2010年6月アーカイブ

2010年6月27日

有機農業が中山間地活性化の鍵となる、か?

 

ジェイラップさんのお荷物になって、新潟から福島県猪苗代に。

昨日の (株)大地を守る会の株主総会も、

今日の 「大地を守る会の稲作体験」 の草取りもパスして、

こちらでの集会に参加させていただく。

「日本有機農業学会」 公開フォーラム

 - 『有機農業を基軸とした中山間地活性化 -福島県会津地域の事例- 』 。

 

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中山間地は農業者の高齢化、後継者不足、耕作放棄地増大など、

多くの課題を抱えている。 

福島県会津地方において、有機農業を基軸として活性化を図っている事例から学ぶとともに、

今後の方向性について検討するフォーラム。

 

6/26(土)、一日目は2つの基調講演と5つの実践報告が行なわれた。

基調講演1-「農山村活性化のためにどのような視点が必要なのか」

演者は、宇都宮大学農学部の守友裕一さん。

中山間地対策に係わる施策の変化と課題について概括するとともに、

" 豊かさ "  という概念の捉え直しと、

地域が内発的に発展していくためのいくつかの視点が提出された。

 

基調講演2-「中山間地域と有機農業」

演者は、日本大学生物資源学部の高橋巌さん。

これまで調査に歩いてきたいくつかの事例から、有機農業が高齢者の生きがいを刺激し、

あるいは新規就農の動機となり、山間地の活性化に結びつく効果がある一方、

販路確保の問題、加工も含めた6次産業化の方向、都市に対する情報発信の大切さ

などが課題として語られた。

 

分析や課題抽出が中心なので、致し方ないことなのだけれども、

いまひとつ、ピリピリするような刺激がほしいところだ。

自分の意識が分析より新しい  " 仕掛け "  を志向しているからかもしれない。

 

次に実践報告。 ここから僕は、応援団だ。

トップバッターは、本ブログでも常連になった感のある浅見彰宏さん。

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千葉県出身。

東京の大学を出た後、4年間、鉄鋼メーカーに勤務。

95年に退職し、埼玉県小川町の金子美登さんのところで1年、有機農業の研修を受け、 

96年から山都町に移住した。

耕作できなくなった田んぼや畑を頼まれたりしながら増やしてきて、

現在は田んぼ1.5町歩 (150 a)、畑5反 (50 a) を耕すほか、

採卵鶏150羽を飼い、鶏肉ソーセージや味噌、醤油などの加工もやっている。

 

山間部の堰の清掃(堰さらい) に都会のボランティア受け入れを始めたのが2000年。

この活動によって集落全体による都市との交流が始まり、

11年目の今年は41名のボランティアが集まった。

僕は地元の人から、「浅見君には感謝している」 という言葉を何度も聞かされている。

 

浅見さんは冬になると、喜多方・大和川酒造で蔵人となる。

僕らは、大和川酒造での 「種蒔人」 の新酒完成を祝う交流会で出会い、

4年前から堰さらいに参加するようになり、

山都に足を踏み入れたことで、このあとに登場する小川光さんとの交流が生まれ、

山の中で働く研修生たちともつながったのだった。

 

2008年、浅見さんと研修生たちとで 「あいづ耕人会たべらんしょ」 が結成され、

彼らの野菜セットが大地を守る会に届けられるようになった。

この野菜セットは、山都に定住した人だけでなく、この地で学ぶ

就農意欲のある若者たちも含めて応援するというコンセプトであるゆえに、

人が変わっても継続される。 

いわば  " 就農へのプロセスを含めて支援する "  という特殊なアイテムであり、

僕らの山間地有機農業との付き合い方の姿勢も表現するものだ。

まだわずかな数だけど、限界集落とまで言われる山間地の維持を、

これから長く担うことになる彼らの  " 夢 "  をつなぐものだと思っている。

 

山間部は、少数の大規模専業農家で維持できるものではない。

自給的・小規模農家がたくさん存在してこそ、地域の環境や農地そして文化が守られる、

と浅見さんは考えている。 まったくそのとおりである。

そういう意味で有機農業は、中山間地の価値をよく表現できる思想であり技術である。

 

続いては、熱塩加納村(現在は町) のカリスマ、小林芳正さん。

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農協の営農指導者だった時代、1980年から村全体での有機米作りに取り組んだ。

僕らは、反農協の農協マンと呼んで注目した。

熱塩加納村は 「有機の里」 と呼ばれるようになり、地元より先に首都圏で評価を獲得した。

そして1998年から村内の学校給食に導入され、無農薬野菜の供給へと続く。

給食関係者や消費者団体の間で 「熱塩加納方式」 と注目を浴び、全国区の村となった。

 

画期的だったのは、2001年、それまで特例として認められていた自村産米の使用が

特例期間終了をもって廃止されようとした時の父兄の行動である。

県への請願や村の成人90%におよぶ署名活動も認められなかったのだが、

そこでPTAは臨時総会を開き、

「父兄負担がかさんでも、かけがいのない子どもたちに、

 村産の安心できる米を食べさせたい。 米飯給食の補助金がなくとも継続する 」

と満場一致で決議した。 

食においては自立した村であろう、という宣言である。

戦後日本の食の歴史に残しておいていいくらいの事件だと思うのだが。

 

2007年には構造改革特区の認可を受け、

喜多方市内3小学校に 「農業科」 が設置された。

熱塩小学校では、学校の周りの農家から、13a の畑と 6a の水田を借り受け、

小林さんの指導で野菜や米作りを学んでいる。

できた野菜はもちろん給食の食材として利用される。

食農教育の成果が見えてくるのはこれからである、とまとめたいところだが、違う。

鈴木卓校長によれば、「他の教科の学力も上がっています」 - のである。

 

余談ながら小林さんは、村が喜多方市と合併した際に、

喜多方市熱塩加納町という住所になったのが気に食わない。 

村を 「村」 として愛するがゆえにたたかってきた反骨の士としては、

いきなり 「町」 に変わってしまったことで、

自分の誇りが軽いものなってしまったような悔しさを覚えているようだった。

 

3番めの実践報告は、「会津学を通じた地域の再発見」 と題して、

「会津学研究会」 代表、昭和村の菅家博昭さんの報告があった。

子どもたちが、家に残る古い写真を題材に、

お爺ちゃんやお婆ちゃんから昔の暮らしを聞き取りして、残している。

地元の文化や自然・環境との関わりあいを再発見する地元学の取り組みである。

それにしてもご自身の住所に、「福島県  " 奥会津 "  大沼郡~」 と書くあたりに、

会津人の心奥が覗いている。

司馬遼太郎さんの 『街道をゆく -奥州白河・会津のみち- 』 にも、こんな一節があるね。

 

   「福島県人ですか」

   というと、

   「会津です」

   と答えた。 その誇りと屈折は、どこか大ドイツ統一以前のプロイセン王国に似ている。

   

さて、4番バッターは、小川光さんだ。 

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福島県の園芸試験場などの研究職員を辞して、山都に入り、

灌水設備も整えられない山間部で、ハウスを使った有機栽培技術を確立させた。

それを惜しげもなく若者たちに伝えることで、

環境保全と耕作放棄地の解消、そして山間地の活性化をはかろうとしている。

研修生には経営能力も身につけさせたいと、

一人13a 程度の農地を割り当てて、そこで収穫・販売したものは自身の収入になる、

という方式をとっている。 もちろん畑づくりやハウスづくり、苗作りなど

共同で行う作業をベースにしながらであり、これを小川さんは 「桜の結」 と名づけている。

 

しかし人の育成というのは生易しいものではない。

毎週木曜日には 「ゼミナール」 を開講し、農業の基礎を学んだり、

農家や鍛冶屋などの技術者を訪問して話を聞くといった機会をつくっている。

悩みも多々あるようで、

「作物を粗末に扱う者を見ると腹が立つ」

「道具や部品がしばしば紛失したり壊れたりする。 それはすべて私が買ったもので、

 無償援助の資材が粗末に扱われるのはODAと同じだ。 できれば本人に買わせたい」

「この方式は儲からない、という人に限って、その人のハウスには

 熟しすぎて割れたトマトが大量に成っていたりする」

などなどなどなど・・・・・

いやいや、額に♯を浮かばせた小川さんと呑気な研修生たちのやり取り風景が、

微笑ましく (失礼) 浮かんでくる。

そんな愚痴をこぼしつつも、小川さんが育てた研修生はすでに100人に達する。

小川さんの世話で山都に定住した数40世帯90人、地元で生まれた子供が22人!!

