2009年11月アーカイブ

2009年11月29日

エコを仕事にする ~物流センターからカフェ・ツチオーネまで~

 

PARC(パルク : アジア太平洋資料センターという団体が主宰する

自由学校については、以前(4月15日)に紹介した経過があるので

説明は省かせていただくとして、

その  " オルタナティブな市民の学校 "  のひとつの講座 「エコを仕事にする」

の最終回に、11月28日-「大地を守る会の物流センターを訪ねる」 が設定された。

というわけで昨日、

5月から有機農業や林業や環境NGOの現場をあちこち歩いてきた生徒さんたち

20名強が、千葉・習志野物流センターの見学に集まってくれた。

午前中、三番瀬を回ってきたとかで、靴にアオサなんかをくっつけている。

 

「エコを仕事にする」 と言われると、正直戸惑うところがある。

僕らは 「エコを仕事にしてきた」 のだろうか ・・・

 

有機農業はエコか。 エコと呼んでいいだろう。 " 環境保全 " 型農業の牽引者として。

有機農産物を食べることはエコか。 エコな暮らしのひとつの要素だろう。 

しかしその畑と台所をつなげることを生業(なりわい) にするとなると、

これは生々しく  " 物流 "  の世界となる。

モノが食べものであるがゆえに、エコな無包装より食品衛生を優先する。

温度管理のためにはエネルギーも使う。

何よりも、宅配とはエコな物流と言えるだろうか・・・

僕らの仕事は、エコの観点からいえば、矛盾と悩みに満ち満ちているよ。

 

物流センター内を見学して回る生徒さんたち。 年代もまちまちだ。

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入荷-検品から、保管-仕分け-包装-出荷までの流れを見ていただく。

 


青果物の保管には、温度管理は欠かせない。

保管倉庫だけではなく、センター内全体が温度管理されている。

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有機JASの認証を受けた農産物は、小分けする際に他のものが混ざらないよう、

また一貫して 「有機性」 が保持されるよう、ラインが分けられている。

その管理体制全体が有機JASの認定を受けないと、JASマークは貼れない。 

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「この物流センターは、有機JASの認証を取得したラインを持っています。」

説明する、物流グループ品質検品チームの遠田正典くん。

 

宅配用のピッキングのライン。 

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参加者には想像していた以上の規模や設備だったようだ。

「エコか」 と問われれば、ひるむところも多々あるけど、 

それでも3年前にこのセンターを建設した際には、

壁の材質から接着剤を使わない工法など、可能な限り環境には配慮したつもりだ。

配送車は順次、天然ガス車に切り替えてきたし。

言ってみれば、「エコを仕事にする」 というより、

「仕事を一つ一つ、粘り強くエコ化させていく」 という感じかな。

 

センター見学のあと、大地を守る会の概要や活動の沿革、仕事の中身などを

説明させていただく。

歴史を辿りながら、僕らは本当に仕事をつくってきたんだなぁ、と思う。

1975年、創設時のスローガン-

 「こわいこわいと百万遍叫ぶよりも、安心して食べられる大根一本を、

  つくり、運び、食べよう」 ・・・ウ~ン、大胆なコピーだ。 実に具体的である。

オルタナティブなんていうシャレた日本語がまだなかった時代から、

「生命を大切にする社会」 づくりに向けて、そのインフラをエコシフトさせるための

" もうひとつの道 "  を提案し、模索し続けてきた。

消費者のお宅に運ぶだけでなく、学校給食に乗り込み、卸し事業を始め、

食肉や水産物の加工場を建設した。

今では、自然住宅からレストラン、そして保険の提案まで。

今でいう  " 社会起業 "  の先頭を走ってきたという自負が、ある。

 

最終回の講座を終えて、

「エコを仕事にする」 参加者一行が、懇親会に選んでくれたのが、

カフェ・ツチオーネ自由が丘店。 新習志野から駅を乗り継いで九品仏へ。

 

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最後はエコな空間で、エコな食事とお酒で、楽しんでいただく。

半年に及ぶ12回の講座をともに学んできた人たちは、

すっかり仲間の雰囲気になって話が弾んでいる。

 

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シンプルだけど、体が美味しい!と反応してくるような食事。

ダシを変えるなど、ベジタリアンにも対応している、とか。

 

ツチオーネだったら行く! と、

この講座のコーディネーターの大江正章さん(コモンズ代表、PARC幹事) も遅れて登場。 

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 ご機嫌で、ひと演説。

 

すごくいい店! 野菜もお酒も美味しい!

 -でしょう。 こっちもいい気分になって、「種蒔人」を振る舞わせていただく。

 

最後にみんなで記念撮影。

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すみましぇ~ん。 酔っ払っちゃってま~す。

 

僕らは、農民でも漁民でもなく、製造者でもない。 林業家でも大工でもない。

ただひたすら人をつないで、仕事を作ってきたネットワーカーだ。

それはそれで、誇りにしたいと思う。 

 

僕らはたしかに、ここまでは来た。

 



2009年11月27日

『有機農業で世界が養える』-か? (続き)

 

有機農業で世界が養える! 

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足立恭一郎さんが手にしたデータとは、

米国ミシガン大学のキャサリン・バッジリー助教ら8名による共同研究チームが

2006年6月に発表した 「有機農業と世界の食糧供給」 と題する調査レポートのことで、

一昨年5月にローマで開かれたFAO(国連食糧農業機関) でも報告され、

検証されている。

僕が以前(8月16日付) にちょこっと触れたFAO情報の元データということになる。

 

このデータを解析するにあたって、足立さんはまずもって丹念に計算し直している。

そしてデータをただ礼賛するだけでなく、批判や反論も取り上げながら、

慎重に詳細に反証を試みていく。 

大切な恋人を汚さぬよう、一片の傷も見落とさぬよう、視野脱落を恐れつつ......

