2012年11月アーカイブ

2012年11月27日

福島の海を考える(Ⅱ)

 

気がつけば、もう11月も最後の週。

車で走れば、4時半にはスモールランプを点灯させる季節になっちゃってる。

 

先週、ワタクシの席からこっそり撮った1枚。

夕日に映える富士山を拝む。

まだ勤務時間内、勝負はこれからという時間なのに、

世間は暮れ始めている・・・

e12112601.JPG

 

e12112602.JPG

 

今日も一日、世は平和に暮れてゆく・・・みたいだ。

いや、誤解なきよう。

窓際に座らせられているからといって、けっしてたそがれているワケではありません。

厳しい現実とたたかう日々であります。

 

さて、気持ちを切り替えて、前回に引き続き、「福島の海を考える」。

日にちが前後してしまったが、11月14日、東大本郷キャンパスで

「フクシマと海」 と題した一般向け講演会が開かれた。

 

e12112502.JPG

 

実はこの講演会に先立って、国内外から90名の専門家が集まって

二日間にわたって非公開のシンポジウムが行なわれている。

それを基にしての、一般向けの発表となったものである。 

 


原発事故後の海や魚介類の汚染の推移について、

国際的な共同体制によって様々な計測調査が行われてきた。

研究者たちがチームを組んで、原発沖30km地点内に入って

海域モニタリング調査を開始したのが3月22日。

乗組員はトイレの水(海水を使う) にも不安を感じながら計測を続けた。

海洋放射能汚染では、日本は加害者の立場である。

正確な情報を伝える義務がある、という意識を持って取り組んできた。

 

そんな基調が語られ、続いて5名の研究者から、

海洋での放射線核種の推移や魚の汚染状況、

水産食品の安全性確保に関する施策の問題点、

人への健康への影響、そして報道の役割、について報告が行なわれた。

 

e12112503.JPG

 

カリウム40など自然放射性核種が大量に存在する海洋中で、

福島原発事故由来の核種を測定するのは、かなり難しい作業だった。

全体からするとごくわずかであり、60年代の核実験の頃からのものも残っている。

海水の濃度は急激に減少していっている(薄まっている) が、

河川からの流入や原発からの放出は今も続いている。

また多くは海流に沿って拡散していくが、

少量は海底に溜まり、それは希釈されない。

 

魚では稚魚のほうが取り込みが早いが、

エラからの排出(塩分濃度の調節により) と、排泄物と一緒に排出されることで、

セシウムが体から抜けるのは想定していた以上に早いことが分かってきている。

(排泄物は海底に溜まるか、プランクトンに移動する。)

 

マグロが回遊しながら、

日本近海からカリフォルニア沖に到達するまでの時間は1~4ヶ月。

その間の対外排出で10分の1程度に減少したと推測される。

e12112505.JPG

 

海水はきれいになってきているが、

なぜか一部の魚で濃度の低下速度が遅いものがあり、

また個体によって高い濃度のものが出たりしている。

原因はよく分からないが、エサに起因していると考えざるを得ない。

 

イカ・タコから放射性物質が検出されないのはなぜか?

 - 分からない。 体の仕組みによるのだろうが、今もって謎である。

 

私たちが食品から受けている自然放射能による内部被ばく量は0.98mSv。

それに対して放射性セシウム(原発事故由来) による内部被ばく量は0.014mSv。

現状ではガン発生リスクはきわめて低いと判断できるが、

追加的曝露はできるだけ避けるべきである。

(事故当初、ヨウ素の高かった所のリスクは上がるが、今それを測ることはできない。)

日本の食品基準は非常に低いレベルだと言える。

(この見解は、ここに集まった専門家たちの共通認識のようであった。)

 

日本政府のリスクコミュニケーションはうまく働かなかった。

ロンドンではリアルタイムで情報が更新されていたのに、

日本では正しく情報が出されず、安全基準が何度も変えられたことで、

政府への不信感を高めた。

国民を守ることが本義であったにもかかわらず、パニックを怖れ、

リスクを過小評価した。

逆にリスクを強調する報道の問題もあり、数値の意味が正確に伝わらず、

独立機関や研究者からの見解も出されなかった。

・・・・・・・などなど。

 

いろいろと参考にはなったが、海洋大学でのワークショップ同様、

特段に新しい情報や知見は得られなかった。

ま、今のところ言えることはここまで、まだまだ時間がかかる、

ということなのだろう。

 

驚かされたのは、以前 「日経エコロジー」 誌で対談 (※) させていただいた

松田裕之さん(横浜国大教授) が、

食品の安全・安心の確保に向けた取り組みの事例として、

大地を守る会を紹介されたことだ。

e12112504.JPG

 

突然、大地を守る会のHP画面が映し出されて、目が覚めた。

いや、起きてはいましたけど。。。

 

松田さんから見て、大地を守る会の基準に対する考え方は

「厳し過ぎてかえって風評被害を生み出すおそれがある」 というものだが、

それでも、福島の農産物を積極的に応援しながら、

一方で 「子どもたちへの安心野菜セット」 というのを販売している、

こういうかたちで消費者に  " 安心 "  を提供しようと努力されている団体もあると、

評価していただいた。

一瞬拍手しようかと思ったが、控えた。

松田先生、この場を借りて御礼申し上げます。

 

また今回の報告者の一人で、海洋大学のワークショップでもお話をうかがった

神田穣太さん(東京海洋大学大学院教授) によれば、

前日のクローズドのセッションで、勝川俊雄さん(三重大学) も

大地を守る会の紹介をされていたとのこと。

嬉しくなるとともに、身が引き締まる思いである。

 

ちなみに、外国の方に 「安心」 という感覚を伝えるのは難しいのだそうだ。

松田さんが苦心して用意した言葉は 「peace of mind」 。

たしかに、いま私たちが使っている 「安心」 のニュアンスは、

security とも、ease とも、rest とも、微妙に異なるような気もする。

 

さて、議論の最後は、ここでもリスクコミュニケーションの問題になった。

松田さんは以下のようにコメントされた。

 

リスクはゼロにはできない。

それに対してどうするか、を語る訓練を (国も科学者も) してこなかった。

科学者は、実証されてないことについて語る訓練もできていない。

政府は、安全を強調しようとするあまりに信用されなくなった。

リスクを正確に伝え、冷静に理解される仕組みづくりが必要で、

それには独立系科学者やNGOの役割も重要になる。

 

リスクをどう語り、理解し合い、コミュニケーションするか。

これは科学者だけの問題ではない。

流通や販売の世界は、ともすれば安全あるいは安心の競争に終始しがちである。

松田さんや勝川さんの期待に応えられるよう、

僕ももっと訓練を積み重ねなければならない。

 

(※)松田先生とのやりとりは、7月5日の日記だけでなく、

   8月8日 にも後日談を報告しています。 ご参照ください。

 



2012年11月25日

福島の海を考える

 

昨日(24日)は、

中小企業診断士の方々による流通問題の研究会に呼ばれ、講演した。

メンバーは診断士の資格を持って多様な業界に籍を置く方々で、

3連休の真ん中の夜にも拘らず、

大地を守る会の話を聞きに来てくれるのかと思うと、

人数に関係なく手は抜けない。

パワーポイントのスライドだけでなく、紙資料も用意して臨んだ。

 

与えられたテーマは、

「食品の安全・安心に向けた取り組みを通じ、今後の流通を考える」。

大地を守る会の流通事業の概要について、組織論から食に対する理念も含め、

歴史を辿りながらお話しさせていただいた。

放射能対策の取り組みについての関心も高く、

質疑では放射性物質の基準のあり方にまで及んだ。

何か一つでもお役に立つ情報が提供できたなら嬉しい。

講演後は、お誘いもあり、居酒屋で懇親会。

他人事ながら、皆さん家庭のほうは大丈夫なのでしょうか・・・

 

さて、遅れ遅れになりながら、ではあるけれど、

この日のレポートも記しておかなければ-

 

11月18日(日)、前日の 「藤本敏夫没後10年を語る」 会を終えて、

肩の荷がひとつ下りたところでボーっと過ごしたい日曜日だったのだが、

気持ちを取り直して、朝から品川にある東京海洋大学に出向き、

「福島の海と魚を知ろう」 というワークショップに参加した。

 

主催は 「東京海洋大学・江戸前ESD協議会」 。

お誘いをいただいたのは、海洋科学部准教授の川辺みどりさん。

大地を守る会の会員で、三番瀬のアオサ・プロジェクトや

専門委員会 「おさかな喰楽部」 の活動にも関わってくれている。

ちなみに 「ESD」 とは、

「Education for Sustainable Development」

- 持続的発展のための教育 - の略。 

 


 

今回の参加動機は、

福島の漁師さんたちの  " 今の声 "  が直(じか) に聞けることと、

海洋汚染の何か新しい情報が手に入らないか、という期待だったのだが、

後者に関しては未だ継続調査の段階で、

安全性について明解に語れる状況ではないと再認識させられたのみ。

例えば、マダラやアイナメといった魚種で、

相当に低い値のデータが蓄積されていく中で、突然濃度の高いサンプルが出る、

といった具合なのだ。

基準値を超えたものが一本出るだけで、出荷は制限される。

 

