2012年8月23日

「海の汚染を考える」(Ⅱ) ...自己責任の前に

 

放射能問題の厄介さは、

「安全」 の明確な線引きができない (しきい値がない) ことだ。

数年・数十年先の、因果関係が証明できない

(科学者が言うところの 「エビデンスがない」) リスクで論争が行なわれている。

結局のところ、私たちが日々迫られる食物の選択においては、

自分で判断する 「物差し」(基準) を持つしかない。

しんどいね。

 

たとえば僕の場合でいえば 「大地を守る会の基準」 ということになるが、

本音を言えば、モノの測定 「値」 ではなく、

自分と同じ物差しを持ってくれている 「人」 である。 

「彼がつくったものなら食べる」 が、僕の判断基準になっている。

とはいえ、そう言ってええ格好できる裏には、

「しかも、今の汚染水準はこのレベルだから」

という個人的な  " 安心の基準 "  も実は漠としながらも持っていて、

だから言えてるワケよね。

 

しかしこの個人的な安心基準は、人に強制できない。

「食べて大丈夫?」 と聞かれて、「僕なら食べる」 としか言えない。

組織としての公式回答も

「測定結果はND(検出限界値未満) です。 判断はご自身でお願いします」

となる。

勝川さんも講演の中で、何度か 「大丈夫」 というセリフを口にするし、

質疑では 「自分の子どもにも魚を食べさせてます」 と明言するのだが、

「あくまでも自分の意見として・・」 という注釈も慎重に入れ込みながら語るのである。

 

しかしやはり、「本当に食べて大丈夫なのか?」 との問いは絶えない。

後半のやり取りで、コーディネーターの佐々木俊尚さんは、

そこから切り出した。

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「 勝川さんのお話しには、科学者としての誠実さを感じました。

 本当に大丈夫か? の疑問に明解な答えは出せないのでしょう。

 しかし、どっちか言って下さいよ、という思いも本音としてある。

 これは、どうやって自分のスタンスを見つけるか、どういうふうに食と生活に向き合うか、

 それぞれの立ち位置が問われているということなんだと、私は理解しました。」

 

否応なく自己責任の時代となってしまったということか。。。

リテラシー (知識や知性・判断力) が求められるワケだ。

しかし、とは言え、この混乱には国の責任もあるだろう。

 


そこで佐々木さんは、こう突っ込んでゆく。

「 国への不信感が一気に募ってしまった原因はどこにあるのか。

 たとえば水産庁は最初に 「海の魚には蓄積しない」 かのように伝えた。

 しかしコウナゴから高濃度の数値が検出された。 

 分からずに書いたのか? 」

 

勝川さんの解説はこう。

いや、分かっていたはずである。 

分かっていたが、不安を煽らないようにという配慮から

まるで魚は大丈夫かのように読める書き方をして、

結果的に裏目に出たということである。

最初に素直に理解した人は、「残る」 となって驚き、怒ったことだろう。

最初から分かっていることを全部出しておけばよかった。

今は情報を絞って世論をコントロールできる時代ではない。

出せる情報は全部出して、

モニタリングを強化して 「国民の健康を守る」 という姿勢を伝えるべきだった。

 

佐々木さんの質問が続く。

「 どこで獲れた魚か、どこを回遊してきたのか、そういうトレサビリティは可能なのか?」

<勝川>

どこで獲れたのかを追うことは、技術的に可能である。

欧米ではすでにやっている。 漁船にはGPSがついていて追跡できている。

ただし回遊の経路を正確に追うことはできない。

アメリカの西海岸でクロマグロからセシウムが検出されて、

「そんなに早く動いていたのか」 と関係者が驚いたほどである。

 

<佐々木>

海流の説明は説得力があったが、魚はそれを越えてきている、ということはないのか?

<勝川>

海流で傾向はだいたい分かる。 銚子沖から南の魚は低いというデータになっている。

しかし、「混ざりにくい」 が、「混ざらない」 ことを保証するものではない。

( 講演の中で、マダラは南北に回遊するので濃度の高いものが北で揚がることがある、

 という話もあった。)

 

<佐々木>

水産物流通でトレサビリティが進んだり、 ⅠT 化への可能性は?

