2011年1月23日

"食べる約束" に "作る責任" を果たす

 

しっかり食べる人がいてくれることで、

作る人たちも責任感と誇りが育ち、強くなれる。

それによって食べる人の健康を支える世界が安定する。

これが僕らが築き上げようとしてきたシンプルな循環の世界である。

そのためには愛が必要だとも書いてしまった。

信頼を支える思想として。

互いへの敬意と信頼が育つことでこそ、

食の循環は安心・安全というレベルを越えて未来を拓く、と僕は信じている。

 

その確かなモデルが、ここにある。

「大地を守る会の備蓄米」 という無骨な一本の企画。

平成の米騒動と呼ばれた93年の翌年にスタートして、

米価が下がり続ける中でも17年にわたって確実な予約注文を維持してきた。

生産と消費が信頼を預け合わないと成立できない実験だった。

価格や安全性という物差しだけでは、ここまで継続することもなかっただろう。

米の流通の隙間に咲いたあだ花かのように言う人もいるが、

むしろ希望という言葉こそふさわしい。 

戸別所得補償や環太平洋パートナーシップ協定(TPP) といった

喧しい論争を越えるヒントと資源は、目の前にあるんだと思う。

「地元学」 が唱えるところの  " ないものねだり より あるもの探しを "  のように。

 

そんな思いで、新春の講演会を開催した。

 (企画してくれたのは 「米プロジェクト21」 のスタッフ・西田和弘である。)

 

『 それでも、世界一うまい米をつくる

  -危機に備える俺たちの食料安保- 』

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1月15日(日)、会場は東京・広尾にある日本赤十字看護大学の教室をお借りした。

むさくるしいオヤジでも入れるのか、と聞いたワタシは何を考えていたのだろう

 - なんてことはどうでもいいとして、

受付で 「エビちゃんブログを見て-」 と言ってくれた方が一名いたとか。

感激(涙目)!です。 有り難うございました。

 

ところがところが、まったく想定外の事態となってしまった。

朝からの東北新幹線の連続トラブルのお陰で、

講師にお願いしていた伊藤俊彦さんが到着しないのだ。 

 

さて、どうしたものか。。。

ゲストの奥野修司さん(上記の著者) と掛け合いながら引っ張ろうかとも思ったが、

日頃の行ないが良いと救世主が現われるもので、

なんと生産者がお二人、顔を見せてくれたのだ。 

しかも遠方から、それぞれに有機農業の歴史を背負った方だ。

使わない手はない (いや、失礼)。 

 

事情をお詫びして、いきなりのご指名。

長野県佐久市から来てくれた松永哲男さん。

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JA佐久浅間臼田有機米部会所属。

昭和42(1967)年から無農薬での米づくりに邁進してきた。

「オレなんか、世界一うまいと言える自信はとてもねえが・・・」 と謙遜するが、

しかし休憩の合い間にも有機栽培の技術書を読む方である。 

 


松永さんが辿った道は、戦後日本の食と農業の歴史を映している。

ベトナム戦争、水俣病、その頃から除草剤や化学肥料がどんどん使われるようになって、

親父がガンで死んで、家に戻って米づくりを受け継いだ。

農薬を撒いたあとに体調をおかしくする人が周りに増えてきて、

佐久総合病院の院長さんが警鐘を鳴らした。

有機農業の歴史に燦然と名を残す若月俊一さんである。

「松永さん、このままじゃダメだって、お医者さんが言うんだよね。」

 

いま子供たちの米づくり体験にも田を解放しているが、

今の人たちが食べたり飲んだりしているものを見ると心配でならない。

テーピーピー(TPP)って問題もやっけぇなもんで、

このまま進んだら農業や食べものがどうなっちまうのか、

これは消費者の問題じゃねぇかと思ったりもするんだが、、、

ぜひ皆さんも考えてもらえるとありがてぇなって思う。

 

次は若手。

京都、といっても日本海側、

天の橋立のある宮津市から参加してくれた秋山俊朗(としひろ) さん。

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無農薬米づくりから始まって、純米酒をつくり、酢に仕上げる。