そんな状況下で、相馬原釜(はらがま) 地区の漁師さんたちは、

魚を獲るためではなく、瓦礫撤去や調査のために船を出す日々が今も続いている。

この日来られた方々は、「相馬漁業産直研究会」 という組織を立ち上げ、

新たな産直ルートの開拓や消費者との交流などを進めてきたところで

震災と原発事故の直撃を受けてしまった。

ホームページでの直販ページも開店休業状態である。

お店を開きながら、棚に並べる魚がない。 やり切れない話だ。

 

3.11当日の様子や被害の悲惨さが語られ(家族を亡くされた方もいる)、

何としても漁業を再建したいという思いでやっているが、

トンネルの出口が見えないのが辛い・・・・・

淡々と語る4人の漁師さんたち。 年齢は30~50代か。

脂が乗った世代だけに、この悔しさは僕らの想像を超えたものだろう。

 

漁師さんの話を聞き、放射性物質の動向をおさらいした後は、

参加者同士で問題点と方策について話し合う時間となる。 

考えたことをポストイットに書き、模造紙に貼りながら、

テーブルの意見をまとめ上げていく。

 

e12112501.JPG

 

最後にテーブルごとに発表し、質疑をやって、全体のまとめへと進む。

不安が拭えない原因は、やはり情報の信頼性の問題が大きい。 

そして専門家の役割へと。

基準と安全性についてのリスクコミュニケーションをどう進めればいいのか、

という迷いも見受けられた。

リスクコミュニケーションがうまくいかない理由は・・・

自分なりに回答の鍵を持っているつもりだが、まだうまく構成しきれてないことも知る、

色々と考えさせられるワークショップとなった。

 

福島と海の問題については、

11月14日に東大で開催された一般向け講演会も聴講したので、

次にその報告も重ねてみたいが、

とりあえず、今日はここまで。

 

海洋大学を後にして、午後3時半、日比谷公園を覗いてみる。

『土と平和の祭典 2012』 は、前日の雨とうって変わって、

秋晴れの清々しい天気の下で、たくさんの人出で賑わったようだ。

e12112509.JPG

 

日が暮れていく時間帯ということもあって、

人の流れは帰る方向に変わりつつあったけど、

それでもまだステージは充分盛り上がっている。

e12112507.JPG

 

あとで聞いた話では、登紀子さんのボルテージは

前夜からさらに上がっていたとのこと。

 

e12112508.JPG

 

大地を守る会のブースは、すでに完売。

反応は上々との事。

片づけも終わって、「お疲れ様でした!」 。

 

e12112506.JPG

 

二日連ちゃんで疲れ気味のスタッフもいて、ブース組はこれにて解散。 

僕も上がらせてもらう。

お登紀さんや Yae ちゃんのステージもパスしちゃって、すみません。

ま、あとは元気な若者たちにお任せで。

 



2012年11月23日

「希望」 を捨てないこと

 

「藤本敏夫没10年を語る」 第2部は、立食パーティ。

 

故人を偲ぶ場でもあるかと思うんですが、いいのでしょうか。

「いいのよ、希望を語る場なんだから。 やっちゃいましょう」

と登紀子さんのひと声で、「鏡開き」 での2部開演となる。

お酒は新潟・JA津南町から届いた樽酒 「霧の搭」 。

 

e12112209.jpg

 

藤本さんの戦友、『インサイダー』編集長・高野孟さんによる乾杯があって、

しばしご歓談タイムに。

古い仲間と、あるいは昔のライバルと、交流を楽しんでいただければ-

でもくれぐれも内ゲバは無しでお願いしますよ。

内ゲバは藤本さんが強く戒めた行為です。

 


今や各界で重鎮となった方々のリレートークが始まる。

 

本会実行委員を引き受けていただいた青果物流通研究会幹事長、

松源商事(株)代表取締役、鹿間茂 様。

 

島根から、(有)木次乳業相談役、佐藤忠吉 様。 

e12112211.jpg

「だいたいの病気は経験したからねえ、体はボロボロ」

と言いながら、90歳にして矍鑠(かくしゃく) たる振る舞いは脱帽するしかない。

 

全国産直リーダー協議会事務局長、千葉・さんぶ野菜ネットワーク常勤理事、

下山久信 様。

e12112212.jpg

「藤本さんから託された言葉を、私は忘れてません。」

有機農業の発展に尽くす覚悟であります、、、とそんな挨拶だったような。

 

伊藤忠食品(株)相談役、尾崎弘 様。

e12112213.jpg

藤本さんの遺影に向かって語りかける。

 

(株)きわむ元気塾社長、元・(株)すかいらーく代表取締役、横川竟(きわむ) 様。

あづま食品(株)会長、黒崎信也 様。

「種まき大作戦」世話人、鴨川T&T研究所長、田中正治 様。 

生活クラブ風の村理事長、池田徹 様。

 

その後も何人もの方が登壇しては、藤本敏夫を語るのだった。

藤本さんの交友の広さを、改めて思い知らされる。

 

残り30分となり、

歌手となった次女・Yae ちゃんに挨拶と歌をお願いする。 

e12112214.jpg

 

Yae ちゃんはますますお父さんに似てきたように思う。

二児の母になって、もう 「ちゃん」 で呼ぶ年齢ではないね、ごめん。

Yae さんが歌った

日本ユニセフ協会メッセージ・ムービー 「ハッピーバースディ 3.11」 のテーマソング、

名も知らぬ花のように」 は、ぜひ聞いて欲しい。

 

トリはもちろん、加藤登紀子さんしかいない。

e12112215.jpg

 

参加者にお礼を言いながら、

目の前にたしかな道が開かれていることを、

藤本さんが示した 「希望」 の道があることを、語った。

どんな辛い時でも希望を捨ててはいけない、が彼の口癖だった・・・

 

藤本敏夫が果たせなかった、農の革命、農による革命の姿が、

お登紀さんには見えているかのようだ。。。

 

エンディングでお登紀さんが提案。

「藤本が好きだった知床旅情を、みんなで合唱したい。」

e12112216.jpg

 

この曲が好きだった男を、僕はもう一人、知っている。

同僚だった彼との 「お別れ会」 でも歌った。

あれ以来、封印していたのに・・・ だめだ、泣きそうになる。

 

名残り惜しく、解散。

 

e12112217.jpg

 

参加された皆様が、それぞれに 「希望」 を感じ取っていただけたなら

本望であります。 

 

裏方はともかく、表向きは何とか回ったので、安堵する。

会計の締めなど面倒な残務が残っているが、

最低限の責任は果たせたかなと思う。

手伝ってくれたスタッフの皆様、この場を借りて御礼申し上げます。

 

おまけの一枚をアップしておこうかな。

誤解を恐れず・・・

e121122番外.jpg

新右翼団体 「一水会」 会長、鈴木邦男氏と。

初めて生でお会いした 「鈴木邦男」 は、穏やかで、やさしいオジ様ふうだった。

藤本さんは政治信条や思想を超えて愛される方だったけど、

はたしてこの方とはどんな論争をやったのだろうか。

深く気になるところだ。

 

今や  " あいつは左翼に転向したか "  とか揶揄されたりしている鈴木さんだが、

右とか左とかの単純な色分けで語る時代は、とっくに終わっている、

と僕は思うのである。

 したがって、「赤から緑へ」 というのも違和感がある。

赤であろうが白であろうが、あるいは黒であろうが、

足元には緑がなければならない。

 

藤本さんが好きだった、

裕次郎最後の歌 (加藤登紀子作曲) の一節にある。

 

  右だろうが 左だろうが 我が人生に悔いはない (「我が人生に悔いなし」)

 

カラオケで歌って悦に入ってる場合ではないんだよね。

 

( 注:本レポートに使用した写真は、前回も含め、すべて弊社・宇都宮義輝撮影。)

 



2012年11月22日

「藤本敏夫」 後の10年を語る

 

大地を守る会初代会長、元 「鴨川自然王国」 代表理事、

藤本敏夫さんが亡くなられて10年が経った。

亡くなる前に、当時の武部勤農林水産大臣に宛て、

次代の食と農を再建する道筋を説いた 「建白書」 を提出し、

若者たちに向かっては 「農に帰ろう」 と呼びかけた。

「青年帰農」 は藤本さんの遺した最後のメッセージだ。

 

11月17日(土)、この10年の時を見つめ直す集い。

藤本敏夫没後10年を語る ~ " 土と平和の祭典 "  の前夜に~」。

 

場所は、学生運動に青年の血潮を燃やされた 「いちご白書」世代には

実に懐かしいことであろう、日比谷松本楼。

それらしい世代のひと癖ありそうなおじさんたちが続々と集まってくる。

なかに混じるように、藤本さんの影響を受けた我々世代や若者たちの姿がある。

これはけっして同窓会ではない。

この10年の流れを読み解き、未来への希望を確認するために、

僕らは集まったのだ。

 

妻の加藤登紀子さんが持参した写真が飾られた。

いい顔してる。 藤本さんはホントにカッコよかった。

e12112201.jpg

 

" 獄中の男と結婚!"  という、

芸能界では今もって例を見ない伝説のスキャンダルから始まり、

幾度かの離婚の危機を乗り越え (僕が知っているのは1度だけだけど)、

鴨川自然王国設立の時には  " 円満別居 "  なる新語が生まれた。

危うい関係のようでいて、僕らには分からない  " 絆 "  が二人をつないでいた。

 

