2010年7月アーカイブ

2010年7月31日

三番瀬 アオサ回収と水上バス

 

話は前後しちゃったけれど、

鹿児島から帰った大暑の日の翌日、7月24日(土)、

船橋・三番瀬海浜公園の浜辺でアオサの回収を行なったので、

写真だけでもアップしておこうと思う。

 

この日も暑い一日になった。 

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子どもたちには格好の水遊び日和。

生命の揺りかごともいえる干潟は、危険ももちろんないわけではないが、

楽しい海辺体験ができる比較的安全な場所である。

(一番怖いのは、エイ。 潮が引くのに取り残されたでかいエイを見たことがある。

 しかも砂と同じ色なので気がつかない。 裸足は禁物。 )

 

特に干潮がお昼時にやってくる中潮から大潮の日ともなれば、

  遊びにも生物観察にも、もってこいとなる。

しかもここは都心に近い。

人々の暮らしと海のつながり を感じさせてくれる貴重な砂浜として、

よくぞ残してくれたと思う。

 

このところの暑さのせいか、アオサはわずかしか見当たらず、

しょうがないねと、干潟の生き物観察会をメインに変更する。

講師は、毎度お馴染み、陶武利センセ。

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松林の陰に集まってもらって、まずは干潟の役割を簡単におさらいする。

 


いろいろと観察しながら、ついでにアオサを拾っていただく。

主客転倒ではあるけど、子どもたちにとってはちょうどいいか。 夏休みだし。

 

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僕が、アオサが溶けた跡じゃないか、なんていい加減なことを言ったあと、

陶センセがすかさず訂正する。

これは植物プランクトン、キートセラスという珪藻(ケイソウ) の種類で、

光合成、つまり太陽のエネルギーを使ってCO2を吸収して有機物をつくってくれている。

これがたくさんの魚介類の餌となります。

水域生態系の一次生産者、つまり土台。 とても大切な生物なんです。

 

潮が引いて、残された水溜りはお湯状態になっている。

暑くて避難しているヤドカリの大群。 

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なんか、可愛くないか。

 

砂浜に空いた小さな穴を掘れば、カニたちが飛び出してくる。 

足の下には壮大な生命循環の世界がある。

満ちればここは海の底となり、たくさんの魚たちの餌場となる。

 

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クラゲだぁ~。

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いえ、これはタマシキゴカイの卵です。

この卵のうの中に、約33万個の卵が入っているそうです。

 

生き物がたくさんいればいるほど、海はどんどんきれいになってゆくのです。

 

米のとぎ汁実験。

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1時間もしないうちに、違いを見せつける貝の浄化力。

というか、有機物の循環こそ、生命の営みそのものなのだ。

 

アオサも循環に貢献している。 

陸から運ばれてきた栄養塩類を取り込んで、富栄養化を防いでくれている。

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アオサの回収自体は絶不漁に終わる。

大漁を期待して、埼玉からやってきた本田孝夫さん(THAT'S国産卵の生産者)、

茨城からやってきた下河辺昭二さん(北浦シャモの生産者)、すみません。

暑い中、少しでも海辺の風で癒されたなら幸いですが。

 

東京湾アオサ・プロジェクトを共同で運営する

BPA(ベイプラン・アソシエイツ) のメンバーは、

大野一敏代表(船橋漁協組合長) はじめ、今回は顔を見せず。

何をやっていたかというと、

船橋市内を流れる海老川に、水上バスを走らせたのだ。

 

交通渋滞の緩和とか地域振興とかが名目らしいが、

何よりも、人が川に親しむことが大切だと、大野さんは思っているに違いない。

身近に感じれば、そしてそれが大切な生命循環の血流だと思うなら、

平気で汚したり、視界から消したりはしないはずだから。

 

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                              (7月27日付 読売新聞)

 

記事によれば、

「船橋市宮本の海老川橋から下流の八千代橋までの約300mを無料で4回運行。

 親子連れなど計40人が参加し、川岸で風にはためく大漁旗などを眺めながら、

 ゆっくりと進む船に揺られていた。」

とある。

 

次回は8月28、29日の予定。

予約制で、バス代は無料。 ただし保険料が1回につき100円。

問い合わせは、BPA (090-3106-6679) まで。 

 

皆さんのところに、川は普通に流れていますか。

街というものを、川の水面目線から眺めてみるのも、一興かも。

 



2010年7月29日

有機農業推進 はどこへ行く?

 

26日(月)、夕方6時前に仕事を中途で切り上げて、千葉・山武まで車を飛ばす。

約1時間遅れで、山武市有機農業推進協議会(以下、山有協) の会議に出席する。

名ばかりの幹事と言われないためにも。

 

有機農業推進法によるモデルタウン事業が、事業仕分けによって

形を変えて生き残った話は以前にしたけど、

山有協も計画書を出し直して認可されたものの、予算は大幅に削られてしまった。

 

「これじゃ何にも出来ねえな!」 と、

さんぶ野菜ネットワーク専務理事・下山久信が何度も吐き捨てている。

たしかに、何に使うにもあまりに中途半端な額で、

この2年、精力的に取り組んできた新規就農者受け入れ体制も、

かなり自力運営に近い形で修正せざるを得ない。

なおかつ 「収益力向上」 の実績をつくらなければならない。

その目標ラインは5%。

収益を上げてこそ、でしょ。 - と言われる農業。 

食と国土を支える農業とはそういうものなのか。。。

 

ひっきょう、いろんな費目への予算を削って販売促進の計画を練ることになるのだが、

国庫補助がなかったら有機農業の拡大ができないとは

僕は意地でも思ってないので、

これはこれで産地の  " やる気 "  が試される試金石だと考える。

下山さんのパフォーマンスも、実はみんなの志気を鼓舞しているのではないか

と思ったりもする。

 

「言ってやるか。 言うしかねぇか」

下山さんが気合を入れている。 二日後の農水省での会議に、である。

 

そして昨日の午後、農水省7階の講堂で、

「有機農業の推進に関する全国会議」 が開催された。

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会場は満席どころか、追加の椅子が用意され、

参加者は全国から500名くらい集まっただろうか。 

 


