2010年2月アーカイブ

2010年2月25日

宇根豊さんを囲んで

 

21日の日曜日の午後、エキュート大宮を覗いたあとで、

秋葉原にある日本農業新聞社という新聞社に出向いた。

ここの会議室で、「宇根さんを囲む会」 なる集まりが開かれたので、

遅まきながら報告しておきたい。

 

宇根豊さん。

このブログでも何度となく登場していただいている、" 農の情念 " を語る人。

長く農業指導にあたった公務員職を投げうって、10年限定の活動と定めて

NPO法人「農と自然の研究所」 を設立したのが2000年の時。

早いものでもう10年が経ってしまった。

 

3月の解散総会を前に、

宇根さんに触発されながら生きてきた人たち有志による、小さな集まりが企画された。

研究所の解散を惜しむ人はあまりいない。 これで宇根豊が枯れるワケじゃないから。

むしろこれからの宇根ワールドの展開を期待しつつ、

これまでの労をねぎらいたい人、感謝する人、注文をつけたい人、

農業団体の方、林業家、研究者、マスコミ人、出版人、市民団体のリーダーなどなど

各方面から約30名ばかりが集まった。

こういう会にお声かけいただくとは、光栄なことだ。

ここは女房に何と言われようが、出なければならない。

(別に何か言われたわけではないけれど、決意の程の表現として-)

 

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この日の宇根さんの話は、研究所10年の活動を振り返るようでいて、実は 

宇根さんが 「虫見板」 なる道具を使って害虫の観察を指導した頃からの、

30年で到達した地平と、まだ出ていない " 解答 " について、だった。

 

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「10年で、まあまあ布石は打てたか、と思う。

 生き物調査は、生物多様性農業支援センターに引き継がれたし。」

 

「さて、虫見版はどこまで深まったのだろうか。。。ということです。」

 

ここで宇根さんが描く次の地平を語る前に、

改めて宇根豊がいたことによって開眼された世界を振り返ってみたいと思う。

この席に呼んでもらった者の仁義として。

 

僕なりに時系列的に追ってみると-

虫見版は当初(80年代初頭)、害虫対策として始まった。

ただ言われた通りに農薬をふるのではなく、

たとえばウンカが今どれくらいいるのか、どの生育期にあるのかを確かめた上で、

「適期(最も効率のいいとき) にふらんといかん」 という、

極めて当たり前のようでいて、当時の上からの一律的な指導とは一線を画すものだった。

そのことは、田んぼの状態は一枚一枚違うのだということを思い出させ、

また自分の判断で農薬を撒くという主体性を取り戻させた。

結果的に農薬散布回数は劇的に減っていったのである。

それは 「減農薬運動」 と称されて注目を浴びるのだが、

しかし 「減~」 であるゆえに、有機農業側からは、自分たちとは違うものとして扱われた。

 

虫見板(による減農薬運動) の普及は、

百姓 (ここは宇根さんの表現に倣って使わせていただく) たちに虫を眺める姿勢をもたらした。

そこで発見されたのが、「よい虫・悪い虫・ただの虫」 という概念である。

田んぼには、害虫や益虫だけでなく、

実にたくさんの  " どっちでもない、よく分からない "  ただの虫たちがいるのだ。

しかもその数は、益虫よりも害虫よりも、圧倒的に多い。

(ちなみに、宇根さんたちがまとめた生きものリストでは、害虫より益虫のほうが多い。)

 

その虫たちの名前を知りたい (名前で呼びたい)、

どんなはたらきをしているのかを知りたい、という欲求は、さらに観察力を高めた。

そしてそれまで見えていなかった世界をつかむことになる。

 

トビムシはワラの切り株を食べて土に還すはたらきをしている、という発見。

虫たちのためにも農薬をふるのをやめよう、という感性の復活。

虫たちが食い合いながら共生して田んぼの豊かさをつくっているという、

今でいう生物多様性(生命循環) と、百姓仕事がつながっているという世界の獲得。

 

「宇根さん。今年、ウチの田んぼでタイコウチが見つかったんだよ! 30年ぶりかなあ。」

「あんたは30年ぶりに見たかもしれんが、タイコウチは30年、あんたを見とったとよ。」

「そうなんだよ。そうなんだよ。」

 

この世界は、田んぼだけのものではない。

見渡せば、風景そのものが生きものたちで構成されている。

ヒトはそれらを手入れしながら、一緒に生きてきたのである。

生物多様性と農業のかかわりが見つめ直されてきた時代にあって、

今では有機農業者たちも、宇根さんたちが獲得してきた世界と思想から学ぼうとしている。

 

そして、宇根さんがこれからまとめようとしているのが、「風景論」 である。

自然は生命の気で満ち満ちている(天地有情)、その生命たちで構成された風景をこそ、

私たちは美しいと感じるのではないか。 

さて、この世界を百姓仕事の側からどう表現するか・・・・・

「自然」 と言わず 「天地」 と語り、

「景観」 と言わず 「風景」 と語りながら、宇根さんはまだ深く言葉を探し求めている。

 

参加者の中から、北の宮沢賢治に南の宇根豊、という言葉が漏れた。

う~ん、分からなくもない・・・・・

脳裏にあるのは、たとえば賢治の 「農民芸術論」 だろうか。

 

  いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ。

  芸術をもてあの灰色の労働を燃せ。

  ここにはわれら普段の潔く楽しい創造がある。

  都人よ 来ってわれらに交われ  世界よ 他意なきわれらを容れよ。

 

  なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ

  風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 

  ・・・おお朋だちよ。 いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園と

  われらのすべての生活を 一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか・・・

 

「景観」 とか 「自然」 とか 「多様性」 とか 「農業技術」 とか、

口に出した瞬間から、思いが指の間からこぼれ落ちていくような焦燥とたたかっている

彼の追い求める道が、農民の芸術を創り上げたいという渇望にも通じているとするなら、

たしかに彼は " 農の思想家 " であるのみならず、

農民、いや " 百姓の芸術 " 論を紡ぎ出すことのできる、希望の一人だろう。

 

帰りたがらない一行は、アキバの中の古民家づくりの居酒屋で気炎を上げる。

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宇根さんを囲んで宇根豊談義は尽きず、

まあ実に熱い人たちだ。

 

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虫見板からはじまって、6000種に及ばんとする田んぼの生き物リストの完成まで、

実にたくさんの 「語れる道具」 を編み出し、惜しみなく僕らに与えて、

「農と自然の研究所」 を約束どおりきっちりと閉める宇根豊の表情は、

少し晴れやかにも見える。

彼の思索はまだまだ続くのだが、僕らもただ彼の仕事を待つのでなく、

歩かなければならない。

 

あさっての東京集会で世に出る 「たんぼスケープ」 は、

実は僕なりの 「生きもの語り」 「風景の発見」 「まなざしを取り戻す」

ネットワークづくりへの挑戦でもある。

 



2010年2月23日

『たんぼスケープ』 Open -生産者からの投稿求む!

