2012年9月アーカイブ

2012年9月30日

見よ 月が後を追う

 

今日は月歴八月十五日(十五夜)、仲秋の名月なのに、

台風17号のせいでお月見どころではない。

各地の被害状況を報道で確認しながら、産地へと思いを馳せる。

必死で耐える果樹、収穫最盛期に入った東北の田んぼ、

雨に撃たれ泥水が流れ出す畑、揺れまくる雨除けハウス・・・

 

未明にかけて激しさを増してくる風雨に誘発されたか、

月と言えば、、、と孤高の作家・丸山健二の毒に満ちた散文詩小説

『見よ 月が後を追う』 を久しぶりに取り出してしまう。 19年も前の作品。

 


  稼働してまもない、とかく風評のある、元凶の典型となったそいつ、

  人命など物の数ではないといわんばかりに、一意専心事に当たるそいつ、

  桁外れの破壊力を秘めながら、普段は目立たない汚染を延々と繰り返すそいつ。

 

  そいつは暗々のうちに練られた計画に従って、高過ぎる利益を生み出している、

  そいつは進取的な素振りを見せながら、旧弊家どもの手先として働いている、

  そいつは昼夜を問わず制御棒をぶちのめす機会を虎視眈々と狙っている。

 

3人目の主人に拾われ、ポンコツから蘇った

「私は理知によって世界を知ることができる、誇り高いオートバイ」 が、

「動くものとなれ」 と挑発する。

 

舞台はどうも福島原発のあたり。

かなりヤバそうな犯罪に手を貸し現ナマを手に入れて帰ってきた娘と、

余計な野心を持たない腹のすわった青年を背に跨らせ、

都会に向かって突っ走りながら、「見よ、月が後を追う」 と歓呼する。

ゲンパツとそれがもたらした退廃に毒づきながら。。。

 

  この海岸線一帯には、濃縮ウランの思い上がりや財界の内幕の汚臭が漂っている、

  浅見を恥じない人間にはちょっと無理かもしれないが、私にはそれがよくわかる。

 

  これが人畜はむろん草本植物にも影響はないとされている危険の量だというのか、

  邪知に富む御用学者が強引に弾き出したペテンの数値、

  嗜虐趣味の風と波とが、その数値を絶え間なく変化させている、

  ごうごうたる非難を巧みにかわすための常套手段がそこかしこに見受けられる。

 

  原子力発電はすでに、活殺自在の力を持つ、破格の昇進を遂げているのだ。

 

これ以上引用するのはやめよう。

純米吟醸酒まで毒に変わってきそうだ。

日曜日の夜にこんなクセのある古い小説を手に取らせたのは、

実は月でも台風の力でもなく、メディアから流れてくる欺瞞のせいかもしれない。

 

原発ゼロ%を目指すと宣言しながら、財界やアメリカのほうを向いては

真逆の態度を示す。 そして、大間原発は建設するという。

誇りだけはやけに高い骨董品のオートバイが20年前に見抜いたとおりの世界が、

いま目の前で展開されている。

 

「動くものとなれ」

この物語の青年とバイクのように破滅的に飛翔することなく、

未来に向かって動くものに。

そのビジョンはすでにあちこちから明示されてきているのだから、

動くとは、「やればできる」 を出現させることだろう。

 

月(チャンドラ) よ 離れずに見てろ。

 



2012年9月29日

原田正純さんをしのぶ会

 

「お前の原点は何だ?」 と聞かれたら、ま、何の原点かにもよるけど、

「社会」 というものに目を開かされた原点となると、

やっぱり 「水俣病」 と言わざるを得ない。

僕の人生は水俣病発見からの時間に等しく (公式発見は生後5ヵ月の時)、

魚貝の生命を頂戴しながらつくってきたような体を持つ身にとって、

「ミナマタ」 は呑気な少年の脳天を直撃した、衝撃の事件だった。

大人向けのドキュメンタリー番組にくぎ付けになって、

松田優作ふうに言えば、「なんじゃ、こりゃあ!」 である。

 

その水俣病に対して 「見てしまった責任」 を全うした医師がいた。

水俣病研究の第一人者、6月に亡くなられた原田正純先生

(熊本大学医学部助教授~熊本学園大学教授・水俣学研究センター長)、

享年77歳。

今日、その原田さんをしのぶ追悼講演会が開かれたので、

雑事は後回しにして参加した。

場所は有楽町マリオンにある朝日ホール。

 

遺影の前に献花台が設けられていて、

花を一輪供えて、御礼を申し上げることができた。

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この機会を与えてくれた主催者、NPO法人「水俣フォーラム」 に感謝したい。

 

講演会では、7人の方のお話と

欠席されたお一人からのメッセージが読み上げられた。

 


宮崎市にある潤和会記念病院院長の鶴田和仁さん。

「 原田さんの功績は、何と言っても胎児性水俣病の発見にあるが、

 有機水銀が胎盤を通るなどということが当時の医学ではあり得ないと言われていた時代に、 

 奥さんが病院から持ち帰ったへその緒を見て臍帯の調査を思い立ち、そして立証した。

 その道筋 にこそ原田さんのすごさがある。」

「 原田さんは後継者を探していたが、

 " 原田さんの前に原田なし、原田さんの後に原田なし "  と言うしかない。

 常に患者さんから学び、水俣病の悲劇を伝えることに心血を注いだ伝道師。

 まさに時代が必要とした人だった。」

 

患者運動のリーダーだった故川本輝夫さんのご長男、川本愛一郎さん。 

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「 父・輝夫は13年前、67歳で死亡しました。

 私は1958年、水俣病の爆心地とも言える月の浦で生まれました。

 子どもの頃から父と原田先生はいつも一緒にたたかっていて、

 親父は原田先生を 「戦友」 と呼んでいました。

 " 水俣病の本質はすべての人にかかる問題である " 

 " 特徴的な症状だけで選別できるものではない "  とよく言っておられました。」

「 国は  " 救済 "  というが、 " 償い "  というべきではないか。」

 

映画 「水俣」 シリーズのプロデューサー、高木隆太郎さん。

「 私は40年前から20年間にわたって水俣の映画を作り続けてきた。

 命がけで作ってきましたが、原田さんの医学観・科学観は映画作りのベースになった。

 彼は 「科学的に立証されてない」 という考えに対して独自の見解を持っていた。

 累々たる臨床、フィールドワークで培われた医学思想が、一挙手一投足から感じられた。」

 

ノンフィクション作家の柳田邦男さんは、東北復興のイベントがあり欠席。

メッセージを寄せてくれた。

「 原田さんはよく 「見てしまった責任」 ということを言っておられた。

 病院で診るのではなく、患者さんの家庭を訪ね、その生活の場で見てしまったこと、

 つまり現場が彼の生き方を変えた。」

「 科学的定説とは、それまでの経験から割り出された仮説でしかない。

 水俣病は鏡である。 ・・・・・

 原田先生は永遠です。 その笑顔がいつも私たちの傍にあるのです。」

 

