2010年8月21日

35歳 初めての誕生日パーティ

 

大地を守る会の誕生日は、1975年8月19日、ということになっている。

大手町のJAホールで開催された集会で、農薬公害の追放を訴えて

「大地を守る市民の会」 設立が宣言された日である。

数えて35年。

今まで、この日になにか記念の行事をやることはなかった。

20周年、30周年、と行なわれたセレモニーも、生産者の都合などを勘案して、

だいたい10月下旬から11月の頃合いに開催された。

恥ずかしながら、この日を意識することはまったく無かった。 

みんな忙しく、貧しかったし。

 

それが何と、職員の間から自発的に、

35周年の誕生パーティというのが企画されたのだ。

しかも藤田会長はじめ設立当時から残る3名の大先輩には、テッテー的に内密に進められた。

いや、カンペキだったね。

 

2010年8月19日。

社内の一角で、秘かに準備されたお誕生会が催された。

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                      (写真提供:実行委員会より/以下すべて)

 

パーティの内容や準備の経過などは、

すでに 「~大地を守る会の活動レポート~ ブログ大地を守る」 にアップされているので

そちらをご覧願うとして、

一人700円のカンパで用意された内輪のささやかなお祝いに、

28年選手の僕もつい感慨に耽ったのだった。

 


大地を守る会の農産加工部門である

(株)フルーツバスケットのパティシエ、加藤浩一くんが

社長の加藤保明さん (姓は同じだが親子でも親戚でもない) に気づかれないよう、

隠密裏に静岡から幕張まできて、デコレイトしてくれたケーキ。 

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ケーキは、大地を守る会設立当時から残る3名の大先輩に贈られた。 

真ん中が藤田和芳会長 ( (株)大地を守る会社長 )。 

右が加藤保明理事 ( (株)フルーツバスケット社長)。 

左が長谷川満理事 ( (株)大地を守る会取締役)。

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藤田・加藤両氏は設立時代、同じ出版社で働いていた関係。

加藤・長谷川両氏は大学時代の同級生という関係。

いきさつは、ブログ大地を守る会を参照されたし。

もちろん設立時代のメンバーは他にもいたのだが、

3名は  " 激動の35年 "  を生き抜いた功労者というわけである。

 

「藤田さんたちがこの会を作ってくれなかったら、私たちは今ここにいない」

誰ともなくそんな声が聞かれ、スタッフがうなずき合ったりしている。

たしかに、、、

「大地を守る会」 はなくとも、時代は同様な組織を誕生させたことだろうが、

その組織の個性や文化は、人によってつくられていく。

途中で分裂したかもしれないし、あるいはもっと大きくなっていたかもしれない。

いずれにしても、いまのこの社員200人が、35歳の日の構成員となって

この場で祝い合うということは、まあないだろう。

初代会長の故藤本敏夫さんも含め、この人たちでなかったら、

僕もこの組織に拾われることはなかったかもしれない。

 

僕が入社したのは1982年。 藤本さんが会長を務められた最後の年の秋だった。

藤本さんはすでに千葉・鴨川で 「自然王国」 建設に着手されていた。

大地を守る会が初めて新聞に求人広告を出したのは、そんな時だった。

面接された加藤さんは、「くそ忙しいのに、また来たよ・・」 とか吐き捨てながら、

僕の履歴書を受け取られた。

数日後、「二次面接を受けていただきます」 と連絡があって再度出向いたら、

藤田さんはなかなか会社に現われなかった。

1時間ほど遅れて来られて、履歴書を見るなり、

「●●●大か。 ●●●● 派かな?」 なんて物騒なことを聞いてくる。

「免許はあるんだね。 いつから来れる?」

モッタイつけたわりには底が知れるような面接で、

僕は幸か不幸か、募集1名のところ、ついでの補欠として採用されてしまった。

木造アパートを改造したショボい事務所兼倉庫を眺めながら、

オレの人生はここで終わるのだろうかと、恐怖を感じたものだ。

一生アウトサイダーか。 親不孝モンになっちゃうな・・・

 

入社してしばらく経った年末のある日、先輩社員がヒソヒソ話をしていた。

「ボーナスが出るぞ、今年は」

「いや、信じるのはまだ早い」

僕はずっと気になっていることを質問した。

「藤本さんはいつ会社に来られるんですかね」

「知らねぇよ、そんなこと」

社長はいなくとも、会社は回る。 皆それぞれに判断して夜遅くまで会議をやっている。

会議が終わったら、一杯やりながら激論が始まる。

面白い組織だと思った。 ハマっちゃったんだよね、何の因果か。。。

 

ケーキとビールのみ、という慎ましやかなお誕生会で、

お三方も、それぞれに思い出を語られたが、共通していたのは、

「当時はいつ潰れてもおかしくない状態で、正直ここまで来れるとは思わなかった」

という感慨だった。

「ある時、長谷川クンが泣きながら訴えてきたんだよね。

 " オレの給料はいいから、生産者にお金を払ってやってくれ "  って・・・」

藤田さんも、さすがにこのエピソードを披露した時には一瞬喉を詰まらせた。

創業者たちの連帯感は、こういう経験を経て醸成されたのだ。

情けないまでの切なさや悔しさはまた、意地の炎も強烈に燃やしたに違いない。

 

藤本-藤田と引き継がれて35年。

不思議とゆるがない思想と、腹の底に意地を隠し持って、僕らは走ってきた。

しかしそれ以上に共通してあったのは、未来志向と楽観だったように思う。

 

ケーキとビールと、農産グループから差し入れたマンゴーとスイカで

ヘンな腹持ちになりながらも、

3名の大先輩の多少の満足感を含んだ笑顔を眺めることができて、

28年選手にとっても少しは誇りたいような気分にさせてもらったのだった。

屈託なく笑っている若者たちに感謝したい。

 

いまこの組織は、またまた大胆な階段を自ら設定して、登ろうとしている。

目の前にいる若者たちだけでなく、

今日生まれた子どもたちが35になった時にも、

「ありがとう」 と言ってもらえるだけの仕事をしなければならないと思う。

茨の道は終わらない、てことね。

 



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