活性化の課題?  - この人を見よ、って感じか。 

 

こんな功績が認められ、小川さんは今年、歴史ある 「山崎農業研究所」 による

山崎記念農業賞」 を受賞された。

授賞理由-

「省力的で経費のかからない合理的な栽培技術の追求と中山間地への就農支援を

 結合させた小川さんの取り組みは、過疎化にあえぐ中山間地の農業・農村に

 希望を与えてくれるものといえる。 

 このことを高く評価し、第35回山崎記念農業賞の表彰対象に選定する。」

 

小川さんには晴天の霹靂のような連絡だったようだ。

何を隠そう、選考にあたっては、わたくしのブログも少し参考に供されたようで、

ちょっとプチ自慢したいところである。

山崎農業研究所の説明は、HPを見ていただくとして、

僕が研究所の存在を知り、関係者の方と知己を得たのは、

発行書籍 『自給再考 -グローバリゼーションの次は何か 』 を

偉そうに論評してしまってからである。

 

小川さんの授賞式は7月10日(土)にあり、

なんとお祝いのスピーチをしろ、という要請を受けてしまった。

オレなんかでいいのかと戸惑いつつ、

こちらにとってもありがたい栄誉なのだと思って、出かけることにしたい。

 

ちなみに、小川さんは第35回の受賞だが、

小林芳正さんは第8回 (1982年) の受賞者である。

他にも、敬愛する福岡の宇根豊さんが第11回(1985年)、

一昨年の第33回には野口種苗研究所の野口勲さんが、そしてなんと、

先だっての後継者会議レポートの最後に紹介した宮古島の地下水汚染対策で、

土着菌と地域資源を活用した有機質肥料を開発した宮古農林高校環境班が、

第28回(2003年) の受賞者に名を連ねている。

こういう団体の存在は、貴重だ。

 

 

ここんところ、ネタそれぞれに深みがあって、

どうも長くなりすぎてますね。 スミマセン。

今回も終われず、「有機農業を基軸とした中山間地~」 をもう一回、

続けさせていただきます。 

 



2010年6月25日

全国米生産者会議-魚沼編

 

沖縄から帰ってきたと思ったら、次は新潟・南魚沼に向かう。

今度はお米の生産者会議である。 

もう14回目となった 『全国米生産者会議』。

今年の幹事は、11年前から有機での米づくりを実践している 「笠原農園」 さん。

代表の笠原勝彦さんを中心に、8名の若いスタッフが常時雇用で頑張っている。

 

6月24日(木)。

会場は、その笠原さんのお米を使っているという旅館 「龍言」 。

将棋のタイトル戦の会場にも選ばれたりしている、当地の老舗旅館である。

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北海道から熊本まで、約100人の生産者が集まる。

いずれも、米づくりにかけては人一倍プライドの強い猛者たち。 

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こちらが笠原勝彦さん。

まだ40代の若きリーダー。

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就農した頃は 「魚沼だから」 と天狗になっていたそうだが、

全国米食味鑑定コンクールに出品するようになって、

もっと美味い米を作る人たちが全国にいることを知り、本気になった。

積極的に先進的な産地を訪ねては学び、

「安全で美味しい米づくり」 をひたすら追求してきた結果、

コンクールでは6年前から5年連続して金賞あるいは特別賞を受賞。

昨年はその栄誉を称えられ、ダイヤモンド褒章をいただいた。

99年から合鴨農法による無農薬栽培を始め、

2001年には有機JASの認証を取得。 

これまで、合鴨、紙マルチ、チェーン除草、スプリング除草など、

あらゆる雑草対策を試してきたという勉強家でもある。

 

会議では、お二人の講演を用意した。

まずは、もうこのブログではお馴染みの、と言っていいだろう、

京都造形芸術大学教授、竹村真一さん。 

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「100万人のキャンドルナイト」 呼びかけ人の一人であり、

「田んぼスケープ」 でコラボさせていただいている。

前から米の生産者会議にお呼びしたいと思っていた方だ。 ようやく実現した。

講演のタイトルは - 「地球目線でコメと田んぼを考える」。

 


竹村さんとのお付き合いは古く、86年の 「ばななぼうと」 からである。

あの時、竹村さんはまだ東大の大学院生だった。

結婚して、息子さんがもう19歳。

「ウチの息子の体は、皆さんの作られたお米でできています。

 皆さんに感謝の言葉を伝えたくて、今日はやって来ました。」

 

竹村さんが開発したデジタル地球儀-「触れる地球」 の映像をバックに、

竹村ブシが展開される。 

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「触れる地球儀」 は直径約1メートル。 地球の1千万分の1のサイズになっている。

私たちの生存を支える大気は地上1万メートルの上空まであるが、

この地球儀で見れば、それはたった1mmの薄い皮膜であることが感じられる。

この地球儀にインターネットが接続され、世界の気象状況や環境変化などの情報が

リアルタイムで映し出される。

太平洋の南で雲が湧き台風に成長していく姿が見え、

あるいは世界の気温変化が視覚的に確認することが出来る。

こんな地球の姿を子どもたちに見せたい。

 

「環境問題が語られない日がないという時代にあってもなお、まだ学校では、

 16世紀に発明された平べったいメルカトル図法の地図が使われている。

 何とかしたいですね。」

「宇宙船地球号とはどんな星なのか、今何が起きているのか、

 誰も知らないまま船に乗っている。」

「アル・ゴアは 『不都合な真実』 と書いたけれども、

 実はこの地球は 『好都合な真実』 に満ち溢れた、有り難い星なのです。」

 

数億年の時間をかけて生物が作りだしてくれた大気。

良い(いい) 加減に落ち着いた温室効果とそれによって維持される水循環。 

生命の進化と生死の繰り返しは土をつくり、環境変化が炭素を閉じ込めてくれた。

それを今、短期間のうちに掘り起こして、CO2 濃度を急上昇させながら

使い切ろうとしている。 大気と水を汚染させながら。

 

原油の価格も上昇を続け、数年後に日本は、

石油を買う金額が国家予算に匹敵するようになる。 

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現代社会が抱える貧困や戦争、環境破壊などの問題の70%は、

エネルギー問題に起因していると言われる。

しかし竹村さんに言わせれば、本当はこの地球上に  " エネルギー問題は存在しない "  。

太陽から地球に降り注いでいるエネルギー量は、なんと人類需要の1.3万倍ある。

たった1時間分で1年分のエネルギー需要を満たす。

「それだけのエネルギーを私たちは太陽から無償で頂いているのです。

 このエネルギーの1万分の一を利用させていただくだけで、

 ほとんどのエネルギー問題はなくなるでしょう。」

 

そしてそれはもう技術的に可能な時代に入ってきている。

我々の技術と社会はまだまだ未成熟なだけだったのだ。

しかし準備は整いつつある。

太陽エネルギーの効率的利用で、私たちは原発など古い発想に頼る必要はなくなり、

多くの環境破壊的な争いごとも乗り越えることができる。

そんな持続可能で、エレガントな未来社会が描ける時代を、私たちは迎えようとしている。

ヒトは地球にとってのやっかいなガン細胞として終わるのでなく、

生物の共存と共創のコーディネーターになりえるのだ。

 

そこで農業もまた、21世紀の新しい価値観で捉え直さなければならない。

循環する自然資源とともにある、生命創造産業の文脈で作り変える時期に来ている。

有機農業の発展はまさにその流れの中にあって、

とりわけ水循環と調和し、生物多様性とも共存できるはずの水田稲作は、

より高次の文明へと向かうための、地球のソフトウェアとなる。

 

ニッポンの有機稲作を牽引してきた皆さん、いかがでしょうか。

これが人類史の文脈でとらえられている田んぼの価値なのです。

分かんねぇよ、あるいは、なんとなくは分かるけど・・・・

という気分にもなるでしょうが、戦略づくりのためにも、

次のビジョンの方向を感知しておくことは必要です。

 

さて次は生々しく、激辛コメントでお馴染みの西出隆一師。

「米の品質・収量アップのための土作りの極意」 と題しての講演。

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西出さんの場合は、生産者から出された土壌診断のデータをもとにに、