しかしながら、会議は1時半から6時近くまで及んだのだが、

ほとんど報告の時間で終始した。

農林水産省からの全体的な経過報告。

地方自治体から選ばれた4道県の取り組み報告。

産地協議会(モデルタウン) からの報告が5産地。

有機農業技術会議や有機農業研究会など団体の報告が6件。

 

会議の途中、駆けつけました、という感じで

篠原孝・農水副大臣からのスピーチが入る。 

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農水省の役人時代から有機農業の推進を唱えてこられた、

筋の通った有機農業派である。 

日本で最初にフードマイレージの概念を紹介した方としても知られる。

何度かの左遷を味わいながら(本人の弁)、政治家に転身し、副大臣となった。

時代が変わったと感じさせる象徴的政治家ではないだろうか。

いや、もっとも象徴的なのは、なんといっても菅さんか。

四半世紀以上も前、市民派政治家として期待を浴びながら、

若さを売りにしていた菅さんの事務所に

電話一本で宣伝カーを借りたりしてたことを思えば・・・・・

「ちわぁ。 鍵借りまぁす」 なんてね。 オンボロの宣伝カーだったなぁ。

デモの途中でエンストして、運転手の僕は意図的に停車したと疑われ、

もうちょっとで 「公務執行妨害」 で逮捕されるところだった。

「スミマセン。 押してもらえますか」 

- キ、キサマぁ!  ほ、ほ、ほ、本官を! と叫んだかどうかは覚えてないけど、

「逮捕するぞ!」 と恫喝されたのは、はっきりと記憶している。 

漫画のような光景だったね。

 

菅直人首相に、篠原孝副大臣。

いろいろと問題はあるようだが、たしかに変わってきた、それは実感である。

しかし今日はどうか。

有機農業を力強く推進していきたい、というような決意表明はあったが、

現在の政策については明快なコメントは聞けなかった。

 

産地からの報告では、先日一緒に飲んだばかりの 「かごしま有機生産組合」代表、

大和田世志人さんが発表している。

ここでの肩書きは、「かごしま有機農業推進協議会 総括責任者」 である。 

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有機農業への参入促進では、技術支援センターを立ち上げ、

新規就農希望者の見学会などを企画して呼び込んできたこと。

消費者への普及啓発・交流事業では、

有機をテーマにしたイベント 「オーガニックフェスタ」 を開催したこと、などが報告された。

有機農業と学校給食についてのシンポジウムも開いて普及に努め、

県内20の学校で有機野菜が導入されている、とのこと。 

立派な成果だ。

 

しかしうまく進んでいるところばかりとは限らない。

正確には、少ない、と言うべきか。

昨年度にモデルタウンとして取り組んだ地区は59まで増えたが、

「産地収益力向上支援事業」 になって、43地区に減った。

これまで取り組んできた全地区の概要を、頁をめくりながら眺めても、

2年で飛躍的に有機が拡大したとは言い難い。

悪口を言っているのではない。 そんなものなのだ。

 

それがたった2年で営業成績評価のようなものに変わった。

主旨変えに反発した地区、収益向上という具体的目標設定に断念した地区など、

理由や実情は微妙に異なるが、全体的に士気が落ちた感は否めない。

 

各種の報告が続く中で、なんとなく会場全体がうっ屈しているように思えたのは、

僕の心境がそうだったからだろうか。

わずかに与えられた質疑の時間も、どうにも消化不良だ。

下山さんも手を挙げる気にならなかったようだ。

 

最後に登壇した金子美登さんがただ一人、

「ただ収益を追う制度でなく、有機農業の本来の意義に沿って発展させていってもらいたい」

とコメントされたのが、救いのように残った。

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" これでいいのか " 感は払しょくできないが、

しかし国の助成は税金である以上、中途半端でも無駄にするわけにはいかない。

有機農業が地域の発展を牽引するものであることを示す、

自分たちにとっての確かな指標を持って進めたいと思う。

 

そんな晴れぬ思いが尾を引く中で、

今日、さんぶ野菜ネットワークから2名の入会登録申請が上がってきた。

研修を経て山武に入植した方だ。

「大地を守る会」 生産者会員としての登録希望である。

そのプロフィールのなかで、

「生産物のもつ 「商品」 以外の価値も共有できる関係を望みます」

のコメントが輝いているじゃないか。

 

ガタガタ言いながらも、しっかりと育ててきたね。

「やることやってっからよ」 - 下山ボスのしたり顔が浮かんでくる。

「登録承認」 で回す。 

やるべきことをやっていくだけ、だね。

 



2010年7月23日

鹿児島で 有機農業フォーラム

 

鹿児島に行ってきました。

昨日から今日にかけて、

かごしま有機生産組合主催による 「第5回有機農業フォーラム」 が開催され、

そこで1時間ほどの講演を依頼されたのです。

 

会場は薩摩川内市、 「湖畔リゾートホテルいむた」 。

ラムサール条約にも登録されている藺牟田(いむた) 湖畔にある。

ベッコウトンボの生息で有名なんだとか。

 

僕に与えられた課題は、

「首都圏における有機農産物の販売動向」。

生産者にはとっても気になる話題だが、語る側にはちょっとつらいテーマである。

 


首都圏での 「有機農産物」 の販売動向といわれても、

販売に関する正確なデータがあるわけではない。

あるのは、有機JAS制度で認証(格付) された農産物の数量データのみである。

しかも存在するデータから読み解こうとすると、

有機農業で頑張っている生産者にはとても厳しい現実を語らざるを得なくなってしまう。

 

たとえばこんな数字がある。

有機農産物の生産量 (「有機」と格付された農産物、ここではすべてこの数字)

の統計が取れるようになったのは、有機JAS制度ができた2001年からであるが、

その年の国内総生産量に占める 「有機農産物」の割合は、0.10%だった。

そして直近のデータである08年には、0.18%になっている。

7年間での伸び率は、0.08%。

数量でいえば、約3万4千トンから5万6千トンで、66%増加となる。

これをどう評価するかは、意見の分かれるところだろうが、

まあ伸びていることは事実である。

とりあえずこれを 「地道に」 と表現させていただく。

 

