2012年10月アーカイブ

2012年10月26日

アーバン・オーガニックラボ

 

今日は、クリエイティブ・ディレクターのマエキタミヤコさん (「サステナ」代表)

から依頼があって、「アーバン・オーガニックラボ」 なる集まりに参加した。

大地を守る会の話をしろという。

 

場所は赤坂にある 「日本文化デザインフォーラム」(JIDF) の会議室。

JIDFは30年の歴史があり、もとは任意団体として発足した組織だが、

震災後、より社会に貢献するために、一般社団法人として組織替えした。

アート、デザイン、建築、科学、哲学、都市計画・・・・・・ などなど、

多彩な分野で活躍されている専門家約120名が集まっていて、

それぞれの専門ジャンルの枠を超えて、会員相互で交流、啓発し合うことで、

これまでにない発想を生み出し、多角的な視点から

日本及び世界の 「文化をデザイン」 することを目指している (HP より)。

理事長はソーシャル・プロデューサーの水野誠一さんという方で、

副理事長にアーティストの日比野克彦さん、

顧問には何と哲学者の梅原猛さんという大御所が名を連ねている。

 

そこで会員自身が呼びかけて、そのテーマに興味あるメンバーが集まり、

意見交換し合うという場が 「ラボ」 と呼ばれているようで、

今回呼ばれたのは、水野さんが座長(ラボ・マスター) を務める

「アーバン・オーガニックラボ」 という研究会。

 

都市に、仕事や企業という枠にはまらない文化コンテンツを付加させながら、

オーガニック(有機的) な魅力を持った空間に高めていく。

有機的な人と人のつながり、人と仕事のつながり、人と暮らしのつながりのある

オーガニックな都市づくりについて、外部ゲストを交えて考える。

う~ん、、、美しいイメージだが、

「仕事そのものをどう創るか」 に日々明け暮れてきた模索者としては、

多少の違和感も抱いてしまうのである。

いやむしろ、「枠にはまらない」 と言いつつも、実は

仕事の質や関係のありようがいろんな場面で問われている、

そんな時代に入っていることを映し出しているということかもしれない。

とにかく僕は、大地を守る会の話しかできないし、と開き直ってドアを叩く。

 


夕方5時前くらいから、メンバーが順次集まってくる。

全部で20数名。

今回のゲスト・スピーカーは、僕も含めて4名。

どうやら大地を守る会には以前から藤田代表に依頼がされていたようで、

日が合わずに延び延びになっていたところ、逃げられないと観念したか、

「戎谷なら出せる」 ということになって追加で設定されたようだ。

何だか僕が一番の暇人みたいだけど、

こっちだって 「社長命令!」 によって急きょ予定を変更したのであって、

どうも  " ハメられた "  感が拭えない。

 

しかし、とは言え、異業種交流は嫌いではない。

今まで知らなかった世界や仕事に出会い、新しい発想を学ぶこともある、

ラッキーで美味しい仕事だと、内心は思っている。

 

さて、ゲストの方々のお話を解説し始めると相当長いものになってしまいそうなので、

それぞれのHPを紹介することでご勘弁願うこととしたい。

 

まずは、「オアゾ」 という会社の代表をされている松田龍太郎さん。

「オアゾ」 といっても丸の内のビルのことではない。

oiseau - フランス語で 「鳥」 を意味する言葉で、

" さまざまな種類の鳥たちが、木から木へ、土地から土地へ、飛び回り、

 新しい実を運び、新しい巣を作っては、心地よい歌声を披露し、

 新しい生命(いのち)を、その土地で育みます。"

そんな鳥のように、華麗に、そして繊細でしっかりとした 「ものづくり」 に励む

女性たちによって、企画・制作・運営を行なう。 

すべてがデザインに関わる女性たちで構成され、

企画やプロジェクト単位でチームを編成する仕組みらしい。

青森県十和田では、人・モノ・コト を 「bank」 (積み上げる?) という発想で

集め、束ね、新しい価値を産み出そうとしている。

男性は代表の松田さんのみだと。 僕にはできない、ゼッタイに。

 

次は 「リアルゲイト」 という不動産会社の岩本裕さん。

バブルがはじけて行き詰まりかけたビルをリメイクさせて、

起業家やアーティストたちのシェア・オフィスとして展開する。

普通の企業を相手にしていては見えなかった人々が現われ、

ビルをシェアし合い、つながりが生まれ、新しい価値が創造される。

そんな可能性を導くことができる、不動産業の新しい姿が語られた。

 

3番目は、「ギリークラブ」 や 「料理ボランティアの会」 を運営する、

渡辺幸裕さん。

人生の達人というのは、こういう人を言うのだろうと思わせるほどに、

楽しく人をつなげ、そのネットワークによってさらに活動の幅を広げていく、

実にエネルギッシュな方である。

「ギリークラブ」 とは、完全会員制かつ完全紹介制によって運営される、

カルチャー・センターのようなもの。

渡邊さんが 「ギリー」(案内人) となってアレンジした 「キーマン」 が、

毎回特定のテーマに沿ってミニ・セミナーを実施する。

その内容に関心を持った会員が参加し、ゲストと自由に意見交換する。

テーマはまったくフリーのようだ。

ワイン講座や生産地訪問など食関連が一番多いようだが、

歌舞伎セミナーや観劇といったエンタメあり、広告・マーケティング関連あり、

企業探訪あり、国の研究あり。

正会員は500名ほどで、年間150回ほど開催されている。

 

「料理ボランティアの会」 では、一流シェフによるボランティアを組織して、

" 食による被災地支援 "  を展開している。

有名ホテルの料理長はじめ、名だたるシェフが集められていて、

被災地を訪ねては現地で料理の腕をふるい、食べてもらう。

逆にホテルに招くこともある。

すごいネットワーク力と行動力である。 感服。

 