 

突然ですが、インターネット上に新しいサイト

『たんぼスケープ』 がオープンします。

 

このブログでも 「地球大学」 などで何度か登場している竹村真一さん

(京都造形芸術大学教授・文化人類学) が主宰する 「ELP」 による制作です。

 

田んぼでの作業風景や、田畑で見つけた生き物の写真などを

携帯電話やパソコンから投稿すると、瞬時に

画面の日本地図上に着信の印がアップされ、それをクリックすると

投稿写真やメッセージが映し出されます。

 

北から、南から、皆さんの日々の農作業の様子、季節の風景、

地元で言い伝えられている観天望気などを、ぜひこのサイトに送ってください。

皆さんの声や美しい田園風景をリアルタイムで発信することによって、

活気ある農の現場感を伝えたいと思っています。

 

サイトのオープンは、2月27日(土)、午後2時!

この日に開催される

 2010だいちのわ ~大地を守る東京集会~

のステージで、竹村さんのプレゼンテーションとともにスクリーンに映し出す

という仕掛けになってます。

東京集会に都合がつかなかった方も、写真投稿の形で参加することができます。

(来場者より目立つかも・・・)

もちろん携帯に撮って会場にお越しいただいてもOK!です。

 

投稿の要領は、以下の通り。

 


1.投稿いただきたいテーマ(お題) は、以下の3つからスタートします。

  ① 「田んぼ」 や 「米づくり」 の話題

    たとえば、南の方から 「こちらではもう田植えの準備に入ってるよ~」 とか、

    北の方からは 「うちの田んぼはまだ雪の中。でも、きれいでしょう、この風景」、

         あるいは 「自慢の棚田を見てくれ!」 とか。

  ② 「生きもの」 の話題

    たとえば、「いま、私たちの田んぼで休んでいる渡り鳥たちです」。

    あるいは、「去年の田んぼで見つけた絶滅危惧種。すごいっしょ」 とか、

    時節柄ですから、撮りためてあったものでもいいと思います。

  ③ 「観天望気」 の話題

    たとえば、「当地では、梅の花が下向きに咲くと不作になるって言われてる。

    今年は確かめてみようか・・・」 というのはどうでしょう。

         今の梅の状態から、1週間おきにアップすると、さてどうなるか。

    あるいは、「タンポポの葉が地を這うと晩霜がやってくる」 ってホントか?

    このような、地域に言い伝えられてきた観天望気(かんてんぼうき) を集めて、

    確かめてみたいとたくらんでいるのです。

    そんな話題がいっぱい集まってきて、

    農家に伝承されてきた " 言い伝え "  の意味を探ることができたなら、

    私たちが忘れてしまったあの頃の " 自然へのまなざし "  も、

    もしかしたら取り戻すことができるかもしれません。

 

2.送り方は以下の通り。

 

  ① 写真を撮る (ケータイでOK。デジカメならPCに移して。)

     上記のテーマに関係していると思ったものなら、素材は自由です。

 

  ② ケータイかPCから、以下のメールアドレスにアクセスする。

     「田んぼ」や「米づくり」の話題なら ⇒ t@tanbo-scape.jp

     「生きもの」の話題なら ⇒ i@tanbo-scape.jp

     「観天望気」の話題なら ⇒ k@tanbo-scape.jp

 

  ③ 入力にあたっては-

     ★ メールの「件名」は、必ず7桁の郵便番号を入力する。

     

       (郵便番号から自動的に住所に変換され、

        日本のどこからのメッセージなのかが分かります。)

 

        本文1行目に、ご自身のニックネームを。

 

        本文2行目から、簡単なメッセージ(つぶやき)を入力。

 

  ④ 写真を添付して送信する。

     メッセージだけでもOKですが、写真があった方がリアルに伝わります。

 

    -以上で、OK! です。-

 

3.ご自宅のPCやケータイから、以下のURLで、投稿画面が確認できます。

     www.tanbo-scape.jp

  ★ 地図上の ● をクリックすると、写真とメッセージがアップされます。

  ★ もう一度クリックすると、元に戻ります。

  ≪注意!≫ 写真は1回に1枚のみです。 複数送る際も、1枚ずつ送ってください。

 

これは、生産現場の風景やメッセージを、リアルタイムで伝える、新しい実験です。

2月27日(土)午後2時、

ではでは、オープン! と同時に日本地図に一斉に着信ランプが灯るのを期待して、

楽しい投稿を、待ってます。

 

≪追伸≫

  「東京集会」 会場では、デモンストレーションも行ないます。

  ぜひ、「たんぼスケープ」 ブースまでお越しください。

 



2010年2月22日

大宮にお立ち寄りの際は-

 

≪お知らせ!≫

ただいま、JR大宮駅構内 「エキュート大宮」 にて、

大地を守る会出店-「オーガニックライフ」 を開催中。

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場所は、中央改札(南)から入って、コモレビ広場の前に位置した

エキュート大宮内 「イベントBOX」

 

大地を守る会の野菜・果物・お米・調味料などの加工品の他、

宅配では普段ホールでしか買えないムーラン・ナ・ヴァンのケーキも

カット販売中。 

 

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期間は、3月1日(月)までの限定です。

時間は、9:30~22:00 (日曜日は20:30まで)。 

 

大宮駅に降りられる機会がありましたら、

またお近くまで来られてお時間がありましたら、

ぜひお立ち寄りください。

エキュートは改札の中にありますので、ちょこっと下車して覗くこともできます。

夕食用に、訪問先のお土産用に (もちろんご自宅用にも)、

ご利用いただけると嬉しいです。

 

なお、ちなみに、大地を守る会の職員が交替で店番に立ってます。

慣れない者もおりますもので、

もし失礼の段がございましたら、どうぞ叱ってやってください。 

 



2010年2月19日

全国水産物生産者会議

 

昨日(2月18日) は、水産物の生産者会議が開催された。

年に1回各地で開催されてきて、19回目を数えるまでになった。

今回は幕張の会議室が使われたこともあって、途中から覗いてみる。

 