立教大学名誉教授、栗原彬さん。

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「 病気を治すことはできない。 しかし患者さんにとって原田さんは必要な人であった。

 原田さんはいつも患者さんのほとりに立っていて、

 原田さんが傍らにいるだけで、患者さんの目に輝きが蘇ってくる。

 人間性を引き出し、取り戻してくる。

 人間にとっての立ち方を教えてくれた人。」

「 川本輝夫さんが叫んだ言葉 -  " 人間として謝れ!"  。

 近代がつくりだした文明や人間を顧み、

 改めて近代をつくり直す作業を、私たちは進めなければならない。」

 

原田さんの最後の対談に立ち会った朝日新聞熊本総局記者、外尾誠さん。

「 原田さん生前の最後の企画となった15人との対談は、『ことづて』 と題して連載中です。

 いつもご自宅で行ないましたが、とても居心地の良いお宅で、

 原田さんはいつも私たちを気遣い、ユーモアやウィットで和ませてくれました。

 とてもカッコイイ人でした。」

連載中の記事は残念ながら九州と山口県でしか読めないが、

原田さんとは出版する約束をしたとのこと。  

 

経済評論家の佐高信さん。

「 原田さんは、いつもニコニコしていた。

 しかしその裏には、権威や御用学者に対する凄まじいまでの怒りが渦巻いていた。」

「 原田さんは  " 患者さんだけにしたらいかんよ "  と言い残されている。

 それぞれがそれぞれの形で引き継いでいく、そのための備えをしなければならない。

 11月から始まる 『水俣病大学』 は、その一つの形としてスタートする。」

 

見てしまった者としての責任、知ってしまった者としての責任、、、

言うのは簡単だが、全うするのは容易なことではない。

3.11と原発事故を経験して、私たちはより厳しく、

次代に向けての 「人間としての立ち方」 が問われているように思う。

 



2012年9月27日

国境を越える情熱を

 

昨年11月、ベトナムで農村の自立支援活動を行なっているNPO団体

Seed to Table」(代表:伊能まゆさん) に招かれ、

ベトナム北部の農村を訪ねたことは昨年 3回(2011.11.12 ~15) にわたって報告したが、

その伊能まゆさんが、内閣府国家戦略室が主催する

世界で活躍し 『日本』 を発信する日本人プロジェクト

に選出されたとの一報が入った。

海外で、様々な分野で活躍するアーティストや研究者、技術者、料理人、

アスリート、地域開発に取り組むNPOの代表など、

" 「国境を越えた情熱」 をもって頑張る日本人 "  63人の一人として選ばれたのである。

なかには、なでしこの沢穂希さんやプロゴルファーの石川遼くんの名前などがある。

 

伊能さん、おめでとうございます。

これは現地の人たちに評価されなかったら得られない栄誉でしょう。

まさに孤軍奮闘で頑張ってきた汗が、みんなに伝わっていたということです。

「これからNPOを立ち上げる」 と言って、

幕張の事務所を訪ねてこられて3年、いや4年か?

ベトナムへの思いを熱く語っておられたのを思い出します。

ほんのちょっとしかお手伝いできてないけど、こちらまで誇らしい気分になります。

これからもっと大変になるような気もしますが (ますます足抜けできないか)、

体に気をつけて、できれば楽しく、現地の人たちを励ましながら、頑張ってください。

発表されていたのに気づかず、失礼しました。

 

僕も感慨に耽っている場合ではない。

昨日は、ジャパン・タイムズという英字新聞の取材を受けた。

 


昨年も大地を守る会を取材された方だが、

その後の放射能対策の推移と消費動向などについて聞きに来られた。

そこでこれまでの様々な取り組みを説明したのだけど、

最後に、今までにない視点からの質問を受けた。

日本で暮らす外国人の間では、

未だに福島県産の農産物は拒否されているというのだ。

もうほとんどの農産物から放射性物質は検出されなくなっているというデータを示しても、

「信じられない」 という反応が返ってくるのだとか。

そもそも彼らは日本の政府を信用してない、と。

「どうしたらいいと思われますか?」

 

この問いには一瞬戸惑ったが、結局のところ、

日本の姿そのものが信用されてないということなのではないか、と答えざるを得なかった。

外国人とどうコミュニケーションするかの前に、

僕ら(日本人) 自身が、一体感を持って復興に向かう形をつくれていない。

政治は絶望的なくらいに健全じゃないし。。。

 

僕らとしては、「食の安全」 確保のために、

生産者とともにできる限りの手を打って前に進むしかない。

そう思ってやってきた一年だった。

国に文句言うだけでなく、やるべきことを見せてやるくらいの気持ちで。

この流れを支援してくれる消費者を増やしてこそ、確信を持って語ることができる。

「信頼される社会」 をそれぞれの立場から提案し、

嘘や詭弁や骨抜きや先送りなどの政治的打算ではない議論をたたかい、

築き直してゆくことが、

この国に留まってくれた人々の信頼を取り戻す作業にもなるのではないだろうか。

 

思いを受け止めてくれたのか、今日記者さんから

「福島で頑張っている生産者の声を聞きたい」 との連絡をいただいた。

それも電話取材ではなく、現地に行ってくれるという。

福島は今は収穫の真っ最中だ。

迷惑なことだろうとジェイラップの伊藤俊彦さんに電話すれば、

「エビちゃんが受けろと言うなら対応しないわけにいかないしょ」 と笑ってくれる。

 

東北各地で様々にたたかっている人がいて、

彼らこそがこの国を再建する希望でもあることを、伝えてもらえたら嬉しい。

 

国際社会で評価される日本人たちは、いま僕らをどんなまなざしで見ているのだろう。

日本に住む外国人からも信頼され、賛辞が発信される国にしたい。

外交とは吠えることではない。

日々の営みから、境界線を超えてゆきたい。

 



2012年9月20日

有機農産物はニーズではなくて、未来を育てる食

 

今日は茨城県つくば市にある農林水産省の施設

「農林水産研修所つくば館」 まで出かけて、久しぶりに有機農業の話をしてきた。

農水省が実施している 「農政課題解決研修」 の一環とやらで、

全国の農業改良普及センターの普及員を対象とした

4日間の 「有機農業普及支援研修」 プログラムの一枠での講義を依頼されたのだ。

与えられたテーマは 「有機農産物の消費者ニーズとソーシャルビジネスの展開」。

実は 昨年 も同様のテーマでお話ししたもので、

もう依頼は来ないだろうと思っていたら、「今年もぜひ」 との要請を受けた。

去年の話がどんな評価を受けたのかは分からないけど、

どうやら  " 講師選定のミス "  という判定にはならなかったようである。

 


