2011年7月アーカイブ

2011年7月27日

までいの大和川酒造、金賞を祝う

 

山崎農研のシンポジウムを、大変失礼ながら、

最後の質疑応答の時間を前に退席させていただき、次の会場に向かう。

何の集まりかというと-

「 ガンバレ福島! その活力を喜多方から!

  ~大和川金賞受賞酒を楽しむ会 」

 

本年度の全国新酒鑑評会にて、

大和川酒造店の大吟醸がめでたく金賞を受賞したのだ。 

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これまでも金賞受賞を祝う会は、地元・喜多方で開かれたりしたのだが、

東京で開くのはこれが初めて。

しかも大和川を愛するファンたちの手によって準備された。

それだけ、今年の受賞は特別な歓びと感慨をみんなに与えたのだ。

 

場所は有楽町・東京国際フォーラムの中にある、

「宝 東京国際フォーラム店 by 夢酒」。

少し遅れて到着したら、すごい数の参加者で、

すでに佐藤弥右衛門社長の挨拶が始まっていた。

 

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挨拶はちゃんと聞けなかったが、社長の思いはこんなだろう。

ひとつは、地酒屋の哲学において金賞を獲得したことだ。

受賞をねらって山田錦などの酒造好適米を各地から取り寄せたりせず、

地元で、社員自らの手で栽培した 『山田錦』 を醸しての栄誉、なのである。

 

地酒とは 「地の米、水、風土で醸すもの」 のポリシーのもと、

1997年に農業生産法人 「大和川ファーム」 を設立して以来、

早生の 「五百万石」 から始まり、中生の 「夢の香」 「美山錦」、

そして高度な栽培技術を要する晩生の 「雄町」 「山田錦」 の栽培に、

困難な東北の地で挑んできた (山田錦は兵庫県で生まれた品種) 。

間違いなく世界最北の山田錦である。

「地酒のかたち」 へのこだわりで、ここまできた。

「どうだい!」 の気分だろうか。

 

もうひとつは、震災の年に、である。

震災後、佐藤社長は自社の仕込み水を一升瓶に詰め、

支援物資と一緒に、自ら車を飛ばして何度も被災地に届けた。

工場の敷地を支援物資の保管場所として開放し、

また 飯館村支援 のために奔走した。

 

までいの大使に、本業での金賞という冠!

ここはファンたちの手で、お祝いと感謝の席を用意しようじゃないか。

呼びかけてくれた実行委員長、杉原英二さんにも感謝したい。

 

飯館村の菅野典雄村長も馳せ参じ、挨拶に立った。

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支援してくれた多くの方に熱い感謝の言葉が語られるとともに、

避難したみんなを一日も早く村に帰れるように頑張りたい、

そしてゼッタイに 「までいの村」 を取り戻して見せる、と決意が表明された。

 

みんなの参加費から、いくばくかの支援金を飯館村に贈る。 

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がんばろう福島! がんばろう飯館!

 

次代を担う後継者にも、この日は刺激になったことだろう。 

挨拶にも力が入る。

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マイクを持っているのが、長男の雅一さん。 

左が次男の哲野 (てつや) さん。

どうも弟のほうが人気があるらしく、兄はちょっと嫉妬気味である。 

 

1993年、あの冷害の年に、大地を守る会オリジナル純米酒第1号を

大和川さんにお願いした我ら 「米プロジェクト21」 としても、

社長を囲んで一枚いただかなければならない。

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「おめでとうございます! 僕らも本当に嬉しいです。」 

 

右から二人目のおじさんは米プロのメンバーではないけど、

勢いで入っていただいた。 お分かりでしょうか・・・・・

あの! そう、あの! サッカー実況のカリスマ! 激闘の語り部!

元NHKアナウンサーで解説委員を務められた山本浩さん (現在は法政大学教授)。

1998年6月、W杯に初出場したフランス大会の第1戦 (Vs.アルゼンチン)

の実況中継の語りは伝説になっている。

「声は届いています、はるか東のほうから ~ 」

サインをもらうのを忘れた。。。

 

山と酒の愉快な仲間たち -「飲めまろ会」 の皆様にも集まってもらわねば。 

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飯豊山登山では、登山靴が割れて、助けられたこともある。

5月の山都の堰さらいでも、いつも何人かと一緒になる。

 

金賞は、我らみんなの誇り、と言わせてもらいましょう。

極上の美酒に酔い、励まし合い、心を一つにして、

美しい復興に向かおうではないか。

 

朝、ドアを開けたところで、一気に花開かせた姿を見せてくれたグラジオラス。

今日のこの日を待って咲いたのか。。。 

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飯館に・・・届いたよ、きっと。

 

欺瞞とうっとうしさに満ち、地域をお金中毒にさせるようなエネルギーなんか、

ない方がいい。

までいの花を咲かせよう。

 



2011年7月26日

福島 -希望の道筋を探りながら

 

7月23日(土)、グラジオラスの花が咲いた。

 

5月の被災地視察の際にお会いした

飯館村の高橋日出夫さんからいただいた球根 が、

ついに花を咲かせたのだ。

 

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蕾がふくらんできたかなと思っていたら、

朝起きれば一斉に開いていた。  

 

グラジオラスを7月からお盆にかけて、

トルコギキョウをお盆から11月の婚礼期に、、、と

高橋さんが出荷計画を立てていた花。

あろうことか千葉・幕張の片隅で、たくさんの人に愛でられることもなく、

どこに飾られるわけでもないのに、それでも強く、健気に咲いてくれた。

やや切なくもあり。。。

 

難民と なれど孤高の 唐菖蒲  ・・・なんちゃって俳句。 失礼しました。

 

ま、そんな感じで少しカツを入れられた気分にもなって、

ありがとうの気を送り合って、出かけたのだった。

この日は 「稲作体験2011」 の2回目の草取りと蛍見会の日なのだが、

そちらはすべて実行委員諸君に一任して、

今日は二つの集まりのはしごとなった。

 

午後1時半から、四谷にて、山崎農業研究所 の総会とシンポジウム。

報告者として呼ばれたので、出席する。

 

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                    (写真は同研究所幹事の田口均さん提供)

 

本研究所とのお付き合いは、昨年、 福島県喜多方市山都町の 「チャルジョウ農場」主、

小川光さんが 「第34回 山崎記念農業賞」 を受賞 した際に、

お祝いのスピーチをさせていただいてからである。

 

その由緒ある団体の総会記念シンポジウムで

僕に与えられた課題は、「福島-希望の道筋を探りながら」。   


シンポジウムで最初に発表されたのは、同研究所幹事の渡邊博さん。

宮城から福島にかけての被災地をつぶさに見て回ってきての報告。

たくさんの現場写真を映しながら、被害の要因を分析し、

復興に向けた提言や問題点を指摘された。

 