定員180名の部屋にぎゅうぎゅうと詰め込む。

文句や不満は言わせず詰め込む。

e12112200.jpg

 

17:00、第一部の開会。

実行委員長・藤田和芳 ((株)大地を守る会代表取締役) の挨拶。 

 

e12112202.jpg

 


  いま世の中は大変な混乱のなかにある。

  もし藤本さんが生きていて、この状況を目の当たりにしたら、

  いったい何と言うだろう。 そしてどんな行動に出るだろう。。。

 

藤田のこの言葉が、今日の基調になったようだ。

 

司会をお願いしたのは、フリー・アナウンサーの山川健夫(ゆきお) さん。

e12112203.jpg

 

元フジテレビのアナウンサーだが、

いただいたプロフィールに、すでに気合いが入っている。

「 1970年、朝の情報番組内での 「ベトナム反戦通信」 がもとで番組を降ろされた挙句、

 その後の社内闘争でアナウンサー生命まで失う。  もっとも

 今も番組に出ていられたとしても、「反原発通信」 で間違いなく降ろされていただろう。

 1985年退社後、東京を離れ、房総の里山で 「農的暮らし」 を実践。

 しかし昨年の3.11後、放射能によって快適な循環的暮らしを断たれた。

 「いのち」 を無視した人間社会の在り方を根こそぎ変えたい。」

 

 明治大学 「野生の科学研究所」 所長・中沢新一氏による記念講演。

タイトルは、

「今こそ農業の時代 ~藤本敏夫から託された未来~」。

e12112204.jpg

 

開催近くなって、ご本人は 「赤から緑へ」 という表題を希望してきたのだが、

もう案内チラシにも書いちゃったんで、とやんわりお断りした。

もしかしてご機嫌ななめかと心配していたが、冒頭からその話で切り出された。

「 『赤から緑へ』 のタイトルでやりたいとお願いしたんだが、

 どうもみんなから不評を買ったようで・・・」

すみません。

 

e12112205.jpg

中沢さんは、大きな歴史的文脈のなかで

藤本敏夫という人物を捉え直されていたようだったが、

この会の事務局責任者としては、話は聞こえていても頭に入らない。

裏方はけっこうドタバタで、

あの人が来ない、あれがない、3階(第2会場) に中継がつながらない、、、

とかなんとか、いろんな調整と判断で焦ったり混乱したりしていたのだった。

覚えているのは、こんなくだり。

「 藤本さんはただ有機農業の必要性や意義を語っていただけでなく、

 文明の流れを読み、描き、しっかりした歴史観を持って、語り、行動された。

 ただ、ちょっとだけ早過ぎた。。。」

 

講演に続いて、登紀子さん司会によるトークセッション。 

「 『青年帰農』 から始まった10年 若者たちの新しい生き方 」  

e12112208.jpg

 

パネラーは、まず

農山漁村文化協会・編集局次長で季刊 「地域」 編集長、甲斐良治さん。

2002年、増刊 「現代農業」 の編集長時代に 『青年帰農』 特集号を組み、

病院で藤本さんのインタビューを行なった。 それが藤本さん最後の言葉となった。

次に、山形・米沢郷牧場代表の伊藤幸蔵さん。

1999年、藤本さんの呼びかけで結成された

「持続農業推進 青年農業者連盟」 の代表も務めている。

 

「茨城自然小国」 の斎藤博嗣さん。 脱サラを考えていた時に

『青年帰農』 特集号に出会い、鴨川自然王国を訪ね、茨城で就農した。

そして、現在の鴨川自然王国代表である藤本博正さん。

経過は斎藤博嗣さんと同様だが、こちらは自然王国のスタッフとなって畑を耕し、

藤本さんの次女・ 八重ちゃんと結婚した。

藤本さんが亡くなって自然王国をどうしようかという話になった時、

「私が受け継ぐ」 と宣言したのが八重ちゃんだ。 

その後の運営に、博正さんの存在が大きな力になった・・・んだと思う。

 

藤本さんはよく、農 「業」 に進まなくてもいい、「農業ごっこ」 のようなものでもいい、

とにかく 「農」 に触れる、「農」 を知る、「農」 的な暮らし方が大事である、

と説いていた。

そういえば大地を守る会の会長時代、

「大地を守る会は有機農業運動の小学校である」 と言われたことがある。

つまりどんな人にも門戸を開放して、

たくさんの人たちに有機農業に触れる機会を提供する、

そんな入門編的な役割がある、と。

藤本さんはあの時点ですでに、中学校も高校も大学も想定した

新たな構想を描いていたワケだ。

 

登紀子さんはステージで、よく語っていた。

「夢見る男は美しい」 と。

あの頃、オレたちチンピラは飲むたびに

「夢だけじゃ食えねえんだよ」 と野良犬のように吠えていた。

 

いまたくさんの若者が有機農業を目指す時代になった。

「有機農業で飯が食えるか」 という大人の問いかけなどモロともせず、

「農」 の世界に飛び込んでくる若者たち。

彼らは、「飯を食う」ため、の前に、「生き方」 として

「有機農業」 を土台にした暮らし方を求めているように思う。

彼らがこれからどんなふうに社会にコミットし、

どんなムーブメントを起こすのかはまだ未知数だが、

社会の価値観の地殻変動を示すひとつのマーカーであることは間違いない。

明日の 「土と平和の祭典」 の主役も彼らたちだし。

 

セッションの内容は、、、ちゃんと聞けてないので割愛。

藤本さんの思い出ではなく、「青年帰農」 から生き方を変えた男たちの

今今の  " 農への思い "  が語られたことと思う。

それが登紀子さんが願った藤本さんへの餞(はなむけ) だろうからね。

 

とりあえず、一部終了。

 



2012年11月20日

伸くんの大豆で作った豆腐 -「フード・アクション」で受賞

 

各種レポートの途中ですが、

早く伝えたいと思っていたニュースがあるので、はさませていただきます。

 

農林水産省が食糧自給率向上を目指して展開している

「フード・アクション・ニッポン」 なるキャンペーン活動があって、

そこで自給率向上に貢献する様々な取り組みを表彰する

「フード・アクション・ニッポン アワード2012」 にて、

大地を守る会で販売している 「東北想い・宮城の大豆の豆腐」 が

「食べて応援しよう!賞」 を受賞しました。

 

e12112004.JPG

 


これは、震災以降販売不振に苦しむ宮城県登米市の大豆生産者

「N.O.A」 さんの有機・無農薬の大豆を使って、

神奈川の豆腐メーカー 「おかべや」 さんが各種のお豆腐をつくってくれたもの。

販売が始まってから僕も毎週1丁か2丁は買うようにしているが、

なかなか大豆をさばききれないでいる。

そんな折りでのこういう受賞は、大変有り難いものである。

広報部隊も、少しでも販売に貢献しようと、

メディア関係にリリースしてくれている。  詳細は、こちらを見ていただければ。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/press/2012/11/2012.html

 

N.O.A の高橋伸 さんにしてみれば、

" 表彰状よりも発注(大豆の注文) が欲しい! " 

というのが偽らざる本音だろうと思うけど、

各方面に PR してるってことだけは、これを機にお伝えしておきたい。

 

「N.O.A」 高橋良・伸親子を紹介した記事は、もう2年以上前になるか・・・

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2010/02/04/

参考まで。

 

「フード・アクション・ニッポン」 については、だいぶ前に少々批判したことがある。

たしか、何億もの予算(税金) を使っていろんな広告やイベントを打っても

自給率は一向に上がらず、広告代理店(D通さん) に吸い取られてるだけだと、

そんな感じで皮肉ったと思う。

最近はバックナンバーを探すのもひと苦労で、、、、、これかな

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2008/10/27/

 

いや、もうひとつ、たしか

「朝ごはんを食べると成績が上がる」 といったような電車の広告に

神経逆なでされて、 

「余計なお世話じゃ! みんな必死で生きてんだ! こんなもんに税金使いくさって」

と噛みついた覚えがあるのだが、見つからない。

 

ま、しかし、それはそれとして、

自分たちの活動や食材が評価されるのは、素直に嬉しいことなのである。

堂々といただいて、宣伝にも使わせてもらいます。

 

表彰状は、現在、幕張本社の受付前に飾られている。 

先般いただいた、稲田・ジェイラップからの感謝状と並んで。

e12112003.JPG

 

お客様が眺めてくれるのを見たりするのも、素直に嬉しい。

 

「東北想い・宮城の大豆の豆腐」

まだ食べてない方は、ぜひ一度お試しを!