具体的に論評し、処方箋を下す、という進め方である。

ここからは 「アンタの田んぼは・・・・ああ、アカンな」 という展開になるので、

省かせていただくことにする。

竹村講演の解説で少々疲れたし。。。

 

二日目の今日は、笠原農園のほ場見学。 

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食味コンクールで金賞を取る実力者、笠原さんでも、

田んぼが 24ha にまで増えると、場所によって質が違ってくる。

昨日は西出さんからだいぶきつい批評を頂戴していた。

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それでも、真摯に受け止め、

真面目に質問していた笠原さんの姿勢に、僕は好感を持った。 

 

有機稲作生産者が集まると、まず注目するのが抑草技術である。

去年話題になったチェーン除草から発展して、今年はこれ。

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スプリング除草。

道具の改良で競うのは、「百姓」 と呼ばれる  " 生きる知恵者 "  たちの

DNAのようなものだね。

 

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合鴨が気持ちよさそうに泳いでいる。 いや、働いている。 

 

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フムフム、魚沼の笠原氏はだいたいこんな感じか・・・・

などと分析したりしながら、したたかなオヤジたちが太陽の下で解散。

お疲れ様でした。

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来年は、魚沼とは違った意味でのライバル、

年々米の評判を上げてきている北海道での開催です。

 

解散後、

福島・ジェイラップさん(稲田稲作研究会) の車に便乗させてもらって、

磐越道経由で、猪苗代で降ろしてもらう。

明日あさってと、次なる会議が待っている。

今夜のうちに体調を戻さないと・・・

昨夜は誰かの部屋に大勢で詰め、尽きない話で延々と飲み、

誰かがサッカーを見始めて、そのまま・・・・となったのだった。

 



2010年6月23日

地下ダムと、僕らの 「宿命」

 

後継者会議・宮古島編を長々と続けてしまったけど、最後に

宮古島の農業と暮らしの根幹ともいえる地下水との関わりについて記したい。

これに触れずして、今回の話は終われないのだ。

 

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最初に書いたように、宮古島はサンゴ礁が隆起してできた島である。

その断層活動で形成された 「嶺」(丘陵) が縦に走るだけで、

後背山地を持たない、したがって川らしい川もない平坦な島。

この島に雨は年間2200mmも降るのだが (日本の平均降水量は1700~1800mm)、

石灰岩質の土壌は透水性が高く (=保水性が乏しい)、

また地形が低平で川がつくられないため、多くが地下に浸透する構造になっている。

その比率は4割と推定されている。

(日本本土は川によって海に流れ、地下に貯められる量は数%レベルである。)

 

しかし地下に染み込んだ水は、ただ下り続けるわけではない。

サンゴの遺骸でできた石灰岩層の下には、

宮古群島がまだ海面下にあった時代に堆積された 「島尻泥炭層」 という地層があり、

この緻密な泥炭層がしっかりと水を受け止め、浸透をさえぎることで、

水は石灰岩層の隙間に貯められることになる。

この島の石灰岩層は、いわば水をたっぷりと含んだスポンジのようなものだ。

 

さてここからが本番なのだが、問題は、このような地質と構造によって、

島の暮らしは足元の下にある地下水にすべて依存せざるを得ない、

ということなのである。 農業用水も生活用水も、一緒なのだ。

つまりは、生活や農業のあり方がそのまま地下水の水質に反映して、

ストレートに生活にも農業にも跳ね返ってくることになる。

これが 「島の宿命」 というわけだ。

実際に、硝酸態窒素によって地下水汚染が進んでいると最初に指摘されたのは、

1980年代のこと。 

「もう飲めない」 レベルの手前まで至った歴史を、すでにこの島は経験している。

原因のひとつが言わずもがな、化学肥料である。

島での有機農業者たちのたたかいは、そこから始まっている。

 

熱血の生産者、渡真利貞光さん。 年齢不詳 (聞き忘れただけ)。

大地を守る会にはピーマンやゴーヤなどを出荷してくれている。

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渡真利さんの有機農業の考え方は、島の資源を最大限に活用する循環型農法である。

ポイントは草と残さ資源にあるようだ。

夏場にあえて草を生やして、刈り取って土にすき込むことで保肥力を高める。

それに島の主要作物であるサトウキビの搾りかす(バガス) や廃糖蜜、

泡盛の搾りかすなどを利用して 「土ごと発酵」 させる、というものだ。

 

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島においても、化学肥料の使用は本土と同じように増えてきた。

しかし島の石灰岩土壌はカルシウムが豊富なため、

実は化学肥料に含まれる貴重なリン酸はカルシウムと反応して固定化され、

不可給態つまり作物が吸収できない状態となって土壌に蓄積されてしまっている。

そこにバガスや糖蜜を施すことで、リン溶解菌がそれを炭素源のエサとして

乳酸や酢酸などの有機酸を生成させ、それによって土壌 pH が下がり、

リン酸が溶け出して作物に吸収されるようになる。

植物のリン酸利用率が高まり、さらに有機質肥料を施すことによって、

化学肥料を不要にさせ、結果として硝酸態窒素による地下水汚染を防ぐ。 

渡真利さんはこの技術を 「炭素農業」 と呼んだりしている。

 

彼は自身の農法を確立させることで、ただ化学肥料を批判するのでなく

説得力のある形で農民たちを有機農業に転換させたいと願っている。

「有機農業でちゃんと飯が食えることを証明して、島全体を循環型の農業に変えたい。

 私の人生すべてをかける覚悟でやってます。」

 

宮古島には、世界でも珍しい 「地下ダム」 が建設されている。

地下だから 「埋蔵」 と呼ぶべきかしらん。

先に書いた通り、この島の地下水は

水を含んだスポンジのように石灰岩層の隙間に貯まって地下を移動している。

地下ダムはその地下水流の下流域に止水壁を設けて貯め込むという仕組みである。

島の水資源調査に呼ばれたハワイ大学のジョン・F・ミンク博士という方の提言によって、

1979年に実験ダムが作られ、その後93年、96年と、2機が建設された。

すべて国の事業である。

 

地下にあるので見ることができないのだが、

一か所、貯水されている様子を見ることができる施設がある。

「地下ダム資料館」 を訪ねる。

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ガイドしてくれたのは、川満真理子さん。

何を隠そう、渡真利貞光さんのパートナーである。

島の特徴から地下ダムの構造、そして島にとって地下水は命であること、

その地下水を何としてもきれいな状態で守っていきたいと、こちらも情熱の人である。

 

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これが地下ダムの様子。 

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一定の水位以上になると溢れて流れ出る仕組みになっている。

 

このダムがつくられたことによって、潅水設備が行き渡るようになり、

島の農業は干ばつから解放され、水利用型へと変換した。

そう、この島は雨は多いのだが保水性が乏しいため、

いったん少雨の時期が続いたり台風が少ない年などは、

とたんに干ばつに見舞われる、という歴史を繰り返してきた。

台風銀座といわれる地帯で、しょっちゅう被害を受けているばかりと思っていたけど、

台風は大量の水という恵みも運んでくれていたってわけだ。

 

地下ダムができて水が安定的に利用できるようになったことは

喜ばしいことなのだろうが、反面、その収支(使いすぎ) も心配になってくる。

表土の保肥力・保水力を高める渡真利さんの 「炭素農法」 は、

水質の保全だけでなく、水を蓄える力を併せ持った農業である。

島が背負い続けてきた 「宿命」 とはむしろ、

「使いすぎてはならない」 「汚してはならない」 という 「掟」 を伝えるものであり、

持続可能な循環の世界の大切さを教えてくれる島の守り神なのではないか、

とさえ思えてくるのだった。

 

さらに思うに、この 「宿命」 って実は、ひとつのサンゴの島の話ではなくて、

僕らがいる星全体の 「宿命」 と同義だろう。

圧縮された形で、この星の 「宿命」 を教えてくれているのだ。 

僕らは、渡真利さんのピーマンやゴーヤを食べることで、

その 「宿命」 とつながっている。

そしてこの島での、サンゴ礁や水循環をめぐってたどってきた道のりと

これから進む事態は、我々にとって有り難い 「道しるべ」 となるに違いない。

 

