2012年9月16日

自分を大切に生きよ!-連続講座・第5回

 

『大地を守る会の 放射能連続講座』 をやるからには、この人を入れたい。

この人が入ることで一本の骨が通る、と思っていた。

この人の体験、人生、そして願いを、腹の底に記憶させて、

" 3.11後 "  を生きるんだ。

それによって歴史ともつながることができる。

 

昨日開催した 「連続講座」 第5回の講師は、

肥田舜太郎医師、御年95歳。

肥田さんを支えるスタッフと相談しつつ、ここは自分で行こうと決めて、

埼玉県にある自宅まで車でお迎えに上がり、

会場である日比谷図書文化館までお連れした。

こんなに慎重に首都高速を走ったのは初めてだ。 安全運転はけっこう疲れる。

 

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歴史の証言者、肥田舜太郎。

20代に軍医として広島陸軍病院に赴任。

8月6日は、爆心地から6キロ北にある村の農家の子供の診療に出たお陰で、

原爆の直撃を免れた。

しかしすぐにかけ戻って、自らも被ばくしながら、

ワケの分からない症状の患者さんたちを治療しては、看取り続けた。

その体験を、肥田さんは生々しく伝えるのだった。

時に哀しいジョークも交えながら。

 

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治療を続けるうちに肥田さんは、

ピカ (原爆) に遭っていないのに、被ばくした人と同じ症状が出て死んでいったり、

とにかく体がだるくて仕事ができないとか、

不思議な症状を訴える人々と相対することになる。

彼は後者の症状を 「原爆ぶらぶら病」 と名づけた。

それらの原因を突き止めるのに30年。

「内部被ばく」 と「晩発性障害」 という厄介な世界にたどり着いたのだった。

昨年は、5年越しの作業のすえ、

 『人間と環境への低レベル放射能の脅威』(あけび書房刊) という

低線量内部被ばくをテーマにした画期的な翻訳本も出版された。

 

肥田さんの経験譚は、とても再現できない。

腹に受け止めて、前に進むしかない。

 

フクシマ後をどう受け止めればいいのか、肥田さんは言う。

 - どこへ逃げたって同じ。 厳密に言えば、日本にはもう安全な場所はない。

    何を食べても同じ。 みんな被ばくしているんです。

 

僕としては、それはちょっと暴論では、、、とは思う。

被ばくはしていても、同じではない。

事実を知り、対策を学び、冷静に選択し、たたかうことで、

その後の生き方も結果も違ってくると思っている。

ここでの肥田さんの本意は、うろたえるな! ということか。

 

『 肥田舜太郎医師による、3.11 以降を生きるための7箇条 』

というのがある。

1.内部被ばくは避けられないと腹を決める

2.生まれ持った免疫力を保つ努力をする

3.いちばん大事なのは早寝早起き

4.毎日 3 回、規則正しく食事をする

5.腸から栄養が吸収されるよう、よく噛んで食べる

6.身体に悪いと言われている事はやらない

7.あなたの命は世界でたったひとつの大事な命

  自分を大切にして生きる

   (『311以降を生きるためのハンドブック』/発行:アップリンク より)

 

今の僕にはなかなか厳しい7箇条である。

社長の命令を 「身体に悪いですから」 と断ってみたい誘惑にはかられるけど・・・

せめて、肥田先生のような胆力を身につけたいと思う。

 

肥田さんの結論。

自分こそが自分の命の主人公。

親からもらった免疫の力を守り、健康に生きるよう、必死に努力すること。

人間は放射線を安全に操作することはできない。

原発も核兵器もなくして、「安全な地球」 を孫たちに残すこと、

そのために頑張り抜きましょう。

 

終了後のアンケートに、「椅子を用意すべきだ」 という意見があった。

たしかに90分立ちっ放しはきつかったかもしれない。

でも実は、肥田さんにきっぱりと断られたことを、釈明しておきたい。

 

さすがに質疑応答の時間は、座っていただけた。

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左はコーディネーターをお願いした

オーガニック・ジャーナリストの吉度日央里(よしど・ひおり) さん。 

たくさんの質問がペーパーで寄せられたが、

落ち着いててきぱきとさばいて頂いた。 

 

質疑の再現は、改めて録音を聞いてから、間違いのないようにお伝えしたい。

スミマセン、今日はここまで。

 

<お詫び>

なお、講演は USTREAM で中継しましたが、

ネットでのアーカイブ公開はスタッフの方から 「お断りしている」 とのことで、

アップできません。

悪しからず、ご了承ください。

 



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