 



2012年11月19日

短角ナイトⅡ

 

ブナの森は広大な天然の水がめだった。。。

 

三陸や秋田の誇り高い漁師や百姓たちが、

汗を流して千年先まで守ろうとしている水源がある。

いっぽうで僕らは、水道代さえ払えば水は手に入る、

それが当たり前の日常を享受している。

水源地の保全に日々不安を感じながら暮らすこともなく、

ダムの貯水量が減って節水が呼び掛けられた時だって、

次に雨の降る日までのいっ時の辛抱のような感覚だ。

 

母国へのお土産に何が欲しいかと聞かれ、

「水道の蛇口」 と答えたアフリカ人がいたという話があるが、

笑ったり蔑(さげす) んだりしている場合ではないように思う。

安全な水と食料の安定確保は、

古今東西を問わず国家存続をかけた一大事業であったし、

常に争いの元になる生命資源なのに (今もシビアに進行している)、

いつの間にかこの国の政治家の多くは、土台の重大性を忘れちゃったみたいだ。

お金さえあれば国民を幸福にできると信じているのだろうか。

 

政治の 「治」 とは、もとは水利を管理することを表した文字である。

世界のあちこちで水道事業が企業に乗っ取られていってる時代にあって、

水保全と一体であるべき一次産業を育成できないで

自由市場主義にただ身を任せようとする政治とは相当に危うく、

愚かだと言い切っておきたい。

 

ま、政治への言及はしばらく慎重にしよう。 騒々しい事態になってるし。

それに、福島での収穫祭から小水力発電、秋田でのブナの森づくりと

振り返っているうちにもいろんな出来事があって、ネタがどんどん溜まってる。

 

17日(土)は 「藤本敏夫没後10年を語る」 会を何とか無事に終え、

昨日は朝から東京海洋大学のワークショップに出て、

午後は日比谷公園の 「土と平和の祭典」 に顔を出した。

 

いやその前に一本、この報告をしておかなければ。

11月10日(土) の夜に、丸の内 「 Daichi & keats 」 で開かれた食事会

- 「 短角ナイトⅡ 」。

 先日長々とレポートした農水省の 「山形村調査」 でお世話になった

下館進さん (JA新いわてくじ短角牛肥育部会長) が参加されるというので、

お礼を言いたくて申し込んだ。

調査の報告書もお渡ししたかったし。

 

この日、下館さんたち3名は、

横浜市青葉区にある 「こどもの国・バーベキュー場」 で開催した

「 " 食べて応援 "  バーベキュー大会」 に参加した足で

丸の内まで来られたのだった。

疲れも見せず、短角牛のPRに努めている。

強い思いと、誇りがあるのだ。

 

19時、「短角ナイト Ⅱ」 のスタート。

e12111101.JPG

 


「やまがたむら短角牛」 の特徴を説明する下館進さん。

 「牛と一緒に暮らしてきた」 という表現がすごく自然に受け止められる、

それが山形村の人たちである。

e12111107.JPG

 

東北山間地の風土に合って、健康に育てた  " 当たり前の牛肉 "  が

" 幻の和牛 "  とか言われて光を当てられるのは本来の望みではないだろうが、

安全性(=健康)へのこだわりでは 「比類ない和牛」 だと、胸は張りたい。

 

店内では、ずっと撮りためてきた  " 短角牛の1年 "  の映像が流されていた。 

e12111108.JPG

 

仔牛の出産風景や闘牛大会や放牧地で跳ねる姿など、貴重な映像が撮られている。

現在編集中とうかがった。

封切りは、、、東京集会あたりかしら (勝手な推測)。

 

「 Daichi & keats 」 自慢の農園ポトフ。

e12111104.JPG

このゴロゴロ感が、農家の庭先で野菜を食ってるぞって感じで、

何か分かんないけど、やる気になる。

 

そして、この日のメイン・ディッシュの登場。

「短角牛のワラ包み焼き」 

e12111102.JPG

 

一度焼いて、ワラで包んで、さらにオーブンにかける。

店長の町田正英が、「これからオーブンにかけます」 と披露して回る。

 

e12111103.JPG

 

ワラの香りがする牛肉!!!

 

e12111105.JPG

 

燻製の香りではない、ワラにくるまれて火を通ってきた牛肉の、

野趣でいて品のある風味が、とてもウマい。

短角牛の滋養がドレスアップされて・・・とか気取って言いたくなる、

短角牛の魂を伝えようという料理人のチャレンジ精神を感じさせる逸品だ。

 

短角牛センマイと雑穀のアラビアータとかいうのも美味かった。

酒が進んでしまって、雑穀おじやと D&k デザートは周りの方々に譲って、

あとで後悔する。

 

e12111106.JPG

 

山形村の調査報告書を下館さんにお渡しし、

町田店長のはからいで、参加者に農水省の検討会の報告もさらっとっさせてもらった。

 

地域で育まれた食文化をちゃんと見直すことが地域の活性化につながる、

そのモデル・ケースのひとつとして山形村と短角牛が指名された。

経済性の尺度だけで切り捨てられつつあった地域を、

地域再建のヒントを有する事例だと持ち上げるのも調子のいい話だけど、

社会資産の見直し、価値をはかるモノサシの転換に向けて、

引き続きホンモノをぶつけていきたいと思う。

 

「短角牛のワラ包み焼き」 ・・・今もあの香りが忘れられない。

短角もすごいが、ワラの力もあなどれない。

日本食文化の素材とは、美しい風景を構成する者たちでもあるのだ。

何としても守ろうよ! と叫びたい。

 

次に食べられるのはいつだろうか・・・

僕にとっては宴会2回分の出費に相当したのが、なかなか厳しいところだ。

 



2012年11月16日

白神トレッキング

 

ブナの植林を終え、温泉に浸って、

ライスロッヂ大潟 (気兼ねなく自由に滞在してもらおうと黒瀬さんがつくった宿泊所)

にもう一泊させてもらって、

4日(日) は白神山地まで足を伸ばした。

 

こういう日程が組める曜日回りは6年に1回しか巡ってこない。

駆け足での遠征ではあるけれど、

担当事務局・西田が希望者のために用意してくれた

「白神山地トレッキング 貸し切りタクシー8時間フリープラン」

に便乗させていただくことにした。

10人乗りのガイド付きタクシーだ。

 

選んだのは秋田県八峰町の留山~薬師山散策コースと、

青森県深浦町の十二湖散策コース。

まずは、留山のブナ天然林を歩く。 

e12111500.JPG

 

ここからはもう解説はなし (正確にできないし)。

下手な写真でも、僕にとっては貴重なオプション・ツアーだったので、

雰囲気くらいは残しておきたいのであります。

e12111501.JPG

 

e12111502.JPG 

 


樹齢200年だったか300年だったか・・・

ガイドの方の解説に耳をそばだて瞬間理解してもメモを取るわけでなく、

僕はただただ感心して見とれるだけ。

e12111503.JPG

 

熊の爪痕。

e12111504.JPG

 

その熊が必死で木をよじ登ってでも食べたいのが、

ブナの実。

e12111505.JPG

硬い殻を剥いて齧ってみる。

さっぱりとした甘さがあって、美味しい。 子供の頃食べたシイの実に近いか・・・

e12111506.JPG

ブナってやっぱ、寓話的想像をかき立てる樹だよね。

人と森の物語を・・・

 

留山コースを降りて、青森に向かって海岸線を北に走る。

途中立ち寄ったイカ料理のお店で昼食をとる。

e12111513.JPG

 

ここから青森、十三湖めぐり。

 

e12111507.JPG

 

e12111514.JPG

 

e12111515.JPG

 

e12111508.JPG

 

e12111509.JPG

 

ブナの森に囲まれて、こんな湖沼が13、じゃなくて本当は33ある。

e12111511.JPG

 

平成の名水百選に選ばれたという

「沸壺池の清水」。 優しい水! 本当にウマかった。

e12111510.JPG

 

e12111512.JPG

 

e12111516.JPG

 

少しの汗をかいただけで、

旨い酒を頂戴しながら楽しい夜を過ごし、

たっぷりと紅葉の森林浴に浸って、

山と海の壮大なスペクタルに思いを馳せ、、、

植林の手伝いとか言いながら、まったく

自分をリフレッシュさせるために来た3日間だった。

渇望してたんだな、きっと。 森の精霊のパワーを。。。

 



2012年11月13日

ブナ1本で 一反の田を

 

  森は此方に海は彼方に生きている 天の配剤と密かに呼ばむ (熊谷龍子)

                                                 - 『森は海の恋人』 より -

 

11月3日、5年ぶりの参加となった秋田でのブナ植栽。 

(大地を守る会としては第3回から連続で参加している。)

前日、畠山さんのお話を聞いた後だけに、

彼方の海を思い浮かべながら、源流の森へと入ってゆく。

いや河口の村から水のふる里に、今遡っているのだ。

 

まだ目新しい、キレイな看板が立っている。

今日のために立てたのかしら。

e12111208.JPG

ネコバリ岩以外は、今しがた通ってきた場所の案内だ。

「三平の家」 とは、映画 「釣りキチ三平」 のロケに使われた茅葺の家のこと。

 

それにしてもスタッフの方々は大変だ。 

わずかな事故も一人の怪我人も出さないよう、よく気を配られている。

e12111401.JPG

ネコバリ岩の下に橋をかけ、落ちないように人柱で立って。

ここの水は冷たいし、今日は水量も少々多い。 通るのが申し訳なく思えてくる。 

 

2005年から拠点にしている第3植栽地の集合場所。

見慣れた横断幕が掲げられている。

e12111402.JPG

 

南秋田郡五城目町の役場から出発すること約一時間。

八郎潟に注ぐ馬場目川の上流部にやってきた。 

源はこの先にある標高1037 m の馬場目岳である。

 

今年の参加者は150人くらいか。

大地を守る会からは、過去最高の18名が参加。

e12111403.JPG

 

諸注意を受け、班分けして、鍬と苗木を担いで、出発。

我々は5班にあてがわれる。 

少し登って、着いてみれば割と平坦な場所で、気持ち的には楽勝って感じ。

いざ作業開始。

e12111404.JPG

 


