ゆず季さん。

E09101810.JPG

 

別世界の方々だと思っていたモデルさんやアイドルさんたちが、

畑仕事に精を出し、野菜を売る。 この現象は何なんだ?

農家のこせがれ諸君! 農業はカッコいい!んだって。 本気でつかむか、時代を。

 

彼女たちがデザインした麦わら帽子はすぐに売れちゃったようだ。

これは軍手。

e09101816.JPG

なんだか使うのがもったいないようなデザイン。

フィットしたので僕もひとつ、買ってしまう。

 

トークステージでは、「列島縦断農家トーク」 が行なわれていた。

E09101807.JPG

ゆっくりとは聞けなかったけど、

秋田・花咲農園の戸澤藤彦、山形・庄内協同ファームの富樫俊悦、

千葉・さんぶ野菜ネットワークの鈴木克法、愛媛・無茶々園の宇都宮俊文、

長崎有機農業研究会の溝田督史・・・いずれも有機農業の次代を担う面々。

それぞれに農業にかける思いや消費者へのメッセージを語っていた。

若者らしく、軽~い辛口批評も交えながら。

 

全国有機農業推進協議会が用意した就農相談コーナー。 

E09101813.JPG

 

けっこうな手ごたえだったようだ。

イベントの終盤、慰問に覗いた私に、" ちょうど良い客 "  が来てしまった。

「農家を継ぐだけじゃなくて、自分で会社を興して " 売り "  もやりたいんっすよね」

とかのたまう若者登場。

担当者 - 「そんな相談には乗れないわ。 この人に聞いて」 と俺に指を指す。

E09101814.JPG

若者相手に偉そうにブっているエビがいた。

 

今回は全体を見て回る時間が持てなかったが、かなりな人が入った模様である。

噴水広場のビッグ・ステージ前の芝生は、後ろの方まで全体に人が入っていて、

くつろぎながらステージの音楽を楽しんでいた。

E09101811.JPG 

 

e09101806.JPG

 

このあと、Yaeちゃんの母、加藤登紀子さんも登場したようだが、お会いできなかった。

昔、お登紀さんちに配達してたなんていっても、もう覚えてないだろうなぁ。

雪の日に飯を食わしてもらった 記憶 は、僕の原点のように刻まれているのだけど。

 

あれから20数年。 

ヒトは意外と滅びへの道をただ走ることなく、しぶとく  " 農  "  に回帰し始めているよ。

どうもそれは、知識や理屈というより、

DNAに導かれているようにも思えたりするのだった。

e09101817.JPG

 

藤本さんが残した言葉  - 楽しくなければ、人生じゃない。

究極の命題のような気がする。

 



2009年10月17日

「稲作体験」 20周年の収穫祭

 

今年で20周年を迎えた 「稲作体験」 については、

5月の田植えから草取り、稲刈りと随時お伝えしてきたが、

20年という数字の威力だろうか、予定外のオプション企画が必然のように生まれた。

現地で収穫を祝う交流会が準備されたのだ。

田んぼを2枚に増やしたことといい、こういう  " 勢い "  は、

やっぱり若いスタッフでないと出てこないなぁ、とつくづく実感する。

e09101701.JPG

稲刈り(9月13日) から1ヶ月を経過した体験田。

まだ育つだけの温度もあってか、どの株にもひこばえ (二番穂) が出ている。

 

e09101702.JPG

これから寒くなるので、さすがにちゃんとした実になるのは少ないが、

すぐに穂(子孫) を作るところに、自然のサイクルを感じ取る生命の本能を感じさせる。

減反が始まった頃は、これも刈って金に換えたといった話を、

ある地方で聞いたことがある。 真偽のほどは確かめてないけれど。

 


いつもの公民館で、炊きたての新米を味わいながら、

交流会が行なわれる。

e09101705.JPG

半年の共同作業を経て、随分とアットホームな感じになるのが嬉しい。

 

なお田んの米(左) と、ひで田んの米(右) を食べ比べてみる。

e09101704.JPG

まったく同じに炊いたものだが、微妙に違う。

モチモチ感を選ぶか、スッキリした食べやすさを選ぶかは、それぞれの好みだね。

 

いつも顔を見せてくれる

 「さんぶ野菜ネットワーク」 の富谷亜喜博さん (大地を守る会理事) の挨拶。 

e09101706.JPG

20年前の、最初の稲作体験を振り返ってくれた。

山武に有機部会をつくった先達、故今井征夫さんの田んぼから始まったのだ。

そんな話なども出て、ちょっと遠目になってしまう。

 