しかし国民的目線でこのデータを見たときに、

驚かなければならないのは、むしろ国内総生産量の減少ではないかと思う。

7年間で94%に落ち込んでいる。

つまり、分母が6%減ったとろこでの 0.08%増、というわけだ。

分母の数量は、約3,220万トンから約3,024万トンへ。

約200万トン落ち込んだところに、「有機農産物」 が2万トン伸ばした。

衰退していくなかでの 「希望の星」 か、もしかして生き残りをかけての 「有機」 か。

 

憶測で語るのはやめて、もうひとつのデータを提示させていただく。

外国産有機農産物の数字である。

2001年に格付された外国産有機農産物は9万4千トン(すでに今の国内産の倍近い)。

それが08年には、約200万トン。

7年間での伸び率は、2125%(約21倍)。 野菜だけでも730%、米で780%。

まるで国内生産量が減った分を、外国産有機農産物が補ったかのような数字だ。

だとするなら、この数字は絶望的ともいえるし、ある意味での希望ともいえる。

 

こんな数字を示しながら、「有機農産物の販売動向」 をどう語るか・・・

複雑なる心境がご理解いただけるだろうか。

「有機農産物」 マーケットは、間違いなく成長しているのである。

食の自給とは関係なく。

そこで、外国産有機農産物の圧倒的な増加をもって、

結局、有機JAS制度は外国産有機を後押ししただけだと批判する向きがある。

僕の考えるところは、最後の結論まで待ってほしい。

 

個人的感覚だけで喋ってはいけないので、もうひとつのデータを参考に挙げる。

農水省からの委託で、NPO法人 日本有機農業研究会が行なった、

「有機農業に関する消費者の意識調査」 である。 昨年の3月に発表されている。

 

このレポートから炙り出されてくる、消費の像とはこんな感じだ。

・ 「有機農産物」というものの存在については、ほとんどの消費者が知っている。

・ 「有機農産物を一度でも購入した」 経験を持つ人は約6割に達しているが、

   「有機JASマーク」 を理解しているのは1割程度である。

・ 「有機」への理解は 「安全性」 や 「環境にやさしい」 というイメージ。

・ 不満は、圧倒的に価格の高さ、である。 続いて供給の不安定さとまとめられるか。

・ 一方で有機をプラスに評価する人の、価格容認幅は +1割~2割高 くらいまで。

 

他にもいろんな傾向が読み取れるが、まあだいたい想定範囲内である。

こういった調査結果を参考指標にしつつ、

その上で、僕が現実から感じとっている消費と社会的な動向について

触れさせていただいた。

大地を守る会は卸し事業もやっているわけなので、

データだけでお茶を濁しては、石を投げられちゃうだろうし。

 

結論。

有機をめぐる市場は広がりを見せつつも、まだまだ未成熟なのだ。

人々の関心や社会的トレンドは、間違いなく 「有機」 への期待を高めている。

しかしマーケットは動いたが営業メリットは発生せず、

JASマークへの不信感が残る一方で、マーク以上の信頼のツールを編み出せていない。

 

僕は有機JAS制度ができた時から、「JASマークを乗り越えよう」 と

呪文のように唱え続けてきた。

認証やそのマークは自身の営農結果の 「証明書」 である。

それが時代の求めるものであるならば、数々の問題点はあっても、

避けずに正面から突破したいと思ったんだよね。

しかし規格に適合したという 「証明」 をもって、それ以上の価値を、

たとえば自身の食や農業に対する思いを語るものには、けっしてならない。

それ以上の価値は、自らの力で築いていかなければならない。

 

有機JAS制度と表示は、発展への過渡期的必然だったのだ。

結果として外国産有機農産物が氾濫したとするなら、それは制度ではなく、

我々の未熟さの問題である。

 

バカにならないコストと手間をかけて認証に取り組んだ者だからこそ

進むことのできる  " 次のステップ "  がある。

「有機農業」 が目指した社会に向けての、次の一歩に。

 

大地を守る会の最近の動きを紹介しつつ、感じている世の中の変化を伝え、

僕らなりの挑戦の方向を述べさせていただく。

" マーケットの拡大 "  というと商業用語になっちゃうけど、

それは経済の流れとも、人々の意識ともつながって動的なものだし、

なにより生産はそれを強く求めていると思うので、ここでは憚らず使わせていただく。

量だけでなく質の深化も目指して、何を語り、どのようなくさびを打ち込めるか。

証明から価値観を動かす力へ-

 

肝心なことを言い忘れたけど、かごしま有機生産組合は、

実は 「有機的社会」 づくりに向けて、すでに舵を切っているのである。

都市の団体や流通に依存するだけでなく、地域に広がるためのお店を増やし、

直営農場を持ち、農業技術センターを設立させて、

有機農業技術の確立と新規就農者の育成に取り組んでいる。

JASの認証にも取り組んだからこそ、制度に対してモノ申す権利も、

大胆にいえば否定する説明力も持ったことになるワケで、

次の展開への踏み台は、もう足元にあるわけです。

どこよりも活力あるかごしま、を建設してほしい。

 

フォーラムでは、

NPO法人 有機農業技術会議の事務局長・藤田正雄さんの講演もあった。

以前、新規就農者のためのハンドブック-『有機農業をはじめよう!』

の編集で一緒に仕事をさせていただいた方。

藤田さんの講演タイトルは、「土の生き物からみた土づくり」。

多様な生物を活かしながら土をつくる技術。

有機農業の持っている、もっとも根源的な力だ。 化学肥料では土は生産できない。

 

分散会では有機認証のための記帳の煩わしさやコストが語られ、

理想論とは別に、現場でのしんどさは続く。

組合員数が150人にも達すると、組織をまとめるにも相当な苦労があることだろうが、

これからの方向を考えるキーワードのひとつが 「地域」 だとするなら、

自分たちはすでに一つの条件をクリアしつつあることに、どうか自信を持って欲しい。

 

今日の夕方には幕張に戻らなければならない都合があり、

ここでもとんぼ返りになった。

たまにしか来ることができない地方出張なら、

遠方ほどじっくりと見て回って相互理解を深めたいものだが、

現実がなかなか許してくれない。 歯がゆいものだ。 

 

大暑の日のうだる移動に、希望も萎えそうになる。

 



2010年7月18日

田の草取りと ホタルと 生命の輪

 

梅雨が明けた!

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夏だ! 草取りだ! 