<勝川>

なかなか難しい。 産地でセリで買われた後はいろんなルートで流れる。

ⅠDタグなどでトレースする仕組みがあれば、ある程度不安は解消されるだろうが、

中間流通の企業戦略が透明化を阻んでいる。

トレサビリティによってメリットがある、ということが見えてこないと進まないだろう。

 

<佐々木>

第三者的機関が必要というのは理解できるが、

日本の現状では体制 Vs 反体制の図式になっていて、

「すべて安全」 か 「すべて危険」 になりがち。

その間に真実があると思うのだが、誰が担えばよいと思うか?

(大地を守る会のような団体がやるべきなんだろうが・・・と)

<勝川>

いろんなスタンスの科学者がいていいのだが、

とにかくちゃんと議論してたたかってほしい。

カナダでは、両者が喧々囂々とやり合っているのを見たことがある。

日本では両方がただ言いっ放し。

議論することで、その論のプロセスが見えてくる。

 

独立した財源で科学者が活動できるような社会がほしい。

国が信用できないとなった場合の、自分たちの側の科学者が少ない。

まるで国選弁護人しかいない裁判制度のようなものだ。

 

<佐々木>

養殖モノはどうなのか?

<勝川>

養殖にも二種類ある。

特にエサを与えずに種をつけて育つものは大丈夫だと思っている。

海藻などは意外と生え変わりが早く、今は検査しても出ないと思う。

エサをやる養殖では、エサの影響が心配なので検査を続けるしかない。

(幸か不幸か) 日本はエサの自給率も低く、南米などから魚粉が入ってきている。

それらは (こと放射能に関しては) 大丈夫だろう。

漁師たちも真剣で、リスクが大きいので相当気を使っている。

 

実はノルウェーでは、いつ何をやったのかという

エサの履歴がちゃんと分かる仕組みになっている。

トレサビリティ は消費者だけでなく、生産者も守る、のである。

 

<佐々木>

自治体による検査体制の信頼性の差はあるのか?

<勝川>

しっかりした検査体制を持っている自治体は少ない。

多くは外部の検査機関に出していて、その意味では結果への信用度は同じだと思う。

問題はサンプルの選び方である。

たとえば宮城では、最初は岩手よりのほうばかり測っていた。

そっちのほうが漁業が盛んで、復興のスピードも速かったということがあるが、

「福島よりの魚の測定を避けている」 ように見えてしまった。

本当は汚染の全貌を知ることが大事だったのだが、

水産業界のために測っていたということだ。

誰のための、何のための調査なのか、によって信頼性は変わってくる。

 

レポートが長くなってしまったが、

ここで勝川さんが講演で語った 「見えてきた問題点」 について触れておきたい。 

 

ひとつは調査体制の見直しが必要、ということ。

いま行政や業界で食品を測っては公開しているが、

携わっているのは  " (測定値が) 高く出てほしくない "  人たちである。

そこでサンプルの選び方などへの不信感が残ったりする。

検査プロセスには透明性が必要だ。

消費者あるいは第三者的立場の人も巻き込んだ調査体制がほしい。

 

サイエンスがからむ時には科学者の判断が鍵になるが、

その科学者が信頼を失ってしまった。

仮に妥当な決定をしても支持されない、とても不幸な事態になっている。

これからは説明プロセスとコミュニケーションが大事である。

ただ 「医者の言うことを信じなさい」 と処方箋を渡す昔の医者ではなく、

きちんと説明して、なおかつセカンドオピニオンを認める

今の医者のスタイルに専門家も変わっていかなければならない。

 

政府や官僚が専門家の意見を聞いて意思決定したものについて、

妥当性を判断する 〔科学者+国民〕 の機能が求められる。

海外では、その役割を環境NGOが担ってきている。

欧米の環境NGOでは、専門家を多数雇う力を持っている団体もある。

権力に屈しない、独立した科学的判断ができる機関が必要だ。

 

たとえば日本では、グリーンピースの海洋調査の申し出を拒否したが、

むしろ活用すべきではなかったか。

政治的意図を持って調査されるのではないかと危惧するなら、

政府関係者が調査に同行して、同じサンプルを国も検査すればよかったのだ。

批判的な団体を排除せず、逆に利用することによって

信頼は高まるのではないかと思う。

 

・・・・・ どうでしょう。

いろんな問題点が見えてきたことかと思います。

合わせて戎谷が勝川氏を呼んだ意図も透けて見えてきたような・・・

 

最後にもう一回、勝川氏の本業の話を。

 



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