2010年10月アーカイブ

2010年10月31日

世界のシェフ・三國清三、「フランス共和国農事功労章」 受章

 

同い年の友人が一人、逝っちゃった。

いつもブログを読んでくれてたヤツ。

西洋医学を拒否しながら生き、ついに議論を尽くせないまま旅立ってしまった。

どんなに後悔しても帰ってくるわけではなく、茫然自失している暇もなくて、

昼間は仕事で気を紛らわせながら、でも夜になると、

無理矢理ヤツを枕元に呼んでは対話を試みたりして。

 

「いつも楽しみにしているから」 と言ってくれてたのを思い出し、

おとといの夜も夢の中で急かされてしまったので、ようやく気を取り直して、

命日(23日) の日に途中まで書いて放ってしまった日記をアップする。

これからも遅れ遅れしながら、日々の  " しんどい "  を綴っていこうと思う。

読んでくれよ、とヤツの目を意識しつつ。

 

さて、二つの臨時総会をやって夜は35周年記念パーティという、

昨日の長~い一日の話はあと回しにして、この一枚から。

ヤツが亡くなる前夜だということが、今となってはとてもつらいのだけど、

僕はあるパーティに呼ばれて、楽しい時間を過ごしていたのだ。

 

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このところ、丸の内での取り組みなどでご登場いただいている

東京・四谷 「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ、三國清三さんが

フランス共和国から 「農事功労賞オフィシエ」 なる素晴らしい栄誉を授与された。

フランス食文化の普及に大きな功績を残した、と認められた人にのみ与えられる勲章である。

そこで22日、 「オテル・ドゥ・ミクニ」 の25周年とあわせての祝賀会が催されたのだった。

 

祝賀会の呼びかけ人代表である大御所・服部幸應さんも入ってくれて、

記念の一枚を頂戴する。

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胸の勲章が光っている。

サイズにも美というものがあるのだと思った。

食育の提唱者である服部さんからは、大地を守る会への熱い期待も頂き、身が引き締まる。

 


会場となったレストラン 「ミクニマルノウチ」 には、

たくさんの料理人や食に関係する専門家、メディア関係者が参集された。 

 

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お歴々の会話にさりげなく登場する人物の名前もスゴイのだが、

僕がただ尊敬するのは、地元・東京野菜に光を当てようとしてくれる

三國さんの姿勢である。

 

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今日も並べられた東京野菜。

小平・川里さんの名前も登場する。

 

料理の写真はあまり撮らないので (表現も下手なので) 控えるが、

味の素晴らしさはいうまでもなく、

肉も魚も果物も、東京産で披露されたところに、

三國シェフの強い意識が感じられる。

フランス食文化の真髄は、調理への探求だけではない。

どんな国際交渉にも毅然と対峙できる  " 我が文化への誇り "  を持て、ということだと

僕は感じてしまうのだった。

 

そしてまたしても、恐るべきサプライズ! に立ち会うことになる。

「今日はもう一人、お客さんが来ています」 と三國さんに呼ばれて登場したのは、

なんと、世界の巨人! ではないか。

 

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20世紀最高の料理人と謳われる

  " フレンチの神様 "  ジョエル・ロブションさん。 生で見る神様。

どんな挨拶をしたのかは覚えてない。

ただ江戸野菜のカブや大根を生でかじって、

頷きながらコメントをしていた姿だけを記憶している。

 

北海道増毛町の貧しい半農半漁の家に生まれ、

中学卒業と同時に料理の世界に飛び込み、" 世界の食 "  の頂点まで登った男、三國清三。

記憶の底にあるのは、働き者の母の、台所での包丁の音だという。

 

帰りに頂いた一冊のレシピ本。

飾らない、でも極上の  " 家庭でフレンチ " 。 僕でも出来そうなレシピが嬉しい。

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(小学館刊。 1300円+税)

 

この夜、僕が三國さんと語り合ったのは、来年から本格的にやりたいと言う

 「味覚の一週間」 である。

 

そして僕の脳裏に浮かぶのは、たとえばこんな言葉である。

「 運よく豊かな食物とともに生きることになった私たちにとって、問題は移り変わっている。

 大昔からの料理への依存を、より健康的なものにしなければならない 」

  ( リチャード・ランガム著 『火の賜物 -ヒトは料理で進化した』、NTT出版)

「 おそらく食は、グローバル化が脅かす様々な価値、たとえば地域特有の文化や

 アイデンティティ、そして風景や生物多様性の存続を力強く象徴するものなのだ。」

「 アメリカ人が自分をトウモロコシの民族だと考えないことは、

 想像力の欠如か、資本主義の勝利、あるいはその両方を少しずつ意味する。」

「 まっとうなことをするのは、最も楽しいことであり、

 消費という行為は、引き算ではなく足し算的な行為なのだ 」

  ( 以上、マイケル・ポーラン著 『雑食動物のジレンマ』、東洋経済新報社) 

 



2010年10月23日

オヤジを越えて進もう -『土と平和の祭典2010』

 

良い酒は悪酔いしない。

それは個人差と飲む量による、とまあもっともな反論はあろうが、

それでも、多少の無理を押して断言しておきたい。 良い酒は悪酔いしない!

