2011年11月13日
食を守るとは- ベトナム体験記②
一週間ぶりに自宅に帰り、
録画してあったNHK 「クローズアップ現代」(11月8日放送) を観た。
放射能対策に挑む福島の農民リーダー、二人。
NHKなので団体名は出なかったけど、ジェイラップ(須賀川市) の伊藤俊彦さんと
「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」(二本松市) の菅野正寿さんだ。
このブログにも何度か登場している二人。
う~ん、頑張ってるねぇ。 こっちまで自慢したい気分になってくる。
備蓄米収穫祭の映像も冒頭で、橋本直弘君の「カンパ~イ!」 の一瞬が映された。
予告通り、ホント一瞬だったね。
直弘君のお父さん、文夫さんが
長年かけて作ってきた土を慈しみながら涙をこらえる姿がたまらなく切ない。
彼らの必死のたたかいを支えられる我らでありたいと思う。
さて、ベトナム体験記を続ける。
ベトナム独立の英雄・ホーチミン像や、マルクス・レーニンの絵を背にして、
大地を守る会を一つの事例としながら、有機農業というものの力と、
生産と消費のあるべき関係作りについて、発表させていただく。
大地を守る会のたどってきた歴史や企業理念に自身の経験をかぶせながら、
僕はどこかで、自分が追っている夢も語っていたかもしれない。
(それにしても社会主義国というのは偶像崇拝が過ぎる。
ホーチミンさんははたしてこんな国の形を望んだのだろうか。。。)
4ヵ所でのプレゼンは、まずは感謝の言葉から始めた。
- 3.11震災に対する世界中からの温かい支援に対して、
日本人の一人として、心から御礼申し上げたい。
拍手をいただけたことで、少しは心が通じたように思う。
(フーヴィン村でのミーティング風景)
大地を守る会の話をする前に、押えておいてほしい時間がある。
日本で農薬・化学肥料が大量に使われるようになったのはたかだか50年前、
1960年代からのこと。
そして10年もしないうちに農家の健康被害が顕在化し始め、
「農薬公害」 と言われる言葉が生まれ、
70年には有機農業運動が全国的に広がる時代に入っていたこと。
それは有機農業を認めない市場流通のあり方に対する批判から、
生産者と消費者の直接提携という形で発展した (したがって 「運動」 と呼ばれた) が、
運動のエネルギーは必然的に 「社会化」 も求め始める。
大地を守る会が誕生した1975年とは、そんな時代だったこと。
それは生産からでもなく、消費からでもなく、
「生産と消費を健全な形でつなげる」 必要を感じとった若者たちが始めたもので、
新しい仕事スタイルの創出でもあった。
そして若者たちを突き動かした動機のひとつに、
ベトナム戦争で撒かれた枯葉剤の衝撃があったことも、ぜひ付け加えておきたい。
大地を守る会の企業理念の説明では、
「安全な食」 と言わず 「第一次産業を守る」 と掲げている意味について。
ソーシャルビジネス (社会的企業) としてのミッションでは、
社会への批判で終わらせない、オルタナティブを提案する行動原理を取っていること。
たとえば遺伝子組み換え食品に反対する一方で、
地域の風土と文化に育まれた種 (品種) を、販売を通じて支えようとしていること。
大地を守る会の事業概況や歴史をたどりながら、理念を重ね合わせる。
食を運ぶとは-
" 安全・安心 " への責任を自覚する生産者と消費者をつなげ、
支え合う " 関係を育てる " 仕事であること。
価格の前に " 価値を伝えられる流通 " でありたいと思い続けていること。
たとえば、無農薬の米とは、水系を守ってくれている米である、みたいな。
したがって生産と消費の交流・触れ合いは欠かせない運動であり、事業の一環である。
またグローバル化する世界にあって、
私たちもまた同じ思いで歩んでいる世界中の人たちとつながる必要がある。
生産者にその思いさえあれば、流通は作れる。
道に迷っている若者を数人たぶらかせば、いや、その気にさせればいいのです。
最後の、郡の人民委員会でのプレゼンでは、特に気合いを入れた。
日本で今、新しい農業者を育てているのは、有機農業です。
消費者に安心を与えているのは、有機農業です。
有機農業とは、国土と、国民の健康を守る運動なのです。
食を守ることは、国の自立に関わる重要な課題なのです!
日本では5年前にようやく国が有機農業の価値を認め、
有機農業を推進する法律が成立しました。
有機農業運動の萌芽期から35年かかりました。
この時間と経験を参考にしていただけるのなら、喜んで協力したい。
(枯葉剤と戦い抜いた) 皆さんの強い意志とエネルギーをもってすれば、
10年もかからず成し遂げられるんじゃないでしょうか。
日本からの、もう一人のプレゼンテーター、
京都・太秦(うずまさ) で有機農業を営む長澤源一さん。
この方もやはり農薬禍によって体を壊し、有機農業に転換した。
まったく収穫できなかった暗黒の時代から20年。
今では京都・嵐山の吉兆や、一流といわれるレストラン・卸から引き合いがある。
「値段はすべて自分がつけます。 それだけのものを作っているという自信があります。」
強気の関西弁が少々憎たらしい。
長澤さんは、同志社大学で有機農業塾を開講する先生でもある。
僕の言う 「次世代農業者を育てているのは有機農業である」 は、間違いない。
カンボジアで有機農業者をネットワークし、
有機米を海外に輸出するまでに成長しているCEDAC(シダック)
という団体のダルンさん。
エリート家庭の御曹司らしいが、
この仕事にやりがいを感じて、" こっち " の世界に来てしまった。
カンボジアでもソーシャル・ビジネスが生まれ、成長している。
有機農業で野菜や米を作るティブさん。
少し照れながら、しかし堂々と、いろんな苦労話を笑顔で語る。
気品を感じさせる、素敵な女性だった。
タイからの報告者は洪水で欠品となったが、
こうやってアジアの有機農業団体をつなげ、コーディネートする
伊能まゆさんの馬力には脱帽させられた。
自ら動き、プレゼンし、通訳から解説まで、一人でこなした。
成果が見えてくるには、まだ時間がかかることと思うが、
体に気をつけて頑張ってほしい。
この風景の裏にも様々な悩みが隠されているのだが、
未来に幸いあれ、と願わずに入られない。
楽しく拝読いたしました。
自身も、十分ベトナムを堪能致しました。
またの機会を楽しみにしています。
長澤源一