詳細は省かせていただくが、この間いろんな学者・研究者の講演や報告を聞いては、

話の内容とは別に、いつもモヤモヤとした消化不良感が残ったりしたのだが、

渡邊さんの最後の言葉で、わだかまっていたものの真意が少し見えた気がした。

やや挑発的に、こう言い放ったのだ。

「(研究所創設者の) 山崎不二夫先生は、いつも

  " 現場を大切にしろ・現場から学べ "  と教えておられた。

 今こそその意味を捉え直し、実践しなければならない時ではないか。

 研究所がサロンになってはいけない。」

 

研究所への指摘については、僕には論評する資格はない。

農業土木史に名を残した故山崎不二夫東大名誉教授の思想に共鳴される

研究所会員の方々なら、当然現場を大事にされていることと思う。

いやだからこそさらに、という発破なのだと受け止めたい。

 

加えて、学者・研究者と言われる人たちは、僕が知る範囲では、

皆さんおしなべて血を騒がせながら現場を回ろうとしているように見える。

(現場を回らない方には出会えないから、

 僕は象の鼻だけ見ているのかもしれないけど・・・)

 

とは言え、どうも、、、なのだ。

専門家の現場分析が復興の社会政策づくりにつながってない感が

拭えないのだ。

銘々一所懸命に調べてはいろんな提言が語られるのだが、

それはいったいどこにつながっていってるんだろう。

僕の焦燥は、そこにあった。

 

実は、僕がここでのツカミに用意していた言葉は、

「今ほど生産現場が専門家を欲しがっている時はない」

だった。 渡邊先生の挑発に倣って言うなら、

「調べて論文を発表するだけですか。 現場からのメッセージは聞こえていますよね 」

という感じか。

ただ言うべきはここにいる方々に向かってではなく、さすがにそこは自粛した。

 

放射能汚染の影響を受けたと想定される範囲の生産者はすべて、

いま自分のほ場がどんな状態なのか、知りたくて知りたくて、焦っている。

その一方で、知ることはとても怖い。

ガックリくるような結果だったらどうしよう。

知ったら知ったで、その現実にどう立ち向かったらいいのか。

消費者は離れていかないだろうか、という不安も募る。

当然のことだ。

そこで彼らに勇気を与えるのは、事実に基づいた対策の提案と、

「やってみよう」 の後押しだと思う。 そして 「付き合う」 ことだ。

 

やってみよう。 やるしかない。

これは未来を守るべく、俺たちがやらなければならない仕事なんだから・・・

そんな 「希望」 に転化させたい。

僕らは今、充実させてきた分析機器をもって、

その勇気の後押しをしようと次のステップに進みつつあるのだが、

この挑戦に欠かせないのが、行動の裏づけと成果の科学的解析である。

 

やってみれば、成果がゼロだった、なんていう結果は、実は存在しない。

" ない "  と思ったときに、ゼロになるのであって。

そうならないためにも、計画と、チームが必要である。

付き合ってくれる専門家が欲しい。

 

「復興の社会政策につながる」 とは、上へ上へと提案を上げていって、

国の政策に到達させる道筋、ということだけではないと思う。

現場から、様々な試行錯誤と大量のデータが集積された時、

それはとてつもない力になると、僕は信じている。

 

事実を客観的に検証しながら、対策を粘り強く進めた者に、結果は与えられる。

不明なことが多すぎる状況に対しては、実証精神で臨みたい。

今、僕らはあらゆる意味で、試されている。

試行錯誤でも行動することが問われている、一歩前に向かって。

だからこそ、研究者、専門家が欲しい。 これが現場の強い思いである。

一つの生産現場に一人の冷静な検証者がいてくれれば・・・・・

 

与えられた約1時間は、

大地を守る会が取り組んできた各種の復興支援活動の概要から始まって、

放射能汚染に対して取った行動を裏話なども交えながらお話している間に、

タイムアウトとなってしまった。

 

僕が描いている希望への道筋を、舌足らずにお伝えして、終わり。

生産者の除染対策から、有機農業の力を再発見したい。

土の中に潜む生命力とそれに寄り添う人の技術が合わさった総合力で

「希望」 を示したいと、今強く思っています。

 

市民科学者・故高木仁三郎さんが2000年7月、亡くなる3ヵ月前に

書き残した言葉で締めたかったのだが、カッコよくまとめられなかった。

ここに記したい。

 

  開けてしまったパンドラの箱を閉じることはできないでしょうが、

  その中に残った 「希望」 を取り出し、育てていくことはできるのではないでしょうか。

     - 『原子力神話からの開放』 の結びの言葉 -

 

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<補足>

本書は2000年8月に光文社から刊行されましたが、最新の注釈が加筆され、

今年の5月に講談社+α文庫より再刊されました。

病苦と闘いながら  " 原子力神話 "  の本当の姿を語った警世の書。

しかも今日の状況を、高木さんはしっかり見抜いていたことも思い知らされます。

「2010年 ~ そういう時代に大きな原発事故が起こる可能性を、

私は本当に心配しています。」 是非ご一読を。

 

もうひとつ補足を。

山崎農業研究所の創設者である故山崎不二夫博士(1909~1994) は、

生前より (チェルノブイリ以前から) 原発の危うさを指摘されていた方です。 

その遺志を継がれた方々が、怒りを抑えながら現場を回られ、

力になろうと尽力されていることに、この場を借りて敬意を表したく思います。

 



2011年7月22日

エメラルドグリーンの海

 

わあ~きれい! と叫ぶ人がいる。

台風6号が去った翌日、

千葉市幕張の海の一帯がエメラルドグリーンに染まった。

まるで沖縄のサンゴ礁のように美しく見える。

 

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コンパクトカメラなので分かりにくいかもしれないけど、

乳青色の水域が見て取れるかと思う。

これが、いわゆる  " 青潮 "  ってやつ。 

アサリや海苔にとって命取りになりかねない危険信号である。

幕張に本社が移転してから、何度となく目にしてきた。

 

「青潮」 -実は広辞苑にも収載されていない。

その発生メカニズムは、こんな感じである。

 


東京湾にはいくつもの河川から生活排水が流れてくる。

排水には、窒素やリンなど栄養塩類が含まれていて、

閉鎖系の内湾では、湾内に溜まり、富栄養化状態となる。

それらは植物プランクトンの餌となって浄化に向かうのだが、

夏場に水温が上昇してプランクトンが異常発生したりすると、

海が赤茶色に染まる  " 赤潮 "  の現象が生まれる。

 

過剰に発生した植物プランクトンは死んで海底に蓄積される。

その死骸を分解するのがバクテリアであるが、

分解活動の際に大量の酸素が消費され、海底が貧酸素水状態になる。

特に東京湾には、埋め立て用に土砂が持ち出された穴ぼこがたくさんあって、

その穴は無酸素状態になっていると言われている。

 

そこに北か北東からの強風が吹くと、

表層の海水が沖 (太平洋側) に向かって流され、

それに伴って海底の貧酸素水塊が表層に湧昇してくる。

無酸素水塊には硫化水素が含まれていて、

上昇したところで酸素と反応して、硫黄酸化物となる。 

その粒子が太陽光を反射して見せてくれるのが、

鮮やかなエメラルドグリーンの海、というわけだ。

 