さてさて、僕の話はというと、いつもの調子。

大地を守る会の設立背景 (=食の時代状況) から始まり、

生産と消費をつなぎながら、一から仕事を作ってきたこと。

今の事業や社会的活動の概要、今直面している課題と夢について。

 

質疑では、放射能の問題やTPPなど、やはりこういうメンバーならではの

社会的な質問が多かった。

そしてお一人から、こういう感想を頂戴した。

「食が環境とつながっている。 食べることで環境を守る。

 この視点は、今まで考えもしなかった、新鮮な発見です。」

一人でも、そう言ってくれた方がいたことで、今回は良しとしたい。

 

食は社会の土台だと思っている。

したがって、どんな仕事とも、本当はつながることができる。

もっともっと、いろんな人とつながりたい、

そんな思いを強くして帰ってきたのだった。

 



2012年10月18日

御食国(みけつくに) 若狭・おばま を訪ねる

 

先週の久慈市山形町に続いて、今週は福井県小浜市を視察。

 

16日(火)、幕張から東京-米原-敦賀-小浜と、電車を乗り継ぐこと約5時間。

福井県の南西部、日本海側で唯一といわれるリアス式海岸が連なる若狭湾。

その真ん中に、小さな半島に挟まれた形で小浜湾がある。

暖流と寒流が交差する良好な魚場を有し、

奈良・飛鳥の時代より海産物や塩を朝廷に献上した

「御食国 (みけつくに : みけつ=天皇の食材)」 を謳う町。

背後には天然ブナ林が広がって、名水百選にも選ばれた水のきれいな町。

「地域食文化活用マニュアル検討会」 で、

藻谷浩介委員(日本総合研究所・主席研究員) が、

「 原発銀座といわれる若狭のど真ん中で、

 原発経済に依存せず、食と環境を守ろうとする姿勢に敬意を表したい」

とエールを送った町。

たしかに地図で見れば、右は敦賀に美浜、左は大飯、長浜である。

 

そんな町で、2000年、当時の市長が音頭を取って、

「御食国」 の伝統と文化を柱にした 「食によるまちづくり」 が宣言された。

01年、全国初となる 「食のまちづくり条例」 が制定され、

翌年には 「食のまちづくり課」 が設置される。

市内12の地区ごとに市民主体の 「いきいきまちづくり委員会」 が立ちあがり、

そこから上がってきた提案がなんと 900!

04年には、その市民提案をもとに

「小浜市食のまちづくり基本計画」 が策定されるとともに、

「食育文化都市宣言」 が採択された。

 

03年、食のまちづくり活動の拠点施設として建設された

「御食国若狭おばま食文化館」。 

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市の本気度がうかがわれる。

 

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小浜市は、塗り箸の一大産地でもある。

国産塗り箸に占める若狭塗り箸のシェアは、約9割を誇る。

 

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小浜を見ずして箸を語るなかれ、と言わんばかりに迫ってくる。

 

こんな展示もある。

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館内に設えられた 「キッチンスタジオ」。

今日は幼児の料理教室 「キッズ・キッチン」 が開かれたとのこと。

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公費負担で、市内すべての保育園、幼稚園の年長児を対象に開かれる。

幼児たちにちゃんと包丁を持たせる料理教室。

しかも竈(かまど) でご飯を炊くというこだわり。

親は見守るだけで口出ししてはいけない、というルール。

食材に興味を持たせるよう様々な仕掛けが工夫され、楽しみながら

食に対する積極性を引き出させる。

「キッズ・キッチン」 は料理の手順についての指導だけでなく、

食文化、マナー、協力し合うこと、約束を守ること、他人を思いやることなど、

いわゆる躾(しつけ) まで学べる機会として、

市外からも参加希望があとを絶たないという。

 

先生は、地元の若いお母さんたちで結成された

「食育サポーター」 の面々。

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子育て真っ最中のお母さんたちが、トレーニングされるだけでなく、

食文化の指導者として継承されていく。

 

さらにここのスゴイところは、「生涯食育」 と銘打って

ベビーから高齢者までプログラムが用意されていることだ。

都会に出て一人暮らしを始める高校生や大学生を対象にした 「新生活応援隊」。

団塊世代の男性料理教室 「男子厨房」。

さらに高齢者のための 「健康に食べよう会」。

これらがここキッチンスタジオで展開されている。

もちろん小中学校での農林漁業体験や生産者による出前講座なども意欲的である。

 

そして 「校区内型」 地場産学校給食の実践がある。

市町村単位ではない、市内15の小中学校すべてで、

学校区内の生産物が採り入れられている。 地元で水揚げされた海産物も含めて。

 

給食の時間には、校内放送で生産者の名前が紹介される。

生産者の畑には、生徒たちが描いた 「似顔絵看板」 が立てられている。

生産者の方々を学校に招待する 「給食感謝祭」 が開かれる。。。

生産者はもう、食の安全や環境まで気を配らざるを得なくなる

まだ少ないが、「有機」 の増加に向かっての目標も掲げられている。

2009年からは、小浜市産の米による完全米飯給食が実施されている。

食べ残しは格段に減り、生徒の欠席率も減少し、学力テストも伸びている

(全国レベルでみても高い水準) との報告である。

 

他にも、食生活改善推進員の有志で結成された 「グループマーメイド」 の活動、

福井県立大学との連携 (共同研究や学生たちの出張授業など)、

「食の達人」 「食の語り部」 認定事業、若狭おばま認証制度、

京都・橘大学による外部評価制度などなど、

食のまちづくりに向けた取り組みは枚挙にいとまがない。

 

これら一連の取り組みを下支えし、発信するのが

「食のまちづくり課」 政策専門員の中田典子さん。

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食の総合政策を掲げた自治体で、民間から招聘された立場として、