それに良い酒は、人を、またその場を、幸福にする。

酒呑みの自己弁護と言われれば、その通り、と答えるしかないけど。

 

10月17日(日)、純米大吟醸の余韻も冷めやらぬ朝の6時に喜多方を発ち、

シアワセに爆睡して、気がつけば郡山、そして東京。

フラフラと日比谷公園にたどり着けば、今日も楽しいお祭りである。

大地に感謝する収穫祭、

種まき大作戦 ~土と平和の祭典2010~

 

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先代の会長、故藤本敏夫さんの遺志を受け継いで、

娘の八恵(歌手名:Yae ) ちゃんが実行委員長を務める

次代の食と農を開拓する者たちの祭典。 

食や環境問題に携わるたくさんの市民団体やお店、生産団体、ミュージシャンたちが

手弁当で集まって祭りをつくり上げる。

 

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僕は二日酔いだからということではなくて、

昨年、野菜をたたき売って顰蹙(ひんしゅく) を買った反省から

売り子に立つのは自粛させられて、

小音楽堂でのトーク・セッションの司会というおつとめを仰せつかったのだった。

 

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「土と平和の有機農業セミナー」 と銘打ってのセッション。

開始前に簡単な打ち合わせをして、ぶっつけ本番。

 

実行委員長・八恵ちゃんの開会の挨拶に続いて、

  " 有機農業のカリスマ "  埼玉県小川町・霜里農場、金子美登(よしのり) さんの

基調講演が行なわれる。

金子さんはNPO全国有機農業推進協議会の理事長でもある。

 

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有機農業を始めて40年になる。

30軒の消費者を探すのに数年かかり、30年経って村も動くようになった。

今では行政の支援で地元の学校給食に使われるだけでなく、

加工も含めた食の地域循環を進める  " 有機農業の里 "  として、

小川町は全国に知られるまでになっている。

研修生を受け入れるようになって31年。

育てた100数十人の研修生の9割が非農家というのも、霜里農場の特徴である。

 

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農民が元気になったら、美しいムラになる

と金子さんは語る。

食の自給だけでなく、タネの自給、エネルギーの自給、

そこから見えてきた平和で安定した社会・・・

40年の実践を経て到達した金子さんの世界は深く、重みがある。

 「いのちが見えない文明に未来はない

この国の農をつくり直す起爆剤は、非農家かもしれない。

 

--と基調をつくってもらって、北海道から九州まで7人の若者たちが登壇。

 

北海道瀬棚町から参加してくれた元ミュージシャンの富樫一仁さん。

ギターを鍬に持ち替えて10年。 農業に転身した理由は、自身の重いアトピーから。

" 自然の摂理に従った農業 "  をモットーに、20haの農地でコメや大豆などを栽培する。

食べ物で健康を保てることの喜びを一人でも多くの人に伝えたいと語る。

 

秋田県大潟村から、入植2世の武田泰斗さん。 有機稲作をベースに80頭の肉牛を飼う。

こちらも就農して10年。 悩みは家畜の世話で休みが取れないことと草取りの人材確保。

親と対立することもしばしばあり、正直やめたいと思うときもある、とこぼす。

でも親と対立するのは自信がついてきた証拠だし、経営に悩みを持つのは

それだけ真剣に生きているってことだよ。 発展途上の33歳である。

 

山形県鶴岡市、庄内協同ファームの小野寺紀允(のりまさ) さん。

横浜でサラリーマンをやっていたが、

「やっぱり山形が好きだから」 1年前に帰って就農した。

父の農業、母が経営する農家レストランを手伝いながら、

食の都・庄内を農業で活性化させたいと夢を膨らませている。

 

神奈川県愛川町に新規就農して1年という千葉康伸さん。

8年間東京のど真ん中でサラリーマン生活を続けるも、

「都会に飼われている」 と感じて、都市を見切って転進を決意した。

高知の土佐自然塾・山下一穂さんのもとで 「お金を払って」 勉強して、

ようやく販路も見つかってきて、今はまだ 「どうにか食べていける」 状態だけど、

自分の足で立っている、生きている実感があると言う。

就農を希望する人へのアドバイスは - 「行動すること」。

 

千葉県匝瑳市,佐藤真吾、29歳。 就農して7年。

米は有機でやれるようになったが、ピーマンなど施設(ハウス)での野菜栽培は

特別栽培レベル。 もう新規就農者というより落ち着いた農業者の姿を醸し出しつつある。

 

米どころ新潟からは、農業生産法人 「いなほ新潟」 の社員として働く関徹さん。

実家は米農家だが、ストレートに家には入らず、他流試合で学ぼうとしている。

腹の中で実家の田んぼを気にしながら。

「子どもの頃から田舎の風景が好きだった。 耕作放棄の田畑を見ると胸が痛みます。」

田んぼを残したいと語る27歳。 僕らはこういう人に近未来の食を依存することになる。

 

最後に長崎有機農業研究会の松尾康憲さん。

親が有機農業の世界に入り、自分も当然と思って就農したが、

今ではとにかく親父と対立する日々だと言う。

 

どうしたらオヤジを乗り越えられるか・・・

会場からも質問が出たが、答えは簡単なことだ。

納得させられる結果を残すこと、それしかない。

そのためには、オレの (やりたいようにやれる) 畑を持たせてもらうことも必要だけど。

否定される理由にはその上を行く理論武装も必要だ。

「分かってくれない」 だけでは子供のまんまとしか思われないからね。

 

7名の若者たちを眺めながら思ったことは、みんなカッコいい! イケメン揃いだということだ。 

顔立ちだけじゃなく、爽やかな感じがとてもイイ。 内面の強さや誇りも顔に出ていて、

すべてを前向きにとらえている。 語る言葉は甘いが、捨てたもんじゃない。

司会をやってたもんで、写真をお見せできないのが悔しい。

 

最後は金子さんと、歌手の加藤登紀子さんにも上がっていただき、まとめをお願いする。

お登紀さんが、司会を無視して仕切り始める。

「ここにこそ希望がある」 でまとめさせていただくことにする。

 

与えられた仕事が終わった途端に、気が抜けた。

大地を守る会のブースでは、さんぶ野菜ネットワークのお母ちゃんたちが

人参ジュースの販売に精を出してくれている。

埼玉から助っ人に駆けつけてくれたのは、志木の三枝さん。

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川越の吉沢重造さん。

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 ダブルの上着にシャレた帽子。

ゼッタイにウケをねらってきたとしか思えない。

でも男なら、似合っていようがいまいが、死ぬまでダンディズムを枯らせてはいけないのだ。

それが藤本さんの教えだったしね。

 

出店でご協力いただいた生産者の皆さん。有り難うございました。

このイベントの総括は、もう僕の守備範囲を超えているので、割愛させていただきます。

 

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2010年10月21日

安部伊立杜氏の功労に感謝する、の夜

 