そこは酸素不足の水塊で、腐卵臭を放ち、

硫化水素によってアサリの斃死などにつながってしまう。

 

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幕張テクノガーデンD棟22階から東京湾を望む。

ここから西、つまり東京方面に向かうと、

習志野を経て船橋、三番瀬の干潟地帯へとつながっている。

 

僕らがそこで、2000年から取り組んできたのが、

やはり窒素やリンを吸収して繁茂する海藻・アオサを回収して陸に戻す

「東京湾アオサ・プロジェクト」 である。

アオサは発酵させて鶏の餌にしたり、堆肥化する試験を行なってきた。

例年だと、春・夏・秋と回収作業を行なうのだが、

地震により三番瀬海浜公園も液状化の影響を受けていて、

秋の回収も中止を余儀なくされてしまっている。

今年は残念ながら開店休業状態。

 

台風や強風のあと、エメラルドグリーンの海が登場する。

これはただのきれいな景色ではなくて、

ヒトビトの暮らしの影響を受けながらも必死で生態系の浄化に向かう

生物たちのもがきの現場である。

 

僕らはもっと、目の前の海と付き合う機会を持たないといけないね。

 



2011年7月21日

西から応援 野菜セット

 

台風6号が 「上陸した模様」 と伝えられた 「徳島県南部」 という、

どうせ大雑把に括られるだけのしがない漁村地帯に住んでいる年寄りの、

意地っ張りのセリフはともかく、

紀伊半島にまで記録的な雨量を残していったことで、

俄かに不安になったのが 「西から応援 野菜セット」 である。

 

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このセット。

奈良県五條市に本拠を置く 「王隠堂農園」 さんがつなげている生産者の野菜から、

色々とバランスを考慮しながら、現地で箱詰めまでしてくれている野菜セットである。

 

王隠堂農園さんとは、

最初は梅と柿という特定品目でのお付き合いから始まった関係だが、

年々少しずつ取り扱い品目も増えてきて、

今回の野菜セットの販売へと至った。

これは王隠堂さんがこの間取り組んできた耕作放棄地対策や

新規就農者支援のための一環としてつくられたものであるが、

その販路を広げたいとの提案を受けていたものだ。

 

当会にとって、原発事故の影響があったことは、正直認めるところである。

子どもには放射能汚染の心配のない産地を選びたいという消費者の要望が

ひしひしと伝わってくる中で、

かねてよりの王隠堂農園さんからの提案が符合した。

とはいえ、ただの場当たり的な企画ではないことは、申し上げておきたい。

両者の相互支援という格好で、ひとつの企画が成立したのだから。

 

「西から応援セット」 をご購入いただいた方には、

心理的に安心できる西日本方面の野菜が手に入るとか、

復興支援の義援金も含まれているから、ということだけでなく、

西への連帯にもつながっている、という意味合いが隠されていることも

お含みおき願いたい、ということであります。

全国に有機農業者の輪を広げ、山や里が荒れるのを防いでいくためにも、

新規就農者の受け皿作りは必須のテーマであり、かつ

僕らは今、しなやかに、かつしたたかに、

支え合いの全国的ネットワークを強化しなければならないのです。

したがって 「福島と北関東がんばろうセット」 も応援していただきたい。

僕はもっぱらこっちで頑張ってます。

念のために言っときますけど、

これは悲壮な決意主義で食べているのではありません。

いま、福島・北関東の野菜はほとんどND (検出せず=検出限界値以下)

で安定してきています。

この先の土壌からの影響については未知数だけど、

そこは先進的な農家たちと、先進的な取り組みでもって答えを出したい。

(畜産と稲ワラについては別途整理したい。)

 

さて、「西から~」 へのオーダーが週を追って増えてきたところで、

大型の台風がやってきた。

王隠堂農園さんは気丈に、頑張りますわ! と言ってくれているけど、

台風の影響は直後だけでなく、その先の出荷や品質にも影響を及ぼす可能性がある。

まったく、青果物の仕事は報われないことが多い 。。。

 

「西から応援野菜セット」 をご購入の皆様。

もしかしたら流通途中で品質劣化が起きたものが届くかもしれません。

入荷時の検品も気をつけますが、もし、葉物が一部溶けていたりとか、

気になったところはご指摘ください。

食べられなかったものは返金させていただきます。

ただ、「西から応援~」 とは、たんなる一時しのぎの商品ではなく、

みんなの力で築き直そうとしている世界につながっていることだけは、

どうかご理解願いたい、と思うのであります。

 

なお 「西から~」セットは、8月22日~の週を持って、いったん終了となります。

これからいろんなセットが波状的に組まれてくる予定なので。

王隠堂さんからの野菜で継続して取り扱うものは、

「子どもたちへの安心野菜セット」 に吸収する形になります。

 

放射能測定体制 もだんだん整ってきて、

農産物については全産地・全品目を検査・確認する体制に入りました。

夏から実りの秋へ、いろんなバリエーションで届けられる野菜を、

どうぞ楽しんでいただければと思います。

 

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2011年7月19日

粋に夏をやり過ごしましょう。

 

エ~ン (泣) ・・・

昨日、おめでとうと言ったばっかりなのに、師・魁皇関が引退しちゃったよ。

でもまあ、数年前からこの日が来ることは覚悟していた。

大横綱の誇り高き引退もカッコいいが、

ボロボロになっても体の続く限り土俵に上がる意気地にも美学はある。

「魁皇としての人生は最高でした。 すべての人に感謝したい」

のコメントも泣かせる。

ファンに 「しょうがないね。 長い間、本当にお疲れ様でした。 ありがとう」

と言わせる引退が、優しい魁皇らしい。 

僕が愛した相撲取りは、大鵬と張り合った柏戸から始まり、

悲運の横綱・玉の島、小兵の貴乃花(若貴兄弟のお父さん)、

歴史的大横綱になるなんて思ってもみなかった千代の富士、

そして魁皇、となっている。 次は、、、まだ現われてこない。

 

しばし感慨に耽らせていただき、満足したところで、

リクエストがあったので、気をよくして写真を披露させていただきます。

  > 四国人の私は、丸亀の団扇にこだわっている。

  > 粋なうちわ、というのもあるのである。

 に対して。

 

会社で愛用しているのが、これ。

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こんなのもあります。

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これは携帯用。

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ちゃんと布のケースに入ってます。

 

全部手づくり。

四国は竹林が多ございまして、これも風土が産んだ大切な伝統工芸品なのです。

もしいつか四国・丸亀(香川県) にお立ち寄りの際は、

一枚でもお土産にお買い求めいただけますと、嬉しゅうございます。

 

夏は暑いのが当たり前。

粋にやり過ごしたいものですね、粋に。

アジア・モンスーンと共存してきた文化はまだまだ健在で、

資源は身近にこそあり、です。

 

団扇をあおぎながら、

僕の日本酒の原点、福島・仁井田本家謹醸 「鳳 金寶 (きんぽう)」 の、

ミーハー向けレーベル 『穏 (おだやか) 発泡うすにごり酒』 に、

福島わかば会のトマトを冷やしていただいていたら (このところ福島がんばろう暮らしで・・)、

台風6号は我が郷里のあたりに上陸した模様。

実家に連絡すれば、老母健在。

「なんちゅうことないな。 心配せんといて。

  昔、原発の計画止めたん覚えとうけ。 感謝しいよ、地元の人に。」

 

司馬遼太郎を真似て言うなら、

この列島はまことに繊細かつ剛毅ななでしこ精神文化を醸成してきたものである。

ちょっと・・似てないか。

 



2011年7月18日

なでしこに感謝

 

なでしこ、おめでとう!