ネットワーク女性陣たちが用意してくれたおかずの数々。 

e09101707.JPG

おいしかったです、ホント。 ご馳走様です。

 

みんなで写真を見ながら振り返り、感想などを語り合う。

e09101708.JPG

 

さんぶのゴローちゃん、佐藤秀雄も人気者になって、なんだか饒舌である。 

e09101709.JPG

 

e09101710.JPG

楽しかったね。 

 

e09101711.JPG

綿貫直樹さん(左) は、今年の功労者だ。

お陰さまで、希望者全員受け入れることができました。

 

生産者の岩井正明さん。

e09101712.JPG

生産者も手でイネを植えたり、鎌で刈るなんてことはもうないわけで、

「この稲作体験を手伝うことで、日本人のDNAつうのかね。 そんな深いものを

 取り戻すことができたように思ったよね」 なんて、嬉しいことを言ってくれる。

 

食事のあとは、2班に分かれて、外に出る。

ひとつは、陶(すえ) 博士による自然観察会。

e09101713.JPG

そこかしこで生き物たちがヴィヴィッドに活動している姿を発見しながら、歩く。

 

e09101716.JPG

 

オオカマキリの卵。 

e09101714.JPG

こういうのにも、なんでか感動したりするのだ。

 

これは見せてはいけないのかしら。

e09101717.JPG

トリ●●トの花。 形が兜に似ているところから名づけられた。

サービス心旺盛なマルハナバチもやってきてくれて、パチリ。

 

もうひとつの班は、ワラ細工の講習会。

e09101718.JPG

先生は、綿貫栄一さん。

直樹さんのお父さんで、体験田の田植えの線引きを長く勤めていただいた方だ。

昭和ひとケタの世代には、祖父の記憶、つまり明治からの教えが受け継がれている。

 

今日の作業は、基本の基である縄を綯 (な) うところから。 

そして草鞋(わらじ) づくりに、米俵の蓋編みに挑戦。

e09101719.JPG

「この蓋の数が多いほど、収穫が多いことを表していたんだよね。」

栄一さんも子どもの頃、ワラを編みながら、今年の収穫量を誇ったりしたのかな。

 

e09101720.JPG

直樹さんもご指南。 こうやって受け継がれるDNA。

イネは捨てるところがない。

ワラはエネルギー (バイオマス燃料・エタノール) だって産み出すことができる。

田んぼの総合力はスゴイのだ。

なのに平気でワラを野焼きしたりしているのが、この国の現実である。

田んぼを減らしながら。

 

気がつけば、帰ってきた自然観察班が、田んぼでゲームを始めている。

e09101721.JPG

それぞれが鳥になり、カエル (鳥の餌) になって、食べ合う。

食べあいながら、それぞれに生き残り、子孫を残す。 それが共存の世界である。

 

なんだか、みんな真剣だね。 大人も本気になって逃げ回っている。

e09101722.JPG

 

e09101723.JPG

サギにすっかり囲まれてしまったカエルちゃん。 絶体絶命。

 

最後に、みんなでお絵かき。

e09101724.JPG

 

今年の稲作体験を振り返りながら、コラージュが出来上がっていく。 

こうして  " ボクらの田んぼ "  が、君たちの記憶に刻まれるのだ。

e09101725.JPG

 

おまけの企画も、いいもんだね。

ありがとう。 みなさんに感謝。

 

アキアカネが乱舞する日本の秋の、楽しいひと時でした。

E09101726.JPG 

 



2009年10月16日

グルメ・ショーに大地を守る会

 

-違和感ありますか。 ありますでしょうねぇ。 僕もちょっと。。

10月14日から三日間、有明の東京ビッグサイトにて開催された

「第6回グルメ&ダイニングスタイルショー秋2009」 なる展示会に

大地を守る会も出展したのです。

e09101601.JPG

 

