2012年2月29日

2月の締めは庄内で

 

2月は逃げる、という言葉があるけれど、

まったくあれよあれよという間に過ぎてしまい、

エネシフ勉強会の話も、

共同テーブルで行なった白石久二雄さんの勉強会の話も、

朝日新聞のシンポジウムの話も書けず、

20日に発表した放射性物質に対する自主基準についてもフォローできないまま、

今月の締めは、山形・庄内から。

 

鶴岡に本拠を置く農事組合法人「庄内協同ファーム」 の 「第12回 生産者集会」

が昨日開かれ、僕は

「3.11後の消費者の動向と大地を守る会の取り組み」 について話をしろ、

というご指名を頂戴したのである。

講演は午後だったのだが、では午前中の会議から聞かせてもらいましょうか、

というお願いをして、 

早朝の庄内空港行きの飛行機に乗って、10時からの会議に間に合わせた。

しかし・・・ 軽い傍聴のつもりだったのだが、そこは敵もさるもの、

「来賓」 とかに仕立て上げられて挨拶をする羽目になってしまった。

 

でも午前の会議から出たいと思ったのにはワケがある。

1999年、僕は庄内協同ファームが最初にこの会合を開いた際に呼ばれていて、

有機の認証制度をどう評価し乗り越えていくか、

なんて話を偉そうにしたのだった。

80年代、協同ファームとお付き合いが始まった頃

(当時は 「庄内農民レポート」 という、たたかう農民集団だった)、

「無農薬を求めるのは、消費者のエゴだ!」 とか言い放っていた彼らが、

敢然と  " 自分たちの営農の証明 "  としてのシステム認証に取り組んだのが

2000年からだった。

99年の生産者集会は、言わばその出発点となった会議だった。

 

システム認証とは、有機JAS認証のように、ひとつの規格基準に基づいて

結果を認証するだけでなく、営農全体のプロセスも含めて、

環境対策という視点をもって認証するいうもの。

大地を守る会の初代会長である故・藤本敏夫さんが提唱し、

当時、多くの生産団体が取り組んだ。

 

しかし、書類の煩雑さや認証コストの問題に加えて、

日々の変化に追われてしまう農業という仕事の宿命もあってか、

数年で  " 精根尽きる "  人たちが続出した。

それでも、この経験は活かそうと、環境対策への基本方針やプログラムは

しっかりと自主的に継続させている人たちがいる。

庄内協同ファームもそのひとつである。

その今を確かめたい、と思って朝から参加させてもらった次第である。

 

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あれからいろんな紆余曲折があったことと思うが、

地道に発展させてきたことが読み取れる。

生産品目別に 『生産・環境プログラム』 が策定されていて、

掲げた目標に対する反省点や課題とともに、今年のプログラムが確認される。

「安心農産物生産委員会」 では、

水稲の有機栽培技術の安定に向けて各技術の検証が行なわれ、

新たな実験への取り組み計画が提案された。

また、原発問題に取り組むことが改めて提起され、

組織の 「環境方針」 に新たに 「自然再生エネルギーの活用」 という一文

を加えることが承認された。

有機JASの監査では、細かい指摘も受けたようだが、

いや実にきっちりと積み上げてきた、という印象である。

 

午後は、ふたつの講演。 

まずは茨城大学教授・中島紀一さんから、

「大震災・原発事故後の有機農業の取り組み」と題してのお話。

 

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実は99年の 「第1回 生産者集会」 も、中島先生と一緒だった。

きしくも干支が一巡したところで同じ顔ぶれになって、

新たな課題への取り組みが話し合われるという、何だかヘンな縁まで感じるのだった。 

 

中島先生はこの1年を振り返りながら、

「有機農業者たちは、本当によく頑張った」 と評価した。

当初は 「有機農産物のほうが危いのではないか」 と囁かれるなかで、

正確な現状把握と対策を立て、実験を繰り返しては新たな知見を獲得し、

逆に有機農業の力を立証させてきた。

幸い、農産物での残留はかなり低いレベルに落ち着いてきた。

有機農業の世界こそ、農の営みを再建する道を指し示すものではないか。

 

 続いて、二本松市東和地区に何度も入って

農家の声を聞き取りしてきた茨城大学・博士特別研究員の飯塚理恵子さんからの報告。

 

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丹念な聞き取り記録から、そこで暮らす農家の深い葛藤が伝わってくる。

その上でなお地域で生きることを選んだ人たちの声から、

再生への道もまた浮かび上がってくるのだった。 

 

第二部の最後は、戎谷から。

大地を守る会が行なってきた放射能対策の概要と、

新たに設定した基準についての考え方を中心にお話しさせていただいた。

一見たいそう厳しい基準を設定したかに見えるけれど、

これまでの測定データをもとに、

生産者とともに達成できるであろう指標として設定したこと。

何よりも 「子どもたちの未来を、未来の子どもたちを守ろう」 という、

大地を守る会が設立時に掲げた原点に立って考えたこと。

その上で、自主基準値を超えるもの(もちろん国の基準範囲内) が発生した場合には、

そのリスクを大人たちで引き受けることを提案することもある、

という姿勢に立ちたいと思っていること。

 

僕の結論は以下に尽きる。

「(国の)基準値未満なんだから食べてくれ」 よりも

「子どもたちの未来を守ってみせる!」 という気概を示そうではないか。

その姿勢と努力によって、つながりを再生させたい。

 

夜は、しつこい連中と飲み、議論する。

議論がいつまでも終わらないのは、ネタの問題ではなくて、

お酒の力でもなくて、人による。

 

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1日の福島での生産者会議に始まって、29日の庄内で締めた2月。

今年の東北は雪が多い。

「大雪の年は豊作になる」 という言い伝えがあるけれど、

希望よりも、雪解け後の不安が頭をよぎる。

陰鬱な陰とのたたかいは、まだまだ続くね。

 

朝日新聞の朝刊に、

2月18日に行なわれたシンポジウムの記録が掲載されたのをチェックして

庄内を後にする。

 

週末には年に一回の一大イベント

「大地を守る東京集会 (今年は「大地を守る会のオーガニックフェスタ」)」 が待っている。

 



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