その思想の具現化と市民への浸透、さらには一次産業での実績づくりと、

まだまだ課題も多いと言いながら、凛とした獅子奮迅ぶりである。

 

調査に同行された

日本人のたたかう体をつくる」 予防医療コンサルタント・細川モモ委員といい、

この国は女がつくったほうがいいのではないか、という気にさせられる。

 

「京は遠ても18里」

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小浜と言えば、鯖 (サバ) である。

塩を振って京に運ぶ。 着いたころに塩が馴染んでちょうど良くなる。

運ばれた道は 「鯖街道」 と呼ばれた。

 

いろんなサバ料理が楽しめる若狭おばま。

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(「福喜」 という古くからある宿で頂いた〆鯖)

 

しかし今やそのサバも、ノルウェー産に頼らざるを得なくなってしまった。

その現状は、放射能連続講座第4回 で、勝川俊雄さんが解説した通りである。

 

浜まで足を伸ばしてみる。

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写真正面から右に向かって薄く見えるのが、おおい町の大島半島。

その突端 (右端、手前の半島の向こう) に、

いま日本で唯一稼働しているゲンパツが立っているはずだ。 

 

「食育」 の元祖、福井出身の食養家・石塚左玄が説いた

「身土不二」 の精神を条例に掲げる小浜市の、食にかけた町づくりに、

災いが降りかからないことを祈る。

いや、その場合は小浜だけの話ではない。

御食(みけつ) の帝都も例外なく汚染される、ということだ。

 

小浜のトンビは漁師を怖れず、低空を飛んでいるのだった。 

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帰りがけに お土産に買ったのは

サバの糠漬け 「へしこ」 と、すみません、オバマまんじゅう。

まったく外国の首長にまであやかって商魂逞しい、と思いつつ、

絵が笑えたのと、次に来た時にはなくなってるかもしれないと、つい・・・

 



2012年10月15日

"奇跡の出会い" から30年 ~ 山形村物語(最終回)

 

しつこい山形村レポート、最終回とします。

 

広々とした牧場で悠然と過ごす短角牛を眺め、

直後に牛ステーキを 「なるほど」 とか言いながら腹に収めた一行は、

休む間もなく会議室に。 

村 (今は 「町」 だけど) の関係者に集まってもらっての意見交換会を開催。

 

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口火を切ってもらったのは、元山形村・村長の小笠原寛さん。

1983年、35歳の若さで村長となり、4期16年にわたって村の発展に貢献された。

就任当時、たしか日本一若い村長さんとして

週刊誌にも登場したことがあったと記憶している。

今も毎日山に入る、現役の林業家だ。

 

「 30年前に村長選に立候補しようと思ったきっかけは、

 とにかく村の人たちに自信と誇りを持たせたい、という一心だった」

と小笠原さんは語る。

都会に出た時に、「岩手県山形村出身です」 と胸を張って言えるような村にしたいと。

 

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小笠原村政のポイントは、地元にある資源と文化を見直し、

それを基盤にして  " 自立 "  を目指したことにあったように思う。

レジャー施設やリゾート開発といった都市追従型の資源の切り売りではなく、

短角牛と山林資源を柱にした地場産業のしっかりした立て直しと、

地域の文化を再発見して、食の安全や環境で勝負しようとしたことだ。

〇〇がないからできない、ではなくて、〇〇がないからこそ〇〇ができる、と

村民たちとの対話を進めた。

当時としてはまだ新しいグリーンツーリズムの発想も持っておられた。

そして文化の再発見には、外からの視点が必要だとも考えておられた。

 

そんな時に、大地を守る会と出会ったのである。

小笠原さんにとって 「この出会いは、まさに奇跡だった!」。

 

都市との交流が盛んになるにつれ、村への誇りも湧いてくるようになった。

短角牛にも一流シェフのファンがついてきて、

草を食む健康な牛-グラス・ビーフ として注目されてきた。

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100%国産飼料への道のりは簡単なものではなかったが、

「これで自分たちのブランド・イメージが固まった」 と、

短角牛肥育部会長の下館進さん (上の写真右端) は語る。

若手のホープである柿木敏由貴さん (同左から二人目) が

家に戻って就農しようと決意したのも、

「経済だけじゃない。 たくさんのファンが来てくれ、価値を認めてくれる」

「外(都市) の人たちとの交流が活発に行なわれている」 ことを

「面白い」 と思ったから。

 

自給飼料を増やすために、遊休地をデント・コーン畑に変えてきた。

これは景観維持にも貢献している。

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しかしそれでも、生産者の減少による悩みは、ここも同じである。

林業も高齢化が進み、

確実に 「山を手入れする人は減ってきている」 (小笠原寛さん)。

それによって自慢の山の幸も少なくなってきた。

これからの重大な課題である。

 

短角牛を使い切るために、スジ肉やたくさんの具材を使って

短角牛マンを開発した 「短角牛マン母ちゃんの会」 の下館豊さん (下の写真・右) と、

「まめぶの家」 を運営する谷地ユワノ (同・左) さん。

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牛マンの開発にあたっては、

配合を変えたり具材を付け加えたり、何回も何回も試作して生み出された。

今も季節によって具を変えたりしている。

日量300~400個つくれるようになって、

ようやく観光会社からも大量の注文が入ってきたと喜んでいる。

 

まめぶに至っては、7つの集落ごとに具や味付けが違っていて、

以前に 「まめぶサミット」 というのを開いてコンテストをやったが、

みんな自分のが一番だと主張して、決められなかったとか。

この各戸秘伝の味が今や久慈の郷土料理として市全体に広がって、

月一回の料理教室も開いている。

近々北九州で開かれる 「B-1グランプリ (B級ご当地グルメ大会)」 

にも出展するらしい。 

まめぶを   " B級グルメ "  とはいかがなものかと思ったが、まあ

前に出ようという勢いがあるのはイイことか。

 

