2011年12月 3日

有機農業40年、次の時代を拓くのは誰だ!

 

お前ら、甘ったれてないか!

腹の中で、そう言いたくなった。

 

昨日は終日、蒲田。 

12月2日(土)、アイフォーム (IFOAM,国際有機農業運動連盟)・ジャパン

第1回セミナー は、円卓会議という形で行なわれた。

会場は 「大田区産業プラザPIO」 コンベンションホール。

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この国で、有機農業が運動として展開されるようになって40年の月日が流れた。

大地を守る会が設立して36年。

有機JAS制度がスタートして10年。

有機農業推進法が成立して5年。

国が表示規制だけでなく、有機農業の旗を振るようになって、

全国各地に有機農業推進協議会が発足し、

有機農業を目指す若者たちが増えてきたにもかかわらず、

どうも有機農産物の普及が進展しない。

しかも原発事故-放射能汚染というとんでもない世の中になって、

地域資源の循環を担うはずの有機農業が  " かえって危険 "  とか言われてしまう、

そんな状況が生まれてしまった。

この未曾有の事態を、有機農業はどう乗り切れるのか-

 

この40年の発展を各ステージで牽引してきた団体のお歴々が一堂に会して、

過去の失敗から現在の課題までを共有して、次代に向けての展望を語り合う。

そういう趣旨での招聘(しょうへい) なのだろうと受けとめて、パネラーを引き受けた。

-というより押しつけられた。

でもまあ、慣れてる。 僕はずっとこんな役回りだったし。

 

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居並ぶ先達たちの御説はすべてごもっとも、である。

後継者育成が急がれる、有機農業の技術的課題の克服、

認証制度の問題点と新たな視点への模索、裾野を広げるための戦略、、、

僕は 「放射能汚染への対応」 というテーマで7分の時間を与えられたが、

喋っている途中で制止された。

 

午後からの、会場と一緒になった質疑で、

どうも消化不良な感じで聞いていたのだが、頭にきたのが、次世代からの発言だった。

甘えてないか、お前ら! と思ったのだ。

 


曰く-

「 有機農業で研修中だけど、貯金を食いつぶしている。

 もっと有効な助成制度がないと自立も難しい。」

「 これまでの40年は普及できなかった時代。 問題はロジスティック(物流) です。

 これからは農協や一般マーケットにも買ってもらうための販売を考えたい。」

「 若手の就農者としては、今日の参加費は何だったのか、という気持ちになる。

 誰にどう普及しようとしているのか、何も見えてこない。」

 

聞いていて、思う。

その通りだ。 その通りだけど、いい加減にしろ。

このテーマは、みんなに、つまり自分にも、問われていることなのだ。

僕も若い頃から生意気な口をきいてきたけど、

結局は自分で切り拓かないといけないテーマだと思ってやってきた。

そう思ってやればやるほど、先輩の苦労が分かってきたものだ。

まだ苦労が足りん。

 

思わずマイクを取って語ってしまったけど、はたして理解されただろうか。。。

 

僕が大地を守る会に入社したのが1982年。

あの時、おふくろは電話の向こうで、こう言って泣いた。

「ほんな仕事させるために大学にやったんとちゃうわ! 帰ってきい、親不孝もんが!」

僕自身、ドロップアウトしちゃったかもしれない、と正直ふるえていた。

あれから29年、四国の片田舎で、母は息子を誇りに思ってくれている。

 

歴史的に見れば、間違いなく有機農業は拡がったのだ。

然るべき発展を辿ってきた、と言い換えてもいい。

しかしそれは平坦な右肩上がりではなかった。

壁にぶち当たっては新たな仕掛けをして、大きくしてきたものだ。

「普及できなかった40年」 といった I 君へ。

君がここに来れたのは、君のお父さんが大変な苦労をしてレールを敷いてくれたからだ。

そのことが分からないヤツに、正統な戦略は降りてこない。

 

85年、夜間の宅配を始めたときのことを思い出した。

これは組織の命運がかかっていると思ったものだ。

昼間の共同購入の配送から帰ってきて、トラックを掃除して、また夜に配達に出た。

会員を増やすために、当時の調布センターから周辺の住宅をくまなく回って

訪問営業した時期もある。 あれは辛かったな。

こんなに知られてないのかと思った。

「大地を守る会」 と名乗って、不動産屋に間違われたり、

ヤバイ宗教団体と思われて百10番されそうになったこともある。

まあ、知らない人にとっては、そんなものだろう。

(「大地を守る会」で不動産屋を連想した人は、いま思えば、とても 「いい人」 だと思う)

 

当時、宅配を始めた 「大地」 は潰れる、と噂されたものだ。

しかし、その3年後に誕生した宅配組織 「らでぃっしゅぼーや」 とともに僕らは急成長した。

「らでぃっしゅぼーや」 さんの農産物は、当初はすべてこちらから手配した。

なんでライバルのような会社の設立を支援するのか、、、

ほとんどの人は理解できなかったように思う。

でもこれによって有機農産物市場は拡大し、生産者の増加を牽引したことは間違いない。

運動は 「食のスタイルの提案」 と言われるようになった。

これには、したたかな戦略と運動の結実があったのだ。

 

当時の仕掛け人、徳江倫明さん。 今日は司会役である。

入社当時、理不尽にシゴいて下さった一人。

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助成金制度がほしい。

なんで農協や一般市場を巻き込めなかったのか。

新規就農者はこんな会議に出たくても出られない。。。

 

文句ばっか言ってんじゃないよ。

今は、有機農業推進法で生産能力が高まって、

成長のバランスが並行して進んでない時期に入った、ということなのだ。

(あるいは、マーケットが、いや相手が見えなくなったか・・)

次の戦略は---当然、新しい人たちが切り拓くのだよ。

まったくのゼロから、しかも世間から白い目で見られた時代から築いてきた先達の前で、

言う台詞ではない。

新しい言葉と戦略を、創り出そう! 

この課題は、次の走者が引き受けるべき襷(たすき)、バトンなんだよ。

 

80年代に僕が励まされた言葉がある。

「カネはないけど創造力がある。 創造力が枯渇したら、オレたちは終わる。」

「右でも左でもなく、オレたちは前に進む。」

「未来開拓者になろう。」

 

吉田拓郎も歌ってたじゃないか。

 ♪ 古い船をいま動かせるのは、古い水夫じゃないだろう。

 

それくらいの気概を持って進もうじゃないか。

僕もまだ若いつもりだ。

地平はそこに、目の前に広がっている。 いや、待ってくれている。

 

で・・・えと、なんだっけ。

ま、いいか。 極めて個人的な、集会感想ということで。

 



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