話の順番が逆になったけど、

先週末から日曜日の、慌しくも楽しかったロード報告も記しておきたい。

16日(土) は、会津・喜多方で楽しい酒宴に参加して、

翌17日(日) には、朝6時の始発に乗って日比谷公園 「土と平和の祭典」 に直行。

午前中の小音楽堂のトークセッションの司会を何とかこなして、

千葉・寺田本家の濃醇な日本酒で迎い酒をやった途端に、一気に腑抜ける

 - というシアワセな二日間の振り返りを。

 

ラーメンと蔵の町・喜多方の、街の中心地からやや北に位置する場所に、

 「北方風土館」(ほっぽうふうどかん) は立っている。

大和川酒造店が、古い蔵を改造して酒蔵の見学館に設えたものだ。

ここで10月16日(土)、大和川酒造で長年杜氏を務められた安部伊立(いたつ) さんの

功労に感謝する祝賀会が開かれた。

 

会場は、北方風土館内にある 「昭和蔵」。

平成2年まで使われた酒造場で、今はコンサートやイベント会場として活用されている。 

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挨拶する大和川酒造店代表社員(社長)、9代目・佐藤弥右衛門さん。

1971年、社長がまだ東京の大学でブラブラしてた頃に(本人の弁)、

安部伊立は蔵人として大和川に入った。

以来40年、夏は新潟・小千谷で米を作り、

冬になると大和川に来て春まで酒造りに没頭する、という人生を送ってこられた。

黒の革ジャンを羽織って、若い蔵人を引き連れて颯爽と登場していた時代があったそうだ。

クソッ、カッコよ過ぎ~!

 

「 杜氏にもなると、あちこちの蔵から呼ばれては移っていくという人も多いのですが、

 安部杜氏は大和川一筋でやってくれました。 本当に心から感謝します」

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感謝状を受け取る安部伊立杜氏。

80歳になられて、なお矍鑠(かくしゃく) としている。

今はさすがに車の運転は家族に禁じられたそうだが、日本酒は欠かさない。

加えて、女の子をからかう、これが健康の秘訣らしい。

これもお手本にしたいが、からかって好かれるには、オトコを磨かなければならない。

う~ん、修行の道は険しいのだ。

 


杜氏(とうじ、とじとも言う) といえば、

社長にも口を挟ませない酒造りの総責任者、長(おさ) である。

長い年月の修行に耐え、匠の世界に立った者にのみ与えられる称号。

手に職を持たない我々サラリーマンには、崇拝しひれ伏すしかない響きがある。

 

「いやなに、ただのスケベ爺いですよ」 と笑う安部杜氏。

我々の前ではいつも優しいお顔で接してくれるのだが、

蔵の中などで時に厳しい眼光を発する瞬間があって、ドキリとさせたりするのだ。

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謝辞を述べる杜氏。

酒造り一筋に生きてきて、こうしてたくさんの人に感謝される喜びはひとしおのよう。

それだけに胸中をよぎる感慨は数々の思い出とも重なっているようであり、

その人にしか出せない喜びの色合いというものを、かもし出す。

 

大和川酒造は、市民の酒造り体験を積極的に受け入れている。

地元・喜多方の市民講座はじめ、東京からも4つのグループが酒造りにやって来ている。

彼らは自分たちの樽を持って、出来た酒は全部買い取って仲間で分け合う。

中には酒米づくりから始めるグループもある。

杜氏は労をいとわず、彼らを指導し、慕われている。

 

大地を守る会は、1993年、須賀川・稲田稲作研究会の酒米を使って

オリジナルの日本酒造りをお願いして以来のお付き合いである。

現在の 『種蒔人』、90年代は 『夢醸(むじょう)』 と名乗った。

" みんなの夢を醸そう " という思いでスタートして、

21世紀を迎え  " 新しい種を蒔き続けるのだ " と宣言した。

杜氏とのお付き合いも、早いもので17年になった。

 

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来賓挨拶でご指名を受けたので、感謝の気持ちとともに、

杜氏が好きだった一人の女の子の近況をお伝えした。

「赤ん坊の頃から大和川酒造交流会に参加して、杜氏、杜氏と慕っていたあの子が、

 なんと京都で立派な舞妓さんになりましたよ。」

少女をして厳格な伝統文化の世界に飛び込ませた原動力が何だったのかは

僕には知る由もないが、物心ついたときから杜氏という言葉と人物と、そして文化に触れ

親しんだことは、彼女の情操を育てたひとつの要素にはなったんじゃないか、

と僕は秘かに想像するのである。

杜氏も驚きながら、ウンウンとうなずくのだった。

 

ご機嫌の安部伊立、80歳が披露する

杜氏の舞い-「広提寺(こうだいじ)」。

 

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赤い衣装がめちゃくちゃ映えているじゃないか。

なにやら妖艶な想像まで沸きあがってくる。

 

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熱塩加納村(現:喜多方市熱塩加納町) から、

小林芳正さんも元気なお姿で登場 (写真左)。 

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安部伊立が酒造りの長なら、こちらは原料米栽培の長である。

「こんな米しかつくれんのか」

「オレの米で、こんな酒しかつくれんのか」 -とやり合ってきた仲。

こういうのをどう言えばいいんだろう。 

管鮑(かんぽう) の交わり? -とも違うね。

罵りあいながら揺るがない信頼。 暑苦しいけど、好きだな。

 

先代(8代目) 弥右衛門の奥様、貴子さんを囲んで一枚頂く。 

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『種蒔人』 のラベル題字は、貴子さんの筆であります。

 

" 熊さん " こと熊久保孝治も、生きてました!