最後のあたりで、牛の王子様・カッキー こと柿木敏由貴が注文をつけた。

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スローフードとして短角牛が認定されたけど ( 『味の箱舟』 のこと)、

あまり経済にはつながってないように感じる。

いま検討されている 「マニュアル」 というヤツも、

ただの紹介や参考書のようなものでなく、

現実に地域の経済 (生産者の経営) に貢献できるものに作り上げてほしい。

 

委員会一同、「肝に銘じます」 。

 

肝に銘じたところで、山形村編、終わり。

ようやく終わったと思ったところで、

明日は朝6時に出発して、福井県小浜市に向かうことになっている。

今夜は飲まない、少ししか。。。

 



2012年10月13日

山形村 「物語」Ⅱ - 走る短角牛

 

今日は、 NPO法人農商工連携サポートセンターが主催する

「食農起業塾」 というセミナーに呼ばれ、1時間半の講義を務めてきた。

セミナーには、食や地域起こしで起業を目指す人、農業を夢見ている人など、

年齢もバラバラな25人ほどの男女が参加されていて、

与えられたタイトルは 「大地を守る会が目指す流通」 というものだったが、

勝手に 「大地を守る会が目指す流通とソーシャルビジネスの展開」 と書き加えて、

大地を守る会が誕生した背景から歴史、現在の事業や活動の概要、

そして自分たちに課してきたミッションの意味やこれからの課題などについて

お話しさせていただいた。

 

こういう場で大地を守る会の話をするとなると、必然的に

「食とは何か」 という観点を土台にせざるを得なくなっちゃうのだけど、

食を育む自然や環境とのつながりは、どうしても欠かせない要素となる。

食に関わる人の営みは常に環境にも深く、あるいは間接的に関与していて、

その質によって例えば生物多様性を豊かにすることもあれば、

激しくダメージを与える場合もある。

前者は人の心身も豊かにさせてくれるものとなり、

後者は持続性すら失いかねないものとなる。

どっちに転ぶにせよ、その最大の貢献者は 「食べる」 という行為である。

何を選び、どう食べるかという 「消費」 の質が、

社会の命運を決める最大要素の一つだと言えるのではないか、

とすら僕は思うのである。

 

「 君はどんなものを食べているか言ってみたまえ。

 君がどんな人であるかを言いあててみせよう」

とは、18世紀から19世紀にかけてフランスに生きた美食家、

ブリア・サヴァランの有名すぎるアフォリズムだが、

不思議なことに、その著書 『美味礼讃』 の冒頭で、

上記の一行前に記された言葉が引用されることは少ないように思う。

曰く- 「国民の盛衰は、その食べ方いかんによる。」

この意味において、「食文化」 とは趣味やグルメの話ではない。

 (いや、サヴァラン先生は 「グルマン」 と呼んで真の美食家の意味を説いておられる。)

 

郷土の伝統食を、当たり前のように家庭の味として育んできたということは、

その風土や環境が大切にされてきたことと、いわば同義である。

厳しい東北の気候風土にマッチして、粗飼料で逞しく生きてきた

「日本短角種」 を、何としても守っていきたい、という心が、

輸入濃厚飼料による霜降り牛肉によって淘汰されてしまった時、

この国が失うのは一つの種だけではないだろう。

 

「食文化を地域活性化の材料に」 と考えることはまあ良しとして、

ならばこの風景を、何としても見てもらわなければならないと思ったんだ。 

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山形町荷軽部に開かれた短角牛の基幹牧場、通称 「エリート牧場」。 

この呼び方は個人的には好きじゃないけど、

まあ生産者にとってはこの環境こそがエリートなのだろう

(種牛のエリートが放されているというのが本意らしいが)、

林地も含めて約60ヘクタールの土地に60頭の牛が放牧されている。

それが2ヶ所。 つまり一頭につき1ヘクタール。

欧米でも理想とされる放牧面積だ。

 

田んぼや畑と同様、元はといえば自然を破壊してつくられた

牛肉生産のためのほ場なのではあるけれど、

草を食む牛という動物への配慮をもって開かれたものである。

問題はそれをどう大切に維持させていくかの思想ということになるだろう。

 

牛たちは、厳しい冬季は牛舎内で育てられ、春になると山の放牧地に放たれる。

牛たちは喜んで走り回るという。

思いっきり駆けたあとで子を探す母牛がいたりするらしい。

そして放牧期間中に自然交配され、冬に牛舎で子を産む。

仔牛は母に連れられて放牧され、母乳で育つ。

短角牛の母は子育て上手と言われていて、

よって牛は気だてがよく健強に育つ。

 

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自然のなかで育った短角牛の肉質は、低脂肪で赤身になる。

引き締まった肉には、旨みの源であるグルタミン酸やイノシン酸が豊富で、

噛むほどに味わいが増す。

そもそも脂肪のとり過ぎを気にしながら、筋肉に脂が入った柔らかい牛肉を求めること自体、

極めて不自然な欲求と言える。

サヴァラン先生が現在の日本を見たら、どんな皮肉の言葉を発することだろう。

 

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「いやあ、牛って走るの早いんですわ。」

そんな説明を聞ける場所が、この国の何処にあるだろうか。

 

エリート牧場を視察後、昼食は 「平庭山荘」 という村唯一のホテルで、

短角牛ステーキを注文する。

人間の頭は実に自分に都合よくできているものだ。

彼らの肉を食らうのに抵抗感がない。

まあ農水省の方や調査員の方々にも食べてもらわなければならないし。。。

 

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平庭山荘に注文がある。

美味しかったです。 とても美味しかったけど、

ステーキだけじゃなく、もっとリーズナブルなお値段で短角牛を食べられる

料理も用意してほしい。 せめて、せめて1,000円前後までで。

けっこう懐にもこたえる昼食でした。

領収書を貰ったって、会社が持ってくれるわけないし。。。

皆さんもここは短角牛ステーキを食べるしかないという気分で、

村に貢献した視察にはなったけど。

 