まさに 「30年来恋い焦がれ」、待ち続けた宝ものを確かめるがごとくに。

足立さんはきっと、書き上げた原稿を何度も読み返したに違いない。

そして速攻で上梓まで仕上げたコモンズの大江さんの力技に讃辞を送りたいと思う。

 

足立さんの論考をここで詳述して本が売れなくなってはいけないので、

深入りはやめておきます。 

関心を持たれた方はぜひ書店に、あるいはネットでご購入ください。

 

ただ、ここだけは紹介しておきたいと思う。

昨日の冒頭で紹介した 「有機農業で世界は養えない」 の主張に、

この調査データを重ねると、次のようになる。

 


農産物の単収(単位面積当たりの収穫量) 比に関する

53カ国293の標本から導かれた結果は-

A) 先進国においては、「有機農業は慣行農業より単収比が7.8%少ない」。

B) 途上国においては、「有機農業は慣行農業より単収が80.2%多い」。

C) 世界全体では、「有機農業は慣行農業より単収が32.1%多い」。

 

つまり、有機農業では単収が落ちる=人口扶養力が低い、というのは

先進国のデータでしかない、というわけだ。

上の3行だけでは、おそらく様々な疑問が湧いてくることかと思う。

途上国は農薬や化学肥料を買えないので単収が低いのではないか、とか・・・・

そう思われた方は、ぜひご一読の上、検証いただきたい。

農薬や化学肥料に頼るより合理的な形の提示も、足立さんは忘れていない。

 

また上記のデータは、研究者時代の足立さんを苦しめた次のセリフに対しても、

回答を指し示している。

「生産性が低く、価格の高い有機農産物は、金持ちの国や個人にしか買えない。

 有機農業は 『地球環境にやさしい』 かもしれないが、『貧乏な国や人には冷淡』 だ。

 結局のところ、『貧乏人は食うな』 ということか?」

答えは逆だよね。

有機農業は金持ちのための生産方法ではなく、お金を持たない人々でも実践できる

生産技術であり、考え方である、ということだ。

農薬や化学肥料で途上国の単収を上げる、という道筋ではなくて、

農薬などを買うためのお金を必要とせず、

地域資源を活用して生産を安定させることの方が、環境も暮らしも安定する。

それには途上国が換金作物の生産に依存しない社会へと進む必要があるけど。

いずれにせよ、足立さんの 「有機農業はけっしてぜいたくな農業ではない」 の主張を

僕は全面的に支持するものである。

 

現状ではまだ突っ込まれる部分もある有機農業だけど、

いつもはにかんだような優しい笑顔を投げてくれた足立さんの溜飲がもっと下がって、

喜び讃え合える時代が、そう遠くない将来、来ることを信じたいと思う。

 

『 民主主義の真の温床は肥沃な土壌であり、

 その新鮮な生産物こそ民族の生得権なのである。 』 

    -アルバート・ハワード著 「ハワードの有機農業」上巻(農文協刊) より-

 



2009年11月26日

『有機農業で世界が養える』-か?

 

「有機農業では世界の人口を養えない」 

 - このセリフは長らく、有機農業を批判する際のお決まりの主張のひとつだった。 

しかしこの論には陥穽(かんせい、≒罠) が潜んでいて、

現在の農薬・化学肥料による単位面積当たりの生産量と、有機農業によるそれとを

単純に比較して結論づけただけのお手軽な仮説でしかないのに、

不思議に " 世界の常識 "  のように言われるのだ。

有機農業だと生産性が落ちるので世界の胃袋は満たせられない、と。

現場から離れた学者ほど、この論にはめられる傾向がある。

この計算根拠のミソは、" 現在の "  にある。

 


そもそも、農薬と化学肥料で世界じゅうを養えたという歴史的事実はないし、

農薬・化学肥料がない (つまり有機農業が当たり前の) 時代から

農薬・化学肥料がもてはやされるようになった時代までひっくるめて、

世界の食料需給は行ったり来たり (養えたり養えなかったり) してきたんじゃない?

地球上での飢餓の存在は、むしろ今日の方が恒常化している、ってことはないでしょうか。

「飢餓は生産方法の問題ではなく、分配(奪っている) の問題である」

という主張のほうが、僕にはずっと腑に落ちるのである。

いやいや、今日の穀物生産を支えているのは農薬・化学肥料じゃないか

(現状ではそうは言える)、と仰る向きには、

それはたしかにグローバリズムと食料の低価格化に貢献したとは言えますね、

と評価してお返ししたい。

もしかしたら飢餓にも貢献しているかもしれない、と思ったりもするのだが。

 

しかしこの議論をする際にもっとも重要なことは、現代の有機農業が、

農薬・化学肥料に依拠した近代農法への反省から生まれ(というより、復活し、か)、

今日さらに発展してきているという 「事実」 である。

その反省とは、近代農法による人の健康への影響に対する反省であり、

生態系バランスの衰退(環境汚染) への反省であり、地力の減退への反省であり、

農産物の生命力(安全性・栄養価・味等も含まれる) の減退への反省、等々である。

それらは見事に近代農法の不安定性を表すものであるし、

一方で有機農業によって地力が回復・向上することで収量が " 安定する " 