そもそも有機農産物を  " 消費者ニーズ "  という視点で捉えると本質が見えなくなる。

食品に対するニーズは多種にわたる。 価格・味・規格・鮮度・・・

有機農産物のそれは 「安全性」 ということになるのだろうが、

考えるべきことは、その要求の根底にある 「安全性への不安」 に対して、

生産現場に関わる立場としてどう応えるか、である。

「農薬は安全です」 と説得にかかるか、

「農薬を使わず (あるいは、できるだけ減らして)、安全性だけでなく、

 環境汚染や生態系とのバランスも意識しながら育てる」 かで、

消費(者) との関係の結び方は決定的に変わる。

 

去年のブログにも書いていることだが、

大地を守る会は、消費者ニーズを感じ取ったからこの事業を始めたわけではない。

有機農産物の普及・拡大によって、食の安全=人々の健康、そして地球の健康を、

将来世代のために保証する社会を作りたくて始めたのだ。

それは必然的に生産と消費の関係を問い直す作業でもあり、

ソーシャルビジネスという概念は後から追っかけてきたものでしかない。

これは僕らにとってミッション (使命) そのものである。

 

" 次の社会 "  の答えは、「有機農業」 的社会しかないだろう。

特に3.11後、強くそう思う。

食 ・ 環境 ・ エネルギー・・・ 領域を越えてビジョンをつなげ、

次の社会の姿を示すことが、今まさに求められている。

有機JASマークは、生産者の努力と行為を証明するものではある。

しかしそのマークでブランド競争ができるものではない。

マークの裏にある 「誇り」 を、価格よりも 「価値」 を、伝えられる有機農業を

育成することが皆さんのミッションではないでしょうか。

 

気持ちはあるのだが、さてどこから手をつけたらいいのか・・・

という悩みが、参加された方から出された。

便利な手法や近道は、ないように思う。 僕には見つけられない。

「まずは地元の発掘から始めてはどうか」 とお伝えした。

生産者がいて、販路に苦しんでいるなら、地元の学校給食に提案してみては。

母親たちに 「価値」 が認められたなら、次の道が見えてくる。

・・・・・ま、言うだけならなんぼでも言える。

いざやるとなると、それはそれはしんどい作業になるかもしれない。

でも誰かのために苦労を背負ってみる、それはチャレンジする価値のあることだと思う。

人と社会のイイつながりを創り出せたなら、それは自分にしか味わえない喜びにもなるし。

 

僕にとって今日の話は、農水省の 「地域食文化活用マニュアル」 検討会にも

しっかりとつながっている。

委員を引き受けた本意というか、腹の底に潜ませている期待は、

「地域を育てる食」 はきっと 「有機農業」 的世界につながっている、という予感である。

その発見と発展にわずかでも貢献できたなら、喜びだよね。

 

検討会では、地域食文化による地域活性化を形にした事例調査をやることになって、

僕は岩手県山形村(現・久慈市山形町、我らが短角牛の郷) と、

島根県隠岐郡海士町を推薦させていただいた。

候補地は事務局や他の委員からも多数出され、

嬉しいことに山形村が  " 深掘りすべき事例 "  のひとつとして採用された。

 

久しぶりに山形村に行ける立派な理由をこしらえることができた。

ついにこのブログでも、山形村を紹介する日がやってくる。 

待ってろよ、牛たち。

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2012年9月18日

肥田舜太郎の " 生きる力 " -連続講座・第5回(Ⅱ)

 

『大地を守る会の放射能連続講座』 第5回。

肥田舜太郎医師との質疑応答の録音を改めて聴いて、

ヒロシマを医者として経験したことから生まれた強い使命感が、

この方を生きさせたのだと、強く感じた。

ピックアップして記しておきたい。

僕の解釈で要約したりしているので、ポイントがずれている可能性もある。

文責は、あくまでも戎谷であることをお断りしてきたい。

 

コーディネーターは吉度日央里(よしど・ひおり) さん。

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【質問】

子どもに被ばくの影響が出ないか心配している。

今の段階で子どもに出るとしたら、どんな症状があるのか。

【肥田】

広島・長崎では、原爆の力があまりに強大だったために、多くは死んだ。

遠くにいた人や後から爆心地に入った人の間で内部被ばくの影響は出たが、

大人への対応が精一杯で、子どもを対象にした組織的な調査ができなかった。

しかも子どもの健康への影響は放射線だけでなく、その後の生活状態も関係する。

したがって小児科の医学的知見として明解な答えはない。

 

福島でも医療相談などにあたってきた経験も含めて言えることは、

直後から1ヶ月の間でよく見られた症状は、下痢・鼻血・口内炎。

これらは今はだいたい治まってきていると思う。

これらは (放射線影響による) 急性症状のごく軽い症状として出るものではあるが、

これが子どもに定型的に現われるという知見はまとまってないし、

特に子どもの場合は、他の要因も考えられるので、

その子のその症状が放射線の影響であると断定することは難しい。

 

放射線による影響は千差万別で、〇〇病とか決まって出るものではない。

学童期に成績が悪くなる、というデータもアメリカにはあって、

頭脳の発育に何らかの悪影響があることも考えられる。

 

心配だと思う方は、どんな軽い症状でも医者に相談し、医者の目を通して記録すること。

専門の小児科医に診てもらい、日常の変化を記録していくことが、

子どもの健康を守る上で大切なことであり、将来につながる。

 


【質問】

血小板数値が下がって血が止まりにくくなったという人がいるが、放射線の影響か。

【肥田】

その現象は (広島でも) たくさんの大人に発生した。

放射線影響の特徴の一つだが、

医者としてそれがすべて 「放射線の影響だ」 と断定することはできない。

 

【質問】

(放射線に対する) 感受性が高いとか低いとか、免疫力が強いとか弱いとか言われるが、

どう考えればいいのか。

【肥田】

同じ条件下でも、ある人は長生きし、ある人はすぐに死んでしまう、

という例をたくさん見てきた。

放射線による被害というのは、そこにいた人の健康状態と、放射線の質と量の兼ね合いで、

一人一人違ってくる。

 

【質問】

先生ご自身が被ばくしながらも、とても健康で元気でおられる。 その秘訣は?

食事はどんなものを?

【肥田】

親が丈夫な体に産んでくれた、ということがあるかもしれない。 長命の家系だったし。

被ばく影響でいうと、何回か死にそうになったが、

いい助言をしてくれた人(医者?奥様?・・・不明) がそばにいたことも幸いした。

しかし何より、僕の仕事は 「被ばく者を長生きさせることだ」 と思ってやってきた。

それができれば勝利だと、自分に強く言いきかせて生きてきた。

自分は誰かのために生きなければならない、

ニッポンの医者として世界から笑われないようにしなければならない、

という使命感で生きてきた。

それが今の結果につながったのではないかと思う。

 

食事はほとんど和食。 肉はたまに食べる。 魚では、サンマやイワシは大好き。

平凡な家庭料理です。

 

【質問】

米では放射性物質はヌカ部分に溜まると聞いた。 ぬか床は作らない方がいいか?