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高輪の 「良志久庵 (らしくあん)」 を閉じられてから、

みんな心配してたんですよ。 

良志久案で 杜氏への感謝の会 をやって以来の再会。

「ま、何とか食いつないでやってますので」 とのこと。

久しぶりの熊さんの手打ち蕎麦に舌鼓を打ち、「また蕎麦を打って~」 コール。

 

飯豊山登山でお世話になった方とも久しぶりに再会したりして、

翌日のことも忘れそうになりながら、

純米、吟醸、大吟醸・・・・と飲みまくったのだった。

 

大和川酒造の皆さんに感謝、です。

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お茶目な杜氏には、みんなでマフラーをプレゼント。

 

 

杜氏、いつまでもお元気で。

2月の大和川交流会での再開、約束したからね。 

舞妓になったAちゃん、来れないかな。 無理だよね。

 

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なお最後になったけど、

この日は 「大地を守る会の稲作体験」 の、現地での収穫祭の日であったにも拘らず、

快く喜多方に送り出してくれた稲作実行委員会のみんなに感謝したい。

 



2010年10月19日

子どもたちを救え! 『味覚の一週間』 日本上陸!

 

さて、昨日の夜、新丸ビル 「エコッツェリア」 で開催された

地球大学アドバンス 第35回

 TOKYOから提案する新たな 「地球食」 のデザイン 』 。

ゲストは 「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ・三国清三さんと、

金沢工業大学産学連携室コーディネーターで

「都市の食」 ビジョン・ガイドライン検討委員会の座長を務められた小松俊昭さん。

ナビゲーターは、いつもの竹村真一さん(京都造形芸術大学教授、ELP代表)。

竹村さんは、この日名古屋で開幕した

COP10 (生物多様性条約第10回締約国会議) の会場から駆けつけられた。

 

100年前に17億人だった地球の人口が、1970年に35億人になり、

まもなく70億人に到達しようとしている現在(いま) 。

穀物の生産量は頭打ちになり、表土の劣化が進み、

多様性の喪失が重要な地球的課題となって、まさに今日から国際会議が始まっている。

 

「 私たちは20世紀的な 「豊かさ」 の概念を超えて、

 宇宙船地球号の食のあり方=「地球食」 の リデザインを

 根本から行なうべきギリギリの地点に立っています。 」

 

そんな問題意識のもと、 

 " 日々地球を食べる "  巨大な胃袋=日本の首都・TOKYOで示すべき

新たな 「地球食」 のモデルとは・・・・・

そこでゲストのお二人から、「都市の食」 ビジョンの構想や、

丸の内シェフズクラブで取り組む食育活動がプレゼンされる。

 - というのが事前にインフォメーションされた内容だったのだが、

ここで三国さんはご自身の話の前に、超ビッグなゲストを登場させたのだった。

 

親子三代にわたって三ツ星シェフを獲得という栄光を持つ、

フランス料理界が世界に誇る アン=ソフィー・ピック シェフ。

 

フランスで、1990年から毎年10月に開催されてきた

ラ・スメーヌ・ドゥ・グ (「味覚の一週間」) 』 という国民的イベントを、

日本でも来年から本格的にやろうということになって、

その日本展開 「大使」 として来日された。

ピックさんの日本での活動にはテレビ局が帯同し、この会場にもカメラが入った。

お陰で、参加者は写真撮影禁止! (ということで今回は画像はなし)

「味覚の一週間」 日本展開も、19日午前11時の公式発表まで

「公的な場やネット上でのおしゃべりなどは控えていただきたい」 と。

 

味覚の一週間 -とは何か?

 ( ↑ ピックさんのお姿は、ここからご覧になれます。) 

 


(以下、パンフレットより引用しつつ構成)

美食の国フランスで20年以上続いてきた、国民的な食のイベント。

次代を担う子どもたちにフランスの食文化をきちんと伝えたい、

という思いにかられた一人のジャーナリストとパリのシェフたちが集まって開いた

「味覚の一日」 というイベントに端を発する。

今や全国民がフランス料理という国家遺産の素晴らしさを再発見、再学習する場として、

一週間にわたって様々な催しが企画されているのだという。

フランスの、国を挙げた 「食育」 というわけである。

始まった90年当時、フランスですら、子供たちを取り巻く食の乱れが

深刻な問題になっていたというから、食の簡便化というか商品経済の力というのは

いずこにおいても魔力なのかと思ったりする。

(ちょっと安心したりする自分を感じるのが恥ずかしいけど。)

 

「味覚の一週間」 では、三つの柱で企画が展開される。

まずは 「味覚の授業」。

料理のプロがボランティアで小学校に出向き、味覚が発達する大切な時期である

子どもたちに、味の基本を教える授業を展開する。

「しょっぱい」 「酸っぱい」 「にがい」 「甘い」 の4つの味を五感を使って学び、

食べることの楽しさを体験する。

味覚の違いを覚えれば、その違いを話すことができ、それを伝えることができるようになる。

また子どもだけでなく、教員や給食・食堂の責任者に対しても同様の授業が行われる。

学校は 「味わう」 感性を目覚めさせる役割を果たし、

子どもたちは文化としての 「食」 の継承者となり、また良質の作物を作る助けとなる。

今ではフランス首都圏の98%の教育機関が 「味覚の授業」 を支持しているという。

 

次に 「味覚の食卓」。

料理人たちは、期間中に特別なメニューを発表する。

料理人の技量、創造性、旬の食材の利用法、前例のない食材の組み合わせなどを競って

コース料理を用意するのだ。

素晴らしい! と思ったのは、そのオリジナル・メニューを普段の価格で出すだけでなく、

学生には30%の割引価格で提供していることだ。

学生証を見せるだけで、学生には縁遠い一流レストランの食を味わうことができる。

そこでシェフの料理に対する思いを学生たちも知ることになる。

" 我がフランスの食 "  に対する誇りもいや増すというものだろう。 ニクイ手だ。

これはシェフズクラブの方々も、すぐにでも取り入れてほしいと切に願う。

 

三つめが 「味覚のアトリエ」。

期間中、様々な味覚体験のイベントがフランス各地で繰り広げられる。

シンポジウム、農園体験、フードマーケット、食の屋台イベント、

青少年対象の料理教室、味覚ワークショップなどなどが、

市役所や市民団体、商工会議所、学校、協賛企業などによって実施される。

 

そしてついに、この素晴らしい食育イベントが日本でも始まろうとしている。

昨日、日仏のシェフ (ピックさんと三国さん) による、

日本で初めての 「味覚の授業」 が、目黒区の小学校で実施されたのだ。

 

