2010年2月 9日

東京うんこナイト

 

先週は宮城から帰ってきてから、ついに溜まった宿題に沈没。

4日に開かれた最後の合同新年会・茨城編をパスする羽目になってしまった。

行方市での有機農業モデルタウンの報告をお願いしていた濱田幸生さん、すみません!

とことん議論しよう、と内心楽しみにしていたのですが、まことに残念。

今度改めて伺える時間を取りたいので、どうかお許しください。

 

と、そんな言い訳をしながらも、翌 5日の夕方には、

周りの目を気にしつつ、不審なトーク・セッションに出かけてしまうワタシがいた。

この世界に生きていると、時折とんでもない人に出会うことがある。

経験の蓄積とともに、たいがいのことでは驚かなくなるのだが、

今回はかなり度肝を抜かれた。

久々に、過激な確信犯に出会った、という感動である。

 

イベント・タイトルは、「東京うんこナイト」。

(このタイトルゆえに、一般紙での案内掲載はことごとく断られたらしい。)

場所は新宿・歌舞伎町のトークライブハウス、「ロフト・プラスワン」。

潰れちまった新宿コマ劇場前の、コンビニ店脇から地下に降りた、妖しげな空間。

ああ、70年代にもあった、ような・・・・

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そこで出会った男の名は、井沢正名(いざわ・まさな) さん。

肩書きは褌(ふんどし)、じゃなかった 「糞土師」。 

どう言ったらいいんだろう。 早い話が 「のぐそ」 で生きている人なのだ。

水洗トイレでのうんこを拒否して36年。 一日一便 (びん、じゃなく、べん)。

積み重ねてきた 「のぐそ」 が1万●●●●回 (メモし忘れた)。

 

「人間が作り出す最高のもの、それは・・・うんこしかない!と思うのです。」

生物の命を食べて生きていることへの恩返しとして、自然に返す、をひたすら実践してきた。

 

これはただのヘン人ではない。

彼の著書 『 くう・ねる・のぐそ  -自然に「愛」のお返しを 』 (山と渓谷社刊) から

その経歴を見れば、筋金入りだということが読める。 長いが引用したい (一部略)。

 

1950年、茨城県生まれ。中学、高校と進むうちに人間不信に陥り、高校中退。

1970年より自然保護運動をはじめ、1975年から独学でキノコ写真家の道を歩む。

以後、キノコ、コケ、変形菌、カビなどを精力的に撮り続け、長時間露光の独自の技術で、

日陰の生きものたちの美を表現してきた。

同時に1974年より野糞をはじめ、1990年には井沢流インド式野糞法を確立。

2003年には1000日続けて野糞をする千日行を成就。

2007年、「野糞跡堀り返し調査」 を敢行し、それまで誰も見ようとしなかった、

ウンコが土に還るまでの過程を生々しく記録した。

主な著書・共著に 『キノコの世界』、『日本のキノコ』、『日本の野生植物、コケ』、

『日本変形菌類図鑑』 などがある。

 


錚々たる作品歴を持つ、立派なキノコ写真家なのである。

まあだいたいこのブログを覗いてくれる常連の方には、

もう文脈はご想像いただけるだろうか。

 

キノコとは菌であり、多種多様な微生物とともにある必須の自然界の分解者であり、

有機物 (炭素) の循環と土づくりの大切な担い手である。

免疫力を高める食用価値のあるものから人を死なせる力を持つものまで、

その種の多様性も、実にあなどれない。

井沢さんは、そんなキノコに取り(撮り?) つかれた人生から始まり、

ヒトの排泄物が自然に還っていない現代都市文明の矛盾に対する敢然たる意思表示として、

ウンコを自然に還す生き方に至ったようだ。

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写真左で語っているのが井沢正名さん。

自宅(茨城県某所) の裏山の雑木林に、毎日、印をつけながらウンコをして、

それを掘り返しながら、自然に還っていく経過を記録した。

カメラに収められた映像は、自然界の生命循環そのものである。

もちろんその目線にあっては、キノコは日陰者ではない。 主役の一人である。

この 「テッテー的に記録した」 というのが、アブナイ人と講演料を取る人の分岐点である。

(ワインを飲みながら生々しい写真に驚嘆する参加者も、なかなかの人たちだ・・・)

 

井沢さんの講演の後、しばしの休憩を経て、第2ラウンドとなる。

もう一人のゲストは、日本トイレ研究所の上幸雄さん。

第三世界の人々のために衛生的なトイレを普及させる活動から始まった団体で、

神戸の震災経験などを経て、都市での災害時のトイレ(排泄) 対策や公衆トイレの問題など、

トイレ環境の改善をテーマに活動している。

水洗トイレの問題にも詳しく、上さんの説明によると、

汚泥の最終処理は、かつての海洋投棄や処分場埋設を経て、

今は焼却処分されているようである。 井沢さんが怒るのも、分からなくもない。

上さんは、井沢さんの思想には共鳴しつつも、現実論として

排泄物をリサイクルできる技術を提案したい、というスタンスである。

詳しくは著書

 『ウンチとオシッコはどこへ行く -水洗トイレの深ーい落とし穴 』 (不空社刊)

