2010年3月14日

農はいつもそこに・・・「農と自然の研究所」 解散

 

昨日は朝から春嵐の一日。

御茶ノ水から本郷に向かう聖橋の上で、

僕は思わず、懐かしいアリスの歌の一節を口ずさんだのだった。

 

  春の嵐が吹く前に 暖かい風が吹く前に

  重いコートを脱ぎ捨てなければ 歩けないような そんな気がして

 

なんて曲だったっけ・・・・・

 

出かけたのは、先日も報告した宇根豊さんが代表理事を務める

「農と自然の研究所」 の解散総会に出席するためだった。 

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「農と自然の研究所」 という団体があった・・・・

こんなにすぐに過去形で言われると・・ つらくなる。

 

会場は、本郷・東京ガーデンパレス。 最後の総会とあって、ちょっと気張ったか。 

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宇根豊さんについては、もういろいろと書いてきたので、いいよね。

僕にとっては、常に道しるべのように前を歩いてくれた人だ。

 

最後の総会の記念講演は、この人。

農民作家、山下惣一。 

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この人に最初に会ったのは、20年くらい前の (もう正確に思い出せない)、

九州・長崎での 「百姓一揆の会」 だったか。

言うことはやはり常人と違うところがあったが、飲めばただのオッサンだった。

 

今も変わらず、毒舌は衰えてない。

宇根さんと歩んできた時間を面白おかしく振り返りながら、

「宇根豊をこの時代に輩出したことのシアワセ」 は、山下さんも感じていることだった。

 


    農薬を撒けという指導は机の上でも出来るが、農薬を撒くなという指導は

    田んぼを見なければ出来ない。

    宇根豊が出てくるまで、こんなことを言う普及員はいなかった。

 

    息子が農薬を撒かんのですよ。 聞いたら 「虫がおらんから」 という。

    そんなこたあないだろう、と虫見版で確かめたら、ホンマにおらんとですよ。

  いかに上からの指導がおかしかったか・・・

   

  生産から消費までの間には様々な行程があって、昔はそれらがみんな

  農業の中にあった。種を採ることから肥料も農薬に相当する作業も、食品加工も・・・

  それがそれぞれ産業になって、いつの間にか生産だけが取り残された。

 

  百姓仕事の復権に、宇根はたしかな仕事をしてくれた。

  時代は少し、彼によって動いたように思う。

 

虫身板に続くヒット作となった、「田んぼと生きもの」 下敷き。

そのポスターを前に語る宇根豊。

こんなクソ忙しい、食も何もかもグローバル化した時代に、

「おたまじゃくし ● 匹と一緒に育つ稲株 ● 株=ごはん ● 杯」 

という計算をした人がいたのだ。

 

今日の宇根さんは作務衣ではなくて、ブレザーだった。

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こんなに生きもの(=自然という世界) と百姓仕事のつながりに執着して

思索した人はいない。

僕らが、今で言う 「生物多様性を育む農業」 の世界を、もっと豊かに語りたい

という情熱を持てたのも、彼の存在があったからだ。

 

総会後の懇親会で、一枚頂く。

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僕の前に座っているのは、大地を守る会の産地監査でお世話になっている

(有)リーファース代表の水野葉子さん。

宇根さんの右隣の方は、静岡でお米を作っているという方。 

 

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「農」 はいつも、そこに、あたり前にあった。 今もあるのだ。

しかし・・・ 「近代化」 とは何だったのだろう。

「まなざし」 を失った環境論は、おかしい。

「食べもの」 とは紛れもなく自然の恵みなのに・・・・・

 

百姓は 「儲かる農業」 を目指してしまったがゆえに、産業に敗北してきたように思う。

「カネにならない百姓仕事」 が風景を育ててきたことに、少しは光を当てられたように思う。

 

20数年の思いを伝えたくて、手を挙げてしまう。 

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                       (写真提供:山崎農業研究所・田口均さんより)

虫見版

 - それは百姓に向かって 「自分で見て、考えろ」 と発している

   メッセージのように思えて、僕はただ物真似をしました。

ただの虫

 - この概念をもらったことで、今まで見えなかった虫の姿が見えてきた。

   本当に見えてきたのですよ、こんな僕にも。 

   「まなざし」 という言葉の意味を、少しは捉えたように思ったことがあります。

ただの虫を無視しない農業

 - 生物多様性という視点よりも何よりも、僕はここでようやく、

   有機農業と平和の思想をつなげることが出来たのです。

そして、風景論へ。 まだまだ付き合わせていただきたい。

 

20代後半から秘かに学ばせていただき、手前勝手に 「情念」 を共有させていただき、

ようやく僕は、「田んぼスケープ」 まで到達した。

これが今の、僕なりの風景論への挑戦である。

 

宇根豊が終わるとも、枯れるとも思ってないので、

いったん野に放たれる宇根さんに、感謝とともに乾杯を。

 「10年で終える」 を貫徹した、見事な仕事っぷりだと思う。

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新しい春を告げる風を受けながら、

僕は僕の10年を貫徹したい、と思う。

 


Comment:

鹿児島県霧島市在住の農家ですが、無農薬、無肥料栽培で稲作の栽培います。長年農業をされている方は、無農薬栽培ついて色々と話してみ
ますが、従来の化学肥料、農薬から変えようとしません。なぜなのか無農薬、無肥料栽培は簡単にできることを話しても従来の農法を固執します。何をどう説得可能か?

from "梅木 良廣" at 2011年9月28日 20:43

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