ピックさんは20歳のときに来日して、日本文化にカルチャーショックを受け、

日本人の繊細さ、慎み深さが好きになったという。

そんな彼女の授業の感想が、嬉しい。

「子どもたちの反応は、フランスの子どもたちとまったく一緒でした!」

 

三国さんは 「食育とは、子どもたちの味覚を守ることだ」 と言う。

子どもたちを救わなければならない! と熱く語る。

味覚を覚えるとは、「よく生きる」 ことにつながっている。

食とは、栄養を摂るだけでなく、頭、精神を活性化させるものだから。

味を知る、楽しむ、味わう喜びを知って大人になってほしい。

そのためにも、味蕾(みらい) が形成される12歳までに伝えなければならないのだと。

 

三国さんは、こうも語る。

自然の食材は薄味だから、味蕾を増やして感じ取ろうとする。

味が濃いと  " 感じ取ろうとする努力 "  をしなくなり、鈍感になる。

また 「噛む」 ことの退化は、味覚の刺激による喜びを感じなくさせてしまう。

「食べる」 ことの意味を考えなくなり、

多様で個性のある地域の文化や宝物を見失わせてしまう。。。

 

文明の根幹は 「食」 (とどうつながるか) にある。

「食」 をしっかりと リデザインすることで、地球の文明を立て直そう。

大袈裟な話ではあるが、

世界とのつながりを築き直すための、私的で具体的なアクションのひとつ

であることは間違いない。

 

「味覚の一週間」

 - 日本をしびれさせるようなイベントに育てたいと思う。

   曲がった背筋を伸ばしつつ・・・・

 



2010年10月18日

イタリアンの国産米粉パスタ饗宴-東京野菜で応援!

 

東京駅前・丸ビル1階にある 丸の内カフェ ease (イーズ)」 にて、

今日から始まった食のイベントをご案内させていただきます。

 

4名のイタリアン・シェフが、

国産(新潟産)米粉と東京野菜・東京魚を使ったオリジナル・レシピで競演する

 秋の情熱 ご馳走パスタ

米粉にアモーレ!

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期間は本日18日から31日までの2週間。

前半(~24日)が、「イル ギオットーネ」 笹島保弘シェフによる

「金目鯛と東京野菜のもっちもち米粉タリアテッレ」、

そして西麻布 「アルボルト」 片岡譲シェフによる

「米粉のスパゲティ ~フレッシュトマトソース、伊豆七島のイサキと共に~」 の2品。 

後半(25~31日)が、「アンティカ オステリア デル ボンテ」(丸ビル36F)

ステファノ・ダル・モーロ総料理長による

「米粉のタリアテッレ ~豆乳スープ仕立て、金目鯛と東京野菜のメリメロ~」、

そして「Essenza」(丸ビル5F) 原田慎次シェフによる

「チェリートマトと水菜の米粉ペンネ、イサキのカリカリポワレ添え」 の2品。

いずれもミニサラダ、米粉のシフォンケーキ、ドリンク付きで1,000円。

ランチ企画なので時間帯は11:30~14:00まで。

 

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丸の内を舞台に展開されている 「食育丸の内」 のランチ企画第3弾となった本企画。

今回のテーマは、「都産都消」 そして 「食料自給率UP」。

いずれもそうそうたるシェフのオリジナル・レシピに、

東京有機クラブ(阪本啓一、川里賢太郎、藤村和正) の水菜と小松菜で参画しています。

 

夕方、「丸の内カフェ ease」 を訪ね、望月料理長から初日の反響をお聞きする。

反応は上々で、想定した二日分くらい出ちゃったとのこと。

「モノも良かったですよ」 にホッとする。

 


「食育丸の内」-

「大人の食育」 を掲げ、 まずは大人から食に対する知識を持つこと、

そして生産者・消費者・レストランの連携によって、

" 心身ともに健康になる社会づくり "  を目指して活動を展開しようというプロジェクト。

 

 

旗振り役は、丸の内エリアに出店しているレストランの

オーナーシェフたち26名で構成する 「丸の内シェフズクラブ」。

会長は大御所、服部幸應さん。

ジャンルを超えて情報交換をしながら、食に関する新たな提案を仕掛けている。

 

「食育丸の内」 活動の推進母体である 「丸の内地球環境倶楽部」 では

「都市の食」 のあるべき姿をビジョンとガイドラインにまとめようとしていて、

僕もその検討委員会に参加させていただいている。

東京のど真ん中で提供する 「食」 とはどういうものであるべきか。

そのビジョンとモデルづくりは、けっしてモノが集中する都市の我がままではなくて、

東京だからやらなければならない責任の表わし方にもなるだろう

と思って、参加してきたつもりだ。

おいしい食、安全・安心な食、身体にいい食、自然とつながる食、

人とつながる食、地域とつながる食、本物を知る食、創造力を育てる食、

世の中を変える食、自分でつくる食・・・・・と、ようやく

  " 10のビジョン "  としてまとめられようとしている。

 

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ビジョンは言葉で終わるものでなく、それに基づいた行動指針が策定され、

生産と消費をつなぐ魅力あるプランを、具体的に創出させていかなければならない。

国産の食材を大切にする、食の安全性や環境にも配慮する、は当たり前の柱として。 

 

今回のランチ企画に合わせてくれたのか、

今日、ネット・マガジン 「丸の内ドットコム」 に、

シェフご推薦の東京野菜生産者として、川里弘・賢太郎親子がアップされた。

こだわり食材と出会える 「青空市場 × 丸の内マルシェ」 のコーナー。

「シェフをうならせる東京の食材の実力」 -小見出しも嬉しい。

よかったら覗いてみてください。

 

先月、取材の記者さんをお連れした時の様子。

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8月のミクニマルノウチでの試食会で好評を得た川里さんの島オクラ。 

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実は9月にシェフズクラブのレストランからリクエストが入ったのだが、

「もう終わりなんです。 残っているのも 『山藤』 の契約分のみしかありませ~ん」

ということで、来年に向けての応相談となった。

トップ・シェフが 「採用しよう」 なら、こっちは 「じゃあ作ってやろう」 である。

美しいビジョンを実現させるにも、この人たちをつなげなければならないわけだ。

流通者(ネットワーカー) の苦労は、そのためにある。

 