を参照とのこと。

実は、上さんとは20年ぶりくらいの再会である。

こんなところで会えるとは・・・・うんこよ、ありがとう。

 

現在のし尿処理を経て作られる人糞由来の肥料 (汚泥肥料)

には化学物質などの問題もあり、単純に土に返せばいいとは言えない。

有機物を土に返す技術をベースに持つ有機農業でも、

今の有機JAS規格では、人糞利用は認められていない。

そこで有機農産物の流通に携わる大地を守る会のエビちゃんという人が出てきて、

いろいろ知ったかぶりに解説したりして、最後は3名+司会でのセッションとなる。

司会は、今回の仕掛け人、山と渓谷社の斉藤克己さん。

5年前、大和川酒造さんとの縁で、一緒に飯豊山に登ってからのお付き合いである。

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井沢さんがスライドで見せたところの、菌や小さな分解者たちの手によって

ウンコが腐植土へと変わってゆくプロセスは、有機農業における堆肥づくりと同じである。

僕なんかが理屈で説明するより、すべての人の日々の行為の結果である排泄物から

生命循環の世界を見せることの、けた外れの説得力は、

正直、「目からウンコ!」 の感動モノだった。

 

ただもうひとつ、僕が伝えたかったのは、井沢さんの思いは良しとしても、

今の私たちは何を体に入れているのかも問題にしないといけないのではないか。

つまり健全なウンコを出せる暮らしをしたいものだ、ということ。

食べ物の出入りの収支も完全に狂ってしまっているしね。

自給率40%の国で、メタボ状態になって生ゴミを捨てている状態を見つめることも、

できればして欲しい、とつけ加えさせていただいた。

人糞のリサイクルとは、いわば食(=生命) のサイクルと同義だと思うので。

 

そこで司会の斉藤克己氏が、江戸の話をしろと水を向ける。

たしかに江戸の街は、その点ではすごかった (らしい) 。 

人糞は買い取られ、運ばれ、武蔵野の大地を潤した。 

100万都市で自給が成立した、世界でも稀有なモデルである。

しかも、街は美しかった。

見たわけでもない人間が解説しても説得力がないので、一冊の書物を紹介した。

渡辺京二著 『逝きし世の面影』 (平凡社ライブラリー)。

明治初期に日本にやってきた欧米の知識人たちが残した紀行文や記録を辿って、

当時の風景や文化の諸相を再現した名著である。

間違いなく世界で最も衛生的な都市であり、質素で、礼節があり、

子どもたちがほがらかに笑っている、そんな国が描かれている。

たとえばこんなふうに-

 

「郊外の豊饒さはあらゆる描写を超越している。 山の上まで見事な稲田があり、

 海の際までことごとく耕作されている。 おそらく日本は天恵を受けた国、

 地上のパラダイスであろう。」

 

文明の劣った国だと思ってやってきた欧米人に、こんな感嘆の声を発せさせた日本は、

残念ながら、もうない。

この時代の美しさを支えたのは、排泄物を土に還すインフラの存在である。

 

井沢さんの実践と観察からの計算によれば、一人あたり1アールの土があれば、

日本人みんなが毎日 「のぐそ」 をしても大丈夫なのだと言う。

クソ真面目に反応すれば、都会に人が集中している限り不可能な話ではある。

ではあるが、今の私たちの暮らしを見つめ直してみる素材としては、

これに勝るものはないかもしれない。 

 

彼が都会に出てきたときにやる 「のぐそ」 については、僕の口から喋るのは止めておこう。

とりあえず法律とは違ったモラルをもって実践している、とだけは付記しておく。

彼は紙も使わない。 その営み時に使う葉っぱの研究にも余念がない。

彼はそのモラルと、生命の循環につながる歓びを武器に、

国家権力ともたたかう決意をもって生きている確信犯である。

権力が相手にするかどうかは別として。

 

あっという間の3時間だった。

美しいキノコや人糞が土に還るまでの実写の威力は、

僕の口先の有機農業論よりずっと説得力があったのは、

口惜しいかな、認めざるを得ない。 

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斉藤さん。 呼んでくれてありがとう。

忌み嫌い、隠しつつ、しかし避けられない排泄行為と 「うんこ」 という現実からの

循環と生物多様性の論理は、とてつもなく刺激的だったよ。

「食」 の現実や水循環の問題など、もっと語り合いたかったけど、

まあ今回はよしとしよう。

 

心残りなのは、「明日のウンコを、今日のうちにやっておく」

などという技がどうしてできるのか、その極意が分からなかったことである。

 

  ( ※ 2枚目からの写真は斉藤克己さんから提供いただいたものです。 )

 



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