という世界が証明されてきているとしたら、さてどちらが将来の人口を養う力があるのか、

どちらに未来の生命を委ねるべきなのかが、見えてこないだろうか。

だからこそ、有機農業の技術体系の確立を急ごう! なのである。

 

とどめは、有機農業の資源はなくならないし、どこにでもあるが、

化学肥料の資源は有限である、という 「事実」 だろうか。

 

いま目の前にある数字で未来まで占って、

環境への負荷や健康リスクのほうを選択するわけにはいかないでしょう。

「世界を養えるかどうかは、近い将来、実力で示すことになるであろう」

という宣言で、この論争は終わりにしちゃいたい、というのが僕の感覚だった。

 

ところがしかし、ここにきてにわかに、

終わるわけにいかない事態へと進んできているのである、このテーマが。

論争が、新たなステージに移った、といってもいいだろうか。

科学的専門領域から、新しいデータが出されてきたのだ。 

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足立恭一郎さん。

農林水産省の研究所に勤めながら、ずっと有機農業の可能性を説き続け、 

それゆえにいじめられ続け、冷や飯を食らわされながら、3年前、退官された。

大地を守る会には、いつも温かい眼差しを送ってくれた方である。

その足立さんが、ついに念願の、いや悲願のデータを手にされた。

あとがきによれば、

「30余年の長きにわたり、恋い焦がれてきた恋人に、ようやく出逢えた」

と、その喜びを率直に語っておられる。

『有機農業で世界が養える』 -出版は畏友・大江正章さんのコモンズから。

統計データを扱う際の足立さんの真摯さと、執念がにじみ出た論考である。

 

スミマセン。 今日はここまで。 明日、もうちょっと解説を。

 



2009年11月22日

新米食べ比べ

 

西八王子の甲州街道沿いのイチョウ並木は黄葉のピークを迎え、

沿道は出店やらパレードやらイベントで賑わっている。

今日は、八王子 「いちょう祭り」 の日。

左右をキョロキョロと安全確認しながら、こちらはひたすら高尾を目指す。

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連休でこれまた人手の多い高尾山口を通過して、着いたのはマゴメさんの山荘。 

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以前は陶芸家が愛人と住んでいたという、それだけでもチッ!と嫉妬してしまう、

落ち着いた和風の山荘である。

 

ここで今年の新米の食べ比べ会が開かれたので、参加することにした。

習志野センター経由で、遅れること約1時間、すでに食べ比べが始まっている。

参加された会員さんは20数名。

いずれも 「米は、食べますねぇ、ウチは」 という方々。 

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大地を守る会交流局の虎谷くん(右端) が、

今年から始めた 「たべまも」 キャンペーンの説明をしている。

お米を食べて田んぼの生物多様性を守る。 

増えすぎてしまったエゾシカを食べて森の生態バランスを守る。

「食べる」ことで、つながる、そんな企画です。 ぜひシカ肉も食べてください・・・とか何とか。

 


食べ比べに出されたのは、7つの産地から、6品種、

合計9種類の米 (うち2つは、七分米と玄米)。 

正式な米の品評会だと、色つやや香り、粘り・味などに分けての評価になるのだろうが、

ここではざっくりと一発、味わっての 「おいしさ」 での10段階評価である。

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順番に炊かれて運ばれてくるのを、器にとって、見て、嗅いで、食べて、

評価を記入していく。

 

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大人の評価なんかお構いなしに、「美味しい、美味しい」 とパクパク食べてくれる

逞しいお子ちゃまもいて、僕は大人でもこのタイプの方が好き。

 

しかし・・・どうも炊き上がりの感じが違うのがあって、

「ちゃんと同じ条件で炊いた?」 の質問に、スタッフは少しうろたえている。

玄米は失敗してますね、なんて指摘も頂戴して、まずいよ、ちょっと・・。

まあ炊飯器も微妙に形式が違うし

(ちなみに炊飯器の仕様はだいたいコシヒカリに合わせている)、

ここはあんまり厳密さを要求しないことにするか、という雰囲気を醸してみたりして。

 

とはいえ、東北から九州までの9種類の米を同時に食べて見れば、

それはそれなりに 「食べ比べ」 にはなる。

決して同じ米をみんなが一番に押すとは限らない。

いや、現実はバラバラなのだ。 

だいぶ以前に専門委員会(米プロジェクト21) で食べ比べをやった時は、

子供の頃から食べてきた米(品種) を一番に押した人が多かった、という経験もある。

 

四国の棚田の米も美味しい、私は北海道のが一番だった・・・・・

こんな感想を頂戴しながら、ここにこそ 「コメニスト米 」の真髄がある、と実感する。

新しい発見を楽しみながら、日本の美しい田園を、食べて守る我ら 「コメニスト」。

ぜひ、よろしく、です。

生産者が各地で取り組んでいる除草技術の映像なども見ていただき、

最後はざっくばらんな懇親会となる。

 

お米の生産者の皆さん。

どの米が美味しかった、という話ではありません。

「みんなご飯が好きで、この子の体はお米でできているんじゃないかって・・・」

「アレルギーがある娘も、大地のご飯は安心していっぱい食べてくれる。」

「もっといろんなお米を食べてみたいと思います。」

みんな、米や田んぼを大事にしたいと思ってくれています。

こんな期待と信頼に、いつまでも応えられるよう、頑張ろうではないですか。

僕も、酒ばっか飲んでるわけではないスよ。 食べてますから。

 