こういう展示会に出展すること自体、ほとんどないのだけれど、

今回は 「食育の再考」 というのがテーマに掲げられ、

大地さんには是非、と主催者側から求められたこともあって、

じゃあ出てみようか、と相成った次第。

といっても、特段に 「食育」 という言葉を意識して何かをしているわけではない。

僕らはただ粛々と安全性にこだわりながら食べものを届けて、

畑や田んぼや実際のモノづくりを体験したり、食べ方を学んだり、

生産者と消費者が交流する機会をできるだけたくさん用意して、

生産現場と台所の距離をひたすら近づけようとしているだけである。

まあこれも広義な意味では 「食育」 とも重なるのだろうけど、

何となく上から目線的で、あんまりこの言葉は使いたくない、

と感じているのは僕だけだろうか。

e09101602.JPG

ま、ここでそんないちゃもんつけてもしょうがない。 

ネーミングには深入りせず、『グルメ&ダイニングスタイルショー』 である。

"  食卓を切り口に、新しいマーケットとライフスタイル・食文化を創造する見本市  "

と銘打たれている。

 


出展社数は150くらいか。 食品メーカー単独での出展は意外と少なく、

各地方の特産物や地域おこし的産品のPRが目立った。

来場者数は分からないが、前回が約3万人強とのことなので、それくらいは入ったのだろう。

こちらもメーカーから流通・小売・外食など食関連の企業の方々が主で、

つまりB to B (企業間取引) のマッチングがお目当ての展示会なのである。 

というわけで、今回の担当は卸し業務の部署である

農産グループ営業チームのお仕事となった。

私も立場上放っとけないので、1日 (正味半日だったけど) は出張って

PRと営業に精を出すことにした。

e09101603.JPG

こういう展示会はあくまでも企業間の出会いと商談が目的なので、

試食試飲はOKだけど販売は禁止、というのが通例だ。

今回は野菜・果物の展示をメインに、米のマゴメさんやパンのサラ秋田白神さんから

サンプル協力いただき、フルーツバスケットと総合農舎山形村には人も出してもらって

ジュースの試飲を用意した。 

 

加えて、今回のテーマである 「食育」 に絡めた出品をひとつ、ということで

この秋からスタートした 「たべまも」 キャンペーンと、「コメニスト米」 を展示する。

"  食べて守ろう、生物多様性  "  -大地を守る会からの提案です。

e09101605.JPG

米を食べて田んぼを守ろう。

鹿肉を食べて森を保全しよう。

地方に残る在来野菜を食べて、種を残そう。

 

e09101604.JPG

今回の来場者には、どうやら米よりも鹿肉のほうが強く訴求したようだ。

しかも、B to B のはずなのに、直接届けてくれるの? 

と仕事を忘れて宅配に興味を持つ人もいたりして。 面白いね。

 

本来の成果のほどは・・・・・まあまあ、ということにしておきたい。

 

出展社ブースに 「食育」 の文字はなく、ただただ 「商魂」 に尽きた。

 



2009年10月14日

『土と平和の祭典』 と 『地球大学』 (予告)

 

夏の天候異変や台風の影響はあっても、

生命の糧が実ったことを祝い感謝する祭りは、やっぱり必須の行事だ。

里も山も海も、それは時代や国籍を問わない。

暮らしとつながっている自然への畏敬の想いが、いろんな形で連綿と表現されてきた。

 

そして、しかも、いやだからこそ、新たな祭りが生まれたりもするである。

いま最もホットなのは、" 農を知ろう・触れよう・近づこう "  という積極的なコンセプトで、

食の大切さを表現しようとする若者たち主体の  " 祭り "  かもしれない。

自然と向き合う仕事の素晴らしさを豊かに語れる者たちによってこそ、

祭りは受け継がれなければならない。

 

10月18日、日曜日。

東京のど真ん中、日比谷公園で、

大地に感謝する収穫祭 - 『土と平和の祭典』 を開催します。

大地を守る会も出店します。

生産者も多数、応援に駆けつけてきてくれます。

若手の生産者たちはステージで行なわれる若者リレートークにも登場します。

おまけに、千葉・さんぶ野菜ネットワークで農業を体験している

モデルやタレントさんたちの集団 「フリマガ野菜部」 の人たちも

大地を守る会のブースで売り子に立ってくれます。

オリジナル・デザインの麦わら帽子を持ってくるそうだ。

詳細はこちらから → http://www.tanemaki.jp/tsuchitoheiwa2009 

 

さて次は、セミナーの案内です。

祭りの翌19日(月)、東京駅前・新丸ビル10階のエコ・スペース

「ECOZZERIA (エコッツェリア) 」 にて、

第23回 地球大学アドバンス

日本の 「食」 をどうするか?-「地球食」 のデザイン、日本食の可能性-

が開催され、わたくしエビもゲストの一人として喋くります。

 