黒瀬友基くんもスタッフ仕事の合間に、木を植える。

子どもたちの未来のために- 

e12111405.JPG

 

親父の正さん。 大地を守る会会員の方と一緒に。 

e12111406.JPG

黒瀬さんにとっては、減反政策とのたたかいも、

水源の環境維持も、おそらく同義である。

ともに食の基盤を守る作業であり、農の自立と直結した営みなのだ。

 

自立した農民でありたいからこそ、未来を見据えて木を植え、

将来の水を担保させる。

これは 「当たり前の値段でお米を買い、食べ続ける」 ことが、

すなわち水を守ることにもつながっている、ということでもある。

だから僕は前から機会あるごとに、

こういう米には消費税はかけないで、それによって消費を応援すべきだ

(食べることで国土が守られている=税金を軽減させてくれてるんだから)、

と主張しているのだが、誰も耳を貸してくれない。

消費は何でも同じではないのに。

 

安全な食の安定供給と環境を支える力は、税金に頼る前に、

こういう作業を当たり前のようにやる農林漁業の存在であり、

「食べる」(=買い支える) ことで彼らとつながる消費 (者) の存在である。

一次産業の環境保全機能を維持させる 「生産と消費のつながり」 は、

社会の基盤づくりでもあるのだ。

 

思いっきり鍬を振る。 意思を込めて。

 

20年続けてきて、ほぼ予定の植栽地は植え終わったということらしい。

今年はいつもより本数が少なく、思ったより早く終了。

5 班の方々、お疲れさまでした。

e12111407.JPG

 

20年間で、植えた広葉樹が15,130本。

持続こそ力、だね。

 

今年も変わらず、美味しい水だった。

e12111408.JPG

永遠に涸れることなく、田畑を潤し、海の森も育ててくれ。

 

作業後は、里に下りて、廃校となった小学校の校舎で交流会。

毎年のように来てくれるソプラノ歌手、伊藤ちゑさんの

「ぶなっこコンサート」 も開かれる。 

e12111409.JPG

(顔が暗くなっちゃって、スミマセン。)

 

オー・ソレ・ミオ、少年時代、もみじ、ハレルヤ、、、、

そして 「ふるさと」 やテーマソングである笠木透の 「私の子供たちへ」 を、

みんなで合唱する。

 

交流会後、オプションで始めた頃の植栽地を訪ねた。

今も残る、第1回(1993年) の時の看板。 

e12111410.JPG

 

しっかりしたブナの森に育ってきている。

その陰には、夏の下草刈りなどの管理作業も欠かさない

生産者たちの汗がある。 

 

e12111411.JPG

 

カモシカのフン、発見。 

e12111412.JPG

 

しかしよく見ればあちこちに、いやけっこう至る所に、落ちている。

野生動物も増えているらしい。  

森は生き物たちと一緒に包容力を増してきている。

 

植えて19年目を迎えたブナに抱きつく黒瀬正。

「よう生きてくれたわ。 こいつは大きゅうなるでぇ」 と破顔一笑。 

e12111413.JPG

 

古くから、「一尺のブナ一本で 一反の田を潤す」 と言われる。

約 30 cm のブナ一本で 10 a の田を、

反収 8 俵強とするなら約 500 ㎏ (玄米換算)

= 3世帯ほどの一年分の米を、育てる計算である。

 

この森が、海の魚も増やしているとしたら、、、

e12111415.JPG

僕らはやっぱり 「生産性」 という概念の捉え方とモノサシを

根底から変えなければならない時に来ているのではないか。

 

「馬場目川上流部にブナを植える会」 の活動は、

今後は植林より山の管理作業が中心になっていく。

来年も植えるかどうかは未定、とのこと。

 

それでも、できることならこれからも来たいと思う。

断続的とはいえ18年、眺め、歩き、木を植えさせてもらった山である。

自身の心にも木を植えてきたと言えるなら、その育ち具合を見つめ直すためにも。

 



2012年11月12日

心に ブナの森を

 

水は生命を支える土台であり、しかも  " 水系 "  は

エネルギーも提供してくれる重要な地域資源になる。 

地域の力でエネルギーを創り出せば、

お金(富) も外に出てゆくことなく、地域で循環させることができる。

 

その資源の源といえば、森に他ならない。

森と水系をしっかりと守りさえすれば、

水はいつまでも私たちに安心の土台を与え続けてくれる。

 

しかし、水資源の涵養が維持されなければ、水流はやがて途絶える。

あるいは鉄砲水となって麓や町に災害をもたらす。

そのあとには水不足が待っている。

またひとたび水系が汚染されると、

人々は未来への予知不能な不安に怯えることになる。

まさに今の世がそうだ。

僕らは水が教えてくれる大もとの作業も忘れずに続けなければならない。

人の心に木を植える。。。

 

栃木・那須から帰って、一日おいて11月2日、秋田に向かう。

第20回に到達した 「秋田・ブナを植えるつどい」。

記念講演も用意され、

この地でブナを植える活動のきっかけを与えてくれた畠山重篤さんが呼ばれた。

e12111201.JPG

 

秋田行きの 「こまち号」 が強風のためだいぶ遅れ、

会場である五城目町の 「五城館」 に着いた時は、

すでに畠山さんの講演が始まっていて、元気な声が会場の外まで聞こえてくる。

身振り手振りを交えながら、畠山ワールドの展開。

e12111202.JPG

 


畠山さんの話は後半しか聞けなかったけど、

おそらくは震災の凄まじい体験から始まり、自然の力あるいは偉大さ

(もしかしたら人間というもののちっぽけさ) が語られ、

おそらくは生命が湧くほどに豊か " だった " 幼少の頃の暮らしも語られ、

山や森とのつながりへと展開されていったのではないかと推測する。

 

山の落ち葉らの腐植から生まれるフルボ酸が鉄とくっついてフルボ酸鉄となり、

川を伝って海に運ばれながら植物やプランクトンを育てる連関。

僕が椅子に座った時は、まさに畠山さんの十八番(おはこ) である

" 地球は鉄の惑星でもある (鉄があったゆえに植物が生まれた) " 

の世界へと聴衆を誘っているところだった。

 

シベリアからオホーツク海を経て三陸にいたる陸と海のメカニズム。

学者たちが後追いのような形で証明してくる生命のつながり。

津波の後、例年より強い勢いで育っているカキたちと自然の奥深さ。

さらにはカキという生物の面白さ・・・ 全身で表現する畠山重篤さんがいた。

元気になって、ホントよかった。

 

畠山さんは昨年2月、

国連森林フォーラムが 「2011年・国際森林年」 にちなんで設定した、

森を守るために地道で独創的な活動をする 「フォレスト・ヒーローズ」

8人の一人として選出され、世界から称えられた。

 

授賞式はニューヨーク・国連本部で行なわれた。

そこで貰ったという金メダルを見せてくれる。 

e12111203.JPG

 

今や世界から注目される  " 森のヒーロー "  となった畠山さん。 

「 " 森を守る "  功労者に、漁師を選んでくれたことが嬉しい」 と語る。

「これは、森を考える時は川や海のことも考えよう、というメッセージになった」 と。

 

  森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく (熊谷龍子)

 

 - これからも広葉樹の森を育てながら海を守っていきたい。

地震と津波というとてつもない災禍や絶望を超えてきて、

この人のなかにある木は、さらに巨きく枝を伸ばし葉を繁らせたように思う。

震災後の牡蠣のように。

 

秋田から帰ってきて、久しぶりに 『森は海の恋人』

(1994年・北斗出版刊、今は文春文庫で買えます) を手に取った。

山にも海にも、たくさんの生き物(幸) が

当たり前のように満ち満ちていた時代があった。

例えばこんなくだりがある。

 

  広葉樹の山々の沢から流れる水は、どんなに大雨が降っても濁ることはなく、

  川には魚が満ち溢れていた。 岩魚(いわな)、山女(やまめ)、鰻、いくらでも採れた。

  夜突きといって、松の根に火を灯して、夜、川に入ると、

  一尺五寸を越す岩魚がウヨウヨしていた。

  いつでも採れるので、食べる分しか採らなかった。

  山女も、鱒(ます) のような大きなのが居て、ヤスで突いて何なく採った。

  腰に下げたフクベは忽ち重くなり、家に帰ると直ぐ割いて竹串に刺し、

  炉端で焼いて御菜(おかず) にした。

  「ほんとに夢のようでがす!!」 とおばあちゃんも、目をしばたたかせている。

  夢のような話は、まだ続く。

 

山と海の深いつながり (「木造船は、海に浮かぶ森であった」 とか)、

子供を一人前の漁師に育ててゆく人と自然と生き物たち、

そのつながりがもたらす豊饒の世界が、実に愛情深く描かれている。

加えて、関係を断ち切ってゆく 「近代」 という波がもたらした貧しい世界も。

熊谷龍子さんの格調高い短歌を配置して、

これはすごい文学作品だと、改めて思ったのだった。  

 

講演会が終わった後、畠山さんにご挨拶をして、いつぞやのお礼を言う。

かすかに覚えていてくれたか、いやどうだか分からないが、

でもまあ 「ああ! おーおー」 と笑って応えてくれた。

これだけで、僕は満足。

 

夜は、「ライスロッヂ大潟」 代表・黒瀬正さん宅で、

懇親会という名の楽しい宴会。

e12111205.JPG

 