すごい大先達に導かれながら、未来は君たちにかかっている。

やったれや、この島を、有機の島に。

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頼むぞ、玉城克明。

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最後に登場した役者が、またスゴイ。

帰りの空港に向かう途中、昼食のお店に飛び込んできたおじさんがいた。

「いやあ、藤田さん。 会えてよかった。 間に合ってよかったよ! 」

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真榮城忠之さん。

元琉球放送の取締役まで務めた方。

藤田会長や前会長の藤本敏夫さんとは、若い頃の東京勤務時代からの付き合いだとか。

しかも驚くべき話を聞かされる。

「地下ダムを作るきっかけは、ぼくの親父が平良市長をやってた時に、

 ミンク博士を調査に呼んだことに始まるんだよね。」

 

今は放送局は退任されて、無農薬でウコン栽培を始めたんだとか。

僕の名刺を見るや、「軌道に乗ったら幕張に行くから、会ってよ。」

広がっていく不思議な縁は、大切にしなければいけないと思う。

 

さてさて、南の島の国家事業を見せられた後で、

来年の開催は、、、、この人が手を挙げてくれた。 

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秋田県大潟村 「ライスロッジ大潟」、黒瀬友基くん。

戦後最大の国家事業と言われた、日本第二の湖・八郎潟を干拓して出現した

大潟村での開催。 この村の歴史もまた、たくさんのことを教えてくれるだろう。

しなやかな感性を持った有機農業の第2世代諸君。

来年は、北で会おう。 

 

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2010年6月22日

楽園の果実

 

宮古島レポートの続きを。

 

6月18日(金) 朝、我々 「大地を守る会 全国後継者会議」 一行は、

宮古島から来間 (くりま) 大橋を渡り、来間島に渡る。

昨夜のビーチから眺めた橋の向こうにある、

周囲10キロ、人口200人に満たない島。

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1995年、日本一長い農道橋が開通して、便利になった反面、

島に車があふれるようになり、ゴミ (現地の人はチリと言う) が増え、

空き巣やバイク泥棒など犯罪まで発生するようになった。

橋は必要だと思いながら、なくしてはいけないものもあるはずだと、

この島の農家に嫁いだ砂川智子さんが、

著書 『楽園の花嫁』 でその光景や悩みを綴っている。

 

さて、この島でのお目当ては、その智子さんの夫、砂川重信さんである。

完熟マンゴーの生産者だ。

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智子さんが惚れた 「日本一黒い男」。 腹ではなく肌のことです。 

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砂川さんのマンゴー、" 完熟 "  の称号は伊達ではない。

なんたって、実が熟して落ちるまで樹に成らせる。

砂川さんのこだわり、というより  " それが自然でしょ "  という感覚が

砂川マンゴーの本質である。 

しかも農薬も化学肥料も一切使わない、有機マンゴー。

断然、味が違う。 濃厚な甘さに上品な酸味、口の中でとろける感触は、

まさに  " 楽園の果実 "  と呼ぶにふさわしい。

 

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沖縄は20数年ぶりで、恥ずかしながら初めて見るマンゴーの樹。

ネットを取れば、まだ赤いけど堂々たる大きさに育っている。 

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これが黄色くなって、袋の中で自然落果するまで待つのである。


智子さんの著書。 

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マンゴー栽培を始めた頃の様子が記されている。

  『 輸入自由化で和牛の値段が下降しはじめる前にどうにかマンゴー栽培を始めたい。

   そう決心した私たちは最初の年に6アール、次の年に20アールのビニールハウスと

   用水池を完成させた。 風速45メートルの台風にも耐えられるという

   沖縄仕様の鉄骨ビニールハウスは、私たちに夢を膨らませ満足感を与えてくれたが、

   炎天下の困難な建設工事と多額の借金という現実も残してくれた。

   マンゴーの苗木は植え付けてから3年めで花が咲き、

   去年から6アール分のマンゴーとパパイヤ、島バナナなども出荷している。

   私たちのマンゴーはすべて 「楽園の果実」 と名付け、

   申し込み順に今朝収穫したものを直接消費者に送っている。

   有機栽培でなるべく農薬を使わないように。

   マンゴーが大好物の私の3人の子供に、安全で美味しいものを食べさせてあげたい。

   そんな親の思いが、そのまま私たちの農業姿勢になっている。

   だが、年々増えてゆく収穫量にどこまでそういう姿勢で対応できるのか・・・。

   理想と現実にどう折り合いをつけていくか・・・。 まだまだこれからだ。 』

1995年頃の話。 お二人の当時の心情がうかがわれる。

 

砂川さんのパッションフルーツ。

ただ酸っぱいだけの果物と思っていた人も、これには驚きの声を上げる。

酸味とのバランスがよく、 「甘い!」 のだ。 

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パッション~といっても 「情熱」 の意味ではない。

その花の形が、欧米では十字架に打たれた釘を連想させるようで、

キリストの受難 (the Passion) の花と名付けられた、のだとか。

 

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それにしても驚いたのが、

閉じていた蕾に声をかけたり触ったりしているうちに、

あっという間に全開まで開いてくれたことだ。

すごいサービス精神!! てことはないよね。 

ハチでも飛んできたと錯覚したのか。 

ちょうどそういう時間だったということもあるのだろうが、

呼ぶ声に応えるかのように動き出した花弁に、来客を喜んでくれている、

と感じたのは僕一人ではなかったと思う。

この花のどこが十字架に打たれた釘に見えるのか、キリスト教門外漢の私には分からない。

「情熱のフルーツ」 にしようよ。 

 

智子さんが運営するカフェ、「楽園の果実」 でひと休みさせていただく。 

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夏のような日差しに、むせ返るような湿度の下で、

爽やかなマンゴージュースが、とても嬉しい。 

智子さんに会えなかったのが残念。

 

観光客や短い滞在者には、ここはまさに  " 楽園 "  である。 

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しかし、それで宮古島レポートを終わらせるわけにはいかない。

「大地を守る会 全国後継者会議」 の視察プログラムを通して、僕らは、

この島に実に深い問題が横たわっていることを知らされたのだ。

それはいま地球上で進行している重大な危機の、ひとつの縮図だと言える。

最後に、地下ダムと有機農業の話を。

 



2010年6月20日

ダイアログカフェ & キャンドルナイト

 

沖縄レポートの途中だが、今日はキャンドルナイトの日。 

増上寺に行く前に、昼間、もう一つの集まりにも参加してきたので、

二つあわせて報告しておきたいと思う。

 

まずは午後1時から、青山学院大学で開かれた

「第2回 環境ダイオログカフェ ~食から考える生物多様性~ 」。

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昨年、米づくりと環境教育プログラムでお手伝いした 「NPO法人 たいようの会」 と、

青山学院大学小島ゼミの主催で開かれた。

小島ゼミとは、元環境省地球環境審議官の小島敏郎さん (現青山学院大教授) が

持っているゼミのことで、小島さんはたいようの会の専務理事でもある。

 

今年10月、「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」 が

名古屋で開催されるが、世間の関心はまだイマイチの感がある。

そこで学生から社会人までが一緒になって、

生物多様性を身近な 『食』 との関係から考えてみようということで召集がかかった。

 

大地を守る会もおつき合いのあるクリエイティブ・ディレクター、マエキタミヤコさんを

コーディネーターとして、ダイアログカフェという手法で進められる。

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写真前のテーブルの左にいるのが小島敏郎さん。

 

ダイアログカフェとは、まず立場や年齢や文化の異なる人たちが

小さなテーブルに分かれ、それぞれで意見を交わし、アイディアを出し合いながら、

そのテーブルでの合意を導き、ひとつの文章にまとめる。

スローガン的なコピーではなく、具体的で主語述語の整った文章にする。

次に最後に全体で討論しながら出された文章を加筆したり削除したり

別々のものをくっつけたりしながら、

会議全体の総意としてまとめ上げてゆく、というもの。

民主的な合意形成の方法として、昨今は国際会議でも採用されているようである。

 

今回の討議テーマは、次のように設定された。

「食」 に対しては、安心、安全、味、価格など多様な要求があるが、

それらの個人的な要求と 「生物多様性」 を共存させるための具体的提言をまとめてみよう。

 


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出された意見は、

できるだけ国産のものを食べる(自給率の向上)、地産地消の推進、

ゴミを出さない、メディアやネットを活用して多くの人に伝える、などなど

特段目新しいものはなかったが、討議の結果を全体の提言として文章にまとめる、

という作業の行程が面白い。

「もっと具体的に」 とか、「それで目的がどう達成できるのか」 と

キャッチボールが繰り返されているうちに、それなりの提言にまとまっていくのだ。

学生たちから 「(安全・安心や生物多様性保全のために) 農家に補助金を出す」

といった提案がなされ、それに対して社会人から 「安易な補助金頼りはいかがなものか」

といった反応が出る。

なかには 「(食情報の乱れに対して) マスコミに規制をかける」 といった意見が出て、

批判を浴びる場面もあったりして。

 