【肥田】

私は気にしないで食べている。 ぬか漬けは大好き。

醗酵するものは特によい。

ジイさんしか食べなくなったようなものは、だいたい体にイイものです。

(戎谷の感想・・・玄米でも検出されてない米を選べばよいのでは。)

 

【質問】

日本食ではないが、醗酵食品であるヨーグルトなどは?

【肥田】

よいと思う。 チェルノブイリでも薦められたものである。

 

【質問】

水やミネラルウォーターは大丈夫か?

【肥田】

今は問題ないと思っている。 むしろ(放射線よりも) 化学的な処理のほうが問題だ。

 

【質問】

親族に、背中の皮膚がエクボのようにへこんだ人がいるが、放射線の影響か?

【肥田】

見てないので分からない。

皮膚にもいろんな症状が出るが、ひどくなるものは少ない。

皮膚病は、放射線の影響であろうが別な原因であろうが、甘く見ると慢性になる。

皮膚の病気は本人の暮らし方が大きく影響する。

途中で治療をやめる人が多いが、バカにしないできちっと治すこと。

長引かせると、一生もんになる。

 

【質問】

3歳半の息子。 よく外で遊んでいたが、咳き込むようになり、一時北海道に移った。

そこで回復したので戻ってきたら、また咳き込み始めた。どうすればいいか。

【肥田】

うまい方法はない。

離れてみるのはひとつの方法だが、「ねばならない」 とは思わない。

経済的な負担もあるし、それによって生活が不便することも、よくない。

(戎谷の感想・・・最初の質問に対する答えに尽きるような気がします。)

 

【質問】

職場で色々と苦しんでいるが、先生はどうやって自分の気持ちを支えてこられたのか。

【肥田】

放射線とたたかう、という一心で生きてきた。

よく、自然放射線と比較して 「同じ」 という人がいるが、

自然放射線と人工放射線はけっして同じではない。 惑わされないこと。

 

【質問】

「核」 は何のためにあるのでしょうか?

【肥田】

「核」 を持って何らいいことはない。

「核の抑止力」 という論があるが、大きな間違い。

こちらも持てば相手も持つ。 両方が研究すればするほど、新しいものがつくられ、

核が増えていく。

それによってウランの採掘から始まり、あらゆる行程で被ばくが生まれる。

" 持っている "  ことで人を殺しているのが、「核」 である。

全部、止めましょう。

 

肥田さんの主張や論は、科学的視点からは、ときに乱暴に聞こえるものがある。

危険性を煽っていると批判する科学者もいることだろう。

しかし、「どこに逃げたって同じ」 と言われながら、

僕らは肥田さんの言葉から  " 勇気 "  をもらうのである。

安心させようとして 「大丈夫」 と言われて不安になるのとは逆に。

リスク・コミュニケーションとは、テクニックではないのだ。

 

肥田さんは、「大丈夫、大丈夫」 と言って批判されたある医師を、

政治的な立場や判断によるものだと指弾された。

その背景には巨大な権力構造があり、奥で控えているのはアメリカであるとも言った。

発言の腹の底には、戦後の調査によるデータや資料が日本側には秘され、

患者を救うために使われることなく、つまり見殺しにされたまま、

自国の核兵器開発のために利用されていったことへの

絶対的反発があるように思えた。

政治的判断で語る医者への嫌悪も、その文脈で理解したい。

 

「僕は殺されても被ばく者の立場に立って追求していきたい」

という執念とも言える使命感が、肥田舜太郎の全身を貫いている。

それだけたくさんの命を背負って、生きてきたのだ。

僕らが肥田さんから勇気を与えられるのは、そこに倫理の筋が通っているからだと思う。

多少乱暴な言質はむしろ、我々を冷静な判断へと指向させてくれる。

 

講演終了後も、海外メディアからの取材を受け、

また 「どうしてもお聞きしたいことが・・」 といって残られた方からの質問に答え、

握手だけでもという要望にも笑顔で応える肥田舜太郎、95歳。

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生きる力をもらった、という感想をいただいたことに、

今回の目的が何であったのかを、我ながら気づかされたのだった。

 

最後に、無事自宅まで送り届けたことを報告しておきたい。

 ↓ 証拠写真。 

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左は、送迎の助っ人を引き受けてくれた業務部長・奥田健司。

 

連続講座の流れ的には、違和感を持たれた方も多かったけど、

これは必要な一歩だった。 

僕としては、よかったでしょ、と言いたい気持ち。

 

なお、農林水産省に勤める中田哲也さんが参加されていて、

ご自身が運営されているブログ・サイト (フード・マイレージ資料室)

でもレポートしてくれたので、紹介しておきたい

 ⇒ http://foodmileage1.blog.fc2.com/blog-entry-116.html

こういうつながりは大事にしたいと思う。

有り難うございました。

 

次回は10月6日(土)、最終回。

テーマはまさに 「低線量内部被ばくを考える」。

このリスクを厳しく見ながらも、放射線治療の最前線でたたかう

北海道がんセンター院長の西尾正道氏をお迎えします。

場所は、水道橋・YMCAアジア青少年センター 。

9階の国際ホールを予約していたところ、定員を大幅に超える申し込みが来て、

急きょ、もうひと回り大きい地下の 「Yホール」 に借り換えた次第です。

そのホールが空いていたこと自体が超ラッキー! で、

この講座には運があるのかも・・・

 

最終回で、予算も尽きたので、コーディネーターはお招きせず、

戎谷が最後まで進行させていただきます。

どうかご了承ください。

 

《 9月21日・追記 》

肥田舜太郎さんのスタッフの方から、

大地を守る会HPでの動画アップの許可をいただきました。 感謝します。

中継を見れなかった、もう一度聞いてみたい、友達にも聞かせたい、などなど、

ご要望に応えてアップです。

こちらをどうぞ ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza/

 



2012年9月16日

自分を大切に生きよ!-連続講座・第5回

 

『大地を守る会の 放射能連続講座』 をやるからには、この人を入れたい。

この人が入ることで一本の骨が通る、と思っていた。

この人の体験、人生、そして願いを、腹の底に記憶させて、

" 3.11後 "  を生きるんだ。

それによって歴史ともつながることができる。

 

昨日開催した 「連続講座」 第5回の講師は、

肥田舜太郎医師、御年95歳。

肥田さんを支えるスタッフと相談しつつ、ここは自分で行こうと決めて、

埼玉県にある自宅まで車でお迎えに上がり、

会場である日比谷図書文化館までお連れした。

こんなに慎重に首都高速を走ったのは初めてだ。 安全運転はけっこう疲れる。

 