なんという精神力。

ドイツ、スウェーデン、アメリカと、でかい強豪を相手に2試合が延長戦という

タフな試合を走り抜いた。

しかも何度やっても勝てなかったアメリカに対して、

追いついて、延長でまた追いついて、最後はPK戦で勝利をもぎ取った。

ドラマチック過ぎる。 泣いちゃいましたよ。

しかも被災への友情に感謝するあの横断幕。 世界中が喝采している。

僕も腹の底から、ありがとう! と叫びたい気持ちになった。

それにしても澤選手の、あのゴールは何だ? すご過ぎないか。

 

ついでに、魁皇さんにも、おめでとう!

65点人生を歩むワタクシにとって、貴方は人生の師です。

今場所はホントにつらそうだけど。

 

わが社にも慎ましながら、記録がひとつ。

幕張本社の6月の電気代が、何と前年比63%!という数字が出たのだ。

蛍光灯を半分に減らし、なおかつ自然光でやれる間は我慢する。

電気ポットを撤去し、冷蔵庫もサンプル保管用に限定した。

空調も時間短縮で、残業には昭和の頃のように団扇 (うちわ) が必須となっている。

最近は扇子の絵柄もいろいろ出てきてなかなか面白いけど、

四国人の私は、丸亀の団扇にこだわっている。

粋なうちわ、というのもあるのである。

 

べつにこれまで自堕落に電気を浪費してきたわけではないと思うのだが、

テッテー的にやってみようとトライしたら、37%減の達成。

電力は足りている、という計算もあるけど、

やれるだけのことはやってみよう。

この夏を豪胆に乗り切る、と宣言したのだ。

いざやってみれば、発見もある。

感動は与えられなくても、楽しく汗をかいてみよう。

ここで気持ちが前向きになれるのも、なでしこ効果か。

 



2011年7月15日

しあわせな食事のための映画たち

 

  -  という名の、映画の連続上映会が開催されている。

しあわせな食事のための映画たち

                                                                                    (イラストは 平尾香さん

主催は NPO法人 アグリアート さん。

神奈川県や逗子市、逗子市教育委員会が後援に名を連ねていて、

大地を守る会も協力している。

 

場所は神奈川県逗子にある 「シネマ・アミーゴ

オーガニックな食事を楽しみながら映画鑑賞ができる シネマ・カフェ 。

夏の日差しを浴びて目も眩むような湘南の、浜辺の通りの一角にある。

 

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先週の土曜日(7月9日)、

この連続上映会のプログラム2 - 「オーガニックの哲学」 の初日に

トークを依頼されたので、出かけてきた。

プログラム2 で上映された映画は、

『根ノ国』 と 『みんな生きなければならない』 の2本。

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住居を改造してつくられたカフェ&ミニ・シアター。

余計な手が入ってないナチュラルな感じの庭。

ぼんやりと眺めながら癒される。

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お客さんは10人ほどで、 まずは2本の映画を観賞する。

 

根ノ国 -1981年、制作:菊地周。

陸上の生物は、特殊な文化で暮らすヒトなど一部をのぞいて、

およそみな土に帰り、土を肥やす。 

その土の中では、無数の虫や微生物が小さな宇宙を織り成している。

1グラムの中に1億ともいわれる生命が互いを食べ合いながら共生し、

豊穣の土が作られていく。

植物の根もそこから養分を吸収し、かつたたかいながら生きている。

そして動物は、太陽エネルギーと土の力で育つ植物に支えられている。

つまるところ、陸上の生命はすべて土の生命力に依存しているのである。

健全な土の中では自然の理が働いていて、独裁者の登場を許さない。

この  " 根の国 " 、ミクロの生命循環を可視化させた作品。

人はなぜ、なんのために、この世界を壊そうとするのか、という問題提起でもある。

 

みんな生きなければならない 』 -1983年、制作:菊地文代。

世田谷区等々力で有機農業を営む大平博四さんの農場を舞台に繰り広げられる

生きものたちとの共生の世界。

農薬の害を自らの病いによって感じ取った大平さんは、

昔ながらの堆肥づくりに還り、土を蘇らせた。

そこではトリもムシも仲間である。 害虫と益虫の区分すら不要になってくる。

そして大平農場の循環を支えるのは、「若葉会」 という消費者組織の存在である。

 

上映終了後、スクリーンが上がり、

お昼前の自然光が部屋を包むように入ってくる。

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ここで30分ほどお話をさせていただく。

主催者であるNPO法人アグリアートの事務局長・畠山順さんからは

「この映画をスタート地点として、どのように話が向かってもよい」

と言われていた。

かえってプレッシャーだよね。 

 

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2本の映画は以前にも観たものだが、改めて一緒に観たことで、

湧いてくる感慨があった。

そこで想定していた話の段取りを変えて、こんなふうに始めさせていただいた。

 

今日の上映会でスピーチをさせていただくことは、

自分にとってとても光栄なことだと感じています。

なぜなら、私が大地を守る会に入社したのが1982年の秋のこと。

 『根ノ国』 がつくられたのがその前年で、入社して早々に、

先輩から、この映画は観ておくようにと勧められました。

また同時に、「生物みなトモダチ」 制作委員会という会から

映画制作へのカンパの要請が入ってきたように覚えています。

その映画が完成したのが翌83年。

この二つの映画は、私の原点に重なるものです。

この場を与えてくれたことに感謝申し上げたい。

 

実は私が有機農業の世界と関わるようになったきっかけは、娘のアトピーでした。

しかし妻が決意を持って始めた食事療法を、私は当初信じていませんでした。

それが食材から調味料まですべて切り替えて続けたところ、

娘の症状がだんだんと改善されていくのが見えたのです。

そしてある日、当時はまだほとんど世に出回っていなかった、

有機米でつくった 「純米酒」 というのを購入して飲んだ時、

私はこの運動は本物だ! と確信し、履歴書を持って大地を守る会を尋ねたのです。

20代半ばの決断でした。

(娘じゃなくて酒かよ・・・・・という視線を感じ)