午後は、関係者が集まってきて意見交換会が設定された。

すみません。思い入れが強くて、終わらないね。

さらに続くで。。。

 



2012年10月12日

岩手県山形村 「物語」 - 農舎とバッタリー

 

「物語が生まれる社会の豊かさ」 とは哲学者・内山節の言葉だが、

ここ岩手県久慈市山形町、僕らが今も言う 「山形村」 にも、

人の交流によって数々の物語が生まれた。

 

「食文化」 の専門家でもない自分が検討委員に推挙され、

自分の持っている最大限の知識とセンスで、できるだけ貢献したいと思って

吟味した結果、推薦した地域がふたつ。 

そして山形村が調査地域としてピックアップされた。

全国各地で模索されている地域活性化の取り組みに、

少しでもヒントになるものが提出できれば嬉しい。

 

10月11日、朝9時前に農水省の担当官がバス停に到着し、

昨夜山形村入りした調査員お二人とともに、村内を巡り始める。

 

久慈市山形支所で、山形村短角牛の概要をレクチャーしていただき、

最初に訪れたのは、第3セクター 「有限会社 総合農舎山形村」。

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短角牛をはじめとする地元一次産品の持続的な安定生産を支えるための加工施設として、

久慈市と新岩手農業協同組合、そして(株)大地を守る会の共同出資により

1994年に設立された (当初の出資者は、山形村、陸中農協、(株)大地牧場)。

 

設立されて18年が経ち、これまでに開発された加工品は150アイテムに上る。

従業員はパートタイマー含め32名。 すべて地元雇用である。

年間売上約2億円の半分は、働く村の人たちの給与と

地元生産者の収入(=農舎の仕入額) に落ちている格好だ。

 


到着して、工場長の木藤古(きとうご) 修一さんがイの一番に見せてくれたのが

これ、松茸!

「ようやくとれ始めましたよう。 1ヶ月遅れですかね~。 

 会員さんを待たせてしまっているようで、スミマセ~ン」 と頭を下げる。

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山形村を代表する山の幸。

まだ小ぶりだけど、これから順次発送が開始される。

農林水産大臣から頂いた認定証と一緒に記念撮影。

 

こちらは山ぶどう。 野村系と言われる品種で、粒が大きく糖度がある。

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山ぶどうの生産者は48人いるが、生産工程がきちんとトレースできる

3名と契約している。

大地を守る会の基準に基づいた生産を約束してくれた3名、という意味である。

 

その山ぶどうを原料に作られた、100%果汁とワイン。 

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山ぶどうワインは、イオンさんのブランド 「フード・アルチザン」 にも認定され、

11月にはお店に並ぶことになっている。

 

大地を守る会で独占しないのかって?

Non Non! ひとつの販売先に経営を依存してはいかんのです。

しっかりと自力で販路を開拓することが、地域に根を張る加工場としての

大切な自立戦略なのです。

というわけで、今年の春からは、

アレフさん (ハンバーガーレストラン「びっくりドンキー」を経営、宗教団体ではありません)

から委託された外販用ハンバーグの製造も始まっている。

こういう広がりがあるからこそ推薦もできるわけである。

 

こんな企画も用意されている。

11月9日、あの世界のトップソムリエ・田崎真也さんを招いての

山ぶどうサミットだと。

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もちろん山形村短角牛についても、

着実に消化する受け皿として機能している。

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写真右端が木藤古修一さん。

 

続いて向かったのは、修一さんのお父さんである

徳一郎さんが運営する 山村生活体験工房 「バッタリー村」。

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戸数5、人口18人、

国からの助成は一切受けてない日本一小さな村。

出迎えてくれたのはバッタリー村大使、山羊の 「とみー」 ちゃん。

女の子ですけど。 

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バッタリーとは、わずかな沢の流れを利用して石臼を搗いて、

雑穀を製粉したりする道具のこと。 立派な自然エネルギー技術である。

この村には、宿泊所 「創作館」 はじめ、炭焼き体験所、

炭焼き小屋を復元した「山村文化研究所」、

露天の五右衛門風呂 「徳の湯」 などがあり、

自然を活かした生活文化を体感しようと、毎年たくさんの人が訪れる。

まさにグリーンツーリズム立村。

 

今年は都市との交流30年を記念して、新たな公園が開設された。 

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公園といっても、どうも山の入口に看板を立てただけのように見える。 

う~む、逆転の発想か。

 

木藤古徳一郎村長。

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「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」 

宮沢賢治の 「農民芸術論綱要」 を村の精神として掲げる、誇り高き村長である。

僕の好きな一節は以下。

 

  いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ

  芸術をもてあの灰色の労働を燃せ

 

  ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある。

  都人よ来ってわれらに交われ 世界よ 他意なきわれらを容れよ

 

  なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ

  風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 

  おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらすべての田園と

  われらすべての生活を ひとつの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか

 

ちなみに、大地を守る会で販売する自家採種の野菜や地方品種のブランド名である

「とくたろうさん」 は、徳一郎さんのお父さんの名前から頂戴したものである。

じっくりと徳一郎さんの話を聞きたかったのだが、

今日のスケジュールはせわしない。

いよいよ短角牛へと向かう。

 

さらに続く。

 



2012年10月11日

ふるさとの 「食文化」 が誇りとなる道筋

 

岩手県九戸郡山形村。 現在は岩手県久慈市山形町。 

2006(平成18) 年3月、久慈市との合併で 「村」 は消滅した。

しかし、僕らにとってはやっぱり 「山形村」 は 「山形村」 だ。

その気持ちは 「村」 の人にとっても強いものがあって、

我らが山形村短角牛は、合併の翌年、思い切って商標登録を取得した。

村の名をこの牛に託したのだ。

したがって、『山形村短角牛』 は愛称や名残りで呼んでいるのではなく、

正しい名称であることを、ここに改めて宣言しておきたい。

 

