2012年4月25日

今中哲二さんの講演会から

 

科学は死を他人事にする。

 

- どこかで読んだ誰かの言葉かもしれないけど、

低線量被曝のシンポジウムを聞きながら、浮かんできた。

一人の死や病気が、統計上の 「1」 として語られる。

だからこそ僕らは、科学に倫理を求めたくなるのだ。

その 「1」 にも、私の身体ひとつ分の重みがあることを分かっていてほしくて。

 

昨年12月に 菅谷昭・松本市長を訪ねた とき、菅谷さんが語っていた。

「国の審議会に呼ばれたとき、専門家の方がね、

  『甲状腺がんは死ぬ病気じゃないから (大したことない) 』 って言ったんですよ。

 冗談じゃないです、と私は言いました。 医者として許せなかったですね。

 これは本人にとっても家族にとっても、

 人生が変わるくらい、とても辛いことなんですよ。」

どんな場合でも、忘れたくないことだと思った。

そして今の僕の心情は、内部被曝リスクを語る人のほうがモラルが高い、

という印象を抱いている。

いやここは、ヒューマニズムと言うべきか。

 

さて、まゆつば科学であってはならないと、慎重に

内部被ばくデータを眺める今中哲二さん(京都大学原子炉実験所助教) には、

3月30日に、「共同テーブル」 の勉強会で話してもらったので、

時間は遡るが、いちおう簡単にでも日記として残しておきたい。

 

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場所は新宿、カタログハウスさんのセミナー・ルーム。

依頼した内容は、ベラルーシやウクライナで食品基準が設定されていった

背景を学びたい、ということだったのだが、

今中さんが設定したテーマは、

「 " 汚染食品との向き合い方 "  について考えていること」

というものだった。

そういう心境だったんだろうね。

 

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日本も  " 放射能汚染と向き合う時代 "  になった。

今中さんは10日前にも東京・日比谷公園の空間線量を測定していて、

「やっぱ、東京はどこもセシウムだらけだなあ」 と言い放つ。

そこにずっと立っていたと仮定した場合の外部被曝量は、

年間 440μSv (マイクロシーベルト、=0.4mSv)。

吸入被曝は、0.15 μSv (0.00015mSv)/年。

 

さて、内部被曝はどうだろう。

この4月から国が設定した放射性セシウムの規制値 100ベクレル/kgの食べ物を

毎日食べ続けたら-

全量を胃腸壁から体内に取り込み、体に均一に分布し、

ICRP(国際放射線防護委員会) が考える生物学的半減期(大人約100日、子供約30日)

にしたがって排泄される、と仮定して、

また大人が一日約2kg、子供が約1kg食べたとして、

大人=4μSv/日、年間1200μSv(1.2mSv)。 子供は年間 400μSv(0.4mSv)。

 

実際に流通される食品は規制値よりかなり低いはずなので、

食品汚染にともなう大きな内部被曝はなさそうだ。

幸いなことに福島では、ストロンチウムやプルトニウムの汚染は

とりあえず無視できるレベルのようであるし。

 

といって、基準値以下だから  " 安全 "  なわけではない!

発ガンに関する線量・効果関係は

「しきい値なし直線」(ゼロから比例的にリスクは高まってゆく) である。

1ミリシーベルトの被曝により、後に発ガンする確率は

(人間集団の平均で) 1万分の1である。

環境や食物が汚染されていることを承知で、

それを引き受けながら生きてゆかざるを得ないのが、

" フクシマ後の時代 "  なのだと思う。

 

影響を観察できないからといって、" 影響がないわけではない " 。

低レベルの被曝による  " ガン以外 "  の影響は、まだ  " よく分からない " 。

私たちは、どこまでの汚染を引き受けるのか、どこまでの被曝を我慢するのか、

答えはない。

ただ・・・・・お前ならどうする? と問われれば、こう答えるようにしている。

・大阪の汚染は・・・ 気にならない。

・娘が東京にいるが・・・ 避難するほどでなないだろうと伝える。

・私が福島に住んでいたら・・・ 住み続ける。

・孫が福島にいたら・・・ まだ答えを持っていない。

 

とにかく、原発はやめにしよう!

 

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次々と明るみに出る隠蔽情報
ここに掲載した論説なり、意見なりに100%賛同しているわけではない。 そもそも違う人生を歩み、違う個性を持つ人間が、そのすべての意見を同じくできるはずが...
from "生きるって素晴らしい" at 2012年5月 3日 10:45

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