2010年6月23日

地下ダムと、僕らの 「宿命」

 

後継者会議・宮古島編を長々と続けてしまったけど、最後に

宮古島の農業と暮らしの根幹ともいえる地下水との関わりについて記したい。

これに触れずして、今回の話は終われないのだ。

 

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最初に書いたように、宮古島はサンゴ礁が隆起してできた島である。

その断層活動で形成された 「嶺」(丘陵) が縦に走るだけで、

後背山地を持たない、したがって川らしい川もない平坦な島。

この島に雨は年間2200mmも降るのだが (日本の平均降水量は1700~1800mm)、

石灰岩質の土壌は透水性が高く (=保水性が乏しい)、

また地形が低平で川がつくられないため、多くが地下に浸透する構造になっている。

その比率は4割と推定されている。

(日本本土は川によって海に流れ、地下に貯められる量は数%レベルである。)

 

しかし地下に染み込んだ水は、ただ下り続けるわけではない。

サンゴの遺骸でできた石灰岩層の下には、

宮古群島がまだ海面下にあった時代に堆積された 「島尻泥炭層」 という地層があり、

この緻密な泥炭層がしっかりと水を受け止め、浸透をさえぎることで、

水は石灰岩層の隙間に貯められることになる。

この島の石灰岩層は、いわば水をたっぷりと含んだスポンジのようなものだ。

 

さてここからが本番なのだが、問題は、このような地質と構造によって、

島の暮らしは足元の下にある地下水にすべて依存せざるを得ない、

ということなのである。 農業用水も生活用水も、一緒なのだ。

つまりは、生活や農業のあり方がそのまま地下水の水質に反映して、

ストレートに生活にも農業にも跳ね返ってくることになる。

これが 「島の宿命」 というわけだ。

実際に、硝酸態窒素によって地下水汚染が進んでいると最初に指摘されたのは、

1980年代のこと。 

「もう飲めない」 レベルの手前まで至った歴史を、すでにこの島は経験している。

原因のひとつが言わずもがな、化学肥料である。

島での有機農業者たちのたたかいは、そこから始まっている。

 

熱血の生産者、渡真利貞光さん。 年齢不詳 (聞き忘れただけ)。

大地を守る会にはピーマンやゴーヤなどを出荷してくれている。

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渡真利さんの有機農業の考え方は、島の資源を最大限に活用する循環型農法である。

ポイントは草と残さ資源にあるようだ。

夏場にあえて草を生やして、刈り取って土にすき込むことで保肥力を高める。

それに島の主要作物であるサトウキビの搾りかす(バガス) や廃糖蜜、

泡盛の搾りかすなどを利用して 「土ごと発酵」 させる、というものだ。

 

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島においても、化学肥料の使用は本土と同じように増えてきた。

しかし島の石灰岩土壌はカルシウムが豊富なため、

実は化学肥料に含まれる貴重なリン酸はカルシウムと反応して固定化され、

不可給態つまり作物が吸収できない状態となって土壌に蓄積されてしまっている。

そこにバガスや糖蜜を施すことで、リン溶解菌がそれを炭素源のエサとして

乳酸や酢酸などの有機酸を生成させ、それによって土壌 pH が下がり、

リン酸が溶け出して作物に吸収されるようになる。

植物のリン酸利用率が高まり、さらに有機質肥料を施すことによって、

化学肥料を不要にさせ、結果として硝酸態窒素による地下水汚染を防ぐ。 

渡真利さんはこの技術を 「炭素農業」 と呼んだりしている。

 

彼は自身の農法を確立させることで、ただ化学肥料を批判するのでなく

説得力のある形で農民たちを有機農業に転換させたいと願っている。

「有機農業でちゃんと飯が食えることを証明して、島全体を循環型の農業に変えたい。

 私の人生すべてをかける覚悟でやってます。」

 