黒瀬さんが男鹿の港の市場から調達してきたマグロと、

いつも陣中見舞いに来てくれる安保農場・安保鶴美さんのきりたんぽをメインに、

今回の秋田の地酒は、銘酒 「白瀑(しらたき)」。

 

黒瀬さんと安保さん。

e12111206.JPG

 

黒瀬家は家族も増えて賑やかだ。

e12111207.JPG

息子の友基・恵理さん夫妻に、

長男・悠真くん(5歳)、長女・花穂ちゃん(3歳)、次女・志穂ちゃん(1歳)。

 

本番を前にして、例によって飲み過ぎ、

もうずいぶん古い付き合いになった奈良のSさんと遅くまで語り合ったのだが、

朝になると何を話したのか、どうも思い出せない。

これは大事なことや、大事なことやからエビちゃんに伝えておくんやぞ、

とか言われていたように思うのだが・・・

スミマセン、Sさん。 また来年もお願いします。

 



2012年11月10日

「米と電気は自分で創りたい!」

 

小林教授による小水力発電の基礎講座を受けた次は、

現場で様々な困難とたたかってきた方のお話し。

那須野ヶ原土地改良区連合 (別称 「水土里ネット 那須野ヶ原」)

参事、星野恵美子さん。

 

土地改良区というのは、農地のほ場整備を実施したり、

ため池や水路など農業用水利設備の維持管理を行なう組合で、

地区内の農家や水利の利用者が組合員となって運営されている。

10年前に 「水土里(みどり) ネット」 という愛称が付された。

 

e12110904星野恵美子さん.JPG

 

土地改良区の目的の根本は、農業生産の基盤整備によって生産力の向上

=農家の経営安定に、つまりは農業の発展に貢献することにある。

しかし米価を始め農産物価格が低迷し、生産力が衰えていく中で、

土地改良区としてもただ漫然と水利の管理等をやっているだけでなく、

もっと農家のためにやることがあるのではないか、と星野さんは考えてきた。

そこで様々な取り組みを提唱し、実践されてきたのだが、

「すべてことごとく  " 抵抗勢力 "  とのたかいでしたね」 と言い放つ。

 

抵抗勢力と言っても外部のことではない。

組合であったり、上司であったり、行政であったり、

要するに身内の事なかれ主義とのたたかいである。

「余計なことをするな」 「赤字になったらどうする」・・・

「ハンコは押すが、くれぐれも問題を起こさないように」 と市長に念を押されたり、

「何かあったらあんたが責任を取れ」 と言われて、

どう責任取っていいか分からないまま 「ハイ、分かりました」 と答えながら、

ゼッタイに成功させてみせるという覚悟と根性で乗り切ってきた。

 

いや実に迫力の方である。

笑顔の奥からもドスの利いた圧力が感じられる。

どうも最近、行く先々でスーパー・ウーマンに遭遇しているような気がする。。。

しかも女性から  " 覚悟 "  とか  " 根性 "  とかの台詞を連発されると、

「お前はいったい何をしているのだ、この根性なし!」

と叱られているような気になってくる。。。

 

ま、そんな軟弱男のコンプレックスはともかくとして、

ここは日本の三大疎水の一つと言われる那須疎水の地。

かつて水の確保もままならなかった瓦礫の原野で、

明治から1世紀にわたる先人の苦労によって

那須野ヶ原用水が築かれ、豊かな農村地帯になった。

「水を求め、水を大切にする」

- その精神と歴史的背景を継承し、水や環境保全に対する意識を啓発し、

農村と都市・人間と自然の共生を図り、

自分たちの手でこの地域の未来を創っていこう。

そんな理念のもと、星野さんのたたかいは実に多岐にわたるのである。

 


那須野ヶ原の家畜糞尿や生ゴミ・木質によるバイオマスエネルギーの実証実験。

太陽光エネルギーにより水素を製造し、燃料電池で発電を行なう実験。

森林保全を目的としての森林資源調査や、

機械による生産性向上を探るモデル間伐の実施。

間伐親子体験イベントなどによる環境教育。

「水は森からのおくりもの」 といったパンフレット作成など様々な広報活動。

田んぼの学校、総合学習プログラムづくり・・・等など。

そして小水力発電事業である。

 

星野さんは 「米と電気は自分で創りたい」 と力説する。

特に食糧は命をつなぐもの。

質も大事だと、星野さん自身、無農薬での米作りを実践されている。

エネルギー政策の目標は、「農家の電気代をタダにしたい」。

上に挙げた通り、小水力発電はその手段のひとつである。

 

那須野ヶ原は約40,000 ha の複合扇状地で、

扇央部から扇頭部までの距離が約30 ㎞、標高差約480 m の勾配がある。

この急峻な落差による水勢を利用した発電所が、3ヶ所に計7基。

最大出力が合わせて1,000 kw、CO2 削減量 3,090トン/年。

 

これが蟇沼(ひきぬま) 第一発電所。

e12111006ひき沼第1発電所.JPG

最大出力360 kw の横軸フランシス水車。

 

こちらが百村発電所。 立軸カプラン水車。

e12111007百村発電所.JPG 

 

用水路に沿って4基、設置されている。

 

e12111008百村②.JPG

30 kw × 4基=120 kw。 

一般に有効落差は3 m 必要と言われていたなかで、

星野さんたちは落差 2 m での発電を実現させた。

後ろに見えるのが那須岳。

 

小水力発電を効率よく、かつ長く持たせるには、

こまめな点検とメンテナンスが必要となる。

厄介なのは水と一緒に流れてくる落ち葉などのゴミらしい。

ゴミの量や質など、その場所の実情に合った対策がポイントだと、星野さんは語る。

しかも低コストでやり切らないと採算が合わなくなる。

手探りで、改良を重ねながら、

今も進化の途上にある除塵システムがあった。

e12111005除塵装置.JPG

 

環境学習の場としてつくられた 「那須野ヶ原用水ウォーターパーク」。 

ここに水車が3基、太陽光パネルと風力の発電装置が14基、設置されている。

e12111002ガラガラ水車.JPG

ガラガラ水車。

古代メソポタミア時代に発明された、最も古くてポピュラーな形。

ここでは水の流れを水車の下側に作用させて羽根車を回す下掛け式。

出力1.8 kw。 落差1.15 m。

 

e12111003カラコロ水車.JPG

カラコロ水車 (クロスフロー水車)。

1.8 m の段差に同じ水車を2台横に並べて設置してある。

羽根車の外周部から中心部に入り、再び外側へ流れ出る構造で、

羽根車に2回作用することで発電効率が上がる。

出力8.0 kw。

 

e12111004ぞうさん水車.JPG

ぞうさん水車 (サイフォン式プロペラ水車)。

段差に取水設備を設けて流水を外の水槽に導き、サイフォンの原理を利用して

疎水に水を流して、配管内に組み込まれたプロペラを回す仕組み。

出力2.2 kw。

 

それぞれの水車の特徴と、場所の落差や流量、周囲環境といった条件によって

水車を選定すれば、いろんな場所での発電を可能にできる。

 

とにかく小水力のメリットは、その利用効率の高さである。

太陽光だと12%と言われるが、

ここでの小水力の利用効率は78%に達している。

 

e12110905星野スライド①.JPG

 

小水力発電を成功させるカギは、やる気と諦めない気持ち(根性)、

そして人材育成。

思いを共有できる人ができたら、積極的に資格を取らせる。

資格を取るとモチベーションも上がる。

星野さん自身、第一種電気工事士、宅地建物取引主任者、二級小型船舶操縦士、

第一種自家用発電設備専門技術者、第二種ダム水路主任技術者・・・等など

9つの資格を取得している。 「恐れ入りました」 と言うしかない。

 

資格を取得することでスタッフにプロ意識を持たせ、

できるだけ外注に頼らず、自分たちでつくる。

困難な課題に対しては、ひたすら考える。

それが採算を合わせる近道だということである。

 

そして、大元の森づくり構想。 

e12110906星野スライド②.JPG

1000年の森を育てるプロジェクト。

いよいよ本格的な活動期に入っていく。

 

参加された生産者は、どちらかというとマイクロ水力発電的な、

等身大の技術と規模で少しでもエネルギー自給率を上げたい、

という発想で来られた方が多かったようだった。

どのように次に生かされるかは分からないけど、

それぞれに刺激を受け、あるいはヒントを得て、

明日からの一歩を踏み出してもらえたなら、嬉しい。

 

星野さんから、夢を実現させるにはもう一つ 、

「バカになることね」 と言われた。

これだけは自信があるのだが。。。 

 



2012年11月 9日

「小水力発電」 を学ぶ生産者会議

 

備蓄米収穫祭での感動の余韻にとっぷりとひたっている余裕もなく、

10月30日は那須塩原に。

塩原温泉の老舗、多くの文人が愛したという 「和泉屋旅館」 にて、

生産者会議 「小水力発電研修会」 を開催する。

 

この地を選んだのは、農業用水路を利用した小水力発電の先進モデルが

ここにあるからに他ならない。

お呼びした講師は、茨城大学教授の小林久氏と、

那須野ヶ原土地改良区で小水力開発を牽引してきた星野美恵子参事。

集まった生産者は、青森から長野までの14団体の方々。

 

まずは小林久教授の講義から。

e12110901会議風景.JPG

 

