2012年3月11日
大地を守る会の自主基準
あれから1年が経った。
とてつもなく長かったようでいて、あっという間の1年だった。
いまこうして 「放射能対策特命担当」 などと言われる自分が存在することに、
改めて戦慄を覚える。
去年の3月11日のあの時、僕はこの場にいた。
成田の某ホテル。
ここで、「さんぶ野菜ネットワーク」 の総会が開かれていた。
1年後の3月9日(金)、まったく同じホテルで総会が開かれた。
「今日揺れたら、呪われているとしか思えないね」
とか冗談言い合いながら、さんぶの生産者たちと、この日は楽しく過ごすことができた。
放射能の影響による販売不振は尋常ではなかったのだが、
報告された数字は、よくぞ持ちこたえた、というものだった。
この情勢下で、新規就農者も6人。
研修を終えて、晴れて組合員になった。
頑張ってほしい、なんて言ってられない。
こちらの責任も重大なのである。
今日は、日比谷公園での 311市民のつどい 「ピース オン アース」 に
参加するのもやめて、追い詰められていた原稿をやっつけた。
大地を守る会が設定した、食品の放射性物質に対する自主基準について。
会員に配布する説明パンフレットに、
設定までの道のりや思いを書け、という指令。
当会の基準の内容については HP を見ていただくとして、
この基準については生産者はじめ各方面から質問を受けたことでもあるので、
駄文ながらここにアップすることで、説明の一端にしたいと思う。
僕の中では、生産者・ H さんへの手紙のつもりでもある。
未来の子どもたちのために-
「大地を守る会の自主基準」 設定までの道のりと、お約束
東日本大震災と東京電力福島第1原発の大惨事から、1年が経ちました。
生産者の安否確認やインフラの建て直しに追われながら、
一方で放射能に向き合うという前代未聞の事態に潰されそうになったことを、
思い返しています。
あの状況下でのオペレーションに落ち度はなかったか、
検証する暇(いとま) もないまま、走り続けてきました。
福島をはじめ東日本の第一次産業は、今もって暗い陰に苦しめられています。
大地を守る会では、事故以降、
放射能汚染のできるだけ正確な実態把握 (測定体制の強化) と
情報公開に努めるとともに、生産者の対策支援に尽力してきました。
お陰さまで現在、高精度の放射能測定を可能とする体制
(ゲルマニウム半導体検出器 1台、NaI ガンマ線スペクトロメーター 6台
~うち 2台は生産地に設置) を整えるまでに至っています。
食品における放射性物質の規制に関しても、
拙速に 「規制値」 を設定せず、科学的知見の検証と、
「基準」 を遵守できる体制の確立、生産地での対策の見定めが必要である、
という姿勢に立って検証を進めてきました。
また並行して、他団体とともに 「食品と放射能問題 検討共同テーブル」 を立ち上げ、
" 基準とはどうあるべきか " について討議を深めてきました。
昨年末に厚生労働省から発表された 「新基準値案」 に対しては、
「共同テーブル」 として 「提言」 を発表し、基準の考え方を提示しました。
こういった取り組みを土台として、たどり着いたのが今回の 「自主基準」 です。
「基準」 設定にあたっては、たんに流通を規制する 「数値」 だけでなく、
放射能汚染に対する考え方を示す必要があると考えました。
それを表現したのが基本姿勢の ①~④ です。
また原因の大元である原発に対する私たちの姿勢も、改めてここに明記しました。
数値にも意味があります。
根本に据えたのが、大地を守る会の原点である次の言葉です。
「子どもたちの未来のために、美しい大地ときれいな海を取り戻そう!」
私たちはここに、「未来の子どもたち」 を加えました。
長期的な低線量内部被ばくの影響はまだ不明 (未解明) という現状にあって、
将来に禍根を残さないためにも、
「子どもを守る・守ってみせよう」 という基準でありたいと考えました。
生産者からは 「厳しすぎる」 という声も上がりました。
しかしあえてお願いしました。
食を生産する者の責任として、「子どもを守る」 と宣言しよう。
ゼロリスクはもはや無理であっても、「ゼロを目指す」 努力をしよう。
そこから 「つながり」 を再構築しよう。 「つながり」 があってこそ、
" 基準を超えた場合でも生産者を切り捨てない " が実現できます。
その意味でも、この基準は私たちに、
" 何を、どう食べるか " について、再度学び合うことを求めているように思います。
そういった機会も用意していかなければなりませんね。
この基準は、これからの私たちの 「行動規範」 となります。
「未来の子どもたち」 への責任を全うする決意で、
本基準を設定・運用していくことをお約束します。
(2012年3月11日記、春を待ちわびながら-)
前回の日記で紹介したユーリ・バンダジェフスキーが語っている。
当局の圧力で投獄の身に遭いながらも、医者としての信念を貫く人の言葉。
被災者の健康状態は、まさに災害である。
しかし、私自身が医者である限り、見込みなしとは言えない。
神に誓って私は訴える。
尽力できる者は状況改善にベストを尽くせ と。
地球上で生命ほど貴重なものはない。
私たちはできる限りのことをして、生命を守り通すべきである。
集会に行って、みんなと一緒に黙祷はできなかったけど、
僕なりに思いを新たにした一日。
1年経って、生産者の皆様にも、大地の皆様にも、本当に感謝しています。
おかげで安心して大地のものを食べることが出来ますし、選ぶことが出来ます。
はじめはどうなることかと思いました。
少し落ち着いたら、生産者の皆さんはどうなるのだろう、と思いました。
既にベジタは不検出、肉や魚も不検出のものが沢山あり、最初の頃のように不安も疑心暗鬼もなくなってきました。
ひとえに皆様の努力のおかげだと思います。
本当にありがとうございます。
これからも、食べて支えていけたらと思っています!