ま、まあ、え~と、そんな不純な動機は置いといて、

食を生産する世界が消費者の知らないところで変質させられていくなかで、

負の側面が子どもに現われ始め、かたや有機農業の世界では、

生命の土台に対する科学的な解き明かしの作業が始まっていた。

 

その後またたく間に 「アトピー」 という言葉は社会に広がり、

有機農産物もまた数少ない先駆者の運動から

社会的に認知される時代へと飛躍してゆきます。

1980年代の初頭、そんな時代変化の予兆を背負って登場したのが、

このふたつの映画だったように思います。

 

あれから約30年という年月が経ち、

大平博四さんは3年前に亡くなられましたが、

5年前に有機農業推進法の成立という、

国が有機農業の価値を認め、それを推進するための旗を振った、

そんな時代の変化を見せられただけでも、

後進の一人として、よかったかなと思っています。

 

あとは映画の世界と重ね合わせながら、

生命の歴史から見た土の役割やら、生物多様性の意味やら、

舌足らずにお話しさせてもらい、最後に

放射能汚染に対する有機農業の力について、希望を述べさせていただく。

私たちの生命を守ってくれるのは、微生物たちの力をおいて、ないように思う。

土を保全し生命の健全な循環系を育む有機農業こそ、

一縷の、しかし確かな希望だと私は確信するものです。

 

そしてなお、その世界を支える鍵は、「消費」 というつながりです。

大平農場に 「若葉会」 という消費者組織があって支えているように、

消費という行為を通じて、どの生産(者) とつながり、どの環境を支えるのか、

そういう  " つながり "  の意味が、いっそう深く問われてくるように思います。

 

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ま、そんな感じで生意気な話をさせていただいたのだが、 

さて驚いたのが、この会場に映画の制作者、菊地文代さんが登場したことだ。

 

大先輩にひたすら恐縮する若者の図。

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30年近く経っても、まだ観ていただける方がいるだけでも幸せなことだと、

菊地さんは謙虚に語る。

いやいや、充分にその生命力は衰えていないです。

自分の原点であることを、感謝とともに伝えることができて、

想定外の感激の一日になった。

菊地さんは今も若葉会の会員として大平農園を支えている。

 

帰りがけに見た、湘南の海。

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こう見えても海で育った血は、僕のDNAである。

胸をざわめかせながら会社にトンボ帰りするわが身の貧しさが、悲しい。

 

「しあわせな食事のための映画たち  -未来のこどもたちへ- 」

プログラム3は、「都市と農業」。

8月13日に、吉田太郎さんがキューバを語ります。

第2期は9月10日から11月18日。

「森と海と食」 「水はみんなのもの」 「種子と農業」 といったプログラムが続きます。

今度はまったくの客として、寺田本家の 「五人娘」 の生酒など飲みながら

楽しませてもらえたらと思うのであります。

 



2011年7月12日

畜産物&乳製品生産者会議 -ここでも放射能の勉強

 

続いて、ふたつ目の生産者会議報告を。

 

7月7日(木)、小暑、七夕の日。

東京は神宮にある日本青年館の会議室で開かれた

「第5回畜産物生産者会議 & 第6回牛乳乳製品生産者会議」。

つまり畜産と酪農の合同会議だ。

 今回のテーマは

「畜産物の放射能汚染の影響について」。

 

畜産・酪農家の間で牧草の汚染に対する不安が広がっている。

自身の行為とはまったく関係ない要因に対しても配慮しなければならない

時代になってしまった。

被害者が加害者にもなってしまう放射能社会。

もはや食の生産者として、「知らなかった」 ではすまされなくなっている。

 

ということで、

まずは放射能とその影響について、正確な理解をもつことが必要である。

講師としてお願いしたのは、原子力資料情報室共同代表の伴英幸さん。

 

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お話は、放射能の基本知識から始まり、

福島原発事故の概要とその影響について、

被曝ということの正しい理解、

食品への移行や暫定基準値をどう見るか、 

そしてこれからの放射能環境をどう生きるか・・・・。

 

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さすがに集まった生産者たちは真剣である。

質問もいろいろと出るのだが、

たとえば、放射能の影響は動物に対しても同じだと考えていいのか?

という基本的な質問ひとつとっても、

いかんせん、こと家畜や肉への影響についてはデータがあまりになくて、

分かっていないことだらけのようなのだ。

放射線の影響は原理的には人間と同じはずだが、

牛や豚がどれくらいの時間で、どれくらいの割合でガンに罹るかなどは、

過去にも調査されていない、いや 「少なくとも私は見たことがない」 と伴さん。

チェルノブィリ原発事故によって人に影響が出始めたのが5年。

だとすると、そもそも影響が出る前に出荷されることになるだろうか。

 

ではそのお肉は大丈夫なのか。

粗飼料(ワラなど) から筋肉への移行係数は示されていて、

たとえば、放射性セシウムの牛肉での暫定規制値 500ベクレルを超えないためには、

粗飼料の許容量は 300ベクレル/㎏ となる。

しかしこれも正確かどうか分からない。

牛肉の規制値自体も 「暫定」 であって、含まれている以上、

食べ続ければリスクは高まっていく。

 

福島の農家と飼料用の稲で契約したが、使って大丈夫でしょうか?

-水田では土壌の濃度が5,000ベクレル以下なら作付が認められたが、

  最終的に稲を測って判断するしかないのではないだろうか。

 

では規制値以下であれば、餌に使って、消費者は食べてくれるでしょうか?

----- これは伴さんが答えられるものではない。

しかし流通者としては、彼らの悩みに少しは応える義務もあるように思い、

マイクをお借りした。

モヤモヤとしたまま帰らせるわけにもいかないし。

 

法律上 「作ってよい」 「使ってよい」 ものであり、

私が調べたところでも、作付可能土壌から稲の子実への移行は規制値より

さらに10分の1から100分の1レベルになると推定できるので、

現時点で、その契約農家の稲を使うなとは言えない。

最終的には収穫物を測定して判断することになるけど、

その際には、規制値を根拠にした単純な判定では実はすまなくて、

わずかでも残留が認められた場合、それを使うには、

我々の思想とモラルが問われることになるでしょう。

・ このレベルなので使わせてほしい。

・ 使うことで、その農家とともに  " 農地の再生・浄化 "  に取り組みたい。

 それが将来につなげるための、我々の使命だと思う。

- と、強い気持ちで生産者の姿勢を語れるのなら、私は支持したい。

  きちんと情報を開示して、思いも精一杯語って、売りましょうよ。

 

この生産者や販売者に対する評価は、

消費者と言われる方々に一任するしかない。

 

みんなの悩みは深い。 

しかし、明解な答えはない。 

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質問する、中津ミートの松下憲司さん。

 

除染についての質問も挙がる。

微生物が放射性物質を分解するとか無害化するとかいい情報があるが、

有効な微生物はあるか?