今回のテーマは二つ。

その1。 加工場内でのアレルギー事故対策について。

その2。 水産加工場における第三者監査の取り組み。

 

昨年秋に開催した 加工品製造者会議 と同じテーマ設定である。

要するにこの一年、食品加工場の進化をはかった共通テーマというわけだ。

違うのは参加者の顔ぶれ(=原料分野) と講師だけなので、

このねらいとかについては、加工品会議の報告をご参照いただけるとありがたい。

 

テーマその1の講師を務めたのは、(株)大地を守る会品質保証グループの南忠篤。

加工品会議の際は、NPO アトピッ子地球の子ネットワークの赤城智美さんにお願いしたが、

今回は身内で務めさせていただく。

 

アレルギー事故は、起きてからでは遅い。

場合によっては、加害者になるだけでなく、メーカー自身、命取りになる可能性がある。

大地を守る会では、アトピッ子さんと組んで、

工場でのアレルゲン管理からリスク・コミュニケーションまでの

トータルなマニュアルを整備してきた。

僕が安全審査グループにいた時から、実に4年越しの作業である。

大地を守る会の加工食品メーカーとして、ぜひ皆さんで使いこなして欲しい。

 

次は、もうひとつ当会が独自に取り組んできた監査の意義や仕組みについて。

講師は、監査を依頼している(有)リーファース代表の水野葉子さん。

日本での有機農産物の検査を切り拓いた草分けの方である。

ちょっと意固地な個性派が居並ぶ水産関係とあって、御大の登場となったか。

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冒頭の自己紹介で、水野さんは大地を守る会との縁から語ってくれた。

アメリカ・ミネソタ州在住時代、日本語教師をしながらオーガニック食材を探し求めていた。

日本に帰ってきて、日本の有機食品の表示のおかしさを感じて、

改めてアメリカに渡って、日本人として初めてオーガニック検査員の資格を取得した。

日本ではまだ有機の認証制度をつくるかどうかでもめていた頃だ。

そんな折に大地を守る会前会長の藤本敏夫さんと出会った。

すでに病床にあった藤本さんは、これからの有機農業にとっての消費者の役割を語り、

水野さんは監査認証制度の健全な発展を約束したのだと言う。

 

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「藤本さんが亡くなった翌年、私はリーファースという会社を立ち上げました。」

「今こうして、頑張っている生産者を応援するための監査の仕組みをつくろうとしている

 大地を守る会の取り組みに関われることを、嬉しく思います。」

 

オレたちの物語は、実に深い縁でつながりながら、まだまだ続くのだ。

どうぞよろしくお願いします。  

 

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トレーサビリティ(追跡可能性) の仕組みは面倒か。 面倒だ、間違いなく。

「求められていることは分かるが、すべてコストに反映していく」 という意見もあった。

しかし・・・今のフードシステムの中で食べ物を作ることの意味を考えれば、

これは 「食」 に対するモラルと責任感のたたかいのようなものなんだと思う。

そんなことまで考えなきゃいけないのか、という気持ちは分かるけど・・・

 

一回の表示ミスは、一回しか起きない、と言えるか。

想定外の原料が使われてしまった時に、起きるはずのない事故だと済ませられるか。

それではアレルギー事故と同じように命取りになる可能性がある。

そんなことは起きない、と思っている人こそ、監査を受けてみるべきだ。

地獄に落ちる可能性が在るやないや、分かってないことこそ危険である。

 

人がやっている以上、事故は起きる可能性が常にある、のである。

その際に、即座に原因が追及でき、対策の実施と消費者への対応も含めて

迅速に対処できる体制を作っておくことは、余計なコストだろうか。

付け加えれば、クレームやお褒めの言葉の違いと製造ロット番号がヒモついて

トレースできるとしたら、これはいずれメーカー自身の評価の差になってゆくだろう。

最終的にはコストダウンにもつながるはずだ、というのが僕の核心である。

 

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生産者たちの質問は、まだ牧歌的なものだ。

そんなうちにレベルアップは進めなければならない。

 この点に関しては、僕は自分がどんなに嫌われたってかまわないと思っている。

あんたを守っているのはオレだからね、という自負があるから。

 

水野さん、野卑な水産生産者たちに最後まで付き合っていただいて、

ありがとうございました。

 



2010年2月15日

「種蒔人」 の おもてなし

 

南四国育ちの僕にとって、東北の冬は今もって異国である。

しかし、ここは違う。

ああ今年も変わらぬ風景で迎えてくれた、という感慨にひたることができる。

 

福島県喜多方市。 第14回大和川酒造交流会の開催。

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大地を守る会オリジナル純米酒 「種蒔人」(たねまきびと) の絞りに合わせて

行なわれる毎年の交流会も、今年で14回目となった。

原料米生産者である稲田稲作研究会の伊藤俊彦さん(現:ジェイラップ代表) と組んで、

「オレたちの酒をつくることで田んぼを一枚でも多く残したい」

と大和川酒造さんに乗り込んだのが1993年のことだから、

僕にとっては17年目の喜多方の冬である。

 

手前の蔵もさりげなく瀟洒に改造されていて、

会津には、お手軽になってゆくこの国の風情に一線を画そうとするような、

反骨の矜持というか、美意識が今も残っているように思う。

そんなところが好きだ。

 

どうもこのところ、自分でも見切れてないと自覚できるほどに仕事の範囲が広がっていて、

今回もついに、遅れての合流となってしまう。

参加者一同は、先に醸造蔵を見学し、今年の新酒の出来を確かめて、

旧蔵に設えられた 「良志久庵(らしくあん)」 での懇親会を始めたところだった。

いつの参加者が言ったか、"  この世の天国ツアー  "  を満喫するひと時。

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新酒の悦びもかすんでしまうような、会津・喜多方の郷土料理が

ふんだんに振るまわれる。  

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蕗(ふき)味噌。 沢庵漬け、べったら漬け。

雉子(きじ)鳥の肉掛けつゆ。

喜多方名物、馬刺しに鰊(にしん)の山椒漬け、鳥皮、粕煮、小汁、

そして檜原湖で釣ってきたというわかさぎに蕗のとう、たらの芽の天ぷらがたっぷり。

最後に自社農園「大和川ファーム」 で栽培された雄国蕎麦で締める。

デザートは、蕎麦アイス、酒粕アイスと、ここならでは逸品。

すべて 「美味い!」 としか表現できない情けない私。 ただただシアワセになる。

 