テーブルでのセッションは2回に分かれ、出された提言は40を越えていたか。

時間切れで、結局最後のまとめまで進められなかったが、

食と生物多様性というテーマに学生たちが感じ取っているレベルが推し量られ、

それなりに楽しい刺激を受けた会議となった。

 

会議後の懇親会はパスして、増上寺に走る。

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けっこう集まってきている。

なにより雨でないのが嬉しい。

我々スタッフの感覚では、それだけで成功である。

 

到着後、ただちに会場警備を指示される。

トランシーバーを渡され、境内をウロウロする係。

所定外ののところでロウソクをつける人がいたら控えていただき、

後ろが込み合ってきたら前に詰めるようそれとなく誘導し、

トランシーバーからは 「アーティストの写真撮影は注意するように」 と指示が入り、

迷子のお子さんの連絡が入るとそれらしき女の子を捜し、

東に喧嘩あればツマラナイカラヤメロトイヒ・・・・・

 

ま、このイベントに来る参加者は基本的に行儀がいいので、

さほどの仕事はなかったのだが、さて皆さん満足していただけたかどうか。

会場関係で見きれなかった点、至らなかった点などあったら、ごめんなさい。

 

17時50分、明星学園の和太鼓でステージ開演。

田んぼスケープでコラボさせていただいている文化人類学者・竹村真一さんと

大地を守る会会長・藤田和芳のトークが行なわれる。 

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続いて、Yaeさん+カイ・ペティートさん(ギター)、Skoop On Somebody さん

のライブ。

 

20時を前に、東京タワー消灯のカウントダウン。

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10,9,8,7,6,5 ・・・

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4,3,2,1,ゼロッ !

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お見事。

 

あとはゆったりと、中孝介さんの歌声を聴きながら

それぞれの時間を、ロウソクの灯とともに、どうぞ。

 

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我々は静かに見回りつつ、

石段に落ちたロウを剥がしたりしながら片づけに入る。

22時過ぎ、解散。

やっぱビールでも飲まないと、となって・・・・

いつになっても、俺たちにスローな夜は許されない。 

 



2010年6月19日

繊細な生態系と大らかな三線に抱かれて

 

サンゴ石灰岩の上で営まれる宮古島の暮らし。

観光客を喜ばせるマリンブルーの海とサンゴ礁、真っ白の砂浜といった風景も、

実は繊細な生態バランスによって成り立っている。 

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さて、昨日からの続きは、

沖縄大学人文学部准教授、盛口満さんの講演である。

題して 「島の農業・環境・生物について」。

要するに好きに喋れ、というようなお題目だ。 

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出身は千葉で、埼玉県飯能市にある 「自由の森学園」 の中学・高校教諭を経て、

2000年に沖縄に移住した。 2007年より現職。

作家・イラストレーターの肩書きもあり、『ゲッチョ先生の卵探検記』 とか

『小さな骨の動物園』 『生き物屋図鑑』 などなど、多数の著作がある。

会長の藤田が、「盛口さんの専門は、なに学になるのですか?」 と聞いたところ、

「僕は特に〇X 学を研究しているってわけじゃなくて、、、ただの理科・生物の教師です」

 

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そんな盛口さんが

「大地を守る会が僕に何を話せというのかよく分からないままやってきまして・・・」

と言いながら、最初に言い放った言葉は、

「食べものって、全部生き物だってこと、皆さん、知ってますよね。」

 

盛口さんが手に持っている骨、何の骨か分かりますでしょうか。

人が描いている外見からのイメージと実際の骨格とは違うのである。

答えは・・・豚。 だったよね、たしか。

 


盛口さんはたくさんの動物の骨を持参して、参加者を驚かせたりしながら、

琉球弧を歩いては聞き取った伝承も紹介しつつ、

生き物たちとのつながりを土台にして島の暮らしや文化が紡がれてきた世界を、

そして生物多様性の意味を紐解いていく。 面白い。

 

盛口さんは、サンゴ礁の秘密にも迫る。

造礁サンゴが繁殖するのは、亜熱帯から温帯の、透明度の高い、浅い海である。

太陽の光が強いため、水の蒸発も多く、したがって塩分濃度も高くなる。

そういうところではプランクトンは育たず、サンゴ礁の海とは、実は貧栄養の海である。

しかしサンゴは体内で光合成を行なう褐虫藻という藻類と共生していて、

その栄養分によって繁殖することができる。

褐虫藻は貧栄養という環境のなかで、サンゴに寄生することで、ともに繁殖する。

サンゴの死骸はたくさんの隙間をもった海底を形成し、様々な小動物の隠れ家を提供する。

石灰分の多い土壌に適した植物が藻場を形成し、藍藻類が窒素固定を行ない生産力を支える。

そこは波が緩いため産卵に適し、魚がやってくる。 

稚魚にとっては揺りかごのような環境だが、それたちを食べにまた魚がやってくる。

そうやって順々に生物の多様性が高まる。 砂浜はウミガメの産卵場になる。

 

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しかし海の富栄養化が進めば、植物プランクトンのほうが優勢になり、

海は濁り始め、褐虫藻が生存できなくなり、サンゴも衰えてゆく。

平坦なサンゴの島で、富栄養化の大きな要因は農業に使われる化学肥料である。

あるいは陸での乱開発によって土壌が流れ込むと、やはり水が濁り、光が当たらなくなり、

サンゴに泥が溜まれば窒息し、共生藻類を失うことで白化し、死にいたる。

サンゴが死ねば、必然的にサンゴによって支えられた生態系が滅ぶ。

「魚が湧く」 とまで言われるサンゴ礁の死滅は、結果として

島の暮らしのサイクルも狂わせてゆく。

私たちが生物多様性という問題を考えなければならないワケが、ここにある。

 

さて若者たちは、座学を終えるや、

陽射しも湿度も尋常ではないにもかかわらず、外に出たがる。

暑いよ暑いよとか言いながら。

 

島の東の突端、東平安名崎の公園で、

西川卓治のマイ・スィート・ハニー、真衣子さんお手製のお弁当をいただく。

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写真を撮らせてもらおうと申し出たら、真衣子さんがどこかにいなくなった。

(別に照れてではなく、次の仕込みに入ったようだ。)

 

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新城海岸に到着。

ここでシュノーケルリングをしばし。

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僕は準備をしてこなかったので、浜を歩き、

藤田会長をはじめとするオッサン軍団とオリオンビールでひと休みする。

 

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いつかこういう島でゆっくりとダイビングを楽しみたいものだ。

(こうみえてもダイバーのライセンスは持ってます。)

そんな日はやってくるのだろうか。

 

瞑想のひと時を終え、ホテルに戻る。

夜は浜辺でバーベキューが用意された。

 

ウィンディまいばま。

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ここの砂浜は粒子が細かく密度も濃い。踏みしめても足が埋まらない。 超一級品だ。

これがすべて生き物の死骸である。

ここまで積もるのにどれほどの時間がかかったことだろう。

「一億年前、ここに風が吹いていた」 とか表現した詩人がいたが、

この島は約300万年前から数10万年前という悠久の時間をかけて、

隆起とサンゴ礁の発達が繰り返されてできたものだ。

200万年前のその日も、いつもと変わらず、

一介のサンゴが波に洗われ、静かに砂になった、って感じか?

 

ワタクシの繊細な詩情などお構いなしに、

野人たちは生命を喰らい始める。 未来はいつまでも続くと信じて。

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今回の立役者、西川卓治に乾杯! 

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しかし、これで終わらないのがオキナワである。

フラダンスのショーが始まった。

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実は、西川くんのお連れ合い、真衣子さんがやっている 「Pua'ena (プアエナ) 宮古」

というフラのチームなんだそうだ。

プアとは花、エナとはエネルギーが満ちるというような意味だとか。

お弁当を食べていた間に彼女がいなくなったのは、練習していたようである。

 

ただ見とれる。

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ようやっと、ツーショットをいただく。

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おいおい、君。。。。。 いいのかぁ? アップしちゃうぞぉ。

 

いよいよ三線の登場。

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奏者は、川満七重さん。 

宮古を代表する三線奏者の友情出演。 感激!ですね。

隣の太鼓は、松堂とおるさん。 

 

さらにサプライズが!