-食べる微生物はいるが、それは核種が微生物に移行したものであって、

 基本的に元素が分解されるということはない。 

 放射性物質である以上、その害が消える (無害化される) ことも考えられない。

 ただし、食べる人の健康のために、食用部分に移行させない、

 ということを第1の目標にして利用することを否定するものではない。

  まだ分かってないことも多いので、いろんな試験をやることは必要だと思う。

 

ナタネでは、種には放射性物質は移行しないので、油で使うことは問題ない。

ただし、除染という効果で考えると、データで見る限り、

実はそんなに吸収されていない。

ゼオライトなどは有効性が認められている。

ただし、いずれにしても移行 (吸収) したものの最終処分は、

現在のところ、埋めるしか方法がない。

 

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なかなかしんどい会議だった。

 

安全をお金で買える時代ではなくなってしまったが、

大地を守る会CSR運営委員会の消費者委員の方が最後に語ってくれた言葉で、

少しは救われただろうか。

 

  私はずっと、買う (食べる) ことで生産者を支えていると思ってきた。

  震災の翌週、さすがに今週は宅配は来れないだろうと諦めていたが、

  当たり前のように配送員が来た時は、涙があふれた。

  支えられていたのは、実は私のほうだった。

  これからも感謝して、食べていきたい。

 

  大地を守る会が測定結果をしっかり開示してくれることをありがたいと思う。

  この安心感は捨てがたく、素性の分からないものを買うくらいなら、

  わずかの残留なら大地を守る会を選びたいと思う。

 

  有機農業のほうが、最終的には放射能にも強かった、

  という結果が出てくると嬉しい。

 

最後の期待には、応えられると思う。

なぜなら、もっとも努力するのが彼らであり、ここにいる人たちだから。

 



2011年7月 9日

米ば守ってみせんといかんばい

 

6月29日、米生産者会議の続き。

 

菊地治己さんの講演のあと、

農産チーム・海老原から米の販売状況が報告され、

米の品種別食べ比べを行なう。

はからずも北海道産の新品種の実力が示された格好になった。

さすがに、おぼろづき、ななつぼし、ゆめぴりか、ふっくりんこ、といった

道産米品種をピッタリ当てるのは難しいと思うが、

僕の間違いは、むしろ  " まさかあの米より美味いはずは・・・ "  という

思い込みによるものである。 いやあ、北海道米をあなどってはならない。

 

続いて戎谷から、

3.11以降の震災・原発事故に対する各種の取り組み状況を報告する。

 

懇親会に入り、全国から参じた生産者が各団体ごとにスピーチに立つ。

スライドショーで全員アップといきたいところだけど、

長くなりすぎるので、すみません。

ただ、この方々だけは紹介しておきたいと思う。

関東から東北にかけて、義援金への感謝の言葉が続いたので。

 

まずは、原発事故の影響を受ける格好になった、

福島市・やまろく米出荷協議会。  

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一所懸命、安全で美味しい米づくりに励んできたのに、

ちゃんと保管してある昨年産の米まで売れ行き不振になって、

この悲しみは言葉では言い尽くせない。

でも頑張りますよ、我々は。

大地さんからの義援金で放射能測定器を買いました。

自分たちでもちゃんと測って、安全を確認しながら供給したい。

食べてくれる人のためなら何でもやりますので、とにかく食べてほしい。

安全で美味しい米をつくり続けたいのです。

 


千葉県・佐原自然農法研究会。

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液状化で浸蝕された田んぼに加えて、パイプラインもやられて、

今年の作付面積は相当減ったけれど、温かい義援金を頂戴して、

みんなで頑張っていい米作ろうと励ましあってます。

 

茨城県稲敷郡、篠田要さん。 

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壊れた家の修復にはたいして力になれない義援金額だったのに、

「本当に嬉しかったですよ、ええ。 元気が出ました。

 家は少しずつ直していきますから。」

佐原自然農法研究会ともども、積極的に職員の研修を受け入れてくれている。

 

宮城から、ライスネット仙台。

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発言している小原文夫さんは、大地を守る会CSR推進委員会の生産者委員であり、

仙台黒豚会、仙台みどり会(野菜のグループ) の代表でもある。

仲間の被災状況はまちまちで、家が潰れた生産者もある。

運営は大変だと思うのだが、

気合いはいつもの通り、力強く意気込みを語る。

 

同じく宮城、蕪栗米生産組合。 

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田んぼの被害はあちこちに発生したが、

三陸の人たちのことを思えば、たいしたことはないと言い聞かしている。

内陸の俺たちがこれくらいで負けるわけにいかないから、と

こちらも強い気持ちで前に進んでいる。

 

皆さん、こちらが恐縮するくらい深い感謝の気持ちが伝えられた。

すごい力になったことを、義援金にご協力いただいた皆様に

この場を借りてお伝えしておきたく思います。

 

もう2、3組、いってみましょうか。

秋田・大潟村から、相馬時博さん (大潟村元気グループ)。

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親父に替わって参加。

大先輩からいっぱい学んで帰りたい、と意欲満々。

いよいよ代替わりに向かって・・・とか書くと親父の喜久雄さんにどやされそうで、

やめておくけど、期待してます。

 

山形から、庄内協同ファームの小野寺喜作さん。

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小野寺さんも震災直後に宮城まで救援活動に出向いた方だ。

衝撃は大きかったようだ。 

この間二人の息子さんが就農して、未来への希望と同じだけ不安もある。

原発は止めるしかないっすよね。

 

一番南からやってきた方にも敬意を表して。

熊本・阿蘇の大和秀輔さん (大和秀輔グループ)。

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阿蘇有機生産組合の下村久明さんも、いつも一緒に来てくれる。

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ともに合鴨農法に取り組む。

北海道でやろうがどこでやろうが、米会議はゼッタイに欠かさない二人。

思いは一本である。

大地を守る会の米の生産者として、

誇りばもってですよ、米ば守って見せんといかんとですよ。

 

ありがたい存在である。

 

去年の開催地・新潟県南魚沼市から、笠原勝彦さん。 

ご夫婦での参加。

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奥様の薫さんは、何と東京育ち。

友人の結婚パーティで勝彦さんが見そめたんだそうだ。

きっと夢をいっぱい語ったんだろう。

元気な農業青年や後継者たちを見ていると、

" 嫁不足 "  なんて言葉は浮かんでこないね、いや、ほんと。

みんな素敵に輝いている。

 

最後に、地元 「北斗会」 の面々。 

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この日の食べ比べでも立証された北海道米の力。

事務局を務める(株)柳沼さんのバックアップで、

技術的進化への取り組みにも余念がない。

栽培期間の短い寒冷地・北海道の悩みは肥料ですかね。

 

おまけ。

旭川での開催ということで、乗り込んできた面々がいた。

美瑛町の早坂清彦さん。

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富良野市から今利一さん。

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今年の畑は、去年にも増して厳しいようだ。

 

中富良野・どらごんふらいの間山幸雄さんと石山耕太さん(太田農園)。

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石山さんとは、今年の東京集会での、異常気象のトーク・セッションで