 

というわけで、梅雨明け宣言の出た7月17日(土)、

「第21回 大地を守る会の稲作体験」 - 第2回草取り日となる。 

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田植えから3回目。 一ヶ月前に手をつないで田を囲んだ仲間たち。

雰囲気にも慣れてきて、

進行係の誘導を待つまでもなく、自然と畦に並んでくれる。 

やる気だ。 嬉しいね。

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草取りもこれで最後なので、きっちり取ってもらいましょうか。

 


一ヶ月で伸びてくれた草たち。

でも例年よりは少ない感じである。 

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一回目の草取りがだいぶ効いている。 これでもね。

例年の感覚が判断基準になっているので、プロの方は笑わないでください。

オモダカの花を 「キレイね~」 という人たちの集まりなのだ。

でもたしかに、これだけを見ると、なかなかに捨てがたい植物ではある。 

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「 何なら持って帰って、バケ田んに植えてみたら 」

とか言いながら、とにかく容赦なく抜いていただかなければならない。

 

作業の開始。  

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人には当然個人差があって、すぐに入ってはしゃぐ子もいれば、

田に足を入れるだけで3年かかった子もいる。 

毎年見ているうちに、「お父さん、焦らなくていいですよ」 と言えるようになった。 

僕も成長させてもらっているのだ。  

 

3年経って入った子の方が、田んぼの記憶と愛着が深くなるような気もする。

「待つ」 ことの大切さと、「きっかけ」 を与えることが教育の技なのか、と思ったりする。

僕はこの体験田を企画し、21年やってきたわけだけど、

毎年何かしら新しい発見があって、そのたびに

なんでもっと早く気がつかなかったのか・・・という悔しさも、募ったりするのだ。

 

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そして毎年おんなじ様な写真を撮っている。

だって子どもが頑張っている姿は、いつ見ても、どんな場面でも感動モンだから。

" 愛 "  だね、愛!だ。

 

田んぼ一面に、" 愛 "  が充満している。 

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さっきからじっと佇んでいる少女。

何を考えているのか、オヤジには想像がつきません。

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たくさんの人の気を感じてか、穂を出したヤツがいた。 

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開始前に見て回ったときには、出てなかったぞ。 

植物は動物の気配をたしかに受け止めて反応している。

よく見て回る田、いつも声をかけてやる植物は生育がいい、と聞いたりするが、

それはあり得る、と思う。

 

作業後は、例によって陶ハカセの生き物講座。 

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今日発見した生き物、そして今夜お目当てのホタルについての授業。

子どもたちがどんどん前に迫ってくるので、

ハカセはしょっちゅう 「もっと下がって、下がって」 と叱っている。

オイラなんか、「 もっと前に 」 なのに、ちぇっ!

 

次は、案山子(かかし) に着せるシャツにお絵描き。

いや、手形押し、か。

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ナマの手に絵の具をつけてがんがんやっちゃってくれている。  

こんな感じで完成。

 

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ホタル観察は日が暮れてからなので、もう少し時間がある。

次は、「生物多様性の輪」 というゲームに挑戦していただく。

 

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みんな何かの生き物になる。

イネ、カエル、ミジンコ、トンボ、サギ、ミミズ、などなど。

太陽とか風になる子もいる。 

それらが、食べる・食べられる、与える・もらう、といった関係がある者同士で手をつなぐ。

必ず右手と左手で、隣の人とはダメ、というルール。

風は桶屋を儲けさせる、みたいな理屈も通しながらやっていくうちに、

だんだん輪がもつれてくる。

 

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全員がぐちゃぐちゃになりながら、手をつなぎ終わったら、

次はもつれを解いていく。

跨いだり、一回転したりしながら・・・・・

最後は-

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一つの大きな輪になれば成功!

これが生き物たちのつながりなんです。

一つでも欠けたら、命の輪が途切れてゆきます。

感じてくれたかな。

 

夜は、ホタル観察会。

今年は 「裏年」 とあって、ホタルの数は少なかったけど、

それでもチラホラと見ることはできた。

夜の田んぼに、ふわっと光が上がってきて舞い始める。

この光景を見るだけで、大切なものは何かを感じさせてくれる。

写真はまたも失敗。 残念。

 

夜遅くまで、皆様お疲れ様でした。

次は9月。 稲刈りです。

 

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今度来た時には、この緑の田園が黄金色に染まっています。

豊作になりますよう。

 



2010年7月16日

20回めの北海道生産者会議

 

北海道に行ってきました。

ジャガイモの花が咲いていました。

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品種はメークイン。 江別市・金井正さんの畑にて。

 

7月15~16日、第20回となった北海道地区生産者ブロック会議を開催。

場所は、千歳空港から札幌に向かう途中の北広島市。 

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今回の幹事は、北海道有機農業協同組合。

2001年、全国で初めて有機農業の専門農協として組織された。

挨拶するのは代表理事・小路健男さん。 

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大地を守る会に出荷するようになったのは2年前から。

若い時から大地を守る会を意識してやってきた、と嬉しいことを言ってくれる。

 


今回の講演は、四日市大学教授で北海道大学名誉教授でもある松永勝彦さん。

テーマは、「森が消えれば海も死ぬ」。

同じタイトルの著書がある。 

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森(山) と海のつながりは、今ではあたり前に語られる話だが、

その関係を科学的に証明する先鞭をつけたのが松永さんである。

20年におよぶフィールドワークによって、

海の磯焼け現象(海の砂漠化) の原因が山にあることを突きとめた。

 

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鍵になるのは鉄である。

鉄は生物に不可欠な元素であるが、自然界では鉄サビの状態で存在していて、

そのままでは光合成生物は取り込めない。

しかし森林の腐植土にはフルボ酸という物質が存在し、

フルボ酸と鉄が結合する(フルボ酸鉄になる) ことによって生物に取り込まれる。

森からフルボ酸鉄やリン、窒素が送られてくることによって、

沿岸海域の生態系は豊かに維持されていたのだ。

 

" 森は海の恋人 "  で有名な宮城・気仙沼の畠山重篤さんのバックボーンともなった

松永さんだが、時に公共事業などを痛烈に批判するためか、

あるいは学者の縄張り体質と対立したためか、

いろいろと圧力もあったらしく、学界は居心地のいいものではなかったようだ。

今は三重で、人工漁礁による海の再生に取り組んでいる。

 