真南風(まはえ) 代表、夏目ちえさんが、フラガール姿で現われる。

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涙そうそうの演奏に乗って、優雅な踊りを披露してくれた。 

 

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フラッシュの嵐・・・・・諸君! これは機微な個人情報ですぞ、なんてことはお構いなし。

僕も10枚ほど頂戴しました。

 

あとはただ、テンション上げるのみ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

ホテルに帰っても、部屋でオトーリの再現。 

ああ、終わんねぇよ。 

 

長寿番組 「世界の車窓から」 ふうに--

明日は、楽園の果実に向かいます。

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2010年6月18日

珊瑚の島で 後継者会議

 

もしお手元にあれば日本地図を開いて、鹿児島から沖縄を眺めてみてほしい。

種子島・屋久島のある大隈諸島からトカラ列島・奄美諸島までを薩南諸島と呼び、

その南方の沖縄諸島・先島諸島は琉球諸島と総称される。

(両方ひっくるめて 「南西諸島」 となる。)

 

しかし僕は 「琉球諸島」 より 「琉球列島」 という呼び方のほうが好きだ。

もっと言えば、 「琉球弧」 という表現に血が騒いだりする。 なんでだろう。

 

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ここは沖縄本島から南西約300kmに位置する、先島諸島・宮古島。

ざっくりと言えば、九州本土と台湾の中間に沖縄本島があり、

沖縄本島と台湾の中間に宮古島がある。

 

山がない、川らしい川もない、丸ごと珊瑚礁によってつくられた島。 

南四国の海に育ったワタクシの目にも、ここは空気も風土も文化も違う

まったくの異国である。

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この島で、 『 大地を守る会 第8回全国後継者会議 』 が開かれた。

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昨年、島根県浜田市(といっても旧弥栄村) の 「やさか共同農場」 で開催した際に、

「来年は宮古島で開催した~い。 ぜひ来て~!!!」

とアッピールしたのが、宮古島に入植して7年の西川卓治くんだった。

 

沖縄本島よりまだ向こうでの開催に、昨年以上に不安先行の準備になったのだが、

そこは7年にわたって親交を温めてきた若者たちの心意気である。

北は秋田・福島から鹿児島まで、内地から14名の次世代生産者たちが

宮古島に乗り込んできてくれた。

せっかくの沖縄行きということで、奥さんとお子さん同伴というのも2組あった。

「オオッス」 という挨拶や、子どもとすぐにうち解ける光景が、とても嬉しく感じる。

 


会議は17~18日の日程で、僕らは16日の午前中に羽田を立ち、

那覇空港を経由して、夕方に現地に入った。

前日入り、ということは・・・・・前夜祭から始まるってことだ。

駆け足で2軒の生産者と畑を回って、夜は彼らの農産物を取りまとめてくれている

 「有限会社 真南風 (まはえ)」 さんとの懇親会に臨む。

宮古島の生産者を中心に、沖縄本島や石垣島からも生産者が集まってくれた。

本番前というのに、二次会まで設定されて、

そこで恐れていた、宮古島伝統の泡盛の回し飲み 「オトーリ」 の洗礼を受ける。

 

「オトーリ」とは-

まず 「親役」 が口上を述べ、コップ酒をイッキ飲みする。

そして親役が酒を注ぎながら座を囲んだ全員にコップが回ってゆく。

回ってきたらイッキに飲む。

ひと回りしたら、親役が次の親を指名して、指名された親はまた口上を述べ、

イッキ飲みする。 それが順番に繰り返される。

もともとは豊作祈願の神事から始まったようだが、いつの間にか島の慣例となって、

沖縄本島の人の間では 「宮古にだけは泊まるな」 とも言われているんだとか。

島内では、この泡盛イッキ回し飲みの是非をめぐって終わりのない論争が続いているらしい。

泡盛を空けながら口角泡を飛ばし・・・て感じかしら。 終わんねぇな、ゼッタイ。

 

そんなキビシイ前夜祭を経て、

6月17日、「大地を守る会 全国後継者会議」 が開催される。

 

恒例の藤田会長挨拶の後、

「真南風 (まはえ)」 代表、夏目ちえさんの挨拶。

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真南風の歴史を語る夏目さん。

歴史をひも解けば、僕らのつながりは1986年秋の大イベント 「ばななぼうと」 にまで遡る。

全国250の市民団体から集まった500名を越す人々がひとつの船に乗り、

徳之島から石垣島までめぐりながら、

「いのち・自然・暮らし」 をキーワードに、市民運動のネットワークづくりを語り合った。

当時、石垣島・白保のサンゴ礁を守りたいと空港建設に反対していた魚住けいさんが、

サンゴ礁とともに生きる島の暮らしを支えるのだと、漁民と手を組んで

天然もずくの産直事業に乗り出していた。

" 批判・告発型の運動から提案型運動へ- " 

今でいう社会起業の先駆けともいえる市民事業の種が一斉に蒔かれた時代だった。

僕もまだ若かったな。

あれから沖縄各地に仲間の生産者が増えていって、「真南風」 設立へと至る。

魚住さんは強い意志をもって走り続け、2004年、ついに天にまで昇ってしまわれた。

そして魚住さんの遺志を継いだのが夏目さんだが、

代表を引き受けるにはずいぶんと悩まれたようである。

背中を押したのが生産者たちであることは言うまでもない。

 

あれから20数年、俺もオッサンになったな・・・などと感慨に耽っているうちにも、

若者たちは屈託なく、ツカミをとりながら自己PRを始めている。

 

3回目だったかの開催地、愛知・天恵グループからは3名の参加。

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3年前の開催地、長崎・長有研からは2名。

過去2回開催した埼玉からは瀬山公一が、昨年のやさか共同農場からは竹岡篤志が、

家族連れでやってきた。

みんな律儀である。

 

今回のニューフェイスはこの人。

長野県松川町 「農事組合法人まし野」 の熊谷拓也くん。

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農大を卒業して、アメリカのリンゴ農園で2年の研修経験を経て、

今年の春、実家に就農した。

夢は、アメリカで自分のリンゴ農園を持つこと、だとか。

 

こちらが今年の開催地・南アフリカ、じゃなかった沖縄の、若手生産者たち。

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左から3番目が、攻めは強いが守りはからきしと思われる西川卓治選手。

出身は大阪で、栃木の有機農家で修行した後、

奥さんの実家・宮古島に二人で帰って、有機農業を始めた。

新規就農にはタフさだけでなく、明るさもあったほうがいい。

ボケで笑いを取る関西DNAと常に前向きな行動力は、

地域を変えるエンジンになるかもしれない。 期待のキャラだ。

 

さて次に、沖縄大学・盛口満先生の講演となるのだが、

疲れたので、今日はここまで。

今回の宮古島体験は、ネタがいろいろあり過ぎて、

こんな調子で続けたらいったい何回の連載になるのかしら。

せめて3回で終わるようにしたい。

 

本土にはいないと思われるトカゲのデート、発見。

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2010年6月12日

モデルタウンから収益力向上へ・・・

 

千葉・さんぶ野菜ネットワーク事務局の川島さんから、

「山武市有機農業推進協議会」 の緊急幹事会を開くという招集がかかっていて、

今日は夕方6時からの会議に出向く予定にしていたのだが、

やんごとない事情が発生して欠席させていただくことになった。

 

緊急幹事会とは、いったいどういう事態になっているのかというと、

2年間続いた有機農業推進法によるモデルタウン事業が

昨年の事業仕分けの対象になって、それが議論の末、どういうわけか

「産地収益力向上支援事業」 という

新しく設定された枠のなかに組み込まれたのだ。

 

有機農業ををどう地域に広め定着させてゆくか、だけでなく

有機農産物の産出額を増やし、収益力を高め、所得を向上させる、

その目標(額) の設定と事業計画が求められた。

 

そこで山武市有機農業推進協議会としては、

ここ2年で進んだモデルタウン事業を後退させるわけにはいかないと

改めて事業計画書をつくり申請したのだったが、

想定外の部分で修正を要求され、申請書を書き直さなければならなくなった。

ついては急だけど、というのが川島さんからの連絡なのだった。

 


農政局からいちゃもんつけられたのは、

主に新規就農者のための研修にかかる事業予算のところだったらしい。

研修生のための宿泊施設への助成は出せない。

研修生を指導する農家への謝礼は減額せよ、とか。 

 