エネルギーを考える上での最初の基本は 「節電」 である、

と小林教授は切り出す。 

「節電」 はある意味で電力を生み出すのと同じ、という発想である。

小林家では、昨年の3.11以降、(苦労せず) ちょっと意識して

電気を使う (=節約する) ようにしただけで、電気代が半分になった。

「どんな家庭でも、少なくとも2~3割は減らせるのではないでしょうか。」

 

次に、電気はかなりの部分が熱利用 (暖房や湯沸かし等) に回っている

という事実を頭に入れること。

それらを踏まえた上で、自然再生エネルギーを考えるようにしたい。

 

e12110902小林教授.JPG

 

<エビ注>

「小水力発電」 の厳密な定義はなく、

だいたい1万kw 以下の発電規模のものを指して語られていることが多い。

一方で、新エネ法 (新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法)

など日本の法律では1,000kw 以下を 「新エネルギー」 と分類していて、

今年7月からスタートした再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度 (FIT) では、

3万kw 未満 ~ 1,000kw のものに対して 25.2円/kw

(1,000kw 未満 ~ 200kw =30.45円、200kw 未満 =35.7円)

の買い取り価格が設定された。

これらの法律事情によって、1,000kw 未満を 「小水力」 と区分する場合もある。

 


小水力発電は、上から下へと落ちてゆく  " 水の流れ "  を利用することになるので、

必然的にその水系に関わる地域全体の問題になる。

つまり水は地域のエネルギー資源であり、

したがって地域内に事業体をつくることが、

公益上望ましい (地域に利益が還元されるようにすること)。

 

小水力発電の特徴と、メリット・デメリットは次の通り。

日本は水大国である (降水量は世界平均の倍近くある) が、

降った水はいったん山に蓄えられ、沢などを伝って集まりながら密度を高めてくる。

したがって山がしっかり管理されれば (という条件付きであるが)、

その 「変動」 幅が緩和(=調整) される。

また稼働時間が長い(風まかせ、お天と様まかせではない)。

CO2 を排出することがないので、温暖化対策の切り札でもある。

設備の寿命が長い(50年持っているのがザラにある)。

 

ただしその原理ゆえに適地が限定される。

また上に挙げたように関係者が多くなるため、合意形成や調整に手間取る。

そして開発量に限界がある。

小林教授の試算では、日本では100万kw くらいが限界だろうとのこと。

 

しかし 「小規模分散型」 にならざるを得ないなら、

むしろ日本はその地形上、まだまだそのポテンシャルは大きいとも言える。

都市でいえばビル内の循環水を使う方法も考えられる。

先進国ドイツでは水力発電所が8千ヶ所あるが、そのうち

実に 7,300ヶ所が 1,000kw 以下のものだ。

それでも発電で飯を食っている人もいる。

 

小林スライド②.JPG

 

現在日本では化石燃料に頼ってしまっているが、

海外から購入している石油代がなんと23兆円。

これは日本からの 「富」 の流出以外の何物でもない。

自然エネルギーで地域の電力需要を賄えば、

そのぶん富が地域に返ってくる (=回ってくる) 格好になる。

たとえば1万世帯の小都市で、仮に100%エネルギー自給が達成できたなら、

電気代の世帯平均10万円/年 で計算すると、

10億円の収入が地域内で循環することになる。

自給率を上げれば上げるほど地域が潤うことになるワケだ。

 

小水力発電はまた、あらゆる分野の人が関われるので、

地域の人々の意識も変えることになるだろう。

エネルギー生産と消費が 「我が事」 になって、

地域を作り直す作業に発展する可能性を秘めている。

水資源の維持は、必然的に森や生態系も含めた環境の保全との調和を求める。

持続可能な社会の仕組みをもたらす力が、水の 「発電」 にはある。

 

小水力発電はまた、地場産業の発展(仕事づくり) にも貢献できる。

ふたたびドイツの数字を上げれば、

フライツブルグという都市では、チェルノブイリ後、

自然エネルギーの拠点づくりを目指して研究施設などを誘致してきた結果、

新たなエネルギー関連の仕事が生まれ、

3%の住民が関係する事業で雇用されるまでになっているという。

それは働きがいのある人間らしい仕事 -  " グリーンジョブ "  と言われる。

日本では、農村の暮らしに若者たちが憧れても、仕事がない。

(残念ながら、有機農業の世界でも、暮らしの受け皿づくりは容易ではない。)

小水力発電は、新しい雇用の創出と、

自慢できる郷土づくりに貢献できるはずだ。

 

今年7月からスタートした FIT (固定価格買い取り制度) によって、

小水力発電導入の難問であった 「初期投資の壁」 も

クリアできる道筋がつくられた。

e12110903スライド.JPG

 

これによって経営計画が立案でき、プロジェクト・ファイナンスが可能になった。

すでに多くの銀行が融資の枠を設けてきている。

 

ちゃんと管理すればするほど利用価値が上がり、

環境保全と持続可能性が高まる。

世界は急カーブで、加速度的に自然再生エネルギーに向かっているのに、

日本は完全に出遅れてしまっていた。

FIT によってようやく政策的なバックボーンが得られた、という流れである。

 

・・・・・

なかなか気合いの入る話だったが、現実に進めるとなると、事はそう簡単ではない。

ここで様々な抵抗勢力とたたかってきた女傑、いや先達の登場となる。

続く。

 



2012年11月 6日

それでも 世界一の米を!

 

「備蓄米 収穫祭」 & 「自立祭」 レポート - PartⅡ

 

収穫祭で飲んだり語り合っている間に地元の方々や関係者も集まってきていて、

午後2時半、「自立祭」 の開催が宣言される。

風土 in FOOD③.JPG

 

「元気ですかーッ!」

気勢を上げる稲作研究会会長・渡辺良勝さん。

渡辺義勝会長.JPG

右は落ち着いた司会さばきを見せるジェイラップ専務の関根政一さん。

 

自慢の食材や季節の果物が並べられる。

風土 in FOOD②.JPG

 

すっかりお馴染みになった佐藤良二さんの手打ちうどん。

今年は天ぷらも登場。

お好きな具で天ぷらうどんを、どうぞ。 ニクイね。 

屋台.JPG

あちこち歩きながら、生産者と語り合ったりしているうちに、

食べそびれてしまった。

きれいに揚がった色とりどりの野菜や菊の花の天ぷら・・・ くやしい。

 


改めて壇上に立ち、挨拶する伊藤俊彦さん。 

伊藤俊彦(檀上).JPG

 

原発事故と放射能に慄きつつも、立ち向かってきた俺たちのたたかいは

無駄ではなかったし、むしろ予想以上の成果を獲得した。

そして昨年の 「復興祭」 から一年。 今年もみんなで頑張ることができた。

自分たちの地域は自分たちの手で守る、という自信も取り戻せたように思う。

そんな自立に向かう意気込みを込め、

関係者の皆様の支援に支えられたことに深く感謝して、

「自立祭」 を祝いたい。。。。 (本当はもっとカッコいい挨拶だった。)

 

ここに到着して、慌ただしくなったスケジュールの確認中に聞かされた

感謝状授与という話。

え? え? 何それ? 聞いてないよ。

「ああ、いま初めて言ってるんだけど、貰ってくれるよね。」

表彰状授与.JPG

 

照れも通り越して、恐縮しまくり。 文面にも気が込められていて・・・

 

『 感謝状
  大地を守る会 藤田和芳殿

貴社におかれましては 東日本大震災による被災ならびに
東京電力福島第一原子力発電所事故に起因する原子力災害に慄き 
意気消沈する私たちに対し 復興への導きと希望の再生のために 
救援物資の提供 原子力災害に対峙する学び 放射能分析設備の貸与 
復興に向けた経済支援 独自の情報発信活動など 
積極的なご支援を賜ってまいりました。
特に原子力災害という未知の環境汚染対策に対しましては 
共に闘っていただいているという実感の中で 
この逆境に立ち向かう気力と勇気を賜りました。

おかげ様をもちまして 顔を上げ 前を向き 
一歩ずつですが復興に向けての気概を増幅させ 
生きることの基本である " 自立 " を目指せるまでになりました。

2012年  " 風土 in FOOD 自立祭 "  を開催するにあたりまして
復興から自立に向けて継続的に努力精進してまいりますことを
お約束申し上げますと伴に 一層のご指導 ご尽力を賜りますことを
切にお願い申し上げます。

ここに賜りました数々のご厚情に対しまして 
真心からの深謝の念を感謝状に込め お伝え申し上げます。

二〇一二年十月二十七日
株式会社ジェイラップ
農業生産法人 稲田アグリサービス
代表 伊藤俊彦 』

聞いている途中から、この1年半を思っってしまい、

泣き虫のワタクシは耐えることができない。

必死でこらえながら (いや、すでにむせび泣いているのだけど)、

感謝の言葉を伝えさせていただいた次第。

戎谷挨拶.JPG

何を言ったのか思い出せない。

夢を語り合いながら一緒にたたかって来れたことに、そして

素晴らしい米を消費者に届けることができる喜びをかみしめていること。

この2年、ひたすら頑張ってこられた皆さんと連なって仕事ができたことは、

僕の誇りです。 深く感謝申し上げたい。 

声を詰まらせながら、そんな感じだったような・・・

 

お酒を持ってお祝いに駆けつけてくれた大和川酒造店・佐藤和典工場長(写真左)、

次世代のリーダー・伊藤大輔くん(中央) と一緒に一枚。

大輔to工場長.JPG

 

では、こちらからもささやかではありますが、

収穫祭に参加された会員や職員からのメッセージを、贈らせていただく。 

メッセージカードお渡し.JPG

 

渡しているのは、会員で 「米プロジェクト21」 メンバーの鬼弦千枝子さん。 

「あの日から大変な困難とたたかってきた稲田の生産者はスゴイ! 