 

さて、その足で新丸ビル10F-エコッツェリアに向かう。

夜は 丸の内地球環境倶楽部 主催 『地球大学アドバンス・第35回』

 - TOKYOから提案する新たな 「地球食」 のデザイン。

 今回のゲストは、丸の内シェフズクラブのコーディネーターであり、

都市の食ビジョン・ガイドライン検討委員でもある、

「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ・三国清三さんだったのだが、

すっご~いサプライズ! つきのセミナーになったので、明日はその続きを。

 



2010年10月15日

5年間で22%の農民がいなくなった・・・

 

農林水産省が5年おきに行なっている農林業の動態調査

-「農林業センサス」 の2010年版が、先月発表された。

すでにチェックされた方も多いと思うが、改めてこの衝撃を記しておきたいと思う。

 

まず、農業就業者人口は260万人。 5年前に比べて75万人! 減少した。

5年間で22.4%、およそ島根県の人口相当の農業者が消えたのである。

平均年齢は65.8歳。 2.6歳上昇した。

これは平均年齢だから、70代あるいは80になっても頑張ってくれている人がいる、

ということを表している。 5年後ははたしてどうなるんだろう。

 

耕作放棄地の面積は、5年前の39万ヘクタールから40万ヘクタールに増えた。

埼玉県の面積に匹敵する面積が耕作放棄されている、と言っていたのが

これからは、滋賀県の面積、ということになった。

 

たった5年間で22.4%の減少。 埼玉県から滋賀県へ。

しつこく言いたい。 たった5年間での変動である。 

歴史的視点で見れば、崩壊現象の真っただ中に入ったとしか思えないのだけど、

相変わらず対岸の話のように語られてないだろうか。

これは子供たちの未来への不安という話でなく、

いよいよ目の前に迫ってきた食の危機を語っているはずなのに・・・

 

農業への補助が必要なのか、国民の食選択への支援策が必要なのか、

本当は同義であるべきはずなのだが、相変わらず分断したままの生産と消費。

様々な農業政策の結果がこうである。

もう農林水産省なんて要らないんじゃないの、とまで言いたくなる。

 

唐突な事例かも知れないけど、

たとえばイースター島の文明の崩壊はなぜ起きたのか。

生態系が痩せていく中で、島民はなぜモアイ像にこだわり最後の木を切れたのか。

謎と言われたその答えは、いま目の前で進行している状況にありはしないだろうか。

 

センサスの数字は、予測していたとはいえ、いざ目の前に示されると、

背筋が震えるような近未来的現実を想像せざるを得ない。

僕はこのブログという手法を使って、

現代の 「希望」 を伝えたいと思ってやってきたのだけど、

いま進行形の事態は、農地の集約化とかいう話ではすまない、

この国を支えた共同体(経済) の崩壊まで予測させるものだ。

崩壊は、5,4、3、2・・・ という形で進むわけではない。

だって、だいたい経営の破綻というのは、6、5 、4 → -X であるから。

 

農林業センサスとは、食と暮らしのセンサスなんだけど、

だれもそんなふうに伝えてくれない。

危機感を持たなきゃいけないのは、農民より、

食べ物を作れない僕ら消費者のはずなのに。

目の前で繰り広げられる責任転嫁政治と、

静かに進行する集団的想像力疾患にめげることなく、

僕らのたたかいはいよいよ本物の正念場に入りつつあるように思う。

 



2010年10月 8日

「備蓄米」 が生んだ新しい価値の扉

 

ああ、なんでこんなしんどいブログを続けているんだろう・・・・

とため息つきながら、でもまだやめるワケにいかないなぁ、と思い直す。

「あんしんはしんどい」--それは僕だけのものではなくて、

グァンバッちゃってくれている生産者と、

食べるという命がけの行為(ですよね) に意思を持ってくれた消費者の顔が見えると、

 " 流通者は安心のネットワーカーでなければならない "  を標榜する自分としては、

まだまだ書き続けなければならない、と自らに試練を課すのである。

これは僕の修行のようなものだ。

 

・・・・・と何度思ったことだろうか。

たとえば備蓄米の収穫祭のように。

 

「大地を守る会の備蓄米」 がつなぐ  " 安心 "  とは、人と人をつなぐだけでなく、

未来に  " 安心 "  を運ぶ時間軸を持っている。

食べものは安くなければならない、という今の時代にあって、

そう安くないお米に一口25㎏の年間予約&先払いという制度が16年続いたことは、

奇跡じゃないかと時に思ったりするのだが、それが奇跡じゃないところに希望がある。

それだけの 「価値」 をつくった人と認めた人がいた、というさりげない実力。

誰からの補助もなく持続する  " 食の信頼の輪 "  。

ここにこそ本質的な意味があって、しかもこれはイベントではない。

 

そんな骨太なコンセプトで続けてきた 「備蓄米」 の、年に一回の  " ハレの日 "  が収穫祭だ。

間が空いちゃったけど、報告の続きをしたい。

 

稲田はすっかり稲刈りシーズンに突入していて、

この日もたくさんの米がライスセンターに運び込まれてくる。

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時あたかも 「平成の大冷害」 と呼ばれた1993年に完成した、

実に因縁深い太陽熱乾燥施設。

時代を先取りしたこの設備で水分調節がされ、しかもモミの状態で保管される。

この設備は、何度来ても見てもらわなければならない。

 

そして、

集荷-品質チェック-乾燥-保管-精米-袋詰めまで一貫した流れを見てもらった次に、

3年越しの取り組みとなった野菜・果物のオリジナル低温乾燥製品を見ていただく。

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このコースに来ると、みんな一瞬米のことを忘れて別な世界に入る。

見よ! この試作の数々を、である。

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大地を守る会内で部署横断的に結成されたプロジェクト・チームと、