話はもっぱら海から森、森から海だったが、

その視点から語られる 「腐植」 の大切さは、

農業者にとっても意味あるものになったのではないだろうか。

 

二日目は現地視察。

江別の金井正さんのほ場を訪ねる。 

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ジャガイモの花も、そろそろ終盤戦。

春の低温・日照不足からだいぶ復活はしてきたようだが、

このところは乾燥気味で、生産者からはおしなべて 「水が欲しい」 という声が聞かれていた。

 

金井さんも70を越え、今年は怪我もあって心配したのだが、

なんのなんの、矍鑠(かくしゃく) としている。

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金井さんといえば、誰もが認める道具を大切にする人である。

45年前のトラクターを、今でも修理しながら使っている。

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開拓時代の道具も保存し、すべてがきれいに整理整頓されている。 

長い間の習慣で、身と精神の芯まで染みついたものとしか言いようがない。

これがただの性格だったら、毎日神経すり減らしてつらいことだろう。

 

畑の管理にもその生き方が表われている。

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ちょっと草があるだけで気になる人に違いない、そんな畑である。

 

これからの天気がちょうどよく推移することを願って、

看板の前で記念の一枚を撮る。 

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続いて、北広島の佐々木透さん。

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北海道有機農業協同組合の理事もされている方。

こちらは多品種の野菜栽培で、少々手が回らない気味。

 

佐々木さんは学生の頃から農業を志したそうで、

北海道・十勝から沖縄・西表島、さらには長野の川上村、群馬の嬬恋村で

修行を積んでいる。

アメリカの農場でも2年、海外青年協力隊員の経験もある、猛者である。

 

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人参畑は草の中にあり、キャベツ畑にはモンシロチョウが元気に飛び回っていても、

佐々木さんはいっさい農薬は使わない。

修行時代に、農薬を撒いては夜に吐いていた、という経験が

この人の農業スタイルの底辺にあるようだ。

 

草との格闘は人海戦術である。 

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炎天下の中で草をとるパートさんたち。

彼女たちこそ、北海道での有機農業を支える柱のような存在である。

うつむいて黙々と進む姿に、僕らの頭も上がらない。

 

暑いけど爽やかな風も吹いている。

秋の後半からの根菜類は、この夏の北海道にかかっているワケで、

祈る気持ちで、あとにする。

 



2010年7月11日

一直線の実証主義農民-小川光に山崎農業賞

 

福島県喜多方市山都町で、自らの理論に基づいて有機農業を実践しながら

若者たちを育ててきた小川光さんが、山崎記念農業賞を受賞したことは

先日の猪苗代レポートで触れたが、

昨日はその授賞式があって、四谷まで出かけた。

 

それは意外と小さな会議室で、

出席者は30人ほどの、飾り気のない質実とした受賞式だった。

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山崎農業研究所

詳しくは知らないのだが、水田や水資源の研究などで功績のある

故山崎不二夫東大名誉教授が創設した民間の研究所。

会員は300人程度ながら、大学の研究者はじめ農水省の職員や農業技術者、

ジャーナリストなど多彩なジャンルの方々が研究所を支えている。

「現場に学ぶ」 をモットーに、農業、農村、食糧問題、環境など

様々なテーマで研究会を開催するほか、

官公庁からの受託事業や出版事業などを行なっているが、主たる収入源は会費である。

 

その研究所が、現場で優れた活動を行なっていると認めた人(あるいは団体)

を選んで、毎年表彰している。 それが山崎記念農業賞である。

アカデミズムやジャーナリズムで取り上げられなくても、農業・農村や環境に

有意義な活動を行ない成果を上げている人や団体を評価して世に示すという、

まさに 「現場主義」 を掲げる団体らしい表彰制度だ。

表彰では、賞状と記念の盾が贈られるが、賞金などは用意されない。

それがかえってこの賞の品格を形成している。

 

賞状を授与するのは、元東京農工大学教授で現在の研究所長・安富六郎さん。

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小川さんの受賞理由。

「条件不利といわれる中山間地域は、高齢化、農地の遊休化が進み、

 その存続が危ぶまれています。

 小川さんは、風土と作物の固有の力を最大限に引き出す独創的技術を編み出し、

 就農を目指す多くの若者と共に活力ある地域づくりに挑戦してきました。

 その実践は、過疎地に暮らす多くの人々に夢と勇気を与えています。

 ここに更なる発展を祈念し、第35回山崎記念農業賞を贈呈します。」

 

受賞を記念して、小川さんのスピーチがある。 

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小川さんは福島出自ではなく、出は東京・練馬である。

そこで中学時代から、隣の空き地で南瓜(かぼちゃ) を交配しては

雑種を作って楽しんでいたというから、ただ者ではない。

東大農学部を出て、福島県の職員として野菜栽培の技術研究や栽培指導に取り組む。

官僚に進まなかったこの段階で、すでに 「現場主義」 である。

しかし自身の強い思いで取り組んだ数々の栽培試験も周囲には理解を得られず、

どうやらけっこう辛い時代だったようだ。

98年、福島県の伝統野菜の栽培を最後に、今までの試験データを整理して退職。

小川光、50歳の時だった。

今でこそ有機農業の先進地たろうとしている福島県だが、

小川さんが退官するまで、有機栽培の試験をやったのは小川さんただ一人である。

 

山都町に入り専業農家となってからは、自らの有機農業理論を体系化させ、

中央アジア・トリクメニスタンで無潅水でのメロン栽培を指導し、

会津の伝統野菜の種を守り、若者たちを育てながら、

中山間地の畑や環境を維持するために奔走してきた。

上手な妥協の仕方を知らない一直線の性格ゆえに、

地域との軋轢も相当に経験してきている。

それでいて、思い込みではない、理論は現場で実証できなければホンモノではない、

という科学者としての強い姿勢を常に堅持しながら、生きてきた。

 

自己史を実直に振り返りながら、

時折見せた笑顔が、なんかカワイイ。

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小川さんは、どこに行くにも地下足袋である。

今日も足袋だろうか、と思いながら来てみたが、やはり足袋だった。

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でも今日の白い足袋は  " よそ行き "  なんだそうだ。