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歴史の証言者、肥田舜太郎。

20代に軍医として広島陸軍病院に赴任。

8月6日は、爆心地から6キロ北にある村の農家の子供の診療に出たお陰で、

原爆の直撃を免れた。

しかしすぐにかけ戻って、自らも被ばくしながら、

ワケの分からない症状の患者さんたちを治療しては、看取り続けた。

その体験を、肥田さんは生々しく伝えるのだった。

時に哀しいジョークも交えながら。

 

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治療を続けるうちに肥田さんは、

ピカ (原爆) に遭っていないのに、被ばくした人と同じ症状が出て死んでいったり、

とにかく体がだるくて仕事ができないとか、

不思議な症状を訴える人々と相対することになる。

彼は後者の症状を 「原爆ぶらぶら病」 と名づけた。

それらの原因を突き止めるのに30年。

「内部被ばく」 と「晩発性障害」 という厄介な世界にたどり着いたのだった。

昨年は、5年越しの作業のすえ、

 『人間と環境への低レベル放射能の脅威』(あけび書房刊) という

低線量内部被ばくをテーマにした画期的な翻訳本も出版された。

 

肥田さんの経験譚は、とても再現できない。

腹に受け止めて、前に進むしかない。

 

フクシマ後をどう受け止めればいいのか、肥田さんは言う。

 - どこへ逃げたって同じ。 厳密に言えば、日本にはもう安全な場所はない。

    何を食べても同じ。 みんな被ばくしているんです。

 

僕としては、それはちょっと暴論では、、、とは思う。

被ばくはしていても、同じではない。

事実を知り、対策を学び、冷静に選択し、たたかうことで、

その後の生き方も結果も違ってくると思っている。

ここでの肥田さんの本意は、うろたえるな! ということか。

 

『 肥田舜太郎医師による、3.11 以降を生きるための7箇条 』

というのがある。

1.内部被ばくは避けられないと腹を決める

2.生まれ持った免疫力を保つ努力をする

3.いちばん大事なのは早寝早起き

4.毎日 3 回、規則正しく食事をする

5.腸から栄養が吸収されるよう、よく噛んで食べる

6.身体に悪いと言われている事はやらない

7.あなたの命は世界でたったひとつの大事な命

  自分を大切にして生きる

   (『311以降を生きるためのハンドブック』/発行:アップリンク より)

 

今の僕にはなかなか厳しい7箇条である。

社長の命令を 「身体に悪いですから」 と断ってみたい誘惑にはかられるけど・・・

せめて、肥田先生のような胆力を身につけたいと思う。

 

肥田さんの結論。

自分こそが自分の命の主人公。

親からもらった免疫の力を守り、健康に生きるよう、必死に努力すること。

人間は放射線を安全に操作することはできない。

原発も核兵器もなくして、「安全な地球」 を孫たちに残すこと、

そのために頑張り抜きましょう。

 

終了後のアンケートに、「椅子を用意すべきだ」 という意見があった。

たしかに90分立ちっ放しはきつかったかもしれない。

でも実は、肥田さんにきっぱりと断られたことを、釈明しておきたい。

 

さすがに質疑応答の時間は、座っていただけた。

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左はコーディネーターをお願いした

オーガニック・ジャーナリストの吉度日央里(よしど・ひおり) さん。 

たくさんの質問がペーパーで寄せられたが、

落ち着いててきぱきとさばいて頂いた。 

 

質疑の再現は、改めて録音を聞いてから、間違いのないようにお伝えしたい。

スミマセン、今日はここまで。

 

<お詫び>

なお、講演は USTREAM で中継しましたが、

ネットでのアーカイブ公開はスタッフの方から 「お断りしている」 とのことで、

アップできません。

悪しからず、ご了承ください。

 



2012年9月11日

紅涙 (こうるい)

 

先週末に届いた、「あいづ耕人会たべらんしょ」 若者たちの野菜セット。

定番品として毎回入れていい、と伝えてあるのが、

地元在来種の庄右衛門インゲンとこれ、オリジナル・ミニトマト。

品種名は 「紅涙」(こうるい) という。

 

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酸味が爽やかで、味のバランスがとてもよくて、とにかく品がいい、とでも言おうか。

僕のなかでは1番のミニトマトだ。

チャルジョウ農場主・小川光 の傑作品。

この種が、光さんから若者たちに受け継がれている。

売ることが誇りにさえ思える品種。

まだ 「会津の若者たちの野菜セット」 でしか扱えてないけれど、

これから間違いなく彼らの自立を支えてくれるはずだ。

こんな野菜を、いつまでも、消費の力で支え応援していけたら、嬉しい。

 

今年も美味しくいただくことができた。

「たべらんしょ」 若者たちと、オーダーしてくれた会員の方々に、感謝。

 



2012年9月 9日

今年の稲作体験は、久しぶりの豊作!

 

「大地を守る会の稲作体験」 -23回目の収穫がやってきた。

 

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この田んぼで22年 (「稲作体験」2回目の1991年からこの田んぼ)、

有機栽培(無農薬・無化学肥料) による米づくりを完遂させてきた。

もちろん地主・佐藤秀雄さんの支えのもと、素人の 「体験」 レベルではあるけど、

若手職員によるボランティア・リレーによって、

苦しくも連綿と受け継がれてきた、伝統のイベントである。

 

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豊作への願いを込めた案山子は、いつの頃からか必須アイテムになった。

効果のほどは不明だが、案山子を立てることによって 「田んぼに気が入る」 というか、

ま、遊び心としての、最終ステップに入る儀式のようなものか。

でも、不思議と鳥害はない。

 

去年は放射能対策やら何やらに追われて、ついに参加できなかったけど、

今年は何とか立ち会うことができた。

ここの収穫を見届けることはやっぱ、

僕にとって秋の陣に向かう 「案山子が立つ」 スイッチのようなものだと思うのだった。

この黄金色の風景は、僕の必須アイテムなのだ。

 


育ったのはイネだけではない。

雑草たちも (失礼、そういう名の草はないか)、しっかり子孫を残そうとしている。

オモダカの花。

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こちらはコナギ。

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いずれもイネにとっての強力なライバル。

申し訳ないが、ここに種を残してもらっては困るんだよね。

きれいな花が咲いてる~ なんて言ってないで、容赦なく取りたい。

特にコナギは、咲き始めと咲き終わりの2度にわたって自家受粉するという、

独自の生き残り戦略を持っている。

お前とは、永遠にたたかう関係なのか。 いっそ有効利用の道を考えてみようか。

 

虫たちの行動も旺盛である。

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ジョロウグモ?