この日は、とても懐かしい会員さんとも再会した。

大地歴20数年、入会した最初に共同購入の配送に来たのが僕だった、という方。

今もしっかり続けてくれていて、とても嬉しい気分になる。

 

そんなわけで、帰りは鼻歌歌いながら、

高尾から飯能へと、紅葉の山道を北上したのだった。

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2009年11月15日

舟の森を訪ねて -打瀬舟から山武杉の森へ(続)

 

我々 「打瀬舟の森を訪ねる」 一行は、舟の原木の森を目指し、

東京湾岸の浦安から北総台地へと入り、東金にある千葉県木材市場にやってきた。

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県内各地から、スギ、ヒノキ、サワラ、サクラ、ケヤキ、・・・・・いろんな原木が

集まってきている。

 

スギの大木が並んでいる。

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これで200年くらいですか。 -いやァ......150年くらいかなぁ。。。

ちょっと定かではなかったが、150年とすれば江戸末期である。

動乱のさなかに木を植え続けた先祖たちは、今の山の様子をどう見ることだろうね。

 

職員の方に話をうかがう。

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山武杉とは、山武地方(旧山武郡一帯) で育てられてきたスギで、れっきとした品種である。

挿し木技術によって17世紀後半から発展してきた。

その特徴は、幹がまっすぐで形や色艶がよい。

材質は硬くて丈夫。 柔軟性もあり、建築材や建具材に適している。

特に赤身は油分が多いので、水に強く腐りが遅い。 船材には最適である。

花粉が少ない、という特徴もあるんだとか。

 

今はもう山は荒れていく一方です。 

赤身だけでなく、白身も源平(赤・白の混在した材) も、節有りも、

用途によってちゃんと使えるんですよ。 国産材をもっと利用して欲しいですね。

 

さて、天気も良くなってきたし、実際の山武杉の山を見に行きましょう。

よく手入れされた山も、ちゃんとあります。 

山武郡芝山町というところにご案内します。

 


芝山町といえば、大地の生産者も何人かいる地域である。

成田のそばで、ちゃんと山を管理している林業家もいるんだ。 偉いですね。 

とか参加者とお喋りしながら、ついていく。

 

さて、こちらです。 

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ちゃんと下草も刈られ、枝打ちもし、等間隔で、まっすぐに伸びている。

入れば土の柔らかいこと。 スポンジの上を歩いているような弾力があって、

参加者からも感嘆の声が上がる。

 

上の木で、45年。

下の木で、90年になります。

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説明する市川の大工さん、大屋好成さん。

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ここは三ノ宮さんという方の山です。 ちゃんと杉の手入れをしてくれています。

え??  三ノ宮さん?  すみません、下のお名前は・・・・・

「ヒロシさんと言いますが・・」。 三ノ宮ヒロシ。 ここは芝山町菱田。

もしや三里塚の三ノ宮廣さんでは--- 

「ええ、ええ、そうです。 有機農業やってる方です。」

三里塚農法の会 - 三ノ宮廣! 

この名前をここで聞くとは。

僕は三ノ宮さんが山武杉を育てているとは、まったく知らなかった。

不覚なり!である。

それでも逆に、なんだかとても嬉しくなって、きれいな杉林を360度見回して、

" ああ、来てよかった "  と心の中で叫んだのだった。

 

三ノ宮廣さん。 

成田空港建設に反対して農民たちがたたかった  " 三里塚闘争 "  については、

僕は学生時代のただのシンパでしかなく、とても語る資格は持たない。

水俣とともに日本の戦後史上最大の悲劇といわれ、今もなお決着はついていない。

廣さんは、闘争の中で亡くなったお兄さんの後を継いで農業の道に入った方だ。

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これは、七つ森書館から出版された

『生命 めぐる 大地』 (地球的課題の実験村編、2000年刊)

の中に掲載されている廣さんの写真。

仲間と一緒に楽しく語り合っている、とても穏やかに。

 

兄の文男さんは、1971年、

自らの体に鎖を巻いて抵抗した大木よねばあさん宅への

だましうちといわれる強制代執行に抗議して、自死した。

「この土地に空港を持ってきたやつが憎いです」 という言葉を残して。

 

廣さんが大事に育てている森。 ここの杉は45年前に植えられた。。。

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「いいでしょう」(大屋さん)。 「いいです。 とてもいいです 」(エビ)。

 

こういう木で、打瀬舟を復活させて、東京湾を走らせたい。

その日はきっといい風が吹いて、海と森のつながりの復活を宣言する帆が

パァーっと踊るように舞いながら、掲げられるのだ。

 

東京湾に打瀬舟を復活させる協議会(打瀬舟の会) では、一口船主を募集中です。

URLはこちら ⇒ http://utase.yokochou.com/

 



2009年11月14日

舟の森を訪ねて -打瀬舟から山武杉の森へ

 

かつて東京湾には、昭和40(1965)年頃まで、動力ではなく、

帆(風) で走りながら漁をする打瀬舟(うたせぶね) の姿があった。 

 

その東京湾に、打瀬舟の復活を! 一口1万円の船主募集!

