2009年11月26日
『有機農業で世界が養える』-か?
「有機農業では世界の人口を養えない」
- このセリフは長らく、有機農業を批判する際のお決まりの主張のひとつだった。
しかしこの論には陥穽(かんせい、≒罠) が潜んでいて、
現在の農薬・化学肥料による単位面積当たりの生産量と、有機農業によるそれとを
単純に比較して結論づけただけのお手軽な仮説でしかないのに、
不思議に " 世界の常識 " のように言われるのだ。
有機農業だと生産性が落ちるので世界の胃袋は満たせられない、と。
現場から離れた学者ほど、この論にはめられる傾向がある。
この計算根拠のミソは、" 現在の " にある。
そもそも、農薬と化学肥料で世界じゅうを養えたという歴史的事実はないし、
農薬・化学肥料がない (つまり有機農業が当たり前の) 時代から
農薬・化学肥料がもてはやされるようになった時代までひっくるめて、
世界の食料需給は行ったり来たり (養えたり養えなかったり) してきたんじゃない?
地球上での飢餓の存在は、むしろ今日の方が恒常化している、ってことはないでしょうか。
「飢餓は生産方法の問題ではなく、分配(奪っている) の問題である」
という主張のほうが、僕にはずっと腑に落ちるのである。
いやいや、今日の穀物生産を支えているのは農薬・化学肥料じゃないか
(現状ではそうは言える)、と仰る向きには、
それはたしかにグローバリズムと食料の低価格化に貢献したとは言えますね、
と評価してお返ししたい。
もしかしたら飢餓にも貢献しているかもしれない、と思ったりもするのだが。
しかしこの議論をする際にもっとも重要なことは、現代の有機農業が、
農薬・化学肥料に依拠した近代農法への反省から生まれ(というより、復活し、か)、
今日さらに発展してきているという 「事実」 である。
その反省とは、近代農法による人の健康への影響に対する反省であり、
生態系バランスの衰退(環境汚染) への反省であり、地力の減退への反省であり、
農産物の生命力(安全性・栄養価・味等も含まれる) の減退への反省、等々である。
それらは見事に近代農法の不安定性を表すものであるし、
一方で有機農業によって地力が回復・向上することで収量が " 安定する "
という世界が証明されてきているとしたら、さてどちらが将来の人口を養う力があるのか、
どちらに未来の生命を委ねるべきなのかが、見えてこないだろうか。
だからこそ、有機農業の技術体系の確立を急ごう! なのである。
とどめは、有機農業の資源はなくならないし、どこにでもあるが、
化学肥料の資源は有限である、という 「事実」 だろうか。
いま目の前にある数字で未来まで占って、
環境への負荷や健康リスクのほうを選択するわけにはいかないでしょう。
「世界を養えるかどうかは、近い将来、実力で示すことになるであろう」
という宣言で、この論争は終わりにしちゃいたい、というのが僕の感覚だった。
ところがしかし、ここにきてにわかに、
終わるわけにいかない事態へと進んできているのである、このテーマが。
論争が、新たなステージに移った、といってもいいだろうか。
科学的専門領域から、新しいデータが出されてきたのだ。
足立恭一郎さん。
農林水産省の研究所に勤めながら、ずっと有機農業の可能性を説き続け、
それゆえにいじめられ続け、冷や飯を食らわされながら、3年前、退官された。
大地を守る会には、いつも温かい眼差しを送ってくれた方である。
その足立さんが、ついに念願の、いや悲願のデータを手にされた。
あとがきによれば、
「30余年の長きにわたり、恋い焦がれてきた恋人に、ようやく出逢えた」
と、その喜びを率直に語っておられる。
『有機農業で世界が養える』 -出版は畏友・大江正章さんのコモンズから。
統計データを扱う際の足立さんの真摯さと、執念がにじみ出た論考である。
スミマセン。 今日はここまで。 明日、もうちょっと解説を。