2012年8月 8日

『日経エコロジー』 対談、その後

 

雑誌 『日経エコロジー』 で対談した松田裕之先生(横浜国立大学教授)

からメールが届いた。

ご自身のブログ で対談の記事をアップするにあたって

事前に確認を求められたことと、

僕の報告 ( 7月5日付日記 ) もチェックしていただいたようで、

それに対する感想も頂戴した。

 

食品における放射性物質の基準については、

松田先生と僕の主張は明らかに異なるので、反論なのかと思って一瞬ビビったが、

なんと 「違いが明確になって、とてもよい」 とのコメントである。

こういうふうに受け止めてくれると、嬉しくなる。

 

その上で、以下の指摘を頂いたので紹介しておきたい。

先の日記で書いた 「食品流通の現場にいる者と公的基準のあり方を論ずる立場の違い」

が鮮明に出ていると思うので。

 

  内部被ばく量を 「十分」 低くするという点には異論ありません。

  「できるだけ低く」 する必要があるかどうかは、今回はそうは思わない

  (カリウム40より既に桁違いに低い) ということです。

 

  原発に反対するのは、事故前からの持論です。

  それと 「今すぐ」(それも再稼働だけ) 止めろというのは別のことです。

 

  自主基準で低い線量の商品を売る自由も買う自由ももちろんあるでしょう。

  それと政府が定める基準は別のことです。

 

  これらの点で意見が合うことはないかもしれませんが、

  実際に被災地農家を支援される商品を売り続けている大地を守る会の皆さんに、

  敬意を表します。

 


さらに、僕の以下の記述に対して注文が入った。

「決定的な違いは公共政策のあり方を考える人と、

 生産と消費をつなぐ流通現場にいる者との違い、なんだよね。

 僕からの要望。

 『国は、国の基準の適切さを必死で訴えてもらいたい。

 その上で、ゼッタイに基準を超えるものは市場に出さないことを担保してほしい。

 とにかく公共基準を誰も信用しない社会は、不幸である。』 」

 

松田先生の指摘。

  前半は肝に銘じさせていただきます。

  後半ですが、「ゼッタイ」 はありません。

  全頭検査の発想ということならば、それは無理でしょう。

 

ま、これはご指摘の通りです。

本意は、国民に対して 「強い決意表明」 を込めたメッセージを届ける必要がある、

ということを言いたかったワケですが、強調し過ぎました。

 

  科学万能論を批判しながら、一方で完璧を求めるというのは、深い矛盾です。

  もちろん十分な体制をとるべきであることは論を待ちません。

 

  捕鯨論争は、国内では2002年のWWFジャパンの対話宣言で、ほぼ決着しています。

  日本政府は信用できないとしても、環境団体も管理の場にまじえて

  沿岸捕鯨を再開することに、反捕鯨派も異論はないでしょう。

  同じような 「信用の回復」 ができればよいのですが、

  福島の放射線はしばらく時間がかかるでしょう。

  しかし、ダイオキシンのように、タブーにはしたくないですね。

 

松田先生、ご意見有り難うございました。

立場や考え方の違いはいかんともし難いところがありますが、

国の基準は 「このレベルに沿って守られている」 という

最低限の合意は必要である、ということでは議論は成り立っていると思っています。

そうでないと、この世はパニックだらけになります。

(昨年の原発事故では、そうなってしまった、という認識です。)

大地を守る会は、その上で  " より安全な食と社会 "  を築くべく、

実践的に活動を行なっていきたいと思います。

その際には国の政策や基準を批判することもありますが、

同時に 「批判するだけでなく提案を」 という私たちの行動原理も

けっして忘れないで進めていく所存です。

 

今はウクライナとのこと。

お体に気をつけて、お過ごしくださいますよう。

 

※ 対談が収録された 『日経エコロジー』 9月号は、現在発売中です。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