2012年8月19日

海は誰のものでもなく

 

・・・・・ と前回書いたけど、

この国には 「海は漁師たちのもの」 という認識が、今もって根強くある。

海を生業の場とする人たちにこそ権利があると、

漁師まちに育った僕もそれは当然のことのように思って育った。

 

しかし、いつの頃からか、それは違うと思うようになった。

海は誰のものでもない、みんなのもの(公共財) である、未来の世代も含めて。

いつの頃からか・・・・・それは原発に 「海が売られてゆく」 につれ、

とでも言ったらいいか。

だんだんと割り切れない思いを募らせていったように思う。

 


漁業組合が漁業権を売ったからといって、海まで買い取られたわけではない。

漁業権を放棄した段階で、「海が盗られた」 と観念してしまうのは、

「海は漁師たちのもの」 という認識によってしまうからなのではないだろうか。

 

思うに、沿岸漁業の衰退は、高度経済成長とともに進んだ。

環境破壊と乱獲 (これはコインの表裏のような関係) だけでなく、

流通ネットワークの拡大や食の工業化とともに進行した。

それによって生産と消費の距離が離れてゆき、決定的な乖離が生まれてしまった。

自分がつくった(育てた・獲った) ものがどこへゆくのか見えない、

かたやどこの誰がつくったものか分からないまま食べる。

しかも値段は流通段階で決められる。

一緒に海を守る関係が切れたところに、札束の攻勢がかけられて、

漁民のたたかいに運動的な支援者はきてくれても、

「消費者」 の支援はまったく実感できなくなってしまった。

漁民や地元自治体だけが悪いわけではない。

みんなどこかで勘違いを 「神話」 にして、自ら孤立の道を選び、

あるいは簡単に見捨てる人たちになってしまった。

海は 「みんなで守らなければならない」 ものだったのだが。

 

脱原発社会を構想する今、

たんにエネルギーをめぐる議論だけでなく、

生産と消費の関係を見直し、

大事なものを取り戻すことも求められているように思うのである。

 

さてそこに、放射能という恐ろしい敵まで

視野に入れなければならなくなってしまった海がある。

僕たちはどうしたらいいのか。。。

 

昨日開いた

「大地を守る会の放射能連続講座・第4回 ~海の汚染を考える~」。

勝川俊雄氏の話をまとめようと思ったのに、

どうも雑念が払えない。。。

酒も入ってしまったので、講演レポートは次回に。 すみません。

 



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