今は杜氏も兼ねる工場長、佐藤和典さん。

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「お陰さまで、今年も良い酒ができました。」

変わらぬ再現性を求めて、蔵の近代化もやった。

議論はあるところだろうが、実業をもって文化を継承するにはリアリズムも必須である。

僕は素直に感謝している。

 

お隣の山都町に入植して10数年。 冬は大和川の蔵人として働く浅見彰宏さん。 

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有機農業の師匠・小川光さんのもとに集まってくる若者たちにとっては、

範となる先人の役目を果たしている。

人手が不足してきた水路の清掃に都会から人を集めた仕掛け人であり、

一昨年から販売している季節アイテム 「会津の若者たちの野菜セット」 も

彼との会話の中から生まれたものだ。

「種蒔人」 の販売とともに貯まってゆく 「種蒔人基金」 も、それらにちょこっと貢献している。

 

社長の九代目弥右衛門さんは所用で途中から抜けたようだが、

この人さえいてくれれば何の問題もない。

九代目婦人、佐藤陽子さん。

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大地に限らず、酒づくり体験などでやってくるみんなのアイドル的存在。

忙しいのに、いつも笑顔でもてなしてくれる。

もう一人のアイドル、工場長夫人は、地域に葬祭があり、工場長代理で出かけたとのこと。 

僕らはホントに、申し訳ないくらいにイイ思いをさせてもらっているよね。

 

そして先代の八代目弥右衛門の奥方、貴子さん。

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2000年、それまでの銘柄名 『夢醸』 から 『種蒔人』 に名前を変えたのも

この交流会でのイベントだったが、その時にお願いして、筆で認(したた)めてもらった。

しかもそれをそのまま、ラベルに使わせてもらったんだよね。

たいそう驚かれていましたが、僕は満足しています。 お元気でなによりです。

 

新しい蔵人に、ちょっとしたイケメンが一人。

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佐藤哲野くん、社長の次男坊だとか。 

世界に冠たる日本酒技術が 「文化」 なら、

君は次代の 「文化人」 像をつくらなければならない。 これは宿命である。 

気負う必要はまったくないけど、頑張って欲しい。

 

では原料米生産者のご紹介。 同志! 伊藤俊彦。

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それでも世界一うまい米をつくる』(講談社) が出版されてから、

取材も増えたことだろうけれど、彼の進化はこんなもんじゃすまない。

食を語るウンチクもどんどん広く、深く、かつしつこくなってきて、

そのテッテイしたこだわりで、またひとつ新しい遊び、じゃなかった仕掛けが

いよいよ本格的に始動しようとしている。

 

次の主役は、この方になろうか。

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写真右がジェイラップ専務の関根政一さん。 左が伊藤大輔くん。

昨年の稲田収穫祭や今回の交流会に参加された方には、いよいよ本格的に!

という話です。 近いうちにちゃんと報告します。 乞うご期待。

 

そんなこんなで盛り上がっている場に、しっとりとした感動を与えてくれた今回のゲストが、

「魂のギタリスト」-福田正二郎さん。 

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談笑しながら聴く人ではなかった・・・・・

「禁じられた遊び」 のメロディに、「オレもこれならちょっと」 だって。 大変失礼しました!

 

食よし、酒よし、そして人の温かい交流。

心のこもったおもてなしに、人と人のつながりを感じ、素直に感謝の言葉を交し合う。

参加者をして  "  この世の天国  "  と言わしめたココロは、

なにより人の気が通じ合える歓びのようなものだったのではないだろうか。

気合いで作った酒で人をつなげられるなら、無上の歓びである。

 

翌朝は現在の醸造蔵 「飯豊蔵」 を再訪し、

種蒔人の酒粕をちょびっと取らせていただいて、お土産に頂いて帰る。

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喜多方の雪景色は、また一段と懐かしい風景になったような気がする。 

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帰りの喜多方駅で眺めた、真っ白の山並み。

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去年は登れなかった飯豊山にも、今年は行かなくちゃいけないか。

種蒔人を持って。

 

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今年も良い出来に仕上がって、有り難うございました。

皆さんに感謝です。 

この仕事だけでも、僕は大地で働けたことに喜びを感じています。

では一献。 

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<P.S.>

「種蒔人」 今年の新酒は、2月27日、

だいちのわ2010 ~大地を守る東京集会 」 の懇親会で鏡開きとなります。

ぜひご来場ください。

 



2010年2月11日

立松和平さん

 

8日、作家の立松和平さんが、逝っちゃった。

立松さんと大地を守る会のお付き合いは古く、大地を守る会の国際局が運営する

「アジア農民元気大学」(通称:アホカレ) では設立時(92年) から総長をお願いしてきた。

大学といっても校舎があるわけではなく、" 畑が校舎、農民が教授 "  をコンセプトに、

定期的に講座を開いたり、海外の研修生受け入れなどを行なっている。

また 「総長」 といっても、ボランティアでお願いしているもので、

逆に肩書きを持つがゆえに、立松さんには毎年年末に 「総長講話」 という講義を

開いていただく決まりになっているという、まあなんと言うか、

実にほのぼのとした " お友だち " 関係なのである。

昨年の12月にも講話をお願いしたばかりだ。

 

訃報が届いた9日のこと。 機関誌 ( 「NEWS だいちをまもる」 ) に書いた

稲作体験の記事の校正紙をもって編集担当者の席に行った時、

その彼がパソコンに映し出されたニュース速報を見ていて、

「立松さんが亡くなった? ええッ? この情報、嘘じゃないですかね。」

僕も驚いて画面に釘づけになる。

手元の校正紙の別のページには、昨年12月に行なわれた総長講話の囲み記事があった。

 

僕らには突然の訃報だったのだが、長年の友人である藤田会長のもとには、

1月下旬から危篤の状態である旨の連絡が入っていたとのこと。

 

僕には、ここで立松さんのことを語れるほどの交友があったわけではない。

ただ、多少の思い出もないわけではないのだ。

 

初めて立松さんに会ったのは、1987年の春だった。

当時発行していた大地を守る会の機関誌 「大地」 が、100号を迎えるにあたって、

記念の対談というのを企画した。

お願いしたのは、立松和平  Vs  山本コータロー。

会の機関誌にビッグな名前を登場させるとあって、

編集委員として担当させていただいた僕は、内心ちょっと自慢げに、興奮していた。

若かったね。

都内のレストランで段取りし、お二人をお迎えした。

 