いや、こいつはナガコガネグモという美しい名前を持っている。

この田んぼにもたくさんのクモがいる。 こいつらは益虫なんだ。

生物多様性の世界をたしかめる、ひとつの指標でもある。

子どもたちは、バッタは取るけどクモは敬遠する。

来年はちゃんと彼らの地位を回復させてやりたい。

ほら、触ってみればいいんだよ、愛が生まれる。

 

参加者も集まってきて、さあ、稲刈りの開始。

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佐藤秀雄&綿貫直樹の、仲が良いのか悪いのかよく分からないコンビの

レクチャーを受けて、作業開始。

子どもたちも大人と一緒に、鎌を使って稲を刈っていただく。

これが 「大地を守る会の稲作体験」 の流儀である。

ケガをする子は、平均 0.75人(4年に3人) くらいか。

でもその子は、間違いなく成長する。

 

お母さんお父さんも、頑張って教えようとしてくれる。

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鎌をうまく使えなくて、嫌気が差してきた子に声をかけて、

後ろから手を持って、切り方を伝える。

2~3度やっているうちに、だんだんコツを覚えてくる。

何度目かに、スッと切れる。

「お母さん! サクッと切れた!」

と叫ぶ瞬間が、喜びである。 こちらも思いっきり拍手してあげる。

今日のその男の子は、しかも言い直したのだった。

「サクッ、じゃない。 ザクッ、だ。」

いいなあ、この感じ。

 

よくできました。 イイ笑顔です。

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頑張れ!

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いいねえ。逞しくすら感じさせる。

涙腺のゆるいオッサン、見ているだけで泣けてきちゃうよ。

 

稲刈り、終了。

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ハザ(稲架) が、例年より一本多い。

久しぶりの豊作の感触。

佐藤秀雄の読みは、「9俵(玄米で540㎏) はいくと思うよ」。

今年は、草対策を優先して日程を組んだ。

これは稲作りの基本だってコトだね。 

 

午後の交流会。

いつもの 「陶さんの生き物講座」。

今回は、バッタのお話。

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陶ハカセの人気は、衰えることがない。

子どもたちは、命あるものに本能的に関心を示すのである。

 

佐藤秀雄さんを囲んで、今年の講評。

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山武のゴローちゃん (ドラマ 「北の国から」 で田中邦衛が演じたゴロー)

こと秀雄さんも、なかなかお話上手になった。

 

子どもたちが田植えのときに描いた 「未来へのメッセージ」。e12090920.JPG

 

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今日は、この絵を持って家族ごとに記念撮影という趣向。

スタッフは年々入れ替わりながら、毎年いろんなことを考えてくれる。

職員も育てられているのだ、と思いたい。

 

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すっかり出番のなくなった初代実行委員長は、たそがれながら

それなりに満足している。

 

収穫量はまずまずのようだが、こんなに暑い稲刈りは今までにない。

品質が心配なところ。

美味しい米でありますように。 

 



2012年9月 8日

しつこく、食の安全基準とは-

 

今週もいろいろあって、2本はアップするつもりだったのだが、書けず。

しょうがないのでまとめて報告としたい。

 

9月4日(火)、PARC (パルク/アジア太平洋資料センター) が主催する

「自由学校」 に呼ばれる。

「どうする日本の食と農」 という講座の第6回、

「消費者と生産者をつなぐ現場の模索と苦闘」 というタイトルをつけてもらって、

3.11以降の放射能対策の取り組みから、食品の基準の問題、

これからの方向について考えていることなど、お話しさせていただいた。

 

この講座。 僕の前に福島の生産者が二人、講師を務めている。

一人は浅見彰宏さん(喜多方市山都町 「あいづ耕人会たべらんしょ」) 。

もう一人は、二本松市 「ゆうきの里東和」 の菅野正寿さん

彼らのあとというのは少々やりにくい。

講座のレベルを下げてなければよろしいのですが・・・

 

その夜は受講者や出版社・コモンズの大江さんたちと一杯。

懐かしい方にもお一人再会して (昔、配達していた自然食レストランの方) 、

楽しい時間を過ごさせていただく。

 

翌5日(水) は、

自分で印刷・帳合いした資料を300部担いで、朝から千葉に出向き、

「千葉県の食べもの・飲みもの、給食の安全性 放射能は大丈夫?」

という長いタイトルのシンポジウムにパネリストとして参加する。

コーディネーターは、オーガニック・ジャーナリストの吉度日央里さんと

歌手の加藤登紀子さん。

パネリストには 「さんぶ野菜ネットワーク」代表の富谷亜喜博さんのお顔もあった。

 

このふたつの機会で、僕が強調させていただいたことは、

食品の安全基準 (規制値) とは何のためにあるのか、

という点において日本の行政は根本的な過ちを犯しているのではないか、

ということ。

 


前にも書いたことだけど、

食品の基準とは、「食べる人を守る」 ためにある。

これは揺るぎない大原則である。

しかしこの国のやり方は、ともすると産業を守るために機能させようとしていないか。

農産物で言えば、生産者・メーカーの経営を守ろうとして

「これ以上厳しくすると生産者がやっていけない」 と言わんばかりに

最初の基準が設定された感がある。

このような目線だったとしたら、そこから公正な行政は生まれない。

 

消費者は 「食べる」 という命がけの行動をもって、

選択した生産物と生産方法、ひいてはその生産者を支援することになるわけだが、

汚染を負担する(身体で引き受ける) ことはできるものではない。

しっかりと 「食べる人 (特に感受性の強い子ども) を守る」 ための基準を設定して、

基準への信頼を確保し、生産者もそれを指標として生産に取り組むことで、

生産と消費の信頼関係は担保されることになる。

「基準を超えるものは流通させない。 生産者にはきっちりと補償して対策を支援する」

と宣言し、指導を徹底する必要があったのだが、

どうも見ている方向が違っていたとしか思えない。

その後は、ボタンのかけ違いのように進み、国民は国の基準を信用しなくなった。

「これくらい食べても大丈夫」 と識者が語る一方で、

「基準は厳しくしてもらわないと、俺たちまで信用されなくなる。

 かえって風評被害を生むことになるんじゃないか」 と

危機感を募らせた生産者が多くいたことを、中央の人たちは誰も気づかなかった。

 

国の基準は 「最低限の安全保障」 として、一定の信頼が確保されなければならない。

公的基準が信用されない社会は不幸としか言いようがなくなる。

また、その基準をより高めていくために民間の努力が存在するワケだけど、

この国の行政は、どうもそういう民間を排除しようとする。

 

食べる人を守るために基準を設定し、厳しく運用する。

そのために生産者を支援する - というのが本来の理屈でなければならない。

したがって、基準が守られていることを保証するための体制は、

流通段階での測定よりも、(モノの流れの)上流でのモニタリング体制が重要となる。

生産地でしっかりモニタリングして、不安のあるものは出荷しない、

というモラルを持って取り組まれることが、生産への信頼を向上させる。

それをサポートするのが行政の役割である。

その意味において、2台の測定器を生産地に無償で貸し出していることを、

僕はけっこう誇りに思っているのである。

 