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そんな呼びかけのパンフレットをもらったのは数ヶ月前のこと。

くれたのは、大地を守る会理事の遠忠食品(株)専務・宮島一晃さん。

見れば、発起人代表に木更津の漁師・金萬智雄(きんまん・のりお) さんの名前がある。

NPO法人 盤州里海の会代表で、アサクサノリの復活にも挑んだ方だ。

「へぇ~、金萬さん、また酔狂なことを始めましたね。」

これが最初の感想だった。

「で、いくら集めるんですか?」 - 「目標2千万だって。」 ウ~ン・・・

 

興味は抱きつつも、話はそのままで終わったのだが、

今月に入って、おさかな喰楽部 (大地を守る会の専門委員会) のメーリングリストに、

金萬さんから案内が入ってきた。

11月14日開催  『打瀬舟建造プロジェクト 舟の森を訪ねて』

の参加申し込み締め切り日を過ぎましたが、まだ多少の空きがあります。 よろしかったら-

 

" 舟の森 "  -の言葉に響くものがあった。 そうか、そういうことか、みたいな。

打瀬舟を育てた千葉・山武杉の森を訪ねる。 これは行くしかない。

 


11月14日(土) 9時30分。 集合は東京駅鍛冶橋駐車場。

ここからバスに乗って、浦安から山武まで見学コースが組まれていた。

 

一行はまず、浦安市郷土博物館 に到着する。

ここで、本日のガイド役として大屋好成さんが合流する。

地産地消型の家作りを謳い、数奇屋建築や社寺建築を得意とする市川市の大工さんである。

打瀬舟など和船の建造技術にも詳しい。

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背中の壁には、古き良き時代の浦安風景を描いたレリーフが飾られている。

海苔や魚の干し台が並び、女たちが元気よく働いている。

小舟(ベカ舟という) の向こうには打瀬舟も見える。

 

打瀬舟にも、千葉の検見川型とか浦安型、神奈川の子安型といったタイプがあったそうだ。

小型のものは干潟のアマモ場での 「藻エビ漁」 などで活躍したが、

干潟の干拓や埋め立てによって藻場は消え、

この伝統漁法もついに博物館に眠ることになった。

打瀬網漁は、今では北海道・野付湾での北海シマエビ漁に残るのみとなっている。

(熊本・芦北の不知火海では観光船として操業されている。)

 

展示されている舟や漁具の数々を、駆け足で見て回る。 

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窓越しに撮影。 向こうからマキ船 (その中にベカ舟)、打瀬舟、小網船。

船大工道具なども展示されている。

 

「仮屋」 と称する木造船の製造場も。 

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ここでベカ舟製造の実演が見れる。

ベカ舟とは、一人乗りの海苔採り用の船で、東京湾では一番小さな船だったらしい。

遠浅の海で漁を営んだ浦安を代表する漁船として親しまれたのだろう。

山本周五郎の 「青べか物語」 も読んでみたくなった。

 

これらの木造船の本体には、房総の山武地方で古くから育てられてきた山武杉の、

赤身 (芯の部分。赤くて油分が多く、腐りにくい) が使われたのだそうだ。

金萬さんのねらいが、いよいよ見えてくる。

 

当時の浦安の風景が再現されている。

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館内には干潟のジオラマなどもあって、

今度は時間をとって、じっくりと見に来ようと思う。

 

途中、浦安市内を流れる境川沿いを歩く。

朽ちてゆく打瀬舟が佇んでいたりする。

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まだ使える状態の舟がつながれてあった。

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金萬さん-「形も美しいだろ。 オレ、こいつを狙ってんだよね。」

これは子安型なのだという。

 

金萬さんたち 「東京湾に打瀬舟を復活させる協議会」(略称:打瀬舟の会) は、

打瀬舟復活の意義を、次のように考えている。

〇 かつて東京湾に広範に存在していたアマモ場などの生物生息地の再生と、

   自然と人々とのかかわりの復活を象徴するものとして、打瀬舟を復活させる。

〇 日本の伝統である木造船技術を持つ舟大工の技術を継承する。 

   それは単なる復元ではなく、最先端の技術 (知恵) を取り入れながら発展させる

      ためにも必要なことである。

〇 木造の舟をつくるには、手入れされた森が必要である。

   打瀬舟の建造を通じて、東京湾とその流域のつながりを取り戻したい。

〇 自然エネルギーを利用した漁法の見直しと、漁業資源との共生を考える素材とする。

〇 子供たちへの打瀬漁体験などを通じて、森林と海のつながりや藻場干潟の大切さを

   学んでもらい、藻場の再生から豊穣の東京湾再生へとつながることを期待したい。

 

森は海に栄養を届け、その木材は魚貝類を取るために用いられ、

漁獲は海に流れた栄養を陸に返す。 

そんな循環を取り戻すための、打瀬舟の復活、ということか。

 

東京湾で生きてきた漁師の胸には、打瀬舟に対する深い郷愁もあるのだろう。

あの頃はみんな活きていた、みたいな。

その心に、" 東京湾 "  と聞くと血を騒がせてしまう人たちが共鳴しているわけだ。

遠忠食品・宮島一晃さんもその一人として、協議会の監事に名を連ねている。

みんな、熱いね・・・・・とか思いながら、

ウトウトとバスに揺られながら、山武杉の森へと移動する。

雨模様だった天気も回復してきた。 森も見られそうだ。

 

そして - 

山武杉の森で、僕は思わぬ人の名前を聞くことになったのだった。

                              (すみません。 明日に続く、で。)

 



2009年11月13日

成長するための管理と監査へ -加工食品製造者会議

 

前回書いた立川駅伝は、3チームとも全員完走し、無事 襷(たすき) はつながったとのこと。

成績は聞いてない。 市民駅伝だし、みんな元気よく走っていた、それで充分。

ランナーたちの胸に、いい風が吹いただろうか。

 