生産者がつくった会社-(株)ジェイラップとで進めてきた 「はたまる プロジェクト」。

正式名称は、「畑丸ごと、実から種まで乾燥プロジェクト」 という。

僕としては 「皮から茎から実から種から~」 とか、くどいくらいに表現したいところだったが、

若い人にはヘタなジョークとしか聞こえないようで。。。

コンセプトの解説は8月に実施した試食会の日記を読んでいただければ- としたい。

 

パウダーにスライス、細かく刻んだ状態で乾燥したもの、

などなどが所狭しと並ばれている。 

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栄えある商品化第1号に選ばれたのは-

生姜パウダー、原料は高知県 「大地と自然の恵み」 から。

伊豆の清流で育った本山葵(わさび) のパウダー。

福島わかば会のトマトを使った乾燥トマト (スライス)、の3品。

すべて規格外品と言われたものたちによる 「価値」 の主張である。

 

しかし、いざ本格製造となって苦労したのは、

規格外品あるいは余剰といわれるものたちは、決められた量と納期通りに集まってくれない、

資本主義社会においては極めて生産性の悪い半端者であるということだ。

結果的に、どうしても試食会で会員から示された価格帯には収まりきれなかった。

 

でもね。

この世の平衡は半端者がいるから成り立っているのよ、と声を大にして叫びたい。

生物多様性を支える重要な一員なのです。

蘇らせることで、自給力アップにも、環境保全にも貢献する力を持っているのです。

しかも、台所では 「意外と重宝、好きっ!」 と言わせる自信があります。

食べてほしい。 使ってみてほしい。

モテないハンパ者を代表して、切にお願いする次第であります。

会員の皆様には、11月1日から配布の 「ツチオーネ」 にて登場します。

ここは偉そうに、乞うご期待! と言っておこう。

銀座三越(B3:大地を守る会青果物コーナー) にも出るぞ!

 ・・・宣言しちゃいましたので、ヨロシク!

 

ひと通り見学した後は、お待ちかね、乾杯の儀式。

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例年のことながら、出された食材の素晴らしいこと。

おにぎり、お餅、豚汁、果物、お漬物・・・・

そして圧巻だったのが、米粉と野菜パウダーを使ったケーキやお菓子類の登場。 

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「今日のために、寝ずにつくりました」

と少しテレながら一品一品を紹介する伊藤祐子さん (名前が間違っていたらゴメンなさい)。

 

僕のイチオシはこれ! 

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そういえばカフェ・ツチオーネでの試食会でも、

だだ茶豆のパウダーをすぐにも欲しいと言われた会員さんがいたな。

来年の秋ですね。 

 

いつも感謝の、ジェイラップの女性陣たち。

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男どもが偉そうにハッタリかませられるのは、この人たちのお陰。

 

そして、「これを食べてもらわないと」。

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ネギのパウダーを使った、ネギうどん。

生姜うどんもあわせて試食する。 

「うまい!」 「イケますね」 の声に満足。 

 

収穫祭には欠かせない、餅つき大会。

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厳しかった今年の米づくりの苦労を脇において、

ひと時の交流を楽しむ。

君たちの未来は今の大人の所為にかかっている、その思いは持っているから。

 

「備蓄米」 の地から 「はたまる」 の誕生。

 -この扉が僕らの前に然るべく用意されたのなら、敢然と前に進むしかない。

 



2010年10月 6日

大地を守る会の「備蓄米」 収穫祭

 

つらい夏を越えて、やってきた稔りの季節。

 

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どんな時も安心して食べられるお米が確保されている。

それはいつも安心して最高の米づくりに挑めることと、同義でありたい。

 

1994年、平成の大冷害とか米パニックと呼ばれた翌年から始めた

「大地を守る会の備蓄米」。

以来、保管に失敗したり、「もういいんじゃない」 とか言われた年も経験しながら、

意地を張って続けてきた。

この本当の真価は、まだ見えてない。 本番はこの先にある、という思いがある。

 

春から予約をしてその年の米づくりを支える。

供給は年を越してから、次の収穫までの間に責任を持って引き取る。

信頼とそれなりの覚悟がないと双方成り立たない制度が、

米価が下落し続ける時代の中でも着実に支持されてきたことは、

企画者にとって望外の喜びであり、誇りでもあり、かつ重い責任を感じるものとして

僕の中にある。

 

今年もその収穫を迎え、10月2日(土)、生産者と消費者の交流会が開かれた。 

福島県須賀川市の、小高い丘の上にあるライスセンター。

ここに明日の食のために今年も備蓄米を応援してくれる人たちが集う。

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それにしても、今年の夏はイネにとっても辛かったようだ。

「どんな年も、一定の品質を再現させる」 と豪語してきた

(株)ジェイラップ代表・伊藤俊彦も、「いやぁ、厳しかった」 と告白する。

それでも、できるだけのことはやったという自負はある。

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あんたがそういうなら、俺たちは必死で売るだけだね。

じゃ、田んぼに行って、みんなで収穫を喜ぼうじゃないか。

 


 

猛暑から一転して寒くなって、雨が続いた。

今日は久しぶりの晴天。 ということは農家にとっての仕事日和というわけで、

集まってもらうのに気が引けるような青空に僕らは迎えられたのだが、

「ま、大地さんとの収穫祭ですから・・・よかったですね、いい天気で。」

微妙なニュアンスが心苦しい。

 

すっかりイネが倒れている田んぼが周りに散見される中、

稲田稲作研究会の田んぼは力強く立っている。 

「どうだ」 と言わんばかりの関根専務の顔がある。

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稲田稲作研究会会長、岩崎隆さん。

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これほどに皺が似合う人は、そういない。

隆さんに会うと、たるんでいる自分を恥ずかしいと思う。

 

コンバインに乗っての収穫体験。 

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手刈りとはひと味違った、ちょっと高見からのダイナミックなニッポン稲作民族の力を

感じられるだろうか。

 

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子どもたちは虫取りに興じる。 お父さんも一緒に。

  

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昨今の若いお父さんは、みんながみんなそうそう自然児で生きてきたわけではないので、

あんまり過度に期待するのは酷でもあります。 

一緒に楽しむ、一緒に挑戦する、そういう感じで。。。

 