その短角牛と白樺の里にやってきた。

何年ぶりだろう。 10年以上にはなるね。 

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以前(8月10日付9月20日付) お伝えした、

農水省他関係省庁によってつくられた 「地域食文化活用マニュアル検討会」 で、

久慈市山形町が事例調査の対象地域のひとつとして選ばれた。

今日はその調査にやってきたのである。

 

平庭高原にある、東北で唯一の闘牛場。

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大会は今度の日曜日(14日) だとかで、幟(のぼり) も立って準備万端相整い、

あとは牛の登場を待つばかり、という感じ。

ああ、それに合わせて来たかったのに、、、

いや、これは観光ではないのだと自分に言い聞かせる。

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実は昨日のうちに現地に入った僕は、

宿でひと足お先に山形村の食材を堪能させていただいた次第 (もちろん自腹)。

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ウグイの塩焼きにシメジの煮浸しに米ナス焼き・・・

そして、これが山形村の郷土食の代表選手とも言える 「まめぶ汁」。 

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胡桃と黒砂糖の入った小麦団子に焼き豆腐・野菜・きのこが入ったすまし汁。

正月・結婚式から葬式まで、地元では欠かせない行事食の一品。

各家庭ごとにその家の味があると言われる。

この山形村の伝統食が、今では久慈市全体の郷土食として語られるようになった。

嬉しいような、ちょっと寂しいような・・・

というのが山形村のお母ちゃんたちの心境のようだ。

 

こちらは 「ひっつみ」。 (写真が下手でスミマセン。)

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小麦粉をこね、薄く伸ばして手でちぎって (これを 「ひっつむ」 という)、

鶏肉や季節の野菜、きのこなどと一緒に煮込む。

 

これらのふるさと料理や昔から栽培されてきた雑穀など、

村の人にとっては当たり前すぎて  " 価値を見直す "  など考えもしなかった食材を、

「発見」 したのは都市の消費者との交流によってだった。

30年前の話である。

きっかけは、大地を守る会が、日本の風土に根ざした健康な牛肉として

山形村の 「日本短角種」 という品種の牛肉を販売したことによる。

 

Gパン姿の、金もない若者がやってきて、「短角牛」 を販売したいと言う。

こんな素性の知れん奴らに売って大丈夫なのか、

村はすったもんだの議論になったようだが、

不自然な霜降り肉が幅を利かす市場競争のなかで、

このまま短角牛を脱落させるわけにはいかない、少しこいつらに賭けてみるべか、

ということになったらしい。

牛のことはよく分かってなさそうだが、一所懸命な感じだし・・・

決断したのは、当時の陸中農協販売部長だった木藤古徳一郎さん。

現在の 「バッタリー村」(後述) 村長さんである。

 

1981年12月、3頭の出荷から 「大地を守る会」 との取引が始まった。

そして2年後、「山形村産地交流ツアー」 が開催される。

都会の消費者が山形村に足を踏み入れて感激したのは、

風土に根ざした食とそれを育む自然の姿だった。

 

いま大地を守る会国際局の顧問をしていただいている小松光一さんが、

こんなふうに書いている。

「 山形村には、日本各地では近代化によってつぶされてしまった暮らし方や文化が、

 いまだ 「未開」 のプリミティブなものとして残存していた。

 いわば、山形村は、農業近代化が充分に開花結実しえないままに、

 農業近代化をのりこえようとする団体、「大地を守る会」 に出会ってしまった・・・ 」

  - 小松光一・小笠原寛著 『山間地農村の産直革命』(農文協、1995年刊) より -

 

以来30年。

山形村と大地を守る会の交流は続き、

2005年には国産飼料100%の牛肉を実現した。

サシ(脂、霜降り) の入らない赤身肉として、

健康な香りのする旨み成分の高い牛肉として、

今や何人もの一流シェフから評価を頂くようになった 「山形村短角牛」。

この牛肉を柱として、気がつけば、

まめぶやひっつみも自慢の郷土食として堂々と振るまわれるようにもなった。

 

そして今日は、「食文化を地域活性化につなげるためのマニュアル作成」

にあたっての、事例調査となったわけである。

 

続く。

 



2012年10月 8日

" 希望 " は、僕らの手で創り出すしかない

 

放射線の影響に関する国や専門家たちの見解は、

ほとんどすべてが ICRP (国際放射線防護委員会) の考え方に依拠している。

自分も 3.11 まではそうだった。

しかし原発事故後の国や専門機関の対応のいい加減さに強い憤りを覚え、

改めて調べ直し、その欺瞞性を訴え始めた。

-と、北海道がんセンター院長の西尾正道さんは振り返る。

 

ゆえに、政府や政治家は言うに及ばず、

(原子力推進を前提とした) ICRP の判断を鵜呑みにしている専門家への怒りも

強くなってしまったのかもしれない。

西尾さんの舌鋒は、いつ終わるのかと不安になるほど熱の入った全面展開で、

20分ほどオーバーしてようやく終了した。

主催者としては、嬉しくもハラハラといったところ。

 

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ICRP が採用する 「しきい値なし直線(LNT) 仮説」 に基づいて、

政府は 「(実効線量で) 100mSv 以下での発ガンリスクはない」 という。

 ( ICRPの本来の解釈は、「確率的影響には境(しきい値) がない」 であって、

  「リスクはない」 という意味ではない。)

しかし実は 100mSv 以下でもガン・リスクがが増加するデータはたくさんある、

と西尾さんは指摘し、いくつかのデータを示す。

チェルノブイリ後に出されてきている様々なデータも、

低線量長期被曝のリスクを示唆している。

しかし、それらに対して ICRPはなんら反論もせず、無視し続けている。。。

 