これからの日本の農業と 「食」 はどうあるべきかを30分で語れという、

竹村真一氏(文化人類学者) の、例によっての大ざっぱな宿題提示。

簡単に言うなよ・・・・とひとりごちつつ、頭の中を整理しているところです。

きっと二日酔いの頭で・・・・うまくいったらお慰み、かな。

もう一人のゲストは、ノンフィクション作家の島村奈津さん。

こちらはスローフードの第一人者ですね。

 

よろしかったら聞きに来てください。

詳細はこちらから → http://www.ecozzeria.jp/event/2009/10/23.html

要予約、です。

 

以上、案内二本でした。

 



2009年10月10日

三番瀬・船橋港まつり

 

台風18号が走り去って、

産地担当職員が各地の状況を聞き取っているのに聞き耳を立てながら、

今のところ、甚大な被害はなさそうだとホッとする。

しかし生産者の 「さほど」 を言葉どおりに受け止めると痛い目にあったりする。

彼らの、自然の驚異を前に想定した被害レベルと結果に対する受け止め方は、

我々のそれとは違う。

実際に長野ではリンゴの実は少なからず落ちたようだし、

激しい風雨にあたり、畑が冠水し、稲刈りが遅れたりすることによる影響は

これから出てくるわけで、彼らはけっして安堵しているわけではない。

ま、とりあえず生産者が落ち着いているのに、我々は救われているわけだ。

 

そんなことをモヤモヤと思い巡らしつつ、今日も天気を心配しながら船橋へと向かう。

三番瀬を生かしたまちづくりをめざして、

「三番瀬フェスタ '09 -船橋港まつり」 が、今年も開催された。

e09101010.JPG

やってる、やってる。

 

小雨模様だった空も晴れ間が出てきて、気分も明るくなる。

やっぱ祭りの日の空は高い方がいい。

e09101005.JPG 

 

いつも祭りを盛り上げるジャズ・バンド 「下間哲とベイサイドオールスターズ」 。

e09101007.JPG

港町にはジャズが似合うね。 

今日は港のお祭りだ。 束の間、生ビールでも飲みながら楽しませてもらおう。

 


大地を守る会の専門委員会 「おさかな喰楽部」 も当然のごとく出店。 

三浦半島・横須賀市佐島の岩崎晃次さんの釜揚げしらすをたっぷり乗せた

しらす丼が人気を博している。

e09101006.JPG

並んでいたら、エビちゃんが最後ね! と言われたので、後ろのご婦人に譲る。

食べそびれた。

 

こちらも大地を守る会自慢の有明海一番海苔。

福岡から成清忠・千賀さん夫妻も駆けつけ、売り子に立って三番瀬を応援する。

e09101003.JPG

三番瀬と有明、海苔のブランドではライバルかもしれないが、

今日はコラボレーションである。 海の仲間は、連帯感が強い。

 

千葉の野菜ということで、さんぶ野菜ネットワークさんも出張ってくれた。

e09101002.JPG

人参ジュースを売り込む事務局の花見博州 (くにひろ) さんと

稲作体験田の地主・佐藤秀雄さん。

隣では母ちゃんたちが元気よく野菜を  " 売るっぺよ " 。

 

実行委員長・大野一敏さん (船橋漁協組合長) の大平丸は、海鮮汁をふるまう。 

e09101008.JPG

実行委員長は忙しく動き回っていて、写真を取り損ねた。

 

子供たちは三番瀬のミニミニ水族館で、カニや貝と戯れている。 

e09101004.JPG

触れ合うこと、それが初めの一歩である。

 

オッ 出てるね。 魚屋ロックバンド 「漁港」 。

「港」の字が左右逆さまが彼らの正しい表記なんだけど、作れないよ。  

e09101009.JPG

港に活気を。 海を元気に。 みんなで支えよう、三番瀬。

「魚を食おうぜ! 大事によ 」

 

本日のお目当てイベントのひとつ、10メートルの海苔巻き体験の始まり。 

e09101011.JPG

忠くんが10メートルの海苔をこしらえてきてくれた。

 

みんなで並んで、シャリを広げ、具を乗せて、一斉に巻きます。

e09101012.JPG

 

チームワークが問われる作業ですよ。 

e09101013.JPG

 

さあ、どうだ! 