山武では研修生用に空き家を一軒借りている。 もはや 「いた」 と言わなければならないか。

今年も3名の研修生がいて、2人が遠方のため利用しているのだが、

それも使えなくなるとのことで、1人は山武に就農した元研修生宅に居候することになり、

さてもう1人は・・・思案中だとか。

「受け入れ農家も増えなくなる可能性がありますねぇ・・・」

と川島さんは心配している。

 

一昨日の日記で紹介した栃木の 「民間稲作研究所」 の稲葉光圀さんも、

研修所は建てたが、これからは自力運営だと腹を決めている。

 

茨城県行方市で協議会をつくってやってきた卵の生産者、濱田幸生さんからは

先日、「新予算はとらない」 とのメールが入ってきた。

「ソフト予算に費用対効果を数字で求めるような非常識なものを取ってしまうと

 身動きがとれなくなります」 とある。

「旧予算の仕分け時にはたいへんにご尽力いただきましたが、残念な結果になりました。

 有機農業支援法をつくる段階から6年、

  ~~ もう国になにも期待するものはありません。 従来どおり勝手にやるだけです。」

 

一昨日も書いたとおり、自力運営はもとより僕の支持するところだが、

有機農業者の育成という、手間のかかる部分を加速させてくれたエンジンが

モデルタウンの側面でもあった。

 

それが一気に減速して、収益の向上計画に変えて申請せよ、とは。

たった2年で似て非なる支援事業に様変わって、

計画の修正、途中断念が相次いでいる。

 

有機農業推進法の歴史的評価はまだ早すぎるけど、

法の理念を体現するべき事業 (税金の使い方) の変質が

法で目指した目標にどんな影響を与えるか、の格好の事例を見せられているようだ。

 



2010年6月10日

麦秋の産地から

 

陰暦で言えば4月28日。 麦秋の季節。

ここは栃木県河内郡上三川町。 稀少ともいえる有機栽培の小麦畑。 

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栽培に取り組んでいるのは 「日本の稲作を守る会」 代表の稲葉光圀さん。

その会の名が示すように、基本は稲作の発展を目的とした会であるが、

稲葉さんが確立した有機稲作技術とは、麦-大豆-米の輪作体系の確立でもあって、

米だけでなく、大豆や麦も安定的にさばけることが求められる。

大地を守る会は、2年前から麦の販売という形で応援するようになった。

「有機」 に転換する期間中の小麦を引き受けたのがきっかけだった。

 

すでに収穫も始まっている。

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ただ春先の天気の悪さも響いてか、今年の麦は全体的に 「半作かなあ」 と

稲葉さんの口ぶりも何となく歯切れが悪い。

 


一方、こちらはまだ青さが残る、隅内俊光さんの麦畑。 

ここは田んぼではなくて畑。 前作は2年続けて大豆とのこと。

「これはいい!」 と稲葉さんも絶賛している。

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素人目にも、たしかに実の入りがいい。 粒が大きく、はじけそうだ。

 

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隅内さん(左、右が稲葉さん) も相当な手応えを感じている様子。

しかし問題はこのあと。 収穫まであと2週間くらいだろうか。

梅雨に入れば、難敵・赤カビ病が心配になる。 

なんとかこのまま持ってほしい。

 

「日本の稲作を守る会」 は有機栽培の実践と販売を担う有限会社なのだが、

もうひとつ、稲葉さんが理事長を務めるNPO法人 「民間稲作研究所」 では、

有機農業推進法によるモデルタウン事業を活用して研修施設を建設した。

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有機農業技術支援センター、研修棟。 昨年6月に完成した。

しかもただの宿泊施設ではない。

雨水を地下に貯め、室内に循環させながら、その気化熱で冷房効果を出す。 

この日は暑かったのだが、たしかに室内は爽やかな感じなのである。

冬は発酵肥料の発熱を活用して暖房する。

屋根には太陽電池を据え、電力もできるだけ自給する。

稲葉さんがモニターを見ながら、「今日は売電できてます。」

 

立派な会議室も設えている。 

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収容人員40人。 こういうスペースを大事にするあたり、元学校の先生らしい。

 

しかし有機農業推進法が求めているのはエコハウスではない、

というのが国の論理である。

環境配慮の部分は助成対象外。 結局、自力資金でやるしかない。

「有機農業の思想でやるからにはさぁ、これくらいこだわりたいじゃない。」

頑張ったですね、稲葉先生。

 

モデルタウン事業は、昨年の事業仕分けで廃止寸前になり、

「収益力向上支援事業」 として形を変えて存続した。

しかし本来の有機農業支援とは質が違ってきていて、

新規就農希望の研修生向けの宿泊施設費用などは助成対象外となってしまった。

稲葉さんは申請の継続をやめ、

「もう自力でやりますよ」 と腹を決めている。

 

そこではからずも、稲葉さんと僕の主張が合致したりするのだった。

経営破たんした国の財政に依存することなく、国民の健康と環境は自力で守るのだ。

自力とは、生産者と消費者の連携しかない。

たとえば食の安全・安心や環境に配慮した農業を支援するなら、

その国産農産物を購入する消費をこそ支援すべきである、ということだ。

僕は今の政治が持っているカードに頼るなら、消費税率のアップは避けて通れないだろう、

と踏んでいるのだが、自国で維持しなければならない主要産物については、

加工品も含めて消費税免除とかいう形で消費支援をしたらどうだろうか。

徴税を強化して生産支援をするのか、賢い消費を応援するのか、

議論する価値はあるんじゃないか。

僕らは、稲葉さんたちの有機小麦を、再生産を維持できる値段で買い取って、

結局、高い醤油を必死で売るわけだけど、

なんか二重に負担させられているようなカラクリを感じざるを得ない。

食べる人たちを支援してくれないと、俺たちもうまくいかないよね・・・と頷き合うのだった。

誰か、このカラクリを 「見える化」 してほしい。

 

傾斜地の草は、山羊が処理してくれている。 

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ヒトが自然循環に配慮してくれるなら、

こういう家畜に生まれ変わってもいいなあと思う。

ワタシ、だいぶ疲れてるかしら・・・。

 

さて、稲葉さんが本当に見せたいのは、実は田んぼである。 

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アミミドロに覆われた田んぼ。

発酵させた米ヌカ肥料で繁殖する。 これで強害草・コナギを抑える。

右側は小動物のためのビオトープか。

稲葉光圀の米・麦・大豆の総合技術への模索は、まだまだ続いているのだった。

 

上三川まできたので、宇都宮を越えて那須まで足を延ばしてみる。

那須有機研究会の田んぼも見ておこうかと。

こちらは合鴨を使っての有機稲作。

民間稲作研究所の認証センターで有機JASの認証も取っている。

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那須疏水の清流の恩恵を受けて、

食味も品質も安定した米を作ってくれている。 

合鴨水稲同時作の課題は食味なのだが、ポイントはミネラルとのこと。

 

田んぼに入ったばかりの合鴨。 元気で活躍を始めている。

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米の産地担当・海老原が生産者のビデオレターを求める。

代表の栗原重男さん(写真中央) が真面目に応じてくれるのが、嬉しい。 

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生産者の声だと、鴨たちも寄ってくるのだった。

秘かに嫉妬を感じるときである。

 

どこも生育が遅れがちな今年の状況。

加えて米価の下落が進む中、みんなの努力が報われる秋になるかどうか。

麦は麦だけの話ではすまず、米は米だけの話ではすまず、

僕はただただ彼らの笑顔に 「逃げられない」 思いを強くさせられるのである。

 



2010年6月 7日

守る会総会を終えて

 

6月5日(土)、2010年度の 「(NGO)大地を守る会」 総会を終え、

遅くまで職員たちと飲んでしまって、少々けだるい週の始まりである。

年に一回の最高議決機関を乗り切った安堵感も、多少手伝っているような。

役員の改選も紛糾することなく承認いただけたし。

 

前年度の活動報告に決算、今年度の活動方針に予算、

それぞれを審議いただき、承認を得る。

運動体としての 「NGO 大地を守る会」と、事業体としての 「株式会社 大地を守る会」 を、

車の両輪のように走らせながら運営してきたのが 「大地を守る会」 の特徴だが、

両者はけっして切り分けられるものではなく、

NGOの総会であっても、個々の質問はすべて両者にまたがっていて、

いつしか渾然一体となった議論になってしまう。

 