恒例となりつつある、第3回イナゴ取り選手権大会。 

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こういうのは大人が夢中になる企画なんだと、昨今僕は思い知らされている。

それはそれで楽しいけど。

 

トカゲ、捕まえた! いえ、これはカナヘビです。

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ずっとカナヘビをいたぶり続ける少年。 子供というのは残酷だね。

僕も昔はそうだった。

 

田んぼは生産基地であるとともに、子供たちにとっては自然と触れ合う場でもあった。 

どんな天候に遭っても、みんなの食糧をしっかりと作ってくれ、

たくさんの生き物と戯れる遊び(=教育) の空間でもある田んぼ。

 

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ありがとう、と心から感謝して、記念の一枚を。

 

今年の米の出来は実はかなり厳しい状況が伝えられてきている。

夏の高温で豊作が予測されたこともあって、昨年来からの過剰在庫と絡んで、

米価は新米から下落含みである。

しかし蓋を開けてみればさほどの豊作でもなく、品質も例年より悪いという。

国の補助制度はいともあっけなく破綻するように思える。

その先はどうなるのか、、、

私たちの真価が問われる時が近づいてきているように思うのである。

 

そしてしかも、だからこそ、、、

僕らは、新しい価値づくりにも挑戦しなければならない。

・・・・・眠くなったので、続きは明日に。

 



2010年10月 5日

常識破りのせん定技術を学ぶ-柑橘生産者会議

 

先週は9月30日(金)-10月1日(土)にかけて、

広島県は因島(尾道市) から瀬戸田町(生口島・高根島) と巡りながら、

第5回柑橘生産者会議を開催した。

柑橘の生産者会議は9年ぶり。 

久しぶりの技術研修会に、

和歌山から鹿児島までの12グループ28名の生産者が参加された。

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今回の目的は、従来の常識を覆す独自のせん定技術をあみだし、

かつ無農薬・無施肥でレモンを栽培する

道法正徳 (どうほう・まさのり) さんの理論と技術を学ぼうというもの。

 

広島空港から山陽自動車道で尾道市に入り、尾道大橋を渡って因島に。 

そこでまずは、道法さんが技術指導をしているという万田発酵(株) の柑橘園を見る。 

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道法正徳さん。 

元広島県果実農業協同組合連合会の技師時代、

指導の基本とされた 「開心自然形」 と呼ばれる横に広げて陽を樹にまんべんなく当てる

つくり方ではなく、まったく逆の、徒長枝(立ち枝) を伸ばしていくやり方こそ

本来の仕立て方ではないかと考えるに至った。

それは 「切り上げせん定」 と呼ばれ、

彼はこれによって柑橘農家を悩ませる隔年結果 (豊作と不作が繰り返される) を防ぐ

ことができることを立証した。

 

しかし当然のごとくというか、ありがちな話として、

組織や専門家筋からは受け入れられず、

道法さんは自身の技術論を原稿にまとめ、

農業専門書の出版社である 「農文協(農山漁村文化協会)」 に送って、

川田健次というペンネームで出版にこぎつけることができた。

書名は 『高糖度・連産のミカンつくり ~切り上げせん定とナギナタガヤ草生栽培 』 という。

 

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おかげで左遷も経験したりしながら、5年前についに果実連を辞職。

今は堂々と道法正徳の本名で、全国各地に指導に出かけている。

 


徒長枝を残して上に成らす。

実が成れば枝は垂れ、横に広がる。 

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これは春には立っていた枝である。 最初から横枝をつくってはダメだと。

加えて・・・ 

道法さんのせん定技術は、どの枝を伐り、どういう樹形をつくるかだけでなく、

切り方にも特徴がある。

小型のチェーンソーを使って、素早く、えぐり取るように切る。 

 

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一般的な切り方だと、伐った枝の元が斜めに残るところ、

下からえぐるように切れば先端がなくなり、早くきれいにゆ合するのだと言う。

ゆ合ホルモンは枝の先端からおりてくるため、

このほうが切り口の回復が早くなるということのようだ。

 

チェーンソーを使って実際のせん定を実演する道法さん。 

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道法さんの技術はせん定だけではない。

どの花を残すか、摘果のポイントはどこにあるか。

糖度の乗ったミカンをつくり、隔年結果を防ぐためには、

ホルモンの関係も理解しなければならない。

 

園地見学のあとは、食事前に座学も用意する。 

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どんどん専門的な話になる。

これ以上は表面的な受け売りをしてもかえって底が知れるので控えるが、

道法ワールドはさらに無施肥(肥料をやらない)、そしてナギナタガヤを利用した

除草剤を使わない草生栽培へと広がる。

 

二日目も、朝から勉強会。

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この技術研修会を通じて、色々とお世話になったのが最初に見学した

万田発酵(株) の会長、松浦新吾郎さん。

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「万田酵素」 という植物発酵食品については、東ちづるさんのコマーシャルなんかで

ご覧になった方もおられるかと思う。

ここで製品をPRするわけにはいかないが、

50数種類の野菜・果物・海藻などを3年以上発酵させているとかで、

ここにも発酵という世界にとり憑かれた人がいたぞ、って感じ。

道法さんはここの果樹園の栽培指導をしていて、

松浦会長からの信頼も篤いようで、

会長はずっと我々の脇で道法理論の補足などをするのだった。

 

解散後、希望者はさらに呉市豊浜町まで足を延ばして、

実際の道法さんのレモン栽培を見せていただくこととした。

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道法さんは指導する相手に応じて農薬の使用も認めるが、

自らは無農薬・無施肥を実践している。

 

立派なレモンが成っている。

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NHK広島放送局の取材が入っていて、

感想を聞かれる愛媛県中島町のレモン農家、泉精一さん。

こちらも筋金入りの有機農家である。

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別れる前に一枚。

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それぞれに感じ取り、つかんだものを持ち帰っていただければ、と思う。

隔年結果対策、そして無農薬での美味いミカンづくりへと、

刺激になったなら幸いである。

 

穏やかな瀬戸内の二日間だった。

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