2010年10月21日

安部伊立杜氏の功労に感謝する、の夜

 

話の順番が逆になったけど、

先週末から日曜日の、慌しくも楽しかったロード報告も記しておきたい。

16日(土) は、会津・喜多方で楽しい酒宴に参加して、

翌17日(日) には、朝6時の始発に乗って日比谷公園 「土と平和の祭典」 に直行。

午前中の小音楽堂のトークセッションの司会を何とかこなして、

千葉・寺田本家の濃醇な日本酒で迎い酒をやった途端に、一気に腑抜ける

 - というシアワセな二日間の振り返りを。

 

ラーメンと蔵の町・喜多方の、街の中心地からやや北に位置する場所に、

 「北方風土館」(ほっぽうふうどかん) は立っている。

大和川酒造店が、古い蔵を改造して酒蔵の見学館に設えたものだ。

ここで10月16日(土)、大和川酒造で長年杜氏を務められた安部伊立(いたつ) さんの

功労に感謝する祝賀会が開かれた。

 

会場は、北方風土館内にある 「昭和蔵」。

平成2年まで使われた酒造場で、今はコンサートやイベント会場として活用されている。 

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挨拶する大和川酒造店代表社員(社長)、9代目・佐藤弥右衛門さん。

1971年、社長がまだ東京の大学でブラブラしてた頃に(本人の弁)、

安部伊立は蔵人として大和川に入った。

以来40年、夏は新潟・小千谷で米を作り、

冬になると大和川に来て春まで酒造りに没頭する、という人生を送ってこられた。

黒の革ジャンを羽織って、若い蔵人を引き連れて颯爽と登場していた時代があったそうだ。

クソッ、カッコよ過ぎ~!

 

「 杜氏にもなると、あちこちの蔵から呼ばれては移っていくという人も多いのですが、

 安部杜氏は大和川一筋でやってくれました。 本当に心から感謝します」

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感謝状を受け取る安部伊立杜氏。

80歳になられて、なお矍鑠(かくしゃく) としている。

今はさすがに車の運転は家族に禁じられたそうだが、日本酒は欠かさない。

加えて、女の子をからかう、これが健康の秘訣らしい。

これもお手本にしたいが、からかって好かれるには、オトコを磨かなければならない。

う~ん、修行の道は険しいのだ。

 


杜氏(とうじ、とじとも言う) といえば、

社長にも口を挟ませない酒造りの総責任者、長(おさ) である。

長い年月の修行に耐え、匠の世界に立った者にのみ与えられる称号。

手に職を持たない我々サラリーマンには、崇拝しひれ伏すしかない響きがある。

 

「いやなに、ただのスケベ爺いですよ」 と笑う安部杜氏。

我々の前ではいつも優しいお顔で接してくれるのだが、

蔵の中などで時に厳しい眼光を発する瞬間があって、ドキリとさせたりするのだ。

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謝辞を述べる杜氏。

酒造り一筋に生きてきて、こうしてたくさんの人に感謝される喜びはひとしおのよう。

それだけに胸中をよぎる感慨は数々の思い出とも重なっているようであり、

その人にしか出せない喜びの色合いというものを、かもし出す。

 

大和川酒造は、市民の酒造り体験を積極的に受け入れている。

地元・喜多方の市民講座はじめ、東京からも4つのグループが酒造りにやって来ている。

彼らは自分たちの樽を持って、出来た酒は全部買い取って仲間で分け合う。

中には酒米づくりから始めるグループもある。

杜氏は労をいとわず、彼らを指導し、慕われている。

 

大地を守る会は、1993年、須賀川・稲田稲作研究会の酒米を使って

オリジナルの日本酒造りをお願いして以来のお付き合いである。

現在の 『種蒔人』、90年代は 『夢醸(むじょう)』 と名乗った。

" みんなの夢を醸そう " という思いでスタートして、

21世紀を迎え  " 新しい種を蒔き続けるのだ " と宣言した。

杜氏とのお付き合いも、早いもので17年になった。

 

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来賓挨拶でご指名を受けたので、感謝の気持ちとともに、

杜氏が好きだった一人の女の子の近況をお伝えした。

「赤ん坊の頃から大和川酒造交流会に参加して、杜氏、杜氏と慕っていたあの子が、

 なんと京都で立派な舞妓さんになりましたよ。」

少女をして厳格な伝統文化の世界に飛び込ませた原動力が何だったのかは

僕には知る由もないが、物心ついたときから杜氏という言葉と人物と、そして文化に触れ

親しんだことは、彼女の情操を育てたひとつの要素にはなったんじゃないか、

と僕は秘かに想像するのである。

杜氏も驚きながら、ウンウンとうなずくのだった。

 

ご機嫌の安部伊立、80歳が披露する

杜氏の舞い-「広提寺(こうだいじ)」。

 

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赤い衣装がめちゃくちゃ映えているじゃないか。

なにやら妖艶な想像まで沸きあがってくる。

 

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熱塩加納村(現:喜多方市熱塩加納町) から、

小林芳正さんも元気なお姿で登場 (写真左)。 

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安部伊立が酒造りの長なら、こちらは原料米栽培の長である。

「こんな米しかつくれんのか」

「オレの米で、こんな酒しかつくれんのか」 -とやり合ってきた仲。

こういうのをどう言えばいいんだろう。 

管鮑(かんぽう) の交わり? -とも違うね。

罵りあいながら揺るがない信頼。 暑苦しいけど、好きだな。

 

先代(8代目) 弥右衛門の奥様、貴子さんを囲んで一枚頂く。 

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『種蒔人』 のラベル題字は、貴子さんの筆であります。

 

" 熊さん " こと熊久保孝治も、生きてました!

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高輪の 「良志久庵 (らしくあん)」 を閉じられてから、

みんな心配してたんですよ。 

良志久案で 杜氏への感謝の会 をやって以来の再会。

「ま、何とか食いつないでやってますので」 とのこと。

久しぶりの熊さんの手打ち蕎麦に舌鼓を打ち、「また蕎麦を打って~」 コール。

 

飯豊山登山でお世話になった方とも久しぶりに再会したりして、

翌日のことも忘れそうになりながら、

純米、吟醸、大吟醸・・・・と飲みまくったのだった。

 

大和川酒造の皆さんに感謝、です。

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お茶目な杜氏には、みんなでマフラーをプレゼント。

 

 

杜氏、いつまでもお元気で。

2月の大和川交流会での再開、約束したからね。 

舞妓になったAちゃん、来れないかな。 無理だよね。

 

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なお最後になったけど、

この日は 「大地を守る会の稲作体験」 の、現地での収穫祭の日であったにも拘らず、

快く喜多方に送り出してくれた稲作実行委員会のみんなに感謝したい。

 



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