 これは私にとっても誇りです!」

(本当はもっとカッコいい挨拶だった。

 鬼弦さんのブログ でもレポートされてます。ぜひご覧ください。)

 

「自立祭」 宴たけなわのところで、

最後に記念撮影。

集合写真.JPG

 

皆さんが笑顔で収まってくれて、また感激が募る。

そして、、、生産者に見送られながら、慌ただしく帰途に。 

お見送り.JPG

 

バスの中で頂戴した感想に、またまた泣きそうになる。

「大地を守る会の会員で、本当によかった。」

 

最後にお知らせ。

備蓄米の追加募集が近々のうちにも行なわれます。

会員の方々にはチラシが入ります。 WEBストアからも申し込めます。

 

2009年3月に出版された、稲田の取り組みのルポルタージュがある。

このタイトルをもう一度、蘇らせたい。

e09041201.jpg

(奥野修司著、講談社刊 1,800円/近々文庫化されるとの情報あり)

 

まさにこのタイトルを借りて 新年の講演会 をやったのは2年前。

何だか遠い昔のような気がする。

 

彼らの、今の思いは、こうだろうか。

『それでも 俺たちは 世界一の米を作ってみせる!』

 

どんな困難な時も、この志を忘れることなく、常に前を向いて

" 安全で美味しい "  米作りを目指してきた稲田稲作研究会。

今年も美味しいお米ができたことを、ここに報告いたします。

しかも責任持って、来年の秋までモミ付きで貯蔵します。

1993年の大冷害の教訓から生まれた、

世界一美味い(と自負する) お米の、世界一の保管システムで、

一年間の 「食卓の安心」 をお約束します。

 

稲作研究会の生産者たちは、放射能対策に対しても敢然と立ち向かいました。

「できることはすべてやろう」 を合い言葉に、

徹底した検査と具体的な対策のたゆみない実施により、

検査したすべての玄米で 「ND(検出下限値未満)」 を達成しました。

 

そして今、彼らの夢は 「自然エネルギーの郷づくり」 へと広がっています。

彼らを支えているのは、

20年以上にわたる  " 食べてくれる人のたしかな存在 "  に他なりません。

 

今年最後の募集となりました。

未来への夢を託した渾身のコシヒカリで、一年の安心と笑顔の食卓を

一人でも多くの方にお届けできることを願っています。

 

 2回にわたる 「収穫祭&自立祭」 のレポートでは、

   弊社EC戦略室・大塚二郎撮影の写真をたくさん借りちゃいました。

   ありがとう。

 



2012年11月 5日

「備蓄米」収穫祭 & 自立祭

 

改めて、10月27日(土)の 「大地を守る会の備蓄米 収穫祭」 から振り返りを。 

少しでも現地の空気が伝えられたなら嬉しいです。

 

東北自動車道で事故渋滞の連続攻撃に見舞われた我ら一行は、

1時間半遅れで、須賀川市は 「稲田」 と呼ばれる地区に到着。

早速ほ場に出向き、今年取り組んだ除染の実演を見学する。

耕起風景.JPG

どうもザックリと 「除染」 と言ってしまってるけど、

ここでの対策は土を剥ぐわけではない。

 プラウ耕といって、土の表層と深層をひっくり返す反転耕。 天地返しとも言う。

セシウムが留まっているのはせいぜい表土10cmあたりまで。

そこで表層30cmを下の層と反転させることで、

根の成長期では届かない下層にセシウムをとじ込める。

 

生産者団体 「稲田稲作研究会」 を束ねるジェイラップでは、

昨年耕作を放棄した田んぼも借り受け、反転耕を実施して、

線量を3分の1まで下げることに成功した。

彼らは地域全体の安全確保のためにも動いてきたのだ。

 

実演を見学する参加者たち。

見学風景.JPG

 

説明するジェイラップ代表、伊藤俊彦さん。

圃場で説明する伊藤俊彦.JPG

 

天地返しによって表層にあった土の栄養分がなくなって、

稲の生育によくないのでは、という声もあるが、伊藤さんは動じない。

「 もともと昔からあった土づくりの技術ですよ。

 これでかえって根の張りが良くなって強い稲になるはず」 と解説する。

 


本当はこれだけでなく、

一年かけてやってきた対策をひと通り見てもらおうと、

生産者たちは張り切って準備していたのだが、

残念ながら割愛させていただく。

ライスセンターでも、自慢の太陽熱乾燥とモミ貯蔵のタンクを見てもらい、

あとは簡略した説明となる。

 

太陽熱での乾燥設備。

太陽熱乾燥.JPG

小さな穴が空いているベッドにモミが並べられ、

ラインの奥にあるプロペラが回りながら撹拌してゆく。

こうして理想的な乾燥状態に持っていって、いったん眠りに着かせる。

 

こちらがモミ貯蔵タンク。

モミ貯蔵タンク.JPG

一基150トン × 3基で、450トンの保管能力がある。

保管されたモミ米は、注文に応じて籾すりされ、

精米-袋詰めまで一貫してここのライスセンターで行なわれる。

来年の梅雨を越しても品質を劣化させない、

まさに 「備蓄米」 のために作られたような設備だ。

 

駆け足で見学して、交流会の席へと急かされる。

生産者たちには、随分と待たせてしまった。

交流会.JPG

 

挨拶もそこそこに、乾杯をやって、懇親会突入。

今年も食べてくれる人の顔が見れる。

その喜びは、消費者が想像している以上に大きい。

生産者紹介.JPG

 

自慢の生産者を紹介する常松さん。

こうやって毎年繰り返しながら、僕らの信頼関係は知らず知らず深まってゆく。

 

今年の特徴は、大地を守る会と稲田稲作研究会の 「収穫祭」 だけじゃないこと。

地元地域の人たちも招いての感謝祭も一緒に実施されたのである。

昨年は別な日程で、「復興祭」 と銘打って開催されたものだが、

今年は、「風土 in FOOD 自立祭」 となった。

 

「作る楽しみ、食べる幸せ」 を感じ、

誇れる風土を自らの力で、守る育てていくために

「復興から自立へ!」

そうだ、力強く、前に進もう!

 

会場を広げて、「自立祭」 の開催。

風土 in FOOD.JPG 

 

すみません。 今日はここまでで。

 



2012年11月 4日

福島から栃木そして秋田へ

 

10月26日(金)、赤坂での 「アーバン・オーガニックラボ」 に参加して

帰ったのが夜の10時半頃で、

翌27日(土) は、朝7時半に東京駅・鍛冶橋にある観光バスの発着場に集合。

福島県須賀川市で開催する 「大地を守る会の備蓄米 収穫祭」 に

大型バスで向かう。 参加者34名 + 現地合流4名。

 

しかし予定通りに出発するも、東北自動車道で断続的な事故渋滞に遭い、

11時現地着の予定が、12時半の到着となる。

お陰でバタバタとした進行になってしまったのだが、

それでも参加者の方々には快くご協力いただいて、

楽しい収穫祭を終えることができた。

そんでもって帰りも渋滞にはまって、東京駅に着いたのが夜の9時。

渋滞って、ほとんど体を動かしてないとは言え、

ずっと座っていること自体、けっこう疲れるものなのである。

皆様、休日のドライブはくれぐれも安全運転でお願いします。

 

残務と追いかけてくる宿題でブログを更新できないまま、

30~31日と、今度は栃木県那須塩原にて、小水力発電の現場視察と勉強会を開催。

参加生産者は14団体から18名。

 

11月1日は朝から農水省に出向き、

「地域食文化活用マニュアル」 検討会に出席。

 

続いて2日(金) は、これまた朝イチから秋田・八郎潟に向かう。

今年で20回目となる 「秋田・ブナを植えるつどい」。

植栽日は3日だが、前日に20回の記念講演会が催されることになり、

宮城県気仙沼でカキの養殖業を営む 畠山重篤さん をお呼びするというので、

参加させてもらうことにした。

元気になられたお顔を拝見したかったし。

 

3日の植林をはさんで 「ライスロッヂ大潟」代表・黒瀬正さん宅に2泊して、

きりたんぽ鍋や黒瀬さんが港で仕入れたマグロやらで夜の交歓会を楽しむ。

そして今日はオプションとして、

希望された会員さんたちと一緒に白神山地のブナ林を散策。

さらに青森県深浦の十二湖まで足を伸ばして、帰ってきた。

帰宅、22時30分。 

 

一週間ぶんのツケは明日から返すこととして、

今夜は頭を整理しながら、少々の疲労感とたくさんの感慨を抱いて、

休ませていただきます。

一週間前のサプライズ、

備蓄米の生産者から頂いた 「感謝状」 を眺めながら・・・

 

感謝状.JPG

 

ありきたりでない、心のこもった感謝状。

これを受け取って挨拶を求められたエビがどんな顔になったかは、

ご想像にお任せしたい。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