 

たとえば、ある活動部門で 「事務局員が足りない」 と指摘されれば、

受け手は 「そう簡単に社員は増やせないよ」 と考えながら回答していたりする。

 

たとえば、  " 有機農業を拡げる "  は会の基盤ともいえる運動理念であるが、

いろんな運動を展開しつつも、現実に生産者を増やし、

彼らの経営が安定していく力を与えられるのは事業部門のはたらきである。

つまるところ、運動の質や成果を議論する際には、

結果的に " 事業部門の今 " が問われるという形になり、

必然的に (株)大地を守る会に対して厳しい目が向けられる。

NGOで立派なことを言っても、やっていることは何よ! というわけだ。

 

この  " 運動と事業の両立 " という理念を成立させるためには、

生産と消費というやっかいな対立構造を、現実の流通 (売買) という場で

どう止揚していくかが常に問われるわけだけれど、農産物の場合、

生産者とは量も値段も契約したうえで、一方で消費者からは任意の注文制という形で

モノを動かしている以上、そのひずみは、常に余剰と欠品という現象となって現われる。

その悩みが時に集中的に表現されるのが、

「野菜セット・ベジタ」 (組み合わせお任せの野菜セット) といった

調整弁的な機能を持って設定されたアイテムである。

これがなければ 「好きな時に好きなものを」 注文できるというシステムの

根幹が揺るぐことになるのだが、これすらも消費者の支持がなければ持続できない。

 

都市生活者の需要(ニーズ) と地方の生産力をマッチングさせるには、

相応の市場機能的調整能力が必要になるところだが、我々の今の力では、

ただただ相当なストレスを消費者にも生産者にも与えてしまっていることになる。

 

しかもこれは量や値段といった問題だけではない。

当会の会員には、陰陽の考えにもとづく食養論を大切にするマクロビオティックの方もいれば、

食物アレルギーを持った方もいる。

あるいは環境負荷の視点で現実の矛盾が厳しく指摘される。

象徴的なのがトマトの旬の問題であったりして・・・。

圧倒的なトマトの需要と、冬場にトマトをセット野菜に入れてくれるなという

明確な思想的抗議を前に、僕らの説明は視点によってブレ続ける。

 

自給率を圧倒的に下げている勢力であるにも拘らず、

胃袋が集中する都市の要望 (圧力) は実に多様で、時にわがままである。

一方で、僕らが支援し育てるべき生産者は全国に点的に存在する人々である。

需給の規模や距離もアンバランスな中で、

この両者を上手につなげ、さばいていくことがまだできないでいる。

そういう意味で、この運動は常に成長の過渡期であり、

過渡期のストレスを乗り越えるには、知恵と工夫と、したたかな戦略が求められる。

大地を守る会が標榜する 「オーガニック革命」 に戦略はあるのか、

それは事業に反映されているのか、ということなんだろう。

 

総会では、ベジタの全面改定に向けた検討を開始していることを伝え、了解を願った。

一つの課題を乗り越える知恵と工夫に、「腹案はあります」 と言ったあとで、

縁起が悪いので撤回したが、ないわけではない。

 

こんなふうに35年、愚直に議論してきた団体である。

運動を語り合いながら、現実の流通を議論する。

生産と消費の圧力を受けながら、儲けると株主(=会員) に叱られる。

そんな組織って、他にあるだろうか。

実にしんどい。

 -といいながら28年になろうとしている。 そうとうM的人間になった気がする。

 



2010年6月 3日

「だいち村」 -ちょっとやられた感も・・・

 

「(株)NTTデータだいち」 さんが開いた栃木県那須町の農場運営を

お手伝いすることになったという話をしてから、2ヶ月が経った。

まだ手探りながら栽培も始まっていて、

拠点となる事務所には看板も掲げられていた。

その名がなんと、「だいち村」 。

 

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そうくると思ってたよ。 もう、これしかないよね、というよな命名。

 


先日見せてもらった農地の一角にはハウスが建てられ、

また近隣の造成から出た黒土をもらって、盛られている。

赤土状態からの出発なので、ここはまだこれからである。

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土づくり、土壌診断から協力する。 それはそれで面白い。

 

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新たに2枚のほ場が追加された。 

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じゃが芋が植えられている。

「今年はすべて勉強です」 と実直な若いスタッフ、儘田くんは語る。

好青年だ。

 

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栽培管理の体系づくりは、自分たちの思想を語ることから始める、

という王道を、僕は 「NTTだいち」 さんに提案した。

農場の理念を謳い、それに沿った生産基準を策定し、生産行程管理規定を設計する。

規定に従って、日々の仕事管理までの帳票を整備する。

第3者監査に耐えうる仕組みづくりが一から始まっていて、

楽しいとも言えるが、「責任」 もだんだんと感じつつある。

 

僕の原理原則的な話とは別に、同行した農産チーム・市川職員が、

作付予定表を眺めながら、一芸を披露し始めた。

「たとえばね、イチゴの隣にニンニク、トウモロコシの隣に枝豆、

 バラバラのようで全部理に適ってるって感じで・・・」

「あそこのほ場は時間がかかるとしても、今年は麦とか緑肥を蒔いてみたら。

 それから今からハーブの苗を用意するといいね、ウン。 

 ●●●●●●××××△△~~、これでねぇ、女子の心をつかむんスよ。 ふっふ」

 

なかなか芸の細かいアドバイス。 さすが、である。 

しかしイチカワ自身はなんで女子のハートをつかめないんだろう。 不思議だ。

これは 「NTTだいち」 さんには伏せておきたい社外秘とする。

 

ま、こんな感じで、イメージを膨らませながら、

だいち村と大地を守る会のコラボレーションが進み始めている。

障がい者 (という言い方も何か抵抗があるな) と一緒にどんな農場がつくれるか、

これは俺たちにとっても実に幸運なトレーニングの機会だと思う。

 

IT企業はストレスも多くて、社員の人たちがリフレッシュできる

園芸療法などもプログラムに組み入れたいと 「NTTだいち」 さんは考えているようだ。

 

農が人を救う。 社会はそんな時代を求め始めている。

では人を救う農の世界とはいかようなものだろうか。

 

現役のうちにここまで来れたことを幸せに思う。

ずっとアウトサイダーのままで、あるいはニッチ(隙間) とか言われながら

朽ちるんだろうと思っていたからなぁ。

 

いや、世の中がそれだけピンチになっているんだ、きっと。

 



2010年6月 2日

田んぼスケープ の可能性

田んぼスケープがだいぶ賑やかになってきました。 

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毎週定期的にアップしてくれる高知の村上さん。 

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ありがとうございます。

このまま収穫まで、お願いいたします。

 

「田んぼレポーター」 さんからは、

精力的に全国各地の風景が寄せられてきています。 

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引き続き、よろしく、です。

 

さいたまの見沼田んぼの夕日、いいですね。 

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ゆいまーるゆきんこさんからは、横浜からのの田んぼ便り。  

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ユイマールさんに刺激を受けて、

「東京田んぼ」シリーズをやってみようと思い立ちました。

 

これは5月4日の堰さらい風景。現地から送ってみました。 

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このコピーを貼り付けた後も、京都・丹後半島での田植え、

吉野川源流の棚田、宮城・千葉さんのソーラーパネル・・・と、

投稿が続いています。

 

日本列島の美しい田園風景を、リアルタイムで同時に眺める。

画面を通じて人と人がつながっていく。 

守ろうぜ!この世界! となれば成功なのですが・・・・

 

パソコンからも投稿できるように、という要望がまだ果たせてません。

苦戦しています。

また、投稿写真にコメントを送りたい、という声も頂戴しました。 

たしかに・・・お気持ちはよく分かります。

双方向のコミュニケーションが可能になれば、もっとこのサイトの可能性が広がりますね。

すみません。 当面はこのブログへのコメントで意見を承ります、ということで。

 

帰りが遅いもので、竹村さんのJ-WAVEでの語りはなかなか聞けないのだけど、

今週のテーマは 「好都合な真実」。

水に祝福された、稀有な(有り難い)星の、実に  " 好都合な "  真実。

竹村ブシ 絶好調のようです。

時間も少し早くなったようです。 夜9時半くらいから。

関東の方、たまにはラジオで、奇跡の星に思いを馳せてみるのはいかがでしょう。

 



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