振り返れば農政は、だいたい 「農林水産業」界のために動いてきた。

結果はほとんど失敗の連続だったように思われるが、

問題の根源は、政策の大元が

「国民の健康を守るために、農林水産業をどう健全に保つか」

という道筋になってないからじゃないかと思う。

自分たちの健康を維持するための施策なら、消費者は 「支払う」 用意がある。

アルバート・ハワード卿(英国) の60年以上も前の言葉、

「国民が健康であること、これは平凡な業績ではない」 (『ハワードの有機農業』)

は、今もって未達の教訓である。

 

「基準」 によって生産と消費が対立してしまった不幸を、まずは修復する。

次に、測定によって 「基準が守られている」 ことを担保する。

そして生産者の取る対策をサポートする。 ゼッタイに切り捨てない。

その上で、汚染と不安の元凶を取り除くために、

" ともに "  支えあい、たたかう連帯感を産み出したい。

 

千葉でのシンポジウムでは7人のパネリストがいて、

トップバッターで指名されて、つい早口で喋ってしまった。 

少しでも真意が伝わったなら嬉しいのだが。。。

 

シンポジウムのあとは、関係者と連れ立って、

近くの自然食レストランで昼食を共にする。

ここでお登紀ぶし炸裂。

「私たちはみんな、食といのちのもとである  " 農 "  とつながらなきゃいけないの。

 " 農 "  とつながって、生きることの意味を見つめ直すなかで、

 本モノの社会を変える力が培われてゆくのよ。 革命を起こしましょう!」

ちょっと記憶が怪しいが、そんな感じで、みんなの感動が伝わってくる。

「登紀子さ~ん、千葉県知事になってください!」

という声が飛び出して、さすがの加藤登紀子も面食らう。

「いや、あの・・・そういう人生設計は立ててないので・・・」

と笑って取り繕うしかない。

 

さて、5日はその足で中野まで移動。

駅でジェイラップの伊藤俊彦さんと落ち合い、

環境エネルギー政策研究所(ISEP) にて、

稲田での自然エネルギー構想についての作戦会議。

脱原発社会への次なるステージを用意する、そのための準備を急ごう。

 

6日(木) は、今度はこちらの放射能連続講座の打ち合わせで、

吉度さんとミーティングを実施。

7日(金) は、この間の土や水の測定結果を持って茨城に。

今のところ不安なデータは示されてないが、油断せず、

継続して水系などの調査を進めることを確認した。

 

" 生産と消費のつながりを取り戻す " なんて簡単に言ってるけど、

これは容易なことではないし、しかも一つの施策で片づかない。

いろんな課題がつながっていて、

僕らは否応なく大きな社会システムを作り直す作業に向かっている。

やっぱこれは  " 革命 "  という言葉こそ相応しい。

 



2012年9月 3日

昔、原子力に夢を見た男のひと言

 

おまけ話をひとつ、お許しを。

8月24日(金) の、その後のこと。

お巡りさんに地下鉄の入口まで見送ってもらって、

高校時代の仲間との飲み会に顔を出した。

田舎の高校を出て、それまでの人生の倍の時が流れたというのに、

電話やメール1本で関東在住の同級生が11人、集まった。

なかなかの結束力だと思う。

 

皮膚ガンの権威と言われるまでになった医者もいれば、

会社の社長に昇りつめたヤツもいれば、

女子の心をくすぐる心理テストの本など出している作家女史もいれば、

リストラに遭って何とか再就職した者もいれば、

競艇でスッてしまって夏は郷里に帰れなかったという破滅型のオヤジもいたりする。

もうそれぞれの地位など誰も気にしなくなった。

「 50を過ぎての同窓会は、楽しい 」

とフォーク・シンガーの高石ともやさんが言ってたけど、

その年齢になって本当にそう思う。

 

そんな輪の中に、若い頃に原子炉の設計に携わった男がいて、

こんなことを漏らすのだった。

「 もともと原発は、30年持たせる、という前提で作ってたんよ。

 それでもカンペキなものは作れんかった。

 それが40年に延長するという話になってきた時に、これはアカンと思た。

 そのうちにエライ事故が起きてしまうんちゃうかと言うとったら、

 ホンマに起きてしもた。 まあ、これは人災やな。 」

元柔道部の猛者。

原子力船 「むつ」 に乗りたくて、夢を抱いてその世界に入ったという男。

彼は今、塾の講師をしている。

 

事故後の元同僚とのやりとりなど、いろいろと出てくる生々しい話。

「 原発はやっぱりアカンかった。 辞めてよかったと思うとるけんど、

 ほんなことより、これからの子どもが心配やな 」

のひと言が、他の人とはひと味違った真実味をもって響いてきたのだった。

 

「エビっちゃんは今でも反体制か」 と問われ、

「アホか、今でも正義の味方よ」 と返す。

「よう頑張っとんな」

 ・・・・ こんなふうにサラッと褒められると、かえってうまく切り返せない。

うろたえながら、「まあ、、、しんどいけどな」 が精一杯。

 

深夜の電車で一人になって、

僕らは本当に、未来に大きな負の遺産を残してしまったんだと、

あの男のセリフを反芻しながら、改めて深く思った次第である。

 



2012年9月 2日

有機の種は増やせられるのか-

 

気を取り直して、

8月24日の報告を記しておかなければ。

 

アイフォーム (IFOAM/国際有機農業運動連盟)・ジャパンのセミナー。

永田町の憲政記念館にて。

テーマは、有機種苗をどう広めるか。

一見地味な話のようで、とても重要な課題なのである。

 

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有機農業の基本精神に則れば、

種や苗そのものが有機栽培されたものであることが望ましい。

法律である有機JAS規格においても、それは規定されている。

ただし、「有機栽培された種の入手が困難なときは」、

やむを得ないものとして一般栽培の種を使うことも許容される。

現状は・・・・・今の有機農産物のほとんどは

「やむを得ない」 状況になってしまっている。

しかしこれが、なかなかに高いハードルなのである。

 


 

基調講演は、市民バイオテクノロジー情報室代表・天笠啓祐さんによる

「種子メーカーの世界戦略」。

 

いまスーパーやホームセンターで売られている種のほとんどは

海外で生産されている。

京野菜の種子はニュージーランド産、大根は米国産、という具合。

日本独自の野菜と思われているものでも、

種の生産は海外に頼っているのが現状なのだ。

 

理由の一つは、種子の生産では、その品種の形質を守るために、

他の品種の花粉が飛んで来ない場所が求められること。

それを種子会社にとって必要な量を安定的に (+低価格で) 確保するためには、

条件の合う一定の面積を確保もしくは農家と契約することが必要となり、

必然的に海外に生産基地を求めるようになる。

 