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2時間ほど好きなこと喋っていただいて、払った謝礼も1万とか2万とか、

そんな額だったが、お二人は 「楽しかったよ」 と言って帰って行かれた。

生き方とか価値観を見直さなければいけない、という共通認識で、お二人は語り合っていた。

そういう言葉は今もあちこちで耳にするが、しかし時代がまったく変わってないわけではない。

長い目で見れば、少しは風向きも変わってきたようにも思う。

立松さんは小説を書くだけでなく、世界を旅し、テレビにも出たりして、

新しい風を吹かせようとしていた。 

訥々とした語り口ゆえに強い精悍さは感じさせないが、間違いなく行動する作家だった。

あの栃木弁がもう聞けないのは寂しい。

 

88年には 「いのちのまつり」 という一大イベントに挑み、

立松さんと藤田会長はともに実行委員としてタッグを組んで、農協の親玉と張り合った。

僕は一時その事務局に出向させられ、立松さんの姿を身近で眺める時間をもらったのだが、

打ち合わせが終わったある晩、皆で一杯やろうと街に繰り出した時、

「オレ、今日が締め切りなんだよう。 今夜のうちに 〇 百枚書かないといけないんだよう」

と逃げていかれた。 2百枚だったか3百枚だったかは忘れたが、

プロの作家というのは恐るべしだなぁ、と感動したのを覚えている。

 

あれからずっと、立松さんはホント、大地を守る会をひいきにしてくれた。

パンフレットなんかに一文ねだると、すぐに書いて送ってきてくれた。

「この時代に大地を守る会が存在することが、嬉しい」

みたいなことをさらさらと書いてくれるのだった。

あの方の期待に、僕らは応えてこれたのだろうか・・・・・

実にたくさんの大きな方々に支えられてきたものだから、

逝かれるたびに、そんな思いに落ち込んでしまう。

 

62歳、早すぎます。

口惜しいけど、深く深く感謝するとともに、ご冥福をお祈りしたい。

 



2010年2月 9日

東京うんこナイト

 

先週は宮城から帰ってきてから、ついに溜まった宿題に沈没。

4日に開かれた最後の合同新年会・茨城編をパスする羽目になってしまった。

行方市での有機農業モデルタウンの報告をお願いしていた濱田幸生さん、すみません!

とことん議論しよう、と内心楽しみにしていたのですが、まことに残念。

今度改めて伺える時間を取りたいので、どうかお許しください。

 

と、そんな言い訳をしながらも、翌 5日の夕方には、

周りの目を気にしつつ、不審なトーク・セッションに出かけてしまうワタシがいた。

この世界に生きていると、時折とんでもない人に出会うことがある。

経験の蓄積とともに、たいがいのことでは驚かなくなるのだが、

今回はかなり度肝を抜かれた。

久々に、過激な確信犯に出会った、という感動である。

 

イベント・タイトルは、「東京うんこナイト」。

(このタイトルゆえに、一般紙での案内掲載はことごとく断られたらしい。)

場所は新宿・歌舞伎町のトークライブハウス、「ロフト・プラスワン」。

潰れちまった新宿コマ劇場前の、コンビニ店脇から地下に降りた、妖しげな空間。

ああ、70年代にもあった、ような・・・・

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そこで出会った男の名は、井沢正名(いざわ・まさな) さん。

肩書きは褌(ふんどし)、じゃなかった 「糞土師」。 

どう言ったらいいんだろう。 早い話が 「のぐそ」 で生きている人なのだ。

水洗トイレでのうんこを拒否して36年。 一日一便 (びん、じゃなく、べん)。

積み重ねてきた 「のぐそ」 が1万●●●●回 (メモし忘れた)。

 

「人間が作り出す最高のもの、それは・・・うんこしかない!と思うのです。」

生物の命を食べて生きていることへの恩返しとして、自然に返す、をひたすら実践してきた。

 

これはただのヘン人ではない。

彼の著書 『 くう・ねる・のぐそ  -自然に「愛」のお返しを 』 (山と渓谷社刊) から

その経歴を見れば、筋金入りだということが読める。 長いが引用したい (一部略)。

 

1950年、茨城県生まれ。中学、高校と進むうちに人間不信に陥り、高校中退。

1970年より自然保護運動をはじめ、1975年から独学でキノコ写真家の道を歩む。

以後、キノコ、コケ、変形菌、カビなどを精力的に撮り続け、長時間露光の独自の技術で、

日陰の生きものたちの美を表現してきた。

同時に1974年より野糞をはじめ、1990年には井沢流インド式野糞法を確立。

2003年には1000日続けて野糞をする千日行を成就。

2007年、「野糞跡堀り返し調査」 を敢行し、それまで誰も見ようとしなかった、

ウンコが土に還るまでの過程を生々しく記録した。

主な著書・共著に 『キノコの世界』、『日本のキノコ』、『日本の野生植物、コケ』、

『日本変形菌類図鑑』 などがある。

 


錚々たる作品歴を持つ、立派なキノコ写真家なのである。

まあだいたいこのブログを覗いてくれる常連の方には、

もう文脈はご想像いただけるだろうか。

 

キノコとは菌であり、多種多様な微生物とともにある必須の自然界の分解者であり、

有機物 (炭素) の循環と土づくりの大切な担い手である。

免疫力を高める食用価値のあるものから人を死なせる力を持つものまで、

その種の多様性も、実にあなどれない。

井沢さんは、そんなキノコに取り(撮り?) つかれた人生から始まり、

ヒトの排泄物が自然に還っていない現代都市文明の矛盾に対する敢然たる意思表示として、

ウンコを自然に還す生き方に至ったようだ。

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写真左で語っているのが井沢正名さん。

自宅(茨城県某所) の裏山の雑木林に、毎日、印をつけながらウンコをして、

それを掘り返しながら、自然に還っていく経過を記録した。

カメラに収められた映像は、自然界の生命循環そのものである。

もちろんその目線にあっては、キノコは日陰者ではない。 主役の一人である。

この 「テッテー的に記録した」 というのが、アブナイ人と講演料を取る人の分岐点である。

(ワインを飲みながら生々しい写真に驚嘆する参加者も、なかなかの人たちだ・・・)

 