e09101014.JPG

 

e09101015.JPG

お見事! 10メートルの太巻きの完成! です。

パチパチパチパチ。 

 

e09101016.JPG

気がつけば、すごい人だかりだ。

何べん見ても、これは面白いなあ (本当は参加したいのだけど・・・)。 

 

e09101001.JPG

みんながもっと海辺や港で憩い、魚に親しんでくれれば、

海は豊かに、僕らとともにあり続けてくれる。

森や大地への人々の所作のすべてを、最後に受け入れる海。

もっと付き合おうぜ、ちゃんとよう。

フィッシャーマンたちは、彼らの流儀で訴えている。

 



2009年10月 4日

今年も開催 -大地を守る会の「備蓄米」収穫祭

e09100405.JPG

10月3日(土)。 福島県須賀川市。

福島の中通りに位置し、良食味産地として高い評価を受けている地帯である。

ここで、大地を守る会の 「備蓄米-大地恵穂(だいちけいすい)」 の収穫を祝っての

交流会が、今年も開催された。  

 

当初は、1年おきの開催として考えていたものだが、

厳しい天候の中、しっかりと良い品質で収穫まで漕ぎつけようと頑張ってくれた

生産者の成果を消費者の方々に見せたいと思ったのと、

予定より1カ月も早く予約口数の目標に到達した勢いが、

2年続けての開催へとつながった。

e09100401.JPG

生産者集団 「でんでん倶楽部稲作研究会」 (旧 「稲田稲作研究会」 を改名)

の事務局機能を担っている(株)ジェイラップの施設に集合した参加者一同。

前日までの雨で田んぼには入れず、

楽しみにしていたコンバインに乗っての稲刈り体験は中止。

「エーッ、残念~!」 の声が上がる (これは意外と興奮する体験なのです)。

この日の空模様も、今年の天候を象徴しているかのような曇天である。

 

それでも 「稲田のコシヒカリ」 の収穫は本番を迎え、

研究会自慢の太陽熱乾燥施設もいよいよフル稼働してきている。

e09100402.JPG

太陽光の中で最も波長の長い 「遠赤外線」 効果による低温乾燥。

火力乾燥が当たり前の時代にあって、15年前 (1994年) に導入した先駆的な施設である。

 


収穫された米が入荷して、検査が行なわれ、

太陽熱乾燥を経て、モミ貯蔵される。 さらに精米・袋詰めそして出荷までの

一連の流れを辿っていく。

e09100403.JPG 

写真左にある貯蔵タンクはアメリカ製。

モミで150トン収容できるタンクが3基、総量450トンの収容力がある。

今年、大地を守る会の備蓄米用に約束した量は、玄米で165トン(2,750俵)。

モミに換算すると、約200トン強。 このタンク1基と3分の1ぶんを、

来年のための備蓄用として消費者が前払いで担保したことになる。

1993年の大冷害の翌年から、豊作で米が余った年も、米価が下がっても、

変わらず続けてきた。

このゆるぎない継続こそが、生産者の意欲と責任感、そして創造性を育てたのだ。

 

こちらが精米工場。

e09100404.JPG

米の品質を守るために、様々に改良を加えてきた。

ここで説明するのも面倒なくらい、

ジェイラップ自ら  " 複雑怪奇 "  というほどのオリジナル工程になっている。

 

ひと通りの工程を見学した後、田んぼに向かう。

 

e09100416.JPG

 

黄金色に輝く田園。 なぜこんなに美しく感じるのだろうね。

 

e09100417.JPG 

 

今年の経過を説明する稲作研究会前会長・岩崎隆さん。 

「一反歩 (10アール) にして1俵 (玄米60kg) か半俵少ない感じですが、

品質は良いはずです」 と胸を張る。

気温や日照の具合を見ながら、きめ細かい管理をやってきた自負がにじみ出ている。

息子さんも農業を継いで孫もでき、たしか今も5世帯同居の大家族だ。

ジェイラップ代表の伊藤俊彦さんとともに、稲作研究会70名のメンバーを引っ張ってきた。

彼らは有機JASの認証も取っているが、それは無農薬無化学肥料栽培の技術獲得の

プロセスであり、自己証明の管理体制づくりの一環であって、ブランドではない。

ブランドはあくまで、「俺たちの米」 である。

 