また現在の判断基準や規制値のいい加減さに対しても、西尾さんの批判は厳しい。

事故後設定された一般公衆の被ばく限度線量(20mSv) が、

放射線業務従事者が働く管理区域基準の 3.8倍に当たるという矛盾。

あるいはチェルノブイリより4倍も高い避難基準。

 (チェルノブイリでは1~5mSvで移住する権利を保証=助成する制度になっている。)

 

聞きながらつくづく思う。

この国は、国民の健康を守ることよりも何かを優先している。

それを感じ取った人々の怒りが渦巻いている。

この怒りは、時が経てば収まるものではないだろう。

手当てが遅れれれば遅れるほど、ツケは利子のように積み重ねられてゆく。

 

「科学的に証明されてない (エビデンスがない) から安全である」

というのは、科学的立場ではない。

科学と生命倫理をつなげるのは、やはり予防原則的な考え方になるのではないか。

食品の安全基準についても、西尾さんの見解は

「 " できるだけ低く "  としか言いようがないですね」 であった。

まさに大地を守る会が追求している姿勢である。 

 

後半の質疑応答では、

切り詰められた時間のなかで、できるだけ最大公約数的な疑問解消に努めたけど、

質問用紙の多さに正直たじろいだ。

自己採点は63点、といったところか。

 

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6回の講座を経て、まだまだ消費者の不安は解消できていない。

難しいのは、放射線によって健康への影響が発現するには時間がかかることと、

それによって因果関係が証明不能になっていくことだ。

例えば、60年代生まれの方から、ご自身の病気や周囲にガンが増えていることについて、

「核実験の影響ではないか」 という質問が寄せられたが、

西尾先生の答えは、

「影響はあるかもしれないが、それが理由だとは言えない」 である。

60年代といえば、各地で 「公害」 問題が顕在化した時代であり、

農業では  " 近代化 "  という美名のもとで農薬が多投入されていく時代であり、

この頃から食品添加物の使用量も一気に増えてゆく。

イニシエーター(発がん因子) は放射線だけではないことを忘れてはいけない、

と西尾さんは強調された。

『複合汚染』 とストレスが増大する時代にあって、

病気の原因を突きとめることは不可能に近い。 というか、一つではないだろうし、

しかも複雑に絡み合って進んでいる、と考えておいた方がよいように思う。

 

6回シリーズを終えて得た一つの答え。

 - 僕らに求められているのは総合的な対策である。

まとめでは、次の展開をお約束するしかなかった。

 

質疑応答の最後に投げた質問。

「希望はどこにあるのでしょう?」

西尾先生の答え - 「希望は、、、ないね。」

 

ここで西尾さんは政治への絶望を語ったのだが、

それで僕らも一緒に絶望するわけにはいかないのであって、

であるなら、" 希望 "  は、自分たちの手で創り出さなければならない。

 

放射能というとても厄介なものと向かい合わなければならない時代。

この困難を乗り切るために、全力を尽くしたい。

乗り切るとは、子どもたちに、様々なツケではなく、胸を張って渡せる社会を築くことだ。

第5回の肥田舜太郎氏の言葉を借りて、とりあえず締めたい。

" 自分の命を大切にして、それぞれの人生を生き抜きましょう "

 

必ず、次のステージをお約束します。

 

講演後、「飛行機の時間までまだ少しあるから」 と、

西尾さんは会場玄関の一角で参加者からの質問に気さくに対応いただいた。

重ねて感謝申し上げたい。 

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<追記>

西尾正道氏が関わっている 「市民のためのがん治療の会」、

および 「市民と科学者の内部被曝問題研究会」 の活動については、

ホームページをご参照ください。

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2012年10月 7日

低線量内部被曝を考える -放射能連続講座・最終回

 

6月から開始した 「大地を守る会の放射能連続講座」 も

昨日で最終回を終えることができた。

安堵して気が抜けたような感じと、いくつかの反省点、

そして残された課題に対する焦りのような思いで、複雑な状態の日曜日だ。

 

昨日の話は、なかなか厳しかった。

講師は独立行政法人 国立病院機構・北海道がんセンター院長の西尾正道さん。

放射線治療の最前線で臨床ひと筋、

日本で最も多くのガン患者さんの治療にあたった医師の一人と言われる。

しかも 「市民のためのがん治療の会」 の協力医として

市民サイドに立った医療活動も実践され、また

低線量内部被ばくの問題にも真摯に向き合ってこられた貴重な現役医師。

少々無礼な依頼の仕方で、しかも安い講演料にもかかわらず、

この大地を守る会の講座のためだけに、札幌から日帰りで上京していただいた。 

深く感謝する次第である。

 

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西尾先生は語る。

 

放射線に関する研究の歴史はまだ100年ちょっとしかない。

人類が生物としてさほども進化しない間に、科学技術だけがどんどん発達して、

生命倫理や哲学が置き去りにされてきた。

 

学生時代からマルクスや吉本隆明などを読み漁り、

" 社会における医学とは " という問題意識を持って生きてきた。

やっとこさ医者になってからは、徹底してガン医療の臨床現場に身を置いてきた。

ガラスバッヂをつけて、最も放射線を浴びた医者だと任じている。

死生観や医学行政がおろそかにされてきた国で、

医者の前半20年はやたら切りたがる外科医とのたたかい、

後半20年は抗がん剤を投与したがる内科医とのたたかい、

言わば  " 医療ムラ "  とのたたかいだった。

 

今の放射線の知識はすべてICRP (国際放射線防護委員会) の理論に準拠している。

3.11後、国や専門機関がちゃんと動いてくれるものと思っていたら、

まったく機能しなかったことに強い憤りを覚え、自力で調べ語り始めた。

 