井沢さんの講演の後、しばしの休憩を経て、第2ラウンドとなる。

もう一人のゲストは、日本トイレ研究所の上幸雄さん。

第三世界の人々のために衛生的なトイレを普及させる活動から始まった団体で、

神戸の震災経験などを経て、都市での災害時のトイレ(排泄) 対策や公衆トイレの問題など、

トイレ環境の改善をテーマに活動している。

水洗トイレの問題にも詳しく、上さんの説明によると、

汚泥の最終処理は、かつての海洋投棄や処分場埋設を経て、

今は焼却処分されているようである。 井沢さんが怒るのも、分からなくもない。

上さんは、井沢さんの思想には共鳴しつつも、現実論として

排泄物をリサイクルできる技術を提案したい、というスタンスである。

詳しくは著書

 『ウンチとオシッコはどこへ行く -水洗トイレの深ーい落とし穴 』 (不空社刊)

を参照とのこと。

実は、上さんとは20年ぶりくらいの再会である。

こんなところで会えるとは・・・・うんこよ、ありがとう。

 

現在のし尿処理を経て作られる人糞由来の肥料 (汚泥肥料)

には化学物質などの問題もあり、単純に土に返せばいいとは言えない。

有機物を土に返す技術をベースに持つ有機農業でも、

今の有機JAS規格では、人糞利用は認められていない。

そこで有機農産物の流通に携わる大地を守る会のエビちゃんという人が出てきて、

いろいろ知ったかぶりに解説したりして、最後は3名+司会でのセッションとなる。

司会は、今回の仕掛け人、山と渓谷社の斉藤克己さん。

5年前、大和川酒造さんとの縁で、一緒に飯豊山に登ってからのお付き合いである。

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井沢さんがスライドで見せたところの、菌や小さな分解者たちの手によって

ウンコが腐植土へと変わってゆくプロセスは、有機農業における堆肥づくりと同じである。

僕なんかが理屈で説明するより、すべての人の日々の行為の結果である排泄物から

生命循環の世界を見せることの、けた外れの説得力は、

正直、「目からウンコ!」 の感動モノだった。

 

ただもうひとつ、僕が伝えたかったのは、井沢さんの思いは良しとしても、

今の私たちは何を体に入れているのかも問題にしないといけないのではないか。

つまり健全なウンコを出せる暮らしをしたいものだ、ということ。

食べ物の出入りの収支も完全に狂ってしまっているしね。

自給率40%の国で、メタボ状態になって生ゴミを捨てている状態を見つめることも、

できればして欲しい、とつけ加えさせていただいた。

人糞のリサイクルとは、いわば食(=生命) のサイクルと同義だと思うので。

 

そこで司会の斉藤克己氏が、江戸の話をしろと水を向ける。

たしかに江戸の街は、その点ではすごかった (らしい) 。 

人糞は買い取られ、運ばれ、武蔵野の大地を潤した。 

100万都市で自給が成立した、世界でも稀有なモデルである。

しかも、街は美しかった。

見たわけでもない人間が解説しても説得力がないので、一冊の書物を紹介した。

渡辺京二著 『逝きし世の面影』 (平凡社ライブラリー)。

明治初期に日本にやってきた欧米の知識人たちが残した紀行文や記録を辿って、

当時の風景や文化の諸相を再現した名著である。

間違いなく世界で最も衛生的な都市であり、質素で、礼節があり、

子どもたちがほがらかに笑っている、そんな国が描かれている。

たとえばこんなふうに-

 

「郊外の豊饒さはあらゆる描写を超越している。 山の上まで見事な稲田があり、

 海の際までことごとく耕作されている。 おそらく日本は天恵を受けた国、

 地上のパラダイスであろう。」

 

文明の劣った国だと思ってやってきた欧米人に、こんな感嘆の声を発せさせた日本は、

残念ながら、もうない。

この時代の美しさを支えたのは、排泄物を土に還すインフラの存在である。

 

井沢さんの実践と観察からの計算によれば、一人あたり1アールの土があれば、

日本人みんなが毎日 「のぐそ」 をしても大丈夫なのだと言う。

クソ真面目に反応すれば、都会に人が集中している限り不可能な話ではある。

ではあるが、今の私たちの暮らしを見つめ直してみる素材としては、

これに勝るものはないかもしれない。 

 

彼が都会に出てきたときにやる 「のぐそ」 については、僕の口から喋るのは止めておこう。

とりあえず法律とは違ったモラルをもって実践している、とだけは付記しておく。

彼は紙も使わない。 その営み時に使う葉っぱの研究にも余念がない。

彼はそのモラルと、生命の循環につながる歓びを武器に、

国家権力ともたたかう決意をもって生きている確信犯である。

権力が相手にするかどうかは別として。

 

あっという間の3時間だった。

美しいキノコや人糞が土に還るまでの実写の威力は、

僕の口先の有機農業論よりずっと説得力があったのは、

口惜しいかな、認めざるを得ない。 

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斉藤さん。 呼んでくれてありがとう。

忌み嫌い、隠しつつ、しかし避けられない排泄行為と 「うんこ」 という現実からの

循環と生物多様性の論理は、とてつもなく刺激的だったよ。

「食」 の現実や水循環の問題など、もっと語り合いたかったけど、

まあ今回はよしとしよう。

 

心残りなのは、「明日のウンコを、今日のうちにやっておく」

などという技がどうしてできるのか、その極意が分からなかったことである。

 

  ( ※ 2枚目からの写真は斉藤克己さんから提供いただいたものです。 )

 



2010年2月 7日

映画情報(補足)

 

1月31日に紹介した2本の映画、「ブルー・ゴールド」 と 「アンダンテ」。

改めて公式HPを見ると、ちゃんと各地での上映日程が出ていました。

「アンダンテ ~稲の旋律~」 HPはこちら。

  →  http://andante.symphie.jp/

 

「ブルー・ゴールド ~ねらわれた水の真実~」のHPはこちら。

  →  http://www.uplink.co.jp/bluegold/

 

サム・ボッゾ監督は来日されていたようで、

昨日の朝日新聞(朝刊) にインタビュー記事が掲載されてましたね。

「映画のメッセージは、水不足の国よりも豊かな国にとって、より重要な意味を持つ。

 自国の水資源が他国のターゲットになるかもしれないということを

 意識できるだろう」  と語っています。

 

水源地とは、中山間地のこと。 

過疎・高齢化・耕作放棄・限界集落・・・と、他人事のように評論しているあいだに、

中国資本が山間地を買い占め始めているという噂を聞いたのは数年前のことです。

今もって事実は分かりません。 ジャーナリズムも追いかけてないようです。

水の豊かな、緊張感のない国、でないことを祈りたいものです。

 

おススメ映画情報の補足でした。

 



