2011年8月31日

自戒をこめて-「メルトダウン後の世界を結い直す」

 

   原子力利用の長い道のりは、目前の目的のためにあせればあせるほど、

   ますます遠い見果てぬ夢となっていく。

    原子力はまだ人類の味方でなく、恐ろしい敵なのである。

 

武谷三男編 『原子力発電』(岩波新書) の冒頭の一節である。

発行されたのは1976年2月。

変色してカビ臭い新書本の序文の最初の2行に、赤線が引いてある。

振り返れば、四国の漁村から上京して、

住み込みで新聞配達をやりながら浪人生活を送っていた頃に、

僕はこの本に出会っている。

郷里が原発誘致計画で揺れていたこともあって、本屋で手にとったような、

今となれば微かな記憶しかない。

3.11を経て、5月に入ったあたりから、

合い間をぬって高木仁三郎さんや武谷三男さんの著書を読み直していて、

僕は30数年ぶりに、忘れていた言葉に再会した。

 

僕には武谷三男という巨人を語る資格は一片もないが、

この頃の武谷さんは、核兵器に反対しながらも、

その平和利用の可能性は否定していなかった。

しかし、であるからこそ、原子力の怖さや技術的・社会的問題点を訴えなければ、

という意思に溢れていた。

この問題点をクリアできなければ、原子力発電は人類の敵のままであると。

以下、いくつか言葉を拾ってみたい。

 


   私は許容量概念を根本から考え直すべきことを主張した。

   許容量とはそれ以下で無害な量ということではなくて、

   その個人の健康にとって、それを受けない場合もっと悪いことになるときに、

   止むをえず受けることを認める量であり、人権にもとづく社会的概念であることを

   明らかにして闘った。

 

   絵に書いたモチを現実のものと見あやまる歴代の原子力委員長のならわしが

   ここにはじまった。

 

   初期にはエネルギーは厄介な副産物として、大気中や川の水の中に棄て去られていた。

   エネルギーが注目されるようになったのは、原水爆の軍備が肥大化して、

   材料生産が過剰になったあとのことである。

 

   この高レベルの廃液が、原子力発電のもっとも頭のいたい存在なのである。

   それをどう始末すればよいか、まだ解決は得られていない。

   ......このいずれをとるにしても、固形化した死の灰をどこにどのようにしまっておけばよいか、

   数百年、数千年に耐える方法は全く誰にも知られていない。

 

   ......現実の日本の社会は、地域的な、あるいは階級的ないくつかのグループに

   分かれていて、リスクを受ける人々とベネフィット(利益) を手にする人々が

   別々である場合が少なくない。

   私たちが当面している原子力発電と放射線障害の場合もまさにそうである。

 

   公共の名を利用して社会全体として利害のバランスが成立すると主張している。

   こういう錯覚から開放されることが必要なのである。

   どのくらいの害なら受け入れられるか、それを決めるのは、被害を受けつつある

   あなた なのである。

 

   ......つまり、大型原子炉は人里遠く離れた所におくほかはない。

   距離というものが何よりの安全装置なのである。 

   こうして、発電炉の立地条件がもっとも信用のおける安全装置として登場してくる。

 

   高速増殖炉が成功しなければ、核分裂エネルギーは 「未来」 のエネルギー資源とは

   なりえないのだが、以上のような現状は、原子力全体がまだ

   工業実験をも含む開発研究の段階にあるということを示している。

   ......生産されたプルトニウムを燃料として還流するのはまだ試験的な段階で、

   それは将来に期待して倉庫につみ上げられている。

 

   国民の主要な蛋白源を漁業に依存しているわが国にとって、

   原子力施設と漁業との関係を、従来のように前者による漁業権の買取り、

   したがって漁業権の消滅といったやり方で処理してきたことは大きな間違いである。

   ......再処理工場には同等な環境基準が何ももうけられてないといった

   明らかな矛盾は放置しておくべきではあるまい。

   

   燃料にするためのウラン濃縮はすべてアメリカに依存している。

   ......これほど外国依存度の高いエネルギー源は他にない。

 

   現在の日本の原子力行政を最も毒しているのは、原子力基本法に盛り込まれた

   三原則の存在にかかわらず、「公開」 の原則を無視した極端な秘密主義である。

   

   基本的に 「公開」 「民主」 「自主」 の三原則を忠実にまもる以外に、

   日本の原子力の将来はなく、住民に納得される道もありえない。

 

実に長々と引用してしまったが、すべてが腑に落ちないだろうか。

しかしこれらの問題提起は、今日まで何ひとつ解決されなかったばかりか、

原発の 「安全神話」 は逆に強固に築かれていった。

スリーマイル島やチェルノブイリを経験しながら、

日本では 「もんじゅ」 や東海JCOの事故を経験しながら、

みんなの税金は湯水のごとく使われて・・・。

武谷さんが35年前に伝えた 「つきまとう死の灰」 「プルトニウム社会のゆううつ」 は、

現実の恐怖となって飛び散ってしまった。

僕らは10万年後の子どもたちからも 「責任」 を問われることになったのだ。

怒っているだけではすまないよね。

 

今からでも、ひとつずつ創り直してゆきたい。

こういうセンスから再出発してもいいか、という導きの本が出された。

脱原発社会を説く30人の提言集。

 

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懲りずに引用したくなる言葉があちこちにあるけど、

それはこの先、小出しに使わせていただくとして、

執筆人の名前だけでも列記してみれば (敬称略)-

作家・池澤夏樹、音楽家・坂本龍一、ジャーナリスト・池上彰、アーティスト・日比野克彦

社会学者・上野千鶴子、写真家・大石芳野、世田谷区長・保坂展人

城南信用金庫理事長・吉原毅、文化人類学者・上田紀行、映画監督・纐纈あや・・・

有機農業者では、山形県高畠町の星寛治、福島県二本松市の菅野正寿

そして、生産者会議でお呼びした篠原孝さんも、飯田哲也さんも、

大地を守る会会長・藤田和芳も寄稿している。

 

これだけの忙しい人たちを集めて緊急出版に漕ぎ着けた

大江正章さん(コモンズ代表) の力技にも敬服するしかない。

大江さん自ら書いたまえがきには、 「メルトダウン後の世界を結い直す」 とある。

 

そうだね。

これから10万年後に向けての再出発を。

結い直しましょう。 自戒をこめて。

 

そして、僕が身の丈を怖れず挑戦したいと思うのは、

引用した一節 -

「許容量とは・・・止むをえず受けることを認める量」 という、

武谷三男が提唱した 「がまん量」 の 限界を超えたいということだ。

 



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