田んぼに入れなかったので、これまた恒例となってきた 「イナゴ取り大会」 も中止。

「今年はイナゴのほうが大豊作なんで、いっぱい獲ってもらおうと思ってたんですけど」

と、消費者よりも生産者のほうが残念そうな口ぶりである。 

たしかに、畦に立つだけでビンビン飛んでくる。

e09100407.JPG

残念でしたね。

来年はいっぱい獲ろう! (え? 来年?・・・なんか、来ると毎年やりたくなっちゃうよね)

 

さて、今回実施したいと思ったのには、もう一つの理由がある。

これは何でしょうか。  

e09100409.JPG

乾燥野菜です。 

一昨年あたりから色々と試行錯誤して、試作品の完成まで漕ぎつけた。 

野菜が豊作で余った時、畑で捨ててきた規格外品、皮も含めて 「使い切る」 思想が

ここに凝縮される。

 

乾燥室の中の様子。

e09100410.JPG

きゅうり、トマトなどをスライスしたチップが、ステンレスの棚に並べられ、

こちらも米と同様、熱風でなく、ゆっくりと時間をかけた除湿工程によって乾きながら、

エキスが濃縮されてゆく。 

 

実に色んな野菜や果物が試作された。

e09100411.JPG

「毎日ごぼうを切り刻んだ時は、もうゴボウなんて食べたくないって思いましたァ。

 これをやっている時は、引きこもりですね。」 (福島弁で語尾が少し上がる)。

見かけによらず、繊細で凝り性な方である。

 

スライスやチップだけでなく、粉末も完成した。

長期保存ができ、いろんな料理に使える優れモノである。

今日は8種類の粉末が用意され、それが何なのかを当てるクイズ大会が行なわれた。

実はイナゴ取りができないことを考慮して、

前夜の打ち合わせで急きょ用意してもらったものだ。

 

その粉を使っての3種類 (人参、ゴボウ、よもぎ) のうどんも試食していただく。

e09100412.JPG

これがまた大好評で、嬉しい限りだ。

 

野菜や果物を使い切ることで、フードマイレージも下がり、ゴミの減量につながり、

自給率を上げる。

設備の配置や体制作りといった課題はいろいろあるけれど、

加工の受け皿として産地をネットワークできれば、これはゼッタイ秘密兵器になる。

何としても形にしたいと思う。

e09100413.JPG

そんな未来への意欲も語り合いながらの交流会となる。 

 

子どもたちは餅つきに興じる。

e09100414.JPG

結果は年によって違いはあるけれど、いつだって収穫は嬉しいものだ。

未来への種も蒔いているのだしね。 

 

清酒 「種蒔人」 の蔵元・大和川酒造店の佐藤芳伸社長も、

忙しい中、酒粕などを持って駆けつけてくれた。

e09100415.JPG

有り難うございます。

今年も楽しい収穫祭になりました。 

 

e09100408.JPG

備蓄米-大地恵穂、今年も無事収穫!!

これから来年まで、モミ殻に包まれ、しばしの眠りにつきます。

 

みんなで交わした笑顔が、明日を豊かにする。 間違いないよね。

 



2009年10月 1日

有機農業推進と有機JAS規格(続)

 

偉そうに長々と書いちゃった手前、自分の有機JASに対する評価と、

大地を守る会が進めようとしている " 監査 "  の考え方について、

触れないわけにはいかなくなってしまった。

まあ別にモッタイつけるほどのものでもないし、もう進めているものでもあるので、

話の流れ上、記しておくことにする。 各方面からのご批評を賜れば幸いである。

 

まず有機JASについて。

僕の認識をひと言で言っちゃえば、こういう感じかなぁ。

「有機JAS規格と認証制度は、自己を証明するひとつのツールであって、

 それ以上でも以下でもない。」

 


自身が持っている栽培基準が有機JASの規格に等しい、あるいはそれ以上だと考えるなら、

それを誰に対しても証明できる管理体制を整え、第3者の監査も受けてみることは、

決して悪いことではない。

むしろ他流試合を挑むくらいの気持ちでトライしてみるといい。

自分の思い込みや甘い部分が指摘されたりして、自己診断や改善にもつながる。

大地を守る会でも独自に産地の監査を実施しているが、

第3者の認証機関やオーガニック検査員の視点を盛り込んで進めている。

そこでは、有機JASの認定を受けている生産者は管理の基本ができている、

というのが我々の評価である。 したがって証明も早い。

もちろん文書管理は増え、認証費用もかかることになるのだが、

このご時勢、コストや労力がかかりすぎるからという理由で、

栽培履歴が証明できない (=トレーサビリティの体制がない) では、次に進めない。

 