さて今日は、加工食品と乳製品のメーカーさんたち合同での生産者会議が、

千葉・幕張で開催されたので参加する。

「第10回全国加工食品製造者会議&第5回牛乳乳製品生産者会議」。

地方での開催だと現地の製造工場などが見れて勉強になるのだが、

都心での開催のほうが、参加者は多くなる。

したがって全体で確認したいテーマが設定された時は、

やっぱり東京周辺で、となってしまう。

上京されてくる方々にとっても、合わせて他の仕事もセットできたりするのだろう。 

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ということで、幕張開催の気楽さ。 仕事を途中で置いて参加する。

本日の演題はふたつ。

第一部 : 「アレルゲン管理と事故対策」

第二部 : 「加工食品工場における第三者監査の取り組み」

 

ともにここ数年、内部検討や関係者との協議を積み重ねてきて、

大地を守る会らしい取り組みとして進んできたテーマである。 


第一部の講師は、NPO法人アトピッ子地球の子ネットワーク事務局長の

赤城智美さん。

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食物アレルギー関連での、表示ミス等による製品回収事例の報告から始まり、

実際に発症した事例や症状の傾向、製造過程での混入事例、原材料の供給元での混入事例

等をたどりながら、リスク管理の考え方から具体的な管理の手法へと展開された。

食物アレルギーに対する正確な知識を持ち、

実際に事故を起こさないための管理体制を持つことは、

食品メーカーとしては今や必須の事項であり、

特に食べものの  " 安全性 "  を大事にする我々としては、生命線だとも言える。

しかしアレルゲンとなる食品は調味料はじめいくつもあり、

かつ食品メーカーとして多種多様な製品をつくる以上、

アレルゲン物質が工場内に存在することは避けられないし、

混入の可能性をまったくのゼロにすることも実はかなり困難なことで、

" 可能性はゼロではない "  の観点から管理の仕組みを作っていくことが大切なのである。

 

このデリケートなテーマに対して、当会では、

アトピッ子さんと共同で、『製造者のためのアレルゲン管理ガイド』 という

食品製造者のための管理マニュアルの作成を進めてきた。

この作業は僕が以前の部署である 「安全審査グループ」 時代から始めたもので、

ついに、100ページにわたる、製造者にとって具体的に役に立つ管理ツールが完成した。

僕にとっては、3年越しで完成に漕ぎつけてくれたマニュアル、ということになる。

このほかにも、事故が発生した場合の対応のあり方をまとめたガイドや

工場管理をチェックするためのマニュアルも作成していて、

僕はこれを 「アレルギー・マニュアル3部作」 と呼んでいた。

その3部作が、ようやっと揃ったことになる。

今回はそれを受けての講演という格好になった。

赤城さんの講演を聴きながら、ここまで来れたか・・・・・という感慨に浸る。

 

本ガイドは、これからメーカーさんに配布され、現場で役立ててもらいながら、

さらにバージョンアップが図られていくはずだ。

マニュアルが一発完成したからではなく、その作業の積み重ねの上にこそ、

" 信頼 "  や  " 安心 "  の称号は待っている。

どうか活用してほしい、と願わずにはいられない。

僕らとメーカーとは、安全性にこだわった食品の製造-販売という関係だけでなく、

安心できる社会づくりに向けてともに歩んでいることを、誇りを持って示したいと思う。

 

第二部は、「加工食品工場における第三者監査の取り組み」。

講師は、有機食品・生産情報検査員、丸山豊さん。

これまた当会独自の取り組みである農産物の監査を進めていただいている

 (有) リーファースさんからの講師派遣として来ていただいた。

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丸山さんは有機食品の検査業務では最も経験豊富な方の一人で、

日本オーガニック検査員協会 (JOIA) の理事長もされている。

 

表題の意味をひと言でいえば、農産物と同じ監査を加工食品でも進める、ということ。

加工品の原料の調達から製造化までのプロセスが当会の基準に合致していること、

それを証明 (トレース) できるシステムや文書管理が整っていること、

などを確認していただくことになる。

丸山さんには、その監査の意義や手順について、分かりやすく解説いただいた。

「監査」 と言われると誰もが緊張するものだが、第三者監査を受けることによって、

社内トレーサビリティの構築や管理システムの見直し・改善につながるものである。

どうか積極的に受け入れてほしい、と参加者を気遣いながら語ってくれた。

しかもこの監査は、JAS法などの認証のための監査ではないので、

ベテラン検査員の経験によるアドバイスも存分にやっていただこうと思っている。

つまり現場で検査員の知識を吸収できる特典付きという 「監査」 ってわけだ。

ただ 〇 か X かの冷たい監査報告書を持って帰ってきてもらうのでなく、

工場管理の進化に向かって、「第三者監査」 という手法を活用していただく。

それによって、僕らは総体として成長する、のだ。

 

アレルゲン管理に第三者監査の活用。

二つの講演がセットで企画されたことは、ちょっと自慢していいんじゃないか。

僕も両者に関わった者として、勝手に鼻高々の気分である。

 

自己チェック体制を築き、監査を取り入れ、改善を進めることで、自信が湧き、

スタッフのモチベーションも上がって、自慢の工場になる。 信用や信頼も高まる。

自らを進化・成長させるためのツールとして活用していただけると嬉しい。

 

会議後の懇親会でも、あちこちで話題になる。

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ところで赤城様、丸山様 (&リーファース代表・水野葉子様)

懇親会の席で、社内全体の意欲を高める必要がある、と言われた方がいて、

喜んで次のように応えさせていただきましたので、ご了承ください。

「なんなら自主的に赤城さんや丸山さんを呼んで講習会を開いてみてはいかが。

 大企業のような設備や資金がなくても、やれることはあります。 応援しますよ。」

要するに、私の意地は-

大地を守る会の生産者会員のモラルと意識の高さは一番!と常に言わせたい -です。

ということで、よろしく! です。

 