今度は足の裏を見せてもらいたいものだ。 

 

お祝いの言葉を述べさせていただく。 

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                    (写真提供:表彰選考委員・田口均さん)

 

小川さんとのお付き合いはまだ浅いのに、

僕なんかにその資格があるのだろうかと思いつつ、

でも僕は僕なりに、若者たちの野菜セットを通じて小川光に光をあてたという自負もあって、

引き受けさせていただいた。

夜の懇親会で、小川さんから

「私を実証主義者と呼んでくれて、ありがとう 」

と言われたのを、嬉しく思う。

 

この日は山崎農業研究所の総会でもあって、

農林水産技術情報協会の名誉会長・西尾敏彦氏の

「21世紀 農業・農業技術を考える」 と題した記念講演もあった。

それは21世紀への新しい提言というより、

20世紀の農業政策・技術思想への反省を込めたものになっていて、

有機農業が拓いてきた世界が間違ってないことを、

学問的にも認められるところまできたことを示していた。

 

四半世紀前には、僕らの目の黒いうちには実現しないのではと思っていた世界に

到達しつつある。

小川さんの苦労は報われる。 間違いない。

わずかなお手伝いだけど、流通者なりに貢献していることを誇りとしたい。

 

できることなら小川さんの世話になった就農者や研修生たちに囲まれた

祝う会をやってあげたいと思うのだが。。。

浅見さんと相談してみよう。

 



2010年7月 9日

六本木農園での再会

 

驚くべき再会、というのが人生には間々あるね。

今回の再会は、記憶の片隅にあった人が、突然輝いて目の前に登場した、

そんな驚きである。

 

昨夜、当会六本木会議室で専門委員会 「米プロジェクト21」 の定例会を行なった後の、

暑気払いも兼ねての一席。 

メンバーの方の提案もあって、訪れたのが 「六本木農園」 というお店。

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ホームページには " 農業実験レストラン " と謳われている。

すべて生産者の顔が見える食材。

秋の 「土と平和の祭典」 にも出店されている 「農家のこせがれネットワーク

とも連携していて、スタッフはみんな農家出身の人たちだとか。

生産現場に足を運び、農作業もやっている。

 

ここでお会いしたのが、グランシェフ・舘野真知子さん。

実は、1997年に大地を守る会が主催した 「カナダ先住民族ツアー」 で一緒だった。

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写真左が舘野さん。 13年ぶりの再会。 お懐かしい・・・

カナダ・ツアーのときは管理栄養士の仕事をされていたか、

英語の勉強をしていた時だったかと思う (記憶が曖昧で、すみません)。

その後、アイルランドで料理の修業をされて、立派なシェフになられた。

料理学校も主宰しているらしい。

「料理の原点は素材を生かすことだと学びました」

素晴らしいね。 

こんなふうに、10数年ぶりでの成長した姿との再会なんて、感動モノだ。

内心、自分がフケたことも実感させられるけど。

 

ちなみに、写真右は 「園長」 の堀田幸作さん。

カンペキな農的お名前だが、こちらは銚子の漁師さんの息子だとか。

 


これが当時のツアーの写真。 

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前列左でしゃがんでいるのが舘野さん。

その後ろの赤いジャケットが僕。

少人数のアットホームなツアーで、ロッキー山脈の自然を満喫しながら、

ネイティブたちと楽しい時間を過ごした。

 

さて、店内には生産者の写真が貼られ、畑のビデオが流されている。

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料理は野菜中心。

素材の滋味を目いっぱい楽しむ。 

夏の " 特集農家 "  さんのウェルカム・ベジタブル。 

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添えられたソースも上品な味わいで、

塩や醤油 (ひしお-古代の醤油) も選び抜かれている。

 

三種のお惣菜。

白ゴマとコンニャクの根菜シャキシャキ・サラダに

蒸し新じゃがのルッコラ・セサミペースト和え。 カップにあるのは茶碗蒸し。 

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ありが豚 ( " ありがとう " からもじった豚肉) のさっぱり梅ハーブ鍋。 

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酒も、ワタシ的には文句なし。

みんな満足な様子。

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お店の隣には、ミニ農園が設えられている。 

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品種選びにもスタッフたちのこだわりが表現されている。 

 

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大地を守る会と直接の関係はないけど、

こういうお店が増えて、食べる人の関心も高まっていければ、嬉しいことだ。

一緒に食文化と農業を支えていければいい。

 

すっかり振り返ることもなくなっていたカナダ・ツアーの、

最後の夜のことを思い出した。

オーガニック農業 (というより自給的農業に近い印象だったが)

を営むネイティブの農民が、遺伝子組み換えを激しく批判していた。

「種を奪われることは、自分たちの自立を失うことだ。 種は命だ 」 と。

そして、自分が守ってきた野菜の種を日本に持って帰って蒔いてくれ、と

僕らに種を渡そうとした。

そこで参加者の一人が 「種を持ち帰ることは法に触れる」 と怒ってしまって、

とても気まずい空気になったのだが、

とっさの判断でなんとか取りつくろったのだった。

「この種は、あなたたちにとって大切な種です。 どうぞここで育ててください。

 僕らは、あなたのその心を種としていただいて、日本に帰って蒔くことを約束します 」

 

舘野さんはあの時もらった種をしっかりと蒔いている。

僕もただ 「種蒔人」 を飲むばかりじゃなく、

あの夜の約束を忘れずに生きてゆかなければならない。

 

「六本木農園」 での再会に感謝。

ごちそうさまでした。

野菜もさることながら、最後にいただいた土鍋ご飯が最高でした。

 



2010年7月 6日

ぼくらの田んぼは、美しい!

 

あっちこっち出歩いている間に、

我らが 「大地を守る会の稲作体験2010」 も一回目の草取りを終えていて、

実行委員会から写真が回ってきた。

 

おお! これはすごい。 いい光景だね。

みんなで手をつないで田んぼを囲んでいる。

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田んぼの広さをはかってみよう! という趣向らしい。

体験田の広さは13アール (1300㎡) ある。 25m プールにして約4個分。

それを約140人の参加者が輪を作って、実感する。

漠然と見ているより、きっと広く感じたことだろう。

しかも、これだけの数が集まったから囲むことができた。

連帯感も、" 私たちの田んぼ "  という感覚も、増したのではないだろうか。

実際に 「もう少し参加者が少なかったら、ヤバかった」 とか。

 

いやあ、見ていて飽きないね。

稲も一緒に気を感じてくれているに違いない。

僕らの田んぼは、美しい!