2010年2月 4日

「野鳥との共存」 はそう簡単なことではない

 

宮城県合同新年会が明けた翌日、

千葉孝志さんの車に便乗して蕪栗(かぶくり:旧田尻町) へと向かう。

千葉さんが設置しようとしている  " 冬水田んぼ "  のための太陽光発電装置

の現地を見ておきたいと思ったのだ。

 

当地にある伊豆沼・長沼地区、そして蕪栗沼や化女沼という湿地帯は、

渡り鳥の貴重な休息地であり、餌の補給地となっている。

しかし日本列島から湿地がどんどん消えていくなかで、

飛来する鳥の数も年々増えてきているようなのだ。

さすがにその受容力にも限界があるし、

かといって野鳥を人の手で餌付けするわけにはいかない。

 

冬に田んぼに水を張ることで渡り鳥たちの餌場を確保する冬水田んぼの取り組みは、

農家が自ら骨を折って渡り鳥との共生を目指すことの宣言である。

しかし、それといえども簡単なことではない。

用水の水位が下がる季節、どの田んぼでも水が引けるわけではないから。

 

そこで千葉さんが今やろうとしていることは、井戸を掘って、

太陽エネルギーの力で水を揚げよう、というものだ。

この構想に、太陽光発電の普及事業を進める日本エコシステムという会社が

名乗りを上げてくれた。 やるからにはこの冬の間に完成させようと、

ようやく設置工事の着工まで漕ぎ着けてきたところである。

 

ここが現地。

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千葉さんの田んぼでは、蕪栗沼と一番離れた所にある。

「なんで、ここにしたの?」

 


鳥たちは昼間、餌を探してあちこち飛んでいるのだから (もちろん一定距離の範囲内で)、

ある場所だけに集中してあるんじゃなくて、分散させてつくっておきたい、

というのが千葉さんの考えだ。

 

上の写真の手前右にあるのが、すでに掘ってある井戸。

そしてこちらが太陽光パネルを設置する場所。

盛土がされ、柱となる杭が立てられている。

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いま千葉さんが悩んでいる最後の選択は、水を揚げる動力装置をどれにするかで、

それが決定すれば、一気に工事に入る手はずである。

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太陽光パネルはエコシステムさんが提供していただけることになっているが、

それでも井戸を掘ったり、付属設備や設置工事まで考えると、その費用はバカにならない。

「まあ、やるしかねえから」 と千葉さんは笑う。

この地で、鳥と共生するということは、温かく見守るということではないのである。

 

千葉さんの倉庫には、すでにパネルが到着している。

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24枚のパネルを、畦に設置する。

角度を何度にするかも重要なポイントである。 千葉さんの悩みは尽きない。

「何たって誰もやったことないもんだから、お手本がないんだよね。」

先駆者とはつらいものだ。 

成功しても得られるものは賞賛くらいで、苦労は続く。 

逆に失敗したら、物笑いのタネにされかねない。

その時は呼んでください。 ガツンと一発、かましましょう。

いや待て待て、これは成功するんだから。

 

そんなお忙しい千葉さんに、もうひとつお願いして、登米市中田町まで走ってもらう。

昨夜飲みながら、高橋伸くんを尋ねる約束をしたのだ。

電話をすると、「エッ、本当に来るんですか」 と驚いている。

さすがに夕べの約束だからね。

それにお父さんの良さんにも会いたくなった。 もう10年以上、会ってない。

 

良さんも元気で迎えてくれた。

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開口一番、「太ったなや。顔が丸くなってる。偉くなって楽してるなぁ 」 と、きつ~い洗礼。

良さんは牛が好きで、今でも宮城牛にこだわっている。

しかもこんなご時勢にもかかわらず、牛を増やし、牛舎まで建て替えている。

地域での米の転作をまとめて引き受け、管理するほ場がすでに100町歩(ha) を超えた。

それらを有機栽培ほ場にして、大豆、麦をつくる。

しかしその規模拡大も、良さんにかかれば

牛の餌の確保と堆肥をつくる必要から、となる。 何事も牛中心で生きてきたような方だ。

畜産経営は大変だと思うけど、こうやって環境保全型の農業をベースに

地域資源の循環に貢献しているわけだ。 誇りを持ってやってきたのだろう。 

倅も立派に育って、前より自信が漲っているような感じですよ。

 

高橋さんに挨拶して帰らねば、と思ったのにはもうひとつ理由があった。

実は夕べ、僕は忘れかけていた重要な視点を、伸くんから思い起こされていた。

「鳥たちのお陰で、こっちはタイヘンっすよ。」

来年に向けて蒔いた大麦の新芽が食べられている、というのだ。

かなりやられているようで、すでにもう 「来年は間違いなく減収です」 だと。

 

周辺地域の農家にとっては、鳥による食害は大変に迷惑な話であって、

ラムサール条約登録で浮かれている場合ではないのである。

加えて、畜産家の良さんは、今でも鶏インフルエンザに渡り鳥が絡んでいると睨んでいる。

伸くんはまだ 「まあ、仕方ないっすねぇ」 と言ってくれるが、

千葉さんたちは、地域のこういう目や圧力と日々対峙しているということなのだ。

米価がまだまだ下がりそうな時代にあってなお、

自らの田んぼを使って、さらに金や労力をかけてまで、離れた所々に餌場を用意するとは。

高橋父子のお陰で、逆に千葉さんが考えている真意の一端を

少しはつかめたような気がしたのだった。 

ラムサール条約や生物多様性の視点だけでは、やっぱ地域の全体像は見えない。

 

地域内に生まれる利害対立は、ちょっとしたことで情けない争いを生んだりする。

相互理解と知恵が発揮できれば、どんな問題も止揚 (高い次元に発展させる形で解決)

できるはずなのだが、いつも腹を決めた個人のたたかいから始まる、のはしんどい。

だから人はつながらなければならない。

 

最後に、高橋伸くん。

突然お邪魔したことで、土づくり研修会に遅れてしまったようで、スミマセンでしたね。

今度は、親父さんも含めて、農業政策についてじっくり語り合いたいと思ったよ。

 



2010年2月 3日

農・畜・水が集まって、宮城新年会

 

2月2日、立春を前にして、首都圏に今年初の積雪が記録された。

千葉・幕張の朝も、雪で洗われている。

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寒椿も寒そう。

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椿といえば、田舎の家の裏にも植わっていて、冬の彩だったな。

実が成ると、中をくり抜いて笛にして、音色を競ったりした。 

昔の子は、自然にあるそこらへんのもので実に他愛なく遊び、笑っていたものだ。

 