2009年11月 6日

マゴメさん見学 -職員研修

 

普段あたり前に食べているお米も、流通の裏側というか

縁の下の世界を実際に見る機会はそうないよね。

それは大地を守る会の職員も同様で、

米の生産現場を回ったり、しょっちゅう生産者とコミュニケーションをとっている

仕入の担当者にとっては常識に思えるようなことも、

たった数メートル離れたところで他の業務に追われている者にとっては、

新鮮な驚きだったりする。

「そういうことは早く言ってよ!」 と叱られて担当者は驚く、ということは、

米に限らず、どんな仕事でもよくあることだ。

大事なのは  " お互いさま "  " おかげさま "  の精神なのだが、

それも情報や知識の交流があって成り立つものだと思う。 つくづくと......

 

農産チームの米の担当者、海老原康弘が、社員とくに営業サイドの若手職員向けに、

米の仕入から精米-袋詰めまでお願いしている (株)マゴメさんの見学会を企画した。

マゴメさんとは、当会が特定の産地の米を会員に届ける仕組みを作った時からの

お付き合いだ。 もう30年以上になる。

いまやマゴメさんは、有機・特別栽培の専用精米設備を持つ、立派な有機認定精米業者である。

有機や無農薬のコメの扱い量は、おそらく全国でも断トツだと思う。

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海老原くんが用意した資料の中に、雑誌に掲載されたマゴメさんの記事があって、

「長期低迷にあえぐ米の消費の中で、有機栽培米や特別栽培米に特化して、

 成長を続ける」 なんて紹介されている。

こんなくだりがあった。

 

  業態が卸売へシフトしていく過程をたどると、大きく三つの波がある。

  最初の転換期は七〇年代にさかのぼる。 

  当時、高度経済成長の陰で環境汚染が深刻化し、全国各地で公害問題が噴出していた。

  有吉佐和子の 『複合汚染』 がベストセラーになったのもこのころだ。

  そんな状況下で有機農業が黎明期を迎える。 マゴメもこれに共鳴。

  有機農産物の普及促進を目指す組織の草分け 「大地を守る会」 に協力し、

  無農薬米を積極的に扱うようになる。 (『産業新潮』 2009年4月号)

 

そう、米の開拓では一心同体だったといってもいい。 お世話になった、本当に。

説明を聞く職員。 

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勉強してね、頼むよ。 

 

説明しているのが社長の馬込和明さん。

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馬込さんの後ろに見える機械が、食味判定器。 食味計とも言う。

この手の機械メーカーはおそらく10社くらいだったと思うが、

マゴメで導入したのはケット社製で、「一番厳しい数字が出る」 とのこと。

 

全国の契約農家を回り、信頼関係を築いてきたマゴメさん。

品質チェックも厳しく、生産者にフィードバックすることも忘れない。 

米価も下がって販売も厳しい中、それでも

納得できればできるだけ高く引いてあげたいと苦心する。

生産者にとっては、こんなありがたい米屋さんはそうないだろう。

 

秋田・大潟村から、相馬喜久雄さんが仲間を連れてやってきた。

ちょうど相馬さんの米が入っていて、ポーズを取ってもらう。

「オイラの米だよお。 有機米だぁ。 文句あっか~」 

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え? そんなこと言ってない、って? 顔に書いてあるよ。

息子さんも継いで、今年からは仲間も増えて

 「大潟村げんきグループ」 というグループを結成した。 常に前向きの方である。

 

本社・精米工場から歩くこと約10分。

線路を渡って、西八王子駅南口にあるお店、「お米パン工房マゴメ」 に向かう。 

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白米、黒米の食パン、フランスパン、あんパン、クロワッサン...... カステラまである。

すべて米粉製品。

 

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米の消費拡大の一環として、と世間では位置づけられるが、それだけではない。

有機米の精米にあたっては、他の米が混ざってはいけないので、

直前に精米ラインを通った米の残りが入らないよう、米を通した後、

最初に精米されて出てくる5kg分くらいの米は除外するようにしている。

前に通った米も他産地の有機米であったり、

無農薬米や減農薬米 (世間的には特別栽培米) であったりなのだが、

それは米としては販売しない。

そういう米も大事に使いたいという意図もあっての米粉加工だったのである。

 

見学終了後、げんきグループの生産者も交えて、懇親会を開く。 

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海老原が産地をまわる度に撮りためてきた映像を編集したDVDを見ながら、

米粉パンを試食しながら米の汁 (世間では清酒と呼ばれる) を飲む。

 

パン工房の職人、中村博信さん、28歳。

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千葉の農家の出で、舞浜・ディズニーランドにあるシェラトンホテルでパンを焼いていたが、

実家の米でパンを焼きたいと、マゴメさんのパン工房にやってきた。

ウ~ン、よくできた子だ。

いろんなパンの試作に日々挑戦している。

「小麦のパンは、それだけでも食べられるって感じがしますが、

 米のパンは料理と一緒に食べるといいです。 料理に合うんですよ。」

それって、まるでご飯じゃない。

朝はパンというご近所の方々、ぜひ朝食も米でお願いします。

 

遅れて登場したのは、北海道・中富良野の 「どらごんふらい」 のメンバー、

太田順夫(のぶお) だ。

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この人の今回の主たる目的は、工場視察でも大地職員との交流でもなく、