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気合の入ったイントロから始まり、

放射線の基礎部分の解説、内部被ばくの仕組み、ガンとはどういう病気か、

放射線による人体への影響について、

そして現在の 「定説」 の問題点へと、話は展開されていく。

 

講演内容は大地を守る会のHPでアップしているので、

ぜひご視聴いただきたい。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza/ 

 

西尾先生からは、

「ネットで記録を残すとなると、" ここだけの話 "  ができないんだよね」

と言われてしまった。 

たしかに、、、せっかくこのために来たんだから本音トークをやりたい

という気持ちは、主催者にとってはとても有り難いことであるし、

会場まで足を運んだからこそ聞ける、と思ってもらうことが

実は演者の本望でもある。

たまに講演に呼ばれることがある自分の経験から鑑みても、

自分のお喋りがそのまま公開されるとなると、やはり慎重に言葉を選ばざるを得なくなる。

ちょっとした言葉の選択ミスが批判の的になるのがネット社会だから、

どうしても原稿を読むような話になってしまうのは避けられない。

肥田舜太郎さんのように気合いで語る方だと、

スタッフの方が慎重になることも充分に理解できることだ。

たくさんの人に伝えたいと、今回は動画アップを前提に企画を組んだのだが、

それはそれで限界があることをご理解願いたいところであり、

アップを了解いただいた講師の方々には本当に感謝しなければならない。

第3回の早野龍五さんの 「本邦初公開の数字」 なんていうのも、

この連続講座を評価してくれたからこその冒険だったのかもしれない、と

改めて思ったりするのである。

アンケートでも、「西尾先生の本音トークをぜひ」 という声が複数寄せられた。

講師陣に恵まれた連続講座を組めたことを、とりあえず喜びとしたい。

 

自分の思いを挿入してしまったですね。 すみません。

明日に続けます。

 



2012年10月 3日

収穫祭 & 自立祭

 

幸い台風17号の被害はそれほどなく(沖縄を除いて)、

しかしホッとする間もなく、真っ盛りとなった今年の収穫の秋はどこも豊作気味で、

販売へのプレッシャーはどんどんきつくなってきている。 踏ん張り時だね。

 

我が専門委員会 「米プロジェクト21」 でも、今月は二つの収穫祭が続く。

10月20日(土) が、千葉・山武での 「稲作体験」 最終イベントとなる収穫祭。

そして27日(土) が、福島・須賀川での 「大地を守る会の備蓄米」 収穫祭。

 

その 「備蓄米」 収穫祭では、

例年にない試みが準備されてきている。

生産者組織 「稲田稲作研究会」 の米の集出荷を担当する (株)ジェイラップが主催して、

地元の人たちを招いての

 『風土 in FOOD 自立祭』 と銘打ったイベントが組まれ、

大地を守る会との収穫祭も、これにジョイントするという仕掛けになったのである。

 

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(昨年の収穫祭から)

 

ジェイラップでは実は昨年もこの時期に、

地元の人たちと一緒に 「復興祭」 というのを催している。

そして今年は、「復興から自立へ」 をテーマに掲げた。

そこで、例年だと9月末か10月頭に催していた当会の収穫祭も、

それに合わせる形で日程を組むことにした。

備蓄米の生産者と大地を守る会の消費者による収穫祝い、という枠を越えて、

地域の人たちとも一緒に 「自立」 を謳おうというワケだ。

 

純粋に 「作る楽しみ、食べる幸せ」 を感じ、

誇れる風土を自らの力で守り育てていくために-。

  (ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんの呼びかけから)

 

さて、そこでご案内です。

大地を守る会では、東京駅から大型バスを借り切って向かいますが、

席がわずかながら残っております。 いかがでしょうか。

震災による被害、さらには原発事故という苦難を乗り越え、

一丸となって対策に取り組んできた生産者たちの生の声に耳を傾け、

未来に向けた意気込みを感じ取っていただけたなら嬉しいです。

 

スケジュールは以下の通りです (「続きを読む」 をクリック)。

 


◆日程 10月27日(土)

◆行程   7:50 東京駅八重洲中央口ヤンマービル前集合

       8:00 出発

      10:45 東北自動車道・鏡石PAスマート出口下車

      11:00 現地着

            ほ場見学~除染実演

      12:00 施設見学(米乾燥設備、備蓄米貯蔵タンク、精米設備など)

      13:30 交流会 ~地元の食材一杯の交流会です~

              生産者紹介、会員からのメッセージなどなど

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 (昨年の交流会風景)

 

      14:30 「風土 in FOOD」 開催

              オープニング/トークショー/旬彩料理と地酒満喫・直売コーナー

              /屋外ライブ など

      16:00~16:30 終了(「風土 in FOOD」 は続いています) バス発

      19:00頃 東京駅着 解散

◆参加費(バス代込み) 大人(中学生以上) 3,000円、小学生以上 1,000円

                小学生未満 無料

◆持ち物 水筒など。 お弁当は不要ですが、食事開始が13:30頃になります。

※ 車・電車での参加も OK です。 最寄駅=東北本線・鏡石駅(送迎します)

 

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 (同上)

 

行ってみようかしら、と思われた方は、

「コメント」 にてご連絡ください (メールアドレスをお忘れなく)。

折り返し詳細の連絡を差し上げます。 (コメントはアップしません。)

 

復興から自立へ!

" 安全で美味しい米づくり "  に懸けてきた彼らが、

いよいよ脱原発社会に向けて、

自然エネルギーによる自立した地域を築こうと前に進む姿を、見てほしい。

そして彼らの情熱を支えているのは、他ならぬ消費者の存在です。

どこよりも美しい生産地を再建する、

その輪を一人一人のつながりによって大きくしていきたい。

会員・非会員を問わず、一人でも多くの参加を願っています。

 



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