しかし椿は残酷な花でもある。

学生時代の寒い冬のある日、僕の部屋があまりに暗かったせいか

(部屋ではなく、僕が、でしょうが)、

訪ねてきてくれた仲間の女性が、よくないことと知りつつ、大胆にも

近所の生垣に咲いていた椿の花を一輪摘んできて、酒のビンか何かに挿して

置いていってくれた。

しばらくは花を眺めながら、少しは明るい気持ちにもなったのだが、

数日後の真夜中、その花がポトッと音をたてて、落ちたんだ。

椿の花は、散らずに、首を切られたように、そのまま落ちる。 

布団に包まって畳の上に落ちた花を同じ目線で見つめながら、

数日デカダンスに耽ったことを覚えている。 

『僕ってなに?』 なんていう、足元のおぼつかない時代をさらっと表現した小説が

芥川賞を受賞した頃だ。 こちらの僕は、気取ってただ暗い本を読んでいた。

いま思えば、実にヒネた、青春のひとコマ・・・・・。

 

産地での新年会行脚も、胸突き八丁ってところか。

昼前に雪溶け始めた幕張を出たのに、夕方にはもう宮城・松島海岸に到着している。

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宮城での新年会は、昨年から農産・畜産・水産の生産者が一堂に会して

開かれるようになった。

これぞ我らがネットワークの資産である。 

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今回の幹事は水産チームで、ここではゲストを呼んでの講演とかはなく、

藤田会長にじっくりと挨拶してもらう。 生産者の意向だったのかな。

 

一昨年からの不況の風は大地にも吹いてきてきて、売上的には厳しい状況が

続いていますが、ただ漫然と手をこまねいているわけではありません。

皆さんが精魂込めて育てた生産物が、より多くの消費者に支持されるよう、

いろいろと手を打っているところです。

こういう時代だからこそ、食べ物の本当の価値や意味を伝えていけるよう、

皆さんと一緒に頑張ってまいりたい。

 

そして宴会へと流れる。

バカ話もまじえながら、しかし皆、この機会を喜んで、

意欲的な情報交換や議論の場と相成るのである。

 


開会の挨拶は、遠藤蒲鉾店のお上、遠藤由美さん。 

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短く、ビシッと決める。 さすがでございます。

 

「お父さんも、短くね!」 と言われて、マイクを握る遠藤英治さん。

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いやあ、大地とはもう、かれこれ30年以上になりましたか・・・

息子もだいぶ仕事ができるようになってきまして、いやまあそれはいいんですが、

とにかく私は大地を守る会の運動に惚れてやってきたわけなんで、

これからは運動にもういっちょう・・・なんて思ったりしておりまして。

 

お父さん、なんかやる気か? 煽られそうな予感である。

 

これまた水産では、最も古いお付き合いの一人。

僕らの牡蠣-カキといえば、奥松島の二宮さん(善政・貴美子夫妻) である。

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今年は息子さんの義秋さんが代表して挨拶する。 嬉しいね。

 

塩釜の酒汐干しの、マミヤプランさん。

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先代が亡くなって10年経ちましたが、ふるさとの産品を真心で守っていきたい。

 

地方の文化は、こういう人たちの思いに支えられていているのだと思う。

地域産業の輪 (食物連鎖のようなつながり) が崩れたときに、

では大都市がどうなるのかのシミュレーションは、実は誰もできていない。

食べ物はいつでも手に入ると思って、生産基盤である土や海や、それに付き合う人が

ないがしろにされた時から、文明の崩壊は加速する、そんな気がする。

 

高橋徳治商店の高橋英雄さん。 

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だいたいねぇ。 「よろしくお願いします」 じゃぁないんだよぉ!

生産者は生産者として、消費者は消費者として、流通は流通の立場で、

何をするのか、どのような役割を果たしていくのか、何を一緒に作るのか、

そこをきちっと・・・・・

 

この人と盃を交わすと、とことんやってしまいそうな、そんな近しい血を感じたりして。

今日はとりあえず遠ざかっておくことにする。 ワタシ、農産なんで。

 

蕪栗米生産者組合からは、3名が参加。

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米の価格がさらに暴落するか、という不安の時に、

もっと環境を視野に入れた米づくりを目指すとは・・・・・

ラムサール条約というお墨付きで米に付加価値がつく、とかそんな問題じゃないんだと、

千葉さんたちの挑戦は、これからも続く。

 

今年初参加は、エリンギの生産者。

本吉郡南三陸町・志津川アグリフードの千葉幸教さん。 

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それまで頂いていた 「ものうファミリー」 さんからの供給ができなくなって、

ものうさんからの紹介でお付き合いが始まった。

物腰の低い実直な方である。 長いお付き合いをお願いいたします。

 

方や、周りから 「やかましい」 と言われる集団がこちら。 

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ある時は豚の生産者=仙台黒豚会。

またある時は米の生産者=ライスネット仙台。

そしてまたある時は野菜の生産者=仙台みどり会。

メンバー生産者が微妙に重なりながら、全体を束ねるのがマイクを握っている小原文夫さん。

それぞれのメンバー曰く。 「やかましいのは、小原代表だけです。」 

ハイ、よく分かっております。 でも代表の孤独も、少しは分かってやらないとね。

 

そして最後にもう一人、有限会社NOA の高橋伸。  

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農家の子倅(こせがれ) とか気楽に称しながら、大豆と麦で100ha (≒100町歩) をこなす。

若手注目株の一人だ。

いつも僕のブログを見てくれているようで、挨拶からいきなり、

「何すか。 伊豆沼まで来て、寄らずに帰っちゃうなんて、随分じゃないっすか」

とやられてしまった。 ゴメンねぇ、いつもせわしなくて。

君の有機大豆のお陰で、いつもの醤油や豆腐や納豆が供給できていることを、

もっとPRしなくちゃね。 いや、ちゃんとつながろう。 東京集会、ヨロシク!

 

帰って見てみたら、ブログの更新もすごすぎるぞ、コラッ! 

きっと仕事も早いんだろうな。

 

・・・・・これだけの面子がいるんだから、もっとできる。 できないといけない。

ああ、やること、いっぱいあるなあ。

 - とか焦りながら、、、3次会となったカラオケで選んだ曲は、河島英五の 「時代遅れ」 。

 

   好きな誰かを 見つめ~続ける 時代遅れの 男~になりたい ♪

 

椿のせいだ・・・

 



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