一方で、有機JASなんか不要だ、という頑固な生産者もいる。

農薬・化学肥料は有機JASで許容されているものですら一切使わないし、

国のお墨付き (JASマーク) もいらない、という方々だ。

これはその人の考え方や哲学のようなものなので、それはそれでよし、とする。

しかし、大地を守る会の監査は受けてもらう。

そこでは、有機JASの監査で要求される管理の仕組みは、

ひとつのスタンダードとして活用する。

つまり 「有機JAS農産物」 は認証の結果による表示であって、

それだけが 「有機農産物」 なワケではない。

 

もうひとつの動きとしては、新たに有機農業にチャレンジする生産者には、

有機JASはひとつの登竜門的機能を果たしてもいる、ということもある。

そこは生産者の努力の結果として正当に評価しなければならないだろう。

 

したがって当然のことながら、

大地を守る会の監査の対象は、当会に出荷する農産物すべてが対象となる。

監査が自己証明の手法であるとするならば、

農薬を使用せざるを得ない場合も同じであって、

記録や資材管理は有機JASの認証を受けた方々と同じレベルを要求することになる。

有機JASの認証を取得して、その後 「大地の監査でいい」 とJAS認証を撤退した

誇り高き生産者を、僕は知っている。

 

したがって、有機JAS制度が有機農業の推進を阻害している、とは

僕らの感覚では正確な分析ではない。

「有機農産物」 と表示した国内の農産物が増えてないだけなのだ。

批判するにせよ評価するにせよ、有機JASに執着すればするほど、

呪いにかけられたように表示規制に呑まれてしまうような気がする。

これは常に戒めなければならないことだし、僕らは

有機農業の世界を豊かに進められているかどうかをこそ、検証しなければならない。 

 

そのために必要なことは、自らの 「基準」 に有機農業の推進を据えられるかどうか、だろう。

基準とは、自らの生き方の指針でもあり、監査の 「ものさし」 ともなるものだから。

「ものさし」 が単純な資材の使用可否や文書管理のマニュアルでしかないのなら、

それだけの監査しかできない。 

有機JAS制度を批判ですますことなく、

実体をもって進化させられるかどうか、ではないだろうか。

 

豊かな認証制度をつくるには、有機農業の基準と物差しが進化しなければならないのだ。

国も認めざるを得ないような物差しが欲しい。 

僕が感じている課題は、前回書いた通りである。

 

ただし各種の研究をただ待ってもいられないわけで、

僕らは僕らで、自分たちの基準 (ものさし) に従って、監査を進化させなければならない。

栽培にあたって行なわれた行為を確認するだけでなく、

生産者個々の課題への取り組みや、それによってどんな価値が生まれたかを

監査できるシステムをつくりたい。 その手法はまだ手探りだけど、

いつか生産者とともに誇れるようなモデルをつくりたいと思うのである。

それは監査を続けるなかでしか獲得できないだろう、そう思って模索を始めている。

そのために、有機JASの認証機関や検査員の力もお借りする。

彼らが、海外のオーガニック農産物の認証で生計を立てるのではなく、

しっかりと国内での有機農業の推進のために仕事ができる、

そんな環境づくりにもつながるものとして。

 

有機JAS制度が海外のオーガニック製品の流入を後押ししたとかいって批判しても、

実にせんない気がする。

自分たちの力の弱さだと自己批評しなければ、運動は発展しない。

 

さて、前回の冒頭の話に戻れば、

農水省の有機農業推進班の方々が意識しつつある課題は、

有機農業推進法の制定とモデルタウンの進捗によって、生産が拡大するとともに

販路の確保が重要になってきている、ということ。

「大地さん、何かいい知恵はないですか。」

どーんとこい、と言い切れないところが弱いところだが、

僕の答えは、この2回の話に尽きる。

鍵を握るのは、消費者の理解なんだけど、

そのためにはそれぞれの立場で  " 創造的な "  仕事を進めなければならない。

創造を伴わない批判は、その運動の質も停滞させる。

 

運動家なら、創造に賭けよ。

研究者なら、真実を探求せよ。

耕作者なら、土をこそ守ろう。

流通者なら、健全な人々のネットワークに心血を注ごう。

監査や認証は、そのためのツールである。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