翌日の立川駅伝、である。

大地を守る会職員たちで3チームをエントリーしていたのだが、

「俺が走りってやつの見本を見せてやるよ」 と北海道から助っ人としてやってきた。

(ま、本当は仕事で来られたのだろうが、ここではそういうことにさせていただく)

 

なんとシャツには 「長距離魂」!なる文字が彫られ、いやプリントされている。

背中も見てくれ。

「マラソン走るってねぇ、エビちゃん。 舐めちゃいかんよ。 心構えが必要なんだよ!」

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長距離種目覚書

 一.滑らかでロスの少ない走りが必要と認識すべし。

 二.肩の力を抜き自然に腕を振るべし。

 三.背筋をのばしリズミカルに走るべし。

 四.スパート時のスプリント能力が必要と認識すべし。

 五.強い気持ちを持って、最後まで粘り強く走るべし。

 

太田さんは知る人ぞ知る、ダンスの大会で賞を取る人なのである。

普段から鍛えている。 ぜい肉もなく、足はカモシカのようだった、とは

この日飲み過ぎてマゴメさん宅に一緒に泊まった我が長谷川取締役の報告である。

 

実をいうと、相馬さんたちも駅伝を走りにやってきたのだ。

明日には同じ大潟村から、黒瀬友喜選手 (「ライスロッヂ大潟」代表・黒瀬正さんの息子)

も合流することになっている。

僕は、「仕事で出られないから」 を理由に、遠慮せず飲ませていただいたく。

頑張ってね~ 飲み過ぎちゃだめよ~ とか励ましながら。

ちなみに、馬込和明社長もフルマラソン・ランナーである。 あなどれないなあ、みんな。

 

マゴメさんの有機・特別栽培の精米工場は甲州街道(国道20号線) 沿いにある。

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この街道には約770本のいちょうが植えられていて、

今月21日(土)、22日(日) の二日間、八王子いちょう祭り が開催されます。

今年で30回目を迎え、様々な記念イベントも用意されているとか。

よろしかったら八王子まで、黄葉のイチョウを愛でる、はいかがでしょうか。

米のフランスパンを買って-

 

イチョウは手品師~ 老いたピエロ~  ♪  

フランク永井だったっけ。 古いね。

 



2009年11月 3日

今年のブナの植林は雪だって

 

11月3日、文化の日。

例年だと多少の仕事はあと回しにしても、前日から秋田に遠征するのが定番に

なっているのだが、今年は会議などもあり、動けなかった。

93年から、大潟村の生産者たちが続けている上流部での植林活動、

『秋田・ブナを植えるつどい』 が行なわれる日である。

 

参加した 「米プロジェクト21」(大地を守る会の専門委員会) の仲間から、

携帯で写真付きの速報が送られてきた。

まだ立冬前だというのに、雪と霰(あられ) の中での植林だという知らせ。

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11月3日に雪の中での植林作業というのは、17回にして初めてだね。

さぞや大変なことだろう・・・・・と思ったが、

メールには 「雪の中の紅葉風景は、最高!」 なんて文字が躍っている。

作業のつらさを差し引いてもあまりある自然の美しさを堪能したようだ。

ちょっと、羨ましくなったりして。

 


たしかに、何気ない林も気高く見える。

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雪は風景の基調を純白で覆うから、余分なものが消え去って、

その中に残された、あるいは浮き出た色がすべて映えてくるんだよね。

光の反射もあるかもしれない。

冷たい空気を肌で受け止めながら眺めると、その感動はいっそう強いものとなるのだろうか。

 あんまり寒すぎると、それどころではなくなるけど。

 

ここは上の看板からして第3植栽地の奥にあたるところのようだ。

e09110303.JPG (以上3枚/提供:宮下恵子さん)

植えて3~5年くらいか。

いよいよ何度目かの厳しい冬がやってきたぞ。

ヒトは  " 風雪流れ旅 "  とかに憧れたりするが、彼らは風雪に耐えながら、

ひたすら根を張ることで生き抜くしかない。

そして大地を肥やし、生命循環を支える土台となるんだ。 頑張ってほしい。

 

田に入れる水の源まで足を伸ばし、涵養力の高い広葉樹の森を育てる農民たち。

彼らの作業が財産となって返ってくるのは、まだ数十年先のことだけど、

彼らの営みは、百年単位の視野を僕らに与えてくれる。 

 

ここ数年、食や農業をテーマにして話をする機会があると、

必ず挿入する一枚が、ここでの植林の絵である。 

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(いま講演用スライドで使っている、ちょっと古い写真。 そろそろ更新しなくちゃ)

 

生産者と消費者が協働で豊かな森をつくっています。 未来のために。

 

そしてお決まりの文句を繰り返す。

私たちは、食べることを通じて世界とつながっています。

それは、どのような人と、そしてどのような価値観と繋がるかについて、

否応なく日々選びとっている実践的行為なのです。

私は、こういう農民とつながることに喜びを感じている者です・・・。

 

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(今年の案内チラシに採用いただいた2年前の写真)

 

一本のブナを前にして悠久の時間を想像したとき、死ぬことも怖くなくなる一瞬がある。

あのふるえるような体験は、捨てられない。

ああ、しかし・・・来年は水曜日か。 ますます行けそうにないなぁ。

ごめんね、黒瀬さん(ライスロッヂ大潟代表)、大潟村の皆さん。

 

雪の中の作業に参加いただいた大地を守る会会員の皆様。

お疲れ様でした。 そして、有り難うございました。

 



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