宮古島には、世界でも珍しい 「地下ダム」 が建設されている。

地下だから 「埋蔵」 と呼ぶべきかしらん。

先に書いた通り、この島の地下水は

水を含んだスポンジのように石灰岩層の隙間に貯まって地下を移動している。

地下ダムはその地下水流の下流域に止水壁を設けて貯め込むという仕組みである。

島の水資源調査に呼ばれたハワイ大学のジョン・F・ミンク博士という方の提言によって、

1979年に実験ダムが作られ、その後93年、96年と、2機が建設された。

すべて国の事業である。

 

地下にあるので見ることができないのだが、

一か所、貯水されている様子を見ることができる施設がある。

「地下ダム資料館」 を訪ねる。

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ガイドしてくれたのは、川満真理子さん。

何を隠そう、渡真利貞光さんのパートナーである。

島の特徴から地下ダムの構造、そして島にとって地下水は命であること、

その地下水を何としてもきれいな状態で守っていきたいと、こちらも情熱の人である。

 

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これが地下ダムの様子。 

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一定の水位以上になると溢れて流れ出る仕組みになっている。

 

このダムがつくられたことによって、潅水設備が行き渡るようになり、

島の農業は干ばつから解放され、水利用型へと変換した。

そう、この島は雨は多いのだが保水性が乏しいため、

いったん少雨の時期が続いたり台風が少ない年などは、

とたんに干ばつに見舞われる、という歴史を繰り返してきた。

台風銀座といわれる地帯で、しょっちゅう被害を受けているばかりと思っていたけど、

台風は大量の水という恵みも運んでくれていたってわけだ。

 

地下ダムができて水が安定的に利用できるようになったことは

喜ばしいことなのだろうが、反面、その収支(使いすぎ) も心配になってくる。

表土の保肥力・保水力を高める渡真利さんの 「炭素農法」 は、

水質の保全だけでなく、水を蓄える力を併せ持った農業である。

島が背負い続けてきた 「宿命」 とはむしろ、

「使いすぎてはならない」 「汚してはならない」 という 「掟」 を伝えるものであり、

持続可能な循環の世界の大切さを教えてくれる島の守り神なのではないか、

とさえ思えてくるのだった。

 

さらに思うに、この 「宿命」 って実は、ひとつのサンゴの島の話ではなくて、

僕らがいる星全体の 「宿命」 と同義だろう。

圧縮された形で、この星の 「宿命」 を教えてくれているのだ。 

僕らは、渡真利さんのピーマンやゴーヤを食べることで、

その 「宿命」 とつながっている。

そしてこの島での、サンゴ礁や水循環をめぐってたどってきた道のりと

これから進む事態は、我々にとって有り難い 「道しるべ」 となるに違いない。

 

すごい大先達に導かれながら、未来は君たちにかかっている。

やったれや、この島を、有機の島に。

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頼むぞ、玉城克明。

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最後に登場した役者が、またスゴイ。

帰りの空港に向かう途中、昼食のお店に飛び込んできたおじさんがいた。

「いやあ、藤田さん。 会えてよかった。 間に合ってよかったよ! 」

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真榮城忠之さん。

元琉球放送の取締役まで務めた方。

藤田会長や前会長の藤本敏夫さんとは、若い頃の東京勤務時代からの付き合いだとか。

しかも驚くべき話を聞かされる。

「地下ダムを作るきっかけは、ぼくの親父が平良市長をやってた時に、

 ミンク博士を調査に呼んだことに始まるんだよね。」

 

今は放送局は退任されて、無農薬でウコン栽培を始めたんだとか。

僕の名刺を見るや、「軌道に乗ったら幕張に行くから、会ってよ。」

広がっていく不思議な縁は、大切にしなければいけないと思う。

 

さてさて、南の島の国家事業を見せられた後で、

来年の開催は、、、、この人が手を挙げてくれた。 

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秋田県大潟村 「ライスロッジ大潟」、黒瀬友基くん。

戦後最大の国家事業と言われた、日本第二の湖・八郎潟を干拓して出現した

大潟村での開催。 この村の歴史もまた、たくさんのことを教えてくれるだろう。

しなやかな感性を持った有機農業の第2世代諸君。

来年は、北で会おう。 

 

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