ご一緒させていただいた。

いま、2月に亡くなられた 布施芳秋さん の農場も手伝ってくれている。

 

二日目はほ場の視察。

旭川で有機栽培面積を広げてきている、石坂昇さんの田んぼを見せていただく。

 

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約40町歩(ヘクタール) のうち、10町歩で有機JASを取得する。

反収(10 a 当たりの収穫量) は当初5俵程度だったのが、

今では10俵にまで達し、慣行栽培よりよく獲れている。 

 

根張りのいい、強い苗を育てるところから勝負は始まっている。 

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左は慣行栽培の苗、右が石坂さんが育てた 「ななつぼし」 の苗。

 

さらにみんなの関心は、除草機である。

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メーカーと共同歩調で改良を重ね、随所にオリジナルの工夫がみられる。

草の対策は、草を出さないこと、つまり種を落とさせないことだ。

 

実演する息子の寿浩さん。

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初期にきっちりと取る。

分けつを旺盛にし、穂数を増やすのが北海道の米作りだとのこと。

 

解散前に記念撮影。

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厳しい年だけど、力を合わせて、前を向いて、頑張りましょう。

 

最後にこいつら。

新潟・オブネットの武田金栄さんを中心に集まってきている若い生産者たち。

「元気のいい若手農家で 『新潟イケメン会』 を結成しました。

  ブランドになりますので、ヨ・ロ・シ・ク!」

 

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ポーズまで決めちゃって、その明るい自信は、褒めてやる。

ただし、新潟+イケメン、というだけで付加価値はつけられないからね。

君らが米のおまけでついてくるワケじゃないし。

個人的には、隣のオヤジのほうがインパクトあると思うぞ。

ま、負けないで頑張ってくれ。

 

どこよりも豊かな田んぼ、そして安全でおいしいお米づくりで競いながらも、

大きな輪をつくっている仲間でもある。

明日に向かって、一緒に走り続けようじゃないか。

 

米ば守ってみせんといかんばい!  だよね。

 



2011年7月 8日

北海道でお米の生産者会議

 

暑いですね。 政治は寒いですが。。。

 

寒いけど、クーラーの役目は果たしてくれないようで・・・

ま、政治へのコメントは避けます。 深読みしてもしょうがないし。

僕らは、やるべきことを急ぎましょう。

この夏を、生産的な汗で、豪胆に乗り切りたい。

 

では、ふたつの生産者会議の報告を-

まずは6月29日(水)~30日(木)、

北海道旭川市で開催された 「第15回全国米生産者会議」。

年1回、各産地を回ってきた米の生産者会議も、

ついに北海道での開催の運びとなった。

今や北海道の米は、内地(死語か・・) の生産者にとって、脅威なのである。

気がつけばこの20年の間に、

美味い! と言わせる米が続々と名乗りを上げてきたのだから。

見てみようじゃないか、その現場を。

 

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今回の幹事団体は、各種の道産米を作ってくれている 「北斗会」 さん。

挨拶するのは、会長の外山義美さん。

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北海道にいても、震災の影響には深く心を痛めている。

東北の人たちに思いを馳せながら、気持ちの晴れない思いで米を作っているようだ。

挨拶にも気持ちがこもっていて、

ああ、今年の生産者会議は仲間との連帯感を確かめ元気を与え合う年だ、

と感じ入る。

 

で、北海道の米の進化について、である。

講演をお願いしたのは 「農業活性化研究所」代表、菊地治己さん。

長く北海道産米の品種改良に尽力し、

この春に上川農業試験場長の職をもって退職された。

演題はまさに、「おいしくなった道産米の秘密」。

 

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北海道で稲作が本格化して130年。

厳しい自然環境にもめげず、戦前の新田開発、戦後の食糧大増産時代を担いながら、

1970年代からの減反政策で北海道の米作付面積は半減した。

量から質へのたたかいが始まる。

1980年、当時の横綱 「コシヒカリ」 「ササニシキ」 を目標とした

「優良米の早期開発プロジェクト」 がスタートする。

 

取ったのは 「成分育種」 という手法。

米の食味を左右すると言われるアミロースと蛋白質の含有量を測り、

値の低いものを選抜していくのである。

選抜した種で幾通りもの交配を行ない、最初の頃は沖縄・石垣島に送っては

年4作 (1年で4年分) というスピードで進めたが、

その後試験場内に巨大なハウスをつくってからは年3作のペースで

栽培試験-選抜-交配-栽培試験を繰り返してきた。

それでもって、世に出るのは何万分の1という世界なのだそうだ。

菊地さんは、朝、昼、夕に〇種類の米を食べ、夜は仲間と酒を飲んではラーメンを食って、

深夜にまた数種類の米を食べる、という日々を過ごしたという。

おかげで胃袋を失った、と。

 

北海道内4つの農業試験場 (上川、中央、道南、北見)上げての

育種プロジェクトの成果は、1988年の 「きらら397」 の登場から始まり、

1996年の 「ほしのゆめ」 で念願のササ・コシ級の評価を獲得し、

「ななつぼし」 「おぼろづき」 を経て、2008年 「ゆめぴりか」 へと至る。

 

しかし今、菊地さんは思っている。

プロジェクト発足から30年。 食味に関しては当初の目標をクリアしたかもしれない。

しかし良食味品種は耐冷性や耐病性に難がある。

また、ただ食味を追求して低蛋白・低アミロース一辺倒の育種戦略だけでなく、

蛋白は必要な栄養源なのだから、高蛋白・良食味の視点もあってよいではないか。

あるいは、アレルギーの出ない昔の品種-「ゆきひかり」 のような品種も

見直す必要があるのではないか。

 

開拓時代の北海道を支えた 「赤毛」 という品種の米がある。

まずい米だと思っていたが、去年食べたら美味かった。

「ゆきひかり」 は、腸の粘膜を保護して善玉菌を増やすことが分かってきている。

昔の米は (その地に根づき、その地の) 日本人の腸を守ってきた、

のではないだろうか。。。

 

定年退職後、菊地さんは改めて人生のテーマを設定されたようだ。

有機農業を北海道農業のスタンダードにしたい。

脱原発に方向転換させ、自然エネルギーで真に豊かな北海道を実現させたい。

そして野望は、大麻の普及だとか。

大麻といっても産業用大麻のことで、プラスチックや繊維の原料として、

あるいは食品や自然エネルギーの素材として、菊地さんは着目している。

 

また新たな知己を得て、僕らのネットワークはこうして広がってゆくのである。

 

・・・続く。 お休みなさい。

 



2011年7月 3日

ウェザーニューズさんの 『栽培天気』

 

6月25日付日記でお詫びした 「たんぼスケープ」 への投稿について、

管理者のアラカワケンスケさんから、

ⅰPhone からのメール投稿にも対応したとのコメントが入っています。

@i.softbank.jp の方はOK とのこと。

もしその他にお使いのスマフォで投稿できない場合は、

お使いのスマフォの機種を教えていただければ大変助かります。

すみません。 私が最新動向についていけてなくて。

 