 

つらいはずの田んぼの草取りも、

これだけの数での人海戦術となると、一撃だったようである。

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こちらとしては、腰が痛い、とか、農家の苦労が少しは・・・

というセリフを期待する日なのだが、「ちょっと物足りなかった」 だって。

 

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仕事とはいえ、おいてけぼりにされた少年のような一抹の寂しさや嫉妬とともに、

いろんなアイディアを繰りだしてくる若い実行委員会諸氏に、感謝したい。

 

そうこうしているうちに、もう2回目の草取り(7月17日) が近づいてきている。

今度のお目当ては、蛍か。 

いっぱい出てくれるといいが、蛍の数も隔年で増えたり減ったりするらしい。

今年は不作の年にあたるが、さて。

 



2010年7月 4日

中山間地はみんなの共通資産だから

 

愚痴をこぼしつつ、ついついしつこく書いてしまう悲しい性(さが) 。 

しょうがないので続ける。

 

二日目(6月27日)は、現地視察が組まれた。

まずは、地元の人たちとボランティアの協働で維持する山都町の堰を見る。 

集落の上にある棚田を通って行く。

耕作されなくなった場所もあるが、ここは変わらずきれいだ。 

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水はゆっくりと、温みながら流れて、一帯の田を潤してくれている。

江戸時代にマンパワーで切り拓いてより、地域の共有資産として、

数百年にわたって修復を繰り返しながら皆をつないできた血脈である。

いま僕らは、21世紀のボランティア(志願兵) として

その歴史の一員に連なっている。 

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続いて、チャルジョウ農場を訪れる。 

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有機農業学会の方々も、こんなハウスは見たことがないのでは。

ハウス内に傾斜がある。 もしやこれも小川理論? 

いえ、下の土地を確保したので、そのままハウスを伸ばしただけだと。。。

 

小川光さんの有機農業のポイントは、自家採種できる品種選択から始まる。

栽培においては、

間隔をあけて苗を植えて、1株でたくさんの枝を立てて実を成らせる 「疎植多本仕立」、

堆肥を深く掘った溝に入れることで初期の肥効を抑えて生長とともに効かせ、

かつ水分保持力も高める 「溝施肥」、

野草をいろいろ選別しながら残す (これが重要。除外すべきものは取る) ことで

害虫の天敵昆虫を増やすとともに土壌侵食を防ぐ 「野草帯管理」、

といったところが大きな特徴である。

さらには徹底した資材のリサイクル利用がある。

 

もらってきた資材でハウスを作り、落ち葉でたい肥を作り、土に水を保持させ、

少ない苗でたくさんの実をつけさせ、天敵との共生で生態バランスを整える。

種も残して自給力を高める。

これらの総合によって、灌水設備のない山間地でも、

「農薬・化学肥料いらず」 でやってゆけることを実証する。

 

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一本気で、裏表がなく、したがってどこか生きにくさを感じさせる小川さんだが、

山間地の農業をただただ守りたいという思い、守れるのだという信念と、

実践によって構築していく徹底した実証主義が、

若者たちを育てる力になっているように思う。

一方その性格ゆえに、若者たちから意外にも慕われたりするのだ。

この山間部で、小川さんの世話で住み着いた家族の間に、生まれた子供が22人。

これが小川光という人物の、内容証明である。

 

最後の視察先は、熱塩小学校。 

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日曜日なので誰もいないが、

小林芳正さんと鈴木卓校長が待っていてくれた。

 

農業科の新設とともにつくられた食育スペースがある。 

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小林さんは農業の持つ教育力を信じている。

それは生命を育てるという行為そのものだから。

稲を育て、いろんな野菜を育てることで、感性豊かな大人に成長してほしい。

そして同時に大人も育つんです。 

そんな美しい共生の 「村」 を、小林さんはいつも思い描いて、

子どもたちに日々農作業を教えている。

 

「育苗からいっさいの化学物質を使わせないんです。

 そんな小林さんのしつこさやこだわりが、

 いつの間にか子どもたちにも伝わっていくんですねぇ。。。」

と苦笑しながら説明する鈴木校長先生。

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授業は年間42時間の計画だが、天候事情などによって、

実際には50時間以上におよぶらしい。 

小学校から農業教えてどうすんの、という地域の反応も強かったそうだが、

鈴木先生は自信を持って語る。

「畑を耕すことで、心も耕す。

 知育を高め、食育・体育を高め、徳育にもつながって、

 結果として学力すべてを上げる。

 実際にここの生徒の成績は上がってるんですよ。」

 

農業科の畑と田んぼは学校を取り囲むようにあり、

3階の窓から全部見渡せる。 

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眺めるだけで、地域が支えていることを実感させる。

 

廊下にも階段にも、子どもたちの作品が張り出されている。 

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ハイ、こんにちは。  いいなあ、この感じ。

 

中山間地問題となると、きまって 「課題」 が語られる。

 - 販路の開拓、6次産業化、、、しかしそんな視点より、

まずは足元の環境や暮らしや農業スタイルを誇れるようにすることが大切だ。

 

水路の意味から都市にメッセージを発信する浅見彰宏さんや、

山間地で飯の食える技術として有機農業を教える小川光さん、

そして子どもたちも父兄も誇る、わが村の農業と自給給食。

地域の文化を美しく 「食べさせる」 料理人の存在。

骨太に活性化させる土台は、地域への " 愛 " だね。 

 

都市生活者あるいは消費者という立場にいる者にとって、

中山間地域というのは、けっして " 救うべき "  過疎地などではなくて、

とても大事な、守っていただかなければならない水の源、のはずである。

この社会資産は未来の人々のものでもあるわけだし。

外国資本に買われていい場所ではない。 

 

守るための条件は-

そこにちょうどいい数の人がいて、持続性の高い、すなわち循環型で

環境と調和した生産によって、

質素だが楽しく、助け合いながら、誇りを持って暮らしてくれている。

それをどう支えられるかってことだよね。

 