「富士酢」 の蔵元、飯尾醸造 の蔵人兼営業担当である。

さすが若者、ノート・パソコンを持ち歩いていて、「写真があるのでお見せしましょうか。」

教室に丹後山地の棚田の絵が登場した。

 

飯尾醸造さんは創業118年を誇るお酢屋さんで、

ニッポン一の酢をつくりたいという思いで 「富士酢」 と名づけた。 

松永さんが有機農業を始めたのとまさに同じ頃、

同じような危機感を抱いて、飯尾醸造さんも無農薬での原料米作りに取り組んだ。

 

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生産性という側面では条件の悪い棚田だが、

そこは生物多様性を育み、水を涵養する貴重な場所である。

きれいな水と日中の寒暖の差は美味しい米も育てる。

何とかこの美しい棚田を守っていきたいと、自社田にし、みんなで米づくりに励んでいる。

地元の農家からも、JAより3倍も高い値段で引き取っているが、

なかなか後継ぎは帰ってこない。

山もだんだんと荒れてきて、イノシシなどの獣害にも泣かされるようになってきた。

それでも、細々とでも維持していきたいと、秋山さんたちは頑張っている。

こだわりの酢の背中には、こんな田んぼと人の苦悩がある。

 

長野・佐久と京都・飯尾醸造。

奇しくも有機農業のパイオニア的存在の二つの場所から、

歴史を背負ってきた男と受け継ぐ者、そんな二人に助けられた格好になった。 

 

続いて、伊藤さんの講演の後に登場していただく予定だった

奥野j修司さんにも話をつないでもらう。

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雑誌 『文芸春秋』 の取材先として伊藤俊彦さんを紹介してから、

この人とのお付き合いも9年になった。

たった一回の雑誌記事に3ヶ月の取材時間を費やし、その後も7年にわたって、

伊藤俊彦を主人公とする稲田稲作研究会と彼らがつくったジェイラップという会社を

取材し続けた。

 

いやあ、最初に伊藤さんに会ったときには、この男を信用していいのか、

正直ヤバイやつだと思いましたね -という思い出話から始まる。

何たって、いきなり食糧危機を予言したり、

ハッタリのような話を次から次へと聞かされるんですから。

 

しかしそこは、奥野氏も相当にしつこいジャーナリストである。

伊藤の予言を確かめようと中国まで飛んだのだ。

上掲の書は、中国ルポから始まる。

それはこんにちの様相をほぼ予測した内容になっていて、

JA職員時代からの伊藤さんのたたかいや苦悩をなぞっただけでは生れなかった

深みとすごみと生命力を、この本に与えている。

 

奥野さんの中国取材は結局一回では終わらなかった。

その後起きた  " 毒入りギョウザ "  事件などを経て、

奥野さんの確信は伊藤さんの予言に重なってゆく。

世界を食い尽くす勢いの中国から、無頓着な日本の姿が見える。

 

実は奥野さんは自由化自体は問題ではないと思っている。

それよりも、自由化に負けない国づくりができていないことを憂う。

たとえば域内を自由化しながら自給率が下がらないEU各国。

イギリスが戦後、自給率を高めてきた根底には教育があった。

自国の農産物を食べることで国がきれいになる、ということを彼らは知っているのです。

EUで有機農業が支持されるのは、水が守られるからです。

 

いましがた映された棚田は、国土保全の役割を果たしている。

これを  " 食べることで守っていこう "  という消費者がいるならば、

まだこの国は捨てたもんじゃない、と思いますね。

 

これまた上手につないでくれるではないか。

最高の役者たちだ。

 

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3名の話を受ける形でしばしお喋りをして引っ張る。

有機農業の普及が自給率のアップにつながるというのは、どういうことか?

といった質問に応えながら。

 

講演会の予定は12時までだったところ、

11時45分になって、ようやく伊藤さんの到着。

あの野太い神経の持ち主が汗をかいている。

さすがの伊藤俊彦も新幹線の車両を飛ばすことはできなかったようだ。

会場を借りた時間のギリギリまで延長することにして、

伊藤俊彦・新春講演会をお願いする。

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続きは、明日かあさってに- すみません。

 



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