また最初に 「投稿できない」 の連絡を頂いた Y さんこと

ゆきんこ@ゆいまーる さん。

通常のケータイからエラーの返事もなくアップもされないというのは

何か不具合があるのかもしれません。

引き続き調べておりますので、時折でも投稿してご確認いただけると、

これまた大変助かります。

 

横浜の舞岡公園をフィールドに活動を行なっている

ゆいまーる さんも、今年の米作りには格別の思いを抱かれたようですね。

HPで書かれていた言葉には、深く共感を覚えました。

 

  みんな生きなければならない。

  その場所で今もなお暮らしていくことを決めている以上は、

  土(大地)とのつながりを、断ってはいけない。

  この自然とのつながり、営みは続けなければいけない。

 

実り多い一年になりますよう祈念しております。

 

さて、先週の金曜日(1日) のこと。

大地を守る会と同じ千葉・幕張テクノガーデンに本社を置く

世界最大の気象会社 「ウェザーニューズ社」 の方がお見えになり、

新しくオープンした 『栽培天気』 なる携帯サイトの紹介と説明を受けました。

実は、農業や栽培に関連した気象関係の部署の方とは、

たまに情報交換などさせていただいているのです。

 


この 『栽培天気』 なるサイト。

農業を営む方や、家庭菜園を楽しむ方向けに作られたもので、

次のような機能があります。

 

1.作物の生育状況を写真付きで報告して(栽培レポート)、

  ご自分専用の  " 栽培日誌 "  を作成できる。

2.そのレポートや日誌を全国の利用者と共有し、

  栽培のノウハウや面白さを伝えあうことができる。

3.作物を自然災害から守るため、強風や豪雨、霜など、

  作物に影響を与える悪天候が予想される場合に、事前に

  利用者の携帯メールにお知らせするサービスも利用できる (月額315円)。

4.栽培で困ったことが起きた場合に、" 助けてボタン "  を利用すると、

  それを見た方 (プロ農家など) からアドバイスを受けることができる。

  また逆に、自分のノウハウを伝授することもできる。

 

詳細は、ウェザーニューズ社のプレスリリース (上記の 『栽培天気』 をクリック)

を見ていただくとして、要は

作物の栽培に携わるいろんな人たちとつながることで、さらに栽培が楽しくなり、

また田畑を自然災害から守り、イイ作物づくりにも貢献できる、

というコミュニティ・サイトとしてつくられたものです。

 

本サイトご担当の方の話によれば、6月20日にHPでリリースしてより、

毎日100名強くらいのペースで登録者が増えており、

予想以上の手応えだと。

ただし、、、これがなんと 「たんぼスケープ」 と同じで、

まだ通常の携帯 (フィーチャーフォン) しか対応できない、というのです。

フィーチャーフォンとスマートフォンは構造がかなり違っていて、

世界のウェザーニューズ社をもってしても、

いま急速に普及してきているスマフォにも同時対応する設計は困難だったようです。

「ようやくスマフォ対応のノウハウが蓄積されてきているところです。」

 

へ~え、そういうものなのか・・・・・

知識のない僕は、アラカワ君に 「早く何とかしてよ~」 とか言っちゃって、

きっと腹の中で、チッ、ど素人が・・・ とか思われたんでしょうね。

アラカワ様、大変失礼いたしました。

 

ウェザーニューズ社の方とは、このサイトをネタに

色々と情報交換をさせていただいたわけですが、

プロ農家にとっても有用なサイトに発展させるために、

お役に立てればいいなと思った次第です。

 

生産者の皆様、家庭菜園を楽しむ皆様、あるいは

ゆいまーるさんのように田畑をフィールドにして活動されている方々も、

一度アクセスしてみてはいかがでしょうか。

そして、ご意見いただけると嬉しいです。

 

おそらくスマフォ対応が完成するのは、

「たんぼスケープ」 も 「栽培天気」 も同じ頃になるような気がします。

 



2011年7月 2日

今日も悶々と放射能対策を学ぶ

 

今日も一台のトラックが被災地に向かって走っている。

職員の間で 「復興大臣」 の異名をとる吉田和生 (畜産水産グループ長) が

自ら配送車に食料や物資を積んで、

炊き出しボランティアとして昨夜から宮城・石巻に向かった。

かたや、僕が担当する専門委員会 「米プロジェクト21」 (略称 「米プロ」)

のスタッフは、夏の白神山地の自然散策と

大潟村の田んぼ見学を兼ねたツアーを実施してくれている。

硬軟織り交ぜながら、土日も何だかんだとせわしない、いや

元気な組織だ、ということにさせていただこう。

 

では、お前は何をやっているのかと問われれば、

また今日も、土壌の放射能対策についての研究会に参加していたのだった。

今回は日本有機農業学会のテーマ研究会 「放射能汚染と有機農業」 。

場所は池袋にある立教大学。

何度聞いても、状況への理解は深まっても、

特効薬のような処方箋を出してくれる専門家はいない。

しょうがないね。 そういう手に負えない厄介モノを放出させてしまったんだから。

 

それならそれで、一つ一つ丁寧に結果を検証していくしかないのだが、

とにかく、各地の生産者の取り組みが無駄にならないように、

また間違わないようにしたいと思うのである。

そして早く、全体的な除染対策の見通しを立てたいと思う。

 


悩ましいのは、森林に降った放射能である。

表層の腐葉土がしっかりセシウムをつかんでくれることで、

水系の汚染をガードしてくれているのだが、

一方で落葉を利用することには不安が募る。

地域の自然資源を活用する循環型の農業のほうが、

かえってリスクが高まる恐れがある、と指摘されたりするのだが、

では自然資源利用はやめて購入資材に頼ればよいというものでもないと思う。

水田なら、一定のほ場内循環 (生物多様性が肥料分も生産する世界) が

可能かもしれないと思ったりはするが。

 

もっと奥深い世界が、この迷路の向こうにあるのではないか、

という気がしてならない。

追求したいのは、微生物の力、そして醗酵という世界、である。

 

今、大地を守る会では放射能の測定体制を構築中だが、

体制が整った暁には、

ただ入荷する食品を3段階で検査する (安全性を確認する) だけでなく、

生産者の様々な取り組みや試験を、測定という科学でバックアップしながら、

新しい扉をこじ開ける力も獲得したい、と思うのである。

 

復興大臣・吉田と相方の嶋田 (会員サポート・グループ長) は、

今日は石巻で  " お酒抜き "  の夜だ。

米プロの西田と大熊は、ライスロッヂ大潟の生産者たちと

楽しく語り合っているのだろう。

僕は、悶々としながら面白くない論文を読んでいる。

 

3.11以降、消えてしまったオイラの休日を返せ! と叫びたい。

いや、そうじゃない。

すべての人の平穏を返せ! だ。

 



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