都市の人たちにもできることがある。

その地域の価値の " 新たな発見 " だ。

足元にある当たり前の姿が、当たり前じゃない力をもっていることを

発見させてくれるのは、外の目だったりする。

そういう意味でも、人の交流は、互いの価値の発見を促す力になる。

守りたければ、税金で、とかいう前に、まず手をつなぐことだ。

 

山都の堰さらいへの参加も、未熟者たちの野菜セットも、

共通の資産を守り育てるための  " 輪 "  づくりだと思っている。

 



2010年7月 3日

食文化の伝道師と若者たち

 

6月24日の米生産者会議(新潟) から福島・猪苗代での日本有機農業学会に流れ、

帰ってきた翌28日 には、一泊二日で関西の取引先生協さんを回る。

こちらの二日間は提携に関する商談である (単純に卸しの営業とも言うが) 。

30日は、午後いっぱい大地を守る会理事会。

7月1日は大地を守る会の会員活動 (だいちサークル) 主催での懇談会に出席。

『 「大地を守る会」を知ろう! シリーズ ~農産グループ編~ 』 in 横浜。

 

一週間出ずっぱりとなってしまった。

こんなに出歩いてていいのか? と自問自答しながら悶々とする。

ブログ・ネタも溜まったが、それ以上に宿題の山が積まれていて、

どう転んでも書けそうにない。

何とか猪苗代での会議の後篇だけでも書き終えて、

遅れの帳尻を合わせることにしたい。

 

 

「日本有機農業学会 公開フォーラム」 の会場になったのは、

猪苗代湖を眼下に一望できる高台にある 「ヴィライナワシロ」 というホテル。

実践報告の最後は、このホテルの総料理長、山際博美さんが登場する。

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フランス料理界最高栄誉の一つ (私は無知、念のため)

「ディジブル・オーギュスト・エスコフィエ」

というスゴ過ぎて覚えられない称号を持つ方だが、

もう一つの顔は、農水省認定 「地産地消の仕事人」。

今回はこちらでお願いする。

 

このホテルの総料理長になって22年。

最初はフランス料理の巨匠らしく、伊勢エビやカニや肉などを使った

 " 華 " のある料理を披露されていたのだが、

福島県内の産地を訪ね歩くうちに、メニューより素材を中心に考えるようになった。

有機食材と初めて出会ったのは、二本松市の有機農業グループだとか。

その会の名前を聞いて、当会生産者の名前も浮かんだが確かめられなかった。

 

食文化を伝えるとは、地域の文化の魅力を伝えることだと、山際さんは明言する。

山の中の温泉でマグロの刺身などを出す旅館が今でもある。

しかし周囲の山菜を使って感動させることによってこそ、

地域の風土や文化や心を伝えることができ、旅の記憶に残るものとなる。

それが 「料理」 による地のおもてなしだと。

 


現に、山際ディジブル・・・・の腕で磨き上げられた会津郷土料理によって、

ヴィライナワシロには、会津の食を求めて来る人が絶えないという。

 

山際さんはとうとう宴会場の舞台をつぶして、

大勢の人の前で調理するキッチンスタジアムにつくり変えた。

料理を見せるだけでなく、キッチンからもお客様の顔が見え、

たとえば家族の反応や様子によって出す時間をずらしたり、

調理に変化を持たせたりするのだという。

また最新の厨房設備を使っての親子料理教室や地産地消の料理講習会を開く。

さらにはインターネットを使って会津料理の調理法を伝える映像の配信も始めた。

昨年には 「体験農場」 も開設した。

宿泊者は、昼間は農作業を楽しみ、料理の技を学び、

夜は自分で収穫した野菜を食べ、磐梯猪苗代の名湯で身も心も癒して、帰る。 

そんなコースを楽しむ人が増えている。

 

生産者の思いや地場作物の物語を  「食」 を通じて伝えるなかで、

地域全体の食文化意識も高まっているとのこと。

「食」 が地域を元気にする、見事な実践モデルだ。

ここで食べた食材がすべて感動モノであったことは言うまでもない。

気になった方はぜひ、猪苗代はやま温泉 「ヴィライナワシロ」 にどうぞ。 

 

さて、実践報告のあと、新規就農研修生たちのリレートークが行なわれた。

板橋 大(ゆたか) くん。 

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大和川酒造での交流会に参加された方には見覚えのある顔でしょう。

酒蔵で働きながら、山都に畑と田んぼを借りた。

今年から 「会津耕人会たべらんしょ」 の一員になって、来年より本格就農を目指す。

 

チャルジョウ農場で去年の春から研修を続けている豊浦由希子さん。 

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前は製薬会社にいて、今とは真逆の仕事をしていたとか。。。

2年目になって農作業にも慣れてきて、ほんとに楽しそうだ。

 

チャルジョウ農場からもう一人。

写真の学校を出たが、長野の祖父母が守ってきた畑を残したいと、

有機の修行にやってきたという牛山沙織さん。

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「小川さんは、植物の力を信じている。 人はその環境を整えてやるのだといいます。

 小川さんの考えからいっぱい学んで、長野に帰って有機でセロリを作りたいです。」

彼女たちには、農業への偏見がない。

牛山さんは、お爺ちゃん・お婆ちゃんが一所懸命畑を耕していた姿に、

美しい被写体を見ている。

要は生き方だよなあ、と感じさせる。

 (オイラの背中は、だらしなく崩れてないだろうか・・・)

これから農業を本気でやるとなると、ただの希望ではすまなくなるけど、

それでもこの経験はゼッタイに損になることはない。

 

こんな彼らがつくった 「会津・山都の若者たちの野菜セット」 が

もうすぐ届けられる。 精一杯の気を込めて、送ってほしい。

この箱が、君たちが後輩につなげるたびに大きくなっていくことが、僕らの喜びだから。

途中で折れることなく、大事にしてほしい。

 

実践報告でも、若者たちのリレートークでも、

実際に少しでも貢献できているという実感を持てることは嬉しい。

素直に誇りたい。

 

次は二日目の現地視察。

山都の堰にチャルジョウ農場、そして熱塩小学校となるのだが、

このまま話を続けると、終わんなくなる可能性がある。

すみません、明日に回します。

 



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