このウラには、企業による種子生産が主流になったという構造的変化がある。

種を自身で採る農家はすでに稀少な存在になってしまった。

この変化を牽引してきたのが、F1(雑種一代) と言われる品種開発である。

病気に強いとか、収量が多いとか、味の特徴とか、

それぞれの特徴を持った親同士を掛け合わせると、

一代目の子は両親の強い特質を受け継いだ形で現われる。

しかしその品種で種を採った場合、孫以降は形質がバラけてくる。

このメンデルの法則を利用して、

企業は優れた品種をもたらしてくれる親をしっかり確保して、

掛け合わせ続けることで、ある優位性を持った品種を独占することができる。

これによって農家は毎年企業から種を買うようになっていった。

 

その上に、企業の多国籍化と寡占化 (大手企業による種子会社の買収等)

が進んできたのが今日の様相であり、

GM(遺伝子組み換え)作物が開発されるに至って、

その種子は 「特許品」 となり、独占がさらに進むこととなる。

現在すでに、世界の種子の半分近くが

米国・モンサント社、米国・デュポン社、スイス・シンジェンタ社の

GM種子開発企業3社によって占められるまでになった。

 

タネとは、生命の土台である。

そのタネがわずかの多国籍企業に独占されるという状況は、極めて危険なことだ。

しかしこの状況をもって、農家を責めるわけにはいかない。

土地土地の気候風土に適応し、農家が種採り更新していくことで

種の多様性が維持され、暮らしの安定を支えてきた筈なのだが、

今では農家の経営も市場の価値観に縛られているのである。

花を咲かせ、種を育てる時間的・空間的余裕も失われてきている。

 

かつてあった世界を取り戻す可能性があるとしたら、

それは有機農業が引っ張るしかない。

とはいえ、このハードルは高い。

 

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パネルディスカッションでは、

一貫して自家採種を続けてきた千葉県佐倉市の有機農家・林重孝さんや、

自然農法国際研究開発センター(長野県松本市) の品種育成の取り組み、

自家採種できる伝統品種を守ろうとしている野口勲さん(埼玉県飯能市・野口種苗研究所)

からの問題提起などが語られた。

司会は、大地を守る会の取締役であり、

埼玉県秩父市で有機農業を実践する長谷川満が務めた。

 

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今回の特徴は、「サカタのタネ」 と 「タキイ種苗」 という日本の2大種苗会社が

パネリストとして参加したことか。

両社は世界のトップ・テンに名を連ねる種子企業である。

種子生産は海外に依存しているが、

天笠さんはこの2社にも、GM作物に対抗するポジションにある存在として

エールを送ることを忘れないのだった。

 

GM作物も、殺虫成分に対する耐性を持った虫が現われるなど、

生物の生き残り戦略とのイタチごっこの世界に入っている。

除草剤耐性を持った大豆というのは、

モンサント社のラウンドアップをかけても枯れないということだが、

それはラウンドアップという除草剤の使用を前提とするもので、

単一の薬剤に依存しては、いずれ雑草に乗り越えられる。

GM作物の開発は、すでに8種類の遺伝子を組み込むまでに進化(?)

してきている。 いや、せざるを得なくなっている。

どんどんスピードアップする開発コストを回収するには、

モンサント・ポリスと言われる調査員を駆使して、

勝手に種を採って播いた農家だけでなく、

自然に花粉交配した畑の持ち主まで、特許侵害として訴える。

これはもはやファシズムと言わざるを得ない。

 

幸い日本では、まだGM作物は商業栽培まで至っていない。

スーパーで売られているお豆腐などに 「有機大豆使用」 と謳われたものがあるけど、

それらの多くは外国産のオーガニック大豆が原料として使用されている。

しかし僕としては、海外産オーガニックより、「国産大豆」 を選択することをお願いしたい。

食材の選択は、投票と同じ行為なのです。

願わくば、大地を守る会で地方品種や自家採種野菜をライン・アップさせた

とくたろうさん」 にもご支援を。

 

さて、セミナー終了後、懇親会に誘われたのだが、

この日の夜は以前から高校時代の仲間と飲む約束をしてあって、

辞退して引き上げた。

地下鉄に向かう途中、毎週金曜日の恒例となった

首相官邸前デモに集まってくる人たちに遭遇する。 

警備もバッチリ?

 

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(交差点の向こうにあるのが首相官邸。)

 

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僕は 「地下鉄に乗る」 と言っているのに、なぜかお巡りさんがついて来る。 

問い質せば、「いえ、駅もいろいろ分かれてまして、間違えないかと思って・・・」 と、

実に優しいのだった。

地下鉄に乗って、ハタと気づいた。

僕はこの日、ゲバラ (キューバの革命家) のTシャツを着ていたのだった。

 



2012年9月 1日

今年も飯豊山に登れず・・・

 

9月に入った途端にコオロギが一斉に鳴き始めたと思ったのは、

自分が気がついてなかっただけなのか。

まだくそ暑いのに、コオロギが鳴くと、秋になったような気になって、

心持ち涼しくなったような錯覚を覚える。

部屋のどこかに潜むゴキブリどもも、鈴虫のような音色を奏でてくれれば、

彼らに対するヒトの激しいまでの偏見も生まれなかったのではないか。

いや、、、家の中で夜中に我がもの顔に鳴かれたら、

かえって全滅させられたか。 相当にわびさびの精神がないと・・・だね。

生物学者の福岡伸一先生が述べておられる。

「 ゴキブリが害虫扱いされる理由はありません。

 ~ 彼らはこの地球の先住民です。

 ~ 分解者として環境を浄化する一方、

 他の生物の餌となって地球の動的平衡を支えています。

 もしゴキブリがいなくなったら地球の動的平衡はたちまち崩れ、

 人間を含めたすべての生物の生存も危うくなることでしょう。」

   ( 『遺伝子はダメなあなたを愛してる』 より)

 

しかしそう言われてもね、、、

とにかく、パニクってこっちに突進してくるのはやめてもらいたい。

ちなみに、ゴキブリを殺すなら、キンチョールより合成洗剤である。

僕はもっぱら新聞だけど。

 

くだらない話はともかく、今日は9月1日。

早朝から、大和川酒造店の佐藤工場長はじめ、

酒と山を愛する愉快な連中たちが、酒を担いで

飯豊(いいで) 山に登っているはずだ。

今頃は切合小屋で、酒も飲みほしてシアワセな寝息を立てていることだろう。

夜の風は少し寒いくらいか。。。

くそ~~ッ。 佐藤さんとも約束してあったし、

今年はゼッタイに登ろうと決めていたのに、ついに4年連続の 「エビ欠品」。

なんで仕事してんのよ~、こんな日に。。。

 

悔しいので、写真を載せる。 6年前の雄姿!

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(真ん中がワタクシです。)

 

一週間前の、種に関するセミナーの報告をしようと思ったのに、

気が散って、どうにも書く気になれない。

潔く諦めて、「種蒔人」 かっくらって飯豊山の夢を見よう。 スミマセン。

 


 



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