2012年7月 5日アーカイブ

2012年7月 5日

『日経エコロジー』 誌で対談 -放射性物質の「基準」について

 

今日は港区白金にある 日経BP社 に直行する。

「日経エコロジー」 という雑誌の対談に呼ばれちゃったのである。

テーマは、食品における放射性物質の 「基準」 について。

対談の相手は、横浜国立大学の松田裕之教授。

環境リスクマネジメントが専攻で、日本生態学会会長、

(社)水産資源・海域環境保全研究会会長という肩書も持っておられる方。

 

「日経エコロジー」 編集長・谷口徹也氏の説明によれば、

同誌に 「論点争点」 というコーナーがあって、そこで

環境に関連した様々なテーマで意見の対立する方を呼んで

対談をしていただく、という企画で、今回が4回目との事。

論敵(?) を用意されては、逃げるワケにはいかない。

「まあ、実際は激しくやり合うようなことはないですが。」

そりゃあね、雑誌の対談となればそれなりに紳士的にやらなきゃ、とは思う。

 

松田教授も、お会いして開口一番、

「ネットで拝見させていただきましたが、あんまり対立はしないような気がするなあ。」

本ブログもチェックされたようで、恐縮する。

とはいえ、基準に対する基本認識は、やはり明確に異なっていた。

松田先生の考えるところは、以下のようである (文責はもちろん戎谷)。

 


放射線防護の基準設定については、国際的に認められている

ICRP (国際放射線防護委員会) の考え方に沿って対処すべきである。

ICRPによれば、基準には平常時と非常時の考え方がある。

事故が起きてしまい、放射性物質の今後の影響など分からない段階である今は、

まだ別な(非常時の) 基準が設定されて然るべきである。

あまり厳しい基準を設定しては、被災地の農漁業の復興を妨げる要因になりかねず、

これは新たな人災につながる。 リスクマネジメントになっていない。

 

「食べて応援しよう」 と頑張っている人たちがいる。

実際には、食品から1mSv を超える内部被爆を受ける心配はほとんどなくなってきている。

ここで行政が更なる規制をかけることは、被災地の農漁業者と消費者を結ぶ

絆を断ち切る行為である。

「復興の目途がつくまでの間」 は、暫定基準を継続させるべきだと考える。

 

僕の主張は、違う。 うまく喋れたかどうかは分からないけど。

「食品の基準」 というのは、食べる人を守るためにある。

それをきちんと遵守する生産が保証されて、人々は安心して暮らすことができる。

復興支援はとても大切なことだが、そのために基準を緩めるということは、

食べる人にリスクを負わせることになり、食品基準としては本末転倒である。

それで絆が生まれるとは思わない。

本来は最初から適切な (松田先生の言う " 厳しい " ) 基準を設定して、

きちんと水際で防ぎ (それは生産地で徹底することが望ましい)、

基準を超えたものや地域は、徹底して国が支援する。

それに信頼を寄せられる政策と実行が伴ってこそ、絆は醸成されてゆくんだと思う。

特に放射性物質の規制においては、

細胞分裂が活発な子供と、産む性である女性を保護する観点が

ベースにならなければならない。

 

しかも、教授の言う通り、今はいろんな食品を測定しても相当に安定してきている。

ほとんどがND(不検出) である。 もちろん機械の 「検出限界」 にもよるが。

であるならばむしろ、" すでにこの水準に落ち着いてきている "  ことと、

" これ以上、(残留を)超えるものは市場に出さない "  という強いメッセージを

国民に送るべきだ。

国の責任と生産者のモラルにおいて宣言するくらいの意思が欲しい。

 

したがって、大地を守る会の基準は

1.「内部被ばくはできるだけ低く」 という予防原則に立つ。

2.その上で、生産者が達成できる・すべき指標として基準値を位置づける。

3.基準値や分類は、実態や推移を見ながら継続的に見直していく。

4.測定の継続・強化と、結果の「情報公開」を行なう。

5.絆を断ち切る原因の大元である 「原発」 に反対する。

もうひとつ付け加えるなら、

6.まだら状に降り注いだ放射性物質による影響は未だ不明な点が多く、

  仮に基準値を超えるものが出た場合には、生産者を切り捨てることなく、

  情報を公開して販売を継続する。

というもの。

毎日々々測定を実施しながら、2月に辿りついた見解である。

 

松田先生は 「基本的に賛同できる」 と言ってくれた。

特に 6 の観点を評価してくれた。

二人の方向が異なってゆく原因の一つは、

健康に影響を与える水準についての考え方だろうか。

できるだけ低く、という要求を流通が生産者に押し付けるのは、

被災地に対して厳し過ぎると、というのが教授の見解である。

 

「年間1mSv で健康リスクが発生することはない」 か?

これは極めて大きなテーマだ。

いま始めている連続講座の終盤戦は、このテーマに焦点を当てている。

 

低線量被ばくのリスクを厳しく見積もる学者と、ICRP基準でよいとする学者が、

それぞれ別な場で主張し合っている。

松田先生に求めることではなかったかもしれないけど、

「この図式を何とかしてもらえないか」 と愚痴ったところ、

「そもそもECRR (欧州放射線リスク委員会) の低線量に対する見解

など、日本の学会には入ってないんじゃないか」 ということらしい。

しかし不安に駆られる人々にとっては、リスクの高い情報は忘れられないのだ。

これは当たり前の防衛本能である。

何とかしてほしい。

 

松田Vs.戎谷 -単純にどちらが正しいというものではないのだろう。

決定的な違いは、公共政策のあり方を考える人と、

生産と消費をつなぐ流通現場にいる者との違い、なんだよね。

僕からの要望。

「 国は、国の基準の適切さを必死で訴えてもらいたい。

 その上で、ゼッタイに基準を超えるものは市場に出さないことを担保してほしい。

 とにかく公共基準をだれも信用しない社会は、不幸である。」

 

「我々はその上で、生産者とともにさらに高い水準の達成を目指す」

という真意も含めて語ったつもりなのだが、この辺は話しきれなかった。

マスで、つまり全体の市場規模で考えざるを得ない行政にとって、

個別事業者が取り組む 「食の安全」 はうるさいハエか、

目の上のたんこぶのように見えるのかもしれないが、

安全性の向上を目指す民間の取り組みは、敵ではないのだ。

水準を上げていく先行事例として応援してもらいたいくらいなんだけど、

行政の方々にはそのへんがどうにもご理解いただけない。

 

教授とはもっと意見を交わしたかったのだが、

時間切れとなってしまった。

あとは編集者がうまくまとめてくれることを祈るのみ。

 

この対談は、『日経エコロジー』9月号に掲載予定とのこと。

ご興味を持たれた